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風太郎「あの、一花さん……なんで下着姿に……?」一花「だって、着たままじゃ、しにくいでしょ?」 【五等分の花嫁ss/アニメss】

 

「上杉君、今日は学食じゃないんですね」 

 

 昼休み。いつもなら学食で伝家の宝刀『焼き肉定食焼き肉抜き』を振るっているはずの俺は、とある事情から教室でもそもそ菓子パンをかじる憂き目に会っていた。

というのも、全校生徒が入り乱れて食事をするあの場所に行くのは、今の俺の状況から鑑みた時、得策とは言えなかったから。 

 そうやって警戒心を持ち、アンテナを高めに張っていたからこそ、俺に話しかけてきた人物の顔はかなり意外だった。

本来であれば、彼女はここではない場所にいるべき人間だ。 

 

「……そういうお前はなんでここに?」 

 

 中野五月。五つ子の末っ子。姉妹の中で最も食に関する興味関心が高いであろう彼女は、昼食の時間を誰より楽しみにしていそうなものなのに。それがどうして、昼休みも半分ほどが過ぎ去ったこの時間、まだこんなところにいるのか。 

 

「いえ、家計が家計なので、あんまり贅沢は」 

「ああ、そうか。なんか悪い」 

「謝ってもらうようなことじゃありません」

 

 食いしん坊に食を我慢させるというのはなかなかのことだ。

しかも、そうなった原因を辿っていくと最終的には俺に到達するのだから、自然に謝罪の言葉も出てくる。

それが遠因と呼べるくらいに薄い関連性ならまだしも、限りなく直接の要因だ。

出会って一年と経たない連中相手に一蓮托生してしまうのだから、人生というものは本当に良く分からない。 

 

「最近は二乃がお弁当を作ってくれるので、それで十分満足ですし」 

「…………」 

 

 少々厄介な名前を出されて一瞬眉がひくついたが、特になんでもないような表情をどうにか顔に貼り付けて、適当な相槌を打つ。

些細な失態から全てが瓦解していく可能性があるので、こんな日常のワンシーンにも注意しなくてはならない。

全然昼休めていないが、文句を垂れている暇があるのなら今までと同じペースで顎を動かし続けるべきだろう。 

 

「集まって食わないのか?」 

「一花はお仕事が入っていて、二乃と三玖は日直で遅れるそうなので。そこで四葉と話した結果、たまにはクラスの友達と食べるのも良いだろうって」 

「なるほど」

 

 仲違いを疑ったが、特にそういうことでもないらしい……とも言い切れなかった。

四十人のクラスから日直が二人選ばれるとして、仲良し五人組の中の別々のクラスに属している二人が同時に日直業務を負う確率……は、まあ、有り得なくもない程度に収まるかもしれない。……が、その確率計算に、『俺と関係を持ったことのある』というドギツい冠をつけた場合、果たしてそれはいかほどか。

俺は自信を持って「ああ、今日は二人とも日直なんだ」と信じることが出来そうにない。

どうしても裏を疑いたくなってしまう。 

 

 俺の見ていないところで二人がこっそり戦争を始めている可能性だって頭のどこかでは考えていて、とうとうそれが顕在化したのではないかと冷や汗が一筋背を伝った。

今現在、この学校には爆弾が多すぎる。 

 

「で、お前、弁当は?」 

「……食べ終わりました」 

「……ああ、そう?」 

 

 体重やら美容やらに人一倍気を遣っていそうな二乃が作る弁当は、そこらの男子が持ってくるような大雑把で量に特化したものとは一線を画すのだろう。

そしてそれはきっと、五月的にはちょっと物足りないくらいの容量で。 

 

「…………やらんぞ」 

「要りませんよ!」 

「そこまでムキにならなくても……」 

「……すいません」

 

 しゅんと萎んだ彼女をぼんやり眺めながら、味のしないパンを咀嚼し続ける。俺も俺で食べ盛りの体にそれなりの無理を聞かせているので、あまり他人のことばかり考えてもいられないのだった。衣食住の中で、疎かにすると短期的に手痛いしっぺ返しを受けるのが食だ。

これに関しては割と死活問題なので、自分を優先させてもらう。

気遣いで自分がひもじくなっていては目も当てられない。 

 

 なおも無心で規則的に顎を動かし続ける。

せっかく生徒が目の前にいるのだから問題の一つでも出してやれれば良いのだが、最近この姉妹を前にすると上手いこと頭が働いてくれない。何度でも重ねて言うことになるが、顔も体つきもまるで同じなのが厄介極まりないのだ。五月と俺の間にはやましいことなど何一つ存在しないのに、顔を合わせると罪悪感のようなものに苛まれてしまう。

良くないと分かっていても脳が自然と服の下にあるものを想像してしまうこともあって、どうしようもない。 

 

「今日の勉強会はどこで開くんですか?」 

「あー、また図書館あたりで考えてる」 

「上杉君、最近私たちの家を使いたがらないですよね。あそこなら時間も人目も声の大きさも気にしなくて済むのに」 

「いや、それはあれだ。明確な縛りがあった方が意識的に手を動かすようになるだろ。惰性でやるのが一番良くない」 

「考えあってのことなら構いませんが」 

 

 実を言うとそんな考えなんてなかった。意識の問題なんてのは今なんとなくひねり出したこじつけに過ぎない。とにかく、俺はもうあの家で勉強など出来るわけがないのだ。

どうやったって二乃との行為を思い出して悶々としてしまうし、あいつ自身、最近俺を焚きつけてあわよくばもう一度コトに及ぼうとしている節がある。

見え透いた地雷を踏み抜くほど愚かではないつもりだ。 

 

「それより五月、さっき一花は仕事だって言ったか?」 

「ええ。今日は撮影があるみたいで学校はお休みです。放課後までにはなんとか終わりそうだと言っていたので、勉強会には間に合うかと」 

「……そうか」 

「なにか?」 

「なんでもない。気にしないでくれ」

 

 残り僅かとなったパンを一気に口の中に放り込み噛み砕く。

先日の意味深なメールの後、俺は未だに一花と一対一で話す機会を持てていない……というか、極力二人きりにならないように立ち回っていた。

どんな話をしたところでロクな結末を迎えそうにないと分かっているからだ。

 

それでもいつかは何とかしないといけないというのは理解できていても、先を思うと頭が痛い。

幸い五月の反応からも分かる通り目撃情報の拡散は為されていないようだから現状一安心だが、近くアクションがあっても何の不思議もなかった。 

 

 それで言えば、三玖も三玖でだいぶ問題があった。 

 元から羞恥心や距離の取り方がどこかズレていたあいつだったが、あれっきり妙に近い。気づけば隣にいるし、酷い時は呼吸音がはっきり聞こえるくらいまでこちらに詰め寄ってくる。

それに触発された二乃までチキンレースを始めようとするからなおのこと手に負えなくて、勉強会のたびに俺の胃痛がマッハなのだった。

 

二人とも告白関連のことはなあなあの有耶無耶にしたままだから、絶妙に居心地が悪い。

スキンシップの過剰な奴なんだという理解は、明確に示された好意の前にはあまりに無力だ。

こんな状況の対処法などどこを調べても載っていないので自力で何とかする外なく、目下最大の悩みの種として俺の前に立ちはだかっている。

 

「上杉君、最近ちゃんと眠れていますか?」 

「どうした急に」 

「ここのところずっと元気がないので。自分たちが負担になっているんじゃないかなと」 

 

 実際は、お前の知らないところで複雑化した人間関係を思って精神が摩耗しているだけなのだが。

しかしわざわざこんな特大の爆弾情報を教えてやるわけにもいかず。 

 

「心配すんな。それは関係ねーよ。ただちょっと怠いだけだ」 

「無理は禁物ですよ?」 

「分かってる」 

 

 その思いやりに心の中でこっそり感謝を表明しながら、教室の前に固定されている時計を見た。昼休みも残すところわずかだ。 

 

「お前はどうかそのままでいてくれよ」 

「はい?」 

 

 疑問の声には答えず、次の授業のテキストを取り出した。五月の呆けたような表情が、妙に印象的だった。 

 

 

「来ないね、一花」 

 

 四葉の一声。 

 時計の針は図書館が閉じる三十分前を指しているのに、一花は未だ現れる気配がなかった。それどころか遅刻の連絡すらなく、今彼女がどこにいるのかも定かではない。 

 

 これまでも定刻にやってこれないという事態がなかったわけではないが、そういう時には必ず連絡が来ていたので、無断欠席は初めてのことになる。

二乃なんかは、先ほどからシャーペンの芯を出したり引っ込めたりしてまるで落ち着きがない。おおかた事故か何かに遭遇したのではないかと憂慮しているのだろう。 

 

「あ、連絡。一花から」 

「なんて?」 

「撮影が長引いちゃって、しかもその間スマホを触れる空気じゃないからメッセージを送るに送れなかったって。今日はもっとかかりそうだから、私のことは待たないで良いよってさ」 

「なーんだ。あんまり遅いから嫌なこと考えちゃってたわ。それなら一安心ね」 

 

 緊張から解放されたように二乃が肩の力を抜き、その他の一同の雰囲気も心なしか弛緩した。

この空気感の中で勉強が捗るとも思えなかったので今日は解散する旨を告げると、全員が用具を鞄にしまい始める。 

 

 その中で。 

 

「フータロー、この後時間ある……?」 

 

 と、ぎりぎり俺にだけ聞こえる声量で三玖が呟く。

これだけでこいつが目論んでいることが分かってしまって、俺の血流がおかしなことになった。 

 

「……今日も、着けてないんだけど」 

「バカ。今日はこの後用事だ」 

「……むぅ」

 

 お前そんなリスキーな装備で姉妹の前に出てきたのかと叱責したくなるが、これに関しては熱に眩んだこの前の俺が明確に否定なり拒絶なりを示さなかったのが悪い。

 

「フータロー、今日はウチでご飯食べていけば?」 

「なんだ突然」 

「この調子だと一花は向こうで食べてきそうだし、そうしたら一人前余るじゃない」 

「一人分少なく作ればいいだろ」 

「気づくと五人前になるのよ、癖でね」 

「……悪いが遠慮しとく。妹が夕飯作って待ってるからな」

 

 夕飯の誘いは魅力的ではあったが、俺は今後二乃から提供される飲食物に対し、常に細心の注意を払わねばならない。四度目は流石に食らえないだろ……。 

 

 不満げに唇をつーんと突き出す二乃から目を逸らし、五月に軽く目配せをした。「昼の鬱憤は夜晴らせ」的な意味合いを込めて。当然分かってもらえるはずもないが、そこらへんは五つ子でやりくりしてもらおう。 

 

「ほら、さっさと帰った帰った。ちゃんと自習もしとけよ」 

 

 告げて、一足先にその場を後にする。これ以上一緒の場にいると更に余計なことに巻き込まれる気がするから。……それに、他の事情も抱えている。

 

 室内にいると窓の外の変遷に疎くなってしまうようで、見ればとっぷり日が暮れていた。イマイチしっくり来ない位置に収まった鞄を身をよじってちょうどいいポジションに寄せ、重たい脚をとぼとぼと前に進めだす。一応後ろを確認してみるが当たり前にそこは無人で、後ろを尾けられているという事態はなさそうだった。 

 

 念のために周囲を更に複数回検分するが、やっぱり人の気配はしない。

肺にこもった重たい感情を呼気として吐き出してから、取り出したケータイでリダイヤルした。 

 

「なぜここまで手の込んだことを……」 

『なんとなくかな?』 

 

 電子音に変換された肉声はどうにも無感情に聞こえて、何かに怯えたように腕に鳥肌が浮かび上がった。女優見習いの面目躍如、だろうか。 

 

「一花」 

『なに?』 

「二人で話したいことってなんだよ」 

『分かってないの?」 

「……心当たりはあるが」 

 

 むしろ心当たりしかないまである。今この状況で話題に上るのが好きなおにぎりの具は何かとかだったら拍子抜けもいいところだ。

 

「だけど、いくら何でも姉妹騙くらかしてまで時間作ることはないだろ」 

 

 実のところ、一花の欠席には予め断りがあった。今日の勉強会には参加できないと、放課後になってすぐ俺に連絡が届いていたのだ。 

 

 ……だがまあ、問題はその後で。 

 

「仕事が長引く設定にしたって、それを最初に言っておけばもう少し……」 

『いやいや、今まで夜になっても帰れないなんてことはなかったからいきなりだと疑われちゃうよ。焦らして焦らして最後に伝えるからリアリティが生まれるんじゃない』 

「その頭をもっと別の場所で使って欲しいよ俺は……」 

『あ、良いんだ。そんなこと言ってるとこの前三玖とフータロー君がいちゃいちゃしてた時の写真、他のみんなに送っちゃうよ?』 

「正直すまんかった」 

『まあ、そんなの撮ってないんだけどね』 

 

 冗談は笑えるものだけにして欲しい。おかげで今この瞬間、あふれ出した手汗でケータイを取りこぼしそうになっている。あとちょっとだけ膝も震えてる。 

 

「……で、結局お前は俺をどうしたいんだよ」 

『どうもしないって。でもまああの子たちのお姉ちゃんとして思うところがないわけでもないから、一回会って話したいな』 

「いつ?」 

『これから』 

「どこで?」 

『駅前にカラオケあるでしょ? 私、今そこの近くにいるんだけど』 

「……了解」 

 

 簡素に答えると、そこで通話が切れた。明らかな面倒がやってくるのを覚悟しながら、目的地に足先を向けた。 

 

 

 おそらく一花が指し示したのであろう店舗に近づくと、店と店の中間地点にあたる壁に背を預けてスマホをいじっている彼女の姿が目に入った。

どう話しかけたものかと少し悩む間に向こうも俺の姿を視界に捉えたようで、によによ笑いながらこちらに手を振ってくる。 

 

「早かったね」 

「普通だろ」 

「写真は本当に撮ってないから安心してね。わざわざ身内の爆弾を作る趣味なんてないし」 

「……そりゃどうも」 

 

 心の中では万に一つくらいの可能性を捨てきれていなかったから、彼女が示した明確な否定にそっと胸を撫でおろす。

そんなえげつないものを脅しの材料に使われたら、今後の人生俺はこいつの言うことに絶対服従だ。

ただでさえ一花には、いつかの膝枕画像を握られたままだし。 

 

「でも、すごいびっくりしちゃったなあ。まさかあんな……ねえ?」 

「……何だよ」 

「いや、合意の上ならこっちからは何も言えないけどさ。……でも、場所くらいは選んだ方が良いよってお話」 

「…………」 

 

 お宅の妹さんが主導ですよと伝えてやっても良かったが、今は何を言おうが言い訳がましくなるのでやめた。結果的にその流れに乗ってしまった俺がいた以上、話は繕いようがない。 

 

「歩こっか」 

 

 他の歩行者の邪魔になるからと言って、その場を離れる。集合出来た以上、ここはもう用済みというわけか。 

 

「どこを目指すんだ」 

「何も考えてないよ。ただ適当にぶらぶらしながらお話したいなって」 

 

 どんな話になろうとも、最終的に俺の肩身が狭くなるのは確定なのだ。先が思いやられるというか、考えただけで胃が痛むというか。

そもそも罪は俺と三玖が同じだけ背負っているわけなのだから、俺だけが一方的に追いつめられるという構図はどうなんだろうか。

釈然としない感はあって、そのあたりのすり合わせが自分の中でまるで上手く行かない。 

 

「今日の勉強はちゃんと進んだ?」 

「良くも悪くもいつも通りだ」 

「そっか。なら置いていかれないようにしなくちゃね」 

「他の誰かからノート見せてもらってくれ。ついでに再現授業でもしてもらえば完璧だろ」 

「じゃあそうしようかな」 

「…………」 

「どうかしたの?」 

「別に……」

 

 とにかく、神経が磨り減る。

今はどういう心境か会話が脇道に逸れているが、この際だからさっさと本題に移ってくれないだろうか。

警戒しっぱなしのままでは、ただの雑談でさえ裏に意味がこもっているのではないかという猜疑心が尽きてくれない。

この調子では心労でダウンしてしまいそうだ。 

 

「もっと肩の力抜いていいのに」 

「無茶言うな」 

「そんなに後ろめたいならしなければ良かったんじゃないの?」 

「そういうこと言われそうだから警戒してたんだ俺は」 

「三玖とはいつから?」 

「いつからってなんだよ?」 

「もう、察し悪いなあ」 

 

 言って、一花は眉根を寄せた。それはそれは大変に不満そうな表情を浮かべながら。 

 

「私、人の感情の機微にはだいぶ敏感な方だと思ってたんだけど、あまりにも突然だったから」 

「……?」 

「最近付き合い始めたんだったら、すぐ分かるものだとばかり」 

「…………」 

「だから、いつそういう間柄になったのか、純粋に気になっちゃって」 

「……あー」 

「二人とも、意外と隠すの上手だなあって。こっちが参考にしたいくらい」 

「…………あー」 

「発声練習?」 

「………………あー」 

 

 言うたびに少しずつ空を仰ぎ、目の焦点をぼやかす。もう、なにもかもが面倒だ。俺はここから何をどう訂正すればいい。 

  

「えーっとだな。まずは……」 

「まずは?」 

「……ちょっと待て」 

 

 まず俺と三玖がやらかした背景には、どうしようもなく二乃の存在が絡んでくる。……が、ここで一花にみすみすそのことまで話してしまっていいのかという疑問が湧いた。

 

それは知られないに越したことはないし、なんなら知られたくないことだから。これ以上弱点を増やしてしまっては全身が急所になる。

願わくば、それは避けたい。 

 

 かと言って、その出来事を抜きにした説明で彼女を納得させられるかといえばそれもまた首を傾げざるを得なかった。

そもそも俺の偽証能力が試される課題でもあるし、深く突っ込まれたら粗が出るのは必至。

であればふわふわした曖昧な説明で納得してもらうしかないが、果たしてそれで上手く行くかどうか。

 

 一旦落ち着こう。まずは各々の立ち位置と知っている情報を確認するべきだ。 

 関わっている人間は俺、一花、二乃、三玖の四名で、それぞれ蓄積している情報量には差異がある。

俺の関与しない場所で駆け引きが生じている可能性もあるが、そこまで考慮すると厄介なので、ここでは俺の視点から見たことを中心にまとめておこう。 

 

 まず二乃。一言でまとめれば元凶。

あいつの存在なくして今の俺の思考はない。

この構文は感謝をメインに扱われるものだと思って生きてきたが、どうやらそんなこともないらしい。三玖の発言を聞いている以上その後何が起きたかも察しているだろうし、ポジション的にはかなり深いところにいる気がする。 

 

 次に三玖。助けられたようで、その実色々と複雑になっただけだった。

今になって思えば、いっそあそこで全部放り投げていた方が精神的に楽だったのではなかろうか。

信頼関係云々とか言っていたが、正直もう胃が痛い。

再構築のワンチャンスに賭けてみた方がマシだった説すら俺の脳内に浮上している。 

 

 そして一花。おそらく二乃とのことは知らないから、そのあたりの事実関係をどう誤魔化すかに全てがかかっている。

だが、ぶっちゃけ自信がない。どこかでミスをする気がしてならないのだ。 

 

 ついでに言うなら、二乃も三玖も一花のことは知らないから、ここで情報の互換性を断てるならそれが一番だった。

もういい。お腹いっぱいだ。これ以上厄介ごとが増えるのはごめん被る。 

 

 以上を踏まえて、俺が一花に対しどんな弁明をすべきか。その結論は。 

 

「付き合ってはいない」 

「え」 

「その場の流れだった」 

「え」 

「どうしようもなかった」 

 

 鳩が豆鉄砲食らったような顔……と言われてもぱっと理解出来るものなのだろうかと人生のうちで再三考えてきたが、今の一花の顔がそれに該当することは想像に難くない。予想だにしない答えだったのだろう。 

 

「え?」 

「聞き直されても、同じことしか言えないが」 

「ええ?」 

「いや、だからその、若気の至りというか……」 

「…………」 

 

 絶句、である。

ここまで気持ちよく黙られると、なんだか一周まわって心に余裕が出来てきた。

 

下手な嘘で自身を窮地に追い込むくらいなら、いっそこれくらいあけっぴろげにしてしまえばよかったのだ。

 

なお、この捨身戦法は後のことを考えていないからこそ出来るものであって、建設的かそうでないかと問われれば笑顔で「そんなわけねえだろ」と吐き捨てなければならない程にすてばちだ。

 

「せ、性に奔放なんだね」 

「はっきり言ってくれ」 

「ちょっと最低……」 

 

 だろうなーと頷く。

当の俺とて同一の見解を示しているのだ。

状況は地獄めいて複雑で、もはや何もかも収拾がつかない。

勘弁してくれよと匙を放り投げたくなる気持ちでいっぱいなんだ。 

 

 けれどそうすると当初の注文である『姉妹そろって全員卒業』までたどり着ける可能性が格段に低くなるため、この土壇場でどうにか踏み留まるのは必須。

諦めるには、まだ少し早いように思う。 

 

「……で、ものは相談なんだが」 

「なに?」 

「その、今後も家庭教師を続けるにあたって、今回のあれこれはどうか見なかったことに……」 

「……ふーん」 

 

 手を顎から唇のラインに添えて、半目でこちらを見てくる一花。

その様は何かを検討しているようであって、悪い予感から思わず右脚を一歩分後ずさりさせた。 

 

 我ながら情けないことを言っているのは重々承知だが、いかんせんこれくらいしか打てる手立てがない。

どうにか情報漏出に歯止めをかけないと、対応事象が増えすぎて比喩抜きで死んでしまう。それはまずい。 

 

 だから、五つ子の中ではかなり話が通じる方の一花の良識に全てをぶん投げざるを得ない。

これが最適解だということに眩暈がするが、もはやこれ以外に頼める手段がないので腹をくくろう。後生だ。 

 

「ねえ、フータロー君」 

「なんだ」 

 

 にこやかな顔で、一花は。 

 

「……タダで、とは言わないよね?」

 

 なんて一言を告げた。 

 

 まあ、予想できたことだ。対人関係において培ったアドバンテージを口約束で投げ捨てる人間というのは、きっとそう多くはない。 

 

 だからおそらく、俺がここで何かしらの代償を支払うことにより、利益の釣り合いをとるのだろう。

それで済むのなら可愛いもので、今後のリスクを考えるならこれは限りなく必要な犠牲だと断言できる。 

 

 問題は要求内容がどんなものになるかだったりもするのだが、こと一花において必要以上に無茶なことは起こらないだろう。そのあたりは信用が出来た。 

 

 とにかく、時間なり金銭なりで解決できるのならそれに越したことはない。襲い来る脅威をマネジメントするという観点から見れば、ここが一大ターニングポイントであることは疑いようもないのだった。 

 

「……出来ることなら」 

「じゃあ――」 

 

 さて、どう転ぶか。なんにせよ、俺に選択肢なんてないのだが。 

 

ーーー

ーーーー

ーーーーー

 

「…………」 

「歌わないの?」 

「いい……」 

「そう?」 

 

 元来た道を戻るようにして、俺と一花は集合場所にしていたカラオケ屋に入店していた。

イマイチ状況が飲み込めていないが、ひとまずはじっとしていれば良さそうだ。 

 

 曲目を選択する機械……確かデンモクと言うのだったか。

一花はそれを器用に操って、いくつかの曲を予約していく。

 

流行にはさっぱりな人間なのでそれらがどの程度の人気を誇るものなのか知る由もないが、そんな俺の疑問をよそに一花は続けざまに何曲か熱唱してみせて、その間に俺はなんとなく近くに置いてあったマラカスを振っていた。我ながら何をしているのか謎である。 

 

 ドリンクバーから持ってきたグラスに珠のような水滴が浮かび上がっている。

少なくとも三十分以上は彼女のオンリーショーに付き合っているが、時間をかければかけるほど、今やっていることの意味不明さが際立った。

特に説明もないまま店に来て、特に説明もないまま歌いだしたのだから無理もないことだ。 

 

 マラカスを持った腕を規則的に振りながら、彼女の意図を考える。なんだろう、ここの支払いを俺に任せる……とかだろうか。

この頃は姉妹の生活費を稼ぐために必死でストレスが溜まっているだろうし、その解消のために。 

 

 有り得なくはないように思う。

節制を求められる環境下にあって、娯楽に興じる余裕も少ないだろうし。

ただでさえ長姉としての振る舞いを自身に義務付けているような奴だから、妹に泣きつくのはためらいそうだ。

そこの溝を俺で埋めるというのは考え方としては多いにアリだし、理に適う。

丁度いい部外者としての役割だ。 

 

 ……が。 

 

 秘密の代価として支払うものがこれだけというのは流石に安すぎる気がする。

人生一発終了レベルの爆弾なのだから、もっと上手い活用法なんていくらでもあるはずなのだ。

 

確かに一花は馬鹿かもしれないが、そこまで頭が回らない奴だとは思わない。

これではいくらなんでも手札の切り方が下手くそ過ぎやしないだろうか。 

 

 これが俺の深読みであるのが一番なのだが、まだ何か裏がある気がしてならない。女の強さをここ最近身に染みて感じているせいで、世の事象を素直に納得できなくなってしまった。

 

「ふー、歌った歌った」 

 

 手で作った団扇で自らをぱたぱたあおぎながら備え付けのソファにぼすっと腰を下ろした一花は、そのままの勢いで氷がずいぶんと溶けだしてしまったジュースをあおる。

額にはうっすらと汗が浮かんでいるようでもあった。 

 

「どうだった?」 

「どうだったとはなんだ」 

「私の歌がどうだったかってこと」 

「……大変お上手でしたね?」 

「他人行儀ー」 

 

 歌の上手い下手などよく分からないが、これといって不快ではなかったから、たぶん上手い方に属するのだろう。一応褒めたつもりなんだこっちは。

 

「あー、損ねちゃうなー。機嫌損ねちゃうなー」 

「すげー上手かった」 

「冗談だって」 

 

 くすくす笑う彼女の片手にはスマートフォンが握られていて、俺としてはもう気が気でない。

お願いだから脅さないで。 

 

「……ちなみにフータロー君、私の機嫌を本当に損ねたらどうなると思ってる?」 

「今すぐ姉妹に今回の話をあることないこと交えて暴露」 

「…………私、そんなに悪い子に見えるかな?」 

「見える見えないの問題じゃない。俺は可能性の話をしている」

 

 

 万が一にも有り得る以上、細心の注意を払わないといけない。

下手をすれば家庭教師どうこう言っていられなくなるんだから。 

 

「これからずっと私の態度に警戒して接していくの?」 

「仕方ないだろ。それ以外に出来ることなんてないし」 

「えー、それは息苦しいよ。私も面倒」 

「と言われてもなあ……」 

「どうするの、そこで鬱憤がたまりにたまって、結果的に機嫌を損ねることになっちゃったら?」 

「…………」

 

 酷いデッドロックだ。まるで上手い解決法が見当たらない。

どうすりゃいいんだ……と頭を抱えてみたところで、具体的な対応策が生まれてこない。 

 

「そんなフータロー君に朗報です」 

「なんだ」 

「今ならもの凄く簡単にこの状況をやり過ごす方法があります」 

「マジか」 

「マジです」 

「……ちなみにどんな?」

 

 藁にも縋る思いで聞くと、指先でちょいちょいと手招きされる。

近寄れということかと勝手に理解して彼女の隣に居場所を移すと、再度の手招き。

 

そこで一瞬考えてから、耳を一花に差し出した。

分かりやすい内緒話だ。 

 

 彼女は「んっんー」と歌で酷使した喉を整え直してから、俺の耳元にその唇を近づけて、 

 

「…………ふぅ」 

 

 と生温かい吐息を一かけた。

これにはさしもの俺も反射的に跳び上がる。

「うぁ?!」みたいな情けない声をあげながら。 

 

「え? え? どういうことだこれ?」 

「いたずら」 

「おま……シチュエーションを考えろシチュエーションを」 

「ごめんって。ほらもう一回」 

「頼むぞまったく……」 

 

 こんなところで茶目っ気を出されても対処出来ない。

神経をかなり尖らせていたので、背中がめちゃくちゃぞくぞくする。 

 

 というか、本当にそんな方法があるんだろうか。

解決ではなくやり過ごすという言い方がミソなのだろうが、どう頑張っても俺の頭では思いつかない。

女子特有の観点とか、そういった角度から切り込むのか? 

 

 疑問符を浮かべながらももう一度耳を貸す。

なんにせよ、聞かないことには始まらない。 

 

「……あのね」 

「おう」 

「……フータロー君も私の秘密を握っちゃえばいいんだよ」 

「……?」 

 

 耳元でぽしょぽしょ呟かれた内容を理解するまでには、思いのほか長くの時間を要した。

だって、どう考えてもそのやり方を選ぶ益が一花にはない。

総合的に考えれば、俺の一人勝ちになってしまうんじゃないのか。 

 

「意味が分からん」 

 

 向かい合って問う。どういうこっちゃと。 

 

「お互いが弱みを握り合えば、一周して何しても平気になるでしょ?」 

「いや、その理屈は分かる。問題なのはお前にメリットがなさすぎることだ」 

「…………意外にあるんだよねそれが」 

「……どういう意味だ?」 

「こっちの話こっちの話」 

 

 そう言われれば首を傾げる以外に俺が取れる行動はなくなる。

とにかく、自身に分の悪い取引を望んでしてくれるというのなら、俺にとっては願ったり叶ったりだが……。 

 

「あの、一花……?」 

「どうかした?」 

「いや、ハンガーあるんだからドアに上着かけなくてもよくないか……?」 

「ううん、これでいいの。むしろこれじゃなきゃダメ」 

「……ほう」 

 

 おあつらえ向きの密室。

唯一ののぞき窓は衣類でシャット。

 

内緒話のスケールがどんどん大きくなっていくことからも分かる通り、教えてくれる秘密の内容がとんでもないのだろう。

俺はそれを胸に秘めて、今後は前のように健全な付き合いを心掛けるだけ。

 

憂慮の全ては今ここで断ち切られるって寸法だ。

一花には感謝してもしきれない。……だけどなぜだろう。

先ほどから、悪い予感が溢れて止まらないのは。

 

「あの、一花……?」 

「どうかした?」 

「いや、暑いんだったら冷房入れれば良くないか……?」 

「ううん、これでいいの。むしろこれじゃなきゃダメ」 

「……ほう」 

 

 妙に脱衣している気がした。

いくら暑いからって、靴下まで脱ぐことはなかろうに。

節約生活の影響か、こんなところでまで電気代を気にしてしまっているようで微笑ましい。……微笑ましいか? 本当かそれ? 

 

 頬は妙に上気しているし、呼吸は荒いし、俺はこんな感じの女の子に非常に見覚えがあるんだが……。 

 

「あの、一花さん……?」 

「どうかした?」 

「なんで下着姿に……?」 

「え?」 

「え?」 

「だって、着たままじゃ面倒でしょ?」 

「え?」 

「三玖とは着たまましたみたいだけど」 

「え?」 

「お姉ちゃんとして、妹に先を越されっぱなしなのもどうかと思うし」 

 

 ソファの上をじりじり後退する俺を追い詰めるように、ほぼ裸の一花が一歩ずつこちらににじり寄ってくる。 

 やがて俺が後ろに退がれるだけのスペースは消え、後は一花との距離が詰まるだけ。

 

「待て一花。一体何をするつもりだ」 

「セッ――」 

「――やっぱ言うな。早まるな。話せばきっともっといい妥協点があるはずだから」 

「……もう、しょうがないなぁ」 

「ふぅ、見立て通りやっぱりお前は話が分かる奴――」 

「フータロー君が耐えられたら、考えようね」 

 

 オレンジジュースだろうか、この味は。目線で机の上を追うと、ちょうどそんな感じの色をした液体が置かれていたので、俺の味覚もまだまだ捨てたものではないらしい。 

 

で、問題なのは、その味をどこから感じているかなのだが。

 

「…………」 

 

 しかし自身の口許を確認しようにも、目の前に人間大の障害物があるためどうにもならない。

というか実際に人間が立ちふさがっている。覆いかぶさっている。

 

俺の胸部にはこれまた覚えのある柔らかな感触が押し付けられていて、機能不全に陥った口の代わりに鼻で息を吸うと、風呂場で感じるような甘い香りがした。 

 

 とっくに理解できてしまっている現状を知らんぷりで誤魔化すべく必死になっていると、上の前歯あたりからこつっという衝撃が響いた。これは知らない感覚で、思考が一気に現実に引き戻される。 

 

「……下手くそだね、私」 

 

 眼前の一花が気まずそうに笑い、俺からちょっとだけ離れる。

彼女の右手は口許を覆っていて、今の一瞬に何が起きたかを薄ぼんやりと把握した。 

  

「…………醒めたか?」 

 

 たぶん、歯が当たったんだと思う。流石は大理石を超えたモース硬度。暴走した人間に自我を取り戻させることくらいなんてことない。

 

「なんか、ごめん……」 

「いや、謝られても……」 

 

 なんだか超絶気まずい空気が流れている。

情動を支えるには最低限のテクニックが要るんだなあとどうでもいい発見を得て、肌面積が大きすぎる一花から目を離した。

長時間眺めているのは体に毒だ。 

 

 俺の反応を見て、一花は腕で自分の上半身を掻き抱いて、ちょっと恥じらってみせた。

女性とは恥じらいの生き物だったなあと肝心なことを思い出す。

 

どうにも俺の周りの女子はスタンダードではないらしいので、徐々に俺の感性がメインストリームから逸れていっている気がしないでもなかった。

 

「…………これで十分だろ、共有する秘密。キス下手くそって。黙っておくから、そっちも頼む」 

「うん……」 

 

 重っ苦しい空気感から脱しようと努めて、手持無沙汰な右手で未だくすぐったさが抜けない耳を掻く。

次いで立ち上がってかけっぱなしになっている一花の上着を取り、乱雑な手つきで彼女に羽織らせた。 

  

「ごめん……」 

「だから謝られてもどうしようもないんだっての……」 

「いつも余裕ある風に気取ってるのにこれはちょっとね……」 

「弁解は後から聞いてやるからとにかく今は服を着ろ。目のやり場に困る」 

 

 しかし一花は三角座りのままどんどん小さくなっていくばかりで、一向に行動に移らなかった。

なんというかもう、見ていて痛々しいばかり。 

 

 俺の感性ではよく分からないが、世間一般的にキスの技能は必須だったりするのだろうか。

ここまで凹むってことは、実際そうでもないと説明がつかないし。

二乃も三玖も、まあ取り立てて下手だったわけでもないし。 

 

でも……なあ? 

 

「そんなに落ち込むことか?」 

「もうちょっと上手く出来ると思ってたの」 

 

 そう言われようにも、歯が当たってしまった事実は消えてくれないし、ここはどうにか切り替えてやっていくしか選択肢がないと思うのだが、気持ち的にそう簡単には割り切れなかったりするのだろうか。

理想と現実との乖離が思った以上に大きくて、そのギャップに打ちひしがれているとか。 

 

 でも、それは彼女個人の問題だから、外野の俺がどうこうしてやれることじゃないし……。

そもそもまた女の子から強襲されて、いよいよ誰を信じればいいんだよ状態に陥ってるし……。 

 

「ねえ、フータロー君」 

「なんだ」 

「……三玖はどんな感じだった?」 

「…………」

 

 あいつはもう、キスがどうとかいったレベルではなかった。異常な暴走っぷりだったし。……かなり気持ちよかったのは認めるけど。 

 

 だからといって、それを馬鹿正直に教えて誰が得をするのか。

俺は言い損だし、一花は傷心が加速するだけでは……? 

 

 なら、ここは優しい嘘で誤魔化すのが一番正しい選択なのではないかとさえ思う。拗らせるのは勘弁願いたい。 

 

「似たようなもんだったよ」 

「嘘だ」 

「…………」 

「あ、本当に嘘ついてたんだ」 

「なぜここでひっかけを……」 

「そっか。三玖は上手だったんだ」

 

 更に一花が小さくなった。

自信とか尊厳とか、人が生き抜いていくうえで大切なものが根こそぎ破綻していっている感じだ。

さっきまでとは別の意味で見ていられない。 

 

「恥ずかし……」 

「キスの巧拙とか人生においてそこまで重要じゃないだろ」 

「でも、今後フータロー君はさ、私がみんなに対してお姉さんっぽい言動をするたび、『でもこいつはキス下手なんだな』って思うじゃない」 

「それがなんなんだよ……」 

「フータロー君が行き詰ったときに『困ったらお姉さんに相談するんだぞ』って言っても、『そんなこと言ってるけどこいつはキス下手なんだよな』って思うんでしょ」 

「被害妄想すげーなお前」 

「でも、心のどこかでちょっとは考えるじゃない。キス下手なのに強がってるんだなあって」 

「それは悪いことなのか……?」 

「悪いよ……居心地が」

 

 俺の評価なんかで何が変わるとも思えないが、一花的に俺に舐められっぱなしなのは癇に障るらしい。

まったくもって謎な価値観だが、この落ち込みようを見ると、彼女にとってはものすごく大事なことなのだろう。 

 

「三玖と私が話してるところを見たフータロー君は、これから絶対考えるようになるんだよ?『あ、上手い奴と下手な奴だ』って」 

「お前の中で俺がどんな認識を受けてるのか分からなくなってきた」 

 

 どんだけ根が深いんだこれ。正直ちょっと怖くなってきた。

一花のキスに対する執着は異常だ。 

 

「……フータロー君はさ、きっと上手なんだよね」 

「え、そこに飛び火すんの?」 

「三玖と上手なキスしたんでしょ? なら、私よりは絶対に上じゃない」 

「……確かに歯は当たらないかもしれんが」 

「ほら、そうやっていじめる。キスマウント取ってくる」 

「なんだよそれ……」 

 

 どんどん小さくなる一花がややむくれた。情けなさが憤りに変換されてきたようだ。おかげか八つ当たり期に入ってしまっている。 

 

「……ねえ、フータロー君」 

「なんだよ」 

「一つお願い聞いて」 

「それで解決するならこの際聞いてやるよ……」 

「…………やり直し」 

「は?」 

「もう一回、やり直し、させて」 

「いや、いやいやいや。それとこれとは話が違うだろ」 

「本当にそれだけだから。私を助けると思って、どうかもう一回だけ」 

「……それが上手くいけばさっきの面倒くさいいじけは終わるのか?」 

「終わる。約束する」 

「…………本当に一回だけか?」 

「もちろん」 

「………………金輪際こういうのはなしだからな」 

 

 なんだか上手く流されてしまった気がするが、あんな面倒な状態の一花をこの先慰める手間を思えば、ちょっとちゅっとやって納得してもらった方が早いと自己完結してしまった。

 

生憎というか幸運というか、同じ体のつくりをした連中で事前練習はばっちりなので、俺が上手いことリードしてやればすぐ終わる。

俺もこんなことを考える人間になってしまったんだなぁと変わり果てた自分の姿に悲しくなるが、背に腹は代えられまい。 

 

 

 

 一花と目線を合わせるべくソファに両膝をついて、はーっと大きく息を吐く、大義のために短期的な犠牲は止むを得ないのだと必死に自分を説得しながら。

 

「……とりあえず目を瞑れ」 

「……ん」 

「……高さの都合的に、ちょっと上向いて」 

「……ん」 

「……あとはもうちょい力抜け。またぶつかるぞ」 

「……ん」 

 

 いざ行程を口に出していくと、自分たちが今めちゃくちゃ恥ずかしいことをしているというのが分かってしまった。

 

 これまでは行為の中の流れで口づけるか、そうでなければ一方的に奪われるかの二択だったせいで、割と心に余裕がある状態、つまりは理性的な状態でこの状況を俯瞰してしまうと、これがなかなかにキツイ。

過去俺はとんでもないことをしていたのだというのが分かってしまうのが、その思いに拍車をかける。 

 

「……じゃあぼちぼち行くから覚悟決めとけよ」 

「…………ん」 

 

 さっき一度唇どうしがくっついているので、それに対しては抵抗感が少ない。

守るものが少ないと、人は無敵になれるらしい。

 

 とにかくちゃちゃっとやって後は何事もなく帰ろう。

それが俺のためだし、ゆくゆくはこいつらのためにもなると信じている。 

 

 背に手を当てて、彼女の体をゆっくり引き寄せ、口づけた。

その瞬間、一花が怯えるようにびくりと体を震わせたがそれは無視。いちいちそういうのに構っていては日が暮れてしまうというか、もう夜だから朝が来てしまう。 

 

 一花は借りてきた猫のように大人しかった。

 というかこれ、一花は下手くそなままじゃないのかという疑問は、そっと胸にしまい込んだ。

そんなことを言っていたらもう一回、あと一回と無限にだらだらループしていくのが丸わかりだし、俺が保たない。

正直今もかなり恥ずかしいのにこれ以上なんて勘弁被る。 

 

 自分が冷静であるからこそ、この行為の異常性は承知している。

ここ最近色々あったせいで俺の中にある心理障壁がずいぶんしょぼくれたものになってしまった。

人並みの貞操観念は持ち合わせていたはずだったのに。 

 

 それなりの時間が経ち、ゆっくりと彼女から離れる。

 

「お、終わり……?」 

「終わり」 

 

 なぜか目を瞑ったままで聞いてくる一花。どうも思考と行動がちぐはぐになっている感じがする。 

 

 震える手で何度も口許をぺたぺた触っている様子は、なんだか小動物のようにも思えた。 

 

「こ、こんな感じなんだね」 

「分かったら今度こそ服着てくれ」 

 

 未だに下着のままなので、やっぱり目線を迷わせざるを得ない。もし着衣状態だったとしても、顔をじろじろ見ることが出来たかどうかは謎だけど。 

 

「なるほど……」 

「なんだよ」 

 

 俺の顔と自分の手許とを交互に見比べる一花の一言。一体何に納得したかは不明だし、これと言って聞き立てようとも思わなかった。 

 

 というのも、こういう状態のままで拘泥していると碌な結末を迎えないのが火をみるより明らかだからだ。閉鎖環境は人を充分に狂わせ得る。早急に立ち去らないことには、まーた面倒なことが起きるに違いないのだ。 

 

「あの、フータロー君……」 

「やめろ。それ以上言うな」 

  

 もじもじと内腿を擦り合わせる涙目の一花。全身からはフェロモン的なものが漂っているし、次に口から放たれる言葉がどんな類のものかはやすやすと推測できた。 

 

 こうなってしまうと、もう聞かないか言わせないか以外の対抗手段がない。耳を塞いでも骨振動で聞こえてしまうだろうから、ええいままよと片手で直接彼女の口を押さえにかかる。 

 

「私すっごいむらむら……」 

「あーーーーー」 

 

 カラオケボックスという防音環境を最大限に生かし、彼女の言葉を封殺。がっつり聞こえてしまった気もするが、封殺。 

 

 ここには何もなかったし、俺は何も聞かなかった。それがなにより一番だ。

そもそも……なんだ。俺自身、さっきので不覚にも盛り上がりかけているので、ここで下手に一押しされるとまずい。

二の舞三の舞まで秒読みだ。 

 

「みんなと寝室同じだから最近なかなか処理出来なくて」 

「やめろ。お前の性事情を聞かせるな」 

「ごめん、もう無理かも」 

「……待て。お願いだから落ち着いてくれ」 

「じ、自分で何とかするから」 

 

 一花の手を、こちら側で強引に押さえる。

何をおっぱじめる気かは知らないが、放置しておいて状況が好転するわけないだろうという自分の直感に従った形だ。 

 

 選択を一つ誤れば頓死する未来が見える。というか当の俺の頭がくらくらしてきている。 

 

「なんで止めるの?!」 

「知るか。本当ならお前が自制するとこだぞ」 

「ほ、ほんとにやめて。おかしくなっちゃう……」 

 

 気づけば、じりじりと俺が後退させられている。どこにそんな力を隠していたのか謎だが、火事場の馬鹿力と言われればそれまでだ。 

 

 このままでは振りほどかれて即大惨事なので、腕力が分散しないようにやや密着して両腕を封じる。俺のしょぼくれた力ではこうでもしないと抑えきれない程になっている。 

 

 なんとか絞り出した力で彼女の腕を止める。痣になっても困るので握力に気をつける手間を含めて、かなり神経を削る作業だ。 

 

 で、詰めの甘さに定評のある俺は、ここでもまた寄せ方を間違っていたらしく。 

 膝頭にやたらと熱い何かが触れていることに気付くまで、そこそこの時間を要してしまった。 

 

「待て。止めろ」 

「ご、ごめ……もう、どうにもならなくて……」 

 

ーーー

ーーーー

ーーーーー

 

「はぁ…はぁ…はぁ」

 

「ねえ、フータロー君」 

「なんだよ……」 

「この状況をやり過ごすいい方法があるんだけど、知りたい?」 

「…………悪い一花。俺今確かに思ったわ。こんなに余裕綽々な感じだけどそういやこの女キスすげー下手くそだったなーって」 

「それはもう忘れて!」 

「はいはい。……で、方法とやらは?」 

「……いや、もうここまで来たら誠意を見せて最後までしてもらえたらなって」 

「……..」

「私、フータロー君のこと….好きだよ」

 

 

 それからはまあ、特に言うこともなかった。カラオケボックスの時間制限いっぱいまで持て余した日ごろのフラストレーションを解消した。 

 

 時間を告げる電話で一花が延長を要求しようとしたときは全力で受話器をひったくったが、それ以外は語ることもない。 

 

 

 …………夜風によって冷やされた頭が、とんでもない勢いで俺を叱責し始めるのだが。 

 

「フータロー君、するときキャラ変わるね」 

「言わないでくれ……」 

 

「でも、うん……うん。すごかったね」 

「やめろ。蒸し返すな。あれは今日限りの夢だ」 

「絶対今晩夢にみると思うな」 

「申告するな」 

 

 

「……改めて言うけどさ、あれはほんとだからね」 

「…………勘弁してくれ」 

「む、女の子の告白をそんな風に扱うんだ。良いよ。君がそれなら、自爆覚悟で三玖に今日のこと教えるから。すっごく情熱的に求められたって」 

「何一つ嘘がないから余計厄介だ。やめてくれ。……別に嫌なわけじゃないけど、とにかく今は勉強に集中する時期だろ、お前らは特に」 

「恋愛してる場合じゃないと」 

「そうだ」 

「Hはするのに?」 

「揚げ足を取るな」 

「……じゃあ、卒業した後はどうなるの?」 

「……………………知るか、そんな先のこと」 

「ふーん……………………」 

 

 それっきりにやにや笑いながら黙ってしまった一花を家の途中まで送り届けて、帰宅した。

デジャブを恐れてケータイは見なかったが、寝て起きても、特に大きな問題はなかった。…………また、夢に見てしまったことを除けば、だが。 

 

 

「上杉君、今日もお疲れのようですけど大丈夫ですか?」 

「……体力不足だ」 

 

 昼休み、再び五月に話しかけられた。俺は疲れ切った体をぐでっと机に投げ出して、出来る限りの消耗を抑えている。 

 そりゃああれだけ動けば体にガタも来る。当たり前のことだ。 

 

「一花も今日はいつも以上にお寝坊さんでしたし、やはりちゃんと休息をとるべきだと思いますよ?」 

 

 そいつが疲れている原因はきっとお前が思っているものとは違うぞ……とは言えない。

 

「今度の休みは勉強ほどほどにして寝るよ。とにかく、そこまで気遣わなくて大丈夫だ」 

「そうでしょうか。……あの、上杉君?」 

「なんだよ」 

「首のところに赤い痕が見えますが、まさか……」 

「いや、違うぞ五月。一旦落ち着いてくれ」 

 

「虫刺されですか? 最近多くなってきて嫌ですよね」 

「五月」 

「はい?」 

「お前はどうかそのままでいてくれ」 

「上杉君、昨日からちょっと変です」 

 

 その声には答えず、俺は次の授業のテキストを取り出す。 

 付き合いの中で初めて、こいつが馬鹿で良かったと心の底から思った瞬間だった。 

 …………ようやく、俺の家庭教師生活の明日が見えてきたかもしれない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

元スレ

中野一花「うらはらちぇいす」

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