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沙希「ちょ、ちょっと、休憩していかない?」【俺ガイルss/アニメss】

 

あたしは国公立文系の大学へ進学した。

 

もともと経済的な面から、それ以外の選択肢は最初からなかった。

 

けど、てっきり私立文系の大学志望と思っていた彼が、国公立の同じ大学へ志望を変更したと聞いてからは、一層落ちるわけにはいかなくなった。

 

その後、彼の口から合格したと聞いた。しかも、学部まで同じ。

 

自分が合格したときも当然嬉しかったけど、そのときは安心したという感情のほうが強かったように思う。

 

反面、彼の合格を聞いたときは思わず抱きつきそうになる程、嬉しくなった。

 

結局勇気のないあたしはいつもみたいに顔を背けて、ぶっきらぼうにお祝いの言葉を伝えることしかできなかったけどさ。

 

高校ではさほど仲良くできなかった彼との付き合いを、大学でも続けられる。

 

彼はあたしと同じで友人を作るのが苦手だし、大学では元々の友人も今より間違いなく減るはずだ。

 

なら、同じ高校のあたしと話す機会は、これからも間違いなくある。

 

今までよりずっと増えるかもしれない。

 

ただ、それにはあたしの勇気が必要だけど。

 

あたしだって、一応女の子なんだから。

 

気になる男の子に近づきたいとか、似合わないけど、そんなこと思ったりもするんだよ。

 

言わずにわかってもらおうなんて都合のいいことは思ってないけど、少しは気にしてほしいな。

 

環境も変わることだし、ちょっとだけ、頑張ってみようかな。

 

入学式の前の日に、ふとそう思った。

 

入学初日、入学式へ向かう途中、キャンパス内で彼の姿を見つけることができた。

 

さすがに周りもみんな仲良しグループばかりにはなっていなかったので、あたしも彼も一人で浮いているようなことはなかった。

 

少しの勇気を出して彼に声をかける。

 

「……や、比企谷」

 

「ん?あ、川崎か……。初日から俺に話しかけるやつがいるとは思わなかったから誰かと」

 

相変わらず挙動不審だなぁ、この人。

 

人のことあんまり言えないんだけどさ。

 

「一人?」

 

「見りゃわかんだろ……。つーか俺はだいたいいつも一人だ」

 

相変わらず捻くれてるね、まったく……。

 

まぁ高校卒業したからってそんなにすぐに変わるもんじゃないか。

 

「じゃ、じゃあさ、入学式のあと教室一緒にいかない?あたしも一人だからよくわかんなくってさ……」

 

「おお……構わん、というか、俺からも頼む……」

 

「ど、どうしたのさ、珍しい……」

 

「俺も大学ってのは初めてなもんで、どういう風にすればいいのかよくわからなくてな……」

 

「比企谷なら一人でもなんとかしそうなもんだけど」

 

「いや、俺一人でできることならなんとかするが……高校と違ってクラスみたいなのもないから、俺だけ場所の変更を知らないとか、普通にあり得る気がしてな……」

 

「なるほどね……確かにありそうだね。ふふっ」

 

「なんだよ笑うなよ……お前だって俺とそんなに変わんねぇだろ」

 

「あ、あんたと一緒にしないでくれる?……いや、やっぱいい……」

 

なんで無駄に見栄を張ろうとしたり、反発したりしようとするんだろう、あたしは。

 

捻くれてるのは彼だけじゃなくてあたしもなんだろうか。

 

でも、勇気を出したついでに、もう少しだけ素直になるよう努力しよう、かな。

 

「あ、あのさ。あんたもあたしの携帯番号登録しといてよ。あたしは知ってるから」

 

「なんで知ってんだよ……教えたっけ?」

 

「あ、いや、大志から聞いて……」

 

「俺の個人情報駄々漏れだな……まぁ俺のはそんな価値ないからいいけど。かけてくれよ、登録するから」

 

「……うん」

 

隣にいる人に電話をするだけなのに緊張する。

 

初めての電話なのは確かだけど……あたしも大概、人との付き合いに慣れてないなぁ。

 

やがて、おそらく購入時から変更されていないと思われる着信音が情けなく鳴り響いた。

 

「……おし、登録したぞ」

 

「あ、ついでにメルアドも……いいかな」

 

うぅ、やりすぎかな。いやでも電話の方が親密な感じあるし……大丈夫だよね。

 

「おお、いいぞ。ちょっとしたことでいちいち電話することもねぇしな」

 

やった、メルアド聞けた。

 

心だけではしゃいで顔には出さない。

 

もうこんなのは当たり前にできる程度には慣れてしまった。少し寂しくなる習性。

 

「あ、あのさ。暇だったらメール……いや、なんでもない……」

 

駄目だ。これ以上馴れ馴れしくなんかできないよあたしには……。

 

「……お前って、そんなメールとかする人?そんな風には思ってなかったんだが」

 

「いや、そんなに得意じゃないよ……。けど、あれだよ。あたしあんたのこと全然知らないし」

 

「高校のクラスメイトにそう言われるのもなんだかな……。俺はちょっと知ってるつもりだったのに」

 

「え、あんたが、あた、あたしの何を知ってるのさ」

 

「えーと、川崎って名前だと知ってる。もう覚えた」

 

「……ふざけてるの、比企谷。殴るよ」

 

「ごめんなさい。いや、裁縫が上手いとか、家庭的だとか、ブラコンだとか、意外と女の子らしいとか……。ほら、いろいろ知ってるだろ」

 

な、な、なに言ってんのこの人。

 

顔がまともに見れない。あたし絶対赤くなってるし。

 

比企谷は突然そういうこと言い出すから……困る。

 

あたしにはそんな経験ないから、どうしていいかわからなくなる。

 

「……ふーん。そう。でもブラコンって言わないでよ」

 

で、こうなる。

 

まるで成長していない。

 

素直になるって決意はいったいどこへ……。

 

「そうか、そうだな。まぁ、家族思いってことだしな。悪かった」

 

「そんな、素直に謝られると、調子狂うんだけど……」

 

あたしの知ってる彼は、こんなところで素直に謝る人ではない。

 

捻くれた独自の理屈を振りかざして、あたしに何か言うはずだ。

 

でも、今の彼は違った。

 

もしかして、あたしが知らない間に彼は少し変わってしまったのだろうか。

 

あたしの知らない時間で、彼は何を考えたのだろうか。

 

あたしの近付けなかったあの場所で、彼は何を経験したのだろうか。

 

素直になれる何かが、あったのかな。

 

「おお。そ、そうか」

 

「あ、いや、別に……。比企谷さ、スーツ案外似合うんだね」

 

なんで、もう少しスムーズに会話できないかなぁ……。

 

「そ、そうなのか?着慣れんから違和感しかねぇ……。でも、お前こそあれだ、似合ってんじゃねぇか。なんか仕事バリバリ出来そうだぞ」

 

「あ、ありがと……」

 

うわ、なんか普通に誉められた。

 

へ、平常心だ、あたし。

 

「お前になら養ってもらえそうだな」

 

うーん、できれば共働きがいいんだけどな……。

 

でもこいつは子供にも好かれて扱いも上手いし、家事もできる。

 

ならあたしが働いて、家に居てもらってもいいかな……。

 

そういう時代なんだしね、頑張ろう。

 

………………いや、違うから!

 

何考えてんのあたし、そうじゃないって!

 

笑えるぐらい全然平常心じゃない。

 

「あ、あんた、まだ専業主夫とか言ってんの……」

 

「ギリギリまで諦めねぇよ俺は」

 

やっぱ、比企谷はあんま変わってないのかも。

 

でも、初めて会ったときと違って、今はわかってる。

 

心からの本気でそんなことを言ってるわけじゃないってことは。

 

「はぁ……バカじゃないの?その諦めないは全然かっこよくないよ」

 

「うっせ、ほっとけ。いいから早く行こうぜ」

 

「……うん」

 

それから入学式は何事もなく終わり、同じ学部の人間がいくつかの教室に集められた。

 

あたしと彼はそのまま同じ教室へ向かい、一番前の右側の席へ並んで腰掛ける。

 

「ねぇ、あんたあたし以外に知り合い、大学にいんの?」

 

「いない……と思う。少なくとも俺が進学先を知ってるやつで、ここに来てる奴はいねぇな」

 

「そっか、ふーん……」

 

「お前は?」

 

「……いるわけないじゃん」

 

「だよな。お前もぼっちだもんな」

 

「悪かったね。……でもあんた、ぼっちだと思ってんの?」

 

「お前友達あんまいなそうじゃん」

 

「いや、あたしじゃなくて、あんた」

 

「俺?俺に友達はいねぇぞ」

 

「……そう思ってるのはあんただけじゃないの」

 

「誰のこと言ってんだよ」

 

誰、というか。

 

あたしの知らない彼の世界のこと、なんだけどな。

 

高校で彼が長い時間を過ごしたであろう、あの部活。

 

あの二人とはどうなったんだろうか。

 

今後のあたしの身の振り方にも関わる……かもしれないから、それとなくでも探っておきたい。

 

そういう気持ちと、予想できるあたしにとって嫌な答え、それを聞きたくないという気持ちが混ざりあう。

 

「……知らない、そんなの」

 

「なんだそりゃ」

 

結局いつも言いたいことは言えないし、一番聞きたいことは聞けないまま。

 

わかりたいって思ってるのに、知るのが怖い。聞くのが怖い。

 

一人でも構わない、なんて思ったことはない。

 

でも一人は楽なのも確かだから、今までこうしてきてしまった。

 

あたしはいつまでこのままなんだろうか。

 

このままでいるのは、いけないことなんだろうか。

 

そんなことを考えてみたけど、これまでの人生で見つけられなかった答えが環境が少し変わったぐらいで出るわけはなく、彼と連絡先を交換しただけで入学式の日は終わった。

 

それから数日の間、さまざまなオリエンテーションや健康診断、履修についての説明などがあった。

 

一応周りの女子に溶け込む努力もしてみようとはしたけど、ものすごく神経をすり減らすことになり、これは無理だと悟った。

 

例えるならそう、高校の時の相模みたいなのがいっぱい群れているというか、なんというか。

 

では彼はどうか、と見てみると戸部のような連中に囲まれて、死んだ魚の目でひきつった笑みを浮かべていた。

 

そりゃそうだよね……。

 

でも、相模と戸部しかいない大学とかあたし無理なんだけど……。

 

実際はさすがにそんなことはなく、騒いでる中心が相模と戸部みたいな人なだけだった。

 

だから彼も、それなりに世間話ができる程度の人とは知り合うことができたようだ。

 

あたしもどこか海老名に似た匂いを感じる人と話せる程度にはなった。

 

わけのわからないことを言わない分、海老名より楽って思ったのは内緒。

 

翌週から講義が始まる、という最後のオリエンテーションの日。

 

いつものように彼と並んで座っていると、よく知らない男子二人組から声をかけられた。

 

「川崎さん……だよね?今日同じ学部の奴主体で新歓コンパやるんだけど、よかったら来ない?」

 

爽やかでいて、別にチャラチャラもしてない、誠実そうな人に見える。

 

物腰も柔らかく、顔も優しそうでかっこいい部類だろう。

 

あたし以外の女の子はきっとこんな人が好きなんだろうな。

 

あたしにとってはキラキラしていて鬱陶しいだけなんだけど。

 

心の中で葉山二号と名付けた。

 

「川崎さん超かわいいよねー、いやーマジ来て欲しいわー」

 

こいつは戸部二号でいいや。

 

新歓コンパねぇ……。

 

そんなのあたしは得意じゃないし、行きたいわけじゃないけど最初だしな……と思いつつ彼を横目で見る。

 

「……別に、いいんじゃねぇの。行ってくれば」

 

やっぱりそういう返答になるかー。

 

じゃあ、あたしも行かないでいいかな。

 

「あ、あんたが行かないならあたしもいいや……。ごめんね、今日はやめとくよ」

 

同じ学部だろうけどよく知らない葉山二号と戸部二号に断りを入れる。

 

「じゃあ、比企谷君?も来ないか?元々誘おうと思ってたし」

 

うわぁ、嘘っぽい……。

 

でも、来てほしいなと思うあたしがいる。それならあたしも行ってみるのに。

 

二人で食事なんかはまだ難しいけど、こういうみんなもいる機会ならさほど無理なく一緒にいられるかもしれない。

 

食事の好みなんかも一切知らないままだしさ。

 

「あー、いや、俺は……」

 

「い、いいじゃん比企谷。最初なんだしさ、行ってみない?」

 

断ろうとする彼の言葉を遮る。

 

不自然じゃなかったかな……。

 

「お前がそう言うなら、最初だし、まぁ……」

 

「よかった。じゃあ比企谷君と川崎さんも参加だね」

 

「うぇーい、比企谷君も仲良くしようぜー。川崎さんも来てくれてテンションあがるわー」

 

「後で集合時間と場所伝えるから、じゃあまた」

 

「お、おお……」

 

「わかった」

 

葉山二号と戸部二号はあたしたちの前から颯爽と姿を消した。

 

無駄とそつのなさとか、ほんとに葉山っぽいな……。

 

「……おい」

 

「な、なにさ」

 

「お前、そんなの行きたがる奴だっけ」

 

「全然そんなことないけど……。さ、最初だしさ。話せる人は増やしておいて損はないじゃん」

 

「ふーん……まぁそうだな。でもお前、あんな葉山二号と戸部二号みたいなやつらと仲良くできんのかよ」

 

驚いた。なんで同じあだ名つけてんの。

 

「あんたもそう思った?」

 

「なにがだ」

 

「葉山と戸部っぽいって」

 

「お前もそう思ったのか?」

 

首を縦に振って同意する。

 

「だよな、顔は違うけどまんまだよな。話聞いてて笑いが出そうになったわ、量産型なのかあいつら」

 

「あっははっ、笑わせないでよ」

 

「……普通に笑えるんだな、お前」

 

「あんた、あたしをなんだと思ってるのさ……」

 

「や、あー、すまん、初めて見た気がしてな」

 

そっか。あたしいつもぶっきらぼうな顔してたから。

 

照れ隠しにそうしてることが多かったと思うけど……。

 

彼の前で普通に笑えたのって初めてかもしれない。

 

「あ、違うわ。弟からのメール見てニヤニヤしてるの見たな」

 

「なんで覚えてんのよそんなこと……ていうかニヤニヤなんかしてないから」

 

「いや、超してたから」

 

「……してない」

 

恥ずかしいからもうやめて、と思いを込めて睨んでみる。

 

「……はい、すみませんでした」

 

「あたし、そんなに怖い……?」

 

「いや、女子に睨まれると抵抗する気がなくなるというか……」

 

こいつって、付き合ったり結婚したりしたら尻に敷かれるタイプっぽいなぁ。

 

……やっぱ専業主夫向いてるのかも?

 

「……ふふっ」

 

「なんだ、いやに機嫌いいな」

 

「そうかもね」

 

この大学に来て、彼も来てくれて本当によかった。

 

まだ数日なのに、既に高校の時よりも話してる気がする。

 

あたしの知らないところを、まだまだたくさん知りたい。

 

あたしにもいろいろ見せてよ、比企谷。

 

新歓コンパの場所を聞き、彼と一緒に待ち合わせの場所へ向かったが、少し早すぎたので近くのカフェで時間を潰すことにした。

 

落ち着いた雰囲気の静かな店内で、二人隣り合って窓に面したカウンター席へ座る。

 

彼は文庫本を取り出して読み耽っている。

 

あたしは何をするでもなく、肘枕をして外を眺める。

 

会話はない。

 

けど、別に会話がないことを彼もあたしも特に気にしない。

 

お互いしゃべりが上手いわけでもないし、沈黙が苦手でもないから。

 

あ、そうだ。今日は遅くなるって大志に連絡しとかないと。

 

 [今日はご飯食べて帰るから遅くなる。晩御飯よろしくね。]

 

すぐに返事が帰ってきた。大志、暇なの?

 

[りょうかーい。姉ちゃんデート?]

 

[バカ。違うよ、学部内での親睦会。]

 

[比企谷さんのお兄さんはいるんでしょ?]

 

[いるけど?]

 

[姉ちゃん、頑張って!]

 

[うるさい。あんたもしっかりやんな。]

 

短いメールのやり取りをして終えると、本から目を上げた彼がこっちを見ていることに気が付いた。

 

「……なに?」

 

「弟?」

 

「そうだけど……」

 

「やっぱブ……家族思いなんだなと。楽しそうだ」

 

「べ、別に……」

 

彼は言うだけ言ってまた本を読み始めた。

 

そういうこと言われると、ほんと調子狂うからやめて欲しい。

 

さっきまで気にならなかった沈黙が気まずいものに感じられて、話すべき言葉を探してしまう。

 

「き、今日って、お酒出ると思う?」

 

「まぁ出るんじゃねぇの。新歓コンパだろ?俺も知識としてしか知らんが、普通に出るだろ」

 

「あんた飲めるの?」

 

「たぶん無理。家でちょっと飲んだことがあるだけだ。お前は?」

 

「あ、あたしも無理……。バイトしてたときちょっと飲んだことあるけど、甘いカクテルみたいなのならいけるかも……ぐらい」

 

「そうか、じゃあ俺と変わらんな。つーか、ビールって旨くねぇよな」

 

「うん、なんでみんなあれ飲むのかな……」

 

「俺はあれを旨く感じ始めたら社畜への一歩を踏み出すんだと思ってる」

 

「は?何言ってんの?」

 

「……まあいいや、そろそろ行くか」

 

「あ、もうそんな時間なんだ。行こうか」

 

二人で席を立つと、彼は当然のようにあたしのカップも持って返却口へ向かう。

 

たぶん、あたしに気を使ってそうしているわけではない。

 

当たり前にそういうことができる人なだけ。それだけ。

 

そう思ってるはずなのに、恥ずかしくなるぐらい嬉しい。

 

あたしは家族に対してもそういう風に気を使う側で、使われることには慣れてないから。

 

大学生にもなって、我ながらなんて奥手なんだろう。

 

「あ、ありがと……」

 

聞こえるか聞こえないかぐらいの声でお礼を言う。

 

そのあと彼の口も動いたのはわかったけど、なんて言ったのかは聞こえなかった。

 

あたしの声は聞こえてたみたいだけど、ちゃんと伝わってるといいな。

 

集合場所に向かうと大量の学生たちが既に集まっていた。

 

新歓コンパと言うだけあって、学年が上の先輩達も混ざっているようだった。

 

集団で店内に入り、ガヤガヤとしていて落ち着かない雰囲気の中、彼はごく自然に一番端に座る。

 

そしてあたしは自然とその隣に。

 

いや、知らない人に囲まれると嫌だし、彼が一人になるのは目に見えてるし、この席は当然だよね。

 

他の人は、と見てみると同じ学部である男女が牽制し合いながら、誰がどこに座るかでキャーキャーと騒いでいる。

 

はー、大変そう。みんながんばれー。

 

大学生らしい、と思われる光景を無の境地で眺めていると隣で呟きが聞こえた。

 

「やっぱこういうの合わねぇわ、俺……」

 

「……あたしも」

 

「でも今さら帰るわけにもいかねぇよな」

 

「適当に食べて、途中で抜けようか?会費はもう払ってるしさ」

 

「そうだな。こんだけいれば途中で抜けてもわかんねぇだろ」

 

二人で今後の予定を立てたところで全員が席につき終えたようだ。

 

ビール以外の人ー、と声をあげていたが、あたしも彼も特に注文はしなかった。

 

聞かなくてもわかる。わざわざ頼む方が面倒だからだ。

 

その後、幹事らしき人物が空元気としか思えない陽気さで乾杯の音頭をとり開始が告げられると、途端に騒がしくなった。

 

みんな普通に飲んでいるので、その流れで注がれたビールに口をつける。

 

「……苦い」

 

「無理に飲むことねぇよ、残しとけ。それぐらいなら俺飲むから。お前は何飲む?」

 

そう言って彼はあたしに飲み物のメニューを渡してくれた。

 

ウーロン茶でもよかったんだけど、少しぐらい飲む練習もしておこうと思って何か甘そうなものを探す。

 

「うーん……カシスオレンジにしようかな……」

 

「おお、わかった。すんませーん」

 

彼は店員を呼んで、あたしの注文までしてくれた。

 

な、なんのつもり……?

 

あたしはそんなことぐらいで…………いや、凄く嬉しいです……。

 

でも、こんなの誰からでもってわけじゃないんだよね。

 

ということは、やっぱりあたしは彼のことが好き、なのかもしれない。

 

こんな気持ちは初めてだから、それでいいのか正直よくわからないんだけども……。

 

甘いカシスオレンジに安心してチビチビと飲んでいると、彼が箸に手も付けていないことに気が付いた。

 

そうか、そこの位置からじゃ少し動かないと料理に手が届かないんだ。

 

「……料理、取ったげるよ。何がいいの?」

 

「お、おお……。悪いな。適当に取ってくれ」

 

テーブルに置かれたサラダとだし巻き玉子、お刺身を小皿に取り分け、なるべく綺麗に盛り付けて渡す。

 

「はい。こんなもんでいいかな」

 

「あ、ありがとう……。なんかあれだな、慣れてるな。お前もおかん属性持ちなの?」

 

「あ、あー……家でもこんな感じではある、かな」

 

「そうか、まだ小さい妹いたんだよな。さーちゃんだっけ、可愛いかったな」

 

「なっ、ばっ……沙希はあたしなんだけど……」

 

「え、あ?沙希だからさーちゃんか……。間違えた、すまん……」

 

二人とも顔を赤くして俯く。

 

そんな恥ずかしい間違いしないでよ……しかも可愛いとか。京華のことを言ってるってわかってるけどさ。

 

彼は口を開くのを諦めて箸に手をつけ、あたしが取ったサラダを食べ始めた。

 

そして取り皿にトマトだけが残される。

 

「な、なに。もしかしてトマト嫌いなの?」

 

「嫌いというか……苦手」

 

「……子供?おいしいのに。はぁ、食べたげるよ」

 

「ちょ、おい……」

 

彼の目の前の取り皿に箸を伸ばし、トマトを奪う。

 

彼は顔を背けて頭をガリガリ掻いている。

 

か、間接キスだとか思ってるの?

 

気にしすぎだよ……。

 

あたしも大概だけど、彼も負けず劣らず奥手でそういったことには慣れていないようだ。

 

彼のそのうぶな反応に、少しだけ安堵する。

 

「あんれー?もしかして川崎さんと比企谷君って、付き合ってる系?」

 

席を移動した戸部二号が話しかけてきた。

 

「ちげぇよなんでだよ……。どこ見てそう思ったんだ」

 

彼はあっさり否定する。まぁ事実だし仕方ないかな。でもちょっとだけ寂しい。

 

「や、だってさ、川崎さんが仲良さそうにしてるの比企谷君だけじゃん?」

 

「あ、あー。あたしとこいつ、同じ高校なんだ。だから」

 

「あーそうなんだ。でもそんなら川崎さんフリー?俺っちも狙っちゃっていいわけ?」

 

「や、フリーだけど、それはちょっと……」

 

「えー!もう振られた!でも川崎さん可愛いし目立つから、密かに狙ってるやつたくさんいんよ?」

 

「そ、そうなの?」

 

周りを見てみると、ちらちらとこちらに目線を向けて、会話を聞きたそうにしている男子が何名かいるような気がした。

 

「……よかったな、モテモテで」

 

「はぁ?全然よくないし。あ、あたしはあんたに……」

 

こんなところで一体何を言おうとしているのか。

 

言うのは踏み留まれたけど、二人で顔を見合わせて固まってしまった。

 

「……やっぱなんかいい感じじゃね?比企谷君羨ましいわー」

 

「ばばば馬鹿ちげぇってそんなの」

 

「ははっ、まぁ頑張ってねん。じゃあ俺あっち行くわー」

 

戸部二号はまた席を移動していった。

 

それから彼は旨くねぇとか文句を言いながらもビールを飲んでいたようで、だんだん顔は紅潮し目も充血してきた。

 

あたしも顔が熱い。酔ってるのかな……。

 

「あんた、大丈夫?目も顔も凄い赤いよ」

 

「……ペース間違えたかもしれん。体が痛くなってきた」

 

「トイレ行く振りして、そろそろ抜けようか?」

 

「……そうだな。一緒に出るとあれだし、俺先に出て待っとくわ」

 

彼は騒がしくなったタイミングを狙って、目立つことなくすっと消えていった。

 

さすが比企谷。空気になることには慣れている。

 

一人になったのであたしも席を立つタイミングを狙っていると、空いた隣に知らない男子が移動してきた。

 

いつの間にか正面も女子から知らない男子に変わっている。

 

「川崎さんだよね、初めまして」

 

そして、四方から質問責めにあう羽目になった。

 

高校どこなの?どこ出身?血液型は?好きなタイプは?彼氏いるの?

 

…………疲れる。

 

いきなりあまり無碍にするのもよくないかなと、適当にいなしながら応対をしていると携帯が振動した。

 

彼からだ。初めてのメール。

 

[まだか?しんどくなってきたし、出れないなら先帰っていいか?]

 

待って待って、しんどいならあたし付き添うから……。

 

「ごめん、弟に呼ばれたからあたし帰るね」

 

嘘をついて席を立つ。

 

周りからざんねーん、川崎さんまた行こうねとかいろいろ声を掛けられたので、あたしもまた今度ね、と返答する。

 

もう大学生だし、一応そのぐらいの社交辞令はしておかないとね。

 

店を出て姿を探す。いた。小走りで彼の元へ向かう。

 

「ごめん、待たせて」

 

「おせぇよ。何してたんだ?」

 

「いや、あんたがいなくなってからずっと話しかけられてて、席を立つタイミングが……」

 

「モテモテだな。俺、邪魔じゃねぇのか?」

 

「いや、逆。いてくれたほうが、助かる……」

 

「……男避けに?」

 

「それもあるけど……。あたしは、あんたと居る方が自然で、居心地がいいし……」

 

あれ、なんか素直に言えた……。

 

酔ってるせい?きっとそうだ、そうに違いない。

 

「……あ、そ。帰るか」

 

彼の反応はそっけない。

 

あたしにとっては結構重要な発言だったのに。

 

並んで歩き始めたが、彼の足取りは微妙に覚束ない。

 

「大丈夫?ふらふらしてない?」

 

「頭いてぇ……」

 

「顔色も悪いよ……。そんなになるほど飲んでたっけ?」

 

「いや、たぶん、緊張してたのかもしれん。あんな状況で酒飲むなんて初めてだったし……」

 

「そっか」

 

彼に合わせてゆっくり歩いていると、気が付けば周りはなにやらきらびやかで派手なネオンが目立つ、いかがわしい通りになっていた。

 

いわゆるラブホ街だ。

 

二人とも無言で足だけを動かしていると、彼が不意によろけたので慌てて身体にしがみついて支える。

 

「ちょっと、ほんとに大丈夫?歩ける?」

 

「あー、大丈夫……。すまん」

 

横のホテルにちらっとだけ目をやり、息を飲む。

 

「ちょ、ちょっと、休憩、してく?」

 

「……す、するわけねぇだろアホか。酔ってても頭は正常だぞ俺は」

 

ぎゃああああなに言ってんのあたし!

 

酔ってるせいだ絶対そうだ間違いない。

 

怖い、お酒の力って怖い!

 

「じゃ、じゃあ行くよ」

 

「一人で歩ける……」

 

「わかった……」

 

支えていた手を離して、また並んで歩き始める。

 

てっきり駅に向かうと思っていたのに、途中で彼が立ち止まった。

 

「じゃあ俺、こっちだから」

 

「あれ?そうなの?」

 

「ああ、一人暮らししてんだよ」

 

「そうだったんだ……知らなかった」

 

「私大だったら実家から通ってたけどな」

 

「ふーん、なるほどね」

 

「じゃあまたな」

 

「うん、またね」

 

離れていく彼を見送っていると、やはりまだ足取りが怪しい。

 

大丈夫かな、ほんとに……。

 

ついてったほうが、いいかな。いいよね?危ないしさ。

 

ふらふらしながら離れていく彼を追いかける。

 

「なんだよ」

 

「危ないよ、やっぱり。家まで送る。途中で倒れられても困るし」

 

「そうか……すまん……」

 

余計なお世話かも、とも思ったけど、彼は素直に受け入れてくれた。

 

どうやら想像以上に弱っているらしい。

 

「あんたの家、薬とかある?」

 

「なんもねぇな」

 

「じゃあ途中コンビニ寄るから」

 

「すまん……」

 

「謝ってばっかだね、あんた。そんなに気にしないでよ」

 

コンビニで水とウコンを買って、彼の家へ向かった。

 

ウコンは飲んだ後でも多少効くって聞いたことがある。

 

「……ここだ。着いたぞ」

 

「結構良いとこだね。綺麗じゃん」

 

「おお、ありがとなわざわざ。ここでいい……うぇっ」

 

「ちょ、駄目じゃん。もう部屋まで行くよ」

 

「うぅ……」

 

彼に寄り添うようにして階段を昇り、鍵を開けて部屋に一緒に入った。

 

な、なんか緊張するな……。

 

ワンルームの部屋で、小さなキッチンとお風呂、トイレがある。

 

部屋には押し入れがあり、ベッドにテレビ、パソコンが置いてある。片付いてはいるけど殺風景な印象だ。

 

彼はそのまま部屋に入りベッドまでいくと、すぐに横になってしまった。

 

「うぇー……気持ちわりぃ」

 

「吐けるんなら吐いたら?楽になるよ。あ、これ飲みなよ」

 

「何から何まで、ほんとすまん……。すげぇ助かる」

 

「い、いいよ別に。慣れてるから……」

 

彼は起き上がってウコンと水を無理矢理に飲むと、また横になる。

 

うーん、いつ帰るべきかな……。タイミングがよくわからなくなってしまった。

 

手持ちぶさたになりボーッと悩んでいると、彼がのそっと起き上がった。

 

「……吐きそう」

 

「ちょっと、こっち」

 

手を取って立ち上がらせると、そのまま引いてトイレに向かう。

 

便器に向かってえずく彼の背中を優しくさする。

 

背中、妹とか弟と違って大きいな。

 

彼は吐くものを吐いてしまうと、涙目で弱々しく口を開く。

 

「……みっともないとこ見られちまったな」

 

「弱ることぐらい、誰だってあるよ。いいから、うがいして顔洗いなよ」

 

「……ありがとな、川崎」

 

「ど、どういたしまして」

 

素直にお礼を言われて心が少し舞い上がる。

 

よ、弱ってるときは優しさが身に染みるもんだよね。

 

だからそんな風になっちゃうよね、うん。

 

彼はあたしに言われた通りにうがいして顔を洗い、ベッドに腰掛けると少しだけ落ち着いた顔色に戻っていた。

 

「はー、ちょっと楽になった……。川崎、適当なとこで帰れよ。俺寝るかもしんねぇし」

 

「うん。まだそんなに遅くないし、もうちょっといて大丈夫そうなら帰るよ」

 

「そうか。あ、俺寝てたら鍵かけて帰ってくれ。これ合鍵」

 

「え?合鍵そんな簡単に渡していいの……?なんか判断力低下してない?」

 

「別にお前ならそんな悪さしねぇだろ……。来週大学で返してくれりゃいいよ。うぁー……体いてぇ、だりぃ」

 

「そ、そう。わかった」

 

信用されてる……ってことでいいのかな。

 

なんかいまいち意図が掴めない。

 

でもたぶん、彼のことだから深い意図はないんだろうな。

 

鍵の心配はなくなったし、せっかく彼の部屋に来たんだし、もうちょっとだけ一緒にいよう、かな。

 

二人だけの時間って、これまでなかったし。

 

そういえば一人暮らしで、ご飯ってどうしてるんだろう。

 

専業主夫とか言うぐらいだし、自炊してるのかな。

 

でも大学ではいつも学食に行ってるし。

 

そうだ、一人暮らしだとお金もかかるだろうし、お弁当作ってあげようか。

 

彼女でもないのにそんなことするなって言われるかな。それとも喜んでくれるかな?

 

ちょっと怖いけど、聞いてみよう。

 

「ひ、比企谷。よかったらお弁当……」

 

彼のほうに目を向けると、既に寝息を立てていた。

 

「……寝るの早いよ、バカ」

 

小さな愚痴を呟いて、掛け布団をそっとかける。

 

でも間抜けな顔で寝てる彼を見ていると、少しだけ心が安らいだ。

 

……もうちょっとだけ、眺めてから帰ろっと。

 

「川崎。おい、川崎」

 

肩を揺さぶられている。

 

ん……寝てたのか、あたし。ここどこだっけ……?

 

頭を上げるとすぐ横に彼の顔があり、驚いて一気に目が覚めた。

 

「うわわっ。お、おはよ」

 

「おはよう、じゃねぇよ……。もうとっくに終電ねぇぞ」

 

「ん?あ、え?今何時?」

 

「2時過ぎ」

 

「え、えー!?がっつり寝てるじゃんあたし……」

 

「いやまぁ、俺も寝てたしな……」

 

「まぁいいや……。始発で帰る。あと3時間ぐらいだし」

 

「おお、そか……。まぁ適当にくつろいでくれ」

 

「うん……」

 

まだだるそうな彼ととりとめのない話をしながら時間を潰していたが、話すことがなくなると次第に二人とも口数が少なくなっていき、気がついたら二人ともまた寝ていた。

 

あたしも酔ってたんだろうな、やたら眠かった。

 

あたしが再び目を覚ますと始発の時間が近づいていたので、帰るつもりで立ち上がる。

 

うー、机に突っ伏して寝てたからか、体が痛い……。

 

全身で伸びをしながら、寝ている彼の顔をもう一度眺めた。

 

顔色はよくなってるし、もう安心かな。

 

規則正しく寝息をたてる彼の耳元にそっと顔を寄せ、声にならない声で囁く。

 

「……じゃ、帰るね。あんたがよければだけど……また、来たいな」

 

返事はないけど一人で顔を赤くしながら扉に鍵をかけ、彼の部屋を後にした。

 

「……ただいま」

 

まだみんな寝ているであろう、静まり返った家の扉をくぐる。

 

朝帰りなんて、バーでバイトしてた頃以来だ。

 

「……おかえり姉ちゃん。遅かったね、というかいきなり朝帰りって凄くない?」

 

大志が目を覚ましていた。

 

服を脱いで着替えながら話を続ける。

 

「バカ。違うよ、寝過ごして終電逃しただけだし」

 

「寝てたって、どこで?」

 

「……あいつの家」

 

「え、あいつって、お兄さんだよね?マジか姉ちゃん……」

 

「だからなんもないって言ってんでしょ」

 

「いやいや、姉ちゃんも年頃なんだからさ……。別になんかあっても気にしないってば。ていうか頑張ってよ、そのほうが俺にとっても都合いいし」

 

「は?なんで大志に都合がいいのさ」

 

「……比企谷さんと、繋がり、できるじゃん」

 

「あ、あー?あいつの妹?あんた本気だったの?」

 

もう大志も高2なんだよね……。

 

あたしと彼が同じクラスになった年と同じ、か。

 

まだ小さい弟だと思ってたのに、もう、男の子なんだな。

 

「割と本気だよ。まだ全然相手にされてないけど……。でも今年は同じクラスだから、チャンスかも」

 

「大変なのは当たり前でしょ。だって、あいつの妹なんだし」

 

「……言えてる。ってことは姉ちゃんも大変なんじゃない?」

 

「大変だけど、楽しいし。まぁ……」

 

「ほら、やっぱ姉ちゃんも好きなんじゃん」

 

「……っ!大志、あんたね……」

 

誘導尋問に引っ掛かったのあたし?生意気な……。

 

「言わないから大丈夫だよ。じゃ、俺のためにも頑張って。おやすみー」

 

「うるさい……。さっさともっかい寝な。おやすみ」

 

はー……やっぱり、好きなのかな。きっとそうなんだろうな。

 

高校のときはわけわかんなかった気持ちだけど、最近になって彼に近付いてみると少しずつどういうものかわかってきた気がする。

 

今度お弁当のこと、ちゃんと聞いてみよう。

 

来週から講義も始まるし、いよいよ大学生って感じになりそうだ。

 

高校よりも長い大学生活。

 

彼とこれからも仲良くやれるといいな。

 

ふと、単純に、そう思った。

 

☆☆☆

 

翌週、大学最初の講義前。

 

いつもの席に座っていると彼がやってきた。

 

「おはよ、比企谷。あれから大丈夫だった?」

 

「おお、おはよ。頭痛かったけどまぁ、なんとか……。もう飲まねぇぞ俺は」

 

「ふふっ。そうだね、あんたはその方がいいかもね」

 

「つーか、ああいうのももう行かねぇ。そもそもあんなの俺には合わん……危ねぇし」

 

「ま、そうだね。高校のときバーでバイトしてたあたしが言うのもアレだけど……。あ、合鍵返しとくね」

 

ついでに借りていた合鍵を取り出して渡していると、戸部二号が後ろから話し掛けてきた。

 

「っはよーす。やっぱ川崎さんと比企谷君、付き合ってんじゃーん」

 

はぁ?朝からいきなりなに言ってんのこの人。

 

「あ?だから違うつっただろこの前」

 

「いやでも、噂になってんよ?」

 

「噂ってなに?あたしなんかやったっけ?」

 

「あ、いや、俺っちが聞いたのは、二人がラブホの前で抱き合ってたとか、なんとか」

 

……あれか。誰かに見られたの?

 

うっわ、すっごい恥ずかしい……。

 

あたしも彼も、その切り取られた光景に覚えがないわけでもないので、おもわず言葉を失くして黙り込んでしまう。

 

「あれ、やっぱマジなん?そっかー残念。あ、それとも付き合ってねーんならあの夜だけってことなん?」

 

は、はぁ?そんなことしそうな人に見えるの?

 

あたしとか、比企谷が。

 

ていうかなんでこいつ、別に仲良くもない相手に平気でそういうこと言えるの?

 

やっぱ戸部みたいな人は理解できないな。

 

あ、戸部じゃなかった。けどもうどうでもいいや。

 

……なんか言い返すのも面倒になってきた。

 

「いやもう、何から何まで全然違うとしか……。おい、川崎もなんか言えよ」

 

「いや……なんかもう、訂正すんのも面倒で……」

 

「……確かにめんどくせぇな。誤解って解けねぇもんだし」

 

「なにそれ。体験談?」

 

彼のそんな噂は別に聞いたことないけど。

 

「昔、俺が女子に心ない罵詈雑言をぶつけた極悪人だとか、そういう話聞いたことあんだろ?」

 

「あ、あー。2年の文化祭の後のこと?」

 

「おお、それそれ」

 

「あれ誤解なの?」

 

「…………よく考えたら誤解でもねぇな。酷いこと言ったのは事実だし」

 

「ふーん……。でもまあ、あんたのことだからそうしないといけない理由があったんでしょ。あんたが理由もなくそんなことするはずないし」

 

「……な、なんなのお前。そんな無条件に信用できるほどいいやつじゃねぇぞ俺は」

 

「いや、ていうかさ……あんたそもそも他人にあんま興味ないんだから、いくらムカついても理由がなきゃわざわざ面と向かって悪口なんか言わないでしょ。面倒だし」

 

「……まぁ、合ってるな」

 

「でしょ?」

 

「なんか気に入らん……。勝手にわかった気になられると」

 

「は?あんたのことなんか全然わかんないよ、あたしには……。ほんとムカつくぐらいわかんない」

 

「それでいいよ。わかられたいとか思ってねぇ」

 

「……あっそ」

 

でもあんたがわかられたくなくても、あたしは比企谷のこと、もっとわかりたいよ、知りたいよ。教えてほしい。

 

少しだけ空気が冷たくなり話が止まると、戸部二号が後ろから恐る恐る声をかけてきた。

 

「あんのー、俺っち、無視されてる?」

 

うわびっくりした、まだいたんだ。

 

「あんたまだいたの?」

 

「お前まだいたのか」

 

あたしと彼が同時に口を開いてハモる。

 

「二人ともひどくね?でもあれじゃん、二人息ぴったりじゃん!やっぱあれだべ、付き合ってんべ!?」

 

「はぁ……」

 

「はー……」

 

また二人同時にため息を吐く。

 

彼の顔を見ると、彼も同じことを思ったのか目が合ってしまった。

 

「ふふっ」

 

「……ははっ」

 

同じ反応をしてしまうのが可笑しくて、つい笑みがこぼれる。

 

「なんだよー、イラッとするもん見せつけられたわー。じゃあ俺もう行くわ」

 

戸部二号はなにかを諦めて葉山二号の所へ戻っていった。

 

先ほどの冷たい空気はもう和らいでいる。

 

ちょっと確認しておこう。

 

「あ、あんたはいいの?あんな噂されても……」

 

この手の噂は大学でもあるもんなんだね。

 

まぁそれはそうか。つい最近まで高校生だったんだし。

 

でも、あたしがこんな噂の対象になるなんて初めてだ。

 

あたしは基本、話しかけてくる男子にはそっけないから、そういう噂になることはこれまでなかった。

 

よく知りもしないのに無責任なことを言われるのは嫌なもんだね、やっぱり。

 

「俺はまぁ、別に……ただの噂だし。ほっときゃ収まるだろ。お前こそいいのかよ」

 

「あたしも別に……。変な男も寄ってこなくなるだろうし、問題ない、かな……」

 

「……そ、そうか。ならこれまで通りでいいか」

 

「う、うん。いいんじゃ、ないかな」

 

とりあえず、意識し過ぎないようにしよう。うん。

 

ほんとは噂じゃなくて事実にしたいけど……。

 

それからなんとなく、なんの講義を選択するのか聞いてみると、相談したわけでもないのにあたしと全く同じだったのには驚いた。

 

彼曰く、先に単位取れるだけ取っときゃ三年四年で楽できるだろ、ということらしい。

 

あたしも同じ考えだ。

 

こう見えて勉強は真面目にやるし、優秀なんだよねこの人……。

 

というか、さっきも思ったけど。

 

あたしと彼はたぶん、根っこのところが似通っているんだろう。

 

あたしが男だったらきっと彼みたいになってるし、彼が女だったらたぶんあたしみたいになってる。

 

そんな気がする。

 

そんな似た二人が近づいたとき、どんな反応が、変化が起こるんだろう。

 

近しい他人に親近感を抱くのか。

 

自分と似た他人に同族嫌悪を抱くのか。

 

少なくとも今のあたしは前者なんだけど、彼はどっちなのかな。

 

前者だと、いいな。

 

講義が始まると、やはり大学生らしいなと実感し始めた。

 

ついていけないというわけではないけど、これ、なんの講義なの?というような抽象的な内容のものもあって戸惑うこともあった。

 

そしてなんの講義であっても、そこが指定席であるかのようにあたしと彼はいつも並んで座っていた。

 

だから、あたしたちが否定しなかったせいもあるけど、あたしと彼が付き合っているということは、もはや噂というより、周りからすれば完全に事実と受け取られているような気がした。

 

でも実際は別に会話をずっとしてるわけじゃないし、移動もバラバラ。ご飯だって別々に食べてる。

 

けど、ちょっとした講義についての会話や、次の予定を気楽に話せる相手がいるのは助かったし、嬉しかった。

 

彼もきっと、たぶん、そうだと思う。

 

そんな風にして、特に問題も進展も後退もなく二週間程が過ぎたある日。

 

唐突に思い出したことがあったので彼に聞いてみた。

 

「あのさ比企谷」

 

「なんだ?」

 

「お昼ってどうしてんの?」

 

「学食行ったりとか、売店でパン買ったりとかだな」

 

「ふーん。お弁当作ったほうが安いんじゃない?」

 

「うまくやればそうかもしれんが……自分の作るとかめんどくせぇよ」

 

あのとき聞けなかったこと、言えなかったこと。

 

今言ってみよう。

 

「な、ならさ、あたしが、お弁当作ってきたげよっか?」

 

「あ?いいよそんなん、悪いし。それに作ってもらう謂れがねぇ」

 

「そ、そっか。そうだよね。ごめん、忘れて」

 

彼女でもないのにそんなことするのは、やっぱり変だよね。

 

喜んでもらえるかもとか思っちゃったことが恥ずかしい。

 

付き合ってるとか、周りから勝手に思われてるだけで全然事実じゃないのに。

 

なにを勘違いしてるんだろう、あたし。

 

「……つーかな、あんときの借りがあるから、そういうのなんか、返さないといけないのは俺のほうだろ」

 

「借り?あたしなんかしたっけ?」

 

「酔っ払ったとき介抱してくれただろ」

 

「あー、あれか。別に介抱ってほどのことはしてないよ」

 

「いや、あれは介抱だろ……どんだけ世話好きなんだよお前。とにかくあれは借りだ。だから返す。なんかねぇか?俺が弁当作ってきてやろうか?」

 

比企谷の作るお弁当か……。

 

興味ないことはないけど、女子が男子にお弁当作らせるってどうなのそれ……。

 

たぶん、いや絶対変だよね。

 

だからお弁当作ってもらうのは、せめてあたしのお弁当を食べてもらった後にしたい。

 

「い、いやそれは遠慮しとく……」

 

「なんだよその、遠慮ってのは……。それなりに食えるもんは作れると思うんだけどな」

 

「腕を疑ってるわけじゃなくて、その……それはまたの機会で」

 

「おお……。んじゃ他になんかねぇのか?…………か、買い物付き合うとかでも、いいぞ」

 

「そ、そうなの?あー、じゃあ、なんか考えとく……」

 

「そうか、じゃあ決まったら教えてくれ」

 

予想外の展開になった。

 

あたしが彼に、なにかを付き合ってもらう権利を得たらしい。

 

彼からすれば借りを返すだけ、らしいけど大事にしよう。

 

捻くれてるし素直じゃないから、そんな言い方しかできないだけかもしれないしね。

 

うーん、なにがいいかな。

 

…………あ。

 

そういえば京華が……。

 

「ねぇ」

 

「ん?」

 

「遊園地でも、いい?」

 

☆☆☆

 

借りのお返しはあたしと京華と、三人でディスティニィーランドに来ることにしてもらった。

 

小学生になった京華から、連れていってほしいとせがまれていたからだ。

 

京華も一緒、と言うと彼は少しだけ安心したような表情を見せた気がした。

 

ちょっと複雑だけど、あたしと彼の距離の詰めかたはゆっくりじゃないといけないよね。

 

急にってのはあたしも無理だし……。

 

ここに決めた理由はもうひとつある。

 

それは、ここならお弁当を作ってきても不自然じゃないから。

 

なので昨日はお弁当作りで悩み、予想外の格闘をすることになってしまった。

 

いや、味には自信あるし、問題ないんだけど……ちょっと、見映えで……。

 

もう、比企谷が悪いんだよこれは。

 

赤の彩りにプチトマトを使おうと思ってたのに、トマト嫌いとか言うから。

 

仕方なく赤ウインナーを買ってきて赤色の代用とした。

 

あとはまぁ、卵焼きとか定番のもの。

 

大したものじゃないけど、喜んでくれるといいな。

 

待ち合わせ場所の舞浜駅で京華と手を繋いで待っていると、いつもの不機嫌そうな顔で彼が歩いてくるのが見えた。

 

「あ、はーちゃんだ。おはよー」

 

「おはよ、けーちゃんしばらく見ないうちに大きくなったなー」

 

「おはよ。行こっか」

 

「おお、行くか。つかけーちゃん、俺のことよく覚えてたな」

 

「うん。さいきん、さーちゃんがよくはなしてくれるよ」

 

「こ、こらっ!けーちゃんっ、余計なこと言わないのっ」

 

「?」

 

京華は可愛く首を傾げている。

 

まぁさすがにまだわかんないか……。

 

「お前、家で俺のことなんて言ってんの……ちょっと怖いんだけど」

 

「べ、別に悪口とかは言ってないから……」

 

「そ、そうか」

 

なんか照れ臭くて俯き加減で歩いていると、あたしと手を繋いでいる京華が彼に話しかけた。

 

「はーちゃんも手つなごうよ」

 

「おお、いいぞー」

 

京華は反対の空いた手を彼と繋ぐと、二人の真ん中で上機嫌に両手をぶんぶん振り始めた。

 

な、なんかこれって……いや、想像が飛躍しすぎだから。

 

調子に乗らないようにしないと…………ああもう、やっぱ無理。

 

なんかすっごい恥ずかしい!

 

彼はあまり気にしていないように見えたけど、よく見たら目が泳いでいた。

 

もしかして同じようなこと考えてたりして。

 

チケット売り場に辿り着き、三人で仲良く並ぶ。

 

「ね、ねぇ。あんたここよく来るの?」

 

「よくは来ねぇな……人多いの好きじゃねぇし」

 

「そっか」

 

会話が途切れ、間が空いたと思ったら京華が口を開く。

 

……空気読んでるの?

 

「さーちゃん、たのしみだねー」

 

「そうだねけーちゃん、楽しみだねー」

 

「お前、普段からそうしてりゃもっと友達もできるだろうに……」

 

「できるわけないでしょそんなの……」

 

「ま、それもそうだな。大学での普段のお前も、それはそれで……。俺はそっちのが楽かもしれん」

 

「そ、そう?…………ありがと」

 

最後のお礼は聞こえるかどうかわからないほど小さな声になった。

 

そっか。あたしこのままでもいいのかも。

 

楽だって言ってくれる人がいるんだしね。

 

ランドの中に入ると、はしゃぐ京華に二人とも連れ回されていろいろなアトラクションに向かった。

 

と言ってもそれなりの人の多さだったので行列に並んでいる時間も長く、それほど多くは乗れない間にお昼御飯の時間が訪れた。

 

「なぁ、そろそろ飯にしようぜ。何食う?」

 

「あ、お弁当、持ってきたから……」

 

「……一応聞くけど、俺のもある?」

 

「あ、当たり前でしょ……。あたしとけーちゃんの分だけとか、どんな嫌な人なの」

 

「そうか……なら座れる場所探すか」

 

「うん。ピクニックエリアってのがあるから、そこ行こ」

 

「さーちゃんはーちゃん、はやくはやくー」

 

「走らないの、けーちゃん」

 

ピクニックエリアに行くとうまい具合にテーブル席が空いていたので、陣取ってお弁当を広げる。

 

「はい、あんたの」

 

「おお……あ、ありがと」

 

「……トマトは入ってないから」

 

「助かる。って恥ずかしいことだな、なんか……」

 

彼は箸を持った手で頭をガリガリ掻いている。

 

「はーちゃんトマトきらいなの?」

 

「そうなんだよ。旨いか?」

 

「おいしいよ?」

 

「だよねー、おいしいよねー」

 

「なんだよ俺だけかよ。まぁいいや、いただきます」

 

お弁当に箸をつけ始める彼を緊張しながら眺める。

 

「ちょっと、睨まないでもらえますかね……」

 

「に、睨んでないっ。いいから早く食べてよ」

 

そう言うと彼は何も言わず、次々に口に放り込み始めた。

 

ちょ、ちょっと!なんか言ってよ!

 

「味は大丈夫だと思うんだけど……どう?」

 

「……いやマジ、すげぇ旨い。超好みの味だ」

 

「そ、そう。よかった」

 

予想以上に褒めてもらえて、心から安堵した。

 

つ、作ってよかったー!

 

顔には出さないように、机の下で密かに拳を握りガッツポーズをする。

 

それから三人で楽しくお弁当をつついていると、あっという間に食べ終えてしまった。

 

「はー、ごちそうさん。ほんとすげぇ旨かったわ。ありがとな」

 

「ど、どういたしまして。喜んでもらえてよかったよ」

 

「さーちゃん、次これのりたい」

 

京華はパンフレットの地図を指差しながら、次の目的地を決定する。

 

「おっし、けーちゃん行こうぜ」

 

「……相手してもらって悪いね。疲れてない?」

 

「さすがに疲れるけど……まぁいい、気にすんな。借り、だからな」

 

ちょっとだけ寂しいな。そんな風に強調されると。

 

そのせいか、次の言葉が意地の悪い言い方になってしまった。

 

「……そ。ただの借り、なんだね」

 

「あ、いや……。俺も割と楽しいから……」

 

「嘘」

 

「ほ、本当だ……」

 

「なら、よかった」

 

あ、今は自然な笑顔ができたかもしれない。

 

だって、彼が照れて顔を背けちゃったから。

 

夕方になる頃には京華も疲れてしまったようで、眠たそうにしていたのでおとなしく帰ることにした。

 

今はもう帰りの電車の中で、京華はあたしの背中で静かに眠っている。

 

あたしの降りる駅が近づいてきたので、お礼を言っておくことにした。

 

「今日はありがとね、比企谷」

 

「おお、気にすんなよ。俺も割と楽しかったからな。それと……弁当、旨かった」

 

「あ、あんたさえよかったら、また作ったげるよ」

 

「それは……」

 

「……ん、やっぱそれはいいや。じゃあさ、また一緒に出掛けてよ。……今度は、二人でさ」

 

精一杯の勇気を振り絞って放った言葉。

 

嫌がられたりしないかなという恐怖はある。

 

でもきっと、彼からあたしへは踏み込んでくれないから。

 

だから、近づきたいならあたしが勇気を出さないといけない。

 

付き合うとか、そういうのはまだ少し考えられないけど、もっと彼のことを知りたい。いろんな表情を見たい。

 

「それなら、うん……。また、そのうちな」

 

「わかった……。また、だね」

 

とりあえず拒絶じゃないし、良かった……かな?

 

「またねー?はーちゃん」

 

「わっ、けーちゃん、起きてたの?」

 

「うん、今おきた。はーちゃんお兄ちゃんになってくれれば、一緒にかえれるのにね」

 

な、なに言ってるの京華……。

 

いや、ここは乗ってみようかな……。

 

「そ、そうだねー。はーちゃんにお兄ちゃんになってほしいねー」

 

「なに言ってんのお前……」

 

「さーちゃんがはーちゃんと結婚したらいいんだよね?」

 

電車が降りる駅に到着し、扉が開く。

 

「あっ、降りないと、じゃあね比企谷、また大学で」

 

「じゃあねー、はーちゃん」

 

言いながら電車を降りる。

 

「おお、またなけーちゃん。と、さーちゃん」

 

「な、なにっ、ばっ……」

 

そこで扉が閉まったので、以降の言葉は彼には伝わらなかった。

 

代わりに京華と二人で手を降る。

 

彼も少し照れ臭そうに、小さく手を振り返してくれた。

 

「けーちゃん、帰ろっか」

 

「うんー。おりる」

 

背中から京華を下ろし、手を繋ぐ。

 

「さーちゃん、はーちゃんと結婚するの?」

 

「いや、しな……そんなの、まだわかんないよ……」

 

「なんだー。お兄ちゃんふえるのかとおもった」

 

「……そうだね。増えると、いいね」

 

「うん」

 

☆☆☆

 

彼との距離を少しだけ縮めることができたと思えた、先週のディスティニィーランド。

 

翌週いつものように大学に行くと、少し変わっていたことがあった。

 

ひとつは、噂にさらに尾ひれがついて過剰になっていたこと。

 

いつの間にかあたしは子持ちになって結婚していることになっていた。

 

戸部二号から、川崎さん子持ちってマジ?とか言われたときは、こいつ殴ってやろうかと思った。

 

前と同じで反論するのもバカらしくなったので、侮蔑と軽蔑と若干の怒りを込めて睨み付けると、戸部二号はすごすごと去っていった。

 

また見られた……。

 

え?監視でもされてるのあたし?

 

でもちょっと待ってよ、あたし何歳に見えるの?

 

まだ二十歳にもなってないのに、京華みたいな年齢の子供がいるわけないじゃん!

 

まぁそれは面白半分のただの噂だし、気にしないことに決めてるから別に構わない。

 

もうひとつの変化は、彼が講義が終わると用があると言って、全く話すこともなくすぐに帰ってしまうようになったこと。

 

これまでは途中まで一緒に帰ることもあったのに。

 

……避けられてる?

 

やっぱり、ああいうの迷惑だったのかな。

 

もしかして、距離の縮めかたを間違えた?

 

あたしが気付かないうちに、嫌な気分にさせちゃったのかな。

 

何も言ってもらえず避けられるというのが一番辛い。

 

悪いところなら直すから、駄目なところなら改めるから。

 

迷惑ならああいうのもやめるから、何か言ってよ。

 

しばらくの間、そんな調子で大学の時間を過ごした。

 

彼に講義が終わった後、何をやってるのか聞いてみたこともあったが、適当にはぐらかされてしまった。

 

あたしには言えないこと、なのかな。

 

その彼の行動に、何故かひどく不安になったあたしは彼の家まで訪ねてしまった。

 

二人で会って、ちゃんと話を聞きたい。

 

そう思っていたのに、彼は不在だった。

 

用があるというのは本当らしい。何をしてるのかな……。

 

ここまで来て帰るのも嫌なので、建物の前で彼の帰りを待っていると、夜も遅い時間になっていた。

 

何時間もなにやってんだろう……バカみたい。

 

これじゃまるでストーカーだよ。

 

気持ち悪いな、あたし。

 

自分のやってることがみっともなくて、惨めに思えた。

 

あたし、他人にこんなに執着するなんて初めてだ。

 

彼に会いたい。離れていかないでほしい。

 

誰もやってこない建物の前で座り、俯いていると涙が滲んできた。

 

「……川崎?なにやってんだ、お前」

 

顔を上げると彼があたしの目の前に立っていた。

 

不思議そうな顔で呆然としている。

 

「比企谷……」

 

「ど、どうした。なんで泣いてんだ」

 

「な、なんでもない。欠伸しただけ」

 

「嘘つけ。なにがあった?」

 

「あ、あの。少し話が、したくて……」

 

「……ここじゃなんだし、うち行くか」

 

「うん……」

 

彼はそう言って階段を昇り始めた。

 

黙ってついていき、部屋にお邪魔させてもらう。

 

「コーヒー飲むか?インスタントだけど」

 

「あ、うん。お構い無く……」

 

「そんな入れ物しかなくて悪いな」

 

彼は自分のコーヒーに口をつけながらあたしに湯呑みを渡す。

 

「いや、大丈夫……。ありがと」

 

コーヒーを啜って気持ちを落ち着ける。暖かい。

 

口を開くタイミングがわからなくなって黙り込んでしまうと、彼のほうから助け船を出してくれた。

 

「で、話ってなに?」

 

「………………あ、あのさ。あたし、なんかあんたに嫌われるようなこと、した……のかな」

 

「あ?なんの話だ……」

 

「最近ずっと、用があるってすぐいなくなるじゃん」

 

「それは実際に用事があんだから仕方ねぇだろ」

 

「……用事って、なに」

 

「それはお前には関係……なくないな。でもまだちょっと……。ていうか、話ってそれだけ?」

 

「そ、それだけ……」

 

やっぱり呆れられてる。

 

そりゃそうだよね、だってあたしもわけわかんないもん。

 

「ごめん……。あたし、彼女でもなんでもないのに、こんなとこまで来て、わけわかんないこと聞いて……」

 

なんでだろう。

 

なんであたしはこんなことをしちゃったんだろう。

 

たぶん、大学生になって人生で初めて、一人じゃないって思えたからだ。

 

付き合ったりしてるわけじゃないけど、友達、今はそう、本当に気の合う友達ができたような感じで、一人じゃないって思えたんだ。

 

普段のあたしで一緒にいられて、心が安らぐ波長の合う相手。

 

そんな人が、あたしになにも告げずに離れてくような気がしたからだ。

 

「あー、いや、俺こそなんか悪かった。そんなつもりじゃねぇんだよ本当」

 

「そう……。じゃあ、今日は帰る……」

 

「お、送ろうか?」

 

「いや、大丈夫」

 

「じゃあ、気を付けてな」

 

「うん。また……来てもいい?」

 

「お、おお。俺何もできねぇけどな、面白い話とか」

 

「いいよ、それでも……。じゃあまた」

 

結局彼と二人で話をしても知りたかったことはわからないままで、あたしが彼をどれだけ大事に思っているか自覚しただけだった。

 

ただ彼はあたしを避けたりとか、そんなつもりじゃないとは言ってくれたから、少しだけ救われた気がした。

 

それからあたしは彼の家に押し掛けて上がり込むことが増えた。

 

家に上がったからって何をするわけでもなくて、ただ一緒の空間にいるだけ。

 

あたしは喋らないし、彼も特に口を開かない。

 

お互い恥ずかしがりだからしょうがないのかな……。

 

でも、あの部活もこんな感じだったって聞いたことがある。

 

あたしが彼の顔をちゃんと見られるのは、彼がうたた寝をしたりしたとき。

 

音を立てないように、静かに寝顔を眺める。

 

あたしの心が一番安らぐ時間。

 

別に沈黙が苦手じゃないんだけど。

 

ずっとくっついてたいわけでもないけど。

 

一緒に居られるのは嬉しいけど。

 

彼に近づけているのか、いないのかはよくわからない。

 

あたしはもう少し彼との距離を縮めたい。

 

やっぱり、このままじゃ嫌だな。

 

でも、これ以上近づくと拒絶されるかもしれない。

 

あたし、どうすればいいのかな。

 

比企谷……。

 

【川崎沙希に安らぎを】

 

☆☆☆

 

あれから、約二ヶ月が経った。

 

いろいろあったけど、あたしは彼との付き合いをまだ続けている。

 

そのことは凄く嬉しいし、とても幸せ。

 

けど今、ひとつだけ心配なことがある。

 

噂で聞いただけなんだけど、どうやら仲良くしている女の子が他にもいるらしい。

 

知り合いからの又聞きだから、その子の特徴の詳しいことは何もわからない。

 

ただ、超可愛い、としか。

 

彼の周りで超可愛い子。誰だろう。

 

知らない人、かな。

 

知ってる人だとすると、もしかするとあの人だったりするのかな。

 

いや、ダメダメ。

 

根も葉もない噂かもしれないし、本人に何も聞かずにそんな風に考えちゃいけないよね。

 

そのうち、それとなく聞いてみよう。

 

あたしにそんな、嫉妬したりとか、そういう権利あるのかなって気もするけど……。

 

彼に一番近いポジションというのは、譲りたくないから。

 

それに、い、一応?

 

あたし、ちゃんと彼女になったし。

 

ちょっと前に彼に告白して、受け入れてもらえた。

 

一緒にいる時間も長くなり、優しくもしてくれるようになった。

 

あたしの自慢の、彼。

 

でも恥ずかしがりだから、あんまり好きだとかは言ってくれなくて、それも不安になる要因のひとつなんだけどなぁ。

 

今日もこれからデートだし、不安なんだよって打ち明けて、そんな台詞を言ってもらおうかな。

 

あたしも言われ慣れてないから、間違いなく赤くなって照れちゃうけど……たまには、いいよね?

 

うん。やっぱり、あんまり嫉妬とかしないで、楽しむようにしなきゃもったいないね。

 

講義を終えて、彼との待ち合わせ場所へ向かう。

 

彼の姿を無事見つけることができた瞬間、鼓動が少し高鳴る。

 

いつもだけど、先に来て待ってくれてるというのは悪いなぁと思いつつ、気を使ってくれてるんだなと思えて暖かい気持ちになる。

 

「ごめん、お待たせ」

 

「おお、いいよもう慣れた。んで、今日はどうする?」

 

「えーと、どこ行こうか。ボウリングはこの前行ったし、映画も……」

 

あたしの話の途中で、彼がスマホを取り出して怪訝な表情を浮かべた。振動しているようだ。

 

「ん?電話?」

 

「ああ。でも知らねぇ番号だしほっとく」

 

このあたりは以前と変わらず、とっても彼らしい。

 

これが良いことなのかどうかは考えないことにする。

 

「あ、それで、どうしようか?」

 

「おお、そうだな……」

 

彼ははっと何かを思い出したような顔になり口を開いた。

 

「そういや見たかった映画が公開されてたかもしれん。ただ、お前の好みのやつじゃないかもしれんが……」

 

「おー。い、いいよ全然。あたしは一緒に見れるなら、なんでもいいからさ……」

 

「……ちょっと複雑でわかりにくい話かもしれんぞ」

 

「なにそれ、バカにしないでよ。あたしだってそういう映画見ることあるんだからね」

 

「あ、そ。んじゃ付き合ってくれよ」

 

「うん、もちろん」

 

何度もデートを重ねるうちに、こうやって彼から提案もしてくれるようになった。

 

この変化は嬉しい変化だ。

 

あたしも彼も、昔と比べるといろんなところが変わってしまった。

 

これからも、少しずつでも、いろいろ変わっていくんだと思う。

 

彼の変化をこれからも一番近いところで、傍で見れるといいな。

 

変わらずにいられるとは思ってないし、実際に変わるのを止めることはできないけど。

 

二人の関係だけは変わらずいられますように。

 

心の中でそう願いながら、映画館へ向かって歩いた。

 

「お前のせいで全然映画に集中できなかった……」

 

「え、い、いいじゃん……手を重ねるぐらい。彼女、なんだしさ……」

 

「いや、慣れねぇんだよそんなの。今まで映画なんて一人でしか見なかったし」

 

「もう……。じゃ、じゃあさ、慣れるためにさ、手、繋いで歩こうか?」

 

「えー。それはちょっとハードルたけぇよ……」

 

「う、うるさいっ。文句言わないっ」

 

無理矢理に彼の手を取り、指を絡ませる。

 

恋人繋ぎ?なのかなこれは。

 

あたしよりもゴツゴツした男っぽい手から温もりが伝わってくる。

 

「ど、どう?」

 

「どうって、恥ずかしいんだけど……」

 

「あ、あたしも恥ずかしいから……じゃなくて、他になんかないの?」

 

「……細くて、柔らかくて、冷たくて……女の子っぽい」

 

「あ、そ、そう。そっか」

 

うわー、恥ずかしいよそんなこと言われると……。

 

でも手を繋ぐだけでこんな気持ちになれるなんて。

 

本当に、大好きだよ。

 

「晩飯どうする?何か食べて帰るか?」

 

「んー……。鍋食べたい、かな」

 

「鍋?暑くねぇかそれは」

 

「な、なんか一緒のもの、つつきたい気分だから……」

 

「そうか、まぁいいけど。鍋つったらなんだ、もつ鍋とか水炊きか?そんな店どこあんだろな、よく知らねぇよ俺」

 

「あ、いや、お店じゃなくて……。家で、食べたいな」

 

「家って、俺の部屋?」

 

「うん……」

 

彼は目線だけを斜め上に向けて頭をガリガリと掻き始めた。

 

話すことは決まってるけど恥ずかしくてなんと言うか迷っているときに、照れ隠しにやるいつもの癖。

 

それぐらいわかってるんだからね。

 

「い、いいけど、一人用の鍋しか持ってねぇよ」

 

やっぱり。いいよって言ってくれると思ってたよ。

 

「じゃ、材料と一緒に買ってこうよ。これからも使う機会、あるかもしんないしさ……」

 

「そ、そうだな。そういうことも、あるかもな……」

 

「じゃ、行こっか」

 

「おお……」

 

手を繋いだまま、彼の家へ向かって歩き始める。

 

なに、なんか、なんだろね。すごい恋人っぽい。

 

にやけそうになる顔を必死で抑えようとしてみるけど、あまり出来てる気がしない。

 

横顔を見ようと目線を向けると、彼も顔をあたしとは逆に向けていた。

 

手は繋がってるのに、顔はお互い向き合わない。

 

傍からみたらすごく変な感じに見えるかも。

 

でもあたしと彼はたぶん、これでいいんだと思う。

 

二人の距離は少しずつ、ゆっくり縮めていければそれでいいの。

 

大きめのスーパーで買い物をしてるときは、あたしだけかもしれないけど、まるで新婚の夫婦みたいだなって感じて浮き足だった。

 

つい余計なお菓子までカゴに入れてると怒られちゃったけど、それすらも幸せだった。

 

買い物を終えると、また手を繋いで歩き始める。

 

重いほうの荷物は、あたしから彼が奪って持ってくれてる。

 

あたしを喜ばせるツボ知ってるの?それとも天然?

 

天然だとちょっと怖いな。

 

いや、あたし以外にも彼を好きな人が出来たりとかさ……。

 

「水炊きなんて久々だな」

 

「ま、まぁ季節じゃないからね……。あたしが用意するから、座ってていいよ」

 

「お、おお……任せる。つっても鍋だと材料切るだけじゃねぇか」

 

「いやまぁそうなんだけど……。それなら楽だし、安心じゃん?あの部屋調理道具もあんまりないしさ」

 

「そういうことか……」

 

「手の込んだのは、また作ったげるから……待っててよ」

 

「悪いから無理にとは言わねぇけど……。期待していいのか?」

 

「も、もちろん」

 

「じ、じゃあ楽しみにしとく」

 

家に辿り着き、彼の部屋に一緒に入る。

 

二人きりの空間って意識しちゃうと、やっぱり落ち着かないなー。

 

ちゃんと彼女になってから来るのは初めてだし。

 

冷蔵庫に食材を入れてからベッドに腰かける。

 

彼はトイレに行ってしまったから部屋に一人だ。

 

うーん、相変わらずなんか殺風景な部屋だなぁ。

 

今度なんか華やかになりそうなもの持ってこようかな……。

 

ふと足下に目をやると、ベッドの下から雑誌の端が覗いているのが見えた。

 

こ、これはもしや……。

 

あれですか、アレなのか!

 

一人暮らしの男の子の部屋には必ずあるという噂の……。

 

バレないように、音をたてないように、そっと雑誌を持ち上げる。

 

な、なんだ。ただの漫画じゃん……。

 

ドキドキして損しちゃった。

 

………………。

 

他にも本あったりして……。

 

四つん這いのような体勢になり、ベッドの下を覗き込んでみる。

 

「何してんだ、お前」

 

「ひゃああっ!び、びっくりさせないでよ!」

 

「普通に話しかけただけだろ。何か落としたか?」

 

「いや、ちが……○○○nな本隠してないかなー、とか……」

 

「ね、ねぇよそんなとこに……中学生かよ」

 

「そんなとこ……?じゃ、じゃあこっちかっ!押し入れかっ!」

 

後に引けなくなってしまったので押し入れの扉に手を掛ける。

 

「そもそも本なんか買わねぇって。ネットで無料動画いくらでもあるし……。俺荷物少なかったから、押し入れなんか何も入ってないぞ」

 

「そ、そっか……。探すならパソコンか……」

 

結局押し入れは開けないまま手を下ろす。

 

「つーかなんで必死に探そうとしてんの……。なに、見たいの?」

 

「あ、いや、そうでもない……かな。あたしがいるのに、そういうの見るのかなー、とか思ったり……」

 

「み、見てねぇよ……」

 

彼は露骨に目を逸らしながら弱々しい返事をする。

 

「……ほんと?」

 

「…………ちょっとだけ」

 

「嘘つき。………………そういうの見たいなら、見せたげよう、か?」

 

「ばばば馬鹿なに言ってんだお前」

 

「じょ、冗談だよ……そんなことまだ恥ずかしくてできないし……」

 

「そ、そうか、冗談か……」

 

彼は少しだけ落胆するような表情になった。

 

んー……彼氏なのは確かだけど、やっぱり彼じゃなくて、いつも通りに戻そうかなぁ。

 

なんかしっくりこないや。

 

不意に部屋の机に置かれた彼のスマホが振動したのでちらっと目を向けると、待ち受け画面には小町と表示されていた。

 

「電話、小町ちゃんからだよ」

 

「わかった。もしもし?」

 

小町ちゃんからだとしっかり出るんだね……。

 

さすがシス……妹思い。

 

「あ?誰だお前。俺に弟なんかいねぇよ」

 

あれ?小町ちゃんじゃないのかな?

 

でも表示は確かに小町って書いてあったけどな……。

 

「だから誰だ。お兄さんとか言うな殺すぞ」

 

なに物騒なこと言ってんの……。

 

ん?でもこんなやり取り、前もどこかで見たような。

 

「あ?川崎?いや、知らねぇけど」

 

「嘘じゃねぇよ。俺んちには最近ずっと来てない」

 

「おお、いいぞ。大学で会ったら聞いといてやるよ。じゃあな、もうかけてくんなよ。あと小町に近づくな」

 

「誰からだったの?」

 

「川崎の弟。なんか最近またちょくちょく朝帰りしてんだと。何やってんだろな」

 

「ヒッキーなんか知らないの?沙希がまたバイトしてるとか」

 

一一一

 

「そんな、朝まで何してるとか知らねぇよ」

 

「んー、それもそうだね」

 

「まぁ大学では会うし、また聞いとくわ。あー、ポン酢買うの忘れた……」

 

「えー!さすがに水炊きはポン酢ないと食べらんないよね……」

 

「そりゃそうだろ。買ってくるから待っとけ」

 

「あ、あたしも行くよ」

 

「いいよ別に。すぐだし」

 

「いいの、あたしが一緒に行きたいの」

 

「そうか。なら一緒に行くか」

 

「うん。……あのさ、ヒッキー、浮気とかしてないよね?」

 

「あん?してるわけねぇだろ。そんな器用なことできるかよ」

 

「そっか。じゃあやっぱただの噂なのかな……。ヒッキーと仲良くしてる超可愛い子がいる、っていうのは」

 

「え、あの噂お前に届くぐらい広まってんのかよ……。しかも微妙に時間差あるし」

 

「ん?ヒッキーも噂されてるって知ってるの?」

 

「おお、迷惑なもんだ。でもやましいことはしてねぇぞ。それ、その噂な、川崎のことだわ」

 

「あー、やっぱり沙希のことだったんだ。ヒッキーの周りで超可愛いって言ったら、そうなんじゃないかなって思ってた。で、何したの?」

 

「だからなにも……。あ、いや、新歓コンパ行ったって前言ったろ。あんとき途中で面倒になって、川崎と途中で抜け出したんだよ。それが原因みたいだ」

 

「ふーん……。沙希とはほんとに、なんでもないんだよね?」

 

「ない。俺の彼女は、由比ヶ浜。お前だけだ」

 

「う、うん……ありがと。じゃあ、信じる。ごめんね変なこと言って」

 

「お、おお。俺の方こそすまん」

 

「ううん。ヒッキー優しいから、仕方ないかな。それもあたしの好きなとこだし、いいの」

 

「……そうか」

 

「でもなー、こんなことになるならやっぱり同じ大学行きたかったなー。卒業してまだ二ヶ月ぐらいだけどさ、せっかく彼女になれたのに学校でヒッキーに会えないから寂しいよ」

 

「お前が落ちるからいけねぇんだろ。一緒じゃなくて残念なのは俺もだよ……」

 

「二度目の奇跡は起こらなかったんだよ……」

 

「まぁ一度でも奇跡起きてよかったわ、じゃなきゃお前と会えてねぇしな」

 

「そ、そうだね……ほんとよかった」

 

「俺は講義終わったら暇だから、その、会いたきゃ言ってくれ。いつでもいいから」

 

「あ、ありがと……」

 

「じゃ、行くか」

 

「うん。ついでにアイス買おうよ」

 

「いいぞ、ガリガリ君な。あ、鍵忘れた。ん、あれ……?」

 

「どしたの?」

 

「いや、なんでもねぇ。また見つかるだろそのうち」

 

ガリガリ君じゃなくてハーゲンダッツとかにしようよー」

 

「あんな高いもん貧乏学生には手が届かねぇよ。ほら、出るぞ」

 

「じゃあ、あ……………………るよ」

「…………らん。施しは………………」

「……ー………………ん」

「………………」

「…………」

「……」

 

ずっと、見てるからね。

 

比企谷。

 

【ルートA 川崎沙希に降伏を】

 

☆☆☆

 

「なぁ、お前一体なにしに来てんの?」

 

例によって部屋を訪れボーッとテレビを眺めていると、突然彼が今さらなことを言い始めた。

 

最近はちょくちょくこうしてるのに。

 

「なにって、別に。暇だし」

 

一緒に居たいから、距離をもっと縮めたいから、彼のことを知りたいからなんだけど。

 

それが素直に言えるなら苦労はしない。

 

というか、それは言わなくても普通の人ならある程度わかるような気がしないでもない。

 

でもきっと彼は、そういうのは絶対に自分では認めないんだと思う。

 

もしかしたらそうなのかも、という思いが頭をよぎったとしても、そんなわけはないと否定する。

 

ある意味、彼はあたしよりも臆病なのかもしれない。

 

いや、あたしも変わらず臆病か。

 

ここまで来てはいるけど、何もせず時間を潰してるだけなんだし。

 

「暇つってもな。お前ここでも暇そうにしてんじゃねぇか」

 

「い、いいじゃん別に……。もしかして嫌?迷惑?」

 

「嫌でも迷惑でもないけど、その、なんだ」

 

「けど、なに?」

 

「俺、なんもしてやれてねぇなと思って」

 

「なんだ。そんなの初めから期待してない。そんなつもりで来てるんじゃないから」

 

「あー、それはなんとなくわかるから、俺も楽ではあるんだが……」

 

「じゃあいいじゃん」

 

「と言ってもだな、俺たまに寝てたりもしてるし、さすがに失礼じゃないかとか思うわけだ」

 

「あたしは気にしないけど……。でも確かに結構うとうとしてるよね。あんたなんか疲れてる?運動でもやってんの?」

 

「いや、だから言わねぇって……」

 

これだけは頑なに教えてくれない。

 

でもあたしが部屋に来るのは別に拒まない。

 

彼があたしのことをどう考えているのか、やっぱりよくわからない。

 

「あっそ……。でもさ、あんたが高校のときにやってた部活もさ、普段こんな感じだったんじゃないの?」

 

「いや、さすがにもうちょい会話はあったぞ。主に由比ヶ浜が喋ってたけど。でも俺と雪ノ下だけだと、こんなもんかもな」

 

あたしが気にしている二人の名前が彼の口から出て、一瞬だけ胸が締め付けられる。

 

聞いてみたい。

 

これには答えてもらえるだろうか。

 

「あ、あのさ。あれからどうなったの?二人のどっちかと、付き合ってたり、するの?」

 

「んなわけねぇ……。付き合ってんならさすがに、今お前とこうしてんのはまずいだろ。そのぐらいは俺でもわかるぞ」

 

「あ、そう。そうか、そうだよね」

 

平静を保った声を出せただろうか。

 

ずっと抱えていた心のもやもやが晴れた気がした。

 

それにしても、随分とあっさり答えてくれたものだ。

 

こんなことなら、もっと早く気軽に聞いておけばよかった。

 

……だから、それができる性格ならこんな人間になってないよね!

 

彼に嘘をつかれているとは微塵も思わなかった。

 

あたしの知っている彼は、そんな器用なことができる人じゃないから。

 

でもあれだけ仲が良さそうだったのに、なんでなのかな。

 

誰ともそんな風になりたくないってこと?

 

だったらあたしも駄目じゃ……いや、もう少し聞いてみよう……。

 

「あんたさ、なんで付き合わなかったの?」

 

「なんだその質問。付き合ってたほうがよかったのかよ」

 

「あ、いや、全然そんなことなくて、むしろ嬉しいけど……や、そうじゃなくて、えーと……」

 

我ながらひどいしどろもどろ具合だ。

 

しかも余計なことまで言ってしまった、落ち着けあたし……。

 

「雪ノ下はよくわかんないけどさ、由比ヶ浜は明らかにあんたのこと好きだったじゃん。あんたもまんざらじゃなさそうだったし。だから、なんで?」

 

「…………お前って案外、人のこと見てんだな」

 

「そ、そりゃ見るよ。気になってたし……ああいや、質問に答えてよ」

 

また言うつもりのない余計なことを言ってしまった。

 

まともに目を見れなくなったので体を動かして、ベッドにいる彼に背を向ける。

 

少しだけの間を置いて、これまでとは違う寂しそうな声が背後から聞こえた。

 

「……あんま詳しくは言えねぇけど……まぁいろいろだ。一番の理由はたぶん、俺が捻くれてて、誰よりもめんどくさい奴だからだろうな」

 

「……よくわかんない。けどなんとなくわかる、気がするかな」

 

「わかんのかよ。すげぇなお前」

 

「あってるかは知らないけどね。わかるのはあんたがめんどくさい奴だってこと。あんた、重そうだし」

 

「……そうだな。お前も十分めんどくさそうだしな」

 

先程より少しだけ楽しそうな声に聞こえた。

 

振り返り、彼の顔を正面から見据えて言葉を伝える。

 

「知ってるよ、そんなの。あたしはたぶん、あんたと似てるから……。だから、なんとなくわかることもあるんだよ」

 

「そうか。だから俺はお前といると楽なのかもな。何も無理しなくていいから」

 

彼はベッドに座り直し、少し前屈みであたしを正面から見据えながら言葉を紡ぐ。

 

彼の顔が、これまでより近くにある。

 

手を伸ばさなくても届く距離。

 

あたしは床に座ってるから、彼から見下ろされている。

 

目が、離せない。

 

「そ、それにしてもあれだな。重い男って最悪だなマジで。俺なら絶対付き合いたくねぇ」

 

交錯する視線の圧力に耐えかねたのか、彼は勢いよく顔を背けてしまった。

 

よ、よし、勝った。いや違う。

 

「そう思わない人も、いるよ。誠実ってことだと思うし……」

 

ここに、いるから。

 

そんなあんたがいいって思ってる人が。

 

「おお、そ、そうか。まぁあれだな、世の中変な趣味の奴っているもんな」

 

「た、確かにあたしは変かもだけどさ、あんたに言われたくない……」

 

「いや、お前のことだなんて言ってねぇけど……」

 

「はぁ?え?ん?」

 

…………また余計なこと言った!

 

なんかもう、半分ぐらい告白してるような気がしてきた。

 

駄目だ。これ以上ここにいたらおかしくなる。墓穴しか掘らない。

 

珍しく長く続いた会話が途切れ、部屋に久しぶりの沈黙が訪れた。

 

普段とは違う形の静寂に、若干の気まずい雰囲気が漂う。

 

「じゃ、じゃあ今日はもう帰る」

 

「お、おう。送るか?」

 

「ううん、平気。ありがと」

 

「そうか。またな、気を付けて」

 

「うん、じゃあね」

 

今度はあたしが気まずい空気に耐えることができず、この日は逃げるように彼の部屋を後にすることになった。

 

足早に駅に向かって歩いていると、自分の掘った数々の墓穴の言葉が頭にリフレインして、枕に向かって叫びたい衝動に駆られる。

 

というか帰ったら絶対やる。

 

彼からどんな風に思われただろうか。

 

変な奴だとか思われてるんだろうな。

 

うう、明日から普通にできるかな、あたし……。

 

案の定、翌日からは遠慮がちにしか喋れなくなってしまった。

 

なんか向こうも変に意識してるのか、これまで以上にぎこちない会話にしかならなくなった。

 

ごめん比企谷。あたしのせいだ……。

 

相変わらず隣り合って座ってはいるけど、心なしか物理的にも距離が離れた気がする。

 

自業自得なんだけど、その数センチ、数十センチの差がものすごく寂しい。

 

その距離は縮まらないまま時間が流れ、五月も半ばに差し掛かろうとしていた。

 

相変わらず彼は足早に大学を去るようにしている。

 

あたしはといえば、彼の家にもあれから気まずくて行けていない。

 

こうやって少しずつ離れて、疎遠になっていくのかな。

 

せっかく同じ大学になれたのに、それは嫌だな……。

 

そんなことを思っていると、珍しく帰り際に彼から声を掛けられた。

 

「川崎」

 

「な、なな、なに?」

 

喜ぶべきかもしれないけど驚きのほうが勝った結果、怪しすぎる返答しかできなかった。

 

あたしはなんて駄目な人間なんだ。

 

「なんでそんな挙動不審なんだよ……俺かお前は。明日の休みだけど、暇か?」

 

「あ、明日なら暇だけど、なに」

 

「あの、あれだよ。前に二人で出掛けてくれつったろ。明日あたりどうかと思ってな」

 

覚えててくれたんだ……。

 

というか、比企谷はいいの?あたしと二人で出掛けるとか。

 

「い、いいけど、どこいくの?」

 

「は?お前が考えるんじゃねぇのか。お前の行きたいとこでいいよ」

 

「ごめん、実現すると思ってなかったから全然考えてなかった……」

 

こんなことならちゃんと考えておけばよかった。

 

けど今さらそう思っても後の祭り。

 

そもそもあのときも、具体的にどこに行きたいとかは何も考えずに勢いで言っちゃっただけだった。

 

一緒ならどこでもいいといえばいいんだけど。

 

「ほーん……。もしかしてあの言葉は、あれか。社交辞令的な、行く気はないけどってやつだったのか」

 

「いいい、いやっ、ちが、全然違う!行く、行くよ!」

 

「そ、そうか、落ち着け。で、どこにだ」

 

「ど、どこでもいい」

 

「だから……」

 

「ああ、あたしの行きたいとこだよね、えーと。あんたの部屋とか」

 

「…………それ、出掛けてなくねぇか」

 

「そ、そうだね。いやでも、あたしも人の多いとこ得意じゃないし」

 

「この前はディスティニィー行っただろ」

 

「あれはけーちゃんいたから……。あんただって人混み嫌いって言ってたじゃん」

 

「ん、まぁその通りだな」

 

「だからあんたの部屋。駄目かな、結構長い間行ってないしさ……」

 

「お、俺は楽だからいいけどよ。本当にそれでいいのか?」

 

「うん。それがいい。あの、晩御飯作ったげるよ。だから、明日買い物にも出掛けるってことで……」

 

「なんかお前って経済的というか、庶民的というか……。あんまこの年齢の女の子っぽくないよな」

 

う、人がちょっと気にしてることを……。

 

あたしの貧困な発想だとよくわかんないけど、高級フレンチとか小洒落たイタリアンとか言っておけばよかったんだろうか。

 

いやでも、比企谷は絶対そんなの嫌がるし。

 

そもそもあたしもそんなとこ緊張するからあまり行きたくない。

 

うん、やっぱり年頃の女の子っぽくはないかな。

 

でも無理したところで絶対うまくいかないし、これでいいや。

 

「悪かったね、庶民的で年頃の女の子っぽくなくて」

 

「いや、むしろ俺はそっちのほうが助かる。無理しなくて済むし。じゃ明日うちでな、また連絡するわ」

 

「……わかった、また明日ね」

 

「おう、じゃあな」

 

そう言い残して彼はいつものようにさっといなくなった。

 

また彼の部屋に行ける。明日、何作ろうかな……。

 

といってもそんなに洒落たものは得意じゃないし、普段作るようなものでいいかな。

 

前のお弁当みたいに、喜んでくれるといいな。

 

☆☆☆

 

昼飯の後で来てくれとメールがあったので、家で食べてから彼の家へ向かった。

 

駅へ着くと、彼が迎えに来てくれていた。

 

「よう」

 

素っ気ない挨拶だけど、わざわざ迎えに来てくれるその行動には素っ気なさは全く感じられない。

 

「……や。わざわざ来てくれなくてもよかったのに」

 

あたしも嬉しい気持ちとは裏腹に言葉は素っ気ない。

 

「いいんだよ。買い物とかもあんだろ、行ってから帰ろうぜ」

 

「そゆこと。わかった」

 

並んで歩いていると、彼がレンタルショップに寄ろうと言ってきた。

 

特に不満もないのでおとなしく承諾する。

 

彼が何か借りたいものがあるんだろうと思っていたが、そうではないらしい。

 

「いや、せっかく来てもらうのに前みたいにお互い別のことしてんのもアレだろ。なんか一緒に見れるの借りてこうかと。お前普段どんなん見てんの?」

 

「あ、あたしはあんま見ないかな……。けーちゃんと一緒にプリキュア見るぐらい」

 

「おお、プリキュアか。それなら俺も見るぞ」

 

「はぁ?なんであんたが見てんの?あれ子供向けじゃないの?」

 

「いや、大きいお兄さんが見ても割と楽しかったりするんだよこれが……。プリキュアにするか?」

 

「はぁ……。バカでしょあんた。もっと他にないの?あたしよくわかんないからさ、あんたの好きなのでいいよ」

 

「そうか、プリキュアは駄目か。じゃあ、そうだな。ジャンル的にはサイコスリラーとか割と好きなんだが……」

 

「それ……怖い?」

 

「俺は怖くないけど、ちょっとだけ。やめとくか?」

 

「い、いや、それでいい。あんたのお勧めなら、見てみる」

 

怖いのすごい苦手だけど……怖かったら彼にしがみついたりできるかもしれないし。

 

問題はほんとに怖いと、しがみつけて嬉しいどころではなくなってしまうことだ。

 

本末転倒な気がしないでもない。

 

「じゃ、適当にお勧めのと見たことないの、何本か借りるか」

 

タイトルからしてちょっと怖そうな作品を彼が借りるの見届けて、それから二人でスーパーへ向かった。

 

「なに作ってくれるんだ?」

 

「まだ決めてない。安いのあったらそれで何か考える」

 

「おお、すげぇな。主婦みてぇ」

 

「あ、あんたも専業主夫希望でしょ。そのぐらいできるようにならないと認められないよ」

 

「ぜ、善処します」

 

なんかこの会話おかしくない?

 

二人とも顔背けてるし。

 

……あんまり考えないようにしよう。

 

「あんたの家さ、基本的な調味料ってあるよね?みりんとか」

 

「みりん風調味料なら」

 

「変なとこ細かいね……。塩砂糖醤油とか、調理酒は?」

 

「おお、全部あるぞ。特殊な香辛料とかはさすがにねぇな」

 

「ん、じゃあいい。じゃがいもと玉ねぎ安いし肉じゃがにしよ」

 

「またあざといチョイスだな……。あ、いや、お前は違うな。それが普通だよな。得意料理ってあんの?」

 

「あざといとかよくわかんないけど……。得意料理か、なんだろ。茶色いものなら大体得意だけど」

 

「茶色いものて。煮物ってことか?」

 

「まぁそうかな。カレーとか魚の煮付けとか」

 

「八幡的にそれは超ポイント高いな」

 

「は?よくわかんないんだけど」

 

「気にすんな。誉めてるんだ」

 

「あ、そう……。わかんないけど、ありがと」

 

なんかわかんないばっかり言ってる気がする。

 

でも仕方ないじゃん。ほんとにわかんないんだから。

 

いつになったらもっとよくわかるようになるのかな。

 

レジでお金を支払おうと財布を取り出すと、彼が全部出してくれた。

 

あたしの分もあるし半分出すよと言ったのに、作ってもらう手間賃だとか屁理屈を言われて固辞されたので、諦めて好意に甘えることにした。

 

変なとこ意固地だなぁ。

 

久しぶりに入る彼の部屋。

 

部屋のレイアウトなんかは変わってないけど、心持ち綺麗になってる気がする。テレビの周りなんかも埃が全くないように見える。

 

もしかして、直前まで掃除してたのかな……。

 

買ってきた食材を片付けて一段落すると、彼は部屋の遮光カーテンを閉めて借りてきた映画を再生し始めた。

 

「ちょっ、なんでカーテン閉めるのさ?」

 

「あん?こういうのは雰囲気も大事だろ。集中できるし」

 

そう言って彼は部屋の電気も消してしまった。

 

まだお昼なのに部屋は真っ暗になり、光はテレビが発しているものだけになる。

 

彼はベッドに座って、あたしはその傍の床に座っている状態だ。彼の足がすぐ横にある。

 

やだすごい緊張する、ちゃんと見れるかな……。

 

へー、こんな感じなんだ。なかなか……ん……うわっ…………ひいぃっ!も、もうやめてっ!

 

「や、やっと終わった……。ねぇ、これってホラーじゃないの?ものすっごい怖かったんだけど……」

 

「どっちかつーとミステリー寄りだと思うんだが……。日本映画だからな、なんというか地味に怖いのかもな」

 

「いや、地味とかじゃなくて露骨に怖かったから……」

 

途中から彼の足をずっと掴んでて、最後の方は足にもたれ掛かるようにして見ていたけど、やっぱり嬉しいどころではなかった。

 

怖かった……怖かったよ!

 

気が付かないうちに押し入れに知らない女が住んでたとか、想像するだけで怖すぎなんだけど……。

 

「ほら、次は洋画だからさっきみたいなことはないと思うぞ。たぶん」

 

「たぶんって……」

 

「いや、これは俺も見たことねぇんだよ。さっきのつまんなかったか?」

 

「や、つまんないってことはないかな……。先が気になって引き込まれたから」

 

「じゃあこれも大丈夫だ。たぶん」

 

「またたぶんって言った……。不安にさせないでよ……」

 

「お、おお、すまん……。んじゃいくぞ」

 

ぎゃああああ!無理!これは無理!

 

気がついたらベッドに上がって彼の腕を掴み、背中越しに恐る恐る画面を除き込むようにして見ていた。

 

終わる頃にはあたしはもうへろへろだった。

 

「あ、あー、なかなか良かったな」

 

「よくない……。痛いのとかグロいのは無理だよあたしは……」

 

「確かに、予想外にグロいとこもあったな。でも話は良くできてたろ?」

 

「怖くてよくわかんなかった……」

 

「そ、そうか……。涙目になるほどとは思わんかった。すまん」

 

「い、いや。なかなか貴重な体験ができたってことで……。もうカーテン開けていい?」

 

「おう」

 

微かに滲んだ涙を拭きながらカーテンを開けると、オレンジ色に変わった光が部屋を照らし、部屋を一瞬で赤く染める。

 

はー、やっと怖くなくなってきた。

 

リラックスしようとベッドに横たわり、手足を伸ばす。

 

「あ、ベッドあがっちゃったけど……よかったのかな」

 

「おー、別に構わんぞ。怖かったみたいだし、ゆっくりくつろげよ」

 

「うん……。もうちょっとしたらご飯作るね」

 

「…………楽しみにしてるぞ」

 

「そ、そう。がんばる」

 

そんなこと言われると……おいしいもの食べてほしくなるよね。

 

いつもより少し気合いが入ったのが自分でもわかった。

 

☆☆☆

 

「ど、どう?」

 

「ほんとすげぇよお前。超旨い。毎日食いたいぐらいだ」

 

そんな、それはプロポーズと受け取っていいの……?

 

いいわけない。まずい動揺してる。隠さないと。

 

「そそ、それはまだちょっと無理……」

 

「いやそれはわかってるから。言葉のあやってやつだ」

 

「だ、だよね、うん。知ってたから」

 

たぶんきっとまったく全然動揺を隠せてない。

 

彼は黙々とあたしの作った料理を口に運び、あっという間に平らげてしまった。

 

あんまりおいしそうに食べるもんだから、あたしもつい笑顔になってしまう。

 

ごちそうさん。あー旨かった」

 

「お粗末様でした。喜んでもらえてあたしも嬉しいよ。片付けるね」

 

「あ、あー、なにからなにまで、悪いな」

 

「いいよ、慣れてるし。座ってて」

 

食器を持って流しに向かい、水を流して洗い始める。

 

「……お前って、嫁度ずば抜けて高いよな」

 

「ん?なんか言った?」

 

「なんでもねぇよ」

 

流れる水の音のせいで、彼の声はあたしには届いていなかった。

 

食器を洗い終わると、二人ともすることがなくなった。

 

映画も見たし、ご飯も食べたし、片付けも終わった。

 

いつもの静かな時間が訪れる。

 

けどあたしにはまだ聞きたいことがあったので、思いきって話しかけることにした。

 

「あのな……」

 

「あのさ……」

 

あたしと彼が口を開いたのは同時だった。

 

「ど、どうぞ」

 

「い、いいよ、お前から言え」

 

「わ、わかった……。あのさ、なんであんな、約束でもない一方的な話をさ、あんたの方から言ってくれたの?」

 

「そ、それはだな。お前からなかなか言ってくれなかったし、あの、あれだ。最近お前うちにこなくなったから……このままお前と疎遠になるのかと思うと、怖くなったんだ」

 

「ふ、ふーん……」

 

「お前は違ったみたいだけど、俺は約束だと思ってた。それに、お前と一緒の時間は、その、すげぇ居心地がいいんだよ、俺は」

 

「あ、あたしもそれは同じかな」

 

「二人でも無理しなくていい、自然でいられる相手を初めて見つけられたんだ。だから……」

 

「……そ。少なくともさ、大学の四年は一緒にいると、思うよ」

 

「そうじゃなくて、あの、あのな……。俺はお前が好きだ。よかったら俺と付き合ってくれ」

 

「………………」

 

「な、なんか言ってもらえるか……」

 

「………………」

 

「ちょっと、川崎さん?」

 

はっ!

 

あまりの衝撃に呆然として、何も考えられなくなってた。

 

なんかすごいことを言われてた気がする。

 

え?なんか付き合ってくれとかって……。

 

「なに、なんなの……俺無視されてる?」

 

「あ、いや、なに?あんたがあたしのこと好きだとか……まさか。嘘でしょ?どこが?なんで?」

 

「伝わるかはわかんねぇけど……。お前は一人でもいられる奴だから。だからこそ俺は、そんなお前と一緒にいたいんだ」

 

「たぶん伝わってない、かな。よくわかんない……」

 

「あー、まあそれはいいや。そもそもだな、好きな相手じゃなきゃあんな遅い時間に部屋に上げるわけねぇだろ。お前以外なら追い返してるよ、めんどくせぇのに」

 

「そ、そうなの?」

 

でもよく考えてみたら、確かにそうだ。

 

元々あたしなんかが部屋に行っていいかとか言っても、素直に受け入れるような人じゃなかったはずだ。

 

あたしはそれを、あの部活の影響とかで彼が変わったんだと思ってた。

 

けど彼の根っこのところは変わってなくて、以前のままだった。

 

ということは。

 

「あんたもしかして、あたしのこと好きなの?」

 

「だからそう言ってんだろ……。やっぱ話聞いてない?」

 

ど、どうしよう。

 

彼もあたしのこと好きってことはつまり、両想いってことだよね。

 

どういう反応をしたら一番気持ちを伝えることができて、喜んでもらえるだろうか。

 

こういうときにどうしたらいいかなんて、過去のあたしをいくら思い返しても正解は見つからない。

 

「あ、へぇ。ふーん。そうなんだ」

 

この反応は絶対間違ってる。

 

バカじゃないのあたし。こんなときまでいつも通りじゃなくてもいいのに。

 

「………………そうか、すまん。忘れてくれ」

 

「へ?な、なんで?」

 

「いやだって、オーケーの反応じゃねぇだろ今の。俺はまた勘違いしたのか、死なないと直んねぇなこりゃ……」

 

「いやちがっ、違うっ。あた、あたしも比企谷のこと、ずっと前から好きだからっ」

 

「あ?」

 

「え?」

 

二人とも間抜けな顔で間抜けな声を上げ、見つめ合う。

 

「なんでお前が驚いてんだよ……」

 

「いや、ずっと言えなかったのに、ついに言っちゃったなーと思って……」

 

「い、今のはそう受け取って、いいのか」

 

「う、うん。いいんじゃ、ないかな……」

 

「………………」

 

「………………だ、黙ってないでなんか言ってよ」

 

「マジ、なんなのこのグダグダ具合……」

 

「ご、ごめん。あたしのせいだから」

 

「いや、お前だけじゃない。俺もお前も……馬鹿じゃねぇの本当に」

 

「あ、あたしは違うから。一緒にしないでよ」

 

「一緒にするよ。だって俺とお前は、似てるんだろ?」

 

「…………バカ」

 

よくわからないけど、告白は終わったらしい。

 

おぼろげに頭の中にあった、あたしの理想の告白シーンとは似ても似つかない。

 

いいのかな、これで……。

 

「あのさ、もう聞いてもいいのかな。講義終わってから、何してたの?」

 

「あー…。ほんとなんでもないぞ?ただのバイトだよ、バイト。講義取りまくったし教科書が思ったより高かったから、金がねぇんだよマジで」

 

「は?なんでそれ隠す必要があんのさ」

 

「あの、お前が今度二人で出掛けたいって言ったから、てっきりまたディスティニィーかどっかに行くもんだと。お前から誘われたのに金ないから行けないとか、そんなん絶対嫌だし……」

 

「じゃあ、あたしに誘われたときに行けるように、バイト始めたってこと?」

 

「金がないだけなら生活費切り詰めるから、そうだな……。半分……いや、八割ぐらいはそうかもしれん。そんなのなんか、格好悪いだろ。だから言いたく……」

 

そんなくだらない理由だったんだ……。

 

もう、この人は。本当に、もう……。

 

安堵か、もしくは呆れから全身の力が抜け、さらに顔の筋肉まで弛緩したのか目からは涙がこぼれ始めた。

 

「泣かんでくれよ……。笑うとこじゃねぇの」

 

「ぜ、全然笑えないから。あんたってほんと、不器用だね。ふふっ、バカじゃないの」

 

「不器用なのはお互い様だろ。あと泣くか笑うかどっちかにしてくれ」

 

あたし、人の前でもこんな風に簡単に泣いたり笑ったりできるんだね。知らなかった。

 

「こんなの見せるの、あんたにだけだよ。だから、別にいいじゃん……」

 

「そ、そうかよ。そりゃ光栄ですね」

 

「なにその返事……。あんたもおもいっきり笑ったり、泣いたりとかあたしに見せてよ。あ、やっぱり大笑いはいいや、なんか気持ち悪いかも」

 

「ちょっと、さらっと罵倒しないでもらえます?にしても不器用同士って、うまくいくのかね……」

 

「し、知らない。今さらそんなこと言っても取り消しできないからね。言っとくけどあたし、面倒な女だから」

 

「んなつもりねぇから心配すんな。なんたって俺もお前ぐらいめんどくさくて、重い男だからな」

 

少し自慢気に、自嘲気味に話すときの彼の微かに歪んだ笑顔は、あたしにはとても自然なものに見えた。

 

こういう笑い方が染み付いちゃってるんだろうな。

 

少しだけ寂しいと感じる。これは決して同情なんかじゃなくて、純粋に寂しくなっただけ。

 

けどあたしはそんな彼を否定しない。したくない。

 

感情をなかなか素直に表せない不器用な性格は、全てを肯定できるものじゃない。変えたいと思う嫌な部分もたくさんある。

 

でも、自然になるほど長い時間をかけて染み付いたものは、それはもう彼の、あたしの一部だ。

 

だからあたしも彼も、きっと不器用で口下手なままで構わないんだと思う。

 

それが無理をしない、自然な自分だとお互いわかっているから。

 

「それは、知ってる」

 

「俺とかお前みたいな不器用な馬鹿は、世の中に出回らないほうがいいんじゃねえかな。迷惑だし」

 

「そうかもね。不器用なバカ同士で、仲良くしとこうか?」

 

「そうだな、それが世のため人のためだな」

 

「そうだね。みんなのためだから仕方ないよね。ふふっ、あはははっ」

 

「くっくっ……ははっ」

 

めんどくさくて、重くて、不器用な二人だけど。

 

それでもいいってことだよね。

 

こんなにも楽しくて、幸せなんだから。

 

「あんたのそんな笑い顔、初めて見たけど……いいじゃん。か、可愛いよ」

 

「お前さっき気持ち悪いつってたろうが」

 

「あ、あれは想像だから」

 

「酷い、酷いよお前」

 

また二人で顔を見合わせて、呆れたように笑い合った。

 

穏やかな空気が部屋を満たし、静かな時間が流れる。

 

お互いどちらからともなく、ベッドに腰掛けて座っていた。

 

大学で並んで座っていたときの、少しだけ離れた距離。

 

その距離はなくなったどころか、今では離れていた分だけ近付いているように感じる。

 

「あ、ねぇ。あたしと出掛けようとしてたってことは、バイト代ってもう出たんだよね?」

 

「おお、出たぞ。平日みっちりやってたから結構あった。超疲れたけど」

 

「ふーん。ディスティニィーとかいいからさ、それ貯金しときなよ。将来のために」

 

「う、うわぁ。重すぎるわその発言……。俺まだお前とそんな先まで考えられねぇよ」

 

「ちがっ、そうじゃないっ。あんたに何があるかわかんないからって言ってんの。それに無理にお金使うことないじゃん」

 

「あ、そうなのね……。つっても、元々お前と出掛けるために稼いでた金だからな。どっか行きたいとこ、本当にないのか?」

 

「昨日も言ったけど、あたしも人多いとこ好きじゃないんだよね……。あ、行きたいというか、見たいものならあるかも」

 

「お、映画とかか?なんでも言え」

 

「紅葉、また見たいかな。修学旅行で見たとき綺麗だったから」

 

「そりゃまた時期外れな……あと半年待て。あ、もしかして京都行きたいつってる?」

 

「ああいや、違うよ。もっと全然、この辺で見れるとこならどこでもいい。なんていうか、そういう静かで綺麗なとこにお弁当持ってってさ、二人で見れたらいいなと……」

 

「…………素敵だな。そういうの、好きだぞ俺も」

 

「そうなの?なんか意外……」

 

「じゃあ俺からは、あれだ。今度星見に行こうぜ。どこがいいのかは全然知らんが」

 

「星?空の?あはははっ。あんた、全然似合わないっ」

 

「笑うなよ失敬な……。一人じゃめんどくさいからわざわざ出掛けたりはしねぇけどよ、そういうの割と好きなんだぞ俺」

 

「またあんたの知らないとこ、ひとつ教えてもらえたね」

 

「まだまだあるぞ、俺は意外性の塊だからな。あ、でもなんか星見に行くとか恥ずかしくなってきた。やっぱやめとくわ……」

 

「じゃあ……間を取って、プラネタリウムとか?」

 

「なんの間か知らんが、それならまぁ……。よく考えたら星見に行くとか、そんなのリア充完全体にしかできそうにねぇな」

 

あたしも彼も根本的に人付き合いが苦手だから、たぶん二人が付き合ってもあまり交遊関係は広がらない。

 

だから彼の言うリア充みたいには、きっとなれないと思う。

 

けど二人ともそういうのは向いていないってわかってるし、そうなりたいとも思っていない。

 

だから、あたしと彼にはそれとは別の、二人に合った付き合い方があるはずだ。

 

お互いがそれでいいと思えるなら、それは素敵なことだよね?

 

何も理想を押し付け合わないで済む、自然な関係が築ければいいな。

 

いや、少しだけ違うか。あたしはひとつだけ前から思っている、押し付けたいことがある。

 

それは、彼のことをわからせて欲しいということ。あたしは比企谷のことを、もっとわかりたい。

 

あたしのことはわかられなかったとしても、わかりたいんだ。あたしは。

 

彼もそう思ってるかどうかはわからないけど、同じように思ってくれてるとしたら。

 

それを幸福と呼ぶんだとあたしは思う。

 

「なんかさ、いろいろ予定が増えてきたね」

 

「そうだな。けど時間はまだまだあるから。あー、そうだ。金貯めて車の免許取りにいかねぇ?」

 

「あ、そうだね。あたしも大学慣れたらバイトして取りに行こうと思ってたし」

 

「車ならあれだ、二人で静かなとこにも行きやすくなんだろ」

 

「そ、そだね。お金かかるけど、いいねそれ」

 

「じゃあまだバイト継続だな。はぁ、だりぃ……」

 

「そういやあんた、なんのバイトしてんの?」

 

「荷物の仕分け。俺に接客は向いてねぇからこんなのしかなかったんだよ」

 

「いいんじゃないの?あたしは体力使いそうだから嫌だけど。あたしはどうしようかな……」

 

「前やってたバーは?」

 

「それは大学に差し支えるし……やめとく。またなんか、探すよ」

 

「そうか。とりあえず、あんま昔みたいに無理すんなよ」

 

ぶっきらぼうな言い方だけど、彼なりの優しさを感じる。

 

嬉しすぎて身を捩りたくなってきた。

 

もうちょっと甘えてみようかな……。

 

「うん……。そういえばさ、前のディスティニィーの帰りに、あたしのこと、さ、さーちゃんとか言ったよね?」

 

「ああ、あれか……。けーちゃんからの流れだから自然とそうなったんだよ」

 

「も、もう一回、言ってもらえる?」

 

「やだよ、なんか今は恥ずかしいわ」

 

「そ、そっか。ならいい……」

 

あたしも恥ずかしいから無理にとは言えない。

 

はーちゃんと呼べとか言われてもあたしも困るし。

 

「…………沙希」

 

「へっ?あっ、えっ?」

 

「やっぱもう言わない。まだ無理だ俺には」

 

「あああんた、な、なに言ってんの!」

 

「怒るなよ……悪かったってば」

 

「わ、悪くないし怒ってないから、もっかい……」

 

「…………さ、さーちゃん」

 

「なんでそうなんのさ!」

 

「あーもう勘弁してくれ。徐々にってことで……」

 

「もう……比企谷の、バカ」

 

なんか悔しいな……。あたしばっかり彼の言葉でわたわたしてる。言い返したい。

 

ちょっとぐらいあたしの言葉で彼を慌てさせてみたい。

 

もしかして今こそあれを言う時なのかな?

 

昔、一度だけ突然彼から言われて、ひどく心を乱された言葉。

 

あのときの言葉に深い意味が込められていたとは思えないけど。

 

今からあたしが言う同じ言葉には、ちゃんと意味を込めてるからね。

 

重いだろうけど、ちゃんと受け取ってよ?

 

あのときのあたしと同じぐらい、心を乱してくれるといいな。

 

「あ、あ……愛してるぜ、比企谷」

 

彼の顔から、何言ってんだこいつ、という台詞が見て取れた。

 

え、な、なんで?

 

結局彼以上に自分が慌てて悶えてしまう、ただの自爆に終わった。

 

おかしい、こんなはずじゃなかったのに……。

 

「じゃ、じゃあ今日はもう帰るっ」

 

そしてまた恥ずかしさに耐えかねて、あたしは逃げ出す。

 

「おお……いきなりだな。送るよ」

 

「いや、いい大丈夫」

 

「送るから」

 

以前とは違う、決意のこもった力強い言葉が返ってくる。

 

そんなに強く言われた言葉を断れるほどあたしは意固地でもないし、我慢強くない。

 

「わ、わかった。ありがと、嬉しいよ……」

 

「そか」

 

帰り道では会話はなかったけど。

 

あたしの一歩前を歩く彼が、不意にポケットに突っ込んでいた右手を出した。

 

そのまま何も言わず、後ろにいるあたしにぎこちなく掌を向ける。まるでリレーのバトンを受け取るように。

 

今ここであたしが渡すのは……不器用でもいい、あたしの想いだ。

 

ちょっと恥ずかしいけど、なにも言わなくてもわかってるよ、比企谷。

 

そっと指先を乗せると、開いていた掌がゆっくりと閉じて、あたしの指を包み込む。

 

歩いているこの道も、この時間も、この感触も、温もりも、閉じる力も。

 

今ここにある全ては、今後のあたしの人生の目印になる。そんな気がした。

 

あたしはもう離れないから。

 

笑顔とか、優しい顔とか、得意気な顔とか。

 

見たことのないあんたをあたしに見せてよ。

 

あたしにもっとわからせて。

 

あんたに一番近い場所で。隣で。傍で。

 

ずっと、見てるからね。

 

比企谷。

 

【ルートB 不器用な二人】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元スレ

川崎沙希に幸福を

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