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八幡娘「お父さん、舐めないでください。私は友達がいないことを除けばハイスペックなのです!」 陽乃「あーこれは君の娘だね」八幡「….」【俺ガイルss/アニメss】

 

――20XX年

 

 空を見上げたら太陽が2つあった――と言えば過去の人達は果たして信じたでしょうか。

 

 2つめの太陽ができるという予言じみた観測結果は、すでに数十年前に報告が出されていましたが、

 世間は半信半疑で、実際に見るまでは誰もがジョークだと考えていました。

 

 しかし、実際に太陽ができてしまった、つまり超新星爆発が起きてしまった後は大変な騒ぎでした。

 多くのテレビ局で連日特番が組まれました。

 

 それでも、しばらくすると空に太陽が2つあることは当たり前で、いまや面白いことではなくなってしまいました。

 そして気づけば、世間の関心はべつの話題へと移っていきました。

 

 皆さんはお気づきでしょうか。今朝方、人知れずに2つめの太陽の輝き――厳密には超新星爆発の光り――は失われていたのです。

 

 おそらく、皆さんは気にも留めないかもしれません。

 しかし科学の歴史は、今日という日を後々まで忘れることはないでしょう……。

 

 プツン――

 

 とある夏休みの一日。何度寝かの後、ふと目が覚め、私は起き上がりました。

 

 長い髪をかき上げ、頭をぽりぽりとかいて時計を見ると、朝の11時。ちょうどいい時間です。

 

 遅い朝食をとりにリビングへと下りていきます。センサーが反応して扉が開くと、奥の方からテレビの音が聞こえてきました。

 

 どうやらつけっぱなしのようです。恐らくお父さんのせいだな。

 

 テレビではご意見番らしき専門家が、超新星なんたらが輝きを失い、ブラックホールへ変わるだろうと説明しています。太陽が一つに戻ったとのことでした。

 

 ――そういえば、確かに暑くないかも。ためしに家のカーテンを開けてみます。

 

 嘘です、めっちゃ暑いです。昨日と変わらない暑さに辟易して、私はカーテンを閉めて熱気が入ってくるのを防ぎます。

 

 これはしょうがないですね。こう暑い日は、家でごろごろしてるに限ります。

 

 超新星なんたらを観測する科学者だって、クーラーの効いた研究室でディスプレイ越しに観測している時代です。

 

 つまり、朝から涼しい部屋にこもる私は、研究者たる素質を十二分に兼ね備えた金の卵、エリート女子高生なのです!

 

 なんて自分の未来に思いをはせながらブランチを謳歌していると、突如としてリビングの扉が開かれました。

 

 現れしは私のお父さんです。起床してからだいぶ経つというのに、まだ眠そうな、腐った目をしています。これでも全盛期よりは輝きを取り戻しているらしいのですが。

 

比企谷娘(以下娘)「おはよー」

 

八幡父「……こんにちは。お前は相変わらずの起床時間だな」

 

娘「たっぷりと寝た結果です。寝不足はお肌の大敵ですから」

 

八幡父「夜更かしもな」

 

娘「してしまったものは仕方ないのです。だから弥縫策として遅起きでカバーしたのです」

 

八幡父「この減らず口、やはり育て方を間違えたか」

 

娘「お父さん譲りです。葉山のお父さんからそう言われたりしますし」

 

 私がそういうと、お父さんは「またあいつか……」とぶつぶつと愚痴っています。相変わらず仲は良くないようです。

 ふと、お父さんが思い出したかのように顔をあげました。

 

八幡父「そうだ。なぁ娘よ、今日こそお父さんとデートに――」

 

娘「いきません」

 

八幡父「お、お父さんが荷物持ちするから」

 

娘「それだったらお父さんよりアマゾンで頼むし」

 

八幡父「はぅっ……」

 

 お父さんががっくりとうなだれる。

 昔ならいざ知らず、娘の買い物に荷物持ちでついていこうなど考えが甘いです。今なら買ったその場で配送してくれるので、男手などいらんのです。おとといきやがれです。

 

娘「というよりも、今日は陽乃さんと会う約束をしてるのです」

 

八幡父「うげっ……」

 

娘「まぁたそんな反応する。お父さんほんとあの人が苦手ですね」

 

八幡父「学生時代、あの人にはよくおもちゃにされたからなぁ……。まぁ今となっちゃ懐かしい思い出だけど」

 

娘「あ、そうなんですか? ならよかったらお父さんも――」

 

八幡父「いかねぇ」

 

娘「なんでそんな食い気味に」

 

八幡父「いいか。自然界には食物連鎖というのがあってだな。その最底辺にいるお父さんがあの人に会ったら命がヤバい。なんかもう超ヤバい」

 

娘「お父さん、焦りすぎて語彙力が小学生レベルになってるよ」

 

八幡父「まじかよ。これでもお父さん、高校時代は国語学年3位だったんだぞ」

 

娘「もう何十年も前の話でしょ。その自慢聞き飽きたし」

 

八幡父「おい聞き飽きたとか言うなよ。お父さんそれしか誇るとこないんだから」

 

娘「この数十年間なにしてたのさ……」

 

ピンポーン

 

娘「あ、陽乃さん来たみたい」

 

八幡父「え、うちに来るの? お父さん聞いてないぜ。まだ逃げる準備が――」

 

ピンポンピンポーン

 

娘「はーい、今いきまーす」

 

八幡父「いいか娘よ、お父さんはいないことにしてくれ。あと玄関あたりで追い返す水際作戦を求む」

 

陽乃「ぜんぶ聞こえてるんだけど」

 

八幡父「げっ」

 

娘「ひゃっはろー陽乃さん」

 

陽乃「ひゃっはろー娘ちゃん」

 

八幡父「どうも……。あと、うちの娘に間違ったあいさつを覚えさせないでください」

 

陽乃「相変わらず固いなぁ君は。日本語だって日々進化してるんだよ。やっはろーだって広辞苑に載ったし」

 

八幡父「まじかよ……。日本語乱れすぎだろ」

 

娘「それでそれで! 陽乃さん。今日はどんな発明したんですか!」

 

陽乃「ふふん。それは研究室にきてからのお楽しみということで」

 

娘「すっごい楽しみです!」

 

 私が手を叩いてはしゃぐと、陽乃さんが目を細めた。それから、いたずらっぽく笑う。

 

陽乃「しっかし、まさか君の娘が理系になるなんてねぇ。とても血がつながってるとは思えないね」

 

八幡父「なにを言ってるんですか。けっこう似てますよ。男っ気がないとことか」

 

娘「いやいや、ぜんぜん違いますし。わたしお父さんと違ってハイスペックですから」

 

八幡父「ふっ、バカにするなよ。お父さんは家事にテニスに勉強、何でもできるんだぜ、友達はできないけど」

 

娘「お父さんだって、私のこと舐めちゃいけませんよ。私は小町おばさんから受け継いだ可愛い顔に炊事能力、そして勉強も理系科目なら学年3位です。友達がいないことと干物であることを除けばハイスペックなのです!」

 

陽乃「あ、これ八幡くんの娘だね」

 

八幡父「いやお恥ずかしい」

 

娘「えへへ」

 

陽乃「褒めてないからね?」

 

 陽乃さんが呆れたように言う。まぁ、ここまでが比企谷家でのあいさつみたいなものですし、陽乃さんの流しぐあいも慣れたものです。

 

陽乃「でもごめんね。キミも招待してあげたいんだけど、今日は娘ちゃんとの女子会だから、男の子は呼べないんだ」

 

八幡父「いや、その歳で女子とか――」

 

陽乃「あっ?」

 

八幡父「――いつまでも若々しくていいなぁ」

 

娘「お父さん……」

 

八幡父「何も言うな……」

 

陽乃「じゃあ娘ちゃん、いこっか」

 

娘「はい!」

 

八幡父「いってらっしゃい。陽乃さんに迷惑かけるなよ。お父さんの身のためにも」

 

娘「はーい。いってきまーす」

 

陽乃「じゃあねー」

 

 

――雪ノ下グループ科学技術センター 研究室

 

陽乃「実は以前からアメリカの科学者と私的に共同研究をしていてね。その研究がついに実を結んだんだよ」

 

娘「へぇ。どんな研究してたんですか?」

 

陽乃「ふっふん。それはね、時間遡行だよ。簡単に言えばタイムマシンを発明したの」

 

娘「本当ですか! すごいじゃないですか!」

 

陽乃「いやいや、もっと褒めてもいいんだよ」

 

娘「でも、タイムマシンには1.21ジゴワットもの電力が必要だというのが定説じゃなかったですか? いったいどこから調達できたんですか」

 

陽乃「宇宙だよ、この大いなる宇宙」

 

娘「……さすが陽乃さん、電波な発言もお手の物ですね」

 

陽乃「はっ倒すよ?」

 

娘「すいません、比企谷ジョークです」

 

陽乃「まぁ娘ちゃんに免じて許そう。実は昨年に起きた超新星爆発でのエネルギーを、うちの衛星を介して研究所に貯めておいたんだよ、私的に」

 

娘「私的に……」

 

陽乃「それで今日、タイムマシンが完成したから早速実験してみたの。その結果、成功したってわけ」

 

娘「おお、すごい! それで、そのタイムマシンというのは?」

 

陽乃「向こうの実験室においてあるよ。じゃ、ちょっとついてきて」

 

娘「はい」

 

 私は陽乃さんの後ろをついていき、階段を下りる。なんかさっき、陽乃さんが悪い笑みを浮かべてた気がします。

 やばい、これはまた変な発明の実験台にされる可能性が。

 

 この前は考えていることを当てる機械だとかを被せられました。

 結局、考えていることは読めず、吸盤が髪の毛にひっついて大変だったのは記憶に新しいです。

 

 そんなことを不安要素を考えていると、どうやらついたらしく、入口で陽乃さんがカードをかざしています。

 ピッという機械音と同時に、実験室の扉が開きました。

 

 実験室の中はタテに長く、真ん中には空港の発着場のような細長い道路が敷いてありました。

 

 陽乃さんは入り口付近にある奇妙な形をした車のもとへと歩いていきます。私もそれについていきました。

 

陽乃「ここにある車が、いわゆるタイムマシンになるんだ」

 

娘「この車なんですか。見た目はだいぶ古臭いですね」

 

陽乃「共同研究者の趣味で選ばれたからね。今はなきデロリアン社の車らしいよ。愛称はそのまんまデロリアンね」

 

娘「へぇ」

 

陽乃「で、娘ちゃんを呼んだのは他でもない。この車に乗って、実際に時間遡行を体験してもらいたいんだ」

 

娘「え、わたしがですか?」

 

陽乃「そうそう。なんせ人間ではまだ試してないからね」

 

娘「えっ」

 

 私が不安そうな顔をすると、陽乃さんは逃がさんとばかりに私の腕をつかんできました。

 

陽乃「大丈夫大丈夫。では、とりあえず乗ってみよー」

 

娘「いやいやちょっと待ってください。これ安全性クリアしてるんですか?」

 

陽乃「んっ? 安全基準なんてあるわけないないじゃん? 国には黙って作ってるんだし」キョトン

 

娘「え、なんで不思議そうな顔してるんですか!?」

 

 あ、今日はトンデモ発明の日ですね。トンデモ発明品のときは、ほんとうに訳がわからないことになってしまうから避けるのが吉です。

 これさえなければ、できるカッコいい女性なのに。

 

娘「とにかく、そんなへんてこな車に乗りませんよ」

 

陽乃「まぁまぁ、さっき犬で試したら成功したしいけるって。自信持とうよ」

 

娘「え、犬の次わたしなんです?」

 

陽乃「飛び級ってやつだよ。やったね娘ちゃん!」

 

娘「いやいや、もっと過程を踏んでからにしてくださいよ……」

 

陽乃「まったくもう。そうやって常識にとらわれていると時代においてかれるよ」

 

娘「いや、大事ですよ! 宇宙に行くのだって、犬の次はチンパンジーですよ」

 

陽乃「はいはい、分かったから乗った乗った」

 

 そういうと、陽乃さんは私の腕を引っ張って無理やり車に乗せてしまった。

 私が中に入れられると、周りでは助手らしき白衣を着た外人が何かを点検している。

 

陽乃「あ、ちゃんと安全バーとシーベルトの装着を確認してね」

 

娘「なんですか、そのアトラクションみたいな説明……」

 

陽乃「この乗り物は酔いやすいので、飲酒された方と妊娠中の方はご搭乗をご遠慮くださーい」

 

娘「あ、急につわりが……」

 

陽乃「はい一名様しゅっぱーつ」

 

娘「聞いちゃいないね、知ってたけどね!」

 

 わたしの文句が陽乃さんに届く前に、車は急加速で発進した。際限知らずに車はどんどん加速していきます。

 そしてメーターが140kmまで振れた瞬間、視界が光に包まれていきました。

 

――

 

娘「あいたた……」

 

陽乃(機械音)「あー、テステス。娘ちゃん、聞こえる?」

 

 私の周りを小さくて丸っこい金属色の物体が空を飛んでいる。陽乃さんの通信機器です。ちなみに羽はつけずに飛んでいます。

 つまり、製作会社は意地でも羽をつけないあそこです。

 

娘「……聞こえてますよ。というか、こんな荒い運転なんて聞いてないです。自動走行に慣れた身にはこたえますよ……うぷっ」

 

陽乃「これでもどこぞのタクシーよりはましでしょ。あ、エチケット袋は前の引き出しに入ってるから」

 

娘「……」ゴソゴソ

 

陽乃「それでそれで、前の引き出しにあるタブレットを起動してみて。日付はどうなってる?」

 

娘「えーっと、この妙にでかいやつですか?」ヒョイ

 

陽乃「そうそれそれ」

 

娘「ぽちっと……え、2015年1月29日……?」

 

陽乃「やった、成功! 今持っているタブレットはその時代のもので、回線も当時のものが使用されてるんだよ」

 

娘「うそ!? じゃあここは、29年前の世界なんですか!」

 

陽乃「そういうことだね。ふふ、わくわくしてきた?」

 

娘「いえ、とくには」

 

陽乃「つれないなぁ。今の娘ちゃんは、その時代の人から見れば未来人なんだよ?」

 

娘「はっ! そうです。私はこれから先の未来を知っているのです!」

 

陽乃「そうそう。まるでSF小説みたいな――」

 

娘「よぉーし、こうなったら未来の知識で小銭稼ぎを」

 

陽乃「……考えることはほんと比企谷くんゆずりなんだね」

 

娘「あっ、私のタブレット使えない……」

 

陽乃「まぁこの時代には衛星充電なんて無いし、回線も違うからね」

 

娘「陽乃さん!」

 

陽乃「ダメだよ」

 

娘「まだ何も言ってないのに!」

 

陽乃「お金儲けに手は貸さないからね」

 

娘「……やだなぁ、ちょっと船橋まで散歩するだけですよ」

 

陽乃「中山って名のつく施設に入ったら回線切るから」

 

娘「わー! 分かりました。複勝だけにしますから、どうか勘弁してください!」

 

陽乃「なぜ競馬から離れないの……。だいたい、そっちの日付は平日だから、競馬自体やってないよ」

 

娘「うわー……(つかえねー)」

 

陽乃「心の声が口に出なくてよかったね」

 

娘「それもう聞こえたのと一緒じゃないですか……」

 

陽乃「……まぁ娘ちゃんには悪いんだけど、あまりこの世界には干渉できないの」

 

娘「そうなんですか?」

 

陽乃「時間軸には修正力があるというのが大方の予想だけど、それも小さな干渉についてだからね」

 

陽乃「大規模だったり、イレギュラーな干渉をした際の変化については未知数なの」

 

娘「え、じゃあなんで私こっちに送られたんですか」

 

陽乃「ん? 人柱?」

 

 あらやだ、人権が侵害されてますよ奥さん。日本の法曹界はなにしてるの。

 

陽乃「だいじょうぶ! 科学の進歩には貢献してるし、娘ちゃんの犠牲は忘れないし」

 

娘「死ぬ前提ですか!?」

 

陽乃「冗談だってば。お詫びに好きなもの買ってあげるよ」

 

娘「えっ! ほんとですか! 陽乃さんだいすき!」

 

陽乃「その現金な手のひら返し、きらいじゃないよ」

 

 陽乃さんが呆れたような声を出す。

 

陽乃「トランクの中にその時代の紙幣10万円分が入っているから、それを付属のポシェットに入れて、お店で好きなもの買っていいよ」

 

陽乃「たぶんそれぐらいあれば大抵のものが買えたはずだよ」

 

娘「あ、この時代で買うんですね。……うーん、でも昔の機械とか食べ物って、怖くて買いたくないなぁ」

 

陽乃「おや、失礼な考えだね。私はその時代のものを使って生きてきたんだよ」

 

娘「そりゃ陽乃さんですし」

 

陽乃「……娘ちゃんが帰ってくるまでその言葉覚えておくね」

 

 あら不思議、この時代に居心地のよさを感じてきちゃいました。

 

 とりあえずぶらりと町へ出てみる。陽乃さんは通信機を見られないようにポシェットの中に格納した。

 しかしそれでも、なにか妙に視線を感じます。

 

陽乃「あー、そういえばその服装だと目立つかもねー」

 

 ひょこっと通信機がポシェットから顔? レンズの面を出す。

 

娘「え、そうなんですか」

 

 そう言われて、私は自分の服装に目をやる。

 陽乃さんに手伝ってもらって、未来での最先端ファッションを取りそろえた普通の服装です。

 色だってオレンジ一色ですし、モノトーンなんか使ってません。

 

陽乃「その時代だと、全身オレンジ色の服装は消防隊員とか海猿ぐらいなんだよ」

 

娘「うみざる?」

 

 わたしが頭の中でハテナを浮かべる。そうすると、ハッと気づいたかのように通信機はうなだれたかのように低空飛行になっちゃいました。

 

陽乃「……お姉さん、ひさびさに歳を感じちゃったよ……」

 

娘「いや、お姉さんって――」

 

陽乃「あん?」

 

娘「にゃ、にゃんでもないでしゅ……」

 

 通信機から異様なオーラを感じます。毎度のことですが、陽乃さんに歳の話はタブーです。

 

 今でも美魔女みたいな容姿をしていて、よく男をひっかけに出かけているという話を聞きますが、しかし陽乃さんが朝帰りしたという話は聞いたことがありません。

 どうやら、年齢を聞いた瞬間に男の人は逃げていくようなのです。……南無三。

 

陽乃「とりあえずその恰好じゃ面倒だから、どこかで適当に服を買いにいこう」

 

娘「じゃあユニクロですね」

 

陽乃「なんで第一候補がそこなの……」

 

 なんでと言われても、それは比企谷家の遺伝子としか言いようがないのです。ただし小町さんを除きます。

 

 そうこうしていると、突然に背後からつよい風が吹いてきました。

 すると高校生くらいの男の子が、あっという間に私を追い抜き、遥か向こうまで遠ざかっていきました。

 ……なかなかのイケメンでしたね。しごく眼福。

 

 その後ろ姿に見とれていると、次にはへろへろと今にも倒れそうな男子が続いて私を追い越していきます。

 追い越される瞬間、ふと目と目が合ってしまいました。

 

娘「……あーっ!」

 

男の子「えっ? ――うわっ」

 

 私が大きな声を出してしまったせいか、驚いた男の子は足がもつれてしまいました。

 とっさに腕を伸ばして男の子を抱きかかえようとします。

 

 しかし、自慢ではないけれど体育で2以外を取ったことない私には、男子を支えることなどできるわけないのです。

 まぁつまり、一緒にたおれちゃいました。あらやだ、この役立たずっ☆

 

娘「――あいたたっ」

 

男の子「だ、大丈夫でひゅか」

 

 突然のことで慌てているのか、男の子はあたふたしながら私から離れる。

 

娘「うう、大丈夫です。そちらこそお怪我はありませんか?」

 

男の子「えっ? 俺の心配してくれるの?」

 

娘「え? 当然ですよ」

 

 じっと男の子の目を見つめる。すると気恥ずかしくなったのか、男の子が目を背ける。男の子は特に怪我をした様子もなく、すぐに立ち上がった。

 

 しかしこの濁った目、すごい見覚えがありますね……。具体的には今朝、リビングで見た気がします。

 

男の子「……そんなに見つめないでくれ」

 

娘「えっ、なんでですか?」

 

男の子「……えっ、俺の目キモくないの?」

 

娘「いえ、とくには」

 

 腐った目なんか十数年間見続けてきてますからね。耐久力だけはぴか一です。

 一人納得していると、陽乃さんの通信機が耳元までやってきました。

 

陽乃(……娘ちゃん。分かってるとは思うけど、この男の子が八幡くんだよ)

 

娘(やっぱりですか)

 

陽乃(何が起こるか分からないから、適当にごまかして切り上げてね)

 

娘(はーい)

 

八幡「……グスッ」

 

娘「ちょ、ちょっと! いったいどうしたんですか!?」

 

八幡「グスッ……いや、はじめて女性にキモくないと言われたから……」

 

娘(え、えー……。どんだけ修羅の道を歩んできたんですか)

 

八幡「な、なあ。助けてくれたお礼とかしたいんだけど」

 

娘「え、いや、大丈夫ですよ。むしろ助けたというより勝手に巻き込まれたっていうか――」

 

八幡「……ん? その服装ってもしかして社会人?」

 

娘「え? ……あ、そうです! こう見えて海保で沿岸警備の最中でして。そういうわけで本官は職務に戻ります、それでは!」ダッ

 

八幡「あ、ちょっと――」

 

 若かりしお父さんから呼び止められた気がしましたけど、とりあえず全力で逃げました。

 ひたすら走り続けて数十分……嘘です、走ったのは三十秒くらいで残りは歩いてました。

 

 途中で公園を見つけると、私は近場のベンチに倒れこみました。近くの木陰でふとっちょの男の人がフシューと言いながら倒れこんでいますが、心配する気力はありません。

 

娘「はぁー、はぁー。疲れましたぁ。もう一生分は走りました。もう動けないです」

 

陽乃「……ねぇ娘ちゃん。ぜったい海猿のこと分かってるよね?」

 

娘「……なんのことでせう? とんと見当がつかぬ」

 

陽乃「その喋り方は私をバカにしてるんだよね。よし分かった、この戦争買おう」

 

娘「ごめんなさい実は知ってました。ちょっとした出来心なんです勘弁してください」

 

陽乃「……くそぅ、みんなして私の歳をバカにして……。私だって数字上の年齢さえいじれば若いだけの奴らなんか――」

 

娘「お、落ち着いてください陽乃さん。なんか通信機から邪悪な気配がでてきてます」

 

陽乃「……おほん。まぁ冗談は置いておいて」

 

娘(あの語気は絶対冗談じゃない……)

 

陽乃「どうする? 別に買い物がしたくないなら、帰還してもいいよ」

 

娘「んー、せっかく来たので、ちょっとは買い物していきます。なんか掘出し物とかあるかもしれませんし、ぬふふ」

 

陽乃「どう育てればこうも可愛く無くなるんだろう……」

 

娘「可愛くないわけじゃないです。綺麗系を目指してるだけなんです」

 

陽乃「綺麗系の女性は『ぬふふ』なんて笑わないんだけど――」

 

 陽乃さんは途中で口をつぐむ。そのまま、通信機はポシェットの中に隠れてしまいました。

 おそらく、人目を気にしたんでしょう。気づけば、公園の中の人もそれなりの数になっていました。

 

 一時間ほど休憩して、ようやく体力が戻ってきました。ふらふらっとベンチから立ち上がると、公園を出ました。

 

 走ってきた道をけだるそうに戻り、とある曲がり角に差し掛かったところでした。突如として横からの衝撃が、ドンッと私を吹き飛ばしてしまいました。

 

八幡「し、しまった! 大丈夫か!」

 

 あの時の男の子の声がします。自転車から飛び降りて、慌てて駆け寄る姿をおぼろげにとらえ、そして私は目を閉じました。

 

――

 

娘「う、うーん……」

 

陽乃「あっ、娘ちゃん起きた?」

 

 陽乃さんの通信機が私の前をぶんぶんと動き、様子を確かめる。体の随所に湿布と、氷枕、ふかふかの布団。なんか懐かしい感じがします。あれ、私ってそういえば……

 

娘「はっ! こ、ここはどこですか!?」

 

陽乃「きみの家だよ。ただし、30年前のね」

 

娘「30年前……。ということは、まだ過去にいるんですね」

 

陽乃「そうだよ。この通信機では君を運ぶことはできないからね。かわりに、きみのお父さんがここまで運んできてくれたんだよ」

 

娘「そうなんですか」

 

陽乃「で、さっき診断機で診てみたけど、特に重症ではなさそうだね」

 

娘「そうですか。よかったぁ」

 

陽乃「もう大変だったんだから。八幡くんが救急車呼ぼうとしたから、私が変声機で君の声真似をして止めたりしてさ」

 

娘「え、なんでですか?」

 

陽乃「もう忘れたの? 娘ちゃんは未来人だから、この時代じゃ保険証も身よりもない謎の人物になってるんだよ」

 

 そういえばそうでした。私はこの時間軸には存在しないから、保険証は効かないし住所も持ってないし、なんだったら戸籍もないので税金を払わなくていいのです! 

 やったラッキー!

 心の中で税務署職員に中指立てて勝利宣言をしていると、部屋の扉が開かれました。

 

陽乃(おっとやばいやばい。じゃあ私はポシェットの中に隠れてるね)

 

 そう言うと、通信機はポシュッと音を立ててポシェットの中に入っていきました。

 そして入れ替わるように、若かりし頃のお父さんがぬっと顔を出して入ってきます。

 

八幡「お、起きたか」

 

娘「はい。この通り」

 

 手を広げ、無事だということをアピールしてみます。

 

八幡「さっきも言ったけど、ほんとにすまなかった。助けてもらった恩があるのに、仇で返すような結果になっちまって」

 

娘「ん? さっき?」

 

 私が首をひねると、ポシェットから顔を出した通信機が肩まで登ってきました。

 

陽乃(さっきも言ったけど、娘ちゃんが気を失っている間は私が変声機を使って彼と会話してたの)

 

娘(あ、そうでした)

 

陽乃(だから適当に話を合わせておいて)

 

娘(りょーかいです)

 

娘「いえいえ、ぜんぜん。気にしないでください。こういうこともありますって」

 

八幡「そ、そうか。でも治療費とか――」

 

娘「だから、気にしなくて結構ですよ。傷も大したことないですし、ここまで看病してくれただけで充分ですから」

 

 まぁ将来的には身内なわけですし。ここで取り合って私の将来のお小遣いに響いたら一大事です。

 

八幡「それで、あの、つい聞きそびれちゃったんだが、キミ、な、名前は?」

 

娘「名前? わたしは比企谷ゆ――」

 

八幡「えっ、比企谷?」

 

陽乃(ちょっと! あんまり未来のこと言っちゃだめだよ!)

 

娘(ご、ごめんなさい!)

 

 私はあわてて口を押えました。するとお父さんもなにかを察したのか、話題を変えようとします。

 

八幡「しかし……なんだ、よかったのか? 俺の家に来たいだなんて。い、いろいろと不安だろ」

 

 お父さんが少し頬を染めて顔を背ける。

 

娘(え? そんなこと言ったんですか?)

 

陽乃(そうだよ。まさかあのまま放置しておくわけにはいかなかったからね。ま、お父さんの勘違いは適当にあしらって、デロリアンまで戻ってね)

 

娘(なるほど。分かりましたー)

 

陽乃(ふふ。しかし見てよお父さんの顔。実の娘にあんなに顔を照れちゃって)

 

娘(たしかに。こうしてるとお父さんも可愛いとこあったんですね)

 

陽乃(ふっふっふ。このまま禁断の恋に走るのもありかもね)

 

娘(いやいや、それはないです)

 

陽乃(どうかなぁ?)

 

陽乃(それじゃ、あとはごゆっくり若い者同士で……若い……くそっ……!)

 

娘(なんで最後に墓穴掘っていくんですか……。わたしのほうが居たたまれなくなりますよ)

 

 通信機がポシェットの中にするすると入っていきます。ふとお父さんを見ると、不安そうにこちらを見ています。

 

 そういえば、返事をしてませんでした。まぁ比企谷家では唐突に会話が終わることは珍しくないんですけどね。みんなコミュ障なので。

 

娘「いえ、あのままだと危なかったですから。それにこの家はやっぱり落ち着きますし」

 

八幡「お、落ち着く!?」

 

 いや、まてまて勘違いするなとお父さんがひとりごちる。小声で言ってても全部聞こえてるんですけど。

 あんまり変なことになる前にお暇した方がいいですね。

 

八幡「じ、実はおれもキミを見たときから――」

 

 そのとき、無造作に扉が開けられました。そしてひょっこりと、女の子が顔を出します。

 

小町「お兄ちゃんいるー?」

 

 顔を出したのは、若かりし頃の小町おばさんでした。壮齢となった未来の姿とは違って、とても可愛らしいです。

 

娘「あっ」

 

小町「……お兄ちゃん、ついに人さらいを……」ダッ

 

八幡「おい、落ち着け! 誤解だ!」

 

 小町おばさんが「110番だ~!」って叫びながらリビングへ駆けていっちゃいました。

 続いてお父さんが出ていきます。相変わらずあわただしい家系ですね。わたしも他人事じゃないですけど。

 

 10分ほど経過して、ようやく二人が戻ってきました。

 

小町「いやぁ、そういうことなら早く言ってよもう。誤解しちゃったじゃん」

 

八幡「お前がなにも聞かずに行っちまったからだろ。俺は看病してただけだ」

 

小町「やれやれ、そういうことにしとくよ」

 

八幡「え、今の説明でもまだ俺のせいになってるの?」

 

 ぐちぐちとお父さんが文句を言っています。だけど小町おばさんが聞く耳を持っていないからか、やがて観念したらしく、私に向き直ります。

 そこでようやく、私が小町おばさんと初対面だということを思い出したようです。

 

八幡「……あー、こいつは俺の妹の小町だ。見てのとおり騒がしい」

 

小町「このたびはうちのごみいちゃんがご迷惑おかけしました。妹の小町です。何もないけどゆっくりしていってね

 

娘「はい、よろしくお願いします、小町おばさん」

 

小町「……はっ?」

 

娘「やば、つい」

 

小町「つい?」

 

娘「いや、これは癖というかおばさんはかっこいいし、いや今のおばさんもかわいいですし――」

 

小町「なんでおばさんおばさん連呼するのかな? こいつばばあ臭ぇなみたいな本音がつい出ちゃってんのかな? ……あっ?」

 

八幡「小町落ち着こう。目が笑ってない」

 

小町「やめてお兄ちゃんはなして。小町ひさしぶりにキレちゃったんだから」

 

 やばい。これは私の生命の危機です。小町おばさんの記憶力はんぱないから、30年後でも覚えてそう。

 

娘「あー、じゃあ私はそろそろお暇しますねー!」ガチャッ

 

八幡「あ、せめてお礼を――」

 

娘「いやちょっとあれがこれなもんでそれじゃ!」シュタッ

 

 とりあえず一目散に家を飛び出す。そのまま全力ダッシュ! ただし私の全力ダッシュは30秒が限界なので、はた目からでは全力だとは気付かれない。

 なんならサラリーマンの歩きにだって負けるまであります。いや、ほんと池袋とか競歩みたいなペースで歩いてる人いますからね。

 

 デ、デロ……車に戻ると、さっそく陽乃さんにタイムマシンの起動方法を尋ねようとポシェットを開けました。しかし、どうも通信機からの反応がありません。ツンツンとつついてみます。

 

娘「陽乃さーん?」

 

 つついて叩いてこねくり回していると、やがて通信機がふらふらと起動しはじめました。

 

陽乃「……娘ちゃん、大変だよ!」

 

娘「ど、どうしたんですか」

 

陽乃「どうやら、未来が変わってしまったようなの……」

 

娘「えっ、未来が?」

 

陽乃「うん。キミのお父さんとお母さんが結婚しない未来へと変わってしまったの」

 

娘「えっ!? ……いやいや、まさか――」

 

陽乃「嘘だと思うなら、自分の写真を見てみなよ」

 

 そう言われて、私は慌てて自分のタブレットを起動して家族写真を開きます。すると、そこにあったはずの自分の頭が消えかかっていました。

 

娘「わ、私の顔が消えてる……!」

 

陽乃「お父さんとお母さんが結婚しないなら、子供たちも生まれるはずがないからね。やがては娘ちゃんの体も消えていくかも」

 

娘「そ、そんな!? どうして」

 

陽乃「私も調べてみたんだ。すると実は、今日の昼間にお父さんは転んで怪我をするはずだったんだ」

 

陽乃「その後、お父さんの怪我をお母さんが手当することで二人の距離は縮まって、間もなく付き合うことになるはずだったんだよ」

 

陽乃「でも今日、お父さんは怪我をしなかったよね」

 

娘「……あっ!」

 

 そうでした。私が下敷きになったおかげで、お父さんは怪我をしていませんでした。

 

陽乃「そしてさらに残念なことに、お父さんは助けてくれたキミにゾッコンになってしまったみたい」

 

娘「うわぁ……ヘビーです……」

 

陽乃「ドン引きしている場合じゃないよ! このままだと君のお父さんはお母さんと付き合わないから、娘ちゃんが生まれることもない」

 

陽乃「そうなると、娘ちゃんは未来に戻ってこられないんだよ」

 

娘「え、そうなんですか!?」

 

陽乃「あくまでも推測だけどね。娘ちゃんは過去という時空にいるからまだ体を保っているんだと考えられるんだ」

 

陽乃「写真のように消えている未来に戻ってくると、写真の通りの現象が起きるかもしれない」

 

娘「そんな……。自分でも存在感の薄さは自覚してたけど、まさか存在が無くなる日が来るなんて……」

 

陽乃「げ、元気出して! まだ消えると決まったわけじゃないよ。要は、もう一度お父さんとお母さんが付き合うように仕向ければいいんだよ」

 

娘「え、できるんですか。そんなことが」

 

陽乃「私の記憶では、この後にある生徒会主催のパーティで、キミのお父さんとお母さんは正式に付き合うことになるんだ」

 

陽乃「そこで付き合うように仕向けられれば、娘ちゃんの存在も取り戻すことができるはずだよ」

 

娘「パーティ……あ、お父さんがよく言ってた深海魚パーティのことだ!」

 

陽乃「あれ……? そんなダサいネーミングだったっけ」

 

娘「つまり、私が恋のキューピッドになればいいわけなんですね!」

 

陽乃「そういうこと! わたしも手伝うから、なんとか二人の恋を成就させよー!」

 

娘「おー!」

 

 そう考えると、なんだか気が楽になってきます。両親はなんだかんだでラブラブですし、ちょっと押すだけでなんとかできそうです。

 

 問題点があるとすれば――

 

娘「ちなみに私って、今日はどこで寝ましょう……?」

 

陽乃「たしかトランクに屈光カーテンが入ってたはずだから、それでデロリアンを隠して中で寝ればいいよ」

 

娘「うぃっす。あ、もしかしてこの中にお風呂キットとかも入ってたりとか――」

 

陽乃「しないね。キャンピングカーじゃないし」

 

娘「え。じゃあお風呂どうすればいいんですか!」

 

陽乃「あー、左端にキレイキレイとウェットティッシュがあるからそれで頑張って」

 

娘「はっ?」

 

陽乃「じゃあお姉さんもう寝るから、じゃーねー」

 

娘「へっ? ちょっと、おい」

 

「……」

 

娘「なんて日だ!」

 

陽乃「……古」プツン

 

娘「えっ」

 

 

――翌朝。比企谷家

 

 気づけば、部屋の中が陽の光りで照らされていた。のそりとベッドから起き上がる。

 結局、昨夜はあの子のことを考えていたら目がさえてしまって、眠ることができなかった。

 

八幡「……起きるか!」

 

 眠れなかったわりに、だいぶ清々しい朝に感じる。こんなに気持ちのいい朝は何年振りだろうか。そう、あれはまだ俺が胎児だったころ……、いや、やめよう。なんか悲しくなる。

 

 どうも深夜のテンションが若干まじっているらしく、ボクサーのファイティングポーズで洗面台まで下りていく。途中、ゴミを見るような目の妹がいたが気にしない。

 

八幡「おはよう! 小町」

 

小町「あぁ……もう起きちゃったの……」

 

八幡「あれ、ひさびさに早く起きたらその扱い? ちょっとは兄を褒めてくれよ」

 

小町「わー妹と同じ時間に起きれるお兄ちゃんすごーい。はい、おわり」

 

八幡「おーけーありがとう。ちょっと洗面台で涙流してくる」

 

 妹のありがたい言葉を胸に、目を一層腐らせて歩いていく。あれ、今日は洗っても洗っても涙が止まらねぇな。

 

 顔を洗い、着替えを済ましてテーブルに着くと、妹が首をひねってこちらをうかがってくる。

 

八幡「どうした?」

 

小町「いや、なんかお兄ちゃんの顔がキモいなぁって。なんかあった?」

 

八幡「たった今な」

 

 相変わらず小町の言葉はど直球である。あやうくメンタルを持っていかれて引きこもるところだった。

 

小町「むむぅ。さっきからお兄ちゃん、顔がにやけてるよ。絶対なんかあったでしょ」

 

八幡「えっ分かる? わかっちゃう?」

 

小町「あ、これ聞いたらめんどくさいパターンだ」

 

八幡「そういうのは心の中でつぶやこう? な? 親しき仲にも礼儀ありっていうし」

 

小町「ちっちっち。衣食足りて礼節を知るとも言うよ。つまり、小町からの礼儀がほしいならお洋服とごちそうを要求します!」

 

八幡「いや、そのことわざ、そういう意味じゃないからね?」

 

 最近の妹は受験期で語彙が増えたのか、俺の罵倒もバリエーションが多彩となっている。

 いやね、妹とは気のおけない仲であることは自覚しているが、少しは置いてみよう?

 なんなら俺が距離を置こう。いや、たぶんこれ以上置いたら家から飛び出るな、俺。

 

小町「で、お兄ちゃんなにかあったの?」

 

八幡「ふっふっふ。聞いて驚け。どうやらお兄ちゃんは恋をしてしまったらしい」

 

小町「またその話ぃ? もう聞き飽きたよ」

 

八幡「中学以来だからまたじゃないだろ。ってか、なんで自主的に恋愛関係のこと話そうとするとドン引きすんの?」

 

小町「いやぁ、こういうのは嫌がる姿を見るのが良いんだって」

 

八幡「うわぁ……」

 

小町「で、それで? お相手は結衣さん? 雪乃さん?」

 

八幡「昨日の子」

 

小町「……はっ?」

 

八幡「だから、昨日うちに来た子だって」

 

小町「あの小町のことおばさん扱いしたファッションセンスバツの糞ババアのこと?」

 

八幡「小町さん、まだ怒ってるの?」

 

小町「怒ってないよ? ねぇ、それマジで言ってるの? 小町とババアどっちが大切なの?」

 

八幡「いや、なんでそうなるんだ……。あとババアじゃない」

 

小町「……はぁ。それで、どうして好きになったの?」

 

八幡「まあ昨日、訳あってあの子を背負うことになったわけなんだが、なんというか母性本能というか父性本能が働いてな。ずっと守っていたいという気持ちが沸々と湧き上がってきたんだ」

 

小町「えー、そんだけ? お兄ちゃん女子とのふれあいが少ないから、また誤解してるだけじゃないの?」

 

八幡「いや、なんかあの子とは初対面という感じがしないんだ。昔から知ってたようなこの感じ……そう、これは運命! またの名をデスティニー」

 

小町「お兄ちゃんがおかしくなっちゃった……」

 

八幡「今まで俺がこんな気持ちを抱いたのは妹と戸塚以外にいなかったんだが、今度はちゃんとした女の子! つまり合法なんだ!」

 

小町「だめだこのお兄ちゃん……。好きな人を合法かどうかで判断してる……」

 

 小町がため息をつき、トーストをかじる。

 

小町「で、お兄ちゃんはこれからあの子に告白したりするわけ?」

 

八幡「いや、俺は数々の恋愛経験から、もう告白したりしない」

 

小町「え、そんなあっさり諦めちゃうの? それはそれでポイント低いような」

 

八幡「おはようからおやすみまで遠くから眺めているだけにする」

 

小町「うわぁ……これガチのストーカーだ……」

 

 小町がおびえた目で身をのけぞる。え、軽い八幡ジョークなのに、なんでそんな信憑性もってドン引くの?

 十数年間培った信頼関係はいずこへ……。まぁ築き上げた記憶ないんだけど。

 

 とりあえずまた警察にかけようとしている小町をなだめていると、あっという間に登校時間になってしまった。

 

 家を出る前に小町から、「お兄ちゃんがあの子と付き合うなら、もう一生お兄ちゃんとは口をきいてあげないから。なんなら家出するまであるから、大志くんちに」

 などという超ド級の発言をいただき、現在究極の二択に頭を悩ませている。

 とりあえず打てる手段として、大志が肥やしの山に突っ込む呪いはかけておいた。

 

 しかしあの子、社会人とは言ってたけど、顔は幼かったし、手当しているときに見た感じ、あの服は制服ではなさそうだったな。

 そして結局、あの子の正体は分からずじまいだ。どこに住んでいるのかや名前さえも知らない。いや、名前は途中まで言いかけてたな。止めちゃったけど。

 

 俺に名前を知られるのって、そんな嫌だったのか。いや、それならそもそも家に上がるわけないし。

 しかし、比企谷か……。まさか同じ苗字とは思わなかった。親戚か? いや、あんな子はいなかったはず……。

 下の名前はなんだろうか。ゆ、とは言っていたから、ゆ、ゆ……

 

結衣「やっはろー」

 

八幡「ゆい!」

 

結衣「ほへっ!?」

 

 突如として素っ頓狂な声が聞こえる。ああ、ゆいってこいつの名前か。

 

八幡「お、うす」

 

結衣「あ、うん。じゃなくて今、あたしのこと名前で呼んだ……?」

 

八幡「いや、わるい。ちょっと考えごとしてたらつい」

 

結衣「か、考えごと……? え、まさか――」

 

 由比ヶ浜が身をよじってこちらを見つめてくる。いつもはそんな仕草を見せられると、おっぱいに目がいってしまうのだが、今は泰然自若と動かされない。

 ふっ、これが大人の余裕というやつか。

 

八幡「……なあ、由比ヶ浜は好きな人ができたことってあるか?」

 

結衣「えっ!? ひ、ヒッキーがそういうの聞いてくるって珍しいね」

 

八幡「いや、ちょっとな」

 

 たしかにそうだ。誰かと今の気持ちを共有したくて、つい柄にもないことをきいてしまう。

 

結衣「……あ、あたしはあるよ」

 

 由比ヶ浜が少しもじもじとした様子で上目遣いにこちらを見る。……ほう、ここで間髪入れずに斜め45度の上目遣い、こやつ手練れだな。

 

 とりあえず早くも思考回路はショート寸前、今すぐ浮気心が頭をもたげてきそうだったので、慌てて視線を下げる。

 いや、別に目をそらしただけだから。その下でたぷたぷ揺れるナニを見たいわけじゃないから。あぁ、大人の余裕はいずこへ……。

 とりあえず心の煩悩を奥底に封印し、つとめて冷静に返事をする。

 

八幡「……そうなのか。いいよな、この感じ。今ならリア充への恨み節も一小節だけで済みそうだ」

 

結衣「恨むのは確定なんだ……って、えっ!? ヒッキーまさか恋を――」

 

八幡「あっ! 戸塚~!」

 

 なんか由比ヶ浜が言いかけてた気がするが、もはやその言葉など耳に入らない。戸塚を見たら走り出すのはしょうがない。

 戸塚とはいつだって以心電信、心はイケナイ太陽なんだ!

 

結衣「ヒッキーがスキップしてる……。これはゆきのんに報告しなきゃ!」

 

 

――デロリアン

 

陽乃「娘ちゃん起きてー」

 

 陽乃さんの声で、目が覚めました。

 ふと周りを見ると、球型の通信機がかまびすしく飛び回ってきます。しかし、わたしの蚊にも動じない安眠スキルの前には無力なのです。寝よ……。

 

陽乃「起きろー」ブンブン

 

娘「もうちょっと……」

 

陽乃「しょうがない。……本日、新しく松戸ナンバーが誕生しました」

 

娘「!」ガバッ

 

陽乃「う・そ」

 

娘「……なんだ、まだ野田ナンバーか……」ポスッ

 

陽乃「自分でやっといてなんだけど、野田市民に謝った方がいいよ」

 

娘「あとであとで……」zz

 

陽乃「寝ちゃだめだよ! もうお昼だよ!」ブンブン

 

娘「わたしの体内時計はグリニッジ標準時なんで……」

 

陽乃「なんでイギリスに合わせてるのさ……。ほら、起きた起きた」ボスボスッ

 

娘「あう、いけず」

 

 陽乃さんの通信機がおなかに体当たりをかましてきました。さすがにもう無理かと思い、起き上がります。

 

陽乃「今日はお父さんたちの学校に行くよ」

 

娘「えー。過去に戻ってまで学校に行きたくないです」

 

陽乃「そんなこと言わない。二人をくっつけるためにも、今日はお父さんたちの入っていた奉仕部へ偵察に行こう」

 

娘「ああ、奉仕部(笑)ですね」

 

陽乃「イントネーションおかしくない?」

 

娘「比企谷家のデフォです。ちなみに、ここからお母さんに足蹴にされるまでがお父さんの日常です」

 

陽乃「キミのお父さんも懲りないね……」

 

 ついでにお父さん曰く、お前が真似しだしてから蹴り飛ばされるようになったとのことです。

 でも、私が小さいときに覚えさせた言葉が「パパ」と「ほうしぶ(笑)」らしいので、自業自得というやつです。

 

 閑話休題

 

娘「学校にはどうやって侵入しましょう? 私が通うのはもっと先ですし、制服も持ってきてないですよ」

 

陽乃「とりあえず屈光カーテンで透明になって、保健室まで行こう。あそこに予備の制服があるから、それに着替えて生徒になりすまそう」

 

娘「ん? それだったら、屈光カーテンを被ったままでもいいんじゃないですか?」

 

陽乃「なにいってるの。学校の廊下は竹下通りなみに通行量がおおいんだよ。透明になったら気づかれないから、絶対にぶつかるよ」

 

娘「え? わりと普段から気づかれてないから変わらないですよ」

 

陽乃「ごめん悪かった、今の話はなしにしよう」

 

 唐突に陽乃さんが優しくなりました。まったく、ぼっちはどこもかしこも地雷原なのだから気をつけてほしいものです。

 

 それからしばらくのち、私たちは高校へ向かいました。

 

 

――総武高校廊下

 

陽乃(おー、旧式の制服も似合ってるね)コソコソ

 

 陽乃さんの通信機が、なめるように私の周りを飛び回ってきます。保健室から借りた制服は、私にぴったりでした。

 

娘(なんたって現役女子高生ですから。そこらのコスプレには負けませんよ)エッヘン

 

陽乃(懐かしいなぁ。私だって高校時代はね、かなりモテ――)

 

娘(まーたはじまったよ……)

 

陽乃(あっ?)

 

娘(ほ、ほら陽乃さん、そろそろ教室付近ですからお静かに)

 

陽乃(くそう。昔はこんなキャラじゃなかったのに……)

 

 時の流れの残酷さを垣間見たような気がしますが、今は気にしません。気にしたらもらい泣きしそうです。

 

 廊下のつきあたりの階段を上っていくと奉仕部らしいです。教室前を通るときは父祖伝来のステルスヒッキーを使っていきます。

 

 授業中なのでお口はチャック。授業中じゃなくてもチャックです。あれ、私学校で最後に話したのはいつだっけ……。

 

 もたげた疑問を心の奥底へ封印しているそのとき、チャイムが鳴りました。どうやらお昼休みのようです。

 

八幡「ふぅ」ガラガラッ

 

陽乃(あっ)

 

娘(げっ、お父さんだ)

 

八幡「ん?」チラッ

 

娘(ややばいです!)クルリッ

 

八幡「……もしかして」ジーッ

 

陽乃(まずいよ。きみのお父さんがすごい疑ってる!)

 

娘(大丈夫です、任せてください!)

 

八幡「なあ――」

 

娘「はぁ~やっさいもっさい やっさいもっさい」ソレソレッ

 

八幡「……なんだ、ただの危ないやつか」スタスタッ

 

娘(ふぅ。なんとか事なきをえましたね)

 

陽乃(……なんか娘ちゃんに友達ができない理由が分かった気がする)

 

娘(えっ)

 

 

――昼休み 奉仕部前廊下

 

娘(ここが奉仕部なんですね)

 

陽乃(私の記憶が正しければね。ちょっと扉を引いて覗いてみて)

 

娘(女の子が二人ほどお昼をしていますね。あっ。お母さんらしき人がいましたよ)

 

陽乃(ほんとだ。いやぁ若いねぇ)

 

娘(ねっねっ。こうしてみると私とお母さんって似てません?)

 

陽乃(……それは置いといて。ほら、きみのお父さんの話題になったよ。集音機能使うから静かにね)

 

娘(え、あれ、ちょっと――)

 

 

――奉仕部 室内

 

雪乃「比企谷くん……恋……? ごめんなさい、理解力がなくて。その2つの単語はどこをどう結び付けたらつながるのかしら?」

 

結衣「やっぱりそう思う? あたしも最初はびっくりしたんだけどさ。朝からテンションが高いというか、休み時間に恋するフォーチュンクッキー歌ってたし」

 

雪乃「なにかしら……おぞましい言葉が聞こえた気がするわ」

 

結衣「あたしに好きな人聞いてきたし、ゆ、結衣って呼んできたり……」

 

雪乃「なるほど。今までは視界に入らない存在感だったのが、見るに堪えられないくらいの鬱陶しさに変貌を遂げたのね」

 

結衣「あれ……あたしそんな悪意ある感じで伝えたっけ……。でもまぁそんな感じなんだよ!」

 

雪乃「そう。なら今日の放課後、比企谷くんと一度“お話”しましょうか。もしも比企谷くんが本当に恋をしているならば、対象者を守らなければいけないものね」

 

 

――奉仕部前 廊下

 

陽乃(どうやらきみのお母さん、それなりに関心はあるみたい)

 

娘(お父さんって、30年前からお母さんの尻に敷かれてたんですね)

 

陽乃(むしろ尻に敷かれてからが本領発揮みたいなところあるからね、きみのお父さん)

 

陽乃(さて、つぎは放課後にまたこようか)

 

娘(うーす)

 

陽乃(なんて女子力の低い返事……)

 

娘(あ、ありのままでいくスタイルなんです)

 

陽乃(それを逃げというんだよ)

 

娘(逃げじゃないです。選択と集中です。容姿と振る舞いと中身は捨てただけです)

 

陽乃(なにが残ったのさ……)

 

 まるで親の顔がみたいとばかりに呆れ果てていますね。あそこにいますよ、あそこ。

 

 

――放課後 

 

 帰りのホームルームが終わり、銘々が席を立っていく。

 

八幡(そろそろいくか)

 

 バッグを持って席を立つ。

 今日はやけに視線を感じた。まぁ原因は自分でも分かっているけど。さすがにノリノリで鼻唄うたってたときの視線はやばかった。

 なにがやばいってあの戸塚が話しかけるのを止めちゃうレベルでやばかった。

 ちょーヤバス。いや、まじで泣きそう。

 

 とりあえず意味もなく口を3の字にしながら教室を出る。

 

八幡「ここらへんでいっか」

 

そうひとり呟くと、廊下の曲がり角のあたりで壁に寄りかかる。

 

八幡「待つこと10分、ターゲットが姿を現した」

 

結衣「不審者みたいに言うなし。ってか、そんな待ってないでしょ」

 

八幡「まぁな」

 

 軽く二の腕を突っつかれる。どうやら由比ヶ浜も比企谷家のノリに慣れてきたらしい。

 

結衣「じゃあ行こっか。今日はヒッキーに聞きたいことがたくさんあるから、覚悟してね?」

 

八幡「いや、覚悟とか間に合ってるんでそういうのはちょっと……」

 

結衣「じつは、偶然にも大岡くんがヒッキーのフォーチュンクッキーを録音してたんだよねー」

 

八幡「くっ、金ならないぞ!」

 

結衣「お金じゃないし! 今日は正直に話してくれるよね?」

 

八幡「……まぁ、隠そうとも思ってなかったからな」

 

結衣「よしよし」

 

 由比ヶ浜が満面の笑みを浮かべる。そして俺たちはそのまま歩みだした。

 ちなみにさっきうやむやになったけど、録音って冗談だよね? 何気にちょー恥ずかしいんだけど。

 

 そんな俺の心配などどこ吹く風とばかりに、彼女は上機嫌に階段をのぼっていく。そして部室まで歩いていき、その扉を開けた。

 

結衣「やっはろー」

 

八幡「うす」

 

雪乃「やっ……こんにちは、二人とも」

 

八幡「ぷっ、お前いま――」

 

雪乃「こ ん に ち は、比企谷くん」

 

八幡「う、うす」

 

 ちょっとした軽口なのに、びっくりするほどの冷凍ビームを撃ってきますね。

 

結衣「さぁヒッキー座って座って。さっそく話してもらうよー。あ、紅茶入れてあげ――」

 

「「けっこうです」」

 

結衣「なんで息ピッタリなんだし……」

 

 落ち込んでいる由比ヶ浜を席に促し、自分も席に座る。そしてすぐに雪ノ下が立ち上がり、三人分の紅茶を入れた。

 

雪乃「さて、比企谷くん。洗いざらい話してもらいましょうか」

 

 紅茶と茶菓子とボイスレコーダーが机に置かれ、雪ノ下にさぁと促される。あれ? 会話って録音しながらするものだっけ?

 とりあえずボイスレコーダーはしまってもらうと、、俺はひとつ咳払いをしてから話した。

 

八幡「あ、あー実はな、好きな人ができたんだ」

 

結衣「や、やっぱり……」

 

 こういう話は小町としかしたことないから、いざ話すとなるとめっぽう恥ずかしい。

 それなら話さなきゃいいじゃんと言われそうだが、まぁ、隠し事してまた変にぎくしゃくするのもあれだしな。

 

雪乃「そ、そう。それで、その、好きな人の名前は?」

 

八幡「名前はゆ――」

 

「「!?」」

 

 そういえば結局、名前はわかんねぇんだよな。まぁ適当なこと言うのもあれだし、ごまかしとこ。さっきの発言? なんのことでせう?

 

八幡「わり、知らない」

 

雪乃「ちょっと待ちなさい。いま明らかに言いかけたでしょう。ゆの次を早く教えなさい」

 

結衣「そうだよ! ゆの次はア行? カ行? 大穴でマ行だったら訴えるよ!」

 

八幡「なんで訴訟案件になってんだよ……。いや、ほんとうに知らねぇんだよ」

 

 前のめりになる二人をどうどう、とおさえる。

 ……いや、あれですね。こうして前のめりになると二人の違いがよく分かりますね。いや、ナニとは言わないけど。

 

結衣「……ヒッキーどこ見てんの」サッ

 

雪乃「……比企谷くん? 今日の東京湾がどれくらい寒いか、興味ない? ぜひ体験させてあげるわ」

 

八幡「いやいやちょっと待て! せめて鹿島湾がいい」

 

結衣「沈められることは否定しないんだ……」

 

 由比ヶ浜が呆れたようにつぶやく。

 

 いや、雪ノ下に正面切って反論しても勝てないだろ。こういうときは適当なところで妥協するのが吉だ。

 今回もけっこう良い線で落とせたしな。死ぬのは確定したけど。

 

 俺は目線を横に逸らし、雪ノ下の冷気から逃げるために話題を変える。

 

八幡「あ、でも苗字なら知ってるぞ」

 

結衣「苗字なら言えるんだ?」

 

雪乃「名前は言えないのに苗字は言えるなんて、ほんと不思議なメンタルしてるわね」

 

八幡「いや、名前は本当に知らねぇんだよ」

 

結衣「そ、それで苗字は?」

 

八幡「比企谷」

 

結衣「……1、1、0、と」

 

雪乃「……シスコンだシスコンだとは思っていたけれど、どうやら最後の一線を越えてしまったようね。次は法廷で会いましょう」

 

八幡「いやいや待て待て! 小町じゃないぞ! いや、たまに小町で良いんじゃないかと考えちゃうけど断じて違う!」

 

結衣「うわぁ……言い訳すらグレーゾーンぎりぎりだ……」

 

雪乃「いえ、これはアウトよ、由比ヶ浜さん」

 

 二人がガタガタッと椅子ごと俺から遠ざった。だいぶドン引きされたらしい。まぁ今さら誤差の範囲だけどな。ふだんの距離からして光年単位で離れてるし。

 

 あと由比ヶ浜さん、ケータイから親指を放してくれませんかね。うっかり通話ボタンを押されると、俺の息の根が社会的に止まルンです。

 

八幡「いや、ほんとうにその子が言ってたんだよ。比企谷って」

 

雪乃「とぼけるのもたいがいにしなさい。どこの世界に好き好んで比企谷くんと同じ苗字を名乗る女子がいるの!」

 

八幡「おい、待て! 比企谷って名乗ることはそんな不思議じゃないだろ。でないと俺の主夫への道が絶たれる!」

 

結衣「ヒッキー、最後もう反論じゃなくて願望になってるよ」

 

 ……おっと、少し我を忘れていたようだ。

 とりあえずこのままでは埒が明かないので、意中の子との出会いから話すことにした。

 

雪乃「……そう。ほんとうに名前も知らないのね」

 

八幡「ああ。結局名前は教えてくれなかったな。比企谷も本当かどうか分からんし」

 

雪乃「まぁ、比企谷くんならフェイスブックあたりを監視するのはデフォでしょうし、本名を教えないのは賢明ね」

 

結衣「え、ヒッキーまじ……?」

 

八幡「まじじゃねぇよ。アカウントすら作ったことねぇわ」

 

結衣「でも、ヒッキーが恋かぁ……」

 

八幡「……なんだよ」

 

結衣「いや、意外というか。そういうの避けてる感じがしたし」

 

八幡「まぁ失敗した数と言いふらされた数なら並みの学生を寄せつけないからな」

 

雪乃「近寄りたくないわね、その記録」

 

八幡「やめて、知ってるから」

 

 おいおい、封印されし黒歴史が召喚されちまうじゃないか。夜な夜な怒りの業火でメンタル焼かれる俺の身にもなれよ。 ……自業自得ですね、はい。

 

八幡「あのころの俺は表面的に恋愛を勘違いしていた。だが今は違う! 俺は真実の愛に目覚めたのだ」

 

結衣「なんだろう、ヒッキーが真実の愛と言うとすごく胡散臭い……」

 

雪乃「同感だわ」

 

八幡「彼女を看病した時に自分でも驚くほど母性というか父性本能が働いたんだ。こんなにも守ってあげたいと思ったのは小町と戸塚以来だから、これぞ真実の愛に違いない」

 

雪乃「審査基準が妹さんと男の時点で信頼性がゼロなのだけれど」

 

八幡「ばっか。今までは法律とか性別の壁が俺のゆく道を阻んでたけど、今回は合法だぞ、合法」

 

雪乃「恋愛で合法と連呼すること自体が、まずおかしいでしょう……」

 

 雪ノ下が頭をかかえて首を振る。

 

結衣「ヒッキー、今回は本気なの……?」

 

八幡「ああ。俺を助けてくれたり、この目を恐れずに受け入れてくれたりとか、あんだけ俺に好意を示してくれる子なんかいなかったからな」

 

結衣「……」ムカッ

 

結衣「あ、あたしたちだってヒッキーの目とか受け入れてるし、優しくしてんじゃん。あたしたちにも愛とか感じないの?」

 

雪乃「由比ヶ浜さん、語弊があるわ。受け入れたんじゃなくて慣れただけよ」

 

八幡「とまぁこんな感じでプラスになってもマイナスに振り切っていくから、プラマイでマイだな」

 

結衣「ゆ、ゆきのーん……」

 

 由比ヶ浜が子犬のように雪ノ下へしなだれかかる。あいかわらず、この隙あらばゆりゆりする感じ、たまらんとです。

 

 いつのまにか二人のガールズトークが始まったので、賢明な俺はステルスヒッキーとなって読書タイムに入る。

 

 ちなみに、トークの話題は今週末にある生徒会主催のパーティのようだ。これはあのあざとい会長の発案ではなく、前々から行われているらしい。

 

 らしいというのは、俺は昨年のパーティに出ていないので推測にすぎないからだ。どうもこのパーティではダンスもするらしく、そのお相手を男子は選んで行かなければならない。

 

 そんなリア充御用達のイベントなど、超高校級ぼっちの俺が行くはずもない。

 まったく、二人ほど声をかけたあたりで欠席を決断してやったわ。あれ、せっかく忘れていたのに涙が……。

 

 ちなみにそのパーティは駅近くの会場を借りるから、人によっては他校の生徒を誘うこともあるらしい。

 はっ!? つまりあの子も誘える!? やばっ、おれ天才! 連絡先知らねー!

 

 一縷の希望が打ち砕かれ、絶望から逃げるために文字列を追っていると、部室の入り口からわずかな物音がした。

 なんとなしに目をやると、誰かがのぞいているようだった。

 

娘「……」チラッ

 

八幡「あっ!」ガタッ

 

 思わず、椅子を倒す勢いで立ち上がった。入り口から覗いていた人物は忘れもしないあの人。しかし、彼女は俺と目が合うや、逃げていってしまった。

 

結衣「ど、どうしたの!? ヒッキー」

 

八幡「いま話してた女の子だ! 俺は帰る! じゃあな!」

 

雪乃「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 

 二人の制止の声も聞かずに走り出す。住所も名前も分からないから、ここを逃したらまずい。下手したらこれが最後かもしれない。

 

 俺が扉に手をかけようとしたとき、勢いよく扉が開かれた。

 

いろは「せんぱーい。大変なんですよー」ガラガラッ

 

八幡「げっ」

 

いろは「あ、なんですかその反応」

 

八幡「いやちょっとあれがこうでああでそんなわけで、じゃ」シュタッ

 

いろは「えっ、ちょっと。何一つ内容が入ってこないんですけど」

 

 突然入ってきた後輩に有無を言わせずにお断り文句を入れる。

 

 そのまま俺は部室を飛び出し、あの子を追いかけた。背後から俺を呼ぶ声がするが無視だ無視。

 

 しかし、なぜあの子は校内にいるのだろう。この学校の学生だったのか。それとも俺を探してここまで――。

 いや、その線はまた変な勘違いをしそうだから止めておこう。

 

 駆けだした俺の脚は早くも重くなる。さすがにマラソン大会の翌日だと満足に走れない。何気に昨日は頑張ってしまった。くそっ、こうなるなら少しは温存しておけばよかった。

 もつれそうな足に喝を入れ、俺は彼女に迫った。

 

――

 

結衣「……ゆきのんは冷静だね」

 

雪乃「比企谷くんですもの。おそらく数日もすれば、新たなトラウマを作って帰ってくるわ」

 

結衣「だよねー。そしたらお疲れさま会してあげようよ。ヒッキーがあんなにも積極的になったのはいい成長だし」

 

雪乃「ふふ、それもそうね」

 

 

――夕方 昇降口

 

結衣「……あれ? あそこでうなだれてるのってヒッキーじゃない?」

 

雪乃「あら、ほんとうね」

 

八幡「……終わった」

 

結衣「え、終わったってもしかして、もう告白したの!?」

 

八幡「いや、話す話題がなかったからあのパーティの話をしたら、もう行く人がいるって言われて断られた……。死にたい」

 

結衣「はっや! 出会って二日で振られたの!?」

 

雪乃「総武高最速タイムね、間違いなく」

 

八幡「なんとでも言えよちくしょー……。あーリア充爆発しねぇかなぁ。もう俺が爆発しようかなぁ。プルトニウムってどこに売ってんだろ」

 

結衣「お、落ち着いてヒッキー!」

 

結衣「そ、その、なんなら代わりにあたしがパーティに行ってあげても――」

 

八幡「やだ」

 

結衣「え、即答!?」

 

八幡「だって、あの子が彼氏とダンスしてんだぜ。弱り目に祟り目どころか目が腐るまである」

 

雪乃「それは元からでしょう……」

 

八幡「とりあえず行かん。もう帰って小町にヨシヨシしてもらう」

 

結衣「この状況でもシスコン発揮するんだ……」

 

雪乃「筋金入りね……」

 

 

――デロリアン

 

 息も切れ切れになって、タイムマシンのもとへと戻ってきました。この二日間で一生分の体力を使った気がします。もうまぢ無理、引きこもろ。

 

娘「はぁ、はぁ……」

 

陽乃「そういえば、制服を着たままきちゃったね」

 

娘「……大丈夫、これも青春です。盗んだ制服で走り出すなんてよくあることです」

 

陽乃「名曲使ったって正当化されないからね?」

 

 陽乃さんがやれやれといった感じでたしなめてきます。私はまだ15歳ですし、今日の夜だって15の夜になるんですからセーフです、セーフ。

 

陽乃「そんなことはさておき、どう? 実の父からデートに誘われた感想は?」

 

娘「まぁ毎日のことなので、大して鳥肌は立たなかったですね」

 

陽乃「ま、毎日……。やはり八幡くんはそっちの気が……」

 

娘「でも、私はしっかりと断りましたし、これでお父さんもお母さんをパーティに誘うんじゃないですか?」

 

陽乃「うーん、残念ながら未来は変わってないんだよねぇ。どうやらキミのお父さんは、娘ちゃんにフラれたショックでそもそもパーティに行かないことになってるんだよ」

 

娘「うっわめんどくせ」

 

陽乃「娘ちゃん、表情と声が女子力ゼロになってるよ」

 

娘「……ごほん。そうなると、どうしましょうか」

 

陽乃「そうだねぇ。やり方としては、私たちがきみのお母さんを焚きつけて、お母さんから誘ってもらう方法があるけど……」

 

娘「お父さんが誘いに乗る可能性は低いですね。休みの日なんて庭から先へ出たことないですからね」

 

陽乃「キミのお父さんはシザーハンズかなんかなの?」

 

娘「いえ、ただの出不精です」

 

陽乃「じゃあ正直、打つ手なしだね」

 

娘「……うーん、そうだ! 一つだけ手段があります」

 

陽乃「え、どんなの?」

 

娘「お父さんの千葉愛を利用した催眠術です」

 

陽乃「え、なにそれ」

 

娘「先週思いついたやつです。暇つぶしでに試したらまんまとかかったので、たぶん大丈夫です」

 

陽乃「……ほんと比企谷家って謎な行動が多いよね」

 

娘「まぁ見ててくださいって」

 

 

――その夜 比企谷家

 

娘(こちらスネーク、お父さんの部屋に潜入した)

 

陽乃(ノらないからね)

 

娘(……けち)

 

 私が頬を膨らませて言う。ノリが悪いですね。せっかく復刻版で仕入れた知識を披露しようかと思ったのに。

 

陽乃(しかし、よく侵入できたね。うちじゃありえないよ)

 

娘(ふっふん。未来では私の家ですからね。どこの立て付けが悪いかもばっちりです!)

 

陽乃(30年間も立て付けが悪いままなのはどうかと思うけど)

 

娘(そこは気にしちゃダメです。親子二代にわたって収入がアレなんです)

 

陽乃(……娘ちゃん、おなかが空いたらいつでもウチに来ていいからね)

 

娘(いや、さすがにそこまでじゃないですよ……)

 

 さすがに同情してお金もらうレベルではないです。普通です、普通。

 

 むしろお母さんのやりくりで多少の余裕はあったような気がします。ただ完璧すぎて、お父さんはお小遣いもらうために毎回稟議書作成してるレベルです。ちなみに3回に2回は突き返されてるそうです。

 

 そういえば、私が親せきからもらったお年玉はすべてお母さん銀行に回収されていましたが、今いくら貯まっているのでしょうか。お母さんに聞いても、「財産形成は大切なのよ……」と言いながら明後日の方向を眺めているだけですし。

 

 戻ったら即解約手続きをしようと考えていると、唸り声とともにお父さんが寝返りをうつ音が聞こえました。

 おっと、忘れてました。お父さんのところへ行かなければ。私はそっとお父さんの寝ているベッドへとすり足で近寄りました。

 そして屈光カーテンから顔だけ出すと、寝ているお父さんの耳元に顔を近づけました。

 

娘「あーあー。我が名はチーバくん……ジャガー星からきた千葉県の守り神です……」ゴニョゴニョ

 

八幡「……チーバ君……」ムニャムニャ

 

娘「八幡よ、パーティへ行くのです……模範的な千葉県民ならばパーリナイするのです……パーティピーポーにあらずんば千葉県民にあらずです……」ゴニョゴニョ

 

八幡「!」ガバッ

 

八幡「……パーティに行かなきゃ!(使命感)」

 

娘(成功しましたよ!)

 

陽乃(八幡くんの千葉愛が異常なのか、それともそこまで掻き立てる千葉がおかしいのか……)

 

娘(じゃあ、そろそろ退散しましょう)

 

 

――翌朝 通学路

 

 翌日、いつも通りに比企谷家から出てきたお父さんを、私と陽乃さんの通信機で尾行します。

 特に目立った変化はありません。いつも通り、ブツブツ独り言をつぶやいていてキモいです。

 

八幡「小町に断られたのは痛いな……。しかし、パーティにはでなきゃいけないし。なんか知らないけど、そうしないと俺のアイデンティティが失われる気がする」

 

 お父さんが歩きながらため息を吐きました。

 

陽乃(本当に、催眠術のようにかかったね)

 

娘(お父さんの千葉愛と娘への愛はガチですから)

 

八幡「ううむ、どうしよう。あの子はすでに先約がいるみたいだし……。こうなったら癪だけど、奉仕部のあいつらに土下座してついてきてもらうか。まぁ2~30分ゲザれば余裕だろ」

 

 お父さんのそのつぶやきで、私は肩の荷が取れました。ほっと、胸をなでおろします。

 

娘(無事、過去が修正されましたよ)

 

陽乃(いや、まだ油断はできないよ。ああ見えてキミのお父さん、いろんな人に誘われたりするんだよ。もしかしたら男の子と行くかもしれないし)

 

娘(あはは、そんな馬鹿な……あっ)

 

陽乃(とりあえずキミのお父さんが無事奉仕部へ行くまで監視するよ。なんとしてでも戸塚くんを寄せつけないように)

 

娘(らじゃー!)

 

 

――放課後 教室

 

八幡「今日は戸塚が話しかけてくれなかった……」ズーン

 

 

娘(陽乃さん! お父さんがこの世の終わりみたいにうなだれてますよ!)

 

陽乃(いや、これは必要な犠牲だよ。目をつむって知らんぷりするんだよ)

 

娘(さすが陽乃さん。そうやって無かったことにするの得意そうですね)

 

陽乃(……根拠を聞こうじゃないか)

 

娘(比企谷ジョークです。お父さんにツケといてください)

 

陽乃(娘ちゃんもたいがいだけどね!)

 

「……八幡!」

 

八幡「!」ガタッ

 

結衣「残念、あたしでした~」

 

八幡「……なんだ、お前かよ。俺の期待を返せよ」

 

結衣「いいじゃん、あたしだって嬉しいでしょ」

 

八幡「ばっか。俺はいま戸塚に飢えてるんだ。失恋で弱っているところを戸塚に言い寄られて攻略してもらうんだ」

 

結衣「それ自分で言うことじゃないし……」

 

結衣「――って、そうじゃなかった。今日は奉仕部での活動はお休みだよ」

 

八幡「え、まじで!? ラッキー! 今日は好きなだけ涙で枕を濡らそう」

 

結衣「ヒッキー、テンションと台詞が一致してないよ……」

 

八幡「良いじゃねぇかよ。できたてほやほやの傷口なんだよ。そっとしておいてくれよ」

 

結衣「まぁまぁ。そんなヒッキーを慰めてあげようと思って、ゆきのんと一緒にヒッキーを慰める会を開くことにしました!」パチパチッ

 

八幡「……ああ、うん」

 

結衣「テンション低っ!」

 

八幡「慰め会とか言っても、どうせ俺はひたすら水滴いじってるだけだろ。会話には入れないし」

 

結衣「なんで主役なのに入れないと断言するのさ……。いいからいいから。小町ちゃんも呼んでるからやろう」

 

八幡「えー」

 

結衣「ヒッキーこないなら大志くん呼ぶよ?」

 

八幡「行くぞ! 早くしろ! そして大志ぶっ飛ば――」沙希「はっ?」

 

八幡「――すって由比ヶ浜が言ってた」

 

結衣「ひよるのはやっ! ってかなすりつけんなし」

 

陽乃(さすが八幡くん。変わり身の早さはピカイチだね)

 

娘(「上を見るな」と「身のほどを知れ」が比企谷家の家訓ですから)

 

陽乃(娘ちゃん、その歳でその家訓はまだ早いよ……)

 

 陽乃さんがやけに生暖かい目で見てきます。どこに行ってもわが家の教育方針は受け入れられないですね。

 まったく、私が天下を取ってから謝ったって許しませんよ。まあ天下の前にまず部屋を出るとこから始めなきゃですけど。

 

 そんなことを考えていると、お父さんが文字通り逃げるように教室を出ていきました。そのあとを結衣おばさんがついていきます。

 とりあえずこれで使命は達成したのかな、と思っていると、廊下でお父さんを呼び止めることが聞こえてきました。

 

いろは「せーんぱい!」

 

八幡「げっ」

 

いろは「あ、まーたそういう反応する!」

 

結衣「いろはちゃんやっはろー」

 

いろは「結衣先輩やっはろーです」

 

いろは「って、先輩昨日私から逃げましたよね?」

 

八幡「いや待て。逃げたんじゃない。未来への進軍だ」

 

いろは「まーたわけわかんないこと言って、けむに巻くつもりですね」

 

八幡「おい名家ばかにすんなよ。っで、何の用だよ」

 

いろは「いやぁ、実はまた大変な仕事が入ってしまいまして」

 

八幡「……はぁ。あー由比ヶ浜、ちょっと先に行っててくれ。すぐ追いつくから」

 

結衣「うーん、分かった。校門前で待ってるね」

 

 お父さんが珍しく気遣いを見せました。

そして先にいかせると、一色おばさんと向き直りました。

 

いろは「実は今度のパーティなんですけど、場所取りで少しもめてしまいまして、準備の時間がかなり少なくなっちゃったんですよ」

 

八幡「なにしてんだよ……」

 

いろは「いやぁ、役所のおじさんだったらチョロ――いい人だから何とかなると思ったんですけど、あいにくそこの担当が頭の固いババ――おばさまでして」

 

八幡「なるほど。お得意のあざとさでなんとかできなかったと」

 

いろは「あざとくないですよぅ」プンプン

 

八幡「うっわ……あざとい」

 

 お父さんがドン引きしてます。いや、私も引きますよ。なんかさっきから、妙に甘ったるい声出してますし。

 

娘(えー、これ本当に一色おばさんなんですか?)

 

陽乃(紛うことなきね)

 

娘(まじですか。授業参観で見たときはあんなにしっかりしてたのに。未来からは想像もつかないぶりっ子ですね)

 

陽乃(ちなみにあの子、この時期を黒歴史にしてるから、未来に戻っても触れないであげてね)

 

娘(なるほど……。へっへっへ、交渉材料が増えましたね)

 

陽乃(私のこと腹黒いとか言うけど、娘ちゃんも人のこと言えないからね?)

 

いろは「……こほん。それでですね、当日は進行と並行して制作をしますので、先輩には舞台裏のお手伝いを――」

 

八幡「えー。いや、まてよ……」

 

陽乃(まずいよ、娘ちゃん。裏方になんか回ったらぜったいにロマンチックなことは起きないよ)

 

娘(はっ、確かに!)

 

陽乃(しかもきみのお父さん、女の子を誘うなんて冒険するくらいなら舞台裏でいいやって顔してるし)

 

娘(はっ、確かに! ……って、どんな顔してるんですか!?)

 

陽乃(女の勘ってやつだよ。ほらほら娘ちゃん、なんとかしなきゃ)

 

 陽乃さんの通信機が屈光カーテン内で暴れまわります。ちょ、ちょい痛いです。頭に当たってます。数少ない覚えたての英単語が飛んでいくからやめて下さい。

 とりあえず、お父さんを一色おばさんの魔の手から逃れさせなければなりません。

 

娘(よし、こうなったら……)

 

陽乃(な、何をするの――)

 

 私はこっそりと一色おばさんの背後へと回ります。そして意を決すると、がばっとスカートをめくり上げました。

 

いろは「きゃっ」

 

八幡「ぶっ!」

 

いろは「…………見ました?」

 

八幡「……お前に黒はまだ早い」

 

いろは「このぉ! ボケっ死ねぇ!」ガシガシッ

 

八幡「ちょ、待て! いたい! マジでいたいから!」

 

 一色おばさんがぼこすかとローキックの嵐をくりだします。あ、今の金的に入りましたね。

 お父さんが廊下に突っ伏すと、一色おばさんは真っ赤な顔で生徒会室の方へと駆けていきました。

 

八幡「」チーンッ

 

娘(やりましたよ陽乃さん! これで裏方の仕事はうやむやになりました!)

 

陽乃(ちょっと代償大きすぎない? 下手したらキミのお父さん不能になるよ)

 

娘(大丈夫です。昔お父さんとお風呂に入った時、男の子には予備でもう一個あるってブラブラさせてましたから。一つくらい平気です)

 

陽乃(うわぁ……。恨むなら未来の自分を恨むんだね、八幡くん)

 

 お父さんが廊下で前かがみに倒れていると、そこにまたスラリとした女子が通りかかってきました。お父さんの近くでしゃがみこむとじっとお父さんの顔を見つめています。

 

沙希「……あんた、何してんの?」

 

八幡「……う、うう、川崎か……あっ」

 

沙希「なに?」

 

八幡「……黒のレース、ひさしぶりのご対面だな」

 

沙希「ばっかじゃないの」

 

八幡「おう……ヘビーだ……」

 

沙希「でさ。週末のパーティなんだけどさ――」

 

娘(ひぇっ、まずいです。まさかこんな美人さんがお父さんを誘っちゃう!? もしかして美人局的な!?)

 

陽乃(落ち着いて、娘ちゃん。信じられないかもしれないけど落ち着いて)

 

娘(いやいや、落ち着いてられませんよ。どうしましょう? さっきと同じ手には動じないタイプらしいですし)

 

陽乃(……最終手段だね。娘ちゃん、カーテンを外して)

 

娘(え、ま、まさか――)

 

沙希「……もしあんたがよければ――」

 

娘「ちょ、ちょーっと待ったぁ!」

 

八幡「えっ!? き、きみは」

 

 私はとっさに二人の前に立ちました。お父さんを庇うように、川崎?さんの前に出ます。この当時の総武高の制服を着ているから、ここでの登場に違和感はないはずです。

 ただ、無駄に大声を出したせいで、周りからの視線がハンパないです。ふぇぇ、ぼっちと視線は水と油なんで勘弁してください。

 

娘「残念ながら、おと、八幡さんは私と行くことが決まっているのです!」

 

沙希「はっ?」

 

八幡「えっ?」

 

 二人の時間が止まりました。ついでに視線もさらに集まってきます。しかし、なんでこんな視線が集まるのでしょう?

 あ、そうか。はた目から見ればこれ修羅場ですね。まったく、お父さんも隅におけないんだから! ……うわぁあ目立ちたくないよぅ。

 

八幡「いやいや、昨日はもう他の人と行くって」

 

娘「あ、あれはお父さ、八幡さんと行くって決めてたってことです! それぐらい分かってください! 女心は複雑なのです!」

 

八幡「えっ……」

 

 私の言葉に、お父さんの表情が固まりました。それから、徐々に紅潮していきます。

 通信機の向こうから、深いため息が聞こえました。ああ、やってしまったなぁ。ヘビーーな未来に、私は苦笑いでお父さんに応えました。

 

 

――校門前

 

結衣「あ、小町ちゃんやっはろー」

 

小町「やっはろーでーす。今日は兄の第37回フラれて残念会ですね」

 

結衣「そんなにフラれてたんだ……」

 

雪乃「フラれた人だけで1クラスできるわね」

 

八幡「……ブツブツ」トボトボ

 

雪乃「あら、ようやく比企谷くんがでてきたわね」

 

結衣「ヒッキーおそーい」

 

八幡「オルタナティブにカウンターパートをサスティナブルでインプリケーション――」ブツブツ

 

結衣「なんかヒッキーが壊れてる!?」

 

小町「大丈夫です! こういうときは小町に任せてください! お兄ちゃんお兄ちゃん、おっぱいは?」

 

八幡「揉みたい吸いたいしゃぶりたい……はっ! 俺はいったい何を」

 

小町「無事、意識が戻りましたよ!」

 

雪乃「戻ってこなくてもよかったのよ……」

 

結衣「うわぁ……」

 

小町「それでお兄ちゃん、なにがあったの?」

 

八幡「奇跡が起きた……」

 

結衣「え、奇跡?」

 

八幡「今日、あの子に誘われた、パーティに」

 

結衣「え、うそ!?」

 

雪乃「うそよ」

 

結衣「なんだ、うそかぁ」

 

八幡「おい」

 

 

――かくかくしかじか

 

八幡「――というわけで、今日の慰め会は祝勝会に変更だ!」

 

雪乃「じゃあ解散ね」

 

結衣「あーあ、楽しみだったのに」

 

八幡「えっ? なんかフラれたときとテンション違くない? なんでそんなテンション下がってんの?」

 

小町「お兄ちゃん、女子は誰かのフラれた話がなによりも盛り上がるんだよ」

 

八幡「そんな女子の闇知りたくなかったよ……」

 

 

――デロリアン

 

娘「やばいよ。つい勢いで行くっていっちゃった。これじゃあお母さんと付き合うことができない」

 

陽乃「まぁまぁ。そうしたらさ。途中でバックれればいいんだよ。そうして途方に暮れているところにお母さんをプッシュしてあげれば、八幡くんはそのままお母さんといい雰囲気に」

 

娘「な、なるほど!」

 

陽乃「それと、両親をくっつけるのはなるべく早くね」

 

娘「ええ、私の存在が消えちゃう前にですよね」

 

陽乃「そう。今の私ね、娘ちゃんの小さい頃を思い出せないの。私の記憶では、中学生からの娘ちゃんとの記憶が一番新しいの」

 

娘「えっ……」

 

陽乃「明日もまた、私が通信してくれると考えないことだね。私の記憶があるうちに、なんとかしてね」

 

娘「わ、わかりました!」

 

娘「ちなみにドレスとかどうしましょう?」

 

陽乃「……あー、じゃあ私の実家のやつを貸してあげよう。屈光カーテンまとって、ちょっと塀を登ってけばぱぱっと終わるよ」

 

 

――雪ノ下家

 

 陽乃さんの遠隔操作のもと、デロリアンで雪ノ下家へとやってきました。ところどころ改造しているせいか、ヤンキーの車に見えて超目立ってます。はずいです。

 そのゴツい車体とは裏腹に、中からはうら若き女子高生が降り立ちます。周りから「えぇ……」って声が聞こえてきそうです。いや、聞こえてます。

 さすがに制服は着ていませんが、それでも職質されたら免許証的にアウツなのでちゃっちゃかと屈光カーテンを被り、姿を隠します。

 

 見よ! この微に入り細を穿ちたる用意周到さ。私に抜け目はないのです。ちなみにまわりは突如として女の子が消えたことでザワついてます。あら、うっかりさん。

 

陽乃「なに目立ってんのさ」

 

娘「ま、まぁ明日にでもなれば都市伝説になってるだけです。もうまんたいです」

 

陽乃「娘ちゃんみたいのがいるから都市伝説は絶えないんだね……」

 

 やれやれと陽乃さんがため息をつく。また千葉に七不思議ができてしまったようです。おや、もしかして年末の特番に出れるチャンス?

 ふとこの世界を裏で支配している団体に思いをはせていると、陽乃さんが通信機で小突いてきました。

 

陽乃(なにボーッとしてるの)

 

娘(いや、ちょっと1ドル札に隠された秘密をですね)

 

陽乃(そんなことより、塀を上るなら裏口から3m離れた塀のところが穴場だから、そっちへ向かうよ)

 

娘(うっす)

 

 陽乃さんのスルースキルが半端ないです。さすが、比企谷親子二代を相手にしてるだけありますね。

 

 パシュンッと、どこかですごい音が聞こえてきました。なんでしょう? あれですかね、雪ノ下家の黒服さんが射殺でもしたんですかね。

 

 そんなこんなで裏口へ行ってみます。しかし、やけにでかいですね。実は東京ドームの下に地下闘技場を持ってますと言われても信じてしまいそうです。

 塀伝いに裏口へ回ってみると、陽乃さんの言う通り人の気配はありません。

 

娘(さて、こっから先どうしましょう。とりま帰ります?)

 

陽乃(いや、登ろうよ)

 

娘(ふっ……体育1の私になに言ってんだか)

 

陽乃(え、私がおかしいの? この塀そんなに高くないよ? 懸垂の要領でちょちょいだって)

 

娘(甘いですね。自慢じゃないですけど、鉄ぼうはぶら下がるだけで精一杯です)

 

陽乃(うっそ!? ほんとに?)

 

信じられないという風に驚かれました。

 

娘(け、懸垂が出来たって社会でなんの役に立つんですか。それだったら親にぶら下がる練習してたほうがマシです)

 

陽乃(うわぁ……社会的にここまで無用な人材が過去にいただろうか……)

 

 なんかかわいそうな人にかけるような声ですね。まったく、横に伸びた鉄ぼうなんか女子に必要ないのです。縦に伸びた鉄ぼうでナニができるかです。

 ウソです。縦は勘弁していただきたいです。

 

陽乃(どうしてこんなかわいそうな感じに育っちゃったんだろう)

 

娘(これは日本の教育制度の問題点ですね。こんどクローズアップ現代に取り上げてもらいましょう)

 

 とりあえず自分は棚に上げて、国に責任を押しつけときます。責任は取れないですけど責任を転嫁するのは得意です。あとは定時に帰れるメンタルさえ身につければ社会に出る準備は万全です。

 

陽乃(しょうがない。デロリアンを壁際にくっつけるから、そこから塀を登ろう)

 

娘(オッケーです。あ、ウフフ)

 

陽乃(これが娘ちゃんのなけなしの女子力であった)

 

娘(ま、まだまだです。むしろ伸びしろです)

 

 まあ薄々と女子力の限界は感じてますが、それ以上先は考えないことにしています。先のことを考えるとトラウマが増える、とは父の言葉です。なのでここは先人に従うのみです。

 

 陽乃さんに操作してもらってデロリアンを壁際に寄せてもらいました。それからボンネットにのぼり、塀へと伝っていきます。

 

 雪ノ下家の庭へ下りると、物かげに隠れました。

 屈光カーテンを被っていますが、念のためです。それからこっそりと庭の端を移動していきます。雪ノ下家は和風な家で、庭も広々としていました。

 移動している途中、縁側を何人か、使用人というか黒服の人が歩いていましたが、あれはボディガードでしょうか。

 まさか捕まったら希望の船に乗せられはしないですよね?

 

 ざわざわとする胸を鎮め、庭先から縁側へと上がり、陽乃さんの部屋へと向かいます。 そして部屋の前へ到着すると、そっと扉を開けました。

 

娘(お、ベッドに膨らみがありますね。陽乃さんが寝てるんでしょうか)

 

陽乃(たぶんね。さ、起こさないようにソッといこう)

 

娘(はーい)ツカツカ

 

陽乃(もしも起こして、寝不足とかでお肌が荒れたら娘ちゃんぶっ飛ばすからね、わりとマジで)

 

娘(は、はい……!)ソーッ

 

 若い頃のケアでその後の肌のツヤが決まるといいますからでしょうか。通信機越しの声がマジです。結果が出た肌を持つ人の声は凄みがあります。

 とりあえず足音を立てずにクローゼットへ向かいます。

 

陽乃(あ、ちょっと待って。そこの机の引き出しの中にあるものを持っておいて)

 

 陽乃さんに言われて、机の引き出しを開けてみます。すると、中には大量の名刺が入ってました。

 

娘(な、なんですかこの名刺)

 

陽乃(あー、それは弱みを握った人のだよ。引き出しの奥にある物を持っておいてね)

 

 さらっと尋常ならざる言葉が聞こえた気がしますが、とりあえず無かったことにして奥に手をやります。

 すると、先端の尖ったナイフみたいなものが出てきました。

 

陽乃(念のための護身用ね)

 

娘(机の中になに入れてんですか……)

 

陽乃(気にしない気にしない。さ、チャチャッとドレス選んじゃお)

 

 なんか納得はしませんが、たぶんこれ以上の穿さくはやばいと本能が言ってるのでやめます。

 催促された通りに、クローゼットの中から適当に見繕っていきます。

 

陽乃(若)「……だれ?」

 

娘(ひゃっ!)ビクゥッ

 

 若陽乃さんが飛び起き、辺りを見回してきました。あれ、バレた? いやでも、屈光カーテンを被っているので見つからないはずです。どうでもいいですけど、若陽乃って四股名みたいですね。横綱までいけそうです。

 

陽乃(若)「足跡がある。逆向きがないからやはり誰かいるね」

 

 あー! 靴脱ぐの忘れてました! しかも名探偵みたいな推理かましてきます。いや、犯人がまぬけなだけですね。

 

陽乃(ヤバイね、娘ちゃん)

 

娘(だ、大丈夫です。姿は見えてないはずです)

 

陽乃(若)「……そこだ!」ビュンッ

 

 若陽乃さんが狙いを定め、なんとナイフを投げてきました。ナイフは私の顔もと数センチに刺さってます。ひぇえ!

 

娘(や、ヤバイです! これは洒落にならない陽乃さんです!)

 

陽乃(しゃあない。バレるの覚悟でダッシュして逃げよう)

 

娘(よ、よし……あ、あれ?ナイフがカーテンに刺さって抜けない……)

 

 ぐいぐいと引っ張ってみますが、うんともすんとも言いません。その間にも若陽乃さんが近づいてきます。

 

娘(うわぁん! どうしましょう!?)

 

陽乃(娘ちゃん! カーテンは捨てて逃げるよ!)

 

娘(は、はい!)

 

 私はカーテンを脱ぎ捨てます。そしてダッシュ。部屋の出口めがけて一直線です。

 

陽乃(若)「やはり姿を現したね!逃がさないよ……」

 

 こ、怖いです! あれは女子大生が向けていい殺気じゃないです。

 なんか背後から飛び道具がたくさん飛んできました。壁にサクサク刺さってます。ヤバいです。MK5です。マジで殺される5秒前です。大佐ぁ、助けてくださぁい!

 

陽乃(娘ちゃん、向こうの納屋へ行って!)

 

娘「は、はいっ!」

 

 陽乃さんの通信機が庭へと飛び出しました。私も渡り廊下から下り、ついていきます。庭の隅にある納屋の扉は開いていました。中へ転がり込みます。

 納屋の中には、天井近くにある窓へ梯子がかかっていました。

 

陽乃「私が昔使っていた脱出路だよ。さ、登って」

 

娘「はぁはぁっ……人遣いが荒いですね」

 

陽乃「無駄口を叩いている暇はないよ」

 

娘「わ、分かってます」

 

 私は梯子に足をかけました。窓のところまで登ります。登りきると、窓の外を覗いてみます。おう……意外と高いですね。

南無とお祈りしながら飛び降りました。お、案外無事です。……いったぁ。

 そのままデロリアンの車に乗り込みました。扉を閉めてひと息つきます。ふと、バックミラーを見ます。何やら嫌な感じの黒塗りの車が映り込んでいます。

 

陽乃「あ、うちの車だ」

 

娘「ひぇ!? は、早く出してください!」

 

陽乃「いやぁ、そのつもりなんだけど、どうもエンストしたみたいでさ。動かないんだよね」

 

娘「え、えぇ!?」

 

 陽乃さんがてへぺろみたいなテンションでとんでもない爆弾を落としました。やばいです! これだからアメ車はもう!

 なんとかできないかと手あたり次第ボタンをポチポチ押してみます。

 

陽乃「あ、娘ちゃん、そこを触っちゃ――」

 

 陽乃さんが言いかけたその瞬間。車が急発進しました。フルアクセルだったので、急加速していきます。背後の車が徐々に遠くなっていきます。

 

娘「な、なんとか撒けましたね」

 

陽乃「娘ちゃん!前、前!」

 

 なんとか逃げ切れたと思ったのもつかの間。前方はすでに大通り。そして目の前を通過しているのは大型トラック。……まずいです。ぶつかります。

 突如、車は急加速しました。

 

娘「は、陽乃さん!?」

 

陽乃「掴まってて!」

 

 陽乃さんの真剣な声。そしてぶつかるその瞬間、前方が白く光りだしました。

 

 

――雪ノ下家前 1時間前

 

娘「……いったぁ」

 

陽乃「大丈夫?」

 

娘「なんとか……って、トラックは!?」

 

陽乃「安心して。ここは天国じゃないし、トラックにもぶつかってないよ」

 

娘「……あれ? どうしてです?」

 

陽乃「娘ちゃんがいろいろとスイッチをいじくってくれたおかげで、時間遡行機能が起動してたの。だから、時間を遡ることでトラックを回避したわけ」

 

娘「な、なるほど……」

 

陽乃「現にほら、向こうには一時間前の娘ちゃんがいるでしょ?」

 

娘「ほんとだ。あ! 消えましたよ! どこ行ったんでしょう?」

 

陽乃「とぼけたって過去は変わらないからね」

 

娘「……ダメっすか」

 

娘「あ、そうだ。こうなる未来を知っているなら、今から過去の私を止めに行きましょうよ」

 

陽乃「それはダメだよ」

 

娘「なんでです?」

 

陽乃「止めたりしたら、過去の君はタイムスリップしないでしょ? すると、ここに私たちがいることに矛盾が生じるんだよ。もしかしたら、止めたことが原因で“今”の私たちが消えちゃうかもよ?」

 

娘「な、なるほど。あれ、でも向こうの私たちは無事に生きてるわけで……うん?」

 

 なんか考えれば考えるほど頭がこんがらがってきます。

 

娘「……あっ」

 

陽乃「ど、どうしたの?」

 

娘「考えすぎて頭痛が……」

 

陽乃「……ほんとに理系だよね?」

 

娘「なにを。これでも理系科目は学年3位ですよ、3位」

 

陽乃「総武高って学力落ちたのかなぁ」

 

娘「疑わないでくださいよ。実力です。モノホンです」

 

 ふぅっと、陽乃さんのため息をつく音が漏れてきます。

 とりあえず、むやみに過去へは戻れないわけですね。私みたいに。あれ、でもそうしたらなんで私は過去に……。あれですね、考えたら負けってやつですね。

 

陽乃「とりあえず、これでちょっとマズいことになっちゃたんだよね」

 

娘「マズいこと?」

 

陽乃「帰りの燃料がなくなっちゃった、てへ」

 

娘「えぇ!? てへ、じゃないですよ! ほんとにどうするんですか」

 

陽乃「まぁ待ちたまえ。まだ手はある。とっておきのやつがね」

 

娘「ほんとですか。その言い方って敵キャラからしか聞いたことないんですけど」

 

陽乃「フラグじゃないよ。ほんとにあるんだって。ただ、賭けであることは変わりないけどね」

 

娘「賭けですか……。それってどんな?」

 

陽乃「落雷から、タイムスリップのエネルギーをもらうんだよ」

 

娘「え、そんなことができるんですか?」

 

陽乃「理論上はね。ただ、そんな風に電力を受けることは想定されてないから、一抹の不安は残るけど。落雷する日時と場所さえわかれば、帰れる可能性はあるよ」

 

娘「そ、そうなんですか。よかったぁ」

 

 陽乃さんの言葉で、胸を撫で下ろしました。この時代に閉じ込められたなんてやめてほしいです。

 親のいちゃいちゃなんて見たくないです。夜な夜なトイレへ行くたびに、ギシギシと音を立てる両親の部屋の前を通ったときの気まずさはもう勘弁です。

 

陽乃「じゃあ、私はその時代の雷の落下点を調べてみるね。千葉付近だとあまり落ちてないかもだけど」

 

娘「あっ! 陽乃さん、1つ心当たりがありますよ」

 

陽乃「えっ?」

 

娘「お母さんが言っていたんですけど、パーティの日に落雷があって、それで停電して大変だったらしいんです」

 

陽乃「それだ!」

 

 そう陽乃さんが言うや、通信機からカタカタと音が聞こえます。すごい速さで検索しているようです。

 

陽乃「確かにいま調べてみたら、パーティ会場の近くに落ちているみたいだね。よし、じゃあこれでいこう」

 

娘「……ん? ということはつまり、私はその日にお母さんたちをくっつけて、落雷を受ける準備をして、その足で未来へ帰るということですか?」

 

陽乃「そういうことだね。やるね娘ちゃん! 八面六臂の大活躍じゃない」

 

娘「うへぇ。これ超勤つきます?」

 

陽乃「私のありがとうじゃ足りない?」

 

娘「もっと換金性の高いものでお願いします」

 

 陽乃さんがサラッとブラック宣言をかましてきました。いやいや、ありがとうを集めるだけじゃ飯は食えんのです。

 

 とりあえずドレスを手に入れたので、もう雪ノ下家は用なしです。さっさととんずらします。

 陽乃さんがデロリアンを運転して、昨日と同じ人目のつかないところへと移動させてくれました。

 

 私はデロリアンを出ると、とぼとぼと大通りへと歩いていきます。

 

陽乃「おや、どこに行くの?」

 

娘「銭湯ですよ。さすがに2日間もキレイキレイだけじゃ嫌ですから」

 

陽乃「おー、女子力あるね」

 

娘「え、どんだけ私の女子力舐められてたんですか」

 

陽乃「まぁ女版八幡くんだし」

 

娘「くっ……言い返せない」

 

陽乃「いや、その返答はおかしい」

 

 

――金曜日 放課後の教室

 

 帰りのショートホームルームが終わる。クラスメイトたちがようやくカバンを背負おうとするところ、俺は真っ先に屋上へと向かった。

 

 ちなみに、今日は奉仕部の集まりはない。今日は女子会なのでお休みだそうだ。ただ、それはそれで疑問が残る。

 奉仕部の時間はわりと女子会だし、俺は置き物と化しているから、わざわざ中止にすることでもない気がする。

 

 あれ、俺ってハブられた? いや、待て俺。落ち着け、俺。ポジティブに捉えてみれば、これは自分のレベルが上がったということだ。

 今まではいないものとして空気扱いだったのが、認識されるレベルまで存在感が上がったのだ。よし、そういうことにしておこう。

 

 そんなことはさておき……おやっ涙が……明日はいよいよあのパーティの日だ。

 例年なら、誰が行くかバーカと中指立てているところだが、今年は違う。意中の女の子に誘われるという前代未聞、空前絶後のイベントが起きたのだ。

 

 苦節17年、ついにわが世の春が来ましたよ。ヒャッホウ! みたか大岡!

 

 誘われた日なんか嬉しすぎて、夜中にギターで自作の曲を弾いたりしてしまった。隣の妹の部屋から壁ドンを十数回くらったが、そんなことで俺はものともしない。

 ただ、わが家の壁はものともするので、ギターを弾くのはその日で辞めた。

 

 しかしながら、浮かれたのもその夜までで、次の日には頭を抱えていた。それもそのはず。俺にとっての最大の難関、女子と良い雰囲気になるコミュ力がないからだ。

 奉仕部では備品、置物と定評のある俺に、そんなスキルを上げる場は存在しない。

 

 よく、流れでホテルに行ったとか言ってる奴がいるけど、マジ意味分かんねぇから。どうやってんだよ! 教えてください!

 ……さすがにホテルまでガメつく気はないけど、告白がオーケーになりそうな、甘い雰囲気作りはしたい。

 

 そんなこんなで、俺はコミュ力を伸ばすためにある人物に依頼をした。

 

葉山「話ってなにかな?ヒキタニくん」

 

八幡「……いつかの借りを返してもらいにきた」

 

葉山「へぇ……」

 

 あれ、空気がおかしいぞ。なんか往年のライバルと相見えちゃった雰囲気が出ちゃっているので、それを取り除くために手短く状況を説明する。

 最初は無表情だった葉山の顔が、徐々にニヤニヤしだしてくる。やべぇ、殴りてぇ。

 

葉山「――なるほどね。だいたい話は分かったよ」

 

八幡「そうか。それで、なんとか上手い雰囲気作りとか、口説き文句とか教えてほしいんだけど」

 

葉山「うーん……言っちゃわるいけど、ヒキタニ君が一朝一夕で女性を魅惑できる仕草や会話をできるとは思えないな」

 

八幡「うっ……たしかに」

 

 葉山が顎に手を当てて言った。たしかにその通りで、痛いところを突かれた。

 軽口ぐらいなら叩けるが、意味深な言葉や、アプローチをさりげなく決められる自信はない。兄としてのレベルは高くても、一人の男としてはミジンコレベルなので、MPの高い技は勘弁していただきたい。

 

 俺が一人唸っていると、正面の葉山はなにか思いついたのか、ふいに笑い出した。

 

葉山「なあ。ここはいっそのこと、キミ流に則って一芝居をしてみないか?」

 

八幡「えっ?」

 

葉山「ほら、ドラマとかでよくあるだろう? 悪漢に襲われているヒロインの前に颯爽と主人公が現れ、悪漢を倒し、二人は結ばれる――なんて場面が」

 

八幡「まあ確かに……って、マジで!?」

 

葉山「君には借りがあるからね。今回は、俺が悪役をやってあげるよ」

 

八幡「お、おお! かたじけねぇな」

 

葉山「かまわんよ」

 

 そう言うと、葉山は顔を近づけてくる。そして、葉山が考えた作戦を教えてもらった。

 

葉山「――ということだ。覚えたね」

 

八幡「おう」

 

葉山「じゃあ復習するぞ。当日、俺は頃合いを見計らって、彼女を無理やり引っ張り出す」

 

八幡「彼女を引っ張り出す」

 

葉山「そして彼女を無理やり壁に押しつける」

 

八幡「壁に押しつける……って壁ドンじゃねぇか! なに口説いてんだてめぇ!」

 

葉山「お、落ち着けって。フリだよ、フ・リ!」

 

八幡「お、おう。悪かった。リア充を感じたからつい、脊髄反射で殴りかかるところだった」

 

葉山「キミはリア充に親でも殺されたのか……」

 

 葉山が困惑したように首をかしげた。いや、まったくです。

 

葉山「いいか、20時55分、俺は彼女を人気のない部屋へと連れだす。そのとき、キミは彼女を見失ったふりをする」

 

八幡「20時55分、俺は見失う」

 

葉山「21時。俺が彼女に襲いかかろうとする。彼女は助けを求める。その時のキミの行動は?」

 

八幡「110番」

 

葉山「待てよっ! 本当に事件にするなよ!」

 

八幡「わ、わるい。つい条件反射で」

 

葉山「……ヒキタニ君、俺に協力してもらう気ないよね?」

 

八幡「冗談だって。俺はその時間にその部屋へ行けばいいんだろ」

 

葉山「まったく……。そうだよ。キミは部屋へと駆けつけ、もみ合っている俺達を発見する。そして俺を指差し、かっこよくセリフを決めるんだ」

 

八幡「ハレルヤチャンス!」

 

葉山「過去に戻ってどうする!?」

 

八幡「……はっ! 過去をやり直したい衝動でつい。具体的には3歳あたりから」

 

葉山「キミの黒歴史は物心ついた時からなんだ……」

 

葉山「じゃなくて。いいかい、こういうときは『おい貴様、その薄汚い手をどけろ!』と言うんだ」

 

八幡「だいぶ言葉が汚い気がするんだが」

 

葉山「いいんだよ。それぐらいの方が迫力がある」

 

葉山「そこで見つかった俺は、キミの顔めがけて殴りかかる。それをかわしてボディへ一発。それで俺はノックダウンさ」

 

八幡「へっへ。ついに葉山を殴るチャンスが……」

 

葉山「フリだからね! ヒキタニ君そこ分かってる!?」

 

八幡「分かってるよ。お前には感謝してんだからさ」

 

葉山「……すっごい胡散臭いけど信じるよ」

 

八幡「わりぃな、協力させちまって」

 

葉山「いいさ。キミには世話になってるからな。それじゃ、今の流れを覚えておいてくれ」

 

八幡「了解」

 

 

――放課後サイゼリヤ

 

小町「緊急事態です。お兄ちゃんがあの糞ババアの毒牙にかかっています」

 

結衣「こ、小町ちゃん、冷静に」

 

小町「いえいえ、小町は冷静ですよ。冷静にあの女を排斥する算段を立てています」

 

雪乃「ほんとうに何があったのかしら……」

 

小町「なんでお二人は冷静なんですか! お兄ちゃんの危機なんですよ! お兄ちゃんがあの人と付き合うなら、小町はお兄ちゃんの人生を終わらせにかかります」

 

結衣「え!? 終わらせちゃうの!?」

 

小町「具体的には大志くんちに逃げ込んでお兄ちゃんに精神的ダメージを与えます」

 

雪乃「大志君のためにもやめてあげなさい。たぶん、彼は金属バットを持って押しかけると思うから」

 

小町「むぅ。ではやめときます」

 

小町「でもでも、お二人は兄が付き合うのに反対しないんですか? お兄ちゃんが付き合いだしたら、確実に奉仕部で過ごす時間が減っちゃいますよ」

 

結衣「……うん、それはやだね。せっかく取り戻した関係だし」

 

雪乃「それはそうね……。でも、私たちのわがままで邪魔をするのはどうかと思うわ」

 

小町「そんなことはないです! ほんとうに欲しいものは何が何でも取りにいかなきゃダメなんです。失ってからじゃ遅いんですよ!」

 

結衣「小町ちゃん……」

 

小町「過去も未来も、自分の選択の結果なのですよ。やらない後悔より、やった後悔です」

 

雪乃「小町さん……」

 

小町「私のお兄ちゃんが言っていました……。人生、為せば成ると」

 

結衣「ごめん。途中まで説得力あったんだけど、最後ですべて台無しになっちゃったよ……」

 

雪乃「人生で成った試しがない人がよく言えたものね」

 

小町「ありゃ」

 

小町「とりあえず、お兄ちゃんが自分のために為そうとしているのと同じように、お二人も行動して良いのです。お二人が真剣であるなら、お兄ちゃんだって怒りはしないはずです。というよりも、小町がさせません」

 

結衣「……そうだね。少しくらいわがまましたって良いよね。自分から行かなきゃ変わらないもん!」

 

雪乃「ええ。私も、あの時間は好きだったわ。……だから、まだ続けていたい」

 

小町「よし、それでは決まりです! 皆さんで協力していきましょ!」

 

雪乃「協力することはやぶさかではないのだけれど、具体的には何をするのかしら」

 

結衣「あ、たしかに」

 

小町「ふっふっふ。それにはこの小町、秘策があります」

 

結衣「秘策?」

 

小町「えぇ。名づけて、ごみいちゃん三股ばれちゃったよ作戦です!」

 

結衣「うわぁ……なんとなく想像がつく」

 

雪乃「……一応、確認のために中身を訊きましょう」

 

小町「やはり世の女性がもっとも忌み嫌うのは、軽薄で尻軽な男だと思うのです。だから、お二人にはパーティの夜、お兄ちゃんの恋人という設定になってもらいます」

 

小町「そしてお兄ちゃんが告白するために二人きりになったところで、お二人が出ていき、こう言うのです」

 

小町「その女は誰よ! 私というものがありながら! きぃー! なによこの小娘!」

 

結衣「小町ちゃん、古い、古いよ」

 

小町「はっ。つい昨日読んだガラスの仮面の影響が……」

 

雪乃「つまり、その場をロマンチックなものではなく、修羅場にすればいいのね?」

 

小町「そういうことです。さすがに自分が三人目だということが分かれば、その子も付き合おうとは思わないわけですし」

 

雪乃「なるほど。では、よりリアリティも付け足しておきましょう」

 

結衣「リアリティ?」

 

雪乃「私の設定は、彼のいつか結婚しようという言葉を信じて二回堕ろしたということで」

 

結衣「重い、重すぎるよゆきのん。それ絶対高校生の恋愛じゃないよ」

 

雪乃「あら、私の読んだ小説だと大抵こんなものだったわ」

 

結衣「本のチョイスがピンポイントすぎるだけだよ……」

 

結衣「……ねぇ、やっぱりこの方法はやめようよ。ヒッキーに申し訳ないし」

 

雪乃「私はけっこうやる気だったのだけれど」

 

結衣「えぇっ……」

 

雪乃「それでは、どうするつもり?」

 

結衣「うーんと……」

 

小町「しょうがないですね。ならば最後の手段ですが、シンプルに告白する勇気を消しましょう」

 

結衣「どういうこと?」

 

小町「兄があの子を連れて外で告白しそうになったら、みんなをその場に連れていくんです。上がり症の兄のことですから、衆人の前で公開告白は出来っこないでしょう。ここでへたれれば、好感度だって下がるはずです」

 

雪乃「まあ妥当ね」

 

結衣「って、なんで最初にこっちを提案しなかったの?」

 

小町「だって、三股のほうがおもしろいじゃないですか!」

 

結衣「おもしろさで選んだの!?」

 

雪乃「さすが腐っても比企谷家ね」

 

小町「えへへ」

 

結衣「褒めてない褒めてない」

 

雪乃「ちなみに、どうやってみんなを集めるの?」

 

小町「それは、雪乃さんに手伝ってもらうしかないでしょう」

 

雪乃「私? 自慢じゃないけど、コミュニケーション能力のなさは折り紙付きよ!」

 

結衣「ゆきのん、ほんとに自慢じゃないからそんな胸を張らないで」

 

小町「いえいえ。雪乃さんにエンディングのサザエさん的な役割を求めていません。ただ、みんなの耳目を集める話題を提供してくれればいいのです」

 

結衣「話題?」

 

小町「兄が外へ出たら、葉山さんに大事な話があると言って手を取って兄を追ってください。そうすればみんな騒ぎ立ててついてくるし、三浦さんは猛り狂って追ってくるはずです」

 

雪乃「最後に恐ろしい欠陥があるのだけれど、その作戦」

 

結衣「まぁ話題性は抜群だから、確かにみんな集まってくるね。……隼人君の努力は水泡になるけど」

 

小町「というわけで雪乃さん、よろしくで~す!」

 

雪乃「言葉の軽さって遺伝なのかしら……。とりあえずは分かったわ。前向きに検討して善処しましょう」

 

結衣「ゆきのん、返答が軽いというか曖昧だよ」

 

 

 

結衣「……ちなみに、ヒッキーのアフターケアはどうするの?」

 

小町「それは、由比ヶ浜さんのソレでなんとかしてください」

 

結衣「それ?」タユン

 

雪乃「くっ……」

 

結衣「ゆ、ゆきのん? どうしたの?」

 

雪乃「話しかけないで由比ヶ浜さん。いま宇宙と対話しているの」

 

結衣「あれ、ゆきのんが遠い存在に……」

 

小町「では、今日はもう解散にしましょう」

 

結衣「そ、そうだね」

 

小町「よーし。みなさん、絶対にこの作戦を成功させましょう!」

 

結衣「お、おー!」

 

雪乃「この姿は仮の姿……仮の姿……」

 

登場人物全員が程よくバカで大変におもしろい

 

 

――パーティ当日 デロリアン

 

 最後の荷物をトランクに詰め終わり、私はひと息吐きました。

 今日は陽乃さんの指示のもと、夕方までホームセンターへ買出しに出かけていました。ちなみに移動手段は徒歩です。

 

 さすがに、昼間だと車は出せないという判断のためです。

 私一人だけがデロリアンに乗ってるというのはまずいですし、しかも助手席に乗っていて、運転手がいないという謎が謎を呼ぶ事態は面倒なので、ということです。

 

 しかし相変わらず、陽乃さんの人使いは荒いです。未来だとその場で発送してくれるので、買い物のときに荷物の量なんて考えたこともなかったのですが、これは重労働です。

 昔、お父さんは荷物持ちにかこつけてデートを取り付けたとかお母さんが言っていましたが、それも納得です。

 

陽乃「はい、ご苦労さま」

 

娘「ふぅ、つかれました~。陽乃さん、あそこの自販機で飲み物買ってきていいですか」

 

陽乃「いいよ。どれにするの?」

 

娘「スポルトップ・タブ」

 

陽乃「えぇっ……午後ティーとかじゃなくて?」

 

娘「ほんとに疲れてるときに、そういうの買ってもらうと逆にイラっときません?」

 

陽乃「まぁ分かるよ。ほら、ポシェットに入ってるの使っていいから買ってきな」

 

 陽乃さんが同調してくれました。その言葉に甘えて、ポシェットのお金で飲み物を買います。げっ、スポルトップがない……。

 

 仕方ないので、缶のリアルゴールドで我慢します。たぶん、いや絶対足りないので2本買っちゃいます。ヤバいです、背徳感ハンパないです。あのリアルゴールドとか、すごいリッチになった気がします。これは陽乃さんには内緒です。

 

 感無量な思いに浸りながら、2本目を買うべくボタンを押しました。

 なんか右上にマックスコーヒーがありましたが、それは押しません。なぜだか、昔から飲みたい気分になれないのです。

 

 たぶん、小さい頃にお父さんのマネをして、マックスコーヒーをお母さんの買い物カゴへ入れたら「それは毒だからやめなさい」と注意されて以来、マックスコーヒー=毒と認識しているんだと思います。

 

 ちなみに、お父さんは毒にも負けず、未だにしぶとく生きています。この前、血糖値がひっかかったと騒いでいましたが。

 

 私はデロリアンに戻ると、買ってきた缶のフタを開けます。プシュ、と缶から美味しそうな音が立ちました。

 それをありがたく飲んでいると、陽乃さんの通信機が楽しげに車内を飛びまわりました。

 

陽乃「ふふふ、雪乃ちゃん達が付き合うところが見られるのかぁ。これは見てるだけで面白くなりそうだね」

 

娘「面白がっている場合じゃないですよ。こっちは自分の存在がかかってるんですからね」

 

陽乃「存在感は昔から極限にゼロだけどね」

 

娘「いやいや、人の存在をゼロに収束させないでください」

 

 陽乃さんが悪戯に笑ってきます。

 まったく、心外です。私の存在感はむしろ無限大、インフィニティなのです! おもに分母あたり。

 ……やっぱりゼロですね。ちょっと男子! 切り捨てられる分子の気持ちも考えてよ!

 

陽乃「前回は家の事情でパーティに参加できなかったから、二人の付き合い始めを見てないんだよね。二人はどうやって付き合ったか知ってる?」

 

娘「そういえば、プロポーズの話はよくお母さんがしてくれますけど、そこらへんの話は聞いたことありませんね」

 

陽乃「あれ、プロポーズの話は知ってるの?」

 

娘「ええ。お母さんがよく、いじわるそうにお父さんの前で話してくれますよ。話が始まると大抵、お父さんは書斎かブックオフへ逃げちゃいますけど」

 

陽乃「雪乃ちゃんもやるねぇ。まぁ君のお父さんは結構シャイだから、そういう話はしてくれないかもね」

 

 陽乃さんが懐かしむように言いました。確かに、お父さんから2人のノロケ話は聞いたことがありません。いや、聞きたくはないですけどね。

 ただ、友達のお父さんから間接的に聞くことはあります。さんざんプロポーズの練習に付き合わされたとか、その前夜は緊張で寝れないからと朝まで飲まされたとか、愚痴の類いですけど。

 

娘「ちなみにお父さん、私がプロポーズのセリフを陽乃さんに話しちゃったって言ったら、絶望にうち震えていましたよ」

 

陽乃「……やっぱ昔いじめすぎたかなぁ」

 

娘「それなら今度、仲直りのしるしに菓子折り持ってウチにきてくださいよ」

 

陽乃「どうせ娘ちゃんがぜんぶ食べちゃうから却下」

 

娘「ちっ」

 

 うまく誘導できたと思ったのに、あっさりと看破されてしまいました。せっかくおやつが増しましになるチャンスだったのに。

 ちなみに、人の菓子折りを勝手に食べちゃうのは比企谷家の伝統芸です。ソースは小町おばさん。

 

 いや、その前にまず未来へ帰る算段を決めなきゃ。なんかお父さん達がくっつく前提で話していますけど、まだそうとは決まってません。

 

娘「それで陽乃さん、お父さん達をどうやってくっつけましょう?」

 

陽乃「それはもちろん、2人を部屋に閉じ込めることでしょ」

 

娘「えっ、それだけですか?」

 

陽乃「いやいや、ちゃんと考えがあってのことだよ」

 

 機械越しで、陽乃さんが指を振ってるのがわかります。

 

陽乃「2人が急接近したのは、マラソン大会後に保健室で2人きりになったからだって、この前話したよね。ここは変に工夫するよりも、過去を再現した方がいいと思うの」

 

 陽乃さんはそう言ったあと、歴史の修正力を信じるなら、と付け加えました。未来の仮説では、歴史は元へ戻ろうとするとのことです。ただ、今はそれが効かない所まできています。

 それなら、作用の働くところまでこちらで直すことができれば、歴史が戻してくれるということです。

 

陽乃「それに何より、あの2人は捻くれてるし、周りがなんやかやと騒ぐと、むしろ反発しちゃうんだよね」

 

娘「なるほど。それもそうですね。たしかにお父さんは捻くれてるしマイペースですから、2人きりにさせて自分達でやらせた方がいいかもです」

 

娘「よし。そうと決まれば、早速段取りを決めましょう」

 

陽乃「そうだね。まずはゴールから決めようか」

 

娘「2人きりにする場所ですね」

 

陽乃「私の記憶が正しければ、会場に使われる施設には医務室があったはずだから、そこへ2人を連れ込もう」

 

娘「おお。それなら、より過去を再現できそうですね」

 

 私の言葉に、陽乃さんが同意しました。たしか2人が結ばれるきっかけとなったのは保健室でした。これなら、より過去を再現できます。

 

陽乃「じゃあ、まず娘ちゃんは頃合いを見計らって、お母さんに大事な話があると言って医務室へ連れていってもらおうか。それでつぎにお父さんを呼ぶ方法なんだけど……」

 

娘「過去に近づけるなら、お父さんに怪我してもらいます?」

 

陽乃「そうだね。紐かなんかでうまくキミのお父さんをひっかけて、医務室へ来てもらおう。で、そのあとはつっかえ棒かなんかで閉じ込めちゃうと」

 

娘「おっけーです。だいたいの道筋は把握しました。細かいとこはアドリブでなんとかします」

 

陽乃「おや、強気だねぇ。アドリブなんてできるんだ」

 

娘「ふっふっふ。侮っちゃいけませんよ。比企谷家の人間は、働かないことに目をつむれば即戦力なのです!」

 

陽乃「どうして大事なところで目をつむっちゃうんだろう……」

 

 陽乃さんからため息が漏れてきます。ダメですよ。ため息を吐くとしわが増えますよ。

 ウソです、冗談です、そんな叩かないでください。

 

陽乃「――まったく。あと娘ちゃん、未来へ帰る準備も忘れないでね。今夜の9時20分に会場近くの建物に雷が落ちるから、少なくとも9時5分くらいにはそこで準備したいね」

 

 陽乃さんの言葉で、もう1つの仕事を思い出しました。私には、未来へ戻るという仕事が残っているのです。

 本来なら、事前に準備して屈光カーテンで隠しておけばいいのですが、あのカーテンを若陽乃さんの部屋に置いてきてしまったので、準備したものを隠しておくことができないのです。

 なので、なるべく人目につかないように、ギリギリに準備をする羽目になってしまったのです。

 

娘「9時5分ですか。まぁ落雷の場所はパーティ会場から徒歩5分くらいですから、9時までに会場を出れば完璧ですね」

 

陽乃「そうだね。頼むよ、娘ちゃん」

 

娘「がってん承知です」

 

陽乃「ちなみに娘ちゃん、今日は未来の写真を見た?」

 

娘「えっ?まだ見てないですけど」

 

 ふいに言われて、そういえば写真がどうとかあったなぁと思い出しました。

 自分のタブレットをポケットから取り出し、家族写真を表示します。

 

「……あれ、私の身体が……足だけになってる!?」

 

陽乃「残念だけど、もうあまり時間はないみたい」

 

陽乃「これまでの消え方から逆算すると、たぶん落雷の時間がタイムリミットだね。落雷の時間までに2人が結ばれないと、いろいろとヤバいよ」

 

娘「ま、まじですか……。よし、こうなったらお父さんのマックスコーヒーに媚薬を――」

 

陽乃「父親になんつーもの盛ろうとしてるの……」

 

 陽乃さんにやめときなさいと止められました。

 ちなみに媚薬という名のバイなんとかさんはさすがに持ってないのでどちらにせよ無理です。

 彼氏いない歴イコール年齢の私が持ってるわけないです。いや、いても持ってはないですね。

 

 とりあえず、ちゃっちゃかとドレスへと着替えます。上に羽織るものは伸縮自在の未来から来てきた私の服です。

 まあパーティ用だと考えれば、未来の服でもごまかせます。

 

 すでに陽は沈み、あたりはひんやりとした夜になっています。

 私は着替え終わると、よし、と気合いを入れてデロリアンを出ました。

 

 いざ、決戦の地へ!

 

 

――パーティ会場前  18時30分 落雷まで残り2時間50分

 

 人混みをかき分けながら、ようやく会場へと到着しました。

 会場は、役所が管理している小さなホールです。周りには別棟も建っています。

 入口近くでは待ち合わせをしているのか、私以外にもたくさんの生徒が思いおもいにたむろしています。

 

 けっ、みんなリア充してますね。なにが悲しくてお父さんとデートしなきゃならんのでしょうか。しかも遅れてるし。

 未来だったら、1分でも遅刻したら即帰ってます。そしてデラックスチョコレートパフェを持ってこいと要求するまであります。

 

 そんなこんなで愚痴をこぼしていると、ようやくお父さんらしき人影が見えてきました。

 

八幡「はぁはぁ……わるい、遅れた」

 

娘「いえいえ、私もちょうど来たところです」

 

 ある意味、もはや様式美となっている返答をします。ここで、ほんとに待ったんだからぁとか言っちゃうのは、ガチで付き合ってる勢です。

 そんなこと言っちゃうと、その後の展開は『このぉ☆』『やだぁ☆』みたいなイチャラブ展開にしかならないし、それを実の父とやるとかマジで勘弁してくださいなのでやりません。

 

 ちなみに話を聞いてみると、どうやら今日のコーディネートに時間をかけ過ぎてしまったようです。

 いつもは妹さんに手伝ってもらっているらしいのですが、今回は一切手伝ってくれなかったので、自力でなんとかしたとのことでした。

 ……私、未来に帰っても無事に小町おばさんと会えますかね……?

 

 そうしてお父さんと合流したところで、一緒に会場の施設へと入っていきます。その途中、手持ちのポシェットから通信機がそろりと飛びだしてきました。

 

陽乃(娘ちゃん、分かってる? ここではお父さんの好感度を上げちゃダメだからね。むしろ幻滅させちゃうくらいでいくんだよ)

 

娘(分かってます。得意分野です。むしろ、どうやったら人からの好感度が上がるのか教えてほしいくらいです)

 

陽乃(……ああ、うん。杞憂みたいだったね)

 

陽乃(ちなみに、私の家から持ってきた、護身用の小刀は持ってきてる?)

 

娘(ええ。陽乃さんに言われたとおり、ポシェットの中に入れてあります)

 

陽乃(そう。じゃ、大切に持っておいてね)

 

そう言うと、通信機は素直にポシェットへ戻っていきました。

 

 

――パーティ会場 19時30分  落雷まで残り1時間50分

 

雪乃「由比ヶ浜さん、二人の様子はどう?」

 

 

結衣「えーっと、比較的仲はよさそうなんだけど……」

 

八幡「まさか君もぼっちだったとは意外だな」

 

娘「もちろんです。出る杭の打たれる現代社会でうぇいうぇい騒いでいる方が馬鹿なのです。鳥も鳴かずば撃たれまいということわざもありますし」

 

八幡「うむ。やはり鳴かず飛ばずのぼっちこそ最強だな」

 

娘「ふっ、敗北を知りたいですね」

 

結衣「なんか二人のテンションは高いけど、会話の内容との高低差がありすぎて恋人同士っぽくないんだよね」

 

雪乃「そう……。耳を塞ぎたくなったらすぐにするのよ」

 

 

――パーティ会場 20時0分  落雷まで残り1時間20分

 

娘「中学時代の部活ですか。ふっふっふ。確かに最初は友達作れるかなぁって思って入りましたけどね。三日でバックレてやりましたよ。えっへん」

 

八幡「ふんっ。三日でぼっちを語ろうとは片腹痛い。俺は部活入って一日だぜ、追い出されたのが」

 

結衣「ゆきのんゆきのん。今はぼっち自慢大会をしてるよ」

 

雪乃「あらそう。聞きたくないから詳細は省いて構わないわ」

 

 

――パーティ会場  20時30分 落雷まで残り50分

 

ワイワイガヤガヤ

 

陽乃(娘ちゃん娘ちゃん、なに盛り上がってんの)

 

娘(……はっ! ついぼっちトークに花が咲いてしまいました)

 

陽乃(どう考えても花の咲くような話題じゃないけどね、いろいろと)

 

陽乃(それより、そろそろキミのお父さんを医務室へ連れて行かなきゃだよ)

 

娘(そうでした。では、作戦を実行しましょう!)

 

 そう言うと、私はお父さんへ向き直し、呼吸を止めて真剣な目を向けます。その間、わずか一秒。残念ながら星屑ロンリネスはありません。

 

娘「……八幡さん。少しお話があるので私についてきてもらってもいいですか」

 

八幡「えっ……。お、おう」

 

娘「よし、それでは行きましょう」

 

八幡「で、どこへ行くんだよ」

 

娘「それは着いてからのお楽しみです。ほら、はやくはやく」グイグイ

 

八幡「わ、わかったって」

 

 私はお父さんの腕を引っぱって会場を抜け出し、医務室のある棟へ向かいます。

 なんかこうしてると、お父さんと遊園地へ行った時を思い出します。

お父さんはたいてい、私やお母さんが引っぱらないとすぐベンチに座っちゃうのです。

まったく、たかがパンさんのバンブーファイトを12周したくらいでバテてるようでは、一家の大黒柱にはなれんのです。

 

 お父さんはなにやらぶつぶつ言いながらも、ついてきます。すると、パーティ会場を出たあたりの通用路で1人の女性と遭遇しました。どうやらお父さんの知り合いらしく、気さくに声をかけてきます。

 

平塚「おや、比企谷……そちらの子はどうした? 誘拐か?」

 

八幡「なぜ生徒を信用しないんですかね……」

 

平塚「信用とは過去の実績から来るものだからな。それで、どこへ行く? まだ終わりではないぞ」

 

八幡「えっと……」

 

 お父さんは言い淀むと、私のほうをチラと見ました。どうやら、この女性は先生のようです。

 とすると、人気のないところへ行きますと正直に言うのはまずいです。

 

娘「あ、あれです。察してください」

 

平塚「……えっ?」

 

娘「ほら、先生くらいの年齢なら、旦那さんとか元カレさんといろいろな思い出を作ったはずです。私たちは今から作るのです」

 

平塚「ぐふぅっ……! そ、そうだな……。私くらいの年齢なら、甘酸っぱい思い出がいろいろと……」グスッ

 

 なんか突然、先生が涙を流しました。

 隣のお父さんが、「これが無知の知か……」と呟いてますが、たぶん絶対違います。

 

 とりあえず、この隙を逃すわけにはいきません。もう時間はあまり残されていません。別れの挨拶を残し、お父さんの手を引っ張りました。

 

 別棟の一階に、医務室はありました。手をかけようとした瞬間、ドアが自動的に開きました。

 

陽乃(あ、ここ自動ドアになってるんだね。バリアフリー仕様なんだ)

 

娘(えっ……やばくないですか。つっかえ棒とか言ってられないですよ)

 

陽乃(大丈夫。それは任しといて)

 

医務室の先生「どうかしましたか?」

 

娘(うわ、しかも常駐の人がいますよ)

 

陽乃(あちゃ)

 

娘「な、なんでもないです。また後できます」

 

医務室の先生「はいはい……ん、後で?」

 

 その疑問には答えず、私たちは医務室を後にします。付近で空いている部屋がないか探します。

 

 さまようこと5分。ようやく、空室を見つけました。

 

 空き部屋へと入ります。そして、引っ張ってきたお父さんの手を離しました。

 

八幡「……なんだよ。ここまで連れてきて」

 

娘「……いいですか。これから比企谷さんは、運命を変える出来事が起こります」

 

 私が真剣な表情で伝えます。すると、お父さんも口元を引き締めました。なにかを察したようです。

 

娘「ですから……ちょっとここで待っててください!」

 

八幡「はい! よろこん……えっ?」

 

 お父さんが豆鉄砲でもくらったかのように保けています。でも、その間違いを気にしている暇はありません。

 

 次にお母さんを呼ぶために、私は駆け足で扉までむかいます。

 

娘「いいですか、絶対にここを出ちゃダメですからね。もしも出たらプロポーズの言葉をみんなにバラしちゃいますから」

 

八幡「お、おう……え、プロポーズ?」

 

 やばっ。つい口が滑っちゃいました。さらに墓穴を掘る前に、この部屋を出なければ。

 

 私はもう一度、お父さんに部屋を出ないよう伝えると、扉を開けて走りました。次は医務室です。

 

 医務室の扉に近づくと、扉が自動で空きました。

 

医務室の先生「はいはい、どちら様……またきみ?」

 

娘「大変です。通用路近くでうずくまっている人がいます。泣いていたので、重症かもです、おもに心とか」

 

医務室の先生「あら、それは大変ね。すぐむかいます」

 

娘「はい!お願いします。慰めてあげてください」

 

 医務室の先生が立ち上がり、私と一緒に廊下へと出ます。

 そして途中で、先生に気づかれずフェードアウトして離脱しました。ふっふっふ。初見でステルスヒッキーを見破れるものなどいないのです。……ぐすん。

 

陽乃(ちなみに娘ちゃん、お父さんの罠の準備は大丈夫なの?)

 

娘(ええ。小さいころにお父さんを引っかけたやり方でいきます)

 

陽乃(へえ、どんな)

 

娘(まず、単純に足をひっかける縄を用意します。ただ、これだけだと見つかっちゃうので、顔にこの亀の子だわしを投げつけます)

 

娘(すると、上に気を取られて縄に気づかず、引っかかるという寸法です)

 

陽乃(小さい頃にその方法を思いついたって……)

 

娘(あれはお父さんがパンさんのぬいぐるみの腕をもいじゃった仕返しです。仁義なき戦いだったのです)

 

陽乃(はいはい。ちゃんと準備するものは持ってきてるんだよね?)

 

娘(もちろん。この服のポッケは伸縮自在なので、ほら、こんなにいっぱい……おっとっと)

 

陽乃(なんか余計なものも入ってるけど、まあいいや。失くさないようにね)

 

娘(はーい)

 

陽乃(よし、じゃあお母さんを探しにいこう!)

 

娘(ラジャーです)ダッ

 

ポロッ

 

 

――別棟

 

いろは「はぁ。まったく、後輩がこんなに大変な思いをしているというのに。先輩は手伝いにも来ないなんて。これは明日、とっちめなければなりませんね」

 

いろは「――ん? あそこにあるのは……亀の子だわし?」ヒョイ

 

いろは「用務員の人が忘れたんですかね。まあいいや。あれ、ここにある細長いものは……なんですかね、取れそうです。中身はナイフ?」

 

いろは「誰かが持ってきたんでしょうか。ん? 持ち手のところも外れそうです」

 

副会長「生徒会長、早くしてくれ」

 

いろは「はーい。今いきますよ」ポケットヘ

 

 

――パーティ会場 20時45分 落雷まで残り35分

 

結衣「あれ、いつの間にかヒッキー達がいない!」モグモグ

 

雪乃「はっ!? 食べ物に夢中になってた隙にですって!」ハムハㇺ

 

結衣「は、早く探しに行かなきゃ!」

 

雪乃「そうね。行きましょう」

 

結衣「あ、ちょっとまって。あと一口――」

 

雪乃「さっきから食べ過ぎだからやめなさい。ほら、行くわよ」グイグイ

 

結衣「あぁ……ローストビーフ……」

 

雪乃「そんな今生の別れみたいな声を出さないでちょうだい……」

 

 

――通用路

 

結衣「この辺にはいないみたいだね」

 

雪乃「とすると、あとは別棟ね……あっ」

 

結衣「ど、どうしたの?」

 

雪乃「あんなところに猫が」ダッ

 

結衣「えっ? いや、あれって多分――」

 

雪乃「きゃっ」ステンッ

 

結衣「だ、大丈夫!?」

 

雪乃「痛い……。はっ、猫を下敷きにしてしまったような――」

 

結衣「ゆきのん……これ猫じゃなくて亀の子だわしだよ」

 

雪乃「……」

 

結衣「ゆきのん?」

 

雪乃「……さて、ちょっと擦りむいてしまったので、私は医務室に行くわ。私の代わりに、葉山くんを2人のところへ連れて行ってくれないかしら」

 

結衣(あ、今の無かったことにしようとしてる……)

 

雪乃「由比ヶ浜さん?」

 

結衣「う、うん。分かったよ、ゆきのん」

 

雪乃「それでは、よろしく頼むわ……」ヒリヒリ

 

 

――パーティ会場 20時55分 落雷まで残り25分

 

娘「お母さんが会場にいない! どこ行ったのもう」

 

陽乃「うーむ。雪乃ちゃんが勝手に帰るとは思えないしなぁ」

 

 私は思わず頭を抱えます。ここまで上手く行ったのに、これではまずいです。

 

娘「こうなったら一度、別棟を見に行きましょう」

 

陽乃「そうだね。もう探してないのはそこぐらいしかないし」

 

 陽乃さんの賛同を得て、私は踵を返しました。そして会場を出ようとしたところで、不意に肩を掴まれました。

 

葉山「すまないが、俺と一緒に来てくれないか?」

 

娘「……へっ?」

 

 なんというこでしょう。ここに来てモテ期到来ですよ。ひゃっふぅ! ……ちなみにあと25分で私の人生は終わります。

 

陽乃(へぇ……なるほどね)

 

 陽乃さんが何か意味あり気に呟きます。しかし、今はお母さんです。涙をのんでイケメンよりもお母さんを優先します。

 

娘「いや、誘いは嬉しいですけどちょっと用事が……」

 

葉山「まあまあ、そう言わずに。一緒に来てくれ」

 

 そう言うと、私を乱暴に捕まえて引っ張っていきます。あら、強引な人……いやいや、ときめいてる場合じゃないです。もう時間はないのです。

 なんとかしないと。

 

結衣「は、隼人くん!」

 

 突如、背後から声がしました。その声で、掴まれていた腕が離されました。そしてその手を背後から来た女性が掴みます。

 

葉山「ゆ、結衣?どうしたんだ?」

 

結衣「じ、じつは私と一緒に……あれ? 取り込み中?」

 

娘「まあ取り込み中というか満更でもないというか。あ、用事ならお先にどうぞ」

 

結衣「あ、どうもどうも……うん?」

 

娘「じゃあ私はこのへんで」

 

葉山「あ、ちょっと……」

 

 慌てて、男子が私の手を捕まえようとします。しかし、その手は結衣さんが掴まえていたので、私まで届きません。

 

娘「あ、そうだ。雪乃さんってどこにいるか知ってます?」

 

結衣「え、怪我して医務室に行ったけど」

 

娘「げっ、マジですか。分かりました。では、私はもう行きます」

 

結衣「え、もしかして帰っちゃうの? ヒッキーは?」

 

娘「あー、じつは他に好きな人が出来たので、もう用無しです。ポイです。次なる恋へ乙女はひた走るのです」

 

葉山「えっ」

 

娘「あとあと、2人に会ったら、生まれた娘に教える言葉はもっとマシなものにしてと伝えてください。それと、マックスコーヒーはほどほどにってことも」

 

結衣「……へっ?」

 

娘「よろしくお願いしますよ。それではお2人ともお幸せに~」

 

 2人が保けた表情で私を見てきますが、伝えることは伝えたのでもう構いません。私は急いで別棟へと走ります。

 

 あべこべでお母さんが怪我をしてしまいましたが、結果的に医務室へ行ってくれたのなら結構です。あとはお父さんを医務室へ連れて行くだけです。

 

三浦「結衣……なんで隼人と手を繋いでいるんだし……」

 

結衣「げっ優美子! やばい、逃げるよ、隼人くん!」ダッ

 

葉山「え、おう……うん?」ダッ

 

三浦「待つし!」ダッ

 

オイオイ、アレシュラバジャネ?

マジデ? ミニイコウゼ

 

 

――別棟 8時58分 落雷まで残り22分

 

陽乃「雪乃ちゃんの方が怪我をしちゃったんだね」

 

娘「大丈夫ですかね……? 歴史的に」

 

陽乃「分からないけど、もう祈るしかないよ」

 

 陽乃さんの言葉に、思わず天を仰ぎました。まぁ、起きてしまったことは仕方ないので、考えてはいけません。これぞ父から受け継ぐポジティブ思考です。

 この思考法で数々のトラウマを心の奥底へと封印してきました。例えば林間学校の時の……ぐふっ……よし、思考を停止しましょう。

 

娘「そういえば、2人をどうやって閉じこめましょうか」

 

陽乃「それはもう、停電させるしかないね」

 

娘「あ、なるほど。……あれ、でも待ってください。お母さんの話だと、今日は確か停電になるって」

 

陽乃「あぁ、たぶん落雷くらいじゃ停電なんかしないよ? それに落雷を待ってたら、娘ちゃんが消えちゃうでしょ」

 

娘「えぇっ!?」

 

陽乃「娘ちゃんは管理室へ向かって、ブレーカーを落とす準備をしてて。私は変声機を使ってキミのお父さんを医務室へ連れ出すから」

 

娘「わ、分かりました。でも、どうやって医務室へ連れ出すんです?」

 

陽乃「たぶんね、『葉山が女の子を医務室へ連れ込んだ』という声が聞こえてくれば、キミのお父さんは一目散に向かうはずだよ」

 

娘「そんな簡単なもんなんですかね」

 

陽乃「まあまあ、任せなさい。娘ちゃんは、管理室へ着いたら、私が出入りできるように窓を開けとくこと。それと、私が管理室へ到着したらブレーカーのコードを切ること。分かった?」

 

娘「はい!」

 

 そう返事をすると、私たちは二手に分かれました。私は一階の隅にある管理室へ向かいます。

 管理室に着くと、そっと扉を開けます。ラッキーです。誰もいません。すぐに中へ入り、鍵を閉めます。そして言われた通りに窓を開けました。

 

 ブレーカーのあるところを見てみると、案の定というか、予備電源がありました。そちらに切り替わらないように、コードを切ろうとポッケの中のナイフを探します。

 ……あれ、ない。……ヤベ。どっかで落としてしまったでやんす。

 とりあえず近場に何かないかと探すと、工具がありました。中からニッパーを取り出し、コードを切ります。あとは、陽乃さんを待つだけです。

 

 

 ひと息ついた瞬間、不意にドアノブが乱暴な音を立てました。陽乃さんではありません。恐らく、管理人さんが戻ってきたんだと思います。

 

 ドアの向こうから、「カギを締めたかなあ」なんて声が聞こえます。マズいです。早く、陽乃さん!

 

 幾度かドアノブが回ります。そして、カギの挿さる音がしました。ひえ!

 つっかえ棒などで押さえるのは無理そうです。

 

 

――ガチャリ

 

用務員「ふぅ、空いた空いた……って、停電か? ブレーカーは……あれ、上げても反応しねぇな」

 

陽乃(間一髪だったね)

 

娘(遅いですよ!寿命が3年は縮みましたよ)

 

陽乃(まあまあ、あと20分の命なんだから気にしない)

 

娘(いやいや、ぜったい伸ばしますからね)

 

陽乃(とりあえずお父さん達は閉じ込めることがてきたから、後は落雷地点へ行くよ。時間も押してるし)

 

娘(分かりました。……頼みますよ、お父さん……!)

 

 

――医務室 21時 残り20分

 

『おい見たか、葉山が女の子を医務室へ連れ込んでたぞ――』

 

 廊下から、そんな会話が聞こえてくる。そこで俺はすぐに時計を見た。

 21時。葉山が作戦を決行している時間だ。まずい。

 俺は急いで医務室まで駆けていき、中へ入る。そしてズバッと決め台詞を決めた。

 

八幡「おい、その薄汚い手をどけろ!」

 

雪乃「……はっ?」

 

八幡「……おっと、薄汚いのは俺の手だったな、HAHAHA」

 

雪乃「なにしてるのよ……」

 

 雪ノ下が呆れたようにジト目を向けてくる。

 おっかしいな。予定だと葉山がいるはずなんだが……。

 

 

――バチンッ

 

 突然、大きな音がしたかと思うと蛍光灯の電気が消えた。医務室の中は突如として起きた暗闇に包まれた。

 

八幡「停電か?」

 

雪乃「そのようね。来るときに空が曇っていたから、おそらく雷が落ちたのでしょう」

 

 雪ノ下がそう言って、窓の外を見上げた。夜空は嫌な雲で覆われ、ゴロゴロといった音が聞こえてくる。

 しばらく、沈黙の空間が流れる。その間に目が慣れると、あの子を探すため、俺は扉の方へと向かった。

 

八幡「くっそ。扉が開かない」

 

 自動ドアのためか、取っ手はない。それでも無理やり扉を引いてみる。だが、うんともすんとも言わない。

 

八幡「たしかこういうのは、どこかに手動で開けられる非常ボタンみたいなのがあったはず……」

 

雪乃「そこまでしなくても。ここでおとなしく待っていましょう。たいていの施設には予備電源があるでしょうから、間もなく復旧すると思うわ」

 

 ポスっと音がし、雪ノ下がベッドに腰をかけたのが分かった。たしかにこの暗闇では、人を見分けるどころか、ぶつからないように歩くのさえ困難だ。

 なら、待つとするか。

 

 

――落雷場所 落雷まで残り10分

 

娘「ふぅ。これで準備は整いましたよ」

 

陽乃「相変わらず、やることなすことがギリギリになっちゃうね」

 

娘「与えられたモラトリアムは謳歌するタイプなので」

 

陽乃「キミのお父さんは、夏休みの宿題とかは早く片付けてたよ」

 

娘「ふっふ。利子のつかない借金は、早く返すだけ損なのですよ。私は経済学的観点から、宿題を先送りしているのです」

 

陽乃「生半な知識が身を滅ぼす良い例だね、うん」

 

 あらま。対お母さん用に用意した今年の屁理屈があっさりと一蹴されました。

 家でゴロゴロしていると、お母さんに掃除機で宿題へと追い立てられるので、そのたびに屁理屈で対抗しています。それで言い負かされて、宿題をしちゃうまでがわが家の風物詩です。

 

 ちなみに私のお父さんは、通算28敗目で全面降伏しました。

 

陽乃「タイムスリップが起動するのは、デロリアンの時速が140kmに達してから。その時間も換算すると、あと10分だね」

 

娘「うぁ~お父さんはやくはやく!」

 

陽乃「一年かけても大して縮まらなかった二人の距離が、10分で縮まるかなぁ」

 

娘「真っ暗な部屋で二人きりですよ。ガッとやってチュっと吸ってハーンで終わりじゃないですか!」

 

陽乃「娘ちゃんって、たまにおっさん臭くなるよね」

 

 陽乃さんがため息交じりに指摘してきました。まぁ確かに、30年以上前のアニメのネタなんてお父さんぐらいしか通じません。というよりお父さんから伝授されたまであります。

 

娘「お、おっさんじゃないです。干物なだけです」

 

陽乃「反論してるつもりなのだろうか……」

 

娘「そんなこと言うならじゃあ、陽乃さんがゴールまでのルートを教えてくださいよ」

 

陽乃「え……そ、そんなの、壁ドン・あごクイ・スクールラブでしょ」

 

娘「うわ……平成臭い」

 

陽乃「うっさい。こっちの時間ならまだまだ現役ルートなの。娘ちゃんだって今どきのルート知らなかったでしょ」

 

娘「し、知ってますよ。あれです、最近の流行りはパンドンです」

 

陽乃「パンドン?」

 

娘「パンをくわえて横からドンです」

 

陽乃「それ平成でも古臭いからね」

 

陽乃「そうこうしてるうちにあと8分だよ」

 

娘「ひぇぅ」

 

陽乃「娘ちゃん、最後に残す言葉は?」

 

娘「諦めないでくださいよ! もうちょっと粘りましょうよ!」

 

陽乃「いやぁ、あそこにいるのきみのお父さんだし。とりあえず遺言の一行目は私への謝罪からね」

 

娘「勝手に遺言まで進めないでくださいよ!」

 

――医務室 残り8分

 

 街灯の明かりが室内へ差してくる。それで、かろうじて雪ノ下の居場所が分かった。未だに電源設備は復旧しない。わずかな明かりだけが頼りだ。

 

 俺は棚まで歩いていくと、手探りで消毒液とコットンにガーゼ、絆創膏を取り出した。

 

雪乃「なにをしているの?」

 

八幡「なにって、お前怪我したんだろ。ほら、手当するからそこに座れよ」

 

雪乃「だ、だいじょうぶよ。私一人でやれるし、あなただと信用ならないわ」

 

 雪ノ下が身をよじって答える。なんで一年も一緒にいるのに信用されないんだ。まぁ、思い当たる節はたくさんあるからなんとも言えんけど。

 

八幡「小町で慣れてるし、俺は自己保身にたけた小悪党だから安心しろ」

 

 そう言って俺は胸をたたく。いつか誰かに言われた言葉だが、なかなか自分を端的に表していると思う。

 

雪乃「……それもそうね」

 

八幡「おう」

 

 ふと、雪ノ下が笑った気がした。俺は丸椅子を自分の前に差しだし、ベッドにいる雪ノ下の手を取って、そこへ座らせる。

 

――残り6分

 

 ハンカチをくしゃくしゃにして胸ポケットへ押し込む。それからスマホのライトを点け、同じく胸ポケットに入れた。これで足元だけは照らせるはずだ。

 膝立ちになって前かがみになり、患部を照らす。

 棚から取り出した消毒液を直接患部に降りかけ、コットンで余計な部分をぬぐった。

 

雪乃「んぅっ……。ちょっと、やり方が荒いわよ」

 

八幡「水ですすぐのを兼ねてるから、これでちょうどいいんだよ」

 

 そう言いながら、患部に充分すぎるくらいに消毒液をかけていく。ほんとうは水のほうが良いらしいが、こう暗くては探せないし、代替として消毒液なら及第点だろう。

 

八幡「昔は小町がよく転んだからな。その時にさんざん調べてたんだ」

 

雪乃「そう。小町さん絡みなら信用できそうね」

 

八幡「ま、調べることに集中するあまり、小町の傷を放置しちまってな。あとで母親にめっちゃ怒られた」

 

雪乃「あなたって、ほんとにばかね……」

 

 呆れたように雪ノ下が言った。でも、その言葉にさげすみといった感情はない。妹のために俺が奔走するのは毎度のことだし、ばかな結果になってしまうのもいつものことだ。

 

雪乃「でも、それだけ他人のために一生懸命になれるのね」

 

八幡「お、おう」

 

 ふいに、雪ノ下の声音がやさしくなった。思わずどもってしまう。

 いや、これは仕方がない。こんな至近距離からそんな声を聞かされたら、誰もがこうなる。

 

 しかし、さっきからこの感情は何なんだろうか。あの子に感じたものとはまた別の感情がもたげている。割り切れない、計算しつくせない感情が二つあった。正解は一つなのに、いずれの解も正しいときている。

 

 浮気心と片付けてしまうべきなのか、それとも別の答えがあるのか。……もう英雄色を好むってことでいいか。でも俺は小悪党だから無理があるな。

 

 原因はいまだに見出せない。

 しかしその結果から導き出される顔の赤さは抑えることができず、俺は悟られないように顔を隠し、黙々と作業をした。

 

――残り4分

 

八幡「しかし、けっこうひでぇな、この傷。階段からでも落ちたのか」

 

雪乃「いえ。そ、その……」

 

八幡「どうした?」

 

雪乃「転んだところに、か、亀の子だわしがあって……」

 

八幡「へっ? 亀の子だわし?」

 

 素っ頓狂なワードが出てきて、思わずおうむ返しになってしまった。それから、ふつふつと笑いがこみあげてきて、つい吹きだしてしまう。

 

八幡「ぷ、ぷくく、か、亀の子だわしっておまえ、くく」

 

雪乃「そ、そんな笑わなくたっていいじゃない。わ、わたしだって好きで転んだんじゃないもの」

 

 雪ノ下が必死になって抗弁するが、話題が話題なので、なんの凄みもない。

 ふと笑った拍子に顔を上げると、思いのほか雪ノ下の顔が近くにあった。笑われて恥ずかしいのか、雪ノ下の頬は紅潮している。ノーメイクかと思ったていたが、意外とチークとか入れてんだな。

 

雪乃「ひ、比企谷くん……」

 

 彼女の声に、ハッと我に返り、顔を伏せた。

 

八幡「わるい……」

 

 ばつがわるいせいか、少しぶっきらぼうに答えた。やばいな。好きな子がいるのに、思わず見とれてしまった。いや、俺は浮気性の男にはならんぞ。

 

――残り2分

 

雪乃「……そういえば、ひさしぶりね。二人になるのは」

 

八幡「……そうだっけか?」

 

雪乃「そうよ。ほんとに、ひさしぶり」

 

 なにかを噛みしめるように、雪ノ下はゆっくりとつぶやいた。気づけば、けがの手当てはは終わっている。それでも、俺は膝をついたままの姿勢でいた。

 

 プツリと会話が途切れた。さっきのことがあったせいか、どうも気まずい。なにか話題がないかと探して、ふとあの話をしていなかったことを思い出した。

 

八幡「……そういえば、進路は文系と理系のどっちを選んだんだ?」

 

雪乃「あら、今ごろその話?」

 

 くすりと雪ノ下が笑った。そりゃそうだ。進路の提出は数日前に終わっている。もうみんなその話題を口にしていない。

 

雪乃「私のクラスでは文理の違いはあまりないのだけれど」

 

八幡「そ、そうだったな。すまん忘れてくれ」

 

 我ながらバカな質問をしてしまったと、自責の念にかられながら会話を切る。そして再び流れる沈黙。

 それを破ったのは、彼女のほうだった。

 

――落雷場所 残り1分

 

娘「うわぁ! もうほんとに時間がないですよぉ!」

 

娘「陽乃さん、こんなときはどうすれば」

 

陽乃「合掌」

 

娘「だから諦めないでくださいよぉ!」

 

――医務室 残り30秒

 

雪乃「……比企谷くんは、ここを出たらあの子に告白するの?」

 

八幡「ああ。ま、さっき置いてけぼりにさられちゃったから望み薄だけどな」

 

雪乃「そう……」

 

八幡「雪ノ下……?」

 

 俺の問いかけに、彼女は何かを言いたげに口を開いては、しかし声には出さず、逡巡としていた。

 

――残り20秒

 

 しばらく経つと、ふっと彼女の顔に笑みが浮かんだ。それは自然な笑みというよりは、いたずらっぽい笑みだった。

 

雪乃「あなたは、勝算はないと踏んでいるの?」

 

八幡「まぁ、な」

 

雪乃「なら、応援のしがいがないわね、ほんとに」

 

八幡「へっ。どうせあったって、お前は応援なんかしないだろ」

 

雪乃「そんなことないわよ。応援してあげるわ。口だけならどうとでも言えるもの」

 

八幡「正直に言っちゃうなよ。ウソでも心を込めましたって言ってくれよ」

 

雪乃「あら、ならいらないの?」

 

八幡「……まぁ、もらえるなら嬉しいだろうな」

 

――残り10秒

 

雪乃「そう。なら、してあげる……」

 

 そう言うと、雪ノ下の両手がそっと俺の頬に添えられた。

 鼓動が高鳴る。二人の距離が徐々に狭まっていく。

 

 彼女の長い髪が俺の顔を覆う。

 

 そして、頬に柔らかい感触が走った。

 

 

雪乃「……口先だけの励ましも、良いものでしょう?」

 

八幡「……反則だろ」

 

 感触の残る頬とは反対をぽりぽりと掻く。

 

八幡「……禍は口からって知らないのか。やめろよ、うっかり惚れるから」

 

雪乃「そうね。そうなったら、責任なら取ってあげる」

 

八幡「……振られた際には考えとく」

 

 

――落雷場所 

 

陽乃「――はっ! 娘ちゃん、写真を見てみて!」

 

娘「は、はい!」

 

 陽乃さん通信機が慌ただしく飛び回ります。私は急いでタブレットで写真を開きます。

 

娘「あっ! 私の姿が元に戻ってます!」

 

陽乃「過去が修正されたんだよ。つまり、2人は無事に結ばれたんだね」

 

娘「よ、よかったぁ」

 

 ふと足の力が抜け、へなへなとそこに座り込みます。すると、ボスボスと陽乃さん通信機が私のお腹に体当たりをかましてきました。お、やるか? 嘘です、冗談です。

 

陽乃「安心してる場合じゃないでしょ! もう落雷がくるよ。早くデロリアンに乗って!」

 

娘「そ、そうでした! って、あと5秒もないじゃないですか!」

 

陽乃「だから言ったでしょ! 早くはやく!」

 

 陽乃さんに急かされ、急いでデロリアンに乗ります。私が乗るや、陽乃さんは急発進しました。うそ、まだシートベルトしてないのに。

 そんな私を無視して、デロリアンは急加速していきます。転がりながら、なんとかシートベルトをつけた瞬間、とてつもない衝撃が車に走りました。

 一瞬の閃光。そして、視界が白へと覆われました。

 

 

――パーティ会場入口 電力復旧後

 

結衣「あ、ゆきのんに……ヒッキー? 2人は一緒にいたの?」

 

八幡「あ、ああ。まぁな」

 

雪乃「そうね」

 

結衣「あ、そうだ。ヒッキー聞いた? あの子帰っちゃったんだよ」

 

八幡「えっ、そうなの?」

 

結衣「そうだよ。あの子、他に好きな人ができたのでその人を追いかけます、とか言って出てっちゃったよ。ほんと、勝手だよね!」

 

八幡「そうなのか。……全く、開いた口が塞がらないな」

 

雪乃「あら、なら塞いであげましょうか」

 

 雪ノ下がいたずらっぽく笑う。その笑みに、思わず赤くなった顔を背けた。

 

八幡「……今度は、口先だけじゃないんだろうな」

 

雪乃「さあ、どうかしら?」

 

 雪ノ下の微笑に、耳元を熱くする。ああ、これはヘビーな将来が見えるな。俺はたぶん一生、彼女に頭が上がらないんだろう。

 俺たちのやり取りに、由比ヶ浜が頭にハテナを浮かべて首をかしげている。俺は何とかごまかしながら、3人一緒に帰途へと着いた。

 

 

――未来

 

娘「……いったぁ」

 

 閃光から飛び出すと、デロリアンは急停止しました。その衝撃で、何度目かも分からない後頭部打撃です。

 この衝撃は現代の価値に換算して、英単語2~300個分に相当しますね。よし、夏休みの英語の宿題は陽乃さんにやってもらいましょう。

 

 人任せな計画を構築しながらデロリアンを降りると、目の前はあの陽乃さんの研究室にあった実験室でした。

 

陽乃「おかえりー。どうだった? 過去に戻った感想は?」

 

娘「もう二度と行きたくないです」

 

陽乃「ありゃ、それは残念」

 

娘「そうだ。そろそろ教えてくださいよ」

 

陽乃「なにを?」

 

娘「私が過去に戻った本当の理由ですよ」

 

陽乃「勘のいい子は嫌いだよ」

 

娘「えぇっ……」

 

陽乃「冗談はさておき、実は私にもわかってないんだよねぇ」

 

娘「へっ?」

 

陽乃「ただ、あの日に娘ちゃんによって歴史の時間軸がねじれるということは決まってたんだよ。それが、今の時間軸を保つための条件だったわけ」

 

娘「え?」

 

陽乃「私がデロリアンを作ってしまったせいなのか、それともこのために作らされたのかは分からないけどね」

 

娘「そうなんですか。なんか、操られてるみたいで嫌ですね」

 

陽乃「そうだね。でも、素直に従う必要はないよ。今回もそうだけど、過去に戻りさえしなければ、私たちの行動次第で未来はどうとでも変わるんだから」

 

娘「それもそうですね」

 

陽乃「さて、ところで娘ちゃん、護身用に渡したって言った小刀は持ってる?」

 

娘「えっ」

 

陽乃「えっ」

 

娘「……きゃはっ☆」

 

陽乃「おい」

 

娘「すいません! どっかで落としちゃったみたいなんです」

 

陽乃「えーっ!? そ、そんな……!」

 

娘「で、でもただの小刀だったら、また買い直したって――」

 

陽乃「あれはただの小刀じゃないんだよ。持ち手の部分が外れて、雪ノ下家の隠し財産のありかが書いてあるんだよ!」

 

娘「えー!?」

 

陽乃「昔に思わず捨てちゃったから、今回取り返そうと思ったのに……」

 

 陽乃さんが悔しそうに地団駄を踏んでます。なんか珍しい光景です。

 ふと、実験室に置いてあったテレビから、聞き覚えのある声がしてきました。

 

娘「あー! 陽乃さん、テレビみてください!」

 

陽乃「えっ? あれ、いろはちゃん?」

 

『さて、今回のゲストは、埋蔵金を発掘したことで一躍時の人となった一色いろはさんです!』

 

『どうも〜! みんなのいろはですよ☆ きゃっ☆』

 

娘「あれ、こんな未来じゃなかったような……。しかもあざとさに磨きがかかってるし……」

 

陽乃「……いろはちゃんが見つけたんだよ。あの小刀」

 

娘「えっ?」

 

陽乃「こんなところにいる場合じゃないよ! ほら、取り返しにいくよ」

 

娘「行くって、もしかして……」

 

陽乃「当然、過去にだよ」

 

娘「ひぇ!」

 

 危険を察知して逃げようとしますが、陽乃さんはがっしりと私の腕をつかみました。ずるずるとひっぱられます。

 

 私の叫びもむなしく、陽乃さんは笑顔で私と一緒にデロリアンへと乗り込みました。

 ああ、また過去への大冒険が始まるんですね。

 私はため息とともに、思わずつぶやいてしまいました。やはり私のタイムトラベルは間違っていると……。

 

 

TO BE COTINUED...

 

 

 

 

 

 

元スレ

八幡「バック・トゥ・ザ・フューチャー?」

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