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おすすめSSを当ブログで再編集して読みやすく紹介! 引用・リンクフリーです

雪乃「さあ、三日月さん。あなたのその腐った性根を叩き直してあげるわ」 夜空「……はっ、やってみろ」3/4【俺ガイルss/はがないss】

 

やがて、非常口に着く。

 

黒髪鬱美人はぺいっと放り出され、すぐに扉の向こうに消えた。

 

……彼女は犠牲になったが、そのおかげで重要なことがわかった。

 

恐らくこの迷路を脱出するにあたって、最も重要なことが。

 

 

得た情報を整理しよう。

 

一つ、この迷路は神話をモチーフにしている。

 

一つ、英雄テセウスミノタウロスの討伐に向かうところまでは神話と同じ。

 

よって、テセウスアリアドネの糸を所持していたことは確定的である。

 

ここまでは全員が事前に説明を受けている。

 

ちゃんと聞いてさえいれば、誰でもわかることだ。

 

これに俺が迷路内で得た情報を合わせて検証を進めよう。

 

例の小部屋の文字によると、テセウスは敗れた。

 

死体すら無く、残されたのは血まみれの服と折れた剣のみ。

 

だが化物は何かを隠し持っている様子はない。

 

にもかかわらず、ゴール出来たグループが存在する。

 

以上のことから、一つの結論と一つの脱出方法が導き出される。

 

今更ながらに、高山ケイトが雪ノ下と黒髪鬱美人、ひいては俺たちに言った「ごゆっくり」の意味を悟る。

 

……全く、これを考えた奴はなんて性格の悪さだ。

 

まあいい。

 

検証は終わりだ。次は行動に移そう。

 

もはや当初の作戦になんの意味もない。

 

まずは由比ヶ浜や雪ノ下――可能であれば両方――と合流しなければ話にもならない。

 

逆に言えば、合流さえすればなんとかなる。

 

あいつらには、この迷路をクリアした5グループ目になってもらおう。

 

 

さて、どう合流したものか。

 

方法はいくつか思いつくがどれも実行したいものではない。

 

やはり場当たり的に走り回るしかないだろう。

 

あいつらが捕まってしまったらその時点で詰みだ。

 

出来るだけ急いだ方が良い。

 

得も言われぬ焦燥感に迫られつつ迷路を走る。

 

化物から離れる方向には進んでいるつもりだが、どこでどう繋がっているかわからないのが迷路だ。

 

安心は出来るはずもない。

 

直線は走り、角では立ち止まり耳を澄ますという行動を繰り返す。

 

奴の防具が鳴る音で彼我の距離は確認できるはずだ。

 

この点ひとつをとってもこの迷路はゴールできるように配慮されていることがわかる。

 

あの音は回避する際にも見つけ出す際にも有益な要素だろう。

 

精神的な疲労に加え普段の引きこもり系運動不足がたたり、すぐに息が上がってしまう。

 

広くもない通路で男が独りはぁはぁしているのは非常に気味が悪い。

 

海老名さん的な理由でのはご勘弁願いたいが、はぁはぁして許されるのは女の子だけ。

 

しかし全力坂は制作者の煩悩と下心が透けて見えてるから気持ち悪い。

 

「お前らこういうの好きだろ?」的な感じがとても腹立たしくちくしょう大好きだぜ。

 

高校生の頭の中の8割はエロい事でいっぱいなのです。

 

ちなみに中学生だとほぼ10割。

 

胸に手を当てて自分の過去を思い返して欲しい。

 

ちなみに『胸に手を当て』の部分に反応したあなたはまだまだ中学生でも通用します。通報します。

 

警戒しつつもなんとか息を整えようとしていると、ふと一つの疑問が頭をよぎる。

 

なぜこうも負けないように頑張っているのか?

 

俺はそこまで負けず嫌いではなかったはずだ。

 

というか千葉愛と妹愛についてを除いて言えば勝敗自体にあまり興味がない、はずだ。

 

無性にもやもやする疑問だったが、結論が出る前に突如思考を中断させる声が響く。

 

「あっ、無事だったんだ!? 良かったぁ」

 

声のした方を見れば、壁に右手をついている由比ヶ浜がいた。

 

「なんとかな。お前こそ……」

 

無事で良かった。

 

なんて言えるかコノヤロウ。

 

思わず口を衝きそうなった言葉をギリギリで飲み込む。

 

由比ヶ浜は「ん?」と首を傾げていたが、やがてにへらと相好を崩す。

 

……由比ヶ浜といい雪ノ下といい、なんか俺の内心筒抜け過ぎないですかね。

 

もうちょっと筒隠した方が良いかもな。半分くらいなら月子ちゃんに本音をあげたいくらいだぜ。

 

月子ちゃん月子ちゃん、俺の後輩になってくれない?ハァハァ

 

え? そういう本音じゃないって?

 

知るかよ!

 

……まぁ、あれだ。作戦の面から見ても無事で良かったのは本当なのでそういう事で。

 

「ねえ、ミノタウロスは見た?」

 

「見たと言えば見たな」

 

「あたしも見たけど、アレ超怖いよね……」

 

由比ヶ浜の台詞に反応したわけでもないだろうが、そこでタイミング良く化物の雄叫びが聞こえた。

 

俺も由比ヶ浜もびくっとしてそちらの方向を見る。

 

「誰か追われてるみたいだな」

 

「そうだね……ゆきのん無事かなぁ」

 

「わからん。まだ捕まってなかったとしてもそろそろまずいだろうな。一度会ったんだがそんとき追いかけられて体力尽きかけてたっぽいし」

 

「そっか、心配だなぁ……。でも、別々に行動した方が勝つ確率高いんだよね……?」

 

「まあ確かにそんな話をしたな。けどそれはあくまで入る前の話であって、今は状況が違う」

 

「じゃ、じゃあ一緒にいてもいいの?」

 

「当然だ。むしろその方が都合が良い」

 

まさに当然だ。作戦云々は置いておくにしてもこんな無意味な勝負さえなければ由比ヶ浜と雪ノ下が離れることはなかった。

 

そもそも別行動している事自体がおかしいのだ。

 

ここの迷路も由比ヶ浜あたりが入りたいと言い、なぜか自信満々の雪ノ下が先導してひたすら迷い、化物に出くわしては逃げ惑うという流れになるのが想像できる。

 

こんな灰色一色の精神空間でもきっとあの二人は楽しめていただろう。

 

それなのに今こいつらは別々に迷っている。

 

本来そうなるはずだった形と異なり、今が間違っているのなら、そんな意味のない事はさっさと終わらせるべきだ。

 

少なくとも俺は、俺はそう思う。

 

「と、当然なんだ……。そか、そっか」

 

何かを勘違いしているのかしていないのか、由比ヶ浜は照れた様子でしきりに手をもじもじさせている。

 

「そりゃ、お前と雪ノ下は友達なんだから一緒に遊んでても別におかしくはないだろ」

 

「へっ? あ……そ、そーだよ! あたしはゆきのんの友達だもん!」

 

慌ててわたわたし始め、大声で誤魔化す由比ヶ浜

 

……うん、こいつ本当にわかりやすいなぁ。

 

まず表情に出過ぎ。次いで態度が感情を子細に説明する。

 

驚異のエアリードスキルを持っている割に感情だだ漏れ過ぎだろ。

 

爽やか王子に建前分けてもらえよ。

 

いや奉仕部に入る前のあのうすっぺらな笑みを浮かべていた当時に比べれば、こっちの方が断然魅力的なんだけどな。

 

やだ私ったら何考えてるのかしら! 破廉恥な!

 

……本当に何考えてんだ、俺。

 

「ヒッキーすごい!」

 

とりあえず得た情報と、一部は省略してあるがそれに基づく脱出案を伝えた後の、由比ヶ浜の第一声である。

 

そうだろうそうだろうすごいだろう。もっと褒めてもいいんだぜ!

 

なんてのは嘘です気恥ずかしくてドギマギしてマドマギしちゃうのでやめて下さい。なにそれ絶望しちゃう。

 

無視されたり罵倒されたりは慣れてるけど褒められるのは年に数えるほどしかない。

 

もっとあるかもしれないが、褒めそやす由比ヶ浜とセットでいる奴がその数十倍、いや数百倍の勢いで馬鹿にしてくるので俺の記憶領域を圧迫している。

 

だから俺が解き明かした攻略方法を説明する瞬間が待ち遠しくて仕方ない。

 

奴のぐぬぬ顔が楽しみだぜ!

 

「国語は学年3位って言ってたけど、ホントに頭良かったんだね!」

 

「お前まだそれ疑ってたのかよ……」

 

由比ヶ浜にジト目を向けていると、ポツリ、ポツリと雨が降ってきた。

 

ほとんど気にならない程度ではあるが、大降りになったら大変なことになる。

 

なにせこの迷路には屋根がない。

 

いくら今日は暖かいと言っても冬を目前に控えた時分だ。最悪風邪を引きかねない。

 

そう思ったところで、スピーカーが出すノイズが聞こえた。

 

『本日はMinotaurosにお越し頂きありがとうございます。雨が降ってきましたが、強くなるようなら当施設は一時閉鎖となります。その場合、係の者が即座に迎えに行きますので、その場を動かずにお待ち下さい』

 

どこからともなく聞こえてきた放送は同じ内容を繰り返してプツリと途絶える。

 

まずいな……時間制限が出来てしまったか……。

 

「とにかく雪ノ下を捜すぞ」

 

「でも、捜すって言ってもどうするの? ゆきのんのケータイはバッテリー切れだから繋がんないし」

 

「いや繋がってもどうにもならないだろ……。まあ、方法が無いわけでもないが……」

 

「じゃあそれやろうよ! きっとゆきのん一人で不安だろうし!」

 

「よし。じゃあ由比ヶ浜、叫べ」

 

「えぇっ!? なんで急に!?」

 

「目印が無く連絡手段もない以上、声で位置を確認し合うのが一番簡単で確実だ」

 

コマメちゃん的に言えば『イルカの気持ちになってお互いの距離と気持ちを確かめ合うの!』だ。

 

「や、なんか恥ずかしいし他の方法はないの?」

 

「恥ずかしくなんて無いぞ。他の方法はあるかもしれないが、俺はこれ以外思い付かない」

 

「で、でもなんて叫べばいいの?」

 

「なんでもいい。『うわーん助けてゆきえもーん!』でもいいし、『教えてユキペディアさん!』でもアリだ」

 

「どっちもナシだよ! ってかヒッキーがやっても変わんないじゃん? 思い付いてたんならヒッキーやってよ」

 

「馬鹿を言うな。仮に俺が雪ノ下を呼んでもあいつはむしろ遠ざかるだろ」

 

「確かにそれはそうだけど……」

 

叫ぶのは余程恥ずかしいのか、必死に食い下がる由比ヶ浜

 

確かに、他人に叫べって言われる事なんてほとんど無いだろうからな。

 

気持ちはわからんでもないが、こいつにはやってもらわなければならない。

 

だって俺だって恥ずかしいし。

 

「うぅー、わかった……。あたし、やるよ」

 

無言で見つめ続けていると、ようやく由比ヶ浜が折れた。

 

「普通に『ゆきのん』でいいよね?」

 

「ああ、いいんじゃね?」

 

「じゃ、じゃあ……」

 

由比ヶ浜くるりと背を向けると、大きく深呼吸する。

 

そして胸を反らして一際大きく息を吸い込み、今まさに叫ばんとする。

 

「ゆk

 

「恥ずかしいからやめなさい」

 

突然現れた雪ノ下に出鼻をくじかれた由比ヶ浜がむせ込む。

 

その背中をさすりながら詰問の視線を向けてくる雪ノ下。

 

「全く……あなたは由比ヶ浜さんに何をさせているのかしら」

 

「とりあえずお前と合流しようと思ってな。正直、聞いてるこっちも恥ずかしそうだから今来てくれて助かったぞ」

 

「やっぱ恥ずかしいって思ってたんじゃん!」

 

おっと、バレてしまったか。てへぺろすれば許してもらえるかな?

 

由比ヶ浜さんも、あの男の口車に乗せられては駄目よ。一度目でも十分恥ずかしかったのだから」

 

そう言う雪ノ下の方こそ恥ずかしそう、というか照れた様子をしている。

 

「え? 一度目って?」

 

突然の雪ノ下の台詞に由比ヶ浜は目をぱちくりさせていた。

 

……あぁ、由比ヶ浜が誤魔化しついでに言ったあの台詞か。その声を頼りにここまで来たってことか。

 

 

雪ノ下にも先程由比ヶ浜にしたのと同じ説明をする。

 

彼女は時折口を挟みたそうにしていたものの最後まで黙って聞いていた。ちなみにぐぬぬ顔はしていない。

 

「ってな感じで、これが成功すればこの灰色空間ともおさらば出来る訳だ」

 

「確かに、成功すれば脱出は可能でしょうね。もっとも、比企谷くんが灰色の人生から脱出するのは不可能でしょうけれど」

 

「おい雪ノ下、一体いつから俺の人生の話になったんだ?」

 

「いえ、ふと思っただけだから気にしなくていいわ」

 

「ならそういうことは心の中だけにしておけよ……。大体、灰色の人生がつまらないものだなんてのは間違いなんだよ」

 

「でもその表現は雑誌とかであたしもよく見かけるけど? 『灰色からバラ色に変身しちゃおう!』とか」

 

「だからその、灰色=悪でバラ色=善っていう認識が間違ってるんだよ。いいか? そもそも灰色ってのは良い色なんだ。ハイイロオオカミやハイイログマは生態系の頂点だし、灰色の脳細胞はどんな難事件でも立ち所に解決しちゃうし、シンデレラに至っては説明不要だ。つまり灰色の人生を歩む俺は力強く聡明で健気であり、しかも大きな幸福を得られる道を歩んでいる事になる!」

 

「ねえねえゆきのん、灰色とシンデレラって何の関係があるの?」

 

「日本では灰かぶり姫と呼ばれる事もあるのよ」

 

「へー、さすがゆきのんもの知りだね。じゃあアリエルは日本だとなんて言うの?」

 

「デスティニー作品の事を言っているのなら、人魚姫でしょう?」

 

「あ、そっかぁ! うっかりしてたよ!」

 

「もう……ちゃんと考えてから発言しなさい。……私がいるところならいいけれど」

 

「ゆきのん……」

 

……。

 

なにこの放置プレイ。一分の隙もない完璧な灰色な俺カッコイイ理論の話題はどこに行ったんだよ。

 

ただの屁理屈だけど。

 

まあ経緯はともかくこれで全員揃う事ができ、ついに脱出の為の条件がそろった。

 

雨も降りそうだし、さっさと化物の追跡を始めよう。

 

 

「そろそろいいか? 雨が降ってきたらまずいだろ」

 

未だにイチャコラしている二人に言う。

 

由比ヶ浜はハッとしてから恥ずかしそうに顔を俯かせ、雪ノ下は邪魔すんなというかのような視線を向けてくる。

 

なんかごめんなさい俺みたいな端役が話しかけてごめんなさい。なんなら生まれてきてごめんなさい。

 

「比企谷くん、私も例の小部屋を見たからあなたが導き出した推論は正解で良いと思う」

 

罵倒される心の準備をしていた俺にかけられたのはそんな言葉だった。

 

「じゃあさっさと実行に移ろうぜ」

 

返事を待たずに歩き始めると、由比ヶ浜も付いてくる。

 

せっかくここまで来たのに雨で無効試合ってのはやるせないからな。

 

だが、雪ノ下は会話を終わらせるつもりは無いようで、歩き出した俺たちを引き留める。

 

「待ちなさい。脱出案の方にはひとつ問題が、と言うか未解決の事項があるわ」

 

……やはりこいつは気付いたか。

 

「えっ? そーなの? あ、でも確かにどうやって何とかの糸を奪うかは聞いてないかも」

 

「そりゃ言ってなかったからな。けどまぁ、それはもう解決済みだ。対策は取れる」

 

「……そう。参考までにその対策とやらを聞いても良いかしら」

 

「奴を見つけ出してから話す。別に今じゃなくてもいい事だし、そう難しい話しでもないし」

 

「……わかったわ」

 

雪ノ下が頷いたのを確認して、俺も由比ヶ浜も再び進む。

 

後ろから付いてくる雪ノ下の足取りは重く、俺たちから一歩遅れた形となっている。

 

「比企谷くん」

 

「なんだ」

 

振り向かず返事をする。

 

「あなたの言いたい事は、わかったわ」

 

「そうか」

 

後ろから聞こえてきた声だけでは、彼女が何を思っているか読み取る事はできない。

 

……悪いな。

 

雪ノ下が俺の考えに賛同してくれたかどうかは知りようもないが、とりあえず反対はされていないようだ。

 

あとは由比ヶ浜を丸め込めば下準備は完了だ。

 

こいつは間違いなく反対するだろうから、先に言質をとってしまおう。

 

由比ヶ浜、ちょっといいか?」

 

「ん?」

 

隣を歩いていた由比ヶ浜は体を傾け、ぐいっと顔を寄せる。

 

髪が揺れた拍子にふわりと由比ヶ浜の匂いが舞う。

 

……あの、近寄れなんて言ってないんですけど。

 

てか今日散々嗅いだせいでもうお前の匂い覚えちゃったじゃねーか。

 

街を歩いてるときに似た匂いを嗅いで思わず振り返っちゃったらどうしてくれる。

 

と思ったがそもそも街を歩く事自体が稀だから別にいいか。

 

「なに?」

 

由比ヶ浜は俺の男子高校生的逡巡に気付く由も無く、そのままの位置で先を促す。

 

「さっき雪ノ下が言っていた事なんだが……」

 

「どうやって奪うかの話でしょ?」

 

「そうだ。その件でちょっとやってもらいたい事がある」

 

「……そ、それって、あたしに頼んでるの?」

 

「この状況で他に誰がいるんだよ……」

 

1対1で話している上にこの距離だ。これで他の誰かに言っているように受け取られていたらもうどうしていいかわからない。

 

見えない誰かでもいるんじゃないかと思うほどだ。怖えよ。

 

あ、雪ノ下が後ろにいるけどあいつは論外だから。奴は俺が靴を舐めながら土下座して何かを頼み込んでも鼻で笑うだけだろう。

 

「ヒッキーがあたしに何か頼み事してくれるなんて……、頼ってくれてるなんて、なんか、嬉しいな……」

 

「……由比ヶ浜がどう思おうが勝手だが、別に頼るとかそんなんじゃねえよ。……ただ、俺たちでどうにかするって約束したからな」

 

言ってから、はたと気付く。

 

そうか……これか。これだったのか。

 

俺が、途中で投げ出さなかった理由、負けたくないと思った理由は。

 

……自覚してしまったのなら、誤魔化しちゃいけないよな。

 

そしてそうであるのならば、まだ説明していない例の作戦はなおさら俺がやるべきだ。

 

「ま、まぁとにかく、化物を見つけたらお前と雪ノ下はやりすごしてから逃げてくれ。恐らく雪ノ下はもう一人じゃそう長く走れないだろうから、支えてやって欲しい」

 

「うん、わかった! 任せてよ!」

 

由比ヶ浜は力強く頷く。

 

「ああ、頼む」

 

……きっとこいつなら、ちゃんとやり遂げてくれるだろう。

 

これで下準備は完璧だ。

 

「じゃあさっさと見つけて、さっさと終わらせるか」

 

少し考えれば、いくら由比ヶ浜がアホの子でも未説明の部分がある事に気付かれてしまう。

 

何か突っ込まれる前に行動に移してしまおう。

 

しかし、俺の思い通りには決してさせない奴がいる。そう、雪ノ下だ。

 

案の定、話しを切り上げた俺と由比ヶ浜の手が引かれる。

 

「比企谷くん、説明が足りていないのではなくて?」

 

雪ノ下は俺の袖を掴み、由比ヶ浜の手を握っている。

 

「あなたの案を、今ここで説明しなさい。でなければ、私は反対するわ」

 

くそう、雪ノ下め……。予想通りとは言え、こんなタイミングで邪魔してくるなんて……。

 

こいつはもう納得というか見逃してくれている可能性もあると思っていたがやはりそうでもなかったようだ。

 

……まあそれも当然か。俺の作戦はどうやったってこいつらに不快な思いをさせることになるからな。

 

確かに説明しないのも不誠実だろう。

 

だが、出来ればこのまま悪徳金融のごとく未説明で押し通したかった。

 

完全に俺の我儘でしかないのだから。

 

「本当にお前は律儀と言うか、生真面目だよな」

 

「あなたも、大概でしょう?」

 

不機嫌そうに言い捨てた雪ノ下は少し悔しげな顔をしている。

 

その理由は想像するしかないが、きっと俺が思っている事で間違いはないだろう。

 

そう言い切れる程には、俺は雪ノ下の事を知っているつもりだ。

 

だからこそ、この作戦が成り立つ。

 

由比ヶ浜、これからどうやって化物からアリアドネの糸を奪うか説明する。だがその前に、さっきの約束を忘れるなよ」

 

「う、うん」

 

その返事さえあればいい。

 

ひとまずは安心と言ったところだろうか。

 

「作戦内容自体はそれほど難しくはない。まず、奴を見つけたらどこか適当な分かれ道にお前達が隠れる。次に俺が囮になって追いかけられるから、お前達が化物をさらに追いかける。このとき見つからないように注意してくれ。しばらく走ると奴は斧を投げ捨てるはずだ。それを回収したら直ぐさま反転して離れてくれ」

 

「なんで斧を拾うの? ってかそれだとヒッキー危ないじゃん! その後ヒッキーはどうするの!?」

 

「一度にいくつも質問するな。斧を拾うのは、それがアリアドネの糸だからだ」

 

有無を言わせない口調で説明を続けると、由比ヶ浜も取りあえずは口をつぐむ。

 

「俺が奴を追いかけているとき、何かを隠し持ってはいなそうだった。黒髪鬱美人が捕縛された後も何かを取り出している様子はなかったのに、迷うこともないどころか一度も立ち止まることなく非常口へと連行していた。しかし、どうやって? 完全に全ての道を記憶しているという事も考えられるが、自身も常に迷路内を徘徊していることも考えると、それは現実的じゃない。であれば、地図的な物を持っているか、あるいはどこかに目印があるかの二択になる。ここまではいいか?」

 

「……うん」

 

説明中、ずっと口を尖らせたままの由比ヶ浜だったが、話はちゃんと聞いていたようだ。

 

「二択にはなったが、後者である確率は相当低い。なぜなら、簡単に判断できるような目印だったらもっと多くのグループがゴールしているだろうし、逆に判断しにくい目印だったら立ち止まらずに連行するのは難しいだろう。実際、俺は結構注意して壁をや床を見ていたがそれらしきものは見つからなかった。なら、化物は地図あるいはそれに類する物を持っている事になる。そして隠し持っている様子はない。以上の事から、アリアドネの糸は隠すまでもなく持っている物、つまり、斧であると導き出される」

 

「だから、ヒッキーが囮になってそれを奪うんだね」

 

由比ヶ浜が呟く。そしてまたしても口をつぐみ、何かを言いかけてはやめるということを幾度か繰り替えす。

 

「……ダメだよ、やっぱりそんなのダメだよ! あたしたちでなんとかするって言ったじゃん!」

 

やはり、こいつは反対するか。

 

「そう言ったな。だからこれが最適の方法だ」

 

「じゃあ、あたしが囮になる! あたしがやってもおんなじでしょ!」

 

「いや、駄目だ」

 

「なんでよ!?」

 

「囮って言ってもただ逃げるだけじゃない。恐らく奴は一定距離を追いかけないと斧を捨てないだろう。お前は今歩いてきた道を覚えているか? 途中で行き止まりに当たらない自信はあるのか? 囮が途中で捕まったらそれで終わりだ。後は全滅する道しか残されない」

 

「っ……それは、覚えてないけど……言ってくれればあたしだってちゃんと覚えるし!」

 

「そうかもな。だが、今は時間が無いんだ。雨が本格的に降ってきたらこの勝負は流れる。みすみす勝ちを逃す事になるのは避けたいだろ?」

 

「でもっ、それでもっ、あたしはヒッキーを犠牲にしてまで勝ちたくなんてないよっ!」

 

由比ヶ浜のその言葉に雪ノ下の顔が強張り、俯いてしまう。

 

……違うぞ雪ノ下。お前の判断は正確だ。

 

体力が尽きかけている雪ノ下は囮に適さない。しかし斧を奪った後ではかなりの戦力になる。仮に新たな謎があったとしても、雪ノ下なら何とかするだろう。

 

由比ヶ浜では囮役を完璧にこなせない可能性がある以上、俺がやるのは勝つためにこの上なく正しい選択だ。

 

だから、お前は悪くなんて無いんだ。いつも通り、真っ直ぐ前を向いていればいいんだ。

 

そんな表情は、お前には似合わない。

 

由比ヶ浜、約束は守るって言っただろ」

 

「言ったけど……言ったけど!」

 

ぐっと拳を握り、潤んだ目で睨み付けてくる由比ヶ浜

 

まだ反対するのか……。なら最後の手段を使うしかない。

 

あの、伝説の言葉を言うしかない。

 

「ところで由比ヶ浜、一ついいか? さっきから俺がやられる前提で話しているが……別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」

 

「………………なにそれ」

 

超ドヤ顔の俺に対して、由比ヶ浜は気の抜けた顔をしている。

 

この隙に話をまとめてしまおう。

 

「まあ、そう言う事だ。よろしく頼む」

 

言い切った矢先に近くで悲鳴が上がった。

 

「……近いようだな。行くぞ」

 

返事を待たずに進む。

 

「あっ、待ってよヒッキー!」

 

由比ヶ浜が後ろで何か騒いでいるようだが、俺は歩みを止めない。

 

ほどなくして、標的が見つかる。

 

「よし、じゃあ予定通り俺が化物を引きつけて逃げるから、あとはさっき言った通りにしてくれ」

 

「……ヒッキー、あたしはまだ納得してないから」

 

「納得してくれなくても、やってもらわなきゃ困る」

 

由比ヶ浜の方は決して向かない。傲慢かもしれないが、俺がさせてしまっている表情は見たくない。

 

「……」

 

答えが無く、しばらく沈黙が流れる。

 

「……ねぇ、ヒッキー。……そんなことして、あたしたちのためだなんて、あたしたちが喜ぶだなんて思ったら、……大間違いだよ」

 

「わかってる」

 

俺だって、こんなことが、自己犠牲が他人のためだなんて、ましてや格好良い事だなんて思わない。

 

その行為はただ相手に自分自身を押し付けているだけに過ぎないのだから。

 

そして質の悪い事に、される側はほぼ不可避なのだ。

 

勝手に行動を起こされ、勝手にその結果を押し付けられる。受け手にとってみれば、自分の意志、意見が介入する隙間もない一方的な結果でしかない。

 

あなたの為にやりましたよと言われても、言われなかったとしても、不愉快極まりないだけだ。

 

今だって由比ヶ浜を怒らせて、雪ノ下に惨めな思いをさせている。

 

だが、それがわかっていても、俺は俺を押し付ける。

 

こいつらを負けさせたくない。

 

ただ、それだけの為に。

 

どうしようもないほど、俺だけの、為に。

 

由比ヶ浜達から離れ、一人こっそり化物の後を追う。

 

後ろ姿を見ただけでも足が震える。

 

正直今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、あの世界一カッコイイ死亡フrげふんげふんを立ててしまった以上、それは許されない。

 

それがなくても、いまさらその選択肢はあり得ないけどな。

 

ほど良く彼女たちから離れたところで、壁をコツコツと叩く。

 

奴は立ち止まると、ゆっくりと振り返る。

 

ディン!

 

頭上にエクスクラメーションマークが現れるのを幻視した。

 

ゲームのやり過ぎですかねあれ撃ち抜くと気絶するんですよねてか超怖いですふざけてないと恐怖で正気を失いそうでうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 

奴の咆吼と共に実際に叫びながら何とか今まで歩いてきた道を辿り、なるべく長い距離を逃げようとする。

 

離れ過ぎても、撒いてもいけない。

 

でもやっぱり怖いので全力で逃げたいです。

 

ギリギリで理性を保ちつつ走りながらチラリと後ろを確認すると、ちょうど由比ヶ浜たちが斧を回収しているのが見えた。

 

よし、囮は終わりだ! もう道も覚えてないし!

 

俺は逃げ切る! 俺には希望に満ちたこれからのSomedayがあるんだ! いつの日か叶うよ願いは!

 

囮役は終わった。

 

ついでに俺の人生も終わった。

 

要するに行き止まり。

 

……まあ、あれだ。より確実にあいつらを逃がすなら、俺がここで捕まって時間をかけた方がより良い。

 

なんかもうここまで追い込まれると逆に冷静になる。

 

せっかくなので、気になっていた事を聞いてみよう。

 

演出なのかどうなのか奴もゆっくり近づいてきているし。

 

「……なあ、お前はミノタウロスじゃなくて、テセウスなんじゃないか?」

 

その言葉に化物は歩みを止め、短く唸る。

 

俺がそう思ったのにはいくつか理由がある。

 

まず、なぜミノタウロスアリアドネの糸を持ち去ったのか。

 

アリアドネの糸の意味を知っていて、それを手にしたのならここから脱出しようと考えるのが普通だ。

 

しかし奴はまだここにいる。

 

なら、アリアドネの糸の効果を知らなかったと考えるのが妥当だろう。

 

なのに持ち去った。ここで矛盾が生じている。

 

次いで、『テセウスは敗れた』という文字が書かれていたこと自体がおかしい。

 

ミノタウロスは自分が闘った相手の名前など知らない。

 

テセウステセウスだと知っているのはこの迷路内では彼自身のみだったはずだ。

 

何に敗れたのかは知りようもない。己の心にか、殺戮への欲望にか。

 

それが何にせよ、あの文字を書くことはテセウス自身にしか不可能だったのだ。

 

メタ的な視点で言えばスタッフが書いたということもあり得るが、ここまで作り込んでおいてそれはないだろう。

 

血文字以外で書かれていたのならその可能性は決して低くはなかったが。

 

このいくつかの矛盾に気が付けば、連行現場を見なくてもあの化物が脱出の糸口になることは十分推測できたことだと今更思う。

 

さて、奴の回答はどうだろう。

 

しばらく動きを止めていた化物だったが、ゆっくりと右腕を上げ、親指を立てる。

 

おお、これは正解という事か!?

 

無意味な歓喜もつかの間、化物は立てた親指を下へ向けた。

 

うん、死ねってことね。

 

俺は死んだ。

 

非常口からぺいっと放り出され、真っ直ぐな道を歩く。再び非常口がありそこは外へ繋がっていた。

 

ちなみに化物がどうやって俺を非常口まで連行したのかというと地図も斧もないのに普通に辿り着きました。

 

どういう事でしょうか。

 

まあ今更考えても仕方ないので、受付近くまで戻り、近くにあったベンチに座る。上に木の枝がかかっているから雨宿りにもなるだろう。

 

ここであいつらの帰りを待とう。

 

近くには先に捕まっていた黒髪鬱美人の他に、同様に捕まったのであろう羽瀬川もいた。

 

黒髪鬱美人は泣き腫らした顔が恥ずかしいのか、ずっと顔を伏せている。

 

それでも、ぽつりぽつりと会話は交わしているようだった。

 

しばらく待っていると雲が厚みを増し、いよいよ雨が本降りになってきた。

 

受付の中の生徒達が慌ただしく動き始める。

 

まずい、時間切れか……?

 

あそこまでやって駄目だったのか? 由比ヶ浜や雪ノ下に嫌な思いまでさせて勝ちに拘ったのに、結局無効試合になってしまうのか?

 

ここまできてそれはないだろう。

 

頼む、もう少し待ってくれ。

 

……無意味かもしれないが直談判してみよう。

 

あいつらもきっと、中で頑張っているのだから。俺も出来るだけの事はしよう。

 

俺は雨の中へと進む。

 

「高山ケイト、雨が強くなってきたが、もう中止にするのか?」

 

「ああ、八幡君。そうだね、皆をずぶ濡れにするわけにはいかないからね」

 

「……少し待ってもらえないか? あいつらは既に糸を手にしている。もうすぐゴールするはずなんだ」

 

「……なるほど。八幡君はこの迷路のクリア条件を看破したんだね」

 

「ああ。考えた奴を一発殴りたい気分だ。ぼっちに厳しすぎだろ」

 

俺の言葉を聞いて高山ケイトはからからと笑う。

 

この迷路の脱出に必須である斧は、グループの誰かが囮になるか、あるいは他人をストーキングしてそいつが追いかけられている隙にこっそり拾うかしかない。

 

迷路内で他人と歩きたい奴なんているはずもないから、後者の実現はかなり難しいだろう。

 

いづれにせよ、絶対に一人ではクリアできないのだ。

 

高山ケイトはひとしきり笑うと、少しだけ表情を引き締め正面から俺を見据えた。

 

「でも、君は一人じゃなかった。だからこそ、今ここに君だけが、一人で待っている」

 

「……確かに一人じゃなかったな」

 

「本当は、お兄ちゃんたちにも気付いて欲しかったんだけどね……」

 

そう言って、チラリと羽瀬川たちのいる方を見る。

 

「まあ、そう言うことなら少し待ってあげようかね。でも、一応規則だからね。あと10分だけだよ」

 

「それでいい。ありがとな」

 

肩をすくめると、腕を組んでニヤリと笑う高山ケイト。

 

極度のシスコンであることを除けば結構いい奴かもな……。

 

はいそこ、お前もシスコンだろとか言わない。別にシスコンって言われてもむしろ誇らしいだけだけど。

 

 

刻一刻と時間は過ぎていく。

 

今ここに至って俺に出来る事は何もなく、ただ待つしかない。

 

待つだけというのが、こんなにも重苦しい気分になるとは思わなかった。

 

黒々と蠢いていた雲はいっそう厚みを増し、心なしか雨脚も強くなっている。

 

水気を含んだ空気が地面から立ちこめ、鬱陶しく纏わり付いてくる。

 

さらに悪い事に、雷まで鳴り始めた。

 

「八幡君、時間前で悪いけど、さすがに雷は危ないから終わりにさせてもらうよ」

 

俺にそう言いつつ、係の者にてきぱきと指示を出す高山ケイト。

 

「……いや、こっちこそ悪かったな、我儘聞いてもらって」

 

「あと少しだったろうに、残念だったね」

 

「仕方ないだろ。天気は

 

どうしようもない、と言おうとした矢先に受付のすぐ後ろの壁が内側から開く。

 

中からは出てきたのは、見間違えるはずもない、由比ヶ浜と雪ノ下だった。

 

「やっと出られたのね……」

 

「長かった……あ! ヒッキー!」

 

びしょびしょでくたくたの二人が近寄ってくる。

 

やっと外に出られた安心感と達成感からか、二人とも疲れた様子ではあるが明るい顔をしている。

 

しかし、慌ただしく撤収作業を進めているスタッフを見て次第に暗くなる。

 

「……もしかして、もう終わってた?」

 

「……ああ。もう少し引き延ばせれば良かったんだが……悪い」

 

「そんなぁ……隠し扉を見つけたり走ったりくぐったり乗り越えたり頑張ったのに……」

 

由比ヶ浜は心底残念がり、雪ノ下も言葉にはしないまでも徒労感たっぷりに溜息をついている。

 

……本当に、悪いな。

 

「おめでとう三人とも、ギリギリセーフだよ」

 

俺たちの様子を見ていた高山ケイトが言う。

 

「……いいのか?」

 

「いいも悪いも、わたしたちはまだ迎えに行ってないからね。君たちは自力で出てきた。だから、おめでとう」

 

高山ケイトが拍手し始めると、周囲にいたスタッフたちも拍手をしながら口々におめでとう、おめでとうと言い始め、某アニメの最終回の様相を呈している。

 

うわぁ、居心地悪い。

 

そもそも無事に脱出に成功したのは由比ヶ浜たちであって、俺じゃない。ここに俺がいるのは相応しくないだろ?

 

と言うわけで、この衆人環視から抜け出させて頂きます。

 

二人に気付かれないようにそっと背を向け、逃げだそうとする。

 

が、瞬時に襟首を掴まれる。

 

恐るおそる振り返ってみると、超冷たい目が4つこちらを見ていた。

 

ごごごごめんなさい!

 

「もう、こういうことは無しだからね」

 

自己啓発の輪から解放されてからの、由比ヶ浜の第一声である。

 

さっきからむすっとした表情を崩さない。相当トサカにきているようだ。

 

あ、でもトサカに来ていると言ってもこいつの場合雌鳥だからトサカ小さいしあんまり怒ってない感じになるのかな。

 

「ねえ、聞いてんの?」

 

「は、はいっ! 拝聴しているであります!」

 

未だかつて無いほどの怒気を発している由比ヶ浜の雰囲気に飲まれまくっている俺がいる。

 

「……はぁ、もう、ほんとにヒッキーは……」

 

気分を落ち着けるためにか、由比ヶ浜はふーっ、っと大きく息を吐く。

 

「約束」

 

「な、なんでしょう?」

 

「もう、絶対にあんなことしないって約束して。自分が犠牲になればだなんて、絶対に思わないで」

 

「……すまん、悪かった」

 

本当に悪いと思っていたので素直に謝る。

 

だが、由比ヶ浜は謝った俺を見てさらに語気を強めた。

 

「違う。謝るんじゃなくて、約束」

 

常にはない威圧感に圧倒され、思わず唯々諾々と従ってしまう。

 

「わ、わかった、約束する」

 

「なら、よし」

 

ここでようやく、ふっと表情を緩める由比ヶ浜

 

ああ、よかった……マジで怖かった……。こいつは雪ノ下とはまた違った恐ろしさを秘めているな……。

 

やがて今後の戦いについて隣人部と協議していた雪ノ下が戻ってくる。

 

「次の種目からは、屋内の種目に限定する事になったわ」

 

「そりゃ雷雨の中やるわけにもいかないからな」

 

「ええ。それで、次に移る前に彼女の厚意で着替えを貸してもらえる事になったわ」

 

雪ノ下は少し離れたところにいる高山ケイトを視線で示す。見られている事に気がついたのか、高山ケイトはこちらを見やりひらひらと手を振る。

 

ありがたい申し出だ。俺も由比ヶ浜も雪ノ下も全員ずぶ濡れだ。隣人部も同様で、特に迷路のスタッフに回収された金髪ビッチが酷い。

 

風邪を引く前に着替えた方が良いだろう。

 

軽く手を挙げて高山ケイトに礼を述べる。

 

「助かる。ありがとな」

 

「いいってことよ。迷える子羊ちゃんの世話はシスターの本懐だからね」

 

なんとも鷹揚な台詞の後、付いてこいと身振りで示す。

 

高山ケイトが歩き始めたのを見て、奉仕部と隣人部はぞろぞろと後を追う。

 

ちなみに由比ヶ浜たちは斧を回収した後どうしたのかというと、斧の刃の部分にあった幾何学模様の暗号を解き、柄の部分から偏光フィルターを取り出したらしい。

 

それを使って、壁にあった肉眼では見えない目印を辿って隠し扉を見つけたようだ。俺の推測外れまくりですね。お恥ずかしい。

 

なにはともあれ長い長い迷路戦は終わり、現時点で2対2。勝負は振り出しに戻る。

 

何故か途轍もなく長い間迷路にいた気がするのは気のせいだろうか。

 

「さあ、ここだよ。好きなのを選ぶといいさね」

 

高山ケイトが示したのは本日大盛況の貸しコスプレ屋である。

 

「とは言っても、人気のあるものは大体捌けちゃってるから残り物になるけどね。まぁわたしはまだ仕事があるからなんかあったらスタッフにでも聞きんさい」

 

なにやら不安な言葉を残し、飄々と去っていく高山ケイト。

 

何となく見送っている、廊下の角の曲がり際にこちらに向けて大きく手を振る。

 

「お兄ちゃんに八幡君、また会ったらよろしくね~。ばーい、はどそん! ぶははっ!」

 

……ああ、なんて残念な去り際なのだろうか。

 

高山ケイトが去った後も、俺たちはなかなか店に入れずにいた。

 

「ねえ、ゆきのん、ここって……どう見てもコスプレの衣装しかなさそうだよね?」

 

「……貸してもらう身だもの。贅沢は言えないわ」

 

「だ、だよねー。……はぁ、せっかく今日は気合い入れてきたのに……」

 

ちろり、と俺の方を見る由比ヶ浜

 

「なんだよ」

 

「……別に?」

 

言いたい事があるなら言えよ。……言いたい放題言われるのは色々と困るが。

 

「……八幡君、かぁ」

 

由比ヶ浜がポツリと呟く。

 

「……あっちはみんな名字じゃなくて名前で呼び合ってるよね。シスターちゃんだってなんかヒッキーの事名前で呼んでるし」

 

「そうだな」

 

だからと言って俺たちまでそうしなきゃいけないってことはないだろ。

 

……言おうとしたはずの言葉はなぜか出てこない。

 

「前にさ、誕生日パーティーしてくれたときにあたしのことは名前で呼んでくれるって言ってたのに……誰も呼んでくれてないよね……」

 

後半になるにつれてどんどん声が小さくなっていき俯く由比ヶ浜

 

そのとても小さな声は、その哀しそうな仕草は、俺の胸を強く打つ。

 

雪ノ下も同様だったのだろう、僅かに顔を歪めると、取り繕うように言った。

 

「ゆ、由比ヶ浜さん、それは私も気にしていたのだけれど、どうしても踏ん切りがつかないというか……今までは例外なく全員名字で呼んでいたから……。

もう少し、待ってくれると、その……ありがたいのだけれど」

 

「ゆきのん……。……うん。待つよ。あたし待ってる」

 

見つめ合って頷き合う二人。ああ駄目だまた二人の世界には入り始めちまった。

 

最近もうガチ百合化が激しすぎてぼくもうついて行けないです。

 

というか初めからついて行く気は毛頭無いです。ぼく男の子ですし。

 

とにかく居場所も無く居る必要も無いのでさっさと着替えに行こう。

 

男子用のブースに入ろうとすると、後ろからがしっと襟首を掴まれる。

 

なにこれ最近由比ヶ浜たちの中で流行っているんですかね。結構苦しいのでやめて下さい。

 

「……ヒッキーも、あたしのこと、名前で呼んでね?」

 

……まぁ、今の場合は顔を突き合わせなくて済むから、流行ってて良かったかもしれない。

 

「……そうだな。そのうち、適当にな」

 

そう遠くないうちに、きっとな。

 

 

由比ヶ浜たちと分かれ貸しコスプレ屋に入る。

 

教室に入ると中は二つに分割されており、黒板側のドアは男子ブース、逆側のドアから入ると内部廊下を隔ててから女子用ブースに繋がっている、らしい。

 

覗き対策とのことだが、まあ別にどうでもいい。俺は決して覗きなどという下衆で下品で下劣な行為はしない。

 

「小鷹」

 

俺と羽瀬川が男子用ブースに向かうと、羽瀬川が後ろから呼び止められる。

 

「覗くんじゃないわよ」

 

金髪ビッチが羽瀬川を軽く睨んでいる。

 

「覗かねぇよ……」

 

「絶対覗くんじゃないわよ?」

 

呆れた様子で言い返す羽瀬川に念押しする金髪ビッチ。

 

……あれってフリなの? 押すな押すな的な? なにその羨ましいフリ。絶対許さない。

 

もしくはラッキースケベ的な前科があるとか? 念押ししたくなるほど何度も? どっちにしろ絶対許さない。

 

そのやり取りを見ていた由比ヶ浜が俺に向けて言う。

 

「ヒッキーも、覗くとかあり得ないかr

 

「当たり前だ由比ヶ浜。そういうのはチャラ系高位カーストの連中が気心痴れた女子にやるからギリギリ笑い話で済む話であって俺のようなぼっちがやるとマジで洒落にならないからな」

 

「リアクションが早過ぎる上に何やら余計な憎悪が滲んでいるわね……。まぁ、あなたの場合近くに居ただけで疑われてしまうのだから実行するのはそもそも難しいでしょう?」

 

「ねえなんで雪ノ下は俺の中学生時代のエピソードを知ってんの? お前うちの中学いたの?」

 

「比企谷くん、表現は的確にしなさい。うちの中学、ではなくて、通っていた中学、でしょう?」

 

「いや確かにそんなにというかまるで帰属意識無かったけどよ……」

 

なんなら本当に通っていたのかも疑わしいレベル。主にクラスメイトの視点から見て。

 

まあ、雪ノ下が言ったように女子更衣室の前を歩いただけで疑われた過去を持つ俺にしてみれば、覗きなんてしてしまったら良くてDEADENDである事はもはや自明の理である。決して出来る事ではない。そもそもやろうとも思わないが。

 

だからたまたま通りがかっただけで「ねえ……あいつ覗こうとしてたんじゃない?」「やだ、マジきもいんですけど……」とか言うのは本当にやめて欲しい。

 

ていうか男子更衣室隣にあるんだから前を歩くのは仕方ねえだろ。

 

あとあれだな、女子更衣室から何か物がなくなると真っ先に俺が疑われるとかあったな。んで結局教室に忘れてたとか言うオチなんだぜ、あれ。しかも誰も謝らねえし。

 

俺の心が広くなかったら大変な事になってたからな? 校長の首が飛ぶところだったよ? でもいじめは存在しなかったよ!

 

……まあ、なんだかんだで笑って許せちゃう正確には笑うしかない海のように俺の心が恐ろしい。海のひろさは未だおわりがみえない。

 

つまり海未ちゃんは不朽。

 

……無理があるな。

 

「真面目な話、比企谷くんはその辺りは弁えているだろうから心配は無いのではないかしら」

 

「そうだね、テニスのときだってわざとじゃなかったんだろうし」

 

……あぁー、ありましたねそんなこと。ばっちり覚えてます。

 

「忘れなさい?」

 

俺が懐かしくも鮮明な記憶を振り返っていると、雲間から差す光芒のように輝く笑顔をしながら雪ノ下が言う。

 

「ててて、てにすってなんのことですか? ぼくぜんぜんしらないです」

 

「そう、ならいいわ」

 

口ではそう言いつつも去り際に笑顔のまま一睨み効かせていく雪ノ下。

 

危なかった……。俺の危機回避能力がフルで発揮されなかったら今まさにDEADENDするところだったぜ……。

 

覗きの疑いから避けるために絶対に女子更衣室の前を通り過ぎないように回り込んで男子更衣室に入っていたのは伊達じゃないぜ!

 

しかしこの対応は時間かかるし間に合わないからって体育の度に一番に教室を出ていたら「誰もペア組む相手いないのになんでアイツあんなやる気なのwww」「きもwww」とか言われるようになるから注意が必要。もうどうしろってのさ。

 

 

いざ、男子用ブース。

 

掛けられている衣装をざっと見渡してみると高山ケイトが言っていた通り、残っているのはなるほどマイナーなものばかりである。

 

人気作品の地味キャラちょいキャラであったり、世代的に今の高校生は知らないであろうキャラの衣装もある。

 

チバテレビの懐かしのアニメを見続けていたおかげで割と知識はあるはずの俺ですら何のキャラかわからないものがほとんどだ。

 

しかし、それは逆に言えばコアな層に受ける品揃えであるとも言える。

 

由比ヶ浜を捜しているときに見かけた紫ナコルルを出していたのはきっとこの店だろう。

 

作ったのかなんなのか、ぼのぼのやポクテなどの往年の作品の着ぐるみ?系まで取りそろえている。

 

その他にもオカリンかと思ったら則巻千兵衛だったりキュゥべえかと思ったらポン太だったりと、なんでそっち?と思わせてくるものも多い。

 

ところで浅野先生、俺のところにシアンちゃんはいつ来ますか?

 

それはさておき、一体何にするかが悩みどころだ。

 

そもそも男のコスプレ自体が誰得である。

 

京介お兄ちゃんみたいに楽しむ事が出来れば話は別だが、俺自身さして興味があるわけでもない。だって黒猫と知り合いじゃないしマスケラ無いし。

 

まあ考えるのも面倒だし当たり障りのない適当なものに決めてしまおう。

 

「何を選んだらいいか悩むな……」

 

暖かそうなものを探していると、ボソリと羽瀬川が呟いた。

 

構わず探し続けていると何やら視線を感じる。……あ、俺に向けて言っていたのね。

 

てっきりぼっち特有の独り言かと思ってたぜ。なんせ俺もさっきから独り言言いっぱなしだからな。

 

しかしまあどう返したものか。

 

授業や課題やその他やらなければならないものについては、目的がはっきりしているから仮に話しかけられたとしても対応は出来る。

 

だがどうでもいい話、いわゆる雑談というものは存外難しい。

 

スクールカースト最底辺の人間においては、思わずこぼれてしまった、たった一言が最終的に学級裁判という名の公開処刑にまで発展する事がままある。

 

裁判中は被告人である俺に発言は許されず、蔑視の台風にさらされつつも必死に耐える田んぼのカカシさながらの忍耐力で凌ぎきり家に帰ってから布団の中で泣くしかない。

 

だから盗んだの俺じゃないからね? ちゃんと鞄の中とか体育館とかグラウンドとかは確認した? ほら、やっぱりあったでしょ?

 

という感じで事の顛末までわかりきっており、もはや未来予知と言っても良いくらいだった。

 

むしろあのまま裁判が続いてたら未来予知できるカカシとしてとある島に運ばれて鳩を守っちゃうまである。

 

閑話休題

 

今回の場合は相手が他校の生徒でありかつ似非ぼっちであることを考慮すると別に発言に気を遣う必要はないな。

 

ここまでおよそ2秒の思考。

 

話す相手がいないと自然、思考速度が早くなる。ソースは俺。あと雪ノ下。

 

人間の基本となるスペックに差なんて実際はそんなに無いと思う。全ては環境の差だろう。

 

なんてちょっと真面目な事を考えてみたり。

 

いやいや、いい加減反応しないとさすがに悪い気がしてきた。

 

さあ対応を考えよう。

 

今日会ったばかりの他人には禍根も印象も残さないのがベストである。

 

その対応の代表的な例として以下の方法が挙げられる。

 

その一、オウム返し。

 

相手の言った事をそのまま繰り返す事で考える事を放棄し、相手に決断もとい責任を押し付けられる最もお手軽かつポピュラーな方法である。

 

さらに連続で使うと相手はめんどくさくなりもう話しかけられなくなるという追加効果付きだ。

 

その二、「……うーん」と悩んだ振り。

 

この方法で重要なのは少し間を空ける事である。その少しの間で、ちゃんと考えてますよー話聞いてましたよーという空気を醸し出す事が出来る。

 

これは別の事を考えていて話を聞いてなかったときにも重宝する対応である。

 

その三、「えーと、じゃあアレはどうっすか? アレアレ。えーっと、アレ。……あれ?」と何かを言おうとはしているが結局何かわからないままうやむやにする方法。

 

これを言われた相手は非常に疲れるので以後意見を求めてこなくなる。

 

バイトとかで使うと居場所と仕事が同時に無くなってとても便利。そのまま二度と行かなくなるまである。

 

さて、今回はオウム返しでいこう。

 

「確かに、何を選んだらいいか悩むな……」

 

「そうだな……」

 

……。

……。

……。

 

予想通り会話終了。

 

よし、さっさと着る物を選んでしまおう。

 

と、そこで俺は信じられない物を目にした。

 

まさか、まさかこんなものがあるなんて……!

 

それは、一つの伝説。

 

それは、ラノベの新人賞史上最も知名度が低く最も売れなかった作品。

 

かの存在はもはや幻(どこの店舗にも置いていない的な意味で)である。

 

そのあまりの売れなさっぷりは著者の精神と出版社の経営に大ダメージを与えたとされている。

 

今でこそコアでディープでマッドな一握りの僅かな層にはネタとして語り継がれているが、当時は担当の顔が背表紙よりも青くなったと言われていたとかなんとか。

 

その名は、あやかしがたり

 

全く、びっくりするほど全く売れなかったこの作品ではあるが、内容は中々どうしてとても面白いのである。

 

売れなかった理由は販売戦略のミスと、いわゆる売れ線のストーリーと絵ではなかったことであろう。

 

という訳で、『俺だけが知っている面白い作品』が欲しい斜に構えた高二病の諸君は今すぐ秋葉原有隣堂に走るかアマゾンでポチって下さい。2、3点在庫あり。ご注文はお早めに。

 

とにもかくにもこれを見つけてしまった以上選ばざるを得ない。理屈ではなく何か見えない力が働いているようだ。

 

濡れた服を脱ぎ、試行錯誤しながら着替えた後共有スペースに出る。

 

袈裟と篠懸に身を包み、頭にはバンダナ風の頭巾を巻いている。腰布に懐刀をこっそり忍ばせて錫杖や念珠をじゃらじゃらと鳴らすと気分はもう拝み屋って奴でさぁ。

 

京介お兄ちゃん、コスプレ楽しいよ! でもネタスレで晒されたらぼくもちょっと泣いちゃうよ!

 

由比ヶ浜たちを待っている間、ひとしきりコスプレを堪能する俺だった。

 

 

飽きた。

 

錫杖重い。頭巾蒸れるし、念珠とか超邪魔。天狗下駄とか歩けねえよ。

 

もういいや、置いて行こう。

 

基本的な服だけ残し装身具の類を外していると、ようやく女子用ブースの扉が開いた。

 

まず出てきたのは金髪ビッチ、続いて黒髪鬱美人だ。

 

二人とも同じ格好をしていていわゆる乳袋系メイド服を着ている。

 

同じ格好をしているはずだが、何とは言わないが格差社会が現れていた。なんかもう金髪ビッチの方は破れそうというか溢れそうなくらいパツンパツンだし。

 

しかしまあ二人とも似合っているのは確かだ。あれでメイド喫茶で接客したらそれはもう売り上げ倍増間違い無しだろう。関係ないけどね。

 

その二人と言えば羽瀬川の方に行くと、金髪ビッチは自信満々に、黒髪鬱美人は照れまくりながら感想を聞いている。

 

……なんだろう、あの光景は。端的に言うと、爆発しろ。

 

「ひ、ヒッキー……」

 

「あん?」

 

不愉快なものを見て若干苛ついたそのままに振り返る。

 

そこに居たのは由比ヶ浜だった。

 

「な、なんか機嫌悪い? 待たせちゃった?」

 

「い、いや……」

 

思わず目を逸らしてしまう。

 

由比ヶ浜の申し訳なさそうな表情とコスプレを見られた恥ずかしそうな仕草が相まって色々とヤバイ。

 

しかし何よりヤバイのはその格好である。

 

彼女はましろだった。パンツ履けない方でもなく、狐の方でもなく、猫のましろ

 

これでピンと来る人はほぼいないだろう。むしろ真っ先にこのキャラを思い浮かべる人を捜し当てるよりツチノコを見つける方が簡単なレベル。

 

白い小袖に黄色い帯、首には鈴がくくりつけられた赤い布を巻いていて、アップにした髪の上にはネコミミ

 

さすがに原作通りでは露出度的に問題があるので襦袢と麻布っぽいスパッツが追加されている。

 

まあ原作通りではないのがもう一箇所ある。これもどことは言わないけどね。

 

「しかしよくあったな……そんなもの」

 

「え、これって何のキャラか知ってるの? なんか中で着替え手伝ってくれたスタッフの人も知らなかったけど」

 

……準備した側も把握していないなんてさすがあやかしがたり! もはや存在があやかし。

 

「まぁ、なんでもいいだろ。……似合ってるし」

 

「えっ!?」

 

……い、いや、今のはあれだから。キャラ的にアホっぽい感じが原作のましろっぽくて似合ってるって意味だから。なにこれ誰に言ってんの?

 

「そっ、そっか……ありがと」

 

照れているのかなんなのか、俯きがちに上目遣いでお礼を言う由比ヶ浜。うわぁあざとい! というか計算でやってなさそうなところがあくどい!

 

きっと今誰かに見られていたら俺も爆発している。

 

「ええ、とても似合っているわよ。質感もいい出来だわ」

 

唐突に雪ノ下の声が聞こえた。と言っても実はさっきから居ることには気付いていたが。

 

あまりに真剣な様子で由比ヶ浜の頭に付いているネコミミをふにふにしていたのでとりあえず放っておいた。

 

「あ、ありがとゆきのん」

 

由比ヶ浜を褒めているのかネコミミを褒めているのかはよくわからないが、由比ヶ浜は戸惑いつつもお礼を述べると、雪ノ下は穏やかに微笑む。

 

「ゆきのんも似合ってるよ。 普段大人っぽいから、そういうちょっと小さい子っぽいのが新鮮だし!」

 

褒められたら褒め返す女子社会の恒例行事かとも思ったが、その雪ノ下と言えばアイヌっぽい柄の和服にケープのようなものとでも言うしかないものを羽織っており、

 

正直とても表現しにくい衣装に身を包んでいるのだが、雪女の時といいなんだかんだでやっぱり和装が無駄に超似合う雪ノ下である。やはり黒髪ロングは正義なのか……。

 

「……そう。……ありがとう」

 

まあ俺が言いたい事は別にある。

 

真っ先に思ったのは、そっちかよということだ。この流れならお前はくろえだろ……と思ったが、大は小を兼ねるけどその逆は無いし無理だな、うん。

 

すくねで正解。

 

「……なにか?」

 

俺がこっそり憐憫の目を向けると、とても冷たい声と視線が返ってきた。

 

「いいいやぁなんでもないですよ」

 

世の中には色んな人がいるし、きっと小さい方が好きって人もいるし別に俺は大きくなくてもむしろ小さめの方がおっとこれ以上はやめておこう。

 

南無南無。

 

あぁそうだ、羽瀬川がしているのは手乗りタイガーの相方(クリスマスパーティー仕様)っぽい。たぶん。どうでもいい。

 

ちなみに今まで着ていた服はシスターたちが洗濯して乾かしてくれるらしい。まさに天使。

 

「それじゃ、全員揃ったことだし次の種目を発表するわよ!」

 

メイド服の乳袋を揺らしながら金髪ビッチが高らかに宣言する。

 

「待て肉、何故貴様が仕切るのだ。そもそも何の相談もされていないが?」

 

「なぁに? 泣き虫夜空ちゃんは相談されなくて寂しかったの? ごめんねぇ」

 

先程の迷路で泣き腫らした顔をしている黒髪鬱美人を嬉々として揶揄する金髪ビッチ。

 

「くっ……貴様だっていつも泣きながら部室を飛び出しているだろう? 今時小学生でもあんなに無様に泣き逃げることなんてしないだろうに」

 

「べ、別にそれは今関係ないでしょ!」

 

「まぁまぁ、夜空も星奈も抑えろよ。向こう待たせちゃってるだろ」

 

「む……」

 

「……わかったわよ」

 

羽瀬川は盛り上がり始めた二人の間に割って入ると、話をまとめる。

 

「と言うわけで、ちょっと相談するから少し待っててくれ」

 

とだけ言うと、隣人部は何やら相談を始めた。

 

……さすがに手慣れているなぁ。きっと今の流れは一度や二度じゃなかったのだろう。激高する美少女たちの間に入るなんて芸当、そんじょそこらの奴にはできる芸当ではない。

 

事実、奉仕部でもたまに由比ヶ浜と雪ノ下がなんとなく険悪な雰囲気になることもあるが、その度に俺はいつも以上に気配を消す事ぐらいしかできない。だって怖いし。

 

まぁ俺が何をしなくても勝手に仲直りするんだけどな。雨降って地固まるというやつだ。むしろ今は雨降って地鉄筋コンクリート、と言えるくらいまで硬くなっている気がする。

 

「なんでも言い合える関係ってなんか良いよね」

 

「そうだな。それは必ずしも仲が良いとは限らないが」

 

「ヒッキー、後半の部分はわざわざ言わなくて良いと思うよ……」

 

「でも比企谷くんの言う事も一理あるわ。だって私は言いたい事言っているけれど、比企谷くんと特別仲が良いつもりはないわ」

 

「そりゃ大抵の場合お前が一方的に俺をなじってるだけだからだろ……」

 

「そうかしら。でもそれはあなたがなじられるような要素を余りに多く持っているからでしょう?」

 

雪ノ下は優しく諭すように微笑みつつ淡々と述べる。

 

くそう……、言われっぱなしじゃ癪だ。反撃してやろう。

 

「ふっ、意外だな。お前ともあろう奴が何もわかっていないとはな」

 

腕を組み、鼻で笑った後超意味ありげに顔ごと目を逸らし口角を上げる。実際には何も考えてなどなく、ただひたすら鬱陶しい態度を取っているだけである。

 

しかしこれだけで雪ノ下は釣れる。

 

案の定、むっとした声が返ってくる。

 

「……なにかしら?」

 

フィーーーーッシュ! 相変わらず驚くほど簡単に釣れるなぁ。

 

……さて、これからどうしよう。ついつい衝動的に釣ってしまったものの、この後の処理を間違えると大変な事になる。

 

こんなときはあれだ、丸投げだ。

 

「ほら、言ってやれ、由比ヶ浜

 

「うぇ!? あたしに振るの!?」

 

突如強制的に参加させられた由比ヶ浜はわたわたと焦り始める。雪ノ下を怒らせると怖いという事は俺よりも彼女の方がよく知っていることだろう。

 

「……由比ヶ浜さん」

 

「え、えっと……あー……その……ぅぅー」

 

じりじりと雪ノ下に詰め寄られている由比ヶ浜はおろおろして話を振った俺を睨みながら小さく唸る。

 

由比ヶ浜さん」

 

「あ、や、ゆ、ゆきのん待って……」

 

「……」

 

無言でさらに距離を詰める雪ノ下。

 

その圧力に耐えきれずついに由比ヶ浜が涙目になると同時に、雪ノ下の動きがピタリと止まりその表情が和らぐ。

 

「ふふっ……なんてね」

 

「へ……?」

 

「冗談よ、由比ヶ浜さん」

 

悪戯っぽい笑みを浮かべながらよしよしと由比ヶ浜の頭を撫でる。

 

「え……? あ……も、もうっ! ゆきのん!」

 

なすがままにされつつも頬を膨らませて怒る由比ヶ浜。しかしその実なんか嬉しそうでもある。

 

「ふふっ……ごめんなさい」

 

雪ノ下は楽しそうに笑うとこちらを向く。

 

「比企谷くん、いつまでもそうやすやすと挑発に乗る私ではないわよ」

 

「……お、おう」

 

いや驚いた。驚いて間抜けな返事しかできなかった。

 

何が驚いたってまさかこんな百合展開になるとは思いもよらなかったからな……。

 

「決まったわ。次の種目は『退出ゲーム』よ」

 

「退出ゲーム? 柏崎さん、それは何かしら?」

 

雪ノ下に問われ、猫なで声で答える金髪ビッチ。

 

「えっとね、雪乃ちゃん。ある状況を設定して、それぞれのチームの誰か一人でもその設定上の空間から退出できれば勝ちってルールなの。即興劇の一つね」

 

「なるほど。了解したわ」

 

え? 今の説明でわかったの? 俺全然わかんなかったんだけど……。

 

由比ヶ浜も同じなようで首を傾げている。

 

「えっと……どゆこと?」

 

「はぁ? あんた何聞いてたの? もしかしてあんた頭悪い? そんなんじゃ雪乃ちゃんとまともにお話も出来ないんじゃないの? プークスクス」

 

そんな由比ヶ浜に対しては超攻撃的。いやぁブレないねこのアマ!

 

「貴様はお勉強が出来るだけの低脳だろうが」

 

かなりむかつく感じに嘲笑している金髪ビッチに黒髪鬱美人が言う。

 

「なに? あんたあたしに成績で勝てないからって嫉妬してんの?」

 

「成績……か。いや、嫉妬も何も憐れんでいるだけだ。可哀想な奴だな」

 

「なんであたしが憐れまれなきゃなんないのよ!」

 

「それに気づけないとは……。可哀想な奴だな」

 

ちらり、と一瞬こちらに視線を向ける黒髪鬱美人。

 

……なるほど。

 

「そうだ! なんて可哀想な奴なんだ……!」

 

舞台に出る役者のように大仰な手振りを加えつつ俺も参加する。

 

「ああ……肉ほど可哀想な奴はいない!」

 

それに呼応するかのように黒髪鬱美人の口調に熱がこもる。

 

「ちょっと、別にあたしは可哀想なんかじゃ……」

 

「自分を偽るのはよせ! 貴様は誰よりも可哀想だ!」

 

右手を胸に当て、左手を大きく広げて訴えかける黒髪鬱美人。

 

「ち、ちが……あたしは違う!」

 

既に若干涙目になっている金髪ビッチだが、俺も止まらない。

 

「そんなに強がらなくても、いいんじゃないかな?」

 

いつかの葉山必殺の言葉をたたみ掛ける。あの場合倒されたのは葉山だが。

 

「「可哀想だな、ああ、カワイソウダナー」」

 

よくわからない高揚感に浸りつつ黒髪鬱美人と交互にひたすら憐れみ続けると、金髪ビッチはいまにも溢れ出さんばかりに涙を溜めている。

 

「やめて……やめてよぉ……」

 

……あー、ちょっとやりすぎたな。

 

同じ事を思ったのか黒髪鬱美人も動きを止める。

 

そして彼女は金髪ビッチに近づくと優しげな声で囁く。

 

「肉、大丈夫だ。貴様はきっと……」

 

「よ、夜空……?」

 

金髪ビッチは救いを求める子犬のような表情で黒髪鬱美人を見詰め、黒髪鬱美人はそれに応えるように慈愛顔で頷く。

 

「安心しろ。貴様はきっと、世界中の誰からも憐れまれるからな!」

 

「うぅ……よ、夜空のバーカ!! アホーーーー!!」

 

うわーん、と叫びつつどこかに走り去ってしまった。

 

「ふぅ……なかなかの仕事だったぞ」

 

「……なんか後味悪いけど、あれ大丈夫なのか?」

 

「気にするな、いつもの事だ。どうせすぐ戻ってくる。今のうちにルールを確認しておくといい」

 

そう言って黒髪鬱美人は満足げに羽瀬川の下へと行った。

 

俺も戻るか……。

 

 

「比企谷くん、やりすぎよ」

 

やはり雪ノ下が糾弾してくる。確かに罪悪感を感じるような結果になってしまったのだから甘んじてそれを受け入れよう。

 

「ああ、さすがにちょっと反省してる……」

 

「気持ちはわかるけれど、やるのなら一言で斬り捨てなさい」

 

あ、それならいいのね。ってそれもどうだろうか。

 

苦笑していると、くいくいっと袈裟の裾が引かれる。

 

「……ごめん」

 

振り返ると、小さな声が聞こえた。

 

……こりゃ完全に失敗だったな。俺がこいつから謝られてどうする。

 

「別にあなたが謝る必要はないのよ」

 

……代弁ありがとう、雪ノ下。

 

「私たちが勝手にやるだけだもの。……これからもね」

 

その言葉を聞いて、どう反応していいかわからないようで困った様子でもじもじする由比ヶ浜

 

まぁ、空気を変えるか。

 

「で、雪ノ下。『退出ゲーム』ってどんなルールなんだ?」

 

「そうね……場所と立場を設定して、それに矛盾しない、無理のない範囲の発言でその場所から外に出られれば勝ち、というものよ」

 

「えーっと、わかるようなわからないような……」

 

雪ノ下から説明を受けても相変わらず首を傾げる由比ヶ浜。まぁ俺も理解できていないが。

 

「どう説明したらいいのかしら……。例えば、銀行強盗と行員の二手に分かれて、一人でも先に逃げた方が勝ち、と言えばわかるかしら」

 

「……ああ、そういうことか。強盗側なら警察が来ないだとか抜け道を知っているだとか言えば良いってことだな」

 

「その通りよ。逆に行員側である場合は人質の解放だとかで外に出られるようにすればいい。もちろん相手側からの反駁はあるでしょうけれど。由比ヶ浜さんはわかったかしら?」

 

「うん、オッケーだよ」

 

「そう、よかったわ。あとは詳細なルールの設定があると思うけれど……」

 

「それは後だな」

 

「ええ、そうね」

 

とりあえず話はまとまった。後は金髪ビッチが戻ってくるのを待つばかりである。

 

 

会議が終わった瞬間、いきなり羽瀬川の声がした。

 

由比ヶ浜さん、さっきは星奈が悪かった。でも、あいつはあれで悪い奴じゃないんだ」

 

「えっ!? や、全然へーきだよ! あれくらい全然気にならないし、羽瀬川くんも気にしないで!」

 

突然後ろから声を掛けられて驚きつつもしっかり反応出来ている由比ヶ浜。すげえな……。

 

「そ、そっか。ま、まあ、悪く思わないでくれ」

 

「う、うん」

 

……なんと言うか、律儀な奴だな。金髪ビッチに悪印象を持って欲しくなかったのだろう。

 

しかし誰かをフォローすることは必ずしも全員にとって良い結果に終わるとは限らない。

 

なぜなら、黒髪鬱美人が由比ヶ浜を超睨んでるから。いや怖えよ。

 

羽瀬川はタイミングを窺っていたようだし、もしかしたら由比ヶ浜に謝りに行くために会話を切り上げられたのかもな……。

 

彼女は間違いなく羽瀬川を意識しているだろう。金髪ビッチを追い払ったのも二人きりになるためだったとしてもおかしくはない。

 

金髪ビッチも同様だろうし、これってもしかして三角関係? わあ大変。ご愁傷様。

 

ほどなくして本当に金髪ビッチが戻ってきた。何事もなかったようにけろっとしている。メンタル強いな……。

 

また面倒が起こると話が進まないので雪ノ下を送り出し協議してもらう。

 

数分後、雪ノ下が戻ってくる。

 

「詳細が決まったわ。まず、誰かの発言は必ず肯定から入る事。こうしないと破綻してしまうわ」

 

「うん、わかった」

 

「次に、今いる場所そのものを破壊ないしは消滅させることは禁止ね。収拾がつかなくなるもの」

 

「了解」

 

「あとは殆どなんでもありよ。宇宙人が攻めてきても良いし、未来の謎の技術で比企谷くんが生き返っても良い」

 

「なんで俺既に一度死んでる設定なの?」

 

「いえ……。あ、じゃあ、目の話で」

 

「あははっ! いくらなんでもそれは無理だよゆきのん!」

 

「そんな謎技術でも諦められちゃってるのかよ……てか、じゃあってなんだよ」

 

「とにかく、ルールは把握できたかしら」

 

流されちゃいました。

 

俺の事など全く気にせず頷く由比ヶ浜

 

いや別にいいけどさ……。

 

「あと、言い忘れていたけれど、小体育館の仮設ステージでやるみたいよ」

 

「ええっ!? ってことはやっぱり観客がいたり!?」

 

「いるでしょうね。でも大丈夫よ。もともと演劇部が用意した出し物で、今までにも何度か行われていたみたいだから特別注目されることは無いと思うわ」

 

「そ、それなら、安心……かな?」

 

いや全く安心できないと思うけどな。間違いなく注目されるだろうし。

 

もともと美少女揃いな上にコスプレまでしているし。総武高校で行われたのなら俺は100%見に行く。そもそも文化祭自体に行っていない可能性の方が高いが。

 

まあ今更言ってもどうにもならないだろう。

 

「ところで雪ノ下、お題はどうするんだ?」

 

「それは現地で指名した観客に出して貰うそうよ」

 

「そうか……無茶振りが怖いな」

 

「そうね、でもいくらでもやり様はあると思うわ。……公序良俗に反しない限りね」

 

そう言って薄く微笑む雪ノ下を見ていると何やら背筋に冷たいものが走る。くれぐれも良識に乗っ取ったお題を出して欲しいものだ……。

 

「もう質問はないかしら? ……では、行きましょう」

 

ぞろぞろと連れだって歩くこと5分、目的の小体育館に着く。

 

幸い出演予定っぽいグループはおらず、今回も金髪ビッチが話を通しすぐに順番が来る。

 

ステージの上に立ち、辺りを見渡すと館内に設けられたパイプ椅子は既に半分以上が埋まっていた。

 

奉仕部、隣人部の全員がステージに上がると、演劇部員と思わしき女子生徒がやけにノリノリな調子で改めてルールを説明し、各員を勝手に紹介し始める。

 

もちろん俺はさらっと流され、その分雪ノ下と由比ヶ浜の時間が長めに取られる。

 

まあ流されたと言っても羽瀬川よりはマシだろう。彼の紹介は「は、羽瀬川小鷹く……羽瀬川小鷹さんです」だけで終わった。どんだけ怖がられてるんだよ……。

 

それを除けば司会の流れるような話術により事は面白おかしく進み会場が適度に温まった頃、お題を出す人を指名するために雪ノ下にマイクが渡される。

 

人前に出ても全く動じず超然とした佇まいにその容姿も相まって、観客たちの視線は自然に雪ノ下に引き込まれる。

 

男女問わず、誰しもが今か今かと期待と緊張の入り交じった表情で雪ノ下の指名を待っている。

 

僅かな間をもって、雪ノ下の唇が音を紡いだ。

 

「では、そこのあなた。お題を出して頂けないかしら」

 

演劇部の司会がするすると流麗な字でスタンドに付けられた紙にお題を書いていく。

 

書き終えた彼女は、再びマイクを手に取ったその流れでこちらに向き直るとアドバイスをしてきた。

 

曰く、退出ゲームはあくまで劇であり、観客を味方に付けることこそ肝要である、とのことだ。

 

展開に無理があろうが無かろうが、全てを判断するのは観客である。つまりはそういうことらしい。

 

それだけ言うと、打ち合わせの時間も与えられずに開始の合図が下された。

 

雪ノ下に指名された人が出したお題は『別々に拉致されて密室に閉じ込められた2つのグループ』

 

これから俺たちはこの設定に基づき、どうにかして密室から退出もとい脱出しなければならない。

 

なんか迷路といい密室といい、脱出してばっかだな。

 

ちなみに制限時間は10分らしい。なにそれ初耳。

 

ステージの上には6人。中2階に設置されたスポットライトが俺たち一人ひとりを照らす。

 

既に劇は始まっているのだ。

 

しかし決められている状況は断片的であり、何故拉致されたのか、その方法は何か、そもそもここはどういう状況の密室なのかも不明である。

 

全てはこの後の展開次第、ということになる。

 

故に、最初に発言するものは大きなイニシアチブを得る事が出来る。

 

どちらかに不都合な発言があった場合、それを覆す為にはその発言に依って限定された状況の中でしか動くことができなくなってしまうからだ。

 

ここは先制するべきところだ。

 

とは言っても、自分たちのみが有利になるような状況にすることなど俺には考え付かない。

 

先程由比ヶ浜にしたように、今回も丸投げしよう。

 

「なあ雪ノ下、今は一体どういう状況なんだ?」

 

俺が問いかけると、少しは自分で考えろとでも言いたげな視線を送ってきた。

 

しかしこちらも負けじと、俺が勝手に決めてもお前怒るだろ?と濁ったジト目で反論する。

 

仕方ないわね……という声が聞こえそうな表情で髪を払うと、僅かに考える素振りを見せてから、俺と由比ヶ浜から離れ観客の方を向く。

 

「今の状況は、全員同じ部屋にいて、窓のない完全な密室であり唯一の出口である扉には鍵が掛けられていて開かない。他にあるものと言えば、壁にある時計くらいね」

 

雪ノ下が喋り終えると、司会がお題を書いた紙に設定を追加していく。観客及び俺達が設定を忘れないようにとの配慮だろう。

 

ほとんどお題をなぞる形であり、こちらだけが有利な設定ではないがそうそう都合良くいきなり思いつくものでもない。

 

恐らく雪ノ下の意図はとりあえず全員を全くの同じ状況にするということだろう。

 

であれば、今後は臨機応変に動いていくしかない。

 

「確かに鍵が掛かっているな。だが、実は私はさっきここで鍵を拾っていたのだ」

 

黒髪鬱美人がしかけてくる。やはり隣人部で最初に動くのはあいつか。

 

俺と同じでいちゃもんつけたり屁理屈をこねたりするの得意そうだもんな。

 

これまでの勝負で俺と似たような匂いを感じている。

 

「そうね、鍵を落すなんて間抜けな人ね」

 

はい、間抜けなの部分でわかりました。……わかったからそんなにこっち見なくていいから。

 

「それ俺の鍵だわ」

 

雪ノ下が視界の端で頷くのを確認しつつ、黒髪鬱美人の方に手を差し出す。

 

ちっ、と小さく舌打ちして彼女は鍵を俺に渡した。無論、実物があるわけではないので演技である。

 

彼女の舌打ちも演技であると願いたい。

 

「そもそもここの扉は電子ロックだから、例え落ちていた鍵がそこの間抜けさんのでなくても通常の鍵では開かないわ。加えて言えば、既に試したのだけれど拉致された私たちには正しいパスコードの入力は不可能みたいね」

 

駄目押しとばかりに雪ノ下が言う。というかその設定にするならなんで俺に受け取らせたんだよ……。

 

結果として無意味に罵倒されただけである。

 

うん、司会の人もそこは『扉は電子ロックである』だけでいいよね?

 

比企谷八幡は間抜けさんである』とか書かなくていいから。さん付けが逆に余計に腹立つから。観客もくすくす笑うな。

 

あ、でも月子ちゃんが言う変態さんはアリだと思います。先輩は変態さんですねとか超言われてみたい。

 

俺が現実から目を背けていると、金髪ビッチが一歩前に出る。

 

「あたしは見ての通り美少女でしかもお金持ちだし、身代金目当てとかでいつ誘拐されても良いように色々と準備していたわ。だから壁を壊す道具も常に持っているの」

 

「ああ、いつも持っていたあれか。あれなら壁を壊せそうだな。だが忘れたのか? 拉致された際に身体検査を受けて凶器や私物は没収されていただろう」

 

「ちょ、夜空!? なんであんたが反論してくんのよ!」

 

金髪ビッチの言うとおりである。おかげで手間が省けて楽ではあるが。

 

「自分で美少女だなんて恥ずかしくないのか。見ろ、観客も失笑しているぞ」

 

「はぁ? 別に事実なんだからいいじゃない。不細工どもの嫉妬なんてどうでもいいわよ」

 

うわぁすげえ発言。完全に司会のアドバイス無視してんな。

 

観客を敵に回してどうする。まあ、勝つ気がないならそれでもいいかもしれないが。

 

「ねぇ、ヒッキー……あたしはどうすればいいの?」

 

未だ口論している二人をよそに、由比ヶ浜が小声で話しかけてくる。

 

そういえば羽瀬川もそうだが、こいつは始まってから一度も発言していない。

 

隣人部の攻撃への対応は雪ノ下に任せるとして、俺と由比ヶ浜は相談して攻めた方がいいかもしれない。

 

「正直、俺もどうすればいいかわからないが、大抵のことは雪ノ下が反論してくれるだろうから俺たちは脱出の方法を考えるぞ」

 

「……でもあんまり下手に動くとダメだよね」

 

「確かにな。基本的に向こうの反論を見越しておかなきゃならないし」

 

二人してうむむと首を捻って何か良い手はないかと考える。

 

しかしあまり時間はかけられない。由比ヶ浜も同じことを思ったのか、お題・設定の紙を指し示した。

 

「なんかどんどん設定追加されてるし早くしなきゃ……!」

 

俺もそちらに目をやると、紙にはいくつか文が追加されていた。

 

曰く、全員普通の人間であり、目からビームは出ない。

 

曰く、見た目は普通だが壁や床、天井その他部屋の物は全て宇宙超合金(?)で出来ており物理的な破壊は不可能。

 

曰く、隠し通路等は存在しない。あくまでも出入口は扉のみである。

 

曰く、比企谷八幡の職業は引きこもりである。

 

なんだよ目からビームとか宇宙超合金って……てか最後のは確実に雪ノ下の発言だな。引きこもりは職業じゃねえだろ……。

 

ちょっと目を離した隙にこれである。

 

多少粗があっても、ここは完全に動けなくなる前に何かしら行動は起こしておくべきだろう。

 

ぱっと思いついた作戦を由比ヶ浜に簡単に説明しようと思ったが、既に雪ノ下に何事かを吹きこまれている最中だった。

 

「……う、うん。わかった。やってみる」

 

話は終わったようで、こちらに近づいてくる。

 

「ヒッキー、ゆきのんが死になさいだって」

 

「いきなりであんまりじゃないですかね……」

 

なにこのカミングアウト。人づてってあたりが余計傷つくんですけど……。

 

由比ヶ浜さん、私はそんなこと一言も言っていないのだけれど」

 

「はっ、そうだった! 死んだフリだったね」

 

「正確には病気のフリよ。……私が相手の退出を防ぐから、よろしく頼むわよ」

 

「うん、任せてっ!」

 

「……本当に、よろしくね」

 

若干どころかかなり不安そうな素振りをしつつも隣人部を待ち構える為に舞台の中央に向かう雪ノ下。

 

まあよく考えたら死ねだなんて言うはずがないよな。

 

雪ノ下は罵倒や暴言に関しては数限りなく吐くが、あいつに直截的に死ねといわれた事は一度も無い気がする。

 

もっと上品な言葉で的確に僕の心のやらかい場所をいつでも刺し続けてくるのが雪ノ下雪乃という人間だ。

 

「で、由比ヶ浜。俺はどうすればいいんだ?」

 

「とりあえず、ヒッキーは倒れるだけでイイって」

 

「わかった。後は任すわ」

 

「うんっ」

 

雪ノ下に頼まれごとをされたのが余程嬉しいのか、やる気に満ち満ちた様子だ。

 

由比ヶ浜はアホだが空気を読む事にかけては他の追随を許さない領域にいる。

 

雪ノ下のプランに沿って動けばそうそう間違えることはないだろう。

 

先の発言通り、後は任せる事にしよう。

 

「じゃあ、ヒッキー、倒れて」

 

「あいよ」

 

せいぜい病人に見えるように演技してやるか。

 

つまりこのまま横になるだけでオッケー。俺の腐った目は負の方向においては万能である。

 

ごろり。

 

ライトで照らされていたせいか、ステージの床が冷たくて気持ちいい。

 

椅子に座った観客と視線の高さがほぼ一緒で思いっきり目が合うが、瞼を閉じて仰向けになってしまえばなかなか快適な場所である。

 

その観客の方から「あの人急にどうしたの?」とか聞こえるが、そんなこと言われても俺自身どうしたのかわからない。

 

このまま寝てもいいですかね。

 

不意に頭の上から「よし」と何やら意を決したような声が聞こえる。

 

ふわふわりと本日4度目の由比ヶ浜の匂いを感じた直後、ふわふわると頭を柔らかい感触が包んだ。

 

「た、たいへん! ヒッキーがしんじゃうよ!」(棒)

 

スピリチュアルな副会長もびっくりの棒読みに観客席から笑い声が聞こえたが、そんなことはどうでもいい。

 

重要なのは今俺が置かれている状況だ。

 

冷たい床に付けていたはずの俺の後頭部は今や温かくて柔らかい何かに乗せられている。

 

右肩と額に手が乗せられている事を鑑みるに、これは俗に言うアレである。

 

状況を理解してしまった以上、絶対に目を開ける事は出来ない。

 

ただでさえ後頭部から伝わる感触だけで顔が熱くなっているのに、今目を開けてしまったらひとつのモノしか目に入らず、理性など木端微塵に爆散するのは明白。

 

そのまま社会的に死ぬまである。

 

マジでこういう行動はやめて欲しい。真意の程は考え始めるとドツボに嵌るから後回しにするとして、今は自分を抑えないと色々ヤバい。

 

「はやくちりょうしないと!」(棒)

 

由比ヶ浜由比ヶ浜で棒化が酷いが、それでも演技を続けるようである。とにかくなるべく意識を後頭部から離そう。

 

由比ヶ浜さんの言う通りね。目的がわからないとはいえ、拉致した側の人間としてはみすみす死んでしまうのを見過ごすはずは無いわ。きっと扉を開けてくれるはずよ」

 

雪ノ下が由比ヶ浜に合わせる。さっきの打ち合わせ通りなのだろう。しかし、これでは……。

 

「それはどうかな。一人くらい減ったところで犯人は気にしないだろう」

 

予想通り、黒髪鬱美人から反駁される。

 

適性があるのか、はたまたこういう演劇が好きなのかは知らないが、隣人部からの反論は彼女からされる事が多い。

 

「それに、医者ならここにいる」

 

「そ、そうだ。俺は医者だ。診せてくれ」

 

急に振られたようだが、なんとか流れに乗る羽瀬川。

 

……俺もあいつも流されるままである。若干シンパシーを感じないでもない。

 

「でも待って、医者は医者でも精神科医でしょう? あなたでは比企谷くんの治療はままならないわ」

 

雪ノ下の発言に困った顔で動きを止める羽瀬川だが、今度は金髪ビッチからの援護が飛んでくる。

 

「大丈夫! 小鷹ならやれるわ! だってそいつ引きこもりからくる精神病だし!」

 

ひでえ。

 

観客も「ならしかたないな」とか「確かに病んでそう」とか賛同しちゃってるし。

 

「……そう、ならお願いするわ。彼の病気を治してあげて」

 

雪ノ下もこの攻め方ではここまでと見たのか、話題を打ち切ってしまった。

 

間抜けと罵倒され、いつのまにか引きこもり扱いされ、そして精神病患者にされる。

 

そろそろ泣いてもいいですか。

 

「ゆきのん、ダメだったね……」

 

どうやら治療されたらしい俺が半身を起こすと、えらくしょんぼりした様子の由比ヶ浜が立ち上がりつつ言う。

 

ちょっと名残惜しかったりするのは秘密だ。

 

「そうね」

 

「そうそう簡単にはいかないだろ。俺でも反論を思いつくぐらいだったし」

 

「あら、そうかしら。まあ、今回は比企谷くんの出番はほとんど無いから、あなたはそこでそうしてるといいわ。むしろいいと言うまでそのまま寝てなさい」

 

「なにもしなくていいのならそうするが……やけに自信満々だな。何か策があるのか?」

 

俺の質問には答えず、雪ノ下は微笑むと隣人部の方を向く。

 

どうやら任せろという事らしい。まあ、あいつがそう言うならいい。

 

無責任な信頼などしていないが、過去の例を鑑みるに雪ノ下があの表情をしたときは実際なんとかなっている。

 

だからここは全力でサボらせてもらおう。由比ヶ浜の攻撃で変な汗かいて疲れたしな。

 

……まあ、例え失敗したとしても由比ヶ浜や俺が加わってフォローすればいいだけだ。

 

由比ヶ浜さん、拉致された際の状況は覚えているかしら?」

 

「えっと、ゆきのんと街を歩いていたら急に意識が遠くなって、きがついたらここにいたよ」(棒)

 

……由比ヶ浜の演技力はもうちょっとどうにかならないのか。普段学校生活で演技しまくって得意なはずだろ。

 

「そう、あなたたちはどうかしら?」

 

隣人部は雪ノ下の問いに即答をしようとはしない。

 

無理もない、由比ヶ浜の様子をみれば打ち合わせ済みなのは瞬時にわかる。罠を警戒するのは当然だろう。

 

「私は、小鷹と歩いていたら捕まったな。肉は知らん。その辺に捨てられていたのを拾われたんじゃないか?」

 

「あたしは捨て犬か! あたしも小鷹と一緒にいたわよ!」

 

「そうね、三日月さんは柏崎さんが身体検査を受けていた事を知っていたのだし、羽瀬川くんと一緒にいたと言うのであれば三人で同じタイミングに拉致されたということになるわね」

 

「む……まあ、そうだな」

 

「では三日月さん、捕まった時に犯人の顔は見た?」

 

質問を繰り返す雪ノ下をやはり不審に思っているのか黒髪鬱美人はまたしても即答を避ける。

 

「……いや、後ろから襲われた上に目隠しされていたからな。見ていない。だが、犯人は背の高い男だったのは覚えている」

 

恐らくその答えで正解だ。見たと答えてしまえば犯人にとっては大問題となる。雪ノ下なら犯人に黒髪鬱美人を撃ち殺させるくらいはするだろう。

 

加えて、数多くの設定が追加された今ここから出る事が出来るのは拉致された人間以外、つまり犯人しかいない。

 

隣人部全員が被害者だと決められてしまった以上、俺たちが犯人であるという道を潰しておかなければ不利になる。

 

「そう、私たちも先に述べたように気を失っていたからわからないけれど、確かに背の高い男だったわ。手口から見て同一犯と考えてよさそうね。では、犯人の目的はなにかしら?」

 

「お、お医者さんがいるし、みのしろきんもくてきなんじゃないかな?」(棒)

 

……由比ヶ浜が棒演技をしている? つまり雪ノ下が描いた流れ通りにきているということか。

 

だが何が目的かは俺にはわからない。下手に口出しはしない方がよさそうだな。

 

「羽瀬川くんは医者、柏崎さんはお金持ちの美少女。確かに身代金目的というのは可能性としてはありそうね。では、三日月さんは何者かしら?」

 

「雪乃ちゃんそんな美少女だなんて……その通りだけど嬉しい……」

 

「肉、貴様は黙っていろ。私は……そうだな、小鷹の嫁だ」

 

「はぁ!? あんた何言ってんの!?」

 

「なんだ肉、これは所詮劇の設定でしかない。それでも何か不都合があるのか? あるなら言ってみろ。今、ここで」

 

「ぐっ……べ、別に、ないわよ! ……てか小鷹はどうなのよ!」

 

「い、いや星奈、夜空が言うとおり劇の設定なんだからなんだっていいだろ? それよりどうやってここから出るか考えようぜ」

 

……あのー、ラブコメ街道まっしぐらですけど、衆人環視の真っただ中というのを忘れてませんかね?

 

ほら、そこかしこから怨嗟の声が聞こえてますし。外で出くわしたセナサマ教信者の方々ですかね。

 

とは言っても雪ノ下はそんな空気など完全に無視するのだが。

 

「三日月さんは羽瀬川くんの配偶者ということでいいのかしら」

 

「ああ、いいぞ。……そう言う貴様たちは何者なのだ」

 

首肯し、誰何する黒髪鬱美人を見て一瞬ほくそ笑む雪ノ下。

 

「私たちは同じ学校の学生よ。そうよね? 由比ヶ浜さん」

 

「うん、そうだよ。どうきゅうせい」()

 

……雪ノ下、あいつ何か罠に嵌めたな。巧みな誘導尋問で俺のトラウマをほじくり返すときと同じ表情をしているし。

 

彼女があの表情をするときは何かを企んでいる時だ。ソースは俺の実体験。

 

たまに由比ヶ浜が部室に来ない日があるが、最近ではそういった日はほとんど一言も喋らないか、お互いの傷をえぐり合うかの二択になっている。

 

おかげで雪ノ下トラウマ検定2級くらいの実力になったが、俺はそれに倍する量を披露しているので結果としてのダメージは俺の方がでかい。

 

まあ実際は誘導尋問と言うよりはほぼ自爆なんですけどね。

 

代償は大きかったが、ある程度奴の表情を読む事は出来るようになったのは収穫と言っていいだろう。

 

雪ノ下はしばしば地雷をばら撒くのでいちいちそれを踏み抜いていたら身が持たないからな。

 

ただでさえ古傷ばかりの身なのだ。新しい傷を負わされてはたまらない。

 

閑話休題

 

雪ノ下が発言を再開する。

 

「どうやら被害者である私たちでは外に出るのは難しそうね」

 

「そうだな、だが外からは開けれられるだろう。実は私は拉致されたときに手掛かりを残しておいたのだ。直に助けが来るだろう」

 

「どこに連れ去られるかわからないのに、どんな手掛かりを残しておいたのかしら?」

 

「そ、それは……いざという時のために発信器を……」

 

「でも、取り上げられているわよね。当然ここに来るまでの間に捨てられているわ」

 

「……」

 

ばっさりと切り捨てる雪ノ下。

 

その後も隣人部が発案したその全てにケチを付けていく。

 

どれもこれも一応筋が通っているのが非常に質が悪い。

 

……。

 

もはや発言しようとする者は誰もいない。

 

あれだけ理詰めで否定されまくるのだ。自ら嫌な気分になろうという者はいないだろう。

 

スポットライトの光に照らされた5人。

 

その光の間はただただ埃が舞うばかりである。

 

ちなみに俺を照らしていた光はいつの間にかなくなっていた。

 

暗くて快適。

 

完全に空気が悪くなってしまっている。

 

ただでさえ、奉仕部、隣人部共に手も足も出ない状況なのだ。

 

そのうえ冷え切ったこの空気で発言するのは冷遇に慣れているはずの俺でさえ躊躇ってしまう。

 

だが躊躇しているこの間にも刻一刻と残り時間は減っていく。

 

観客もしらけ始め、見かねた司会が何か言おうとした矢先、唐突に雪ノ下が口を開いた。

 

「この通り、拉致された私たちでは外に出る事はできないわ」

 

静まり返った館内に響く、透きとおるような声。

 

開始前と同様に、観客の視線が雪ノ下一人に集まる。

 

「でも、一人だけ、たった一人だけそれが可能なの」

 

そう言って未だに暗がりに寝転がったままの俺を指差す。

 

えっ? 俺ですか!?

 

雪ノ下が一身に集めた視線が彼女の人差し指を伝ってそのまま俺に集中する。

 

照明係も俺の存在を思い出したのか、視界が一瞬にして白くなり、やがて橙色に落ち着く。

 

「彼ならあの扉を開ける事が出来るわ」

 

スポットライトの光がじりじりと肌を炙り、集った熱視線が身を焦がす。

 

やめろよお前と違って俺は侮蔑とか軽蔑の視線にしか慣れてないんだよ。

 

「いや、それはおかしい。不可能だ!」

 

蛇に睨まれたヒキガエルの如く身を硬直させていると、黒髪鬱美人が反駁してくる。

 

「先程貴様が言ったように、私たちが扉を開くのは状況的に既に不可能だ。詰んでいると言ってもいい」

 

「確かに、私たちには不可能よ。でも、お題をもう一度よく見て頂戴」

 

そう言われて見ない奴はいないだろう。

 

司会も空気を呼んで声に出して読む。

 

「お題は『別々に拉致されて密室に閉じ込められた2つのグループ』です」

 

「どうも。ご覧の通り、私たちは別々に拉致されて、密室に閉じ込められているわね」

 

雪ノ下は司会に会釈をし、内容の確認をする。

 

無論、再び言われるまでもなく全員が理解している事だ。

 

だが彼女はお題に注目させた。そこに意味が無いはずは無い。

 

恐らく答えは出せるはずだ。

 

俺が脱出の鍵というのであれば、隣人部よりも早く理解しなければならない。

 

雪ノ下が組み立てたこのチャンスを無駄にしないためにも。

 

俺は半分以上寝ていた脳味噌を叩き起こす。

 

迷路の時と同様、条件は全て示されており、あまつさえヒントまで貰っている。

 

これで正答できなければ頭脳派ぼっち失格だ。

 

いやそんなこと一度も言ってないし思ってもいないけど。

 

設定や状況を脳内に羅列し、必要な情報のみを取り出す為に吟味していく。

 

最も重要なのはお題であるが、その後追加された全ての設定とも矛盾してはいけない。

 

多少の穴はこの後の対応でなんとかなる。

 

まずは雪ノ下の意図する事を理解するのが先決だ。

 

……。

 

……なるほど、そういうことか。

 

気付いてしまえば至極単純なことだ。

 

論理の強度に不安が残るが、場の空気をうまく使えばゴリ押しできるだろう。

 

というか、時間も無いしそうするしかない。

 

まあピエロになるのは得意分野だ。

 

上手くやってくれよ、雪ノ下、由比ヶ浜

 

さあ、雪ノ下雪乃プレゼンツ比企谷八幡再生プロジェクトを始めようか。

 

 

退出ゲームはもともとは即興劇であるらしい。

 

だが、これから俺と雪ノ下たちが行うのは即興劇ではない。もっと馬鹿馬鹿しい何かだ。

 

端的に言えば、茶番である。

 

「雪ノ下、俺は外に出られるのか?」

 

この質問で俺が回答を導き出したことを理解したのか、雪ノ下は満足げに微笑する。

 

「ええ、比企谷くん。あなたはもう外に出られるわ」

 

「そうか」

 

俺は立ち上がると、あたかもそこにあるのかのように見えない扉に向かって歩き始める。

 

「ちょ、ちょっと待て! だから扉を開けるのは不可能と言っているだろう!」

 

慌てた様子で黒髪鬱美人が止めに入る。

 

「確かに三日月さんや私では無理よ。でも彼には出来る」

 

「何故だ!」

 

「なぜなら、彼は拉致されたのではなくて、始めからここにいたからよ」

 

「……は?」

 

尚も食い下がる黒髪鬱美人が目を白黒させる。

 

彼女と同じ反応が観客席のところどころでも見受けられたが、幾人か「……そういうことか」と気付いた者もいるようだ。

 

「思い返して欲しいのだけれど、私たちは外を歩いているときに拉致されたわ。あなたたちは三人とも同時にだったわね」

 

「それがどうした。私の記憶が正しければ、今も使ったように貴様は何度も『私たち』という言葉を使っている。当然その言葉にはその男も含まれるはずだ」

 

「一般的にはその通りね。ただ、今回はその限りではないわ」

 

そこで一度、雪ノ下は言葉を切る。

 

そして充分間を取ってから再び口を開く。

 

「だって、彼は引きこもりじゃない。外にいるはずがないわ」

 

しん……と館内が静まり返った。

 

数瞬の間をおいて、誰かが言った「引きこもりなら、しょうがないな」という台詞を契機に、観客席は笑い声で包まれる。

 

ああ、笑われてる笑われてる。俺笑われてるよ。

 

この感覚はあれだ、あの時と同じだ。

 

中学校に入りたての頃に同じ小学校だった奴らに……いや、今はそれはいい。

 

場が納まらないうちに、雪ノ下は理屈をさらに畳みかける。

 

「彼がここにいたと示すものはまだあるわ。三日月さんは最初、ここで彼の鍵を拾ったでしょう? それっておかしい事だと思わない?」

 

「別に鍵ぐらい落ちていても……」

 

言いかけて、はっと気付く黒髪鬱美人。

 

「そう、落ちているはずは無いのよ。なぜなら、拉致された際に私物は全て取り上げられていたはずだもの」

 

ぐっ、と唸る黒髪鬱美人の横では金髪ビッチが何故かキラキラと目を輝かせている。

 

「雪乃ちゃん凄い! あったまいいー! ああん凄いわ! 可愛くて頭も良いなんてまさにあたしにピッタリね! 雪乃ちゃん、一緒になろ? ね? ハァハァ……」

 

いや怖ぇよ。由比ヶ浜が雪ノ下かばうように前に出るくらい怖ぇよ。てか息を荒げんな。

 

とにかく金髪ビッチも理解した様子である。

 

「か、彼の私物である鍵がここに落ちていたということも、拉致された人ではないという事を示しているわ」

 

怯えながらも気を雪ノ下は取り直して解説を続ける。

 

「そもそもお題には、別々に拉致されて密室に閉じ込められた『2つの』グループと書かれている。私と由比ヶ浜さん、それにあなたたち。もうこの時点で2つのグループは拉致されてしまっているわ」

 

「それに、ヒッキー一人じゃグループって言わないよね。引きこもりだし」

 

おい由比ヶ浜。今の台詞は演技じゃなくて本心で言っただろ。棒読みはどうした。

 

俺の脳内ツッコミはもちろん誰にも聞こえず、由比ヶ浜の発言で観客はさらに沸く。

 

図に乗った観客から好意的な、あくまで好意的な野次が飛び始める。「一人でも頑張れ引きこもりー!」とか言った奴誰だ。今まさに超頑張ってるっつーの。絶対許さない。

 

「じゃ、じゃあなぜ私たちはなぜ引きこもりの部屋に拉致されたのだ? 養育費とかに困ったあげくの身代金目的なら別の部屋でもいいはずだ。そもそも貴様らただの学生を拉致する理由が無い」

 

黒髪鬱美人が最後の最後で鋭い反論をする。

 

やるな……この部分が最も設定と論理に隙のある部分だ。

 

だが、観客という空気を味方に付けた以上、多少の道理には引っ込んでもらおう。

 

「それはもちろん身代金目的ではないからよ。柏崎さんが言ったように、彼は精神病だったの。その治療が目的」

 

「それはもう俺が治したって訳か……」

 

諦めたように羽瀬川が言う。

 

「その通りよ。私や由比ヶ浜さん、柏崎さんが拉致されたのは……まあ、犯人が、恐らく彼のご家族がただ面食いだったというだけよ」

 

おいおい、ほとんど勝ちは確定しているとはいえ投げ遣り過ぎませんかね雪ノ下さん。あと勝手に人の家族を犯罪者にするな。

 

特に親父は絶対に刑法に問われる犯罪なんてしないぞ。むしろ美人局とかに引っかかる方。……どっちでも駄目だ。

 

「とにかく、羽瀬川くんの言うとおり彼の病気は治った。そしてここには食べ物はおろか衛生設備も無く、およそ人間が生活出来る環境ではない。家の中は日常的に行き来していたはずよ」

 

「そうだな、俺はその電子ロックのパスコードを知っている」

 

「でも、それだけではいけないわ。比企谷くん、あなたを止めるものはもう何もないの。外の世界に出ましょう」

 

「そうだよ、ヒッキー! 一緒に行こうよ!」

 

雪ノ下が背中を押し、由比ヶ浜が手を引く。

 

もう既に腹はくくった。せいぜい道化を演じてやろう。

 

「ああ、行ってみるよ。外の世界に」

 

観客席からも「そうだ! こっちにこいよ!」「頑張ってー!」「応援してるよー!」などの声援がそこかしこから飛んでくる。

 

……皆ノリ良過ぎだろ。というか司会者、お前はそこに混じっちゃ駄目じゃね? しかも率先して煽ってるなあの人。

 

まあいいや。

 

この勝負は奉仕部の勝利で戦況は3-2。ようやく勝ちが見えてきた。

 

流れは完全にこちらに来ている。この調子で連勝してしまおう。

 

『かくして、一人の引きこもりは万雷の声援と拍手をその一身に浴び、まるで生まれ変わるような心境で、部屋からの、己の殻からの第一歩を踏み出したのであった』

 

いや別にナレーションいらないから。引きこもりじゃないから。

 

 

喝采を背に、ステージから遠ざかる。少し異常とも言えるほどにノリの良い観客たちは未だ興奮冷めやらぬ様子だ。

 

そのテンションの高さで勝ちを得た身としては何も文句はないが、あそこまでいくとやはり異常である。

 

特に司会者が。

 

「また来いよー!」と大きく手をぶんぶん振り回す彼女はいったいどこに向かっているのだろうか。

 

名前も知らない他学校の生徒の行く末を案じていると、くいくいと袖が引かれた。

 

「ありがと、ヒッキー。ヒッキーも頑張ってくれたおかげて勝てたよ!」

 

そう言われても俺がしていたことと言えばほぼ寝ていただけである。

 

「それは皮肉か?」

 

「や、そんなつもりじゃないけど……」

 

反射的に卑屈ってしまった俺の肩に、ぽんと手が置かれる。

 

「ありがとう、比企谷くん。あなたのおかげで勝てたわ」

 

「それは皮肉だな」

 

ホントにそのやけにイイ笑顔やめてくれませんかね。可愛いだろが。あと不用意に触るのもやめて下さい。

 

思わず身をすくませたが噛まずに返せたのはここ半年ぐらいのいじられ訓練の賜物。おかげで皮肉や罵倒に対して体が勝手に反応するようになった。

 

嬉しくない。

 

まあ実際のところ、本来なら作戦を考え実行した雪ノ下こそ称賛や喝采を受けるべきだ。

 

こいつはそんなものは求めちゃいないだろうが、やり返しついでに礼のひとつでも言っておくか。

 

「ありがとな、雪ノ下。お前のおかg

 

「やめてくれないかしら」

 

言葉と同時に出した、肩に置こうとした手もぱしっと払われる。

 

……お前からやってきたんじゃないかよぅ。

 

「次はどうしようか? あたしたちが決めるんだよね?」

 

「ええ、このまま連勝したいところね」

 

例によって、次の種目を策定中だ。

 

前回までは由比ヶ浜たちが決めるに任せていたが、勝ちに行くと決めた以上、俺も真剣に考えなけらばならない。

 

勝つためにはこれまで雪ノ下がしていたように、それぞれの特技、持ち味を活かした戦いをするのが定石だろう。

 

パンフレットを確認したところ、俺が得意とする射撃系の競技は先の縁日の他にはないようだ。

 

また、クイズやなぞなぞ等それらに類するものも今日は開催されないらしい。

 

あやとりが活かせる場面は想像できない。他には一人ジェンガとかルービックキューブ、よくわからない川柳を考えるのも得意と言えば得意か。

 

後は……折り紙は鶴が折れないレベルだし、一人じゃんけんは左が強い。

 

どうやら俺に有利な競技はもうないようだ。

 

雪ノ下たちを見てもその様子からして同様である。

 

考え方を変えよう。

 

現状を鑑みると3対2とリードしており、俺たちは1回分のマージンを持っていることになる。

 

ということは次の一戦をその後の布石に使うという選択肢もあるだろう。雪ノ下は連勝したいと言っていたが。

 

ここはひとつ、その路線の提案もしてみるか。

 

由比ヶ浜、この前料理の練習してるって言ってたよな?」

 

「うん。毎日ママが料理してるとこ見てるよ」

 

「……そうか」

 

予想通りとはいえ頭が痛くなる回答だ……。横で溜息をつく雪ノ下の普段の苦労が察せられる。

 

「見学、という言葉もあるけれど、それは練習に含まれないわ……。前にも言わなかったかしら……何度も」

 

雪ノ下のぼやきが聞こえたが、まあ今はそれはいい。何も言うまい。むしろ好都合だ。

 

「じゃ、次の種目は料理対決にしないか?」

 

「……あなた、何を言っているの? 正気? 気は確か? ついに目の腐敗が脳に達したのね。残念ながら現代医療ではもう手遅れなの。空気感染する前に早めに処理して頂戴」

 

「一応疑問形にしているならせめて返答の余地を残してくれないか? あと病原菌扱いはホントやめて下さい」

 

「ゆきのん、それはちょっと言い過ぎだよ。ヒッキーだって頑張ってるんだからさ」

 

「フォローはありがたいが、むしろお前の方が馬鹿にされてたぞ」

 

「へ?」

 

「……いや、わからないならいい」

 

時々思うが、由比ヶ浜のアホ返しは攻撃にも防御にも回避にも使えるある意味万能なスキルだな……。

 

「で、どうだ?」

 

「どうもこうもないわ。わざわざ勝ち目の薄い種目にすることはないでしょう?」

 

由比ヶ浜に気を使ったのか、顔を寄せて小声で喋る雪ノ下。

 

「大体、あなたは私の体力の無さをわかっているの? 長引けば長引くほど私の能力は下がっていくわ」

 

「それは今日で改めて思い知ったが、自信満々に言うな。自覚があるなら鍛えろ」

 

「もちろん目下努力中よ。戸塚くんの依頼があった頃から」

 

マジかよ……。努力が実を結ばな過ぎだろ……。あれからだいぶ経ってるんですけど……。

 

こいつが努力してると言えば確かにしているのだろうが、たぶんきっとリハビリレベル。

 

平塚先生じゃあるまいし、年齢的には普通に生活していればある程度の体力はありそうなものだが……。

 

よく漫画やラノベであるように学校が坂の上にでもあったら自動的に少しは鍛えられそうだが、あいにく千葉市には坂自体がほぼ無い。

 

土地の大半が埋立地であるため当然と言えば当然なのだが、その平坦さはまるで雪ノ下のむnおっと話が逸れた。

 

……危ない危ない。雪ノ下は時折り驚異的な洞察力で胸囲的な思考を読んでくるからな。

 

もしバレたら話だけでなく大事な骨まで逸らすことになる。

 

「何を考えているの?」

 

「も、もちろん勝つための事に決まってるろ!」

 

「……無策での発言ではないのでしょう? という意味だったのだけれど、その焦り様を見ると本当に何を考えていたのか興味が出てきたわ」

 

「いや大丈夫だから。大丈夫大丈夫。うん、大丈夫」

 

まるで女の子ビデオに出演する男のように大丈夫を繰り返す。

 

あの手の大丈夫の大丈夫じゃなさは異常。ダイジョーブ博士の改造手術くらい大丈夫じゃないまた話が逸れた。

 

「た、確かに考えはある。雪ノ下の体力の無さを考えると、いたずらに時間をかけるのは利敵行為に近い。敵に塩を送るようなものだ」

 

体力が無いと言われた雪ノ下がむっとした表情をする。

 

さっき自分でに言ったくせにそう不満げな顔をするなよ……。言い返さない程度の自制心はあったようだが。

 

構わず話を続ける。

 

「だが、今回のこの状況に限っていて言えば、料理対決は負けることを前提にしてでもやる価値はある」

 

「私たちが敵に送るのは塩ではなく、毒、と言うことね」

 

……うん、まあ、そういう事だけど。

 

今だいぶ酷い事言ったからね? 俺ですら流石にオブラートに包んだ表現にするつもりだったのに。

 

お前がそんなこと言うから、いつの間にか横に寄ってきていた由比ヶ浜が「ど、毒かぁ……」とかショック受けてるだろ。

 

まあ、異論は全く無いが。

 

「比企谷くんの言わんとする事は理解したけれど……やはりその案、私は反対だわ」

 

流石は一を説明すれば十どころか、百あたりまで知る雪ノ下。察しの良いことで。

 

なんならマイナス十あたりまで察して俺のトラウマをほじくり返してくるまである。

 

「そうだろうな。まぁ只の提案の一つだ。別のを探そう」

 

「やけにあっさり引くのね」

 

「そりゃ、お前が嫌いそうな方法を提案したからな。却下されるのは織り込み済みだ」

 

「なるほど、それは私に喧嘩を売った、という理解でいいかしら?」

 

「んなことしねぇよ。……察しが良いのか悪いのかわかんねぇわ」

 

実際そんなことする訳が無い。何の準備もせずに雪ノ下に喧嘩を売るなんてただの自殺行為でしかないからな。

 

最低限退路は確保したい。

 

雪ノ下相手では用意した道ごとぺしゃんこにされるのがオチだが、あると無いとでは気持ちが大分違う。

 

例えばあれ、枕が変わると寝られないとかと一緒。

 

結局のところ眠けりゃ寝るだろうが、馴染みの枕があるに越したことは無い。気の持ちようとは意外と大事なのだ。

 

つまり旅行にも関わらず枕を取りに帰ったことりちゃんは許されて当然である。かわいい。

 

「あたしは、別に料理大会でいいと思うよ! 言われっぱなしはイヤだし!」

 

むくれた由比ヶ浜が言う。

 

ぷりぷりご立腹の様子である。おこなの?

 

いやまあ、そりゃ料理を毒扱いされたら誰でも怒るだろうが。

 

しかしこいつは小麦粉で木炭を錬成した実績というか前科持ちだ。しかも見てただけで練習したとか言い出す始末。

 

俺が半ば呆れた目で由比ヶ浜を見ていると、雪ノ下が口を開く。

 

「あなたがそう言うのなら私は構わないわ。お手並み拝見、と言ったところね」

 

「二人がやるって言うなら、俺には特に言う事はないな」

 

多数決であれば既に決定しているし、そもそも今日はここに遊びに来ているのだから、やりたいということにわざわざ水を差さなくていいだろう。

 

意図せず雪ノ下と目が合い、どちらからともなく頷き合う。

 

今考えなければならないのは、どうにかして由比ヶ浜の料理を食べなくて済むルールを考える事だ。

 

そう難しい話ではない。種目とそのルールの決定権は共にこちらにあるのだ。奴らにはたっぷりと由比ヶ浜の料理を堪能してもらおう。

 

演劇部主催のステージを後にし、次の会場へと向かう。

 

目的地は調理室。料理部が開催している料理大会、その名も『お米のはなし』。うん、一時期話題になったよね。一時間くらい。水で800円とられるのかなぁ。

 

にしても、奇妙な集団である。

 

よくわからない和装の三人とメイド×2+ヤクザ。

 

あの時はテンション上がっていたから気が回らなかったが、よく考えてみれば相当に恥ずかしい格好である。

 

隣人部の連中は置いておくにしても、あやかしがたりは流石に無い。ガイジンがいたら写真撮られちゃうぞ。

 

まぁガイジンがいなくても、雪ノ下と由比ヶ浜、金髪ビッチと黒髪鬱美人はそろいも揃って美少女なので時たま携帯で撮られそうになっているが、それぞれ雪ノ下と金髪ビッチが目で黙らせている。

 

あやかしがたりも、ましろやくろえの替わりにもっと市場に則したキャラにすればあるいは大賞の名に相応しい売れ行きになったかもしれない。

 

それは既にあやかしがたりではないが。

 

いや、だって3巻あたりから完全にヒロイン男だったからね。つまりそのコスプレをしている俺がヒロイン。

 

やだ困っちゃう! いや本当に困るわ。

 

到着。

 

ドアを開けてみると、既に結構な人数がいた。

 

ルールについては主催側の意向もあるので、雪ノ下も交渉に送り出す。

 

とは言っても、そもそも定員を超えていたら参加すら出来ないのだが。いつでもどこでも金髪ビッチの権力が通用するというわけでもないだろう。

 

待っている間は例によってすることがないので、辺りを何となく眺める。由比ヶ浜はもちろんご立腹中である。

 

ここは廊下や他の教室と違って、そこまで文化祭仕様になっているわけではなかった。

 

通常の調理室と違うのは、教卓の前にちんまりと食材が盛られた篭がいくつかあるくらいだった。

 

調理場という機能の性格上、あまり無茶な事は出来ないのだろう。

 

近年、保護者のモンスター化と共に食中毒や校内のその他諸々の危険について学校側が過敏になっていることも影響しているだろう。

 

千葉県の高校でも、食品を扱う模擬店を禁止している学校が続々と現れている。

 

こういった不特定多数が食品に触る催しが行われるのは既に少数派であり、ある程度自由がきく私立ならではというところか。

 

実際、珍しい催しなのか学園の生徒のみならず、一般客と思われるギャラリーも数多く見受けられる。

 

実習教室であるにもかかわらず、室内がやや狭く感じるほどだ。

 

その原因の一端というかほとんどを担っているのが、中央の調理台に陣取った三人の人物のようだ。

 

一人は端正な顔立ちをしていて、艶やかな黒髪を三つ編み+お団子ヘアーというよくわからない髪型の美人で、生徒会長と書かれた腕章をしている。

 

隣の女子と話すその立ち居振る舞いはいかにも豪放磊落であり姉御肌っぽくその手のマニア受けがよさそうだ。

 

その生徒会長と話しているのは、赤みがかったウルフヘアをした小柄な女子で、いかにも活発でロリロリしくその手のマニア受けがよさそうだ。

 

残りの一人は副会長と書かれた腕章をしているボーイッシュな美人であり、その手の(ry

 

要するに、ギャラリーの殆どはその手のマニアということになる。

 

何ここ魔窟?

 

「他校の女子ばっか見てて、随分と余裕そうだね」

 

横を見れば完全にへそを曲げた由比ヶ浜がいた。

 

確かに見てはいたが、俺はその手のマニアではないため心外である。

 

「別に見とれてたってわけじゃねえよ。敵情視察の一環だ」

 

実際は負けを見込んでいるので、被害者の確認と表現した方が正確だが。

 

彼女ら生徒会役員には悪いが、運が悪かったと思って諦めて欲しい。

 

ちなみにもう一つ参加グループがあるようだが、彼らに特筆すべき点はない。被害者D以下2名で十分。

 

「それより、お前こそ大丈夫なのか? 料理だぞ?」

 

「ふん、あたしだっていつまでも料理下手ってわけじゃないから!」

 

「そうかい」

 

今のところ上達してそうな要素一個もないけどな。

 

まあやってみればわかる。なんならやらなくてもわかる。

 

食べる、つまり被害に遭うのはあいつらなんだし、どっちでもいいしな。

 

話し合い、並びに参加登録は終わったようで、雪ノ下が戻ってくる。

 

結果を言う前にちらりとこちらに目配せをしてきた。……どうやらうまく行ったようだな。

 

「無事に参加出来る事になったわ。ルールは団体戦で、各チーム一人一品、合計三品作り、その後自分のチーム以外の料理を全員で試食したのち、料理部の5人が結果を発表するというものよ」

 

「なるほど。じゃ総合力で評価するってことだな」

 

「ええ。だから由比ヶ浜さん、あなたも大切な戦力なの。練習したというのならその努力の成果を見せて頂戴。無論、私は一切手助けしないけれど」

 

「任せてゆきのん!」

 

大切な戦力とか言われてあっさり機嫌を直す由比ヶ浜。こいつ……ちょろいな。

 

「頑張れよ」

 

「何その上から目線。上手くできてもヒッキーには食べさせてあげないから」

 

ちょろいのは雪ノ下に対してだけでした。

 

「で、誰が何を作るんだ?」

 

「そうね……とりあえず由比ヶ浜さん、あなたがメインディッシュを作りなさい」

 

まあ順当だろう。やる気の面でも、隣人部に毒を盛る面でも由比ヶ浜がその役割を担うべきだ。

 

「私と比企谷くんはあなたの作るものに合わせるわ」

 

「わかった!」

 

「では、作るものを決めて頂戴」

 

「ええっと……何がいいかな……」

 

考え込む由比ヶ浜。ここから見た限り、基本的な食材はあらかたありそうだし作ろうと思えば何でも作れるだろう。

 

つまりどんなポイズンクッキングが来ても対応できてしまうという事だ。

 

それはともかく、由比ヶ浜が悩んでいる今のうちに雪ノ下と俺の役割を決めておこう。

 

今回は勝ちを捨てているから適当にやっても良いだろう。

 

あまり凝ったものを作ってしまっては由比ヶ浜が気にするだろうし、そもそも俺自身普通に作れると言うだけであって、それほど料理が上手いわけでもない。

 

こういうのは普段の積み重ねが大事であり、慣れない事を慣れない環境でやってもその結果がどうなるかは火を見るよりも明らかである。

 

であれば、大人しく身の丈にあった行動を選択するのが最善である。

 

つまるところあれだ。

 

楽をしたい。

 

「俺は無難にサラダでいいか?」

 

「……内心が透けて見えるけれど、今回に限ってはそれでいいわ。ただ、役割分担はしっかりしましょう」

 

「それはそうだな」

 

「では、由比ヶ浜さんは食材を確保したらとにかく料理に集中。私は添え物を作りながら、食器の用意。比企谷くんは自分の料理を作る以外に食べ物の処理とその他雑務、ということでいいかしら」

 

「うん、みんながそれでいいなら」

 

「俺も構わない」

 

っと、由比ヶ浜につられて俺まで即答してしまったが、雑務ってなんだろう……。一応確認しておいた方がいいか。

 

「雪ノ下、雑務って今決めた以外に何かすることあるのか?」

 

「さあ? あるかもしれないし、ないかもしれないわね。それを雑務というのよ」

 

「……さいですか」

 

どことなく腑に落ちないが、まあいいだろう。そうおかしな事にはならないはずだ。

 

そうこうしているうちに、開始の時間が近づいてきた。

 

今回の主役、由比ヶ浜は頭を抱え込んでしまっている。

 

「まだ悩んでるのか」

 

「……うー、だって何作っていいかわかんないし……」

 

「んなもん適当に肉焼いてあとは白飯があればなんとかなるだろ」

 

「それだと何か普通じゃん!」

 

「いいんだよ普通で。普通ってのはアレだ、言い換えればおふくろの味ってやつだ。普通という言葉はいつも通りって事だろ? ならいつも食ってるものが普通って事になる。大体の家庭では飯を作ってるのは母親だ。よって普通の料理=おふくろの味ということになる。こう言えばなんか聞こえいいだろ?」

 

「納得しかけちゃったけど最後ので台無しだよ!?」

 

こんなんで納得しかけたのかよ。……本当にこいつの将来が心配だ。

 

「と、ところでさ、さっきのがヒッキーにとってのおふくろの味なの?」

 

「まぁそうだな。かーちゃんが時間のあるときに超適当に作るやつだけどな」

 

「そ、そっか」

 

「んじゃ、もうそれでいいか? そろそろ取りに行ってもらわなきゃだし」

 

「ううん、別のにする! それはまた今度ね!」

 

「いや、今度はもうないと思うぞ」

 

こういう状況でなければ俺も雪ノ下も全力で回避するし。

 

雪ノ下もこくこくと頷いてるし。

 

そんな俺たちの事は露ほども気にせずにやる気を再燃させた様子の由比ヶ浜

 

「よーし、じゃあ……パスタにする! あたしでも出来そうだし、なんかオシャレだし!」

 

「まぁ、いいんじゃないかしら。種類が多いから簡単なものも多いし……」

 

「その分難しいものも多いけどな」

 

「当初の目的としてはそれはそれで好都合でしょう? あくまで目的は毒殺なのだから」

 

「いや殺しはしないから。流石に死にはしないだろ」

 

「そもそも毒じゃないし!」

 

話にひと段落ついたところで、ちょうど開始時間となった。

 

「では由比ヶ浜さん、食材を頼むわ。比企谷くんが持つから、好きなのを好きなだけ選んできなさい」

 

おいおい。早速雑務の登場かよ。もしかしなくてもこれ一番働くポジションじゃね?

 

「じゃ、ヒッキー行こっか」

 

有無を言わさぬ連携プレーはこいつらの十八番である。俺に拒否権などあるはずもない。

 

素直に連れられて篭まで行く。

 

由比ヶ浜はさして悩む様子もなく食材を選んでいく。

 

いやいや、本当に好きなもの選びすぎだろ。桃はいいから。果物とかパスタに使う場面無いから。てかなんでこの季節にあるんだよ。

 

一事が万事この調子でもはやつっこみが追い付かない。

 

しばらくしてようやく満足したのか、うんうんと頷く由比ヶ浜

 

ところで由比ヶ浜さん、肝心のパスタ忘れてますよ。

 

しかし彼女は気付くことなく自身の腕にも食材を抱えて戻ってしまった。

 

……なんか食材に申し訳なくなってきた。パスタを持っていく替わりに必要でなさそうなものは置いていこう……。

 

帰り際、同じく食材を取りに来ていた黒髪鬱美人がどこかを憎悪の眼差しで睨み「毒でも盛ってやろうか……」と呟いているのが目に入った。

 

うん、なんかガチな雰囲気出てて怖いです。

 

割り当てられた調理台に戻る。

 

「あれ? なんか随分減ってない?」

 

「ああ、数に限りがあるから持っていける量に制限があるんだと」

 

無論、嘘である。方便である。

 

「ふーん。……ってやば、パスタ忘れてた! まだ取りに行ってもだいじょぶかなぁ!?」

 

意気込み虚しく、早くも犯した失態に慌てている。

 

これ本当に雪ノ下はいつも苦労してるんだろうなぁ。

 

「ほれ」

 

わたわたし始めた由比ヶ浜にそっと差し出す。

 

「ひ、ヒッキー!」

 

よほど焦っていたのか、俺の手ごと掴む由比ヶ浜

 

「あっ、ご、ごめん……あと、ありがと……」

 

しかし、次の瞬間にはぱっと離されてしまう。

 

「い、いや、別に……」

 

さっきの不機嫌はどこへやら、手をもじもじさせつつチラチラと上目遣いでこちらを見てくるせいで、なんかこっちまで変な感じになってきた。

 

ま、まぁ別に? 女子の手なんて小町で慣れてるし? どうってことはないな! どうってことはないぞ!

 

「二人とも、準備が出来たわ。位置につきなさい」

 

見計らったように雪ノ下から声がかかる。渡りに船とばかりに俺も由比ヶ浜も指示された場所に行く。

 

なんかもうアレで、けっこうアレだが、そんなこんなで大分ぬるっとした感じで料理大会は開催された。

 

「さて、由比ヶ浜さん。お湯を沸かしている間に少しクイズをしてみましょう」

 

「なになに?」

 

雪ノ下と二人で由比ヶ浜の動向をぼんやりと観察していたが、唐突にクイズが開始される。

 

由比ヶ浜の慣れた感じを見ると、こいつらの間では頻繁にある事なのかもしれない。

 

「まず最初に料理の心構えから。味見をすることの他、失敗しない為には次のうちどれをする必要がある?

1、レシピ通りに作る

2、余計なアレンジを加えない

3、無闇に桃を入れない」

 

「……実質一つじゃねえかよ」

 

「あはは……も、桃は今回はやめておくね。答えは全部で」

 

「正解。続いて次の問題。通常、パスタを茹でる際にお湯にある調味料を入れるのだけれど、それは?」

 

「塩!」

 

「正解。塩だけでなくオリーブオイルを入れる場合もあるわね。ではカルボナーラを作る場合、パスタを茹で始めたら次は何をする?」

 

「えっと、……具を炒める!」

 

「正解」

 

……一切手伝わないとか言っていたくせに。作り方教えてんじゃねえか。

 

ま、雪ノ下らしいな。思わず笑みがこぼれる。鬼教官の雪ノ下がそれでいいのならそれでいいだろう。

 

さて、こいつらがいちゃついている間に俺は自分の作業でもしようかな。

 

とりあえずベーコンでも切っておこうか。

 

「なかなかやるわね」

 

まだまだクイズという名の料理教室は続くようである。

 

「では、この調理器具の名前は?」

 

そう言って雪ノ下が取り出したのは、すりこ木。

 

「う……えと……、ぼ、ぼ

 

「ちなみに、棒ではないわ」

 

「だ、だよねー。知ってた知ってた」

 

いやお前、明らかに棒って答えようとしてただろ。

 

そんな由比ヶ浜の妄言には耳を貸さず、無情にも答えを促す雪ノ下。

 

「そう、では、答えをどうぞ」

 

「あー、その……こ、棍棒デース!」

 

なんでカタコトなんだよ……。イギリス生まれなの? 時間と場所を弁えれば触っても良いの?

 

「はずれ。正解は、すりこ木。ちなみに今ので同じ問題を累計4回も間違えているわ」

 

「きょ、今日はそれ使わないからいいの!」

 

確かに、由比ヶ浜が言うように使い方さえ知っていれば良く、必ず名前を覚えなければいけないというわけではない。

 

が、棒で覚えると用途が不明なのでやっぱりちゃんと覚えるべきだ。

 

「クイズもいいが、そろそろ沸騰してきたぞ」

 

「そのようね。続きはまた今度にしましょう」

 

「うん。ところで、ゆきのんたちは何を作るの?」

 

「あなたがカルボナーラを作るのなら、私は汁物系にしようと思っているわ」

 

「あー、じゃあ、おみそ汁とか? うん、意外と合いそう!」

 

「は? ……カルボナーラにみそ汁?」

 

「ま、まぁ、アサリとかにすればあるいは……」

 

いやいやいや雪ノ下さん、いくらなんでも無理があるだろ。最近ちょっと由比ヶ浜に対して甘すぎませんかね。

 

MAXコーヒーだってそんなに甘くは無いぞそれは言い過ぎたな。

 

あれはもう甘いとか甘くないだとか、既にそういうレベルではない。

 

MAXコーヒーは『甘い』という概念そのもの。概念は防げない。

 

故に最強。相手は死ぬ。死んじゃうのかよ。

 

それはともかく、食べ合わせも重要な採点基準だから流石にその組み合わせはちょっと……、

 

と思ったが負けが前提だったか。うん、別にいいな、どうでも。

 

どうでもいいものは本当にどうでもいいので適当に流してしまおう。

 

大天使のように好奇心の猛獣というわけでもないのだ。

 

「それでいいんじゃね?」

 

「じゃあゆきのんはおみそ汁ね!」

 

「はぁ……別にいいけれど」

 

反対はしていなかった雪ノ下も特に抵抗する素振りは見せない。

 

こうしてなし崩し的に雪ノ下の作るものは決定された。

 

「あ!」

 

何事か閃いたのか唐突に大声を上げる由比ヶ浜

 

部室でしばしば見かけられる光景だが、大抵碌な事ではないし、碌な事にならない。

 

嫌な予感に思わず雪ノ下と顔を見合わせる。

 

そんな俺たちの様子は気にも留めず、キラッキラした目で朗らかに言い放つ。

 

「これでヒッキーが中華料理作ったら、みんなで和洋折中だね!」

 

「……は?」

 

何言ってんだこいつという目で由比ヶ浜を見るが、こいつはこいつで何故俺がそんな反応をするのかわからなかったのか、キョトンと目を丸くしている。

 

「……一般的に、和洋折中に中国は含まれないわ」

 

こめかみに指を当てるどころかほとんど頭を抱えるようにした雪ノ下が日本語訳をしてくれる。

 

なるほど、由比ヶ浜的解釈だと、和=和風(みそ汁)、洋=洋風(カルボナーラ)、折=(折り合わせる?)、中=中華なのか。

 

……すげぇ。斬新過ぎて言葉もでねぇ。

 

絶句という言葉がこれほどぴったりな状況が未だかつてあっただろうか……。

 

「そ、そーなんだ! ま、まぁ、とにかく気を取り直して、がんばろー! おー!」

 

……。

 

止まる時間。流れる沈黙。

 

正面にいる由比ヶ浜は拳を突き上げたまま静止し、その隣では雪ノ下が由比ヶ浜とは逆方向に顔を背けている。

 

誰も動かない。いや、動けない。迂闊に動けば大けがするのは必至である。

 

この勝負……動いた奴が負ける……!

 

「うぅ……ごめん」

 

「あ、いや、うん。なんか、スマン」

 

「え、ええ……こちらこそごめんなさい」

 

結果、全員で謝り合うという謎の三人がそこにあった。

 

恐るべし、由比ヶ浜

 

由比ヶ浜自爆テロを経て、ようやく各々が調理に取り掛かる。

 

俺の担当はサラダ。

 

ヘルシーかつオシャレな料理をコンセプトに、オーガニックでナチュラルな一品にするつもりだ。

 

俺の料理に余計な添加物など必要ない。

 

素材自身が持つ、崇高な味や神秘的な瑞々しさを最大限に活かすだけでいい。

 

化学調味料はもちろん、ましてやドレッシングなんて冒涜でしかない。

 

タマネギの皮を剥がし、上下を切り取ってから薄切りにし、塩を振って放置。

 

次いでキャベツを玉から適当に引き剥がして水洗い。あとは手で適当に千切って皿に敷く。

 

おもむろにキュウリを取り出して斜めに薄切り。ばらまく。

 

なぜか由比ヶ浜が篭から持ってきていたパプリカを拝借して、処理を終えたら先のタマネギと共になんとなく混ぜながらキュウリの上に。

 

最後に手元にあった水菜をこれまた適当に切ってから一番上にそれっぽい感じで配置。

 

あっという間にかーんせーい。

 

まあ、なんだ、生野菜サラダってことで。

 

自分の作業を終えた俺は椅子に座り、ぼーっと由比ヶ浜たちが作業する様を眺める。

 

由比ヶ浜はぶつぶつと何事か呟きながらタマネギと格闘中で、時折り変に力が入ったのか、まな板を強打し周囲の人間を驚かせている。

 

危なっかしい作業に雪ノ下はハラハラし通しで自身の作業が一向に進まないようだ。お前は由比ヶ浜かあちゃんか。

 

タマネギを倒しベーコンと一緒に炒め始めたことでようやく安心したのか、ふと我に返る雪ノ下。

 

俺が見ていた事に気が付くと、由比ヶ浜を見ていた慈愛の視線は彼方へ吹っ飛び、替わりに標準装備の冷たい眼差しが登場する。

 

「……なにかしら?」

 

「いや、別に……」

 

触らぬ雪ノ下に祟りなし、だ。

 

言葉を適当に濁して視線を斜め右上に流し、さも何かに気を取られたようにそちらを見続ける。

 

これで大抵の場合は会話をうやむやのうちに終わらせる事が出来る。教師とかバイトの先輩とかに何か頼まれそうになったときに重宝するから覚えておくように。

 

しかしその大抵の場合に収まらないのが雪ノ下雪乃という人間である。

 

俺の目の前にある、既に完成したフレッシュ&ヘルシーな力作生野菜サラダをちらりと見やり、ふっ、っと軽く嘆息したかと思えばじろりと俺を睨む。

 

「比企谷くん、暇そうね」

 

暇かと聞かれて「はい暇です」なんて答えようものなら何かしらの仕事面倒事を振られるのは明白。

 

遊びに誘われるなどはあり得ないので考慮する必要が無いため、ぼっちはこういうときに便利である。

 

もちろん、ぼっちは特に予定が無いのがデフォであるため、忙しいとも言い切れないのが辛いところだ。

 

結果、このような答えになる。

 

「暇ではないな」

 

妄想とか人間観察とかやる事はいくらでもあるし、嘘は言っていない。なおかつ誰が損をするわけでもないベストな回答だろう。

 

頼めなかった人が損をする、と思った人は自己中か社畜の素質があるので注意するように。

 

「そう、暇じゃないのね」

 

雪ノ下もさして興味があるわけではないようで、深くは追求してこない。

 

ふっ、勝ったな。

 

「では雑務、仕事を言い渡すわ」

 

「拒否権は無いんでしょうね……」

 

当然、とばかりに首肯する雪ノ下。

 

興味がないのは俺の都合だったらしい。なんの為の確認だったんだよ……。

 

だが俺は専業主夫を目指す身。この程度で仕事を回避できなければその未来は掴めないだろう。

 

故に俺は常日頃からこんなこともあろうかと一つの策を考えていた。

 

「待て雪ノ下、俺にだって他にやる事くらいある。奴隷働きなら他を当たれ」

 

「ふうん、やることね。言ってごらんなさい」

 

「俺は今、何もしないをしているんだよ。パンダのパンさんだって、何もしないをするだろ。これが通用しないんならパンさんは完全にニートになるぞ」

 

雪ノ下が溺愛しているであろう、パンダのパンさんを引き合いに出した秘策。

 

こう言ってしまえば、俺をバカにする事はイコールでパンさんをも貶す事になる。

 

雪ノ下は退かざるをえないだろう。

 

「……パンさんはニートではないわ」

 

僅かな逡巡のあと、そう答える雪ノ下。

 

俺が何もやっていないなど口が裂けても言えない様子だ。

 

さあ、胸を張って堂々と、何もしないをしよう。

 

「比企谷くん」

 

雪ノ下は言葉を切り、微笑みながらこちらを向く。その微笑みはいままでのどんなときよりも恐ろしい冷気を発している。

 

彼女の右手に握られた包丁が鈍く光った気がした。

 

「ひとつ、確認させてもらってもいいかしら」

 

「な、なんでしょう?」

 

「比企谷くんは今は何もしないをしているけれど、これからはずっと、もう何もできないをするのよね?」

 

「いやマジでスンマセンっした!」

 

「謝って済むのなら包丁はいらないわ」

 

「包丁!? 警察は!? たすけておまわりさーん!」

 

「あら、お輪廻りさんならあなたじゃない」

 

「いやそれ死んじゃってるから! 転生っちゃってるから!」

 

「次はミカヅキモからゾウリムシくらいになれるといいわね」

 

やったね植物性から動物性にランクアップだね! 結局単細胞生物には変わりないが。せめてもうちょっと細胞の数を増やして!

 

というか『もう何もできない』のあたりに明確な殺意を感じる。パンさんをニート呼ばわりされてこんなに怒るとは……。

 

菜箸で牽制しつつナベのフタを構え、さりげなく由比ヶ浜を盾にするように陰に隠れる。

 

雪ノ下は雪ノ下でフェイントを混ぜながら回り込もうとしてくる。

 

と、そこで手元に目線を集中させて一切こちらを見ずにいた由比ヶ浜が冷たく言い放つ。

 

「ヒッキー、それ結構最低な行動だからね? ゆきのんも刃物で遊んじゃだめ」

 

「ご、ごめんなさい……」

 

いきなり由比ヶ浜に叱られてびっくりしたのか、雪ノ下が素直に謝った。

 

こいつ……意外としっかりしたこと言うんだな。単に集中しているところを邪魔されて苛ついただけかもしれないが。

 

「これを一つ一つ剥がして頂戴」

 

「はい……」

 

由比ヶ浜に叱られ若干しゅんとしていたのもつかの間、雪ノ下さんは今日も元気に俺を使役しています。

 

そんな社畜ではないが舎弟と言われたら否定しきれない俺の目の前にはニンニクとジャガイモの合いの子ような、歪な形をした何かがゴロゴロ転がっている。

 

結局手伝わされているのは置いておくにしても、この物体は一体なんなんでしょうか。

 

謎の物体Xを手に取り眺めていると、横から手が伸びてきてそれを引ったくる。

 

「比企谷くん、こうやって一つの欠片ごとに分けるのよ」

 

「お、おう」

 

言いながら、ペリペリと剥がしていく雪ノ下。

 

その様子をほへーと眺めていた由比ヶ浜がまたしてもやらかす。

 

「なんか、ゆきのんがそーゆー細かい作業してると、指キレイだしすっごいキレイに見えるね! 白身魚みたいって言うんだっけ?」

 

……生臭そうだな。それにこいつは割と粘着質だから淡泊なイメージの白身魚は似合わないし。

 

とはもちろん口には出さない。口は災いの元という事はついさっき体験したばかりだ。

 

何事もなかったかのように押し付けられた作業をしていると、突然、手を顔の前に突き出される。

 

「生臭くなんてないでしょう?」

 

横におわしますのはにっこりとしている雪ノ下雪乃様。

 

「おい由比ヶ浜。お前がアホな間違いをするから俺が死にかけてるじゃねえか。正しくは『白魚のような』だ」

 

「あ、そ、そーなんだ。おしいね」

 

ああ、惜しいな。俺も命は惜しいからホント頼みますよ。

 

相変わらず思考を完璧に読んできた雪ノ下についてはもうノータッチの方向で。

 

ペリペリペリペリ、うんざりするほどペリって思わず開国しちゃいそうになるころ、ようやく全てを剥き終えた。

 

雪ノ下曰く、これは百合根と言うらしい。こんなに大量に用意しなくても、百合ならお前らで充分足りてるだろ、と言うのは流石に自重した。

 

面倒な作業はどうやらこれだけのようで、あとは雪ノ下一人でちゃっちゃか作ってしまうようだ。

 

由比ヶ浜の方はいよいよ佳境のようで、表情は真剣そのものだ。味も真剣レベルの殺傷力になっているのだろうか。

 

「……不安ね」

 

雪ノ下がこっそり耳打ちしてくる。

 

「そうだな……」

 

とは言っても今回は自分たちが食べる必要はないからそこまで警戒する必要は無いだろう。

 

「けど、前にクッキー作ったときは短時間で食えるレベルにしてたからなんだかんだ言って大丈夫だろ」

 

「その考えは甘いわ。確かに彼女の集中したときの成長は目を見張るものがあるけれど……時間は残酷なのよ」

 

「……忘れるのか」

 

「ええ。それはもう、さっぱりと」

 

答えた雪ノ下が遠い目をする。

 

「一月程前に作ってきたアレがクッキーだとしたのなら、私は煉瓦を食べることができることになるわ」

 

「……そうか」

 

詳細は聞かない方が身のためだな……。

 

「しかしまぁ、さっきのすりこ木といい、和洋折中といい、ここまでくるとなんかもう逆にどんなのが出来るのか楽しみになってきたな」

 

「そう……ね、そうよね。そう思わないとやっていられないものね。食べる人はやはり不憫だけれど」

 

「二人とも聞こえてるからね!? 出来たよ!」

 

突っ込みついでに完成を報告する由比ヶ浜

 

周囲のグループもぼちぼち終えてきているようだ。

 

それぞれのグループの代表者が、食材の篭が乗っていたテーブルに料理を運んでいく。

 

「比企谷くん、お願いね」

 

「……わかってる」

 

無論、これは雑務である俺の仕事のようだ。

 

逆らったところで意味は無いため、唯々諾々と従う。

 

出だしが遅れたせいで俺が運び終えたのは最後だった。

 

並べられた料理を見てみると、その多くはいわゆる普通の料理で特筆するべきものはほとんど無い。

 

由比ヶ浜も例え見ていただけでも中途半端に上達しているようで、一見してわかるような正体不明のものは無いように見受けられる。

 

だからこそ、食べたときの衝撃が恐ろしいのだ。

 

この後すぐに被害に遭う憐れな隣人部たちを思うと胸が痛……くはないな。むしろ片腹痛い。

 

試食会の準備は着々と進み、代表者たちが料理部の前にそれぞれの作品を小鉢に取り分けていく。

 

当然審査員である料理部はちゃんと全ての作品を食す必要があるため、この後全員で分けて食べる皿とは別に用意されている。

 

その配膳が終わると今度は前のテーブルに置いた自分のグループの作品の前に立たされる。

 

雪ノ下から全く話は聞かされていなかったが、簡単なPRをする時間があるらしい。

 

もちろん「それは毒です」と言うわけにもいかない。かと言って他に表現のしようもない。

 

考えあぐねているうちに俺の番になった。

 

咄嗟に「一食即解」とだけ言って由比ヶ浜たちのところに戻る。二の腕に布でも撒いておけば良かったかな。

 

何がとは言わないが、本当にすぐにわかるはずだ。

 

とにかく嘘は言っていない。誰も俺を責めることはできないだろう。

 

そして生徒会長が無駄に熱く自分たちの料理を紹介し終えると、ついに試食会へと移行する。

 

さて、恐怖のカーニバル開幕である。

 

 

続く

 

雪乃「さあ、三日月さん。あなたのその腐った性根を叩き直してあげるわ」 夜空「……はっ、やってみろ」4/4【俺ガイルss/はがないss】 - アニメssリーディングパーク

 

 

 

 

 

 

 

元スレ

八幡「青春ラブコメの主人公」

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