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雪乃「比企谷くんの誘いなのだから….あなたの好きなようにしていいわよ」2/4【俺ガイルss/アニメss】

 

 「ここはこうやって代入するのよ」

 

 そう言うなり、すらすらと俺のノートに代入式を書いていく雪ノ下。

 

 雪ノ下の一生懸命な横顔も美しいが、雪ノ下の書いた字もその端正な顔立ちと同様に美しい。

 

 鉛筆の先から次々と文字が書き出されていく様は、あたかも錦が織り上げられていくかのようだ。

 

 

 思わずその文字に見惚れてしまった。

 

 

「比企谷くん、あなた私の説明を聞いていたのかしら?」

 

 ギロリと睨んでくる。

 

 

「お、お前の文字があまりにも美しくて……」

 

 すっかり心を奪われてしまったせいで、言い訳一つできなかった。

 

 

「そ、そう……」

 

 急にしおらしくなった雪ノ下は、頬を朱に染めて俯く。

 

 

 これにはちょっと調子が狂ってしまった。

 

 なんかこう、勉強に戻るきっかけを失ったというか。

 

 このままじゃ、いちゃついて勉強したくなくなってしまう。

 

 

 急に雪ノ下の氷の刃を突きつけられたくなってしまった。

 

 

「字は人の心を写すというが、お前の黒さは写されないんだな……」

 

と言い終わるが早いか両の目の前に先のとがった鉛筆が2本…… ゴクリ……。

 

 

「比企谷くん、心眼って言葉を知っているかしら?」

 

 いやいや、お前のその邪眼がとっても怖いのだけど。

 

 

「その魚の腐った目を潰せば、あなたも開眼できるかもしれないわよ」

 

 顔は笑っていても絶対零度よりも冷たい光を放つ目を添えるのは忘れてはいなかった。

 

 「氷の刃-」の前言は撤回したい、いや、させてください。

 

 

「そ、それだったら、この問題もこうやって代入したらいいのか?」

 

と震える手つきでノートに書き込む。

 

 

「そうよ。やればできるじゃない、比企谷くん」

 

 カタツムリかカメかというくらいに一瞬にして殺意をひっこめた雪ノ下は、澄んだ目を輝かせながら無邪気に喜んでくれるのであった。

 

 

 そう、この笑顔があるから俺も頑張ることができるのだ。

 

 

 例題をひと通り解いたところでティータイムになった。

 

 今日は、雪ノ下と二人きりのときにだけ飲むシャンパーニュロゼという紅茶だ。

 

 雪ノ下の淹れたての紅茶をふたりお揃いのティーカップを傾けながら飲むのは至福のひとときだ。

 

 

 特に何か会話をするわけでもなく、ふたりぼっちの世界を楽しむ。

 

 時折、視線を交わしてはそらししながら。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 冬至まで1週間を切った。

 

 

 部室に来てからそんなに時は経っていなかったが、早くも夕陽は雪ノ下をカンバスにしてオレンジ色に染め上げて、美しい陰影を作り出す。

 

 日没ももうすぐだ。

 

 ここらで休憩も切り上げ時だ。

 

 そろそろ今日の仕上げだな。

 

 

 練習問題に取り掛かる。

 

 雪ノ下はそんな俺をそばでじっと見つめている。

 

 

 雪ノ下の教え方は、的確にポイントをとらえていてわかりやすい。

 

 自分でもみるみる力がついてきているのがよくわかる。

 

 1問、2問と順調に解いていく。

 

 

 しかし、ちょっとした小細工もする。

 

「これどうやって解くんだっけ」

 

って訊いたり、わざと凡ミスをして間違ったり。

 

 雪ノ下は百も承知なんだろうが、

 

「……仕方ないわね」

 

なんてもったいぶって、さっと寄り添って教えてくれる。

 

 そして、教え終えると引き潮のようにさっと引く。

 

 

 どう見てもただのバカップルだが、つかず寄らずの間合いを取りながら過ごす2人の時間はやはり格別だ。

 

 

 練習問題を解き終え、解答も済ませた。

 

 なんとか今日の分はクリアした。

 

 

「今日はありがとな」

 

 

「ええ、合格してからたっぷり返してもらうわ」

 

と笑顔で答える雪ノ下。

 

 もしかして、そのスマイルは利息じゃないよね。

 

 雪ノ下とは心でしっかりと結ばれているとはいえ、まだまだ女性からの好意に抗体ができていない俺。

 

 合格と引き換えに俺は何を代償として払わなければならないのか…… 考えるとちょっと怖い。

 

 

 下校時刻まであと30分。

 

 残りの時間は読書に充てることにした。

 

 

 さっきまですぐそばにいた雪ノ下が離れてしまったせいだろうか。

 

 ちょっと肌寒さを感じる。

 

 

 ふと、その温もりの源泉へと目を向けると、雪ノ下はぶるっと身震いをした。

 

 もしかして俺の気配を感じちゃったから?

 

 そんなことを考えて軽くショックを受けていると、足元が寒そうなことに気付いた。

 

 

 雪ノ下の姿勢は良く、ピンと背筋を伸ばし、黒のニーソを履いた細く長い足も行儀よく床へと垂直に延びている。

 

 その様はさながら絵になっている。

 

 

 そんなことを考えつつも俺の目は正直だ。

 

 視線が上の方へ上の方へと向かっていく……。

 

 なんかニーソとスカートの間ってドキドキするよね……。

 

 

 おっと、違う違うそうじゃない。

 

 

 冷暖房完備の総武高とはいえ、放課後は下校時刻が近くなると暖房が止められる。

 

 ズボンを履いている俺とスカートの雪ノ下とでは感じる肌寒さも違うことだろう。

 

 

 文庫本を50ページほど読んだところでどちらともなく本を閉じた。

 

 そろそろ下校時刻だ。

 

 俺は雪ノ下のカップも一緒に洗い、棚に2つ寄り添うように並べた。

 

 不注意でまた割ってしまわないように慎重な手つきで行う。

 

 カップを並べる前に一度よけた3人用の紅茶の缶を掴んで元の場所にセットしようとした。

 

 缶の軽さが気になった。

 

 

 その気配を感じ取ったのか雪ノ下はこう言った。

 

 

「そろそろその紅茶も買い足さなければならないわね」

 

     ×   ×   ×   ×

 

 2人でこうして京葉線に乗って出かけるのはもう何度目だろうか。

 

 

 ホームに着いた時ちょうど快速が来たが1本見送った。

 

 快速で行けば停車駅が1駅減ってちょっと早く着くのだが、なんとなく各駅停車に乗りたかった。

 

 雪ノ下も同じ気分のようだったのか特に異論はなかった。

 

 

 ぼっち同士、大して会話を交わすこともない。

 

 別に話す内容がないわけではない。

 

 ただ、2人隣同士で座っているだけ。

 

 

 たったこれだけのことだけど、2人にとっては大切な時間なのである。

 

 

 ワインレッドの帯のついた車両に乗ると、すぐに小町には夕飯は要らないとメールをした。

 

 

「まさかとは思うけど、相手は平塚先生かしら?」

 

 雪ノ下は冷ややかな声で牽制をしてくる。

 

 前は本気で平塚先生との仲を疑われたからな。

 

 

「いや、小町だよ」

 

 俺に浮気するだけの甲斐性がないと思ったのか、

 

「そう」

 

とだけ返すとそれ以上は詮索してこなかった。

 

 

 再び心地よい沈黙の時間がしばし続いた。

 

 

 降車駅に着いた時、俺はさっきの嫌味への仕返しにとばかりに

 

「もう一駅乗っていくか」

 

なんて軽口を叩いてみた。

 

 

 しかし、すぐさま返り討ちに遭う。

 

 

「あなたにはまだ何か後ろめたいことがあるのかしら?」

 

 

 般若のような表情を浮かべ、じっと睨む。

 

 俺は恐怖新聞を一回分読んだ時と同じくらい命の灯が弱まった気がした。

 

 

 駅を出るとヒューッと一筋の風に吹かれた。

 

 思わずコートの襟元を立てた。

 

 塩の香りと一緒に冬の足音も運んできている。

 

 

 雪ノ下は顎のあたりに手を当てて、俺と自分の襟元とを見比べている。

 

 やがて、青地に白く雪の結晶やらトナカイやらが織り込まれたマフラーへと手を伸ばす。

 

 

 ヒューー。

 

 寒風がもう一筋。

 

 今度は雪ノ下の手を吹き付けたようで、はーっと白くなった息を吹きかけて暖を取っていた。

 

 

 ショッピングモールに入ると、いつもの紅茶専門店へと向かった。

 

 すっかりと顔なじみになってしまった店員に含みのある笑顔で迎えられる。

 

 俺も雪ノ下もちょっと気恥ずかしい。

 

 

 今日は最初から買うものが決まっている。

 

 迷うことなく3人用の紅茶の缶を手に取った雪ノ下はレジに向かっていくが、俺は動きを止めた。

 

 

「どうしたの?」

 

 

 雪ノ下が振り返ったとき俺はシャンパーニュロゼの缶を掴んでいた。

 

 

「……、あらそれは?」

 

「俺用だよ」

 

 

 最近苦手な数学の勉強を始めたおかけでストレスを感じがちである。

 

 雪ノ下と同じ大学に行くためだと自分に言い聞かせて、コーヒーをがぶ飲みして机に向かっているが、胃が荒れてきてしまった。

 

 大好物のMAXコーヒーは勉強を終えて爽快な気分になったときのためにとっておきたい。

 

 

 それに、このシャンパーニュロゼを飲むと、雪ノ下のことを想いながら頑張ることができそうだ。

 

 

「私も買おうかしら……」

 

 

 顎に手をやりながらぶつぶつと独り言を言う雪ノ下。

 

 何を考えているのか知らないが相好が崩れている。

 

 

 雪ノ下の心中を読もうとして眺めていると、急に背を向けた。

 

 そして、睨みつけるようにしながら振り返ると無表情で

 

 

「何か?」

 

 

と冷たい声を返してきた。

 

 

 いいえ、何も言いません。

 

 僕、命が惜しいですから。

 

 

 でも、それは買うんですね。

 

 そう思っていたら、

 

 

「……まだ何か?」

 

 

 そう言う雪ノ下の目は「これ以上何も言うな、これ以上何も考えるな」とプレッシャーを与えてきた。

 

 

 さて、ひとまずは紅茶を買った。

 

 あとは、本屋に寄ってファミレスにでも誘ってみるか。

 

 あっ……、それともう一か所寄らないとな……。

 

 

「雪ノ下、悪いけどもうちょっと付き合ってくんないか?」

 

 

「さっき小町さんとメールしていたようだけど何か買うの?」

 

 

「いや、本屋によって数学の問題集買うんだよ。数Ⅰの整数問題ばかり乗った薄めのやつだよ」

 

 

 それにしても整数問題ってなんであんなにも難しいんだ。

 

 問題冊子をめくるといきなり一問目からあれだからな。

 

 ただでさえ数学が苦手なのにいきなりあんなの出題されたら挫けちゃうでしょ。

 

 

 それから「整数」って名乗っているくせに答えに√やら虚数が登場しちゃう。

 

 あれって、全然整数じゃないでしょ。

 

 これどういうことなの?

 

 

「そうね、ある程度パターンが決まっているし、等式変形が適切にできれば問題はないのだけれど、数をこなして慣れておくのも大切だわ」

 

 

「ああ、だから俺が一人で選ぶよりも、一緒に探してもらえればなと思って……」

 

 

「ええ、私も一緒に選んであげるわ」

 

 

 雪ノ下は俺に頼られたことがうれしかったのかにこっと微笑みながらそう答えた。

 

 

 この笑顔の分だけ頑張らないとな。

 

 

「そのあと、サイゼで良かったら寄っていかないか? 小町には食べてくるってメールしておいた」

 

 

「あら強引ね。あなたにもそんなところがあるなんて……」

 

ともじもじしている。

 

 

 案外押しに弱いんだな…… メモメモ……。

 

 俺が亭主関白で雪ノ下がかわいい奥様か。

 

 

 ……。

 

 ちょっと待った。鬼女板の名無しが「可愛い奥様」だったな……。

 

 やっぱり雪ノ下はこっちの方だな。

 

 

 急にムフフなシチュエーションの妄想がしぼみ、寒気がしてきた。

 

 雪ノ下が照れている間に素早く気持ちを切り替え、気取られずにやり過ごすことができた。

 

 

 いや……、無理だった。

 

 

「何か言いたいことでもあるのかしら?」

 

 

 雪ノ下の勘の鋭さの前では俺は妄想一つできないのかよ。

 

 俺には内心の自由って許されないの?

 

 

 吹き抜けに高くそびえるクリスマスツリーを2人で眺めながら、エスカレーターを上がって本屋へ行った。

 

 

 雪ノ下のアドバイスを聞きながら、数Ⅰの整数問題に特化した問題集を選ぶ。

 

 真剣なまなざしで探す雪ノ下の横顔はいつ見ても美しい。

 

 今自分が独り占めしているかと思うと嬉しさがこみ上げてくる。

 

 

 しかし、そんな幸福感を一服たりと味わうことを雪ノ下は許してくれない。

 

 

「比企谷くん、真面目に探しなさい。そもそもあなたが今まで努力を怠ってきたからこうしているのでしょ?」

 

と説教をされてしまった。

 

 

 こんな俺だってちょっとくらいいい思いをしたっていいじゃないか……。

 

 すっかり拗ねちゃった俺は雪ノ下に悪戯をすることにした。

 

 

 雪ノ下が書架から問題集を取ろうと手を伸ばす瞬間を見逃さなかった。

 

 俺もすかさず手を伸ばし、雪ノ下のかわいらしい小さな手に触れる。

 

 雪ノ下はヒャッと声を出して素早く手を引っ込める。

 

 顔が真っ赤っかになっていて可愛い。

 

 

 じゃあ、もう一度。

 

 雪ノ下が手を伸ばした、今だ!

 

 

 しかし、一度伸びた雪ノ下の手が一瞬引っ込む。

 

 そして、次の瞬間俺の手の甲を書架にめがけて思いっきりひっぱたく。

 

 

 い、痛ってぇ……。

 

 

 俺の悪ふざけに雪ノ下はすっかりへそを曲げてしまった。

 

 

 レジに向かって歩く俺の後ろから不機嫌オーラを発している。

 

 どうしたらよいものか頭を悩ませてしまう。

 

 雪ノ下とは心で結ばれた仲になったものの決してここまで平坦な道のりとはいえない。

 

 些細なことで、危うくなったりもした。

 

 

 レジに辿り着いた時、ふと雪ノ下の気配が消えてしまったことに気付いた。

 

 俺の勉強のことであんなにも真剣になって問題集を探してくれたのにちょっとやりすぎたかな。

 

 慌てて雪ノ下を捜そうとキョロキョロする。

 

 

「比企谷くん、何を探しているのかしら? あなたの大好きな官能小説はあそこにあるわよ」

 

 

 俺の真後ろで気配を消していた雪ノ下は、阿形吽形もびっくりのものすごい形相で一点を指さしていた。

 

 

 氷の女王こと雪ノ下が振りまいた強烈なブリザードのせいだったのか、それともあまりにも突飛な発言のせいだったのか、はたまたその両方のせいだったのか、店内は一瞬水を打ったように静まり返った。

 

 

 次の瞬間、雪ノ下に向かって店内にいる者すべての視線が集まった。

 

 と同時に我に返った雪ノ下は顔を真っ赤にして、店から飛び出してしまった。

 

 

 すると今度はその視線が全て俺へと突き刺さってきた。

 

 えっ、何この視線?

 

 俺は被害者なんだけど。

 

 これって冤罪だよ冤罪!

 

 

 普段、校内でいかんなく発揮されていたはずの俺のステルス性能はここでは全く機能していなかった。

 

 

 会計を済ませるとと這う這うの体で店から出てきた。

 

 もうこの本屋には来られないな……。

 

 

 脱力気味の体に力を入れて歩き出す。

 

 ところで雪ノ下はどこにいるんだ?

 

 

 俺、あいつの携帯の番号とかメアドまだ知らないんだよな。

 

 未だに俺と雪ノ下は互いの連絡先を交換していない。

 

 俺にとっては雪ノ下と連絡を取ることは、ゴルゴ13にコンタクトを取ることよりも難しいともいえる。

 

 

 それにあいつは、極度の方向音痴と来たもんだ。

 

 遠くに行かれたらたまったものではない。

 

 だから、さほど怒っていなければ近くにいるはずだ。

 

 

 いや、近くにいてくれ。

 

 迷子センターに迎えに行くとかマジで勘弁だ。

 

 

 あれこれ考えていると、店の向かいの吹き抜け部分にあるアクリル板の壁の前で俯いてまだ羞恥の湯気を上げている雪ノ下を見つけた。

 

 ホッと安堵を感じながら一歩ずつ近づいていった。

 

 あと数歩のところで、雪ノ下はまだほのかに上気した顔を上げた。

 

 

「ひ、比企谷く……」

 

 

「雪ノ下、さっきは悪乗りして悪かったな。夕飯おごるから気を直してくれないか」

 

 

 これ以上、雪ノ下には何も言わせまいと身をひるがえし下りエスカレーターの方へ向かった。

 

 雪ノ下は置いていかれまいと小走りをして俺の右側に並んだ。

 

 必死に追い縋ろうとする雪ノ下の横顔には、いつの間にか笑みが戻っていた。

 

 

 エスカレーターの前に来ると、雪ノ下は隣から離れて俺の後ろに着いた。

 

 

 本屋でのことを振り返ってみた。

 

まぁ、確かに俺が悪かったな。ちょっと調子に乗っちゃったし。

 

 それにしてもあの切りかえしはないだろう。

 

 思わず苦笑いしてしまった。

 

 

 雪ノ下は悪戯が嫌いと。メモメモ。

 

 心にしっかりと書き留めておいた。

 

 

 メモといえば、雪ノ下は閻魔帳をつけていそうだな。

 

 何かの拍子に怒りをぶちまけられたりしなければいいなぁ。

 

 

 そういえば、俺も「絶対に許さないリスト」をつけていた。

 

 雪ノ下に見られる前に確実に処分しておかないとこれはマズいことになる。

 

 

 エスカレーターをを降りると再び俺の右隣に雪ノ下がやって来た。

 

 そんな時だった。

 

 

「くしゅん!」

 

 

俺もつられてくしゃみが出た。

 

 

「っくしょん!」

 

 

 思わず二人で顔を見合わせて笑ってしまった。

 

 ほんとこいつの笑顔って見るたびに魅了されてしまうよな。

 

 

「ここって吹き抜けだからちょっと寒いな」

 

 

「ええ、冷気が流れ込んでいるようね」

 

 

 冷気といえば……。

 

 

「そうだ……、サイゼに行く前に先に一か所寄っておきたいところがあるんだけど」

 

     ×   ×   ×   ×

 

 女性向けのファッション関係の店が立ち並んでいるエリアにやって来た。

 

 

「小町さんにお土産でも買っていくの?」

 

 

「すぐ終わるからちょっと待っててくれ」

 

 それには答えず、店内へとズカズカ入っていく。

 

 雪ノ下は俺のらしくない行動に驚いたのか、ぽけーっと店の前で立ち尽くしている。

 

 

 女性客しかいない場違いなところに勢いで来てしまったが、そんなことは気にしている場合ではない。

 

 

 雪ノ下を喜ばせたい。

 

 雪ノ下を驚かせたい。

 

 雪ノ下に気づかれる前にスピード勝負で買い物してしまおう。

 

 

 努めて冷静に行動しているつもりだったが、チラチラとこちらに向けられる視線を感じるたびに

自分の突拍子もない行動を少しずつ自覚してきた。

 

 俺、何やってるんだろう。

 

 表情に出すと店内の女性客たちから気持ち悪がられそうだったので、心の中で苦笑した。

 

 

 そういえば、夏に雪ノ下とこのエリアに来たときはあまりにも居心地悪くてきょどりまくりだった。

 

 店員から不審者扱いされて間一髪通報されそうになったところで雪ノ下に引っ張っられて助かったな。

 

 あの時、

 

 

「今日一日に限り、恋人のように振る舞うことを許可する」

 

 

なんて言われたな。

 

 今だったら、気づけばちょこんと右隣にいてすっかり雪ノ下の定位置になった。

 

 俺も雪ノ下も随分と変わったな。

 

 

 小物が置かれた店先をちらっと見る。

 

 季節商品がワゴンに載って店頭に並べられている。

 

 雪ノ下は何か気になったものがあったらしく、顎に手をやりながらワゴンを一瞥している。

 

 

 少しは時間を稼げそうだが、あまり時間はかけられないな。

 

 店員に声をかけて、目的のものを告げるとそのコーナーまで案内してくれた。

 

 

 素早く棚を見渡すと清楚な感じの柄のものを一つ見つけた。

 

 それをひょいと取り上げてレジへ急いだ。

 

 

 雪ノ下はまだ催事ワゴンの中身をじっと見つめていた。

 

 

 レジを終えて出てくると、雪ノ下の姿が見えない。

 

 迷子にでもなったかと心配になってきょろきょろしていると、背後からいきなり首にスポッと何かがはめられた。

 

 何事かと振り返ってみると雪ノ下がいた。

 

 

 「比企谷君も寒そうにしてたから…」

 

 

 雪ノ下は熱を帯びた視線で俺の襟元を見ている。

 

 それにつられて襟元に手を伸ばすと輪になったマフラーが垂れていた。

 

 

 雪ノ下は、俺に合うマフラーを探していたようだった。

 

 俺はぼっちのくせにマフラーは女の子からプレゼントされるまで着けないと変なポリシーを持っていた。

 

 その念願がついに叶うのかと思うと、言葉で言い表されないような感動と嬉しさがこみ上げてきた。

 

 

 照れながら近くにあった姿見に自分の姿を映してみる。

 

 この柄はなかなかいいな……。

 

 鏡越しに雪ノ下を見ると、もじもじと所在なさげにしながら上目で俺の姿を見ていた。

 

 こんなかわいい仕草の雪ノ下もいいなぁと思わず惚けてしまう。

 

 女性物の店の軒先で俺たち何をやっているんだろう。

 

 

 えっ……!

 

 

 急に冷静さを取り戻すと同時に俺は大変な過ちに気付いた。

 

 

「おい、これって女性物だろ……」

 

 

 パッと一瞬にして赤面した雪ノ下。

 

 顔を両手で覆い隠しても真っ赤に染まった耳まで隠せない。

 

 

「こ、これ……、き、きれいに畳んで元の場所に戻してちょうだい!」

 

 早口でそう言い残すと、逃げるように店内に消えていってしまった。

 

 

 ま、またかよこの展開、おい!

 

 

 取り残された俺は、マフラーを解きにかかる。

 

 女性専門店の前で女物のマフラーをして突っ立っている俺をそのまんまにして放っとかないでくれ……。

 

 こっちの方がもっと恥ずかしいぞ。

 

 

 焦れば焦るほど結び目は難く締め付けていき、なかなか解けない。

 

 ウナギに首に巻きつかれて悶絶したごんぎつねの気持ちが今の俺にはよくわかった。

 

 

 道行く人にクスクス笑われながらもようやくマフラーから解放されワゴンに戻し終えるとちょうど雪ノ下が戻ってきた。

 

 雪ノ下はばつの悪そうな表情をして、目線を斜め下に向けていた。

 

 

「ほら、これやるよ」

 

 

 さっき渡しそびれたというか、渡すタイミングも与えてくれなかったビニール袋を差し出す。

 

 

「あ、ありがとう……」

 

 

 まさか自分へのプレゼントだとは思っていなかったのだろう。

 

 

 店名の入ったピンクのビニール袋を大事そうに抱え込んだままフリーズしている。

 

 そんな雪ノ下の姿が俺の庇護欲をそそってしまう。

 

 

「中見なくていいのかよ」

 

 

 そのままの姿勢でいつまでも固まっている姿が滑稽に思えて言い終える前に吹き出してしまった。

 

 

 照れ隠しに軽くムスッとしながら袋を開けてみる雪ノ下。

 

 取り出されたのは、ひざ掛けだ。

 

 

「部活の時間になったら暖房停められるだろ。寒いかと思って……。それに、勉強見てもらったりしているから、お礼だ……」

 

 

「ちょうど家から持ってこようか、もう一枚買おうかと迷っていたのよ……。素敵な柄ね。ありがとう……」

 

 小首を傾げながら礼を言う雪ノ下の笑顔にもうどうにかなってしまいそうだ。

 

 

 そのあと、南館のサイゼに行った。

 

 席に着くなり、ピンクのビニール袋からひざ掛けを取り出して眺めている。

 

 気に入ってもらえたようで何よりだ。

 

 

 食べ物を注文したあと、ドリンクバーへ2人分の飲み物を調達しに行った。

 

 俺はカプチーノで雪ノ下はカモミールティーだ。

 

 いっぺんに済まそうと思ってカップを2つ持ったが、さすがにこれはきつかった。

 

 こぼさないように慎重にゆっくりゆっくり亀の歩みの如く席に向かった。

 

 あともう少しだ。

 

 雪ノ下の背中がようやく近づいてきた。

 

 

 どうしたんだあいつ?

 

 急に雪ノ下がもぞもぞ動き始めた。

 

 

 雪ノ下の奇怪な行動が気になったが、これまで通り慎重な足取りで違づくことにした。

 

 

「!」

 

 

 お、おい……。

 

 なんと、雪ノ下はひざ掛けに頬ずりしていた。

 

 お前、うちのカマクラかよ。

 

 

 さすがの俺もこれには引いてしまった。

 

 ちょっとこれは、直視できねぇ。

 

 席に着こうかどうしようか迷っていると、俺の気配に気づいたのかさっと素早く膝の上に掛けた。

 

 そして、振り向きざまに

 

 

「取ってきてくれてありがとう」

 

 

と微笑みながらごまかした。

 

 

 今見たことに触れてはならない、命が惜しければ……。

 

 賢明な俺は、

 

 

カップ熱いから気を付けろよ」

 

と一言だけ言い添えてテーブルに置いた。

 

 

 いつものようにぼーっとしながら二人の時間を過ごす。

 

 雪ノ下は落ち着かないように何度も膝元に目をやっては微笑をたたえている。

 

 自分でも何て言ったら良いのかわからないのだが、そんな雪ノ下の姿をなんか見ていられなくなってしまった。

 

 どうしたらよいかわからず、買ったばかりの問題集をパラパラめくることにした。

 

 意味不明な文字列を眺めているうちにしだいに雪ノ下のことを忘れ、暗い気分になってきてしまった。

 

 

 嗚呼、短い冬休みはこの問題集とともに過ごすんだなぁ。

 

 

 オーダーしたメニューが届いた。

 

 二人でいただきますをした。

 

 

 んっ……!

 

 

 雪ノ下はひざ掛けをそのままにしている。

 

 

「食べる時よけないと、それ汚れるぞ」

 

 雪ノ下は慌てて袋にたたみ入れる。

 

 

「それから、電車の中でも広げるなよ」

 

 予め釘をさしておくことも忘れなかった。

 

 

 雪ノ下の扱い方を心得てきた俺は雪ノ下から視線を外して、そっとカプチーノカップに目をやった。

 

 だから、雪ノ下がどんな表情をしていたのか俺は知らない。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 再び京葉線に乗った。

 

 家路を急ぐサラリーマンでいっぱいの車内だったが席が一つ空いていた。

 

 雪ノ下を座らせ、俺はその前に立った。

 

 

 雪ノ下は後生大事にひざ掛けの入った袋を抱えている。

 

 腕の前でなおざりになった通学カバンが何度も膝を滑って前につんのめる。

 

 そのつど、あわててカバンを手繰り寄せるが、やっぱり袋だけを抱えている。

 

 電車が揺れるたびにカバンは滑走を繰り返す。

 

 こんな学習能力のない雪ノ下は初めて見た。

 

 

 こういう時は、冷静な判断力が残っている俺の役目だ。

 

 ひょいとカバンを持ち上げ、網棚の上に載せてやった。

 

 

「ありがとう」

 

と言ったものの、袋を抱えたまま微動だにしない。

 

 

 こいつ、家に着く前に車にでも轢かれるんじゃないだろうかと不安になってしまった。

 

 

 電車に揺られること数分、雪ノ下の降車駅に着いた。

 

 

 ここは俺の最寄り駅でもあるが、学校の近くの駅に自転車を停めている。

 

 雪ノ下の輪禍を不安に思いつつ、別れることにした。

 

 

「雪ノ下、帰り気をつけろよ」

 

 

「ええ、比企谷くんも気を付けてね。また明日」

 

 ウインクをして電車を降りていく。

 

 

「またあ……」

 

 俺に別れの挨拶をする暇も与えず、破壊力満点で去っていった。

 

 周囲の客の視線を集めてしまい俺は居心地が悪くなってしまった。

 

 雪ノ下雪乃とこうして一緒に過ごすのは楽しいが、景色に溶け込んで存在感を消すという俺のスキルは日々低下している。

 

 

 微分方程式で空気になる方法とか計算してわからないのかな?

 

 

 そんなことを考えていると、さらに人目を惹くことになってしまった。

 

 

「比企谷くん!」

 

 再び車内に飛び込んできた雪ノ下はそう言い終える前にむんずと俺の二の腕を掴み車外に引きずり出そうとした。

 

 

 えっ、これってなんなの?

 

 SOS団とか書かれた部室にでも拉致されるの?

 

 

 プシュー……。

 

 

 い、痛ぇよ!

 

 締まるドアに足がチョップされながら、とうとうホームに連れて出されてしまった。

 

 

「お、おい……、雪ノ下……」

 

 

 雪ノ下は俺に背を向けてスタスタ歩く。

 

 その表情も意図も全く分からないが、とりあえず足を引きずるようにして歩いてついて行く。

 

 足めっちゃ痛いよ俺の足。

 

 

 改札に向かう階段を無視して先に進む雪ノ下は歩を休めたかと思うと急にベンチに座った。

 

 何が何だかわからないまま俺もそれに倣った。

 

 

「雪ノ下、お前のせいでさっき足挟まっただろ」

 

 抗議の目で物申した。

 

 

「無事で良かったわ、ひざ掛けが」

 

 やっぱりひざ掛けの入ったピンクのビニール袋を抱えている。

 

 

「なんだその倒置法は。俺のことは心配してないのかよ?」

 

 ジトっとした目で睨んでやった。

 

 

「ええ、だってあなた一人で歩いていたじゃない」

 

 いつの間にかひざ掛けを広げていた雪ノ下は悪びれずにそう答えた。

 

 

「お前がさっさと歩いていくからだろ」

 

 俺の言葉を無視してひざ掛けをそっと自分の膝の上に掛けてみせる。

 

 しかし、雪ノ下の奴は涼しい顔をして無視しやがる。

 

 

 こいつどうにかしてるぞ、大丈夫か?

 

 

 はーっ…… と俯いて深いため息をついた。

 

 そして、どうしようものかとそのまま視線を落としてぼんやりとホームの床を眺めていた。

 

 

「ねぇ、似合っているかしら?」

 

 いきなり、俺の顔を覗き込みながらかわいらしい笑顔を見せる。

 

 

 ……ち、近い、近い。

 

 雪ノ下の顔が近づいてくる。

 

 

「……ああ、似合っているよ」

 

 のけぞるようにしながら答えるが、硬い背もたれのせいで俺の体はこれ以上後方へと動くことはできない。

 

 

「そ、そのひざ掛け気に入ったのか?」

 

 なおも近づく雪ノ下の顔をかわすのに精いっぱいな俺。

 

 顔を横に背けながら雪ノ下に感想を求めた。

 

 

「ええ……、だって……比企谷くんが……比企谷くんが選んでくれたもの……」

 

 羞恥で頬を朱に染めた雪ノ下は顔を少しずつ引きながらこう答えた。

 

 

 ……!?

 

 あっ、じわじわ近づいてくると思っていたら、案外引くのはあっさりしているんですね……。

 

 八幡ちょっと残念。

 

 

 遠ざかった雪ノ下にちょっと未練を感じてしまった。

 

 

「だから、こうして使っているところを見てもらいたくて……」

 

 

 もじもじしている姿が戸塚なんか比べ物にならないくらい可愛い。

 

 ごめん戸塚……。

 

 この先フラグ立ってもへし折っちゃうから。

 

 

 ついでに小町ごめん。

 

 

 お兄ちゃん今日は……、家に帰らないから!

 

 

 ひざ掛けの上でもじもじさせていた雪ノ下の手が俺のコートの裾を引っ張り出す。

 

 裾を引っ張ったところで俺はびくとも動かない。

 

 

 っていうか、せめて引っ張るなら二の腕とかにしておけよ。

 

 お前重心と勝手知らないの?

 

 理系だろ……。

 

 こんな突込みを入れてる場合ではないな。

 

 

 仕方ないので、意を汲んでやって俺の方からベンチの上を横滑りして雪ノ下に膝を近づける。

 

 それに合わせて雪ノ下の膝もすすっと近づいてくる。

 

 

 互いの距離が詰まったところで、不意にふわっと、ひざ掛けが舞い上がった。

 

 俺の視界を遮ったのもつかの間、風船が一気にしぼんでいくかのようにみるみる降下を始めた。

 

 

 そして、二人の膝の上に着地した。

 

 一枚のひざ掛けで二人一緒に温まっている。

 

 

 なにこのシチュエーション?

 

 

 もうドキドキが止まらないじゃないか。

 

 

「……それに、こういう事もしてみたかったから……」

 

 

 雪ノ下の頭が静かに俺の肩にもたれかかってきた……

 

 

 思考が完全に停止してしまった。

 

 

 いったいどれくらい時がたっていたのかわからなかった。

 

 

 しかし、そう長い時間が経っていたわけではなかった。

 

 気づけばホームに次発の電車が滑り込んできた。

 

 

 ハッと我に返った俺は帰らねばと条件反射で体がピクリと反応する。

 

 

 しかし、その瞬間ギュッと俺のコートの袖が強く握られる。

 

 

「あと、もう一本だけ……」

 

 

 俺だっていつまでもこうしていたいさ。

 

 

「ああ……」

 

 

 その瞬間、開いたドアから人波が吐き出された。

 

 

 しかし、俺はその一団から向けられる視線は全く気にならなかった。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 一夜明けた放課後。

 

 部室に向かう廊下で目前に迫った受験に憂うため息や冬休みを前にして浮かれ気味にはしゃぐ歓声とすれ違った。

 

 

 それらと隔絶された世界への入り口を開けた。

 

 

 うつらうつらと静かに目をつむる美少女がそこにいた。

 

 雪のように透き通った肌はみずみずしさをたたえ、長く伸びたぬばたまの髪はしっとりと潤い天使の輪を描いている。

 

 その美少女はまるで魔女の毒りんごで眠らされたかのように美しさを誇りながらもただただ時の流れに身を任せていた。

 

 

 つややかな唇に挟まったかけらを吸い出してもらうのを待っているがの如く。

 

 

 ひざ掛けをかけているもののブレザーだけでは寒かろう。

 

 きれいに折りたたんでいたコートをそっと肩にかけた。

 

 

 その眠りを妨げないように。

 

 

 外は風が強いのだろうか。

 

 ヒューヒューと唸りを立てながら、隙間風が入ってくる。

 

 

 そろそろと静かに静かにカーテンを引く。その眠りを妨げないように。

 

 

 部室に流れ込む冷気の流れを遮るためだ……。

 

 

 いや、違う。それが一番の理由ではない。

 

 

 ふたりぼっちの世界を守りたいがためにそうしていた。

 

 カーテンの端と端とを重ね終えて、外界と遮断した。

 

 

 その時、誰かに背中にもたれかかられ、カーテンを挟みながら窓に体が押し付けられた。

 

 

 足元に目をやると、もたれかかっている主は爪先立ちをしていた。

 

 

 そして、芳香を漂わせている人影が動くと同時に俺の首筋には柔らかな感触が巻き付いた。

 

 

 それから、俺の背中に感じていた体温と体重がゆっくりと引いていった。

 

 

 襟元に手を伸ばすと、毛糸のマフラーが巻き付いていた。

 

 

 振り返って視線を前方にやると眠りから覚めた雪ノ下雪乃がうっすらと片目を閉じて生気に満ちた笑顔

でそこにいた。

 

 

 俺の心を狂おしいぐらい乱してしまう小首を傾げたポーズをとりながら。

 

 

「比企谷くん、マフラー似合っているわよ」

 

 雪ノ下は夜なべでマフラーを編んでいた。

 

 そうか……、あの時……。

 

 俺が首に固く巻きつけられた女性物のマフラーと格闘していたときに、雪ノ下は手編みセットを購入

していたのか。

 

 

 俺の思考を読みとった雪ノ下は、フフフといたずらっぽく笑ってみせる。

 

 

「ありがとう、雪ノ下。これ大事にするから」

 

 

「ええ、いつまでも大事に使ってね」

 

 

 雪ノ下を抱きしめたい衝動に駆られたが、すぐにそれを打ち消した。

 

 

 今はこうして見つめ合うだけでいい。

 

 

 抱きしめてしまったら、こんなにも心が安らぐ笑顔を見つめることができないのだから。

 

 

「やっはろー」

 

「よう、由比ヶ浜

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん」

 

 

 二人ぼっちのときは終わりを告げ、いつも通りの時間が流れ始める。

 

 

「ねーねー、ゆきのん、ヒッキー、今度みんなで……」

 

 

 突然言葉が途切れた。

 

 

 そして、俺をジトっと睨みつける。

 

 

「ヒッキーってマフラーして無かったよね。そのマフラー何!?」

 

 

「うっせー、声でかいぞ。それに途中で話をやめるな。お前は3歩歩いたら忘れてしまうんだろ?」

 

 

「バカにしないでよー」

 

とプンスカ怒る由比ヶ浜

 

 お前は激おこぷんぷん丸かよ。

 

 

 すかさず雪ノ下が俺の援護に回る。

 

 

由比ヶ浜さん、あまり続きは聞きたくないのだけれど……、さっき『今度』のあと何を言いかけたの

かしら?」

 

 

「あっ、そうだ! 忘れるところだった。今度みんなでクリスマスパーティーしようよ」

 

 

「断る!」

「遠慮するわ」

 

 

「えー、なんでなんでーー」

 

 

「俺は小町と二人きりで甘いイブを過ごす」

 

 

「ヒッキー、キモい!」

 

「うるせーピッチ」

 

「ピッチ言うなし、ヒッキーマジキモい!」

 

 

「私はそういうお祭り騒ぎは苦手だから……」

 

「ゆきのんまでそういうこと言うしー」

 

 

 こうして、いつの日かの光景を繰り返す奉仕部の日常。

 

 

 しかし、俺たち - 比企谷八幡雪ノ下雪乃の関係は変わっていく。

 

 そう、一歩ずつ一歩ずつ互いにゆっくりと近づきながら……。

 

 

「もう……、わかったわ。だからくっつくのやめてもらえるかしら」

 

 

「……わかったから、騒ぐのはもうやめろ。じゃあ、24日18時千葉駅集合でいいか?」

 

 

「小町ちゃんとかさいちゃんとか呼んで、みんなで楽しもう!」

 

 一人はしゃぐ由比ヶ浜

 

 

 どうせなら、きっと婚活クリスマスパーティーで失敗して荒れている平塚先生にまた

会うんだろうし、今回は最初からさせってやるか。

 

 あと、材木座は要らないからな。絶対にな。

 

 

 やれやれと雪ノ下に目線を送る。

 

 雪ノ下もお手上げねと目線を送ってくる。

 

 相変わらずお互い考えていることは一緒だ。

 

 

 もう一度2人で視線をかわし直した。

 

 

 いつものように口づけのような熱い視線を交わしあってから、再び3人の世界に戻った。

 

 

- ラブコメの神様、俺ちょっと調子に乗りすぎましたか? これって罰が当たったんですか?

 

  雪ノ下と二人きりでクリスマスイブを過ごしたいんだけど、どうにかしてもらえませんか?

 

 

 

 冬休み初日、俺は津田沼にある予備校で数学の冬期講習を梯子していた。

 

 1講目のセンター数学と2講目の文系数学だ。

 

 本当は国語と英語の講義を受けたかったが、私立文系から国立文系に照準を合わせ直したので、数学漬けになる羽目となった。

 

 

ようやく2つの講義が終わり、オーバーヒートしている頭をクールダウンしているところだ。

 

 

 それにしてもなんなんだ、このベクトルというやつは。

 

 

 どうも生理的に好きになれない。

 

 

 まず、ベクトル記号が矢印であらわされているのが気に食わない。

 

 なんなの、みんなで同じ方向見ないといけないの?

 

 クラスでよくある「行事に向かってみんなで一直線!」って感じに似ててものすごく嫌だ、たまらなく嫌だ。

 

 

 それから、あの矢印の方向も気に食わない。

 

 「→」で表しているが、あの「僕たち、私たち前向きに頑張っていて今が充実しています」ってリア充みたいな感じどうにかなんないのか。

 

 「←」の後ろ向きな感じじゃだめなの?

 

 

 ぼっち舐めんなよ!

 

 

 こんな風に憤ってみたが、欺瞞だ。論理のすり替えだ。

 

 実際問題、ベクトルについてはまったくのお手上げ……。

 

 ちっともわからない。ちんぷんかんぷんだ。

 

 

 そういえば、ちんぷんかんぷんとちちんぷいってなんか似てない?

 

 ちんぷんかんぷんのベクトルも、ちちんのぷいって…… ならないよね。

 

 

 はぁー……。

 

 

 落胆のため息をついていると、聞き覚えのある声が後ろからかけられる。

 

 振り返ってみると、川……、川……、川なんとかさんだった。

 

 

「……、あんたのおかげでスカラシップ取れたから……。ありがと……」

 

 そう言ってそそくさと帰っていった。

 

 

 こんなところでクラスメートに会うとは露ばかりにも思っていなかったので、話しかけられて思わずきょどってしまった。

 

 俺の通う千葉市立総武高校は県下でも有数の進学校だ。

 

 由比ヶ浜が通っているせいで勘違いされると困るのでもう一度言おう。

 

 総武高は進学校だ。

 

 

 だから、高二の冬休みともなれば、受験対策を始めていても不思議ではない。

 

 ひょっとしたらほかにもクラスメートがこの中にいたのかもしれない。

 

 

 さっきの川……川村さんだったっけ? みたいに未だに名前を覚えてないのはまだ良い方で顔を見てもこんな奴いたっけ? って感じの奴らがたくさんいるので、クラスメートとはとても呼べないのだけど。

 

 もっとも俺もクラスメートに認識されてはいないのだけど。

 

 

 さて、俺も帰るとするか。

 

 雪ノ下からプレゼントされたばかりの手編みのマフラーを巻いて帰り支度をした。

 

 

 そうだ、家に帰っても誰もいないんだよな。

 

 

 小町も総武高の受験を控えて塾の冬期講習に行っている。

 

 その留守宅には、カップ麺くらいしか食糧がない。

 

 だから、ヨーカ堂のとこのマックで復習しながら何か食って帰ることにするか。

 

 そんでもって、ヨーカ堂で食材買って帰って塾で疲れて帰宅した小町のために晩飯でも作ってやるか。

 

 これって八幡的にポイント高いよな。

 

 

 予備校の校舎を出るといきなり風に吹きつけられた。

 

 頬に12月の寒風を受け、目がしゃきっとする。

 

 いつもなら首筋にも直撃して身震いするところだが、雪ノ下が編んでくれたマフラーが見事に防御してくれた。

 

 服の耐久性にうるさい雪ノ下のことだから、このマフラーもかなりの防御度があることだろう。

 

 

 ただし、肝心な雪ノ下の攻撃というか口撃は一切防ぐことはできない諸刃の剣。

 

 あっ、防具だから剣ではないな。

 

 盾でもないし……、もうやめておこう。

 

 

そういえば雪ノ下は今頃何をしているんだろう?

 

 

 目の前にいた。

 

 

 なに俺、幻覚まで見ちゃって。

 

 もしかして雪ノ下依存症なの?

 

 そう思って目をこすりながら、そのままヨーカ堂へ向かって歩いた。

 

 

「比企谷くん、この私を無視していくとはどういう了見かしら?」

 

 

 背筋に絶対零度の冷気が吹き付けた。

 

 振り向くのが怖い。

 

 俺の心は凍死してしまった。

 

     ×   ×   ×   ×

 

「あなたベクトルの公式を何一つ覚えていないのね。馬鹿なの?」

 

 さっきの俺の行動で虫の居所が悪い雪ノ下雪乃は当り散らすように俺を罵倒した。

 

 

 俺たちは今、予備校のすぐ近くにある駅の南口側のマックにいる。

 

 今日も舌鋒冴えわたる雪ノ下の罵詈雑言を聞き終えるとコーヒーに一口手を付けてカップをソーサーに静かに戻した。

 

 

 まさか雪ノ下が予備校の前で待ち伏せしているなんて思ってもいなかった。

 

 

 っていうか何? お前ストーカーなの?

 

 いや怖いんだけどマジで。

 

 

 雪ノ下に平塚先生と似た怖さを感じた俺は絶対こいつに携帯番号とメアドを教えてはならないと固く心に誓った。

 

 

「お前の言う通り、数学の勉強を始めてからベクトルはまだ手を付けていなかったからな。

今から今日の復習と明日のセンター数学の予習をしようと思っているんだよ」

 

 

 そう言うと雪ノ下に目もくれずテキストとノートを開いて交互に見比べ始めた。

 

 

 雪ノ下には悪いが、5日間の冬期講習を無駄にはしたくない。

 どうせ明日も特に文系数学の講座なんかは、説明を聞いてもろくに理解できず耳から耳へと抜けていくことだろう。

 

 でも、今日こうやって復習をしておけば明日1つくらいこんな俺にだって理解できる事柄があるかもしれない……。

 

 そんな思考をここらで断ち切ってノートに鉛筆を走らせ始めた。

 

 

「あ、あの……、比企谷くん……」

 

 おどおどした口調で雪ノ下が話しかけてきた。

 

 

「何?」

 

 視線を動かさずに答えた。

 

 

「こ、これ、あげるわ……」

 

 鉛筆の芯の先に焦点を合わせた俺の視界が一瞬ぼやけた。

 

 雪ノ下はテーブルの上をカタツムリのようにゆっくりと這わせて名刺サイズ大の単語カードを差し出した。

 

 

「これ何に使うんだ?」

 

 数学の勉強中に急に単語カードを出されて頭が混乱した。

 

 

「このカードって紙が大きいでしょ。だから、これに公式を書いておくとちょっとした時間に確認できて便利なのよ」

 

 さっきまでの罵倒とは違い、しおらしい口調になった雪ノ下は、俺にどう接したらよいのかわからずに困惑した表情を浮かべながら説明した。

 

 どうやら、俺が怒っていると勘違いしたらしい。

 

 

 わざわざ俺にこの単語カードの使い方を教えに予備校の前で待ってれていた雪ノ下をしょんぼりさせて帰してしまうわけにはいかない。

 

 

「サンキュー。早速使わせてもらうわ」

 

 努めて明るく答えると、リングからカードを外して公式を書き込み始めた。

 

 雪ノ下がホッと安堵のため息をついているのが聞こえた。

 

 さっきは一応謝ったけど、雪ノ下にここまで気を遣わせたのだから埋め合わせは必要だろう。

 

 

 鉛筆を走らせる手をピタリと止めて、雪ノ下の方を見つめた。

 

 

「悪いけどまた数学教えてもらえないか。そのあと……良かったら……、気分転換に付き合って欲しい」

 

 雪ノ下はぱっと満開の花を咲き誇らせたような笑顔で頷いた。

 

 

「ええ、私もそのつもりよ」

 

 そう、雪ノ下雪乃がこの笑顔を見せてくれるのが俺は好きなんだ。

 

 

「雪ノ下、悪いんだけどもう一つ頼みがあるんだ」

 

     ×   ×   ×   ×

 

「比企谷くん、お待たせ」

 

 雪ノ下が番号札を持って戻ってきた。

 

 テーブルの上にそれを置くと、俺の正面に座った。

 

 

 さっきは、雪ノ下の尋問を受けることになったので、昼飯を頼む余裕もなくコーヒーしか頼んでいない。

 

 これから考えただけで頭の痛くなってくるベクトルを勉強するのにまずは腹ごしらえをしたい。

 

 雪ノ下にお任せで二人分のオーダーをしてきてもらったのだ。

 

 

「比企谷くん、公式はもう写し終わったの?」

 

 単語カード改め数学公式カードをリングに留めて筆箱の横に置いていることに気付いたようだ。

 

 

「ああ、いっぺんに全部書いたって頭に入らないからな。今日出てきた分だけ書き留めておいた」

 

 

「そう、それなら今日のおさらいね」

 

 そう言い終えるとシートから立ち上がった雪ノ下は、俺の方に歩み寄ってきた。

 

 そして、俺のシートの端に座るともそもぞと尻を動かしながら接近してきた。

 

 

 近い、近い。

 

 思わず雪ノ下とは反対側にのけ反りながら、あわてて尻を動かす。

 

 

「おいおい、いきなり隣に座ってきてどうしたんだ?」

 

 ちょっと照れながら早口でこう訊くと雪ノ下はぼそぼそと答えた。

 

 

「だって、隣に座らないと教えづらいじゃない……」

 

 確かにそうなんだけど、いきなりそんなことをされるとドキドキしてしまう。

 

 それに、2人で対面席にいるのに横に並んで座るのってなんか変だろ?

 

 

 でも、そんな考えとは正反対のことを口走ってしまった。

 

 

「そうだよな。じゃ、頼むわ……」

 

 俺はたったこれだけの短い言葉を噛みそうになってしまった。

 

 俺の心弱すぎだわ。

 

 

「え、ええ……」

 

 俺の緊張が伝わってしまったのか、雪ノ下の声はますます弱弱しく聞き取りにくいものになっていた。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 雪ノ下雪乃の説明はやはりわかりやすい。

 

 理路整然としていて余計な単語や抽象的な表現は一切使わない。

 

 普段あれだけストレートかつ的確に俺のことを罵倒しているのだから、そりゃ造作もないことだろう。

 

 なんか悔しいけど事実そうだから仕方がない。

 

 

 ベクトルを用いた三角形の面積を求める公式はさっきカードに書いたばかりだから覚えているが、それをうまく使うことができなかった。

 

 

 しかし、この公式を変形させれば問題を解くことができる。

 

 

 そんな方法を雪ノ下が教えてくれたおかげで何とか例題を解くことができた。

 早速その変形型もカードに書き込んだ。

 

 

 俺は入試まであと一体いくつの公式を使いこなせるようにならなければならないのだろうと一抹の不安を感じたが、ここ2週間ほどの勉強でわずかではあるが自分の中で積み上げてきたものがあるという実感はある。

 

 いつだか、川……なんとかさんからのお悩み相談メールに回答するとき雪ノ下が言っていた「勉強に王道なし」という言葉を思い出した。

 

 

 そう、何度も何度も繰り返し勉強して忘却曲線によって減退していく記憶量を補っていくしかない。

 

 

「比企谷くん、おどろいたわ。あなたは初対面の時に無駄に中途半端な自分のスペックを誇っていたけれど、それ以上の能力はもっているわね」

 

 

 雪ノ下は乗せるのもうまかった。

 

 今やっている内容は数Ⅱの一番最初の方で習う基本中の基本だから実際に雪ノ下はどう思っているのかわからないが、他人から褒められることのないぼっちにとってはこれくらいでも嬉しい。

 

 今までの俺だったらその言葉にも裏があるのだと勘ぐっていたが、雪ノ下に言われるとそう信じてしまいたくなる。

 

 俺の恋心をうまく使ってその気にさせる雪ノ下雪乃恐るべし。

 いや、俺が単純でバカなだけかな。

 

 

 ちょっと待て、……俺、すっかり褒められたと思っていい気になっていたけど、かなりバカにされていたよな。

 

 雪ノ下には何を言っても無駄だから、まぁいいか……。

 

 

「15番のお客様、お待たせいたしました……」

 

 女子大生と思われる店員がトレイを持ってやってきた。

 

 2人でカップル席のように座っている俺たちを見て、にこっと微笑む。

 

 

 その笑顔の意味を瞬時に捕えた俺たちは、羞恥で顔が紅潮してしまった。

 

 

 そ、そうだよな、こんな風に座っていたらやっぱりただのバカップルに見えるよな……。

 

 

「ど、ど、どうも……」

 

と2人同時に噛み噛みで答えてしまった。

 

 それがいっそう羞恥の度合いを高めてしまい、目は完全に伏目になってしまった。

 

 ちらっと横目で雪ノ下を見ると、肩を震わせながら完全に思考を停止させていた。

 

 

 そんな俺たちを見ながらオーダーの内容を復唱してトレイをテーブルに置いた。

 

 

 そして、

 

 

「ごゆっくりお過ごしくださいませ」

 

と言って去っていた。

 

 その口調は一段階高めのトーンで弾んでいた。

 

 そして、最後にくすっと暖かい笑顔を向けられたような気がした。

 

 

 この恥ずかしい空気を打破しようとハンバーガーに手を伸ばした。

 

 雪ノ下も同時に手を伸ばしてきた。

 

 俺は数日前に本屋で参考書に伸ばしてきた雪ノ下の手にわざと触れて怒らせてしまった。

 

 今度もひっぱたかれないようにさっと手を引っ込めた。

 

 雪ノ下も俺に触れられまいとしたのか同時に引っ込めてしまった。

 

 ますます気恥ずかしさでいっぱいになってきた。

 

 

 互いに異性に免疫のない俺たちはいつまでこんなことを繰り返すのだろう。

 

 でも、こういうことにこなれず、いつまでもこんなときめきを感じ合える関係でありたいとも思った。

 

     ×   ×   ×   ×

 

「雪ノ下、これハンバーガー代だ」

 

 テーブルの上を滑らせるように指で500円玉を押した。

 

 

「いえ、いいわ。この間比企谷くんにはごちそうになっているもの」

 

 雪ノ下もすっと500円玉を指で押して返してきた。

 

 正直なところ、この数週間かなりの出費をしていて財布の中身が寂しくなっている。

 

 格好が悪いがありがたくごちそうになることにした。

 

 

「ところで、いつまでそこに座っているんだ?」

 

 俺の隣でハンバーガーに小さな口でかわいらしくかぶりついている雪ノ下に言った。

 

 

「食べ終えたら勉強を再開するのだから、このままでもいいでしょ」

 

 確かに雪ノ下雪乃の言う通り合理的に考えればその通りだ。

 

 でも、そういう理屈で答えるべきことではないよな。

 

 そこが雪ノ下雪乃なんだけど。

 

 

「……そうね。やっぱりちょっと変ね」

 

と意外なことにすんなりと俺の対面に移動した、とはいえちょっと拗ねている。

 

 

 そんな雪ノ下がハンバーガーを食べている姿を見つめていると、それに気づいたのか気恥ずかしそうにさっと斜め下に顔を背けた。

 

 いつもなら何か一言言って悪態をついてくるところだが、そりゃ何も言われないに越したことはない。

 

 

 俺は物足りなさを感じていたが、そっと視線を外した。

 

 

 さて、食べ終わったことだし勉強を再開するか。

 

 

「トレイを戻しに言ってくるわ」

 

 そう告げてトレイ置き場に行って戻ってきた。

 

 

 おいおい……。

 

 思わず苦笑してしまった。

 

 

 雪ノ下は既に俺の側のシートに移動してちょこんと座って俺の帰りを待っていた。

 

 しかも、律儀にさっき座っていた場所と寸分たがわずに。

 

 

「なぁー雪ノ下……」

 

 声をかけるとビクッと反応し、狼狽している。

 

 あたかも、知らぬ間に獣に間合いを詰められていたことに気付いた小動物のように。

 

 

「……そこに座っていると俺が座れないんだけど」

 

 雪ノ下は俺から見てシートの手前に座っている。

 

 そこをどけて中に入れてもらうか、雪ノ下に奥に詰めてもらうしかない。

 

 いや、いっそのこと反対側のシートに座ってしまおうか。

 

 でも、雪ノ下がわざわざこっち側に来た意味ないしな。

 

 

 そんなことを逡巡していると、ようやく雪ノ下は俺の言葉を理解したようで奥に向かってシートの上をもぞもぞと動き始めた。

 

 

 じゃあ、俺も座るか。

 

 座るや否や急に雪ノ下は反転してこっちに向かって動き出した。

 

 そのため、軽くぶつかってしまった。

 

 お互い尻をもぞもぞしての移動だから大した衝撃はない。

 

 

「悪い……」

 

 

「ふぇっ……」

 

 俺が謝ると同時に変な声を上げる雪ノ下。

 

 羞恥で真っ赤になっている。

 

 

 そして、テンパってしまった雪ノ下の体がよろめいた。

 

 

 ゴンッ……。

 

 

 雪ノ下は鈍い音を立ててテーブルに額をぶつけた。

 

 さすがに女の子の顔に傷をつけてしまうのはマズい。

 

 

 きれいに手入れされている雪ノ下の前髪を掻き上げて額を見た。

 

 ちょっと赤くなっているが、傷はついていないようだ。

 

 ホッと一安心した俺だが、雪ノ下の顔はさらに赤くなって熱っぽくなっている。

 

 

「あ、あ、あ、あ……」

 

と雪ノ下は言葉にならない声を出している。

 

 

「だ、大丈夫か……、雪ノ下?」

 

 そう声をかけると急にキッとした顔つきに変わった。

 

 

「比企谷くん、それ以上私に触れると通報するわよ」

 

 そう言う雪ノ下の手には携帯が固く握りしめられていた……、ゴクリ……。

 

 

 結局、俺と雪ノ下は入れ替わる形で座ってベクトルの復習をじっくりと時間をかけて行った。

 

 これで明日の講義でいくらかは内容が頭に入るだろう。

 

 

 さて、せっかく俺のことを気にかけてわざわざ津田沼までやってきてくれたから、デートらしいことでもしてみようか。

 

 

 デートと言う単語を使ったら、怒らせてしまいそうだから口には出さないけどな。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 15時を回ったところで店を出た。

 

 

 雪ノ下にはついてからのお楽しみとだけ言ってしばしの散策をする。

 

 すっかり俺の右側が定位置になった雪ノ下。

 

 以前のように人目を気にしなくなった。

 

 

 一応は俺の存在を認めてくれているようだ。

 

 J組での追及はどうなったのか気になるが、これには触れない方が良いだろう。

 

 

 相変わらずただ無言で歩いているだけだが、それで満足だ。

 

 雪ノ下もそう感じているのか、終始にこやかだった。

 

 

 そんな俺と雪ノ下が入ったのはボウリング場であった。

 

 冬休みに入ったばかりの3連休初日の土曜日というだけあってけっこうな賑わいだった。

 

 

 小町と行こうと思って持っていた1ゲーム分無料のチケットを使って3ゲームすることにした。

 

 初めてボウリングするという雪ノ下に靴の借り方やボールの選び方などを教えた。

 

 

 雪ノ下が入念にボールを探している間に名前を入力した。

 

 ちょっと悪戯してやろうと思い「YUKINON」とこっそり入力したそのとき、背後から一瞬にして氷漬けにされてしまいそうな声がした。

 

 

 「比企谷くん、いったいその名前は誰のことかしら?」

 

 

 入力した名前の修正を余儀なくされたのちスタートボタンを押す。

 

 俺は悪戯した罰として危うく雪ノ下に「HIKIKOMORI」で登録されそうになった。

 

 

 おいおい、やめてくれよ。

 

 うっかりオックスフォード英語辞典に収録されちゃったらどうするの?

 

 クールでポップな日本文化と認識されて世界中でひきこもりが流行してしまうぞ。

 

 

 その時俺はトレンドの最先端を行くわけ?

 

 さすがにこんなことで歴史に名前は残したくない。

 

 ただでさえ黒歴史しかない俺なのだから。

 

 

 なになに、もう既に収録されているって?

 

 さすがユキペディアさんだ。

 

 

 雪ノ下に投球フォームを教えてから先攻の俺が投げる。

 

 なんとかストライクを出して一応恰好はついた。

 

 

 席に戻るとき、雪ノ下が遠慮がちに手を挙げた。

 

 さっきからチラチラとほかのレーンの様子を見ていた雪ノ下。

 

 ストライクやスペアが出るたびにハイタッチをしている姿を見ていたのだろう。

 

 そんな雪ノ下の意を汲んだ俺はその手めがけて力強くタッチする。

 

 

 手が触れた瞬間に顔赤らめる雪ノ下がかわいくてたまらない。

 

 

 1ゲーム目を終えて、雪ノ下と一緒に瓶コーラを飲む。

 

 ボウリング場に来た時の醍醐味だ。

 

 小町と一緒にプレーするときは2人ともスコアは100辺りでウロウロしているが、120台まで出たのでちょっと気分がいい。

 

 雪ノ下は超ビギナーだから勝って当然なのだが、完璧超人の雪ノ下にたった1つでも勝てることがあった

んだな。

 

 雪ノ下も勝負を意識していないので、ここまで穏やかに過ごしている。

 

 

 そんな雪ノ下はさっきから物憂げに同じレーンばかり見つめていた。

 

 

 そこにはボウリングを楽しむ家族がいた。

 

 俺の視線に気付くと雪ノ下はこう問うてきた。

 

 

「比企谷くんは家族でボウリングしに来たことはあるの?」

 

 

「ああ、小学生の時だけどな何度か来たことがある。中学に入ってからは親の仕事も忙しくなって、もっぱら小町と2人だけで来てたけどな」

 

 

「そう……」

 

 寂しげな表情を浮かべた雪ノ下はそれきり黙ってしまった。

 

 

 違う、違う。俺が見たい雪ノ下雪乃はこんなんじゃない。

 

 

「雪ノ下、俺に1ゲーム目負けてそんなに悔しいのか? そんなんじゃ勝負するまでもなく俺の勝ちだな」

 

 そう言うなり雪ノ下の目の色が変わった。

 

 

「比企谷くん、何を言っているのかしら。あなたがこのあと負け犬の遠吠えをしている姿が見えるわよ、犬がやくん」

 

 

 そうだ、これだ。

 

 

 雪ノ下雪乃はこうでなければ。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 2ゲーム目の火蓋が切られた。

 

 火蓋を切るとは火縄銃の発射の動作から生まれた言葉だ。これ豆ね。

 

 

 俺としては今日は雪ノ下と勝負をしようなんて考えてもいなかった。

 

 純粋に2人でまったりとボウリングに興じたい気持であった。

 

 あんな弱った雪ノ下を見たくはなかったので、勝負を吹っかけて気を紛らわせてやろうと思っただけだった。

 

 

 しかし、雪ノ下は対決モード全開でいつものようになっていた。

 

 自分から仕掛けたわけなのにどうも気が進まない。

 

 

 そんなことを口実に言い訳するつもりではないが、俺は1フレの1投目でいきなりスプリットになってしまう。

 

 こんなもん獲れるわけないだろ。

 

 2投目はゲートボールでいうところの第一ゲート通過になってしまった。

 

 

 対して雪ノ下はストライク。

 

 なんだこの完璧超人は?

 

 フフンと鼻を鳴らすのがたまらなくうざい。

 

 

 2フレ、3フレとやっぱり1投目で割れてしまう俺。

 

 雪ノ下はいつの間にか上達しちゃって、ターキーなんかを出しやがる。

 

 勝負事には人一倍熱くなる雪ノ下だが、その投球は極めて冷静かつ沈着だ。

 

 

 スコアを伸ばしていくにつれてさっきの憂いた表情が嘘のように影をひそめた。

 

 

 2ゲーム目は完敗だ。

 

 俺は中盤から頑張って120台に持って行ったが、雪ノ下は160を超えている。

 

 なんなのこいつは?

 

 勝ち誇った顔が憎らしいけどやっぱりかわいい。

 

 いろいろとけなされたり貶められたりしたが、そんな顔を見せられたら何も言い返せない。

 

 

「3ゲーム目で逆転ね」なんてもう勝った気でいやがる。

 

 ここは一矢報いてやらないとな。

 

 

 3ゲーム目も圧倒的に雪ノ下有利で進んでいった。

 

 雪ノ下の表情はというと、もうなんていうか梅と桜が同時に満開になっちゃったくらいの華やかさ。

 

 こんな笑顔をずっと見ていられるのであれば、もう負けてもいいやと勝負なんかどうでもよくなってしまった。

 

 

 そんな時雪ノ下の表情が再び暗くなり始め、スコアが落ち始めた。

 

 

 隣のレーンに楽しげに歓声を上げる親子連れがやって来たからだ。

 

 

 ふと、雪ノ下の家族のことを考えてしまった。

 

 一人暮らしをしたいという雪ノ下にポーンと高級高層マンションの一室を与えるくらいだから父親とは間違いなく不仲ではないのだろう。

 

 しかし、ひょっとしたら仕事の忙しさにかまけて金銭で解決しようとしているだけなのかもしれない。

 

 母親との確執は雪ノ下の反応や陽乃さんの口ぶりからなんとなくわかっている。

 

 その陽乃さんとも決して姉妹仲は良好ではない。

 

 物質的に恵まれていても精神的には満たされていないのだろう。

 

 

 そんなことに俺は立ち入ることができない。できるわけがない。

 

 

 でも、立ち入ることができなくたって俺だけにしかできないことがある。

 

 そう思ったせいか、柄でもないことを口走ってしまった。

 

 

「雪ノ下、お前はどこを見ている。そんな顔するな……」

 

 

 雪ノ下の表情はまだ曇ったままだ。

 

 

「お前はは俺だけを見ていろ。俺ならここにいるぞ」

 

 

 雪ノ下の表情はめまぐるしく変化した。

 

 曇った表情から一転ハッとした顔になったと思えば、今度は自嘲的な笑みを浮かべたのち、満面の笑みへと変わり、最後は凛とした表情になった。

 

 

 そう、お前はすぐに迷子になるんだからちゃんと俺のそばにいろよ……。

 

 

「ええ……、あなただけを見ているわ」

 

 あまりにも真剣な眼差しを向けられるものだから心が乱されてしまいそうになった。

 

 いかん、いかん、俺たち勝負の真っ最中だろ。

 

 

「何お前もう勝った気になってんの?」

 

 ガコンと音を立ててコンベアで運ばれてきた俺のボールが戻ってきた。

 

 ここでかっこよく決めたい。

 

 

「せーの……」

 

 フォームも決まった、完璧だ……。

 

 

「ブ――――――――……」

 

 

 思いっきりファールラインを踏み越んでしまった。

 

 

 勢いよく転がるボールはピン先で弧を描きピンをすべて薙ぎ払った。

 

 しかし、スコアを映すモニターにはファールを表す「F」が真っ赤に表示された。

 

 

 雪ノ下はクスクスと笑いをかみ殺して笑っている。

 

 

「……フフ、……まるであなたの人生そのものね」

 

 

 うっせー。

 

 

 なんか見たことのある光景だ……。

 

 急に既視感を覚える。

 

 

 - そうだ、家族で遊びにときこんなことがあったな。

 

 

   今ではすっかり屑にしか見えない親父が激しく音を立ててガーターをやらかした。

 

   椅子に座っていたおふくろがクスクス笑っていたっけ……。

 

   そして、俺と小町がレーンの近くに並んで立ってやいのやいのとバカにしていたな……。

 

 

 あの時の光景が雪ノ下と重なって見えた。

 

 雪ノ下がいて……、俺がいて……。チッ、俺はやっぱり屑かよ……。

 

 じゃあ、俺と小町は誰になるの? えっ……………………!

 

 

 いやいや、俺なに考えてんの。

 

 

 この数週間、俺の心の奥底で熾火のようにくすぶり続けていたことが2つあった。

 

 1年ちょっとののちにあるセンター試験の数学のことではない。

 

 ましてや、その一月後の二次試験のことなんかではない、もっともっと大事なことが……。

 

 

 そして、この瞬間、1つは決心にもう1つは決意となって昇華した。

 

 

 - こう決心したのだから、もう俺……比企谷八幡は迷わない

 

 

   こう決意したのだから、もう雪ノ下雪乃は迷わせない

 

     ×   ×   ×   ×

 

 雪ノ下にものの見事なまでに完敗してボウリング場をあとにした。

 

 勝者である雪ノ下を讃えたが、勝負に勝ったというのに勝ち誇ることもなく、代わりに

 

 

「比企谷くん、……ありがとう」

 

とぼそりと言ったきり、ずっと伏し目がちである。

 

 

 時々俺の歩みが早くなるとコートの袖をきゅっと軽くつまみ、俺が止まるとぱっと離す。

 

 いつもなら小走りで追いついてきて俺がスピードを緩めるのだが、なんだかさっきから様子が変だ。

 

 雪ノ下の表情をうかがい知ることはできないが、少なからず落ち込んでいる様子はない。

 

 だから、きっと体力がない雪ノ下がただ疲れているだけだろうと深くは心配していない。

 

 

 そろそろ帰らないと小町が腹をすかして帰宅してくる。

 

 今晩は俺が夕飯を作ろうと思っている。

 

 

「ところで雪ノ下、お前津田沼までどうやって来たの?」

 

「駅までバスに乗ってそこから総武線に乗って来たわ」

 

「じゃあ、一緒に帰るか」

 

「ええ」

 

 雪ノ下はまだ伏目のままだったが、ギュッと固く俺のコートの袖を掴んだ。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 コートの袖を掴まれること数分、京成津田沼駅に着いた。

 

 ボウリング場からはこっちの駅の方が近い。

 

 なんか雪ノ下も疲れているようだし、歩く距離が短い方が良いと思ったから千葉線で帰ることにした。

 

 

 2駅ほど乗ると俺たちの最寄り駅だ。

 

 ちょうどタイミング悪く電車を逃してしまった俺たちはベンチに腰掛ける。

 

 

 いつの間にか用意したのかちゃっかりとこないだプレゼントしたひざ掛けを掛けていた。

 

 よほど気に行ってくれたらしい。

 

 こういう風に小出しで見せられるのも悪い気がしない。

 

 

 次の電車まであと10分か。

 

 いつものようにぼーっとして過ごすか。

 

 

 そんなことを考えていると、雪ノ下の頭が肩にもたれかかってくる。

 

 ちょっと待ってりゃ電車来るのに寝るなよ。

 

 

「おい、雪ノ……」

「なに、八幡?」

 

「へっ……?」 

 

 思わず声が裏返ってしまった。

 

 

「雪ノ下……、お前今なんて言っ……」

 

 俺の言葉を遮るように雪ノ下はまくしたて始めた。

 

 

「比企谷くん、あなたはどうして私が眠くなったりしたのかわかる? そもそもあなたが無理やり私のことを半日連れまわしたあげく、ボウリングを3ゲームも……」

 

 

 もういいよ雪ノ下、そんなに顔真っ赤にして必死にならなくても。

 

 クスッと笑ってやった。

 

 

 雪ノ下はそれきり黙って俯いてた。

 

 

「ほら、電車までまだ時間あるぞ。寝ないのか?」

 

 雪ノ下の方へ膝を寄せた。

 

 雪ノ下はもたれかかったと思うとぱっと離れ、ひざ掛けを俺の方へ引っ張ると、再びもたれかかって静かに寝息をたてた。

 

 

 本当に疲れていたんだな。

 

 今日はたくさん付き合ってくれて、ありがとな。

 

 

 それとお前のことを「雪乃」って呼ぶの、もうちょっと待ってくれな……。

 

 

 冬期講習2日目。

 

 

 1講目のセンター数学を終え、2講目の文系数学を受講している最中だ。

 

 昨日、雪ノ下に近くのマックでベクトルを教えてもらったので、今日は昨日よりも講義の内容についていけた。

 

 あくまで昨日との比較であって、一般的な理解の度合いとは違う。

 

 強いてたとえるなら広告の隅っこに小さく「当社比」と書かれたくらいの程度だ。

 

 

 ベクトルと同様超苦手な行列やら一次変換やらに話題が移った途端、頭から湯気が立ってしまった。

 

 新たな強敵の出現だ。

 

 ちなみに湯気は液体であって気体ではない。

 

 水の気体は水蒸気である。

 

 みんな覚えているかな?

 

 

 軽く話題をそらしてごまかすのは俺の悪い癖だ。

 

 現実と向き合おう。

 

 定期テストの数学で9点取った俺にそもそも得意分野があるのかって?

 

 そりゃ当然一つもない。

 

 数学は全くのお手上げだ。

 

 

 でも、数Ⅰの整数問題は8割方解けるようになってきた。

 

 こんな俺でも少しずつだが進歩している……、そう思いたい……。

 

 思わないとやっていられない。

 

 

 八幡はやればできる子と必死に暗示をかけてしまう自分がいた。

 

 

 ふと、車のクラクションと混ざって別の音が聞こえてきた。

 

 窓に目をやると雨が強く降っていた。

 

 今日も予備校の前で待ってくれているであろう雪ノ下の身を案じてしまい、ただでさえ分からない一次変換の説明が右から左へと抜けていく。

 

 

 - 昨日の駅のホームからの続きはこんな感じだった。

 

 

   すっかり眠りに落ちた雪ノ下にしばし付き合うことにした。

 

   雪ノ下は穏やかな表情で眠り姫のようにすやすやと眠っていた。

 

   俺の肩にそっと頭を預けている雪ノ下の体温と鼓動を直に感じながら、静かに物思いに耽っていた。

 

   しかし、冬至の前日とだけあって太陽が大きくなっていくにつれて気温が下がり始めていた。

 

   このままでは風邪を引かせてしまうのではと心配になって2本目の電車が来たときに起こした。

 

 

   電車を降りてからはすぐ隣の総武線の駅から自転車の後ろに載せて雪ノ下の家まで送った。

 

   風を受けて雪ノ下の髪がたなびくたびに鼻腔をくすぐるような良い香りがして、ドキッとした。

 

   雪ノ下が体を掴む手が時折強くなったり弱まったり、その強弱が妙に心地よくこのままずっと一緒にいたくなってしまった。

 

 

   別れ際、雪ノ下に何て声を掛けようものか迷った挙句に

 

 

  「じゃあな」

 

  と一言だけかけて去ろうとした。

 

 

   しかし、雪ノ下からは、

 

 

  「また明日」

 

  と返って来たのだった。

 

 

 そんな昨日の出来事を振り返っているうちに、雨脚はさらに強くなっていた。

 

 

 時計を見ると講義終了10分前になった。

 

 雪ノ下のことだからもう到着しているのだろう。

 

 ますます雨は強くなり、俺は一刻も早くここを抜け出したい気持になった。

 

 

 しかし、そんなことをしてあの雪ノ下雪乃が喜ぶだろうか……。

 

 

 - 否。これ以外の解なんて存在しない。

 

 

 秒針の刻むスピードの遅さにただただもどかしく思いながら、板書された最後のまとめをノートに写し

ていたのであった。

 

 

 講義が終わると素早く荷物をまとめ教室を飛び出した。

 

 後ろから声を掛けられるが、軽く振り返って

 

 

「悪い、川崎。今日は急いでいるんだ」

 

こう一言だけ告げて後にした。

 

 

 あぁ、そういえば川崎って名前だったんだな……。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 降りしきる雨の中、雪ノ下雪乃は今日も立っていた。

 

 

 良かった……。

 

 雪ノ下は真っ赤な傘をさして俺の方をじっと見つめている。

 

 濡れ猫のようになった雪ノ下の姿を想像していたので、まずはひと安心だ。

 

 跳ねた水で裾をぬらしながら俺は雪ノ下のもとへと小走りで駆け寄った。

 

 

「はい、比企谷くん……」

 

 コンビニで売っているビニール傘を手渡された。

 

 

 さすが雪ノ下。

 

 こういう細やかなところまでよく気が回る。

 

 相模が何もしなかった文化祭や相模が機能しなかった体育祭を切り盛りしただけのことはある。

 

 

「サンキュー、雨の中待たせてしまったうえに傘まで用意してもらって悪かったな」

 

 雪ノ下の心配りに感謝しながら傘を素早く開いた。

 

 

「それとこれ……」

 

 きれいな花柄がプリントされたハンカチを差し出してきた。

 

 さすがにこれを使うのはためらってしまう。

 

 

「お前のハンカチ汚してしまうのも気が引けるし自分のを使うからいいわ」

 

とポケットをまさぐる。

 

 ジーンズのポケットの奥に入っているので、取り出すのに時間がかかる。

 

 

 ようやくハンカチを掴むことができた。

 

 

「!」

 

 

 雪ノ下は俺に右手を伸ばしてきたかと思うと、ハンカチで額から頬へと伝っていく滴をふき取り始めた。

 

 思いもよらぬ雪ノ下の行動で俺の体温が急上昇し、鼓動が早くなったのがわかった。

 

 雪ノ下のハンカチでひと拭いされるたびに顔が紅潮している。

 

 これは間違いなく周囲の視線を集めているはずだ。

 

 きっと川崎にも見られたはずだ。

 

 

 気配を消すのが得意だった俺はどこに行ってしまったのだろうか。

 

 

 雪ノ下はどんな顔をしているのだろうか?

 

 

 そんなことを考えていると、雪ノ下は正面に回り込んできた。

 

 まるで、ずぶぬれで帰ってきた幼子を拭いている母親のような温かいまなざしだった。

 

 そして、目が合うと頬を染めながら、

 

 

「あなたって、本当に手がかかるわね……」

 

なんて憎まれ口をきいた。

 

 

 空は一面の曇天模様だ。

 

 雲は流れるように動きトランスフォーマーのようにみるみる姿を変えていく。

 

 まだ当分雨はやみそうもない。

 

 雪ノ下は凍える手にはーっと白い息を吹きかけていた。

 

 

 今日はすぐ近くの喫茶店に入ることにした。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 雪ノ下のポイントをとらえた指導のたまもので昨日よりも勉強が効率的に捗った。

 

 講義中にその場で単語カード改め数学公式カードに公式を書きこんでいたおかげで、いくらかは記憶としてとどめられていたことも良かったのだろう。

 

 公式を覚えていないことで、雪ノ下に罵倒されなかったことが何よりの証拠だ。

 

 昨日はベクトルの復習で時間を使い果たしたが、今日は明日のセンター数学の予習も終えることができた。

 

 あとは、家に帰ってもう一度数Ⅱの復習をすれば他教科に時間を費やすことができる。

 

 

「サンキュー、雪ノ下。今日もたっぷりつき合わせて悪かったな」

 

 雪ノ下の方を向くが反応はない。

 

 

 なにかぼんやりと見つめていたが、俺の気配に気づくと、

 

 

「……ええ、べ、別に礼には及ばないわよ。私がただこうしたいだけだから……」

 

と目を合わさない。

 

 

「どうした雪ノ下?」

 

 俺は無意識のうちに雪ノ下に何か悪いことをしてしまったのかと思い、雪ノ下の顔を覗き込むように言った。

 

 

 俺と目が合うと、頬を朱に染めて再び目をそらす。

 

 

「俺なんかとんでもないことでも口走っていたのか?」

 

 今日はかなり集中して勉強していた。

 

 勉強中は思考を巡らせ、余計なことは考えていなかった。

 

 一体何をやらかしてしまったのか?

 

 

 考えれば考えるほど疑心暗鬼になってしまった。

 

 

「雪ノ下……」

 

 再び何かしてしまったのか問おうと向き直った時、雪ノ下と一瞬あった目が三度そらされた。

 

 ますます混乱している俺に雪ノ下は顔をそらしたまま微かに聞き取れる声でこう言った。

 

 

「ひ、比企谷くんのそんな目……み、見たことないわ……」

 

 俺の視線に気づくとしばらく顔をそむけたまま無言でいた。

 

 

 いつも死んだ魚の目だとか言われているが、今はどんな目をしているのか俺には分からない。

 

 俺自身いつもと何も変わっていないはずだ。

 

 でも、雪ノ下は明らかに戸惑っている。

 

 

 何かが違う……。

 

 

 今日一日のことを思い返してみると、今日はまだ雪ノ下に罵倒されていないことに気付いた。

 

 雪ノ下と出会ってから数か月経つが、今までこんな日はない。

 

 そうか……、そりゃあ、雪ノ下の調子だって狂ってしまうよな。

 

 勉強に気を取られ過ぎるあまり大切なことを忘れていた。

 

 

 ……って、おい。

 

 さっきの雪ノ下の言葉は何だ?

 

 今日はあれだ……、かなり勉強に集中していたから、魚の腐った目をしていなかったということか。

 

 それを見て戸惑っちゃうってどういうことなの?

 

 なんか俺の人格を否定されたようでショックを受けてしまう。

 

 いや、ちょっと悲しいが、そんなことは置いといてまずはこっちを優先しないといけないよな。

 

  

「お前なんであんな雨の中、突っ立てたんだ。渋谷駅前に鎮座する犬かよ」

 

 待ってましたとばかりに沈黙を破っていつもの雪ノ下が帰ってきた。

 

 

「あら、犬はあなたの方ではないかしら。ほら、だってあなたの名前……犬っぽいでしょ。八公」

 

 いつもより50%増しの笑顔で憎まれ口をきいてくる。

 

 ああ、こいついつものようにこうしたかったんだな。

 

 めちゃくちゃ楽しそうに弾んだ口調で言いやがる。

 

 

 俺は自分でもだんだんといつもの目に戻っていっているのがわかってしまった。

 

 悔しいかな、こっちの目じゃないと喜ばれないとかなんなんだ。

 

 

 でも、そっちの方が良ければ俺もこれに乗らなきゃな。

 

 

「お前、人の名前もじって遊ぶのやめてくれる? 人の名前を馬鹿にしちゃいけないって教わらなかったのか?」

 

 なんか俺も楽しそうに反撃しちゃったよ、はぁー……。

 

 

 雪ノ下がさらに満開の笑顔で小首を傾げながら反駁してくる。

 

 

「しつけのなってない犬ね。犬の分際で人様に口答えするとはいったいどういう了見かしら。首輪でも

つけて調教する必要があるわね」

 

 

 生き生きと俺を罵る雪ノ下は輝いていた。

 

 こんな瞬間を褒められても本人は喜ばないだろうが、こんな雪ノ下雪乃も好きだ。

 

 

 傍から見れば間違いなくドン引きするであろうやり取りだが、俺たちにとってはこれは大切なコミュニ

ケーションだ。

 

 

 今までこうやって2人の時間を紡ぎ続けてきたのだ。

 

 ここはしっかりと時間を取って今日の埋め合わせをしないとな。

 

 

「マスター、コーヒー2つおかわり!」 

 

 こんなどうしようもない応酬を続けるためにわざわざコーヒーをもう一杯注文した。

 

     ×   ×   ×   ×

 

「あら、八公。犬のくせにご主人様をこんなところに待たせるとはいったいどういうつもりなのかしら?」

 

 何それ、お前それ挨拶のつもりなの。

 

 

 冬期講習も中日の3日目を終えてあと2日間頑張ろうと爽やかに決意を新たにしたところなのに、いきなりこれはないだろう。

 

 

 何その、俺が柄にもなく爽やかにしたから罰を与えちゃったりしたの。

 

 

 まぁ、昨日は雪ノ下の罵倒はいつもより少なめだったからな。

 

 今日はその反動でこうなったのだろう。

 

 こればかりは致し方ないかとあきらめた。

 

 

「うるせー、犬のように誰にでもいい顔して尻尾を振ってる真似ができてりゃ、ぼっちなんかやってねーよ」

 

 雪ノ下は額に手をあてるお決まりのポーズで、

 

 

「犬がやくんはやっぱり私が調教しないといけなさそうね」

とさらりと言いやがった。

 

 

 ところで「やっぱり」って何だよ。

 

 さりげなくアピールされたら照れてしまうだろ。

 

 

 俺はもう一言反撃を加えたいところだったが、言葉を深読みし過ぎて軽くテンパってしまった。

 

 言おうとしていたことを忘れてしまい、口を開けば、

 

 

「こ、これからも俺に……その、す、数学を教えてください」

 

 

なんて血迷ったことを頬を赤らめながら言ってしまった。

 

 

 雪ノ下にもたちまち伝染してしまった。

 

 

「え、ええ……、こ、こんな私で良ければ、よろしくお、お願いします……」

 

 

と手をもぞもぞさせながらだんだんと声が小さくなっていった。

 

 2人向かい合わせで俯き、互いに次の言葉の糸を手繰り寄せようとしていた。

 

 

「あんたら馬鹿じゃねーの……」

 

 川崎が不機嫌そうにこう言い放って駅の方へと去っていった。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 それにしても文系数学の講義では毎日毎日次から次へとわけのわからんものが登場してくる。

 

 今日はファミレスで数列と格闘した。

 

 

 なんだよこのΣってやつは!

 

 上にも下にも右側にもaだとかnだとかkなんて意味不明な文字列をまとっていやがる。

 

 ごちゃごちゃごちゃごちゃわけのわからん装飾を施しやがって、お前はデコトラかよ!?

 

 

 この意味不明な数列というものに辟易し、ついには途方に暮れてしまった。

 

 

「ここまでものの見事に何も身についていなければ正直なところ手の施しようがないわね」

 

 そう言ったきりしばし額に手を当てていた雪ノ下を見て、さすがの俺も凹んでしまった。

 

 

 そんな俺を見た雪ノ下は思い切り痛罵するかそれとも喝を入れるかするかと思っていたら、

 

 

「比企谷くん……、必ずあなたを国立……理系に合格させてみせるわ」

 

と言って俺の手にそっと自分の手を添えた。

 

 

「ちょ、ちょっと待て……、お、お、俺は国立文系だ」

 

 あまりにも唐突な発言と雪ノ下の手のぬくもりにすっかりテンパってしまった。

 

 

 雪ノ下は細くしなやかな指を口元にやりながらくすっと笑った。

 

「比企谷くん、あなた今国立文系って言ったわよね。その気持ちがあればどうにかなるわ……」

 

 いやいや、どうにもならんって。

 

 気持ちだけで数列ができるようになんかならないし、これって解決策じゃねーよな。

 

 あと気合いだけでもね。

 

 こっちに至ってはますます解決策から離れて行ってるぞ。

 

 

 何が何だかわからなくて目を白黒させながら雪ノ下を見た。

 

「だって私、虚言は吐かないもの……」

 

 雪ノ下は俺を一瞬にして手なずける仕草を心得ていた。

 

 いたずらっぽくほほえみながらウインクし、それから小首をかしげる

 

 

 だめだ……、こんなシチュエーションでそんなことされたら……。

 

 俺の顔はたちまち瞬間湯沸かし器のように熱くなり、そこから湯気が立ち込めてしまった。

 

 雪ノ下もその熱にあてられたのか、顔を紅潮させながら、

 

 

「……だから私を信じて、は、は、はち、……はちがやくん」

 

 

と俺を悶死させるには十分すぎる呪文を唱えた。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 余韻というべきか余熱というべきか、俺はもちろんのこと雪ノ下もさっきのことを引きずって互いに

凡ミスを繰り返しながら持参した参考書で初歩の数列から勉強した。

 

 テキストの問題は解法を説明したところでどうにもならないと判断したのだ。

 

 3パターンの数列をひたすら繰り返した。

 

 

「続きは今度時間をたっぷりとって教えるから、それまでに今日ここでやった分だけは必ず覚えておくの

よ」

 

 

 そんなところで本日分の復習というよりも雪ノ下の数列超初心者講座を終えてティータイムにすること

にした。

 

 

 カップに手を伸ばすとジャスミンティーは空になっていた。

 

 雪ノ下はそれに気づくとドリンクバーに取りに行ってくれた。

 

 

 雪ノ下が持ってきてくれたカップにはハーブティーが入っていた。

 

 知恵熱が出そうなくらい頭を使ったので、ハーブの香りが妙に体に染み入ってくる。

 

 

 俺の正面に座りなおしていた雪ノ下はハーブティーを一口飲んでフーっと一息ついた俺を見て満足げに

ほほ笑んだ。

 

 俺も自分の欲していたものを雰囲気で察してくれた雪ノ下に感謝の意を込めて微笑み返した。

 

 

 今日は復習は基本中の基本にのみ焦点を絞って早めに終わったので、ゆっくりと見つめ合ったり、気恥ず

かしくなって俯いたりしながら至福の一服を楽しむことができた。

 

 

「ところで、明日のプレゼント交換の品って何か買ったか?」

 

 明日は由比ヶ浜企画のクリスマスパーティーだ。

 

 奉仕部の3人と小町、平塚先生、戸塚の6人でやる予定だ。

 

 6人でやるのだ。

 決して7人になってはならない。

 だから、材木座は来んな。

 

 いや、予定というよりも無理矢理由比ヶ浜に決められたので既決事項と言った方が正しい。

 

 その由比ヶ浜からプレゼント交換をするので500円以内のプレゼントを用意するようにとメールが

一昨日の晩届いた。

 

 

「ずっと比企谷くんと一緒にいたから……。だから私は買っていないわ」

 

 いちいち言い方がかわいい。

 

 さり気なく俺とずっと一緒にいたことをアピールするところがとにかくかわいい。

 

 さっきの「はちがやくん」といい、俺のハートは完全に射抜かれてしまった。

 

「お、お、俺……も……だ」

 

 情けないかな、たったこれだけの言葉をまともにしゃべられない。

 

 これから大事なことを話すのだから、気持ちを落ち着かなければ……。

 

 

「今からプレゼント買いに行かないか?」

 

 フーッと一息ついてから雪ノ下にこう告げた。

 

 

「ええ、そうね……、そうしましょう」

 

 雪ノ下も声を弾ませて快諾してくれた。

 

 

 正直なところそんなもんはそこらの100均で買えばよいのだが、そんなのはダミーで実は別に目的がある。

 

 

 あの、その、なんだ……雪ノ下にクリスマスプレゼントを贈りたいんだ。

 

 それにだな……えっと、明日はデ、デートにだな……誘おうと思っている。

 

 うわっ、考えただけで恥ずかしい……。

 

 そ、そういうわけだ。

 

 

「ところで比企谷くん、どこの店に行くのか決めているのかしら?」

 

     ×   ×   ×   ×

 

 京成津田沼から2駅電車に揺られたあと、さらにバスに乗っていつもの場所に行った。

 

 ただひたすら隣同士に座っているだけで終始無言で過ごす幸せなひとときだ。

 

 リア充どもにはわからないだろうが、ぼっちどうしにはこんな時間も必要なのだ。

 

 

 雪ノ下と一緒にここを訪れるのはこれで何度目だろうか?

 

 面倒なので数えないけど。

 

 別に津田沼のパルコでもよかったのだが、こちらは若者だらけなので疲れてしまう。

 

 それにリア充率がららぽーとよりはるかに高い。

 

 そんなわけで、リア充かどうか関係なく老若男女も集い、勝手知ったるららぽにやって来た。

 

 

 3連休最終日かつクリスマスイブ前日とあって通路には客がごった返していた。

 

 サンタの格好をしてクリスマス商戦最後の売り込みに力が入る呼び込みの店員がそこらにいた。

 

 それらを適当にかわして100均に着いた。

 

 

「比企谷くん、100円ショップだったらわざわざここに来なくても良かったと思うのだけれども」

 

 何も気づいていない雪ノ下は何故という視線も同時に送ってきた。

 

 

「小町にも何かプレゼントしようと思ってな。あと、数列の問題集も薄いやつを1冊買っていきたいしな」

 

 

「……そう。小町さんにも……ね」

 

 最後の「ね」の部分に異様に力こめて言う雪ノ下。

 

 そのジト目もやめろ。

 

 小町を口実にお前のプレゼントを買うだけだ。

 

 だいいちここ数日の間は冬期講習が終わったら晩までお前とずっと二人きりだっただろ。

 

 だから何とかしてお前へのプレゼントを買おうとしてこっちは必死なんだよ。

 

 

 初めての一緒に過ごすクリスマスイブなのに本人目の前にしてプレゼントを買うだとかいくらなんでも

興ざめだろ?

 

「まぁ、とにかくそんなわけだ。あと、ここ数日数学漬けで精神崩壊しそうだから一緒にあの紅茶飲んでいきたいしな」

 

 あの紅茶とはシャンパーニュロゼ - 俺と雪ノ下との距離がここまで近くなるきっかけとなった紅茶だ。

 

 2人であの紅茶をすすっているときの安らぎは格別なものがある。

 

 

「そ、そう……。それなら別に……」

 

 ちょっと拗ねていた雪ノ下の表情がパッと明るくなって赤味を帯びた。

 

 

 さて、雪ノ下へのプレゼントをどうやって気づかれないように買おうか。

 

 

 2人で100均に入ると自然と別の方向に向かって歩き出した。

 

 悲しいかなぼっちの習性だ。

 

 でも今日はそのほうが都合がよい。

 

 雪ノ下とは店のすぐ近くのベンチで待ち合わせするように約束している。

 

 さしもの雪ノ下もさすがに迷子になったりはしないだろう。

 

 きっと雪ノ下のことだから、穴が開くほどじーっと商品を見つめていたり、商品を引っ張ったり、ぐりぐりいじったりして強度を確かめていることだろう。

 

 

 ならば俺はスピード勝負だ。

 

 どうでもいいプレゼントなんか選ぶのに時間を費やす必要はない。

 

 それこそ人生の無駄遣いだ。

 

 スナック菓子とジュースとラッピング袋を手に取ってさっさと会計を済ませた。

 

 

 ここからがいよいよ本番だ。

 

 

 そうはいうものの、親が適当に選んで買ってきた服を着ている俺だ。

 

 ファッションセンスのかけらも持ち合わせていない。

 

 それにこじゃれた店に入ると場違いなパーティーに現れた勘違い野郎のような心境になってしまい人目が気になって落ち着かない。

 

 だから、そういう店には詳しくない。

 

 

 ここは自分の知っている数少ない店に行くしかない。

 

 

 そしてたどり着いたのは、雪ノ下にひざ掛けを買ってやったファッション小物の店だった。

 

 クリスマスイブの前日というだけあって下心と妄想をきれいな身なりで包み隠している男単体も何人かいたので、俺だけ浮くこともなさそうでちょっと安心した。

 

 

 自分のことを決して多く語ろうとしない雪ノ下の好みは相変わらずよくわからないが、ここ数週間長時間一緒に行動をともにした経験から、プレゼントしたら喜んでくれるであろうものが一つだけ浮かんだ。

 

 

 彼女の清楚なイメージに合うものを今度は時間をかけて探した。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 雪ノ下へのプレゼントと小町へのプレゼントを買った俺は雪ノ下との待ち合わせ場所へと向かった。

 

 あまたのカップルが前から後ろへと流れていく。

 

 いつもはこの時期になるとそれがものすごく嫌ですれ違ったカップルの数の分だけ卑屈になった。

 

 それは軽く煩悩の数を上回ってしまう。

 

 もはや除夜の鐘でも払拭できないレベルだ。

 

 それゆえにこの冬休み序盤は特に引きこもりになる時期であった。

 

 

 しかし、今はすがすがしい気分だ。

 

 夏休みは平塚先生と小町に騙されて連れていかれた千葉村の件でしか会っていないのに今はこうして

毎日雪ノ下と2人で濃密な時間を過ごすことができている。

 

 明後日で冬期講習も終わってしまうが、そのあとも毎日会うこと……いや、逢える気がする。

 

 

 雪ノ下とは相変わらず連絡先を教え合っていない仲だが、俺と雪ノ下を隔てる最後の1枚の壁ももうすぐ剥がすことができるだろう。

 

 

 待ち合わせのベンチに着いた。

 

 予想はしていたが、やはり雪ノ下はいなかった。

 

 相変わらず何を買うのか真剣に悩んでいるのだろう。

 

 ネタ的にやるだけのどうでもいいプレゼント交換なのに何をそんなに真剣になっているのだろうか。

 

 そんな雪ノ下の姿を想像してひとり笑いしてしまった。

 

 

 でも、いつでも真面目で一生懸命で馬鹿がつくほど正直で不器用な雪ノ下雪乃を俺は愛している。

 

 

 100均の中に入って端の棚の通路から順に雪ノ下の姿を探す。

 

 グレーのプラスチック製の買い物かごにはぽつぽつ物が入っている。

 

 

「プレゼントは選び終わったか?」

 

 背後から声をかけると雪ノ下はビクッと反応し、やや遅れて振り返った。

 

 

「……誰? びっくりするじゃない」

 

 俺の顔をしっかりと確認してからこんなことを言いやがる。

 

 

「いくら存在感がないからと言って俺を軽くなじるのはやめてくれない」

 

 

 ところで、雪ノ下はいったい何を選んでいたのだろうか?

 

 気になって買い物かごの中を覗こうとすると、キッと睨んで背中の後ろに隠した。

 

 かごの中にはA6番のミニ辞典が入っていた。

 

 表紙には「四字熟語」「類語」「慶弔」なんて書かれていた。

 

 いかにも雪ノ下らしい選択だ。

 

 

 祭りの縁日やら商店街のくじ引きでハズレが出ると残念賞を渡されることがある。

 

 その品物が自体が非常に残念なうえにそれが置き場に困るどうでもいい小物だったらさらに残念な気分になる。

 

 だから俺は仮に自分の選んだものが当たってもいいようにスナック菓子とジュースにした。

 

 これだと形も残らないし、おいしくいただける。

 

 超実用的かつ超現実的だ。

 

 

 俺は「四字熟語」「類語」「慶弔」といったこの手のことについては一応の常識を持ち合わせている。

 

 どうせなら著しく欠如しているであろう由比ヶ浜かうちの小町のところに行きますようにと切に願った。

 

 

「ところで、お前ラッピング袋持ってるか?」

 

 

「いいえ、人に贈り物をするなんてことはないから持ってないわ」

 

 なぜかもじもじしながらそう答える。

 

 

「ちょっとした小物が入るようなやつならさっき買ったからあとで1枚やるから。柄も全部違うから気にしなくても大丈夫だぞ」

 

 さり気なく気遣いを見せると雪ノ下は俺の言わんとしたことを理解したらしく、

 

「ええ、お言葉に甘えさせてもらうわ」

 

と目をそらしながら答えた。

 

 

 でも、そんな杞憂ももうじき終わる-

 

 

 雪ノ下は俺がそこまで考えていることに気付いていないかもしれないが。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 雪ノ下は買い物を終えると迷うことなくベンチに向かってきた。

 

 入店前に何度も位置確認をしたのが奏功したようだった。

 

 俺の隣に腰掛けると、ラッピング袋と付属品のリボン、シールを手渡した。

 

 

 あとは、数列の問題集を買って紅茶を飲んで今日の予定は終了だ。

 

 前回訪れたときに恥ずかしい思いをした書店に立ち寄った。

 

 数Ⅰの整数問題ばかり載っている問題集をこの前ここで買ったが、これがなかなか良かった。

 

 おかげで整数問題に抵抗なく取り組めるようになった。

 

 今回は迷うことなく同じシリーズの数列のものを購入した。

 

 たぶん、今後もこのシリーズを一冊ずつ潰しながら勉強していくことになるのだろう。

 

 

 今日は雪ノ下も自分用のものを探す余裕があるので、タウンページほどの分厚さのある赤本なんかをパラパラと見ている。

 

 そして、俺の選んだ物よりもはるかに難しそうな国公立理系数学と書かれた問題集を一冊選んだ。

 

 会計を終えると俺にとってもなじみになった紅茶専門店へ寄った。

 

 家でも勉強の合間に飲むようになったシャンパーニュロゼを2人で味わった。

 

 何の間違いがあってこうなったのか、2人で何度もこうしてカップを交えながら過ごしているのが不思議に感じる。

 

 

 きっとこれがごくごく自然で当たり前のことになったとしても、きっといつまでも不思議に感じ続けるのだろう。

 

 ティーカップの水面でゆらゆらと揺れる自分の顔を見ながらそんなことをいつまでも考えていた。

 

 

 そんな俺を見て何を思ったのだろうか?

 

 雪ノ下は終始穏やかな表情で俺の方を見つめていた。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 京葉線に乗車して家路へと向かう。

 

 今日は最初から雪ノ下とこうするつもりだったので、行きは自転車を使わずにバスを利用した。

 だから今日も雪ノ下と同じで駅で一緒に降りて家の前まで送っていくことができる。

 

 冬至も終わり日没が少し遅くなったとはいえ、相変わらず陽は短く車窓からは漆黒の空が見えた。

 暗闇に浮かぶ人工的な光が次々と左から右へと流れていく。

 

 もうそろそろ小町が腹を空かせて帰ってくる頃だろう。

 小町には昨日作ったカレーを温めておいてくれとメールした。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 楽しい時間というのはいつでもあっという間に終わりの時を迎えてしまう。

 

 

 俺と雪ノ下は今、京葉線に揺られて家路についている。

 

 俺は今朝、自転車ではなくバスで総武線の駅まで移動したので、帰りもこうして一緒に雪ノ下と2人隣り合わせに座わることができた。

 

 

 冬至を過ぎ日没が少し遅くなったとはいえ、相変わらず陽は短い。

 

 車窓からは黒一色となった空が見えた。

 

 そして、その暗闇に浮かぶ人工的な光が次々と左から右へと流れていく。

 

 

そろそろ腹を空かせた小町が家に着く頃だろう。

 

昨日は今日の帰りが遅くなることを考慮して予めカレーを大目に作っておいた。

 

小町にはそれを温めて食べるようにとメールした。

 

 

 雪ノ下には小町とメールをしたことを告げた以外には何も言葉を交わしていない。

 

 しかし、それだけでも満足である。

 

 ぼっちどうし、こうして適度な距離を保つことが何よりも心地よいのだ。

 

 

 いつまでもこんな時間が続いてほしい。

 

 

 そう願っているうちに無情にも電車は降車駅に到着した。

 

     ×   ×   ×   ×

 

 改札を抜け南口を出ると海からの風が吹き付けてきた。

 

 しかし、幸いにもそれはたった一度きりのことで辺りには海風の残した潮の香が漂っていた。

 

 

 やがてその香りも消えた。

 

 そんな時、雪ノ下の住む高層マンションの前に着いた。

 

 

「比企谷くん、今日も楽しかったわ」

 雪ノ下は満ち足りたような笑顔を湛えていた。

 

 

「雪ノ下、俺も楽しかった。それに数学も教えてくれてありがとな。また明後日教えてくれ……」

 

 俺はやっぱり雪ノ下の笑顔には弱い。

 恥ずかしくなって最後の方は目をそらしてしまった。

 

 

「……えっ!?」

 

 雪ノ下は一瞬固まった。

 

 そして、困惑の表情を浮かべている。

 

 

「ひ、比企谷くん……、そ、それってど、どういうことかしら……?」

 雪ノ下の声はだんだんとか細くなっていき、今にも泣きそうな表情をしている。

 

 

「雪ノ下、もしかして……お前勘違いしてないか?」

 

 

「……えっ!?」

 

 雪ノ下は涙を浮かべながら、きょとんとしている。

 

 

「明日はせっかくのクリスマスイブだろ……、だから……、みんなと落ち合うまでの間、お前と2人きりでデートし……」

 

 まだ言い終えぬうちに雪ノ下が俺の胸にいきなり飛び込んできた。

 

 そして、俺のコートの胸元を掴み、嗚咽を漏らし始めた。

 

 

 そんな雪ノ下を抱きしめると、コートを握る手がギュッと固くなった。

 

 

「雪ノ下、誤解させて悪かったな……」

 

 そう言いながら、きれいな黒髪を撫でてやった。

 

 

 しばらくすると嗚咽が止まった、と同時に雪ノ下の手から力が抜けてだらんと垂れ下がった。

 

 

 なおも甘えるように俺の胸に体を預けてくる雪ノ下を左手で抱きしめた、

 

 

 そして、雪ノ下の気が済むまでつややかな黒髪を右手で撫で続けてやったのであった。

 

     ×   ×   ×   × 

 

 12月24日、ついに訪れたクリスマスイブ当日。

 

 今日は雪ノ下雪乃とのデートだ。

 

 本当はまだデートという言葉を使うつもりではなかったが、雪ノ下の涙を見てしまっては致し方ない。

 

 

 まだか……、まだか…… と時間を気にして全く身の入らなかった冬期講習も4日目の日程を終了し、残すところあと1日となった。

 

 

 いつもは講義から解放された解放感からか教室内でだらだらとおしゃべりしている連中が多かったが、今日はそんな奴らでもそそくさと帰っていく姿が目につく。

 

 

 今日はクリスマスイブだもんな、……今まで俺にはろくな思い出がなかったけど。

 

 幼い頃くらいはあってもいいものだが、残念ながら俺にはない。

 

 うちの屑親父が「悪い子のところにサンタは来ない」とかぬかしやがってプレゼントを用意しなかったことがあった。

 

 あの時、母親があとから用意してくれたからいいものを俺は本気でサンタ狩りをしようと決意していたのだ。

 

 

 間違いなく今の俺の屑っぷりの大半はこの屑親父から施された英才教育のたまものだろう。

 

 

 こんな黒歴史も何とか今日で終止符を打ちたい。

 

 

 雪ノ下雪乃からもらった手編みのマフラーを首に巻き、帰り支度を始めた。

 

 コートを着てカバンを持ち上げると目の前を川崎が横切ろうとしていた。

 

 

「川崎、お疲れ」

 

 

「……今日も雪ノ下が待っているのか?」

 

 

「ああ」

 

 

「……じゃ、お幸せに」

 

 そっけなくこう述べると教室を出ていった。

 

 せっかくのクリスマスイブなのに家に帰ってから弟たちの面倒があって大変そうだな。

 

 心の中で川崎の背中にメリークリスマスと声をかけ、俺も教室を跡にした。

 

 

 予備校を出ると雪ノ下がいつものように目の前に立っていた。

 

 

「雪ノ下、待たせたな」

 

 

「私もさっき着いたばかりよ」

 

 弾んだ声でそうは言うものの、さっきガラス戸越しに手に息を吹きかけていたところを見てしまった。

 

 けっこうな時間待っていたようだ。

 

 

「ところで比企谷くん、今日はどこへ連れて行ってくれるのかしら?」

 

 幼な子のように目を輝かせながら雪ノ下は平静を装った口調で訊いてきた。

 

「誘った俺が言うのもなんだが、あまり期待するなよ」

 

 照れ隠しにこう答えるのが精いっぱいなくらい、雪ノ下の笑顔はとても眩しかった。

 

     ×   ×   ×   ×

 

「一応コースは考えてきたけど、どこか行きたいところはあるか?」

 

 

 南口のサイゼで食事しながら、雪ノ下と会話をしているところだ。

 

 しゃれた店で食事なんてことも考えたが、俺はまだ親に養われている身だ。

 

 分相応にサイゼに落ち着いた。

 

 

「まさかあなた、この私にこのあとの予定を全部丸投げする気ではないでしょうね」

 

 

 相変わらず雪ノ下は雪ノ下だ。

 

 ほんとこいつは、俺を罵ったり貶めたりすることにかけては天下一品だ。

 

 ……。天下って言葉を使うほど、俺と会話するような人間はいないけどな。

 

 雪ノ下以外に家族と戸塚、平塚先生、由比ヶ浜、…… このくらいか。

 

 

 もう一人顔が浮かんだのだが、今にも「けぷこん、けぶこん……」と得体のしれない咳払いをしながら現れそうなので、禁断の5文字(奴の名前)を脳内で変換しないように努めた。

 

 

「どこをどうやって聞き間違えたらそういう風になるんだよ。お前の耳は腐っているのか?」

 

 

「目と頭と心根が腐っているあなたには言われたくないわ」

 

 さり気なく腐っているパーツを増量して俺のことを罵倒してきやがる。

 

 その増えた分って、まさかクリスマスプレゼントだったりするの?

 

 熨斗つけてお返ししたいんですけど。

 

 

「全部ネタばらしをするつもりはないが、このあとボウリングに行こうと思っている。嫌だったら予約

取り消すけど」

 

 

「いいえ、嫌じゃないわ。この前あなたといった時……、その、楽しかったから……」

 

 俯き加減にぼそぼそ答える雪ノ下。

 

 そういえばこいつってこないだ初めてボウリングしたのに2ゲーム目で168なんてスコアを出したよな。

 

 楽しいんだったらもっとはっきり言えばいいのにどうしたんだこいつは? 

 

 そんなことを思っていると、まだ何かぼそぼそとをつぶやいていた。

 

 

「……それに、比企谷くんに……あんなこと言われたし……」

 

 

 えっ、俺がどうしたって?

 

 完全に俯いたうえに消え入る声でつぶやく雪ノ下が何を言っているのかほとんど聞き取れない。

 

 

 そんな雪ノ下の耳は暑いくらいきき過ぎた暖房のせいか真っ赤に染まっていた。

 

 

 腹ごしらえをした後、雪ノ下も所望していたボウリング場にやって来た。

 

 これからゲームを始めるところだ。

 

 やはりレーンを予約しておいて正解だった。

 

 フロント周辺には順番待ちのグループやカップルで溢れかえっていた。

 

 予約していなければ軽く1時間は待たされていたことだろう。

 

 

 さて、何ゲームしようか。

 

 今晩はクリスマスパーティーと称したどんちゃん騒ぎがある。

 

 雪ノ下の体力を考えると2ゲームプレーするのが妥当な線だろう。

 

 

 雪ノ下に2ゲームでいいかと尋ねると、

 

 

「比企谷くんの誘いなのだから、あなたの好きなようにしていいわよ」

 

 

と天使のような笑顔で答えてくれた。

 

 

 クリスマス補正がかかっているせいか雪ノ下がめちゃくちゃかわいい。

 

 とにかくかわいい。

 

 

 それになんだって?

 

「あなたの好きなようにしていいわよ」だって!?

 

 2人きりのシチュエーションで言われたら、八幡大暴れしちゃうよ!

 

 

 すっかりムフフな妄想に悦に入っていると目の前に殺気に満ちた目をした雪ノ下が立ちはだかっていた。

 

 そして、俺の頭上には雪ノ下が選んだ9ポンドのボールが静かに落下の時を待っていた。

 

 

「今度その下卑た妄想をしたら、この手を放すわよ……」

 

 

 このとき、俺のまぶたの裏には過去のトラウマの数々の走馬灯が映し出されていた。

 

    ×   ×   ×   ×

 

「雪ノ下、悪い、待たせたな」

 

 2人分の瓶コーラを買って席に戻ってきた。

 

 ボウリングといえば、瓶コーラ、これ定番。

 

 

 俺がいない間に雪ノ下は名前を登録していたようで、頭上のモニターに2人分の名前の入ったスコア表が表示されていた。

 

 なんとなく予想はついたが、俺の名前は「HACHIMAN」とちゃっかり下の名前で登録されていた。

 

 雪ノ下の方を向くと頬を染めてそっぽを向いた。

 

 そんなに呼びたきゃ、もう呼べよ。

 

 お前には前科があるしな。

 

 

 でも俺は口が裂けても……、ゆ、雪乃なんて呼べないけどな……。

 

 なんか怖くて……。

 

 

 さて、ゲーム開始だ。

 

 雪ノ下は今回は勝負なしで楽しみたいとサイゼからの道すがらに言っていたが、多分こいつの性格上無理だろう。

 

 でも、俺はどんな時も手加減なしで本気で全力を出すまっすぐな雪ノ下のそんなところにあこがれるし、好きである。

 

 

 まずは、俺の投球からだ。

 

 調子に乗って要らないスピンをかけてしまった。

 

 あーこりゃ、スプリットだわ。

 

 無残にも最後列の両端にある7番と10番ピンだけが残ってしまった。

 

 

 雪ノ下の方へ振り返り、お手上げのポーズをとる。

 

 それでも何とか7番ピンだけは取っておきたい。

 

 サクサクと終わらせようとコンベアから戻ってくるボールを取ってレーンに向かおうとすると、後ろから雪ノ下に声を掛けられた。

 

 

「比企谷くん、待って……」

 

 振り返ると雪ノ下は、顎に手をやって思案している。

 

 なんだこいつは?

 

 

「このピンの並びの攻略法が浮かびそうなの……」

 

 ウンウン頷きながら唸りそうな勢いで、必死に考え込む雪ノ下が面白くてたまらない。

 

 吹き出しそうなの必死にこらえて観察した。

 

 

 - なぁ、雪ノ下……。

 

   この7-10ってのはな、スプリットの中でも最も難しい部類でな、プロでも年間10人と成功しない

 

  型なんだぜ。

 

   素人技でどうにかなるもんじゃないんだぞ。

 

 

 心の中でこの物理学者様かはたまた名探偵殿にこう語りかけ、結論を出すまで生暖かく見守ってやったのだった。

 

    ×   ×   ×   ×

 

 雪ノ下は今日も絶好調だった。

 

 初っ端からターキーを出した。

 

 そのため、順番待ちの客からの注目の的となっていた。

 

 

 ターキーもさることながら、雪ノ下の見目の良さと華やかさも大きい。

 

 しかも、困ったことに俺も注目されるポイントになっていた。

 

 

「なんであんな腐った魚の目をした奴が彼氏なんだ」

 

 モブたちのそんな声や視線が突き刺さってくる。

 

 とんだとばっちりだ。

 

 

「雪ノ下、一つ聞いていいか?」

 

 

「ええ」

 

 

「なんでお前、俺の膝の上にまで膝掛けを掛けるの?」

 

 しかも、肩に寄りかかってきている。

 

 

「……デ、デートなんだからいいでしょ……」

 

 こら、上目づかいで見るな。

 

 恥ずかしすぎて直視できないだろ。

 

 

 目をそらすと、ジトっとしたモブ連中の視線が集まっていた。

 

 確かにデートなんだけどな。

 

 

 雪ノ下とデートをすれば、このように悪意のある視線を感じることくらい予想はできる。

 

 そんなことはとっくに織り込み済みなので、覚悟もしている。

 

 でも、膝掛けまではちょっとやり過ぎじゃないか。

 

 ……。

 

 雪ノ下の目が潤み始めた。

 

 女の涙って、ずるいよな……。

 

「わ、わかった。デートだもんな……。だから、そんな目をしないでくれ」

 

 雪ノ下はにこっとすると、肩にもたれかかったまま両手で俺の二の腕袖をぎゅっと掴む。

 

 はぁー……。

 

 恋する乙女ってすげえなぁ……。

 

 

 ガゴンッと雪ノ下のボールがコンベアで戻ってきた。

 

ようやく、俺は雪ノ下の密着攻撃から解放された。

 

    ×   ×   ×   × 

 

 苦悶の1ゲーム目が終わった。

 

 

 俺のスコアは92。

 

 対する雪ノ下は172。

 

 何この大差……。

 

 高校野球の地区予選だったら5回コールドになっているようなレベルだ。

 

 

 小町と行くときは、「お兄ちゃん、女の子と勝負するときはハンデ20あげるものなんだよ」と

 

言われ、いつも小町のスコアに20プラスして勝負している。

 

 この補正をかけてしまうと192になる。

 

 ちなみに俺の最高スコアは184だ。

 

 俺は今ボウリング経験2回目にしてこんなスコアをたたき出す化け物と一緒にプレーをしている。

 

 前回と違って今日は少々気分が悪い。

 

 

 別にこの実力差に辟易としているわけではない。

 

 ましてや雪ノ下の密着攻撃のせいにするつもりはない。

 

 

 順番待ちのモブどもがウザい。

 

 とにかくウザすぎるのだ。

 

 

 これから2ゲーム目を始めるところだ。

 

 

 それにしてもモブ連中がウザすぎる。

 

 雪ノ下と不釣合いの俺を嗤うのは別にかまわない。

 

 しかし、雪ノ下にそれが向けられるのなら俺は赦さない。

 

 

 なら、やるべきことはただ一つ。

 

 

「なぁ、雪ノ下……」

 

 

「な、何……」

 

 いつになく真剣な表情の俺に驚く雪ノ下。

 

 

「この前ここに来た時、俺が言ったこと覚えているか?」

 

 

「え、ええ……」

 

 雪ノ下は急に紅潮し、目をそらす。

 

 

「今から俺の本気を見せるから……。だから、一瞬たりとも俺から目を離すなよ」

 

 

「え、ええ……。わ、私は……この前から……ずっとそのつもりで……いるの……だけれど」

 

 もはや何を言っているのかよくわからない。

 

 

 普段腐った目をして、腐ったことを考えて、ただ腐っているだけの奴がこんなこといきなり言い出したら驚いてしまうのはわけがない。

 

 

 自分でもわかっている。

 

 自分に好意を寄せている人間が、その自分が傷つけられているのを見るのを良しとしないことを……。

 

 

 俺は今までぼっちをやって来た人間だ。

 

 ぼっちたるがゆえに自分のことを自分で守ってきた。

 

 

 惨めな思いをしないようにそりゃ懸命だったさ。

 

 学校では教室移動の情報でさえ、誰も知らせてくれないんだからな……。

 

 

 でも、ぼっちからふたりぼっちになった今、守るべきものができた。

 

 

 …… じゃあ、その懸命さを振り向ける先をちょっと変えればいいだけじゃないか。

 

 

「さぁ、2ゲーム目始めるか?」

 

 

「ええ」

 

 やっぱり目を合わせてくれない。

 

 

「……せめて笑顔で送り出してくれないか」

 

 雪ノ下は目を合わすと上気した顔がさらに一段階赤くなってしまった。

 

 耳まで変色したのがよくわかる。

 

 

「ひ、比企谷くん……………………、そ、そ、そんな目で……」

 

 ああ、自分でもわかるさ。

 

 今の俺は腐った目をしていないことくらい。

 

    ×   ×   ×   × 

 

 ボウリングを終えて京成津田沼駅へと向かう。

 

 雪ノ下は放心状態で俺のコートの右腕の裾を掴んで引きずられるように歩いている。

 

 

 2ゲーム目は完全に俺の勝利だった。

 

 別に雪ノ下に勝利したわけではない。

 

 今日は雪ノ下とは勝負をしないで楽しもうと話していたしな。

 

 ただ、俺に敵意や蔑みを向けていた順番待ちのモブどもを沈黙させたのだ。

 

 

 でも、そんなことはどうでもいいや……。

 

 

 2ゲーム目のスコアは243。

 

 1フレから7連続ストライクを出したのだ。

 

 

 ターキーまでは冷ややかな目で見られていたが、フォースからは「オオー!」なんて声が聞こえるようになった。

 

 フィフス、……その次は何て言うんだ?

 

 今まで出したことないから……。

 

 

 とにかく6回目、7回目と回を重ねる連れて、俺の投球のときにシーンと静まり返って、咳一つ許されないような雰囲気になった。

 

 8フレで7番ピン、10番ピンが残るとんでもないスプリットが出てしまっても静まり返っていた。

 

 当然取れるわけもないのにだ。

 

 2投目で10番ピンが1本残った時にようやく「アー……」って声が上がったくらいだ。

 

 

 9フレと10フレの2投目でスペアをとって233。

 

 ストライクが出なくなってしまったので、少し熱気は冷めてきたが、最後の3投目でストライクを出して243。

 

 さっきまで敵だった連中から拍手が沸き起こった。

 

 

 スケールはあまりにも些末で矮小なことかもしれないが、雪ノ下が初対面で言っていた「人ごと世界を変える」とはこんなことかもしれない。

 

 

 俺と雪ノ下の勝利だと思っていたが、今はそんなことはどうでもいい。

 

 誰が誰に勝ったなんてあまりも些末なことだ。

 

 

 人ごと世界が変わったら、こんなちっぽけなことなんてどうでもよくなるのだから……。

 

 

 雪ノ下がまた遅れだした。

 

 俺の袖口が強く引かれる。

 

 

「ほら、雪ノ下……、のんびり歩いていると置いていくぞ……」

 

 そんな言葉とは裏腹に、雪ノ下の華奢な左手を掴む。

 

 そして、掴んだ手を今度は握りなおした。

 

 すると、握り返されたかと思うと俺の右側に雪ノ下の姿が捉えられるようになった。

 

 

 お前、道端に落ちている小銭でも探しているのか?

 

 ちょっとは俺の方を見ろよ。

 

 

 心の中で苦笑していると、ようやく雪ノ下のはにかんだ笑顔がこっちに向けられた。

 

 

 - おかえり、雪ノ下……。お前はすぐ迷子になるんだから、いつもそこにいろよ……。

 

    ×   ×   ×   × 

 

 冬休みに入ってから俺のぼっちスキルが著しく低下していることにようやく気づいた。

 

 いや、気づくのが遅かった。

 

 駅の改札口が目に入るその瞬間まで、全く気づかなかった。

 

 

 その時、俺は雪ノ下雪乃と手を繋いでいた。

 

 しかも、自分から繋いでいたのだ。

 

 さっきは無意識に繋いでしまったとはいえ、ものすごく後悔している。

 

 

 まさに「その時歴史が動いた」だ。

 

 殿の末裔に重厚かつ渋い声で

 

 

「いよいよ今日のその時がやって参ります……」

 

なんて言われちゃうくらい俺にとっては重苦しい決断を今迫られているのだ。

 

 

「……今夜も最期までご覧頂きありがとうございました」

 

 ちょっと……、おい待ってくれ……。

 

 終わらないでくれ……。

 

 まだ解を出していないのに、そのまま黒歴史の荒波に飲み込まれていってしまうの?

 

 

 それに「最期」ってなに?

 

 「最後」じゃないの?

 

 いや、どっちも困るんだけど……。

 

 

 あの壮大かつ悲壮感漂うエンディングテーマが俺の頭の中ですでに流れ始めていた。

 

 

 改札はどんなリア充だって一瞬ぼっちにならざるを得ないエリアだ。

 

 ……ちょっと言い過ぎか。

 

 手をつないだまま改札をくぐるカップルもいないことはないが、たいていはここで手を放す。

 

 

 そして、そのあとは……。

 

 

 そのあとはどうしようものか、俺……。

 

 改札機と自分の右手とを思わず見比べてしまう。

 

 

 そんな俺の気配に気づいた雪ノ下はまた急に俯き始めた。

 

 雪ノ下の耳の色がみるみる紅潮していく。

 

 

 雪ノ下雪乃もまた、その時、同様にどうしようものか迷い始めたようだ。

 

 

 解を見いだせないまま、とうとう改札口の前にやってきてしまった。

 

 いっそのことこのまま手をつないだまま行ってしまおうか……。

 

 

 あっ……! 俺の財布はコートの右ポケットの中だ……。

 

 これは必然的に手を離さなければならない。

 

 そのあとのことはまだ考えていない。

 

 繋ぐべきか、繋がざるべきか、そこが問題だ……。

 

 

 結局、解は見つからないままタイムアップを迎えてしまった。

 

 

 ピピッ……。

 

 改札にかざした財布の中でペンギンさんが皮肉たっぷりなことに愉快な声でさえずってくれる。

 

 

 ピピッ……。

 

 

 雪ノ下のパスケースの中のペンギンさんまでも後ろでさえずってしまった。

 

 

 嗚呼…… どうしよう……。

 

 いつもの腐った目に戻りかけたその時、俺の袖口がギュッと引っ張られる。

 

 

 振り返ると俯いた雪ノ下が袖口をつまんだまま腕を伸ばしている。

 

 ありがとよ、ユキペディアさん改め知恵袋さん。

 

 お前にベストアンサーをあげるわ。

 

 

 雪ノ下の小さな手を掴んで、握り直して、キュッと握り返され……。

 

 

 そんなことをして、ふたり並んでホームへと向かっていったのだった。

 

 

 ホームに着くとちょうど電車が入線してきた。

 

 せっかくの好タイミングだが、どうも乗る気がしない。

 

 雪ノ下の手を引き、ベンチに向かった。

 

 腰かけると手が離れた。

 

 やっぱりドキドキしてしまうのだが、雪ノ下に向かって膝を寄せていく。

 

 雪ノ下は「よくできました」って感じでニコッと笑って、トートバッグから取り出した膝掛けをいつものように被せてくる。

 

 

 その雪ノ下は再びトートバッグに手を入れる。

 

 なんかいい道具でも出してくれるの、ユキえもんさん?

 

 

「へっ……!?」

 

 白いトートバッグから出てきたのは、魔法瓶と取っ手付きの紙コップ。

 

 素早く取っ手を組み立てた雪ノ下は紙コップに紅茶を注ぎ始める。

 

 

 この香りは、シャンパーニュロゼ……。

 

 駅のホームで俺たち何をしてんだか…… と思いつつも、その香りに心地よさを感じる。

 

 

「はい、比企谷くん」

 

 弾んだ声といたずらっぽい笑みで饗された特別な紅茶。

 

 このシチュエーションだけでもう飲む前からお腹いっぱいになってしまいそう。

 

 でも、せっかく雪ノ下が用意してくれたのだからいただこう。

 

 

 これ遠足か? ピクニックか? なんてことを思いながらも、顔をほころばせながらしばしのティータイムを楽しんだ。

 

    ×   ×   ×   × 

 

「さて、比企谷くん、今度はどこに連れて行ってくれるのかしら?」

 

 ひとときのティータイムを終え、小首を傾げながらにこやかに尋ねてくる雪ノ下。

 

 その小首かしげるのやめてくれない。

 

 俺はその仕草に弱いんだけど。

 

 

「……。いや実は……」

 

 なんとも歯切れの悪い答えとか言えない。

 

 

「……どうしたの?」

 

 

 笑顔で小首を傾げながら尋ねてくる。

 

 しかし、目は笑っていない。

 

 あのー、雪ノ下さん……、小首をかしげても全然可愛くないんですけど。

 

 いや、むしろ怖い、怖すぎる。

 

 

「ど・う・し・た・の?」

 

 やっぱり小首をかしげたままの雪ノ下だが、その口調とこの仕草は見事にミスマッチだ。

 

 とにかく怖ぇーよ、あと怖い。

 

 

「あのな、雪ノ下……。そうやって小首を傾げたらいつでも可愛いく見えると思うなよ。

今のは怖い……。……むしろその仕草がトラウマになりそうだ」

 

 

 急に雪ノ下がしゅんとなった。

 

 

「実は、このあと喫茶店に行こう思ってたんだ……」

 

 雪ノ下はさらにダメージを受ける。

 

 お前のメンタルどれだけ弱いんだよ。

 

 普段お前の言っていることに比べりゃ、天と地の差だぜ。

 

 ちょっと待て、今なんてひどいことなんて一つも言っていないよな。

 

 

「今日はクリスマスイブだろ。だからケーキでもって……思ってな」

 

 家に帰ればケーキがあるけど、せっかくだから雪ノ下と食べたいのが人情だ。

 

 ところで、こいつはケーキどうしてんだ?

 

 ケーキ作るくらい造作ないけど、まさか一人でホールケーキとか食ってないよな?

 

 

「……紅茶余計だったかしら?」

 

 雪ノ下は泣きそうな声でブツブツ言っている。

 

 そんなわけあるもんか。

 

 俺はわざわざ家用にシャンパーニュロゼを買ったくらいだぞ。

 

 えっと……、勉強に疲れた時だな……、お、お前のことを思い出しながら飲むのに……。

 

 は、恥ずかしくなってきた。

 

 ……って、今はそんな場合じゃない。

 

 

「なぁ、雪ノ下……」

 俺はニヤッとしながらこう言うと、雪ノ下は涙目をこちらへ向ける。

 

 

「……俺にいい考えがある」

 

 雪ノ下はくすっと笑いながら、小首をかしげる

 

 

「あら比企谷くん、その腐った目で私を見ないでもらえるかしら……」

 

 目はウルウルしているが、しっかり元の雪ノ下に戻ってくれた。

 

 

「またろくでもないことを考えているようだけど……、その目を見るとなぜか頼もしく思えてしまうのが悲しいわ」

 

 

雪乃「比企谷くんの誘いなのだから….あなたの好きなようにしていいわよ」3/4【俺ガイルss/アニメss】 - アニメssリーディングパーク

 

 

 

 

 

 

元スレ

雪ノ下「比企谷君、今からティーカップを買いに行かない?」

https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1377016024/