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結衣「……言わないで、わかってるから……ずっと前から……」 八幡「……」【俺ガイルss/アニメss】

 

 

夏の花火のようにこの想いも綺麗に消えてしまえばいいのに。

 

心臓に重い音が低く響く。

 

その音に驚いてあたしは音源である空に目を向ける。

 

すると空には紅色の光の花が咲いていた。

 

「わぁ……」

 

あまりにも綺麗で思わず声が漏れた。そんなあたしの声は周りの賑やかさにかき消されてしまったけれど。

 

黒に近い藍色を背景に咲いた花は、フッとその輝きを失ってすぐに見えなくなった。

 

「きれい……」

 

消えた光の残像が瞳にうっすらと残る。

 

こんなにも花火が美しく見えたのは生まれて初めてかもしれない。

 

頭の中でドンッ、と音がして、見えない花がまぶたの裏に咲いた。

 

そしてふと、あの頃のことが頭に浮かんだ。

 

――

 

――――

 

高二、夏。

 

「わぁー、綺麗だねー」

 

「そうだな」

 

「ヒッキー、ちょっと素っ気なくない?」

 

「この騒ぎのドサクサに紛れて人前でいちゃついているリア充(笑)のことを考えたらな」

 

「うわ……」

 

やっぱりヒッキーはヒッキーだなぁ、って思う。一体こんな人のどこが良いのだろうか。

 

なんて、答えのない問いを自分に投げかける。

 

何度考えてもわからなかったその答えは、きっとわからない。

 

人を好きになる理由なんて、ちゃんと言葉にできるわけがないんだと、わかっていたから。

 

あたしが履いてきた下駄がカランコロンと音を立てて跳ねる。履き慣れない下駄の感触はどこか新鮮だった。

 

たまには、こういうのも悪くないかもと思ったその時――。

 

「え、うわ――」

 

油断したのかバランスが崩れる。身動きの取りづらい浴衣を着ているせいで体勢を立て直せない。

 

地面にぶつかる!

 

思わず目を瞑った。

 

しかしあたしの顔に衝撃はなく代わりに肩のあたりにあたたかな感触。

 

「えっ?」

 

恐る恐る目を開けると私の身体は斜めになりながらも倒れていなかった。

 

「あぶねぇな」

 

肩に力がかかり無理矢理に体勢が元に戻った。ヒッキーがあたしの身体を支えてくれたんだとわかるのに数秒かかった。

 

「あ……ありがと……」

 

自分の身体がさわられたのがどこかこっぱずかしくて、そのせいで感謝のたった四文字がうまく言葉にならないのが歯がゆい。

 

「……人多いと歩きづらいだろうし、どこか人の少ないとこの方がいいか?」

 

「う、うん」

 

あたしの返事を聞くとヒッキーは背中を向けて歩き始めた。その後ろをあたしは追いかける。

 

その様子はいつもと少しも変わらないなと、そんなことを思った。

 

だからなんだ。

 

ヒッキーと一緒にいられて嬉しいはずなのに。

 

それなのに。

 

心のどこかにポッカリと穴が空いたような気分なのは。

 

「わりぃな……。ビニールシートとか持ってくるべきだった」

 

「ううん、いいよ。あたしもそこまで気が回らなかったし」

 

普段、優美子とかと出かける時はちゃんとそういうところまで考えられるのに、どうしてこういう時には上手くいかないんだろう?

 

普段できていても肝心な時にダメなら意味がない。

 

ドンッ、とまた心臓に響く。

 

黄緑色が円状に開いて、そして、消える。

 

「……ヒッキーってさ」

 

「なんだ?」

 

「こう、いっぱいドンドンドンドンッ!! ってくるのと、一発ずつドンッ、って間を空けて来るの、どっちが好き?」

 

「連続打ちか単発打ちかって話か。決まってるだろ。単発だ」

 

「理由はなんとなくわかるけどなんで?」

 

「そりゃ単発は一発一発がぼっちで空に上がってるからな。そっちの方がずっと綺麗だし俺的にもポイント高い」

 

「あはは……やっぱり……」

 

「逆に連続は盛り上がるが一発一発があまり印象に残らない。……なんだか葉山たちに見えてきたわ」

 

「やめてよ! なんかあたしまでそう見えてきたじゃん!?」

 

「その中にお前、入ってるからな?」

 

「それひどくない!?」

 

そんなくだらない会話をはさんで、どこか座れる場所を探して二人で歩いた。

 

花火が打ち上がる背景を横目に、ただただ、歩いた。

 

本当は花火なんてどうでもよくて、ただヒッキーと一緒にいたいだけなんだってことは最初からわかっていた。

 

そうして歩いているといつの間にか人気が少なくなって、お祭り騒ぎも落ち着いてきていた。

 

「……おっ、ちょうどベンチがあるな。そこでいいか?」

 

「う、うん」

 

ヒッキーはわかったと言ってベンチの上の土や木の枝を払って端の方に座った。

 

あたしはその反対側に座る。

 

静寂の中に花火の音が際立って鳴り響く。

 

「……なんかごめんね」

 

「なんでお前が謝るんだよ?」

 

「だってちょっと強引な感じで連れ出しちゃったし」

 

「まぁ、小町の頼みだからな。ったく、あいつは兄をなんだと思ってるんだ……」

 

「……ふふっ」

 

ブツブツ小町ちゃんへの文句をつぶやいているヒッキーの姿はどこか滑稽で思わず吹き出してしまった。

 

「な、なんだよ……」

 

「いや、ヒッキーと小町ちゃんって本当に仲が良いんだなって」

 

「どうだかな」

 

――

 

――――

 

このお祭りに来るのは三度目だ。初めて来たのはヒッキーと一緒の時で、二度目は……。

 

人混みの中を縫うように進んで行く当てもなくただ歩いていると、少しだけ静かになる。

 

どうしたんだろうと思って少し考えてみたら、結論は至極簡単なことで花火が打ちあがってないからだ。少しの休憩の間なのだろう。どこかで子供が「終わっちゃったのー?」と声を上げているのが聞こえる。

 

……あっ。

 

そこでふと気がついた。

 

何も考えないで歩いているようで違う。

 

この道は、あの日をたどっているんだ。

 

あの日、彼と歩いた、あの道のりを

 

――

 

――――

 

ずいぶんと歩いてきてしまったせいで花火はギリギリ見えるけど小さい。

 

「お前はこんな感じでもいいのか?」

 

「えっ、なにが?」

 

「俺みたいなやつと祭りなんて。しかもかなり離れたところまで来ちまったし」

 

「そんなことを気にしてたの?」

 

「そんなことってお前なぁ」

 

あーもうこの鈍感男。どうしてあたしの態度で気づかないかなー。

 

「別にね、お祭りなんていいんだ。どうでも」

 

いつものままじゃヒッキーには気づいてもらえない。いや、別にヒッキーは鈍感ではない。ただ、自分に寄せられる好意を信じられないんだ。

 

もしかしたら、みたいな思わせぶりじゃ勘違いだと思われてしまうのが関の山だ。

 

「じゃあなんなんだよ」

 

だからもっと隠喩的にではなく直喩的に。抽象的ではなく具体的に。

 

間接的ではなく、直接的に。

 

「…………」

 

……言葉に出来てたらこんなに苦労してないよー!

 

それもう「好き」って言うってことじゃん!?

 

もうそれってただの告白じゃん!?

 

無理無理無理無理!! そんな勇気ないよー!

 

「ゆっくりと見れる方がいいよ」

 

ああー! もうあたしの意気地なしー!

 

「そうか」

 

「うん」

 

ヒッキーもそうかじゃないよ! 今のはかなりアレだったでしょ!? 今の言うだけだって結構緊張したんだよ!? それをたったの三文字で流さないでよ!?

 

……なんて感じで脳内はパニック。ある意味お花畑ならぬお花火畑状態。何それ、すごくうるさそう。

 

「その、連発っていうの? 盛り上がるしいいよね! 一気に明るくなって、夜なのにまるで昼間くらいになって」

 

突然何を言いだすんだろう、とヒッキーの顔がこっちに向く。その反応を求めていたのにも関わらず、少しドキッとした。

 

ごめん嘘。本当はすごくドキッとした。

 

「でもさ……」

 

独り言のように言葉を紡ぐ。花火の音にかき消されないように、声は大きくして。

 

「……あたしもね」

 

単発打ちで打ち上げられた、逆さのピンクのハートが夜空に浮かんだ。

 

少し遅れて花火が開く音が一つ。

 

衝撃が空気を振動して全身に響く。

 

「こういう方が、好きだよ」

 

……これがあたしにできる精いっぱい。

 

こんな言葉じゃ、この人は逃げてしまう。

 

気付いても、気付かないふりをするんだろうな。

 

それはヒッキーなりのやさしさなのだ。でもそれは誰に向けたものなんだろう?

 

あたしのため?

 

それとも、自分のため?

 

きっとどっちもなんだと思う。でもさ、ヒッキーは気付いていないよ。

 

そんな風に気付かない振りをされる方が、ずっとあたしを苦しめるんだってことを。

 

こんなに、ヒッキーのことが、その……、なんだろう、す、好き……、なのに。勘付いているはずなのに、気付かない振りをされるなんて。

 

それってさ、遠回しに断ってるのと同じなんだよ?

 

ねぇ、ヒッキー。いつもなんでもわかっているような顔をしているけど、そんなことも、わかってるの?

 

空に顔を向けている彼の横顔をみつめる。薄暗いここでははっきりと表情が見えなくて何を考えているのかもよくわからなかった。

 

ヒッキーは、どう思ってるの?

 

あたしのことを、どう思ってるの?

 

教えてよ、ねぇ、わからないよ。ヒッキー。

 

たった一言「教えて」と口にしたい。

 

でも背中を押す何かがあたしにはなくて、だからその横顔をただ見ていることしかできなかった。

 

身体の中の異物がその存在を主張する。

 

それがどうしてか、どうしようもないくらいに強く胸の奥の何かをギュッと握って、離してくれなくて、なんだか泣きそうになってしまって。

 

だから――。

 

「……好き」

 

ふと、涙の代わりに言葉がこぼれた。

 

それは無意識のうちの言葉だったから、どのくらいの大きさなのかわからなかった。

 

聞こえていたんじゃないかと焦ってヒッキーの顔を凝視する。その表情はあまり変わっていないように見えたが、さっきから何しろこの薄暗さのせいで読み取れない。

 

「ねぇ、ヒッキー」

 

「……ん?」

 

顔を花火に向けたまま言葉を返す。どっちにも取れるような答え方に憤りを覚えて唇を噛んだ。こんなのあたしの逆ギレなのに。

 

ヒッキーは悪くないのに。

 

あたしが悪いだけなのに。

 

「……なんでもない」

 

……あたしのバカ。

 

――

 

――――

 

「それで優美子がねー」

 

そこは奉仕部の部室。

 

あたしがする何気ない話をゆきのんが聞いて、ヒッキーは本を読みながら時折会話に混ざる。

 

そんないつもの光景。

 

「……相変わらずゴキブリのような発想をするのね、あなたは」

 

ナチュラルに最低なディスり方するのやめてくれない? あとそこまで生命力高くねぇ」

 

「そうね、ゴミ屑と言った方が語弊がないかしら」

 

「おい、訂正すべき点はそこじゃないだろ。もっと他に変えるところあっただろ」

 

「ふふっ」

 

「なんだよ」

 

「んーん、なんでもない」

 

そんな二人の会話がおかしくて笑いが込み上げる。なんかいいな、こういうの。

 

でも、見ていて微笑ましいはずなのに、何かが喉の奥にわだかまる。なんだろう、この気持ち。

 

「……?」

 

二人の会話はすでに終わっていてお互い自分の本に視線を戻していた。

 

わだかまりは消えないままだったが気のせいにして携帯の画面を開くと、いくつかメールの返信が届いていた。

 

パッと頭のスイッチを切り替えてその返信の文章を打つ。

 

スイッチを切り替えたはずなのに、さっきの不自然な感覚はそのまま胸の奥に残り続けた。

 

――

 

――――

 

花火が打ち上がり始めてから一時間くらい経って、もう終盤に入っていた。

 

打ち上げ場所からだいぶ離れたこの辺りで花火を眺める物好きはあたしたち以外はいないみたいで、あたしとヒッキーの二人っきりだった。

 

特に会話もなくただ空に咲く花を見上げて、時折どっちかが感嘆の声を漏らす。

 

そんな風にしているとまるで、この世界からあたしたち以外の人がいなくなってしまったような感じがした。

 

そしてついに最後の連発に入り、何十発もの球が間髪入れず一斉に空に飛び出す。

 

一秒くらい上昇する甲高い音がすると、今度はそれが次々と爆音と一緒に真っ暗な夜空を白い光で染め上げた。

 

「わぁ……」

 

今日一番のとてつもない迫力に圧倒されて思わずぽかんと口が開いてしまった。

 

「すげぇな……」

 

あれだけ連発を否定したヒッキーもこれには心を揺さぶられたようでそんなことを口にしていた。

 

「たーまやー!!」

 

不意に立ち上がって消えた花火に叫んだ。

 

「…………」

 

あたしの唐突な行動に驚いたのかヒッキーはあっけにとられたような顔をしている。

 

「なに?」

 

「いや、今時そんなの言うやついるんだな」

 

「昔からよく言うじゃん。あれって玉屋って花火屋さんが昔あったんでしょ?」

 

「すげーな。んなこと知ってるのか」

 

「普通に知ってるからね!? あたしのことバカにしすぎだから!」

 

「お前の普段の言動見てたら驚く方が普通だと思うが」

 

「これでも一応ちゃんと勉強して総武高入ったんだよ!」

 

「裏口じゃねぇの?」

 

「公立で裏口ないから! てかさっきから失礼過ぎ!」

 

もう終わりかな? と聞こうとしたら破裂音と一緒に空がピカッと三回光る。終わりの合図だ。

 

「……帰るか」

 

そう言って座っていたベンチから立ち上がろうとするヒッキーのシャツの裾を掴んだ。

 

「な、なんだ?」

 

唐突なあたしの行動に戸惑うヒッキーの声が少し震えていてそれがちょっと可愛く見える。

 

「もうちょっとだけ」

 

「は?」

 

「だって今ちょうど終わってみんな帰るところで混むし、もう少しだけ待ってから帰ろ?」

 

これも嘘。もう少しヒッキーと一緒にいたいだけ。

 

ヒッキーと二人でこんな風にいられる機会なんて滅多にないから、まだ終わらせたくない。

 

「……そうか。まぁ、お前は下駄履いてるし人混みはあれだよな。さっきみたいにコケるのも――」

 

「それは言うなし!」

 

張り切って下駄履いて転んだなんて恥ずかし過ぎだからぁっ!

 

ヒッキーってその辺ほんとデリカシーないよね……。普通、考えても言わないでしょ……。

 

――

 

――――

 

高三、秋

 

「――やっぱりゆきのんはすごいねー。あの、……なんとか大学もA判だし!」

 

三年生になり受験を控えたあたしたちはたまに奉仕部の部室で一緒に勉強する。

 

とは言っても大体はあたしがわからないところを二人に聞いているだけなんだけど。

 

「そこまで大したことはないわよ。所詮模試は模試だもの」

 

「いやいや、あそこでA判はかなりヤバいからな。ソースはまだC判しか取れない俺」

 

「あ、あははー。あたしはEしか取れないや……」

 

「おっ、由比ヶ浜は志望校を間違えずにマークできたのか」

 

「そこまでバカじゃないからね!?」

 

「あと雪ノ下。お前は……」

 

「何かしら?」

 

「……由比ヶ浜をここまで成長させて、すげぇな」

 

「別にゆきのんに勉強教えてもらう前からちゃんとマークできるからね!?」

 

「どうだかな」

 

……最近、ちょっとだけヒッキーは変わったような気がする。

 

こっそりと歩くペースを下げて、歩いている二人を後ろから見てみる。

 

するとヒッキーは何も話していないのにゆきのんの方をチラチラと見ているのがわかった。ゆきのんが少しでもヒッキーの方を向こうとする仕草をするとすぐに顔を背ける。

 

最近はずっとこうだ。しかもどんどん顕著になってきている。

 

さっきの会話だってそうだ。

 

あたしと違ってゆきのんに対しての受け答えがどこかぎこちなくなっている。

 

そんなヒッキーを見ていると、胸の奥がチクリと痛む。

 

わかってる。

 

全部わかってる。

 

あたしはヒッキーが好き。

 

それは今までも今も変わらない。

 

でも――。

 

でも、ヒッキーは――。

 

――

 

――――

 

家に帰って自分の部屋の中まで着いた途端に、いろんなことが頭の中をめぐった。

 

ヒッキーのこと。あたしのこと。ゆきのんのこと。

 

これまでのこと。

 

今日のこと。

 

そして明日からのこと。

 

いろんなことがあった。一年と半年ではあまりにも多すぎることが。

 

そんなことを考えていると気分も身体も重く沈んで、そのままどっちもベッドに沈めた。

 

「はぁ……」

 

あたしじゃ、ダメなのかな。

 

「うぅ……っ」

 

こんなにも胸の奥が痛くて、今にも泣き出しそうなくらいなのに。

 

こんなにも、ヒッキーのことが好きなのに。

 

それなのに、こんなにも、遠い。

 

その兆候に気付いたのは一ヶ月くらい前のこと。

 

初めははっきりとした確信じゃなくて、どこか不自然な感じがあっただけだった。

 

それはふとした会話や、部室でのちょっとした振る舞いの中にあった。

 

それが放って置けずに意識するようになってしまって、いつの間にか無意識のうちでも気づくようになってしまった。

 

あたしの予感が確信に変わるのにそう長い時間はかからなかった。

 

ならば、と思う。

 

何かしらの行動を起こしていれば、と思う。

 

ヒッキーの想いが完全にゆきのんに傾く前に何かヒッキーに対して動いていれば。

 

でも、そんなifは意味がない。

 

あたしはその現実が怖くて逃げ出した。

 

ヒッキーがゆきのんのことを好きになりつつあることを認めるのが強かった。

 

だから、見えていてつらくなっているくせに見て見ぬ振りをして、行動を起こすことを拒んだのだ。

 

そんなことをしたら、その先に何が待っているのかなんてわかっていたのに。

 

制服が型崩れするのも気にせずに布団の中にこもった。窮屈だけど脱ぐのも面倒くさくてそのまま目を閉じる。

 

ヒッキーが大好きで頭の中はヒッキーでいっぱいなのに、その隣にいるのはいつもゆきのんだ。

 

あたしじゃない。

 

だってあたしじゃどうしようもないくらいに二人はお似合いで、だからそこにあたしがいるのは三人の時だけで、そう思うとひたすらに悲しくなって……。

 

音もなくあたたかい何かがほおを通って、ベッドに染み込んでいく。

 

しかしそれで濡れた場所を触るともう冷たくて、それがさらにあたしの心を強く締め付けた。

 

――

 

――――

 

あたしがその日にそこへ足を向けたのは全くの偶然だったとしか言いようがない。

 

たまたま近くを通ったら祭りのお囃子の音が聞こえて、そう言えば高校の頃にヒッキーと来たなぁ、なんて思って。

 

そんな感じで特に何も考えないでまるで灯りに吸い寄せられる虫のように、あたしはその音のする方へ向かっていった。

 

ほんの数年でお祭りなんて大きく変わることもなくて、細かい違いを除けば数年前に来た時とほとんど同じだった。

 

でもあたしは違う。

 

今日のあたしは浴衣なんてものは着てなくてただの私服で、足もただのスニーカーを履いているだけ。

 

それにあたしはひとりで、ヒッキーは隣にいない。

 

そしてそれ以上にあの頃のあたしが持っていたはずのものの多くを、あの日になくしてしまった。

 

あんなにも大切だったはずなのに、もしかしたら残そうと思えばまだ手元にあったかもしれないものを、あたしは捨ててしまった。

 

来たはいいけども手持ち無沙汰だったから不意に目に入ったりんご飴屋さんに並ぶことにした。

 

うん、お祭りに来たらやっぱりこれだよね!

 

時間的にまだ混み始める前だったからすぐに買うことができた。

 

真っ赤な飴をひと舐めする。

 

んー! おいしー!

 

りんごの飴の味が口の中に広がって、思わず口元が緩む。

 

『おいしいね!』

 

その時ふと、幸せそうな声が頭の中で響いた。声の主は他でもないあたし自身だ。

 

……どうして、思い出しちゃうんだろ。

 

せっかくの幸せに水を差されたような気分になった途端に食欲が消え失せた。……どうしよう、これ。

 

顔を横に向けてもそこには誰もいない。あの時にはいたはずの人が、今は。

 

その考えを振り切るようにもうひと舐め。

 

しかしりんご飴はちっとも甘くなくて、苦味があたしの心をさらに暗いところへ落とした。

 

「……帰ろ」

 

ここにいてもただ辛くなるだけ。

 

それくらいならこんなところに長居している理由もない。

 

……なのに、それはきっと偶然。

 

悪い偶然で、あたしからしたらこれ以上ない仕打ち。

 

神様はどうして、こんなことをするんだろう。

 

あの二人を捨てて逃げ出したバチが当たったのだろうか。

 

視界が揺れる。

 

呼吸がままならなくなる。

 

全身の感覚が狂って思わず倒れてしまいそうになる。しかし今のあたしにその身体を支えてくれる人はいないから、どうにか足に力を入れて体勢を保った。

 

帰ろうと思って振り返ったその先には、よく見知った二人の姿があった。

 

「ヒッキー……、ゆきのん……」

 

ゆきのんはところどころ薄い花の模様が彩る淡い水色の浴衣を着ていて、あの頃、総武高にいた時よりもずっと綺麗になっていた。

 

その隣にいるヒッキーが着ているのはあの頃のような少し幼い感じの服装ではなくて、色味を抑えたカジュアルな服。それが似合うくらいに大人びた雰囲気になっていて、だからその姿に少しドキッとする。

 

幸か不幸か向こうはあたしに気づいていないみたいで、あたしのいる方向とは別の方へ歩いていく。

 

その時にちらりと見えた横顔は二人ともすごく幸せそうで、それはあたしが見たこともないような表情だった。

 

卒業式の日にヒッキーがゆきのんに告白して、それで付き合い始めたのは知っていたけどそれからのことは何も知らない。

 

ただ、あの日からこの二人が過ごした日々はきっとそれ以上がないくらいに幸せな毎日だったに違いない。

 

だって、そんなことは今の二人を見てしまったら簡単にわかってしまうから。

 

「うっ……」

 

見えない手が心臓を握ってギリギリと痛みつける。違う……こんなこと考えちゃいけないはずなのに……。

 

今、ヒッキーとゆきのんは幸せなんだ。

 

なら、仮にも親友だったあたしがすることは二人を祝福することのはずだ。

 

よかったね、って。

 

お幸せにね、って。

 

なのに今のあたしの中に生まれ出る感情は……嫉妬だ。

 

あたしがなくしてしまったものをふたりともまだ持っていて、それが羨ましくて。

 

……違う。

 

それも、違う。

 

じゃあ、あたしは何を考えているの?

 

――どうして、あたしがいないのに。

 

誰かの声が聞こえた。

 

それが誰の声なのかは考えないようにした。

 

違う……、あたしはそんなことなんて……っ。

 

――どうして、あたしがいないのに。

 

その先の言葉を聞きたくなくてどうにかその考えを頭から振り払おうとする。

 

太鼓の振動が心臓に響いて、吐き気がした。

 

――どうして、あたしがいないのに。

 

徐ろに手に持っていたりんご飴を口の中に入れるが、もはや何の味もしない。

 

内から発せられる声は、更にあたしに近づく。

 

どうして、あたしがいないのに

 

ふたりとも、楽しそうなの?

 

ずっと、三人で一緒だった。

 

何をするにでも、その行動の中心には奉仕部という存在があって、つまりはあの二人がいた。

 

あの空間は三人がみんないないとダメで、誰か一人でも欠けたらそれだけでもう違くて。

 

少なくともあたしはそう考えていた。

 

だからあんなにも生徒会選挙の時に必死だったんだ。あの場所を、あの時間を、失いたくなくて。

 

だからヒッキーもゆきのんも、それぞれのやり方で行動を起こした。

 

それが逆にすれ違いを生む結果になっても、三人でいられる未来を願って。

 

だからあたしが大好きなのはヒッキーだけじゃなくて、ゆきのんも同じくらいに大切だったんだ。

 

なのに、あたしは捨てて逃げ出した。

 

「ふたりのため」と中途半端な気持ちでひとりになって、その結果もっともっと後悔して。

 

挙げ句の果てにはあたしなしでも楽しそうにしているふたりが羨ましくて、……きっと恨めしくもあって。

 

いやな子だ、あたしは。

 

バカな子だ、あたしは。

 

こんなことになるのならいっそのこと出会っていなければ、とさえ思う。

 

手放して後悔するくらいなら、手にしない方がマシだったと。

 

そう、思う。

 

そんな思考が頭の中を何度もなんども回る。

 

ふと、昔三人で乗った観覧車が頭に浮かんだ。

 

たくさん時間をかけて、たくさん動くのに、結局行き着くところは初めと少しも変わらない。

 

今のあたしの考え方は、それとよく似ている。

 

それからどうやって家に帰ったかはよく覚えていない。その辺りの記憶がすっぽりと抜け落ちている。

 

気づいたらあたしはまたヒッキーの想いに感づいた時と同じように、布団の中にこもっていた。

 

あれから何年も経つのに、あたしはまるで少しも変わっていない。

 

彼氏彼女として上手くやっている二人を目にしたからか、それがより浮き彫りになった。

 

あたしは結局あれから何も学べていない。少しも心の整理はついていないし、一歩も前に進めていない。

 

そんな現実がただ悲しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。

 

……ふと、手元に目をやると右手は何も手にしていない。ついさっきまでりんご飴が手の中にあった気がする。

 

あたしは、それを、どこに捨てたのだろうか。

 

大切だった、はずなのに。

 

高三、冬の終り

 

その扉に手をかけるとほんの少しだけ懐かしい感じがした。最後に来てからまだ一ヶ月くらいのはずなのに、すごく久しぶりのことのように感じられた。

 

横に力を入れると何の抵抗もなく扉は開いて、廊下よりも少しだけあたたかい空気が鼻をくすぐる。

 

鍵がかかっていないということはその中に――。

 

「やっはろー、ゆきのん」

 

「ええ、こんにちは。ここで会うのは久しぶりね」

 

初めてここで会った時よりもずっとずっと穏やかな表情を浮かべたゆきのんがいた。

 

そんな親友の姿がちょっとだけ嬉しい。

 

「うん! お互い受験終わったからね!」

 

今日はヒッキーは来られないみたいで、この部室にはあたしのゆきのんの二人きりだ。

 

最近はあまり会えなかったからその分いろんな話をした。

 

勉強のことや試験会場での笑い話。そんな他愛のない話に花を咲かせた。

 

そして話題は自然とヒッキーのことになる。

 

「それにしてもヒッキーはどこ受けたんだろうねー?」

 

「そうね。結局私たちには最後まで教えてくれないままだったわ」

 

「小町ちゃんに聞いても教えてくれなかったし、……んー気になるよー!」

 

「でも近いうちには聞けるでしょうからそれまでの我慢ね」

 

「わかってるけど……。……と言うより心配だなぁ」

 

「あなたに勉強面で心配されていると知ったら比企谷くんどんな顔をするのかしら」

 

「いちおうあたしも第一受かったからね!? ……確かにゆきのんみたいなすごいところじゃないけど」

 

なんて少し大げさなリアクションをするとゆきのんは手を口元にあててクスッと笑った。

 

「でも、本当にすごいと思うわ。去年の秋くらいのあなたでは難しいと思っていたところに受かったのだもの」

 

「えへへ……。直前でグーンと伸びたみたい」

 

話に一区切りがついて沈黙が訪れる。外からはもうあとひと月もすれば最高学年になる後輩たちが部活をしている声が聞こえてくる。

 

あたしたちの時間はもうすぐでおしまい。

 

ここにいられるのも、あとわずか。

 

あたしたちがいなくなったら、ここは小町ちゃん一人になっちゃうのかな。

 

あっ、いろはちゃんは来てくれるかも。でも受験生で生徒会長で忙しそうだから難しいかな。

 

「あと少しで、卒業ね」

 

ボソリと呟かれた言葉にハッとなる。もしかしてゆきのんエスパー?

 

「私たちは……」

 

遠い目で窓の外を見つめる。外から陽の光がゆきのんに射しこむ。

 

その様子があまりにも絵になっていてあたしは返事を返すのも忘れてしまった。

 

「……これから、どうするの?」

 

「えっ?」

 

その言葉はとても曖昧で唐突すぎてあたしは思わず聞き返してしまった。でもその意味をすぐに察する。

 

ゆきのんが問うのはあたしたちが出すべき、三人の答え。

 

つまりは、これからのこと。

 

「……ねぇ、ゆきのん」

 

あの日、水族館に行った日、あたしたちは何一つ具体的なことを話さなかった。

 

それはきっと言葉にすることを、恐れていたから。

 

口にしてあたしたちの中の問題を明確にすることを。

 

言葉にしてしまったら元には戻れない。

 

でも、それに一体何の意味があるのだろう。

 

互いが互いを理解できるのなら、そこに言葉があろうがあるまいが大きな違いはない。

 

むしろ言葉にしないでいることこそがヒッキーの言う欺瞞なのではないだろうか。

 

だから、言葉にすべきなんだ。

 

いま、この瞬間に。

 

「ゆきのんって、ヒッキーのこと、好き?」

 

直球。

 

これ以上にないくらいに。

 

あたしがそう聞いた瞬間、ゆきのんの顔はまるでタコのように一気に真っ赤になって言葉をまくしたてた。

 

「な、なにを言っているのかしら? 私があんなゲスの極み男みたいな人を好きになるわけないでしょう?」

 

「いやいや焦りすぎだし。もうその反応のせいでバレバレだし」

 

変わったなぁ、ゆきのんも。

 

二年の時だったらきっと……。

 

由比ヶ浜さん? 言葉はもっと慎重に選んだ方が身の為よ? 虚言ばかり吐いていたら、すぐに人から信頼されなくなってしまうのだから』

 

みたいなことを人も殺せるような目線を向けながら言ってきたに違いない。

 

だからこの反応は……うん。

 

やっぱり……ね。

 

「……由比ヶ浜さん?」

 

「えっ? あ……、な、なんでもないよ!」

 

無意識に出てしまった憂鬱を必死に笑顔で隠す。しかしそこはこれだけの長い間を一緒に過ごしてきたゆきのんだ。

 

「でも、あなたも……」

 

「えっ? 何のこと?」

 

「とぼけないで」

 

ぴしゃりと断言される。

 

「あなたは私のことをよくわかっているようだけれど、私だって同じくらいあなたのことをわかっているつもりよ」

 

わかったつもり、かもしれないけれど、と付け足す。その姿は生徒会選挙でいろはちゃんが生徒会長になると決まった時とどこかダブる。

 

だからその言葉を肯定する。

 

「あたしは……きっと、違う」

 

ゆきのんは、あたしのことを、ちっとも理解なんて……。

 

「違わないわ」

 

「ゆきのん……?」

 

「……そうね。じゃあ私から言わせてもらうわ。……私は比企谷くんのことが好きかもしれない」

 

「……何それ」

 

「あなたたちの言う恋愛感情がわからないのよ。今まで誰かを好きになったことなんてないから」

 

それに、と言葉は続く。

 

「あなたの気持ちにはずっと前から気づいていたわ。だから退くべきなのは私の方――」

 

「違う!!」

 

思わず声が飛び出した。言われた当人のゆきのんは目を丸くしていて、言ったあたし自身もこんなに声を大きくしたことに驚いた。

 

でも、その言葉はあたしの本心。

 

「違う……違うんだよ……」

 

わかってるの。

 

ずっとずっと好きで。

 

ずっとずっと見てたから。

 

ヒッキーが、誰を見てたか。

 

「ゆきのん……お願い」

 

心の中からこみ上げるものを胸の奥に押し込んで、代わりに声を出した。

 

「もしも、……もしもの話だけど」

 

この決断は三人みんなのため。

 

みんなが幸せになるため。

 

「もしも、どっちが選ばれたとしても、その時は――」

 

もしも、あたしがいなくなったら、その時は――、

 

「――お互い、文句言いっこなしね」

 

――もう、あたしのことを、忘れて。

 

ゆきのんはあたしの言ったことの真意を掴みかねているみたいで、困ったように口を開いては閉じるを繰り返している。

 

しかし三回目くらいで自分の中で得心がいったのか、選ぶように言葉を紡ぐ。

 

「……わかったわ。ただ、これだけはあなたも心に留めておいて。私は比企谷くんのことを大切に思っている。でも同じくらいにあなたのことも大切な存在だと思っていることを」

 

……それは、ズルいと思うな。ゆきのん。

 

だってそれって、あたしに逃げないでってそう言っていることと同じなんだよ。

 

でも、ヒッキーとゆきのんが付き合うようになって、それでも三人でいることなんて、できるわけない。

 

そんなハッピーエンドのそばで笑っていられるほど、あたしは強くない。

 

「……うん、わかった」

 

だからほんの三秒だけ浮かべられる今の笑顔が、あたしの精一杯。

 

それからはまた部室で他愛のない会話を挟んだり、二人とも黙って互いに自分のことをやったりして日が暮れるまでの時間を過ごした。

 

そうやって過ごせる回数がもうあと指で数えられるくらいしかないのだと思うとすごく寂しくて泣いてしまいそうだったけど、ゆきのんに悟られないようにグッと堪えた。

 

その帰り道、家に着く頃には陽はもう沈んでしまっていて辺りはまっくらで、空にはポツリポツリといくつか星が瞬いていた。

 

街灯だらけのこの辺で星はよく見えない。

 

でも光が弱いだけでどこかずっとずっと遠いところに、それはある。

 

だから夜空に浮かぶ一番明るい星に、あたしはお願いごとをした。

 

お願いします。

 

もしもあたしの願いが叶うなら、

 

ヒッキーがあたしのことを好きになるようにしてください。

 

それが傲慢すぎる願いなら、

 

ゆきのんとヒッキーの中からあたしを消してください。

 

二人が付き合うことになったその時に、

 

あたしのせいで二人が別れませんように。

 

 

 

――よくそんなことを言えるね。

 

ボソリとそんな言葉が月をシルエットに夜空に浮かび上がった。

 

――本心でそんなこと思ってないでしょ?

 

……そうだよ。

 

本当はうまくなんて行かなければいいのにって思ってる。

 

付き合って別れてしまって、ヒッキーがあたしの方を向いてくれればって。

 

そうすればゆきのんも関わってこなくなるから、ちょうどいいって。

 

そんなことを考えてしまうあたしが、醜いあたしが、嫌で仕方なくて、家までの短い距離を駈ける。

 

このまま外にいたくなかった。こんな嫌なところがむき出しになっている自分を外に出していたくなかった。

 

ゆきのんのことも大好きなのに、羨ましくて妬ましい。

 

そんなあたしなんていなくなってしまえばいい。

 

あたしが、ひとりになれば、いい。

 

 

高三、三月。

 

卒業式も一週間後に迫ったある日。学校の廊下を歩いていると突然、ヒッキーに話しかけられた。

 

「少しいいか?」

 

その声音から、あたしはとうとうその時が来たのだと悟った。なのに、心のどこかでそれとは逆のことをまだ期待している自分がいて、そんな期待は傷をさらに広げるだけだと、そう言い聞かせた。

 

「うん」

 

なのに、それでも甘い何かを頭の中に残したままあたしはヒッキーの話を聞くことになった。

 

ふと、別の日の光景がフラッシュバックする。

 

遠い、ずっと遠い空の果てで、低くて大きい音が鳴り響く。

 

「ここじゃあれだから」

 

と、ヒッキーは上を指差す。

 

部室へ行こうという意味だ。

 

うなづくとヒッキーがあたしの横を通り抜けて階段へ向かって行った。

 

その後ろをついて行く。

 

一歩一歩、終りへと歩みを進める。

 

鍵はヒッキーが持っていたようで、かかっていた鍵を開いて中へ入った。

 

「……珍しいね。ここにあたしとヒッキー二人なんて」

 

「そうか? 一色の時とかあったろ」

 

「まぁ、そうだね」

 

だから、珍しいって言ったのに。いつまで経ってもヒッキーはあたしのことなんて少しも見ていない。

 

それがその一言だけで痛烈にわかってしまって、頭をハンマーで殴られたような感覚に陥った。

 

「……由比ヶ浜

 

ヒッキーがあたしに向き直る。

 

その目は普段の死んで腐った魚の目のようではなく、どこか決意を秘めているように見える。

 

それが何を表しているのか、あたしにはすぐに想像がついてしまったが、すぐに思考の隅に追いやった。

 

「な、何かな?」

 

そしてわざとわからないフリをする。こうなることはわかっていた、だから、せめて最後まであたしらしくいたいとずっと思っていたんだ。

 

「俺は――」

 

――なのに。

 

「……言わないで」

 

ポツリ。

 

そんな音を立ててこぼれ落ちたのは感情のしずく。

 

「わかってるから……。ずっと前から……」

 

秒ごとに胸の奥を締め付ける痛みが増していく。それは全力であたしの涙腺をこじ開けようとするけど、なんとか堪えるように歯をくいしばる。

 

「ずっと……?」

 

「うん。ヒッキーのこと見てたからね、もうわかってた」

 

ずっと、前から。

 

入学式の時に、何にも関係ないあたしたちを必死に助けてくれた、あの時から。

 

ずっと、ずっと。

 

「……マジかよ」

 

「うん、マジ」

 

あたしがそう返すとヒッキーは掛ける言葉が見つからないみたいで、ただあたしの顔を申し訳無さそうに見つめる。見てくれなくても、ヒッキーは優しいんだ。

 

いつもいつもあたしたちのことを助けてくれて……。そんな優しさに惹かれて……。

 

「……だから、最後にこれだけ、言わせてもらうね」

 

感情の濁流に飲まれて言葉が次々と紡がれる。

 

無意識に入り込んだ『最後』という単語。

 

その意味を解した瞬間にあたしは何を言えば良いのかわからなくなる。

 

「あたしは、ヒッキーのことが……」

 

あたしはヒッキーに何度も助けられて。

 

そんなヒッキーのことが、あたしは大好き。

 

姿が目に入ったらそれだけで嬉しかった。

 

声が聞こえたら無意識にそっちの方へ耳を傾けていた。

 

話しかけられたらもうその日一日幸せだった。

 

明日何を話そうとか、もしも付き合えたらどこへデートに行こうとか、そんなことを寝る前に考えた。

 

そして、ヒッキーの隣にゆきのんがいるのを見て、たまらなく悲しくなった。

 

そんな感情に『好き』という名前をつけてしまうのはきっとまちがっていないと思う。

 

でも、それを伝えるべきなのかな。

 

言葉にしてしまったらもう元には戻れない。この二人のそばにあたしはいられない。

 

三人でいることがそんなにも大切ならば、何も言わずに今まで通りにヒッキーとゆきのんのそばで笑っていればいい。その時に生じる痛みはあたしのわがままの結果だ。そんなエゴの影響を二人に及ぼすべきじゃない。

 

それは、わかってるのに。

 

なのに、あたしは伝えたいと思っている。ヒッキーのことが好きなんだと叫んでいる。

 

どうしよう。

 

この瞬間が来ることはずっと前からわかっていて、その時にあたしがどうすべきなのかもわかってたのに、今になって迷ってしまう。

 

「ヒッキーのことが……っ」

 

「……だいっきらいっ!」

 

あたしが叫んだその言葉はまだ春になりきれない空気を振動してヒッキーに伝わる。

 

そして弱まった振動はやがて消えて、部室内に静寂だけを残した。

 

すると小さく、何かが床を打つ音がした。

 

そっちに視線を動かすとそこには一粒の水滴で出来た水たまりがあった。

 

そしてまた一粒、あたしの目からこぼれた涙が落ちていく。光を反射しながら落下する感情の結晶はさっきと同じ音を立てて床の上を跳ねた。

 

「……ごめんっ」

 

上手くそれが言葉になったかはわからないけど、そんなことを気にせずに一目散に部室の扉から外へ抜け出した。

 

見慣れた廊下を必死に走って教室に入ると、そこには優美子の姿があった。

 

「結衣!? どうしたの!?」

 

あたしの様子に面食らった優美子は心配そうな声であたしに歩み寄ってくる。

 

その優しさは嬉しかったけれど、それに触れてしまったら涙が止まらなくなってしまいそうだったから、荷物を手に取ってそこからもまた逃げ出した。

 

「ごめん、また今度ね」

 

「結衣っ!!」

 

優美子の焦りの混ざった声は聞こえたけど、あたしは振り返らなかった。

 

景色が猛スピードで流れていくのを横目にただ走る。自分でもどうしようもない感情の濁流が足を強引に動かした。

 

そうしてあたしは逃げ出したのだ。ヒッキーからも、ゆきのんからも、そして奉仕部からも。

 

たくさんの思い出をその部屋に置いてけぼりにして。

 

 

三度目の夏の日。

 

あたしの足がたどり着いた場所は、昔ヒッキーと一緒に花火を見たベンチだった。

 

あの頃よりも若干古くなったように見える背もたれに、かつての二人の姿を思い浮かべる。

 

「……あの時は」

 

楽しかったな、って思う。

 

あたしもヒッキーもお互いのことをあんまり知らなくて、深いことなんて何も考えなくてよくて、ただ自然に過ごすことができたから。

 

ベンチでは、何も知らないあたしたちが笑いながら座って花火を見ている。

 

本当に、幸せそうに。

 

その先に待つ未来を考えもしないで。

 

するとその時、赤い光が辺りを包み込み、少し遅れて重い音が押し付けられるように耳の奥にまで響いた。

 

驚いて振り返ると消えかけのさかさまのハートが真っ黒な夜空に浮かんでいた。

 

本当はあのハートだってちゃんとした方向に打ち上げたかったはずなんだ。でもほんの少しの違いのせいで無様な結末を迎えてしまった。

 

「何をまちがえちゃったんだろう」

 

あたしは誰かにこたえてほしかったのかもしれない。

 

応えと答えを求めていた。でも誰も応えてくれないし、答えも見つからない。あたしの耳に届くのは遠くの人ごみから風にのって流れてくる騒がしい声だけだ。

 

「……あれ?」

 

そこで、ふと気がつく。

 

ベンチに座っている二人の姿は薄くぼんやりして見えていたのだ。

 

それは今そうなったわけじゃなくて最初からずっとそうだった。あたしが気にもしていなかっただけで。

 

一つ、花火が打ち上がって空が白く染まり、辺りが一気に空からの灯りで照らされる。

 

「……ああ、そういうことなんだ」

 

その一瞬の灯りで、ようやくあたしはそれまで求めていたものが見えた気がした。

 

今のあたしに渦巻く思いはここに来た一度目の時とも二度目の時とも、とても似ているようで違う。

 

これはきっと恋慕でも、後悔でもない。

 

敢えて名前を付けるなら、それに言葉を当てはめるなら、寂寥がふさわしい。

 

あの頃の身を灼くほどだった想いは、今はもう朝の霞みたい。

 

……それであたしは、寂しいんだ。

 

でも、不思議と悲しくはない。これは悲しむことじゃないんだと、心のどこかでわかっているからなんだろうな。

 

もうほどんど見えなくなってしまった二人が座るベンチに背を向け、元来た道を再び歩み出す。

 

今となってはもうここには誰もいないけれど、来られてよかった。

 

次に来た時にはあたしにあの二人の姿を見ることはできないだろう。

 

それでいいんだ。だって今こそがずっとあたしの欲しかった瞬間だから。

 

でも、ともう一回だけ振り返ってみる。

 

すると遠い昔のあたしは今のあたしにやわらかな笑みを浮かべて小さく手を振っていた。

 

そして微かに口を動かす。

 

その声はあまりにも小さくて聞こえなかったが、なんて言おうとしたのかはなんとなくわかった。

 

「ありがとね」

 

そうつぶやくように返してまた歩き出す。今度はもう、振り返らない。

 

あたしの足音をかき消すように辺りに撒き散らす花火の音が胸に響いたが、さっきよりもその感触は心地よい。

 

空を見上げずにただ耳だけで夏の花火を感じながら、一歩一歩しっかりと足を前に進める。

 

ほおにかかる少しだけ冷たくなった風と微かに鼻をくすぐる火薬の匂いが、祭りの終りと、次の季節が来ることをほのかに告げていた

 

 

 

 

 

 

 

結衣「うたかた花火

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