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結衣「…やっぱり…わたし、ヒッキーのこと….」【俺ガイルss/アニメss】

 

最初はほんとに偶然だった。

 

早朝にサブレを連れて、これから通うことになる高校を見ておこうと思っていただけ。

 

朝も早かったしすぐに帰るつもりだったから、寝るとき着ていたクマさん柄のパジャマのまますっぴんで出掛けていた。

 

高校の近くまで行ったしそろそろ帰ろうかな、と思っていたところでサブレが野良猫を見つけた。

 

あたしに似たのかあたしが似たのか、サブレは好奇心が強いのに気がとても弱い。

 

だから猫とか他の生き物に近付かれると、すぐに逃げ出そうとする。

 

そんなサブレはとても可愛い。こうやって甘やかしてばかりだから飼い主としての威厳がないって言われてサブレには舐められるんだろうなぁ。

 

けど、サブレは相手から近付かれると怯えて逃げてしまうのに、相手が逃げると追いかけてしまう。え、もしかしてただの捻くれ者なの?

 

その時の野良猫は気が弱かったのか、サブレを見てさっと逃げ出そうとしてしまった。

 

これから通う高校に期待を膨らませて、この道を毎日通るのかなぁとかボーッとしていたんだと思う。

 

サブレはあたしの手にあったリードを振り切って、野良猫を追いかけて走り出してしまった。

 

そういうのは散歩中にもたまにあるんだけど、普段の散歩の時は危なくない道を通るようにしてるし、慣れてる道だからそんなに慌てないで追いかけて捕まえてた。

 

けどこの時は慣れない道で、しかも交通量の割と多い道路がすぐ傍にあった。

 

走るサブレは楽しくなったのか、慌てて追いかけるあたしからさらに逃げるように走り出す。

 

待って!サブレ!危ないから!

 

そう思った時には既にサブレは道路にまで飛び出していて、その前には一台の真っ黒い車が迫っていた。

 

頭が真っ白になった。思わず目を覆いそうになった。

 

そこへ、その人は突然飛び出してきた。

 

自転車から飛び降りるようにサブレと車の間に体を投げ出し、サブレを守るように、衝撃に備えて頭を伏せる。

 

聞いたことのない嫌な大きな音がして、真っ黒い車は自転車とその人を弾き飛ばした。

 

そこからのことはあまりにも衝撃的だったせいか、頭が働いてなくて正直なところあんまり細かく覚えてなかったりする。

 

サブレの無事を確認した後、もう逃げないように抱き抱えてから、あたしのせいで怪我をした、サブレを救ってくれた人の姿を見た。

 

その人はあたしがこれから通う総武高の制服を着ていて、怪我をしたのか足を押さえて痛みに苦悶の表情を浮かべていた。

 

あたしは、大丈夫ですか、というような声すらかけられてなかったと思う。

 

それからその人を跳ねた車から、漫画で見る執事のような運転手の人が降りてきて、落ち着いて対応を始めた。

 

まず救急車を呼んで、それから…よく覚えてないけど、事情を聞かれてサブレが逃げ出したことをそのまま話したら、あたしは被害者でも加害者でもないからということで早めに解放された気がする。

 

その時はサブレが無事で安堵していた気持ちのほうが強かったかもしれない。

 

今にして思えばこのときに名前を聞いておけばよかったと思う。教えてもらえたのかどうかは知らないけど。

 

ただ、サブレを守ってくれたその人の目と、自分を省みないその行動はあたしの胸に強く焼き付いた。

 

そして、今日から学校が始まるのに、同じ高校のその人を怪我させてしまったことに罪悪感を覚えた。

 

しばらくたって落ち着きを取り戻すと、まるで運命の出会いだったのかな、という錯覚をしたりもした。

 

あたしは高校に入ってから友達との付き合いを続けているうちに、髪も茶色になったし格好もそれに伴って変わっていった。

 

嫌われたくなくて回りに合わせているうちに、流されるままどっちかで言うとイケイケの女子高生みたいな見た目になった。

 

けどみんなみたいに男の子と付き合ったことはないし、少女漫画であるような運命の出会いに憧れるところだってある。

 

恋に恋する、っていうのかな、そういうの。

 

だから、それからもその人のことが気になって、もう退院したかな、何年生なのかな、あたしのこと覚えてるかな、あたしのせいであんなことになって嫌われてないかな、とか思いながらいつもその人を目で探していた。

 

ほんとは入院してるその人のお見舞いにいけたらよかったんだけど、名前もわかんない人の入院先を知る方法があたしには思い付かなかった。

 

もしかしたらそこまでしようとは思っていなかっただけかもしれないけど。

 

結局なかなか見つからなくて、もう会えないのかなという思いが頭をよぎった頃、その人を学校の廊下で見つけることができた。

 

あの目だ、と思って見つけたときは胸が高鳴った。

 

その人は同じ学年で一年生だった。

 

でも、あんなことがあったのにお見舞いにも行けてないあたしが、気軽に話しかけられるはずがなかった。

 

その人はあたしとは別のクラスだった。

 

だから、その人がいるクラスに軽く話せる程度の友達を作って、用もないのに話しかけに行った。

 

その友達と話しながら、その人のことを横目で何度も、何度も見ていた。

 

あたしに気が付いてくれないかな、という思いも少しだけあった。それは叶わなかったけど。

 

何度も見ているとはっきりとわかったことが一つだけあった。

 

それに気が付いたとき、甘い錯覚はあたしの頭から消えた。

 

その人は、いつも一人だった。

 

その人から何も言われてないのに、胸に痛みを感じた。

 

その人の名前を知りたくてクラスの人に聞いてみたけど、最初の数人の子は、さぁ…なんだったっけ?とか言っていて本当に苦しくなった。

 

きっと自分が怪我をさせてしまったせいで学校に来れなかったからクラスに馴染めてしないんだ、きっとそうだ。そうなら、なおさらちゃんと謝らないと。

 

あたしがその人のことを気にしているのがなるべく周りの人に気付かれないよう、期間を置きながら少しずつ調べてようやく名前を知ることができた。

 

比企谷八幡くん。比企谷くんか。ひきがや…ヒッキー…かな!

 

その人のあだ名はあたしの中ですぐに決まった。

 

あたしには、学校ではずっと一人でいるヒッキーに話しかける勇気が出なかった。

 

自分が悪いんだけど、事故について謝ることから始めて、拒絶されることを思うと動けなくなった。

 

それでもなんとかしなきゃと思って、ヒッキーのクラスの先生に事故のことを話して住所を聞き、一度だけ勇気を出して家に菓子折りを持ってお礼と謝罪をしに行ったことがある。

 

これで自然にヒッキーと話ができるかもしれない。そういえば同級生の男の子の家に行くなんて小学校以来だなぁとか考えて、謝りに行くだけのはずなのに違う意味でドキドキしたのを覚えている。

 

出てきたのは本人ではなく妹の小町ちゃんだった。兄を呼びましょうかとも言われたけど、おもわず断ってしまった。最初からヒッキーが出ていてくれればよかったのに……。

 

伝えてほしいと謝罪の言葉を話すと、兄のことなんてぜーんぜん、ほんと気にしないで下さいねーと言われてしまった。

 

この時はもしかしてヒッキーは妹さんと仲が悪いのかな、なんて思ってしまった。実際は引くほどのシスコンだったけど。

 

ヒッキー本人にもちゃんと伝わるかな。小町ちゃんには名前も言ったし。もしかしたらそれを聞いてヒッキーの方からあたしを探してくれるかも。

 

そんな都合のいいことも考えたけど、待てども待てどもそんなイベントは起こらなかった。

 

これは恨まれているか、嫌われているか、その両方なのかな。

 

でも、そうだったとしても、やっぱり助けてもらったあたしからちゃんと話すべきだと思った。

 

それからも機会を見つけては、声をかけようとヒッキーを眺めていたけど話しかけることはなくて、いつ見てもやっぱりヒッキーは一人だった。

 

たまにクラスの男の子なんかが話しかけるのを見たこともあった。でもヒッキーはめんどくさそうに、無愛想な返事をするだけ。

 

もしかしたら、周囲を寄せ付けないようにしているよう見えるのは気のせいじゃなくて、ヒッキー自身がほんとにそうしているのかも。なんのためかはわからないけど。

 

あんなに勇気のある行動をしてくれたのに、ヒッキーのクラスの誰も事故の内容を知らないようだった。凄いことをしたのに、人に言いたくなったりとかしないのかなぁ。

 

やっぱり話して聞かないとわかんないよね。ヒッキーと話がしたい。何を思っているのかいろいろ聞かせてほしいな。

 

結局何も言えないまま時間が流れ、そうこうしている間に二年生になった。

結局あたしは謝ることも何もできないまま、ほぼ一年を過ごしたことになる。

 

その間、朝礼や体育、何かのイベントがある度に、常に目でヒッキーを追っていた。

 

見つける度に、何をしてるのかな、どんなこと考えてるのかな、と想像を巡らせるようになっていた。

 

だから、あたし自身もだんだん気が付きはじめた。

 

もう、謝らないといけないはただの口実になりつつあって、この人の考えていることを、この人自身のことを、もっと知りたいと思うようになっていたことに。

 

錯覚から始まったあたしの想いは、自分でも気付かないうちに別の形に変わり、いつの間にか恋が始まっていた。

 

けど、少しの罪悪感は消えていなかった。

 

二年生の新しいクラス分け発表の掲示板を見るときに一番に探したのは、自分の名前じゃなくて比企谷八幡の文字だった。

 

F組にその名前を見つけ、同じクラスに自分の名前を探す。

 

あった。あたしとヒッキーは同じクラスだ。

 

嬉しい。これで話しかけることもできるかもしれない。

 

けど、二年生になって新しいクラスになっても、やっぱりヒッキーは一人だった。

 

休み時間には誰とも話さず、昼になるとふっとどこかへ消え、放課後はすっといなくなる。

 

たまに誰かと話してると思ったら、ものすごく挙動不審になってまともに会話できてるとは思えなかった。

 

毎日が同じだった。

 

でもあたしもそれは同じで、クラスで仲良くなった友達と空気を読みながら付き合ってはいたけど、相変わらずヒッキーに話すきっかけは掴めなかった。

 

あたしは少しだけ、人に合わせることに、流されることに疲れていた。勇気を出せないでいる自分にも。

 

そんな時、家庭科の授業で調理実習があった。

 

周りでなんとか君にお菓子作ってあげたいなー、とか声が聞こえて、それで思い付いた。

 

そうだ、クッキーでも作って食べてもらおう。それを口実にお礼を言って、ちゃんと謝るんだ。ヒッキーとお話できるようになるんだ。でもクッキーなんかあたし作れないな……。

 

優美子や姫菜にはこんなこと相談なんかできない。こんなの、あたしには似合わないし。こんな乙女みたいなことバカにされちゃうかもしれない。

 

困った私は平塚先生に相談することにした。そこで奉仕部の存在を教えてくれた。

 

なんでも、生徒の悩み相談を受けて手助けしてくれる部活らしい。

 

ほとんど行くことのない特別棟の、しかも初めて入る部屋。

 

おそるおそる扉を開ける。

 

そこには噂でよく聞く美少女の雪ノ下さんと、なぜかヒッキーがいた。

 

これが奉仕部と、ヒッキーとゆきのんとあたしの出会い。

 

初めて話したヒッキーの印象は、それはもう最悪だった。ほんとに。なんなのこの人、と思った。

 

同じクラスなのに、まさか自分のことを認識してもいなかったなんて。

 

あたしはずっと前から見てたからよく知ってたけど、まさか名前まで知らなかったなんて。

 

ていうかあり得ないよ……。もう二年生になって何ヵ月もたってるのに、まだクラスの人のこと知らないとか……。

 

話し始めてすぐ、いきなりビッチとか言われた時にはどうしようかと思った。怒りのあまり物凄く恥ずかしいことまで口走って超後悔した。

 

ヒッキーは事故の原因はあたしだって知らないみたいだった。

 

でも、それからのあたしは、少しだけ変わることができた。

 

クッキーは結局うまく作れなかったけど、元々食べてもらおうとしてたのはヒッキーだし、結果的にあたしから奉仕部へ出した最初の依頼は解決してもらえたってことになるのかな。

 

あたしが憧れるぐらい、最初からゆきのんは強くてかっこよかったし、ヒッキーは基本的に最悪だったけど、たまに優しかった。

 

もう迷うことはなかった。あたしも奉仕部に入ることにした。

 

ヒッキーがいて、ゆきのんがいた。そこにあたしが入って、今の奉仕部が出来上がった。

 

それから奉仕部でいろんなことがあった。

 

あたしとゆきのん、あたしとヒッキー、ゆきのんとヒッキー。

 

三人の距離は近付いたと思ったら離れて、離れたと思ったら近付いて。

 

なんでこんな人好きになっちゃったのかな、って思ったことは一度や二度じゃなかった。

 

罪悪感が少しだけあったのも確かだけど、あたしが奉仕部に入ってヒッキーに近づきたいって思ったのはそんなんじゃないのに拒絶されたこともあった。

 

同情とかならそんなのはすぐにやめろって。

 

でもそれから、ゆきのんのおかげで事故のことはとりあえずお互い気にしないことになった。仲直りできて、あたしが奉仕部に戻ることができたのはすごく嬉しかった。

 

二人とも一緒に過ごすうちにどんどん好きになっていった。

 

ヒッキーはいろんな依頼に対して、屁理屈みたいなよくわかんないこと言って、わけわかんないこともたくさんやって…。

 

あたしには真似の出来ない方法で、ヒッキー自身が傷だらけになりながら問題を解決してた。

 

そんなヒッキーを見るのはとても辛かった。けどあたしには何もできなかった。見ているだけだった。

 

悲しいこともたくさんあったけど、それ以上に楽しいことや嬉しいことがたくさんあった。

 

あたしの学校生活で一番楽しくて、嬉しくなって、安心できる場所。

 

あたしがいて、一番大好きな友達がいて、たくさん知って前よりももっと好きになった人がいる場所。

 

奉仕部はあたしにとってかけがえのない存在になった。

 

そんな奉仕部がなくなっちゃうかもしれない。そう思ったのは生徒会長選挙の時。

 

今度こそあたしもちゃんとやらなきゃと思った。

 

ゆきのんが生徒会長になったら奉仕部はきっとなくなる。

 

だって、あたしとヒッキーだけじゃ奉仕部は成り立たない。ヒッキーがいなくても成り立たない。

 

いなくても奉仕部が成り立つとしたら、それはあたしだけ。

 

これまでで大好きになった奉仕部と、ヒッキーと、ゆきのんと、あたしの場所。

 

もしあたしが奉仕部に行けなくなっても、あの場所はどうしても守らなきゃと思った。

 

だからゆきのんにも負けないつもりで立候補しようとしてたんだけど、結局ヒッキーが奉仕部を守ってくれた。

 

ヒッキーが守ってくれたのは嬉しかった。

 

でもあたしはまた、何もできなかった。

 

そしてそれがきっかけで、奉仕部はあたしにとって安心できる場所じゃなくなってしまった。

 

またあたしは空気を読むふりをして、場を繋ぐことばかりに一生懸命になっていた。

 

奉仕部はこんなはずじゃなかったのに。ゆきのんが変なのはわかってるのに。

 

あたしは何も言えなかった。違う、言わなかった。

 

ヒッキーはゆきのんに気を遣ってか、あたしたちに嘘をついてまでいろはちゃんの、生徒会の手伝いをしてた。

 

もうどうしようもなくなるぐらい奉仕部の空気が冷たくなった頃、ヒッキーが来て一つの依頼をした。

 

本物が欲しい。

 

それはたぶん、初めてのヒッキーの本当の願いだった。

 

ヒッキーがちゃんと本当に願っていることを話してくれた。

 

そのヒッキーの求める本物に、あたしが含まれているかは深く考えないようにした。

 

奉仕部としての三人の関係のことなら、あたしも含まれるんだけどさ。

 

ほとんどがゆきのんに向いている言葉なのかなって思った。あたしはあの時、別にヒッキーと喧嘩なんかしてなかったし、そんなに気まずくはなかったから。

 

でも、あたしもゆきのんとあのままは嫌だった。

 

本物とか偽者とかよくわかんなかったけど、ゆきのんとまた前みたいに戻りたいって気持ちをぶつけた。

 

ヒッキーの気持ちは、あたしにも、ゆきのんにもちゃんと届いた。

 

だから仲直りできて、奉仕部はまた前みたいに戻った。けど少しだけ変化があった。

 

ゆきのんはその依頼はまだ終わってないと言っていた。ヒッキーはわかってなかったみたいだけど、あたしにもわかった。

 

それをきっかけに、ゆきのんは少し変わった。

 

ゆきのんとヒッキーは、一歩距離を縮めた気がして、あたしの胸に締め付けるような痛みを残した。

 

その後ヒッキーから湯飲みのお礼ってことで、あたしとゆきのんがクリスマスプレゼントを貰った後、ゆきのんとこんな話をした。

 

「シュシュかー、ヒッキーも可愛いの選んでくれたもんだねー」

 

「そうね、仕方がないから大事にしてあげるわ」

 

「あはは、ゆきのんも素直じゃないなー。でもほんとなんでこんな色なんだろーね。やっぱりあたしがピンクでゆきのんが青って感じしない?」

 

「結局、どう思ったのか本当のところは聞かないとわからないんでしょうけど……」

 

「けど?」

 

「彼が……比企谷君が、自分で考えて選んでくれた、というのが重要なのだと思うわ……」

 

「そっか……そうだね」

 

ゆきのんはとても穏やかで、嬉しそうな顔をしてた。

 

なんてことはない会話だったんだけど、やっぱり前までのゆきのんと違うのかな、と思った。

 

確信したのはマラソンの後、保健室での出来事。

 

盗み聞きみたいになっちゃったけど、ヒッキーはゆきのんに一歩踏み込んで、ゆきのんはそれに応えた。

 

葉山君とゆきのんが噂になったとき、ヒッキーにちょっとした探りを入れた時はうーん、違うのかなって思ったけど、ヒッキーも少しだけ変わっていた。

 

あたしともちゃんと向き合おうとしてくれてるのはわかるんだけど、ヒッキーから一歩踏み込んだのはあたしじゃなくてゆきのんの方だった。

 

☆☆☆

 

あたしはこれからどうするべきなんだろう。

 

奉仕部も、ゆきのんも、ヒッキーも大好きで、全部大事。

 

ゆきのんも、たぶんそう。今はヒッキーに応えようとしてる。

 

ヒッキーが求める本物って何なのかな。結局そこに行き着く。

 

そうなると、あたしはそこに入っているのかとても不安になる。

 

とりあえず一つだけあたしにもわかることがある。

 

それは、ずっとこのまま、っていうのは無理だっていうこと。

 

あたしがそれをいくら望んでも、ヒッキーも、ゆきのんも、きっとあたしを置いて変わっていく。

 

変わらない関係なんて、きっとない。

ヒッキーが、ゆきのんが、お互い歩み寄っているなら。

 

あたしももう少しだけ、踏み込んだほうがいいのかな。

 

そうしないとあたしだけ、置いていかれるのかな。

 

そうなったら奉仕部は、あたしだけを残して変わってしまうのかな。

 

嫌な考えが頭に広がり、マイナス思考に陥って涙が滲む。

 

ダメだ、こんなんじゃ。しっかりしろ結衣。

 

あたしはゆきのんのことも大事。きっとゆきのんもそう思ってくれてる。これはあたしの中で確信に近い。

 

だから、ゆきのんの気持ちの変化をわかりつつもヒッキーに近づこうとする自分に、ちょっとだけ罪悪感と嫌悪感がある。

 

あたしって卑怯だな、やっぱり。

 

でも、あたしだけ置いていかれるのはやだよ。

 

ゆきのん、ヒッキー、あたしを置いていかないでよ……。

 

☆☆☆

 

ゆきのんとヒッキーの距離のことは頭から離しておかないと。

 

いつもみたいに出来なくなっちゃうと、二人に心配かけるかもしれないから。あたしは二人に心配かけたくないから。

 

朝、学校に出掛ける前の準備の時間。

 

鏡の前で自分を眺めながら頭にお団子を作り、笑顔を作る。

 

うん、いつものあたしだ。大丈夫。

 

奉仕部でのあたしの役割は、基本的にしゃべりたがらない、みんなと動きたがらない二人の背中を押すことかなって勝手に思ってる。

 

ゆきのんもヒッキーもいつも嫌々、渋々だけど、大抵のことはちゃんと聞いてくれる。

 

たまに本気で嫌がられてないかなって思うこともあるけど、ほんとにダメそうだったらあたしも言わない。そのぐらいの空気は読める……はず。大丈夫だよね……。

 

大体のことはあたしが二人とそうしたいからそうしてるだけで、渋りながらも付き合ってくれる二人は優しいなって思う。

 

だから、あたしも二人のためにやれることはやりたいな。

 

だから、あたしも、ついて行って、そこにいて、いいよね。

 

誰にともなく許可を求めてから返事は待たず、そのことは頭から締め出すことにした。

 

通学のバスに乗ってる間に考える。

 

あたしはヒッキーに、待ってても仕方ない人は待たないで、こっちから行くと宣言した。

 

なら、あたしから行かないと。ヒッキーのほうからあたしの方へは来てくれない気がする。

 

なかなか応じてくれないヒッキーに、ふと嫌がられてるんだとしか思えなくなり、独りで泣いたことはこれまでにもたくさんある。

 

でも、あたしの勘違いじゃなければ、だけど。

 

ヒッキーはあたしにも目を向けてくれている、向き合おうとしてくれている、と思う。

 

文化祭で話したちっぽけな約束は先送りにされたままなんだけど、いつも渋ってはいるんだけど、嫌そうというようには見えない。

 

それがあたしの事を思ってなのか、ゆきのんと奉仕部のことがあるからあたしを無碍にできないだけなのか、それともあたしの知らない何かなのかは、正直わからない。

 

だから不安になる。疑う。嫉妬する。自分を。ヒッキーを。ゆきのんまでも。

 

こんなことしたくない。嫌だ。何よりも自分のことが。

 

あたしが近づこうとするのが、それがヒッキーの優しさに付け込む行為だとしても。卑怯と呼ばれる行為だとしても。

 

それでも、傍にいたい。

 

考えたくないけど、もし、ヒッキーの想いはゆきのんだけに向かっていて、あたしは奉仕部を円満にするためだけの存在だったとしても。

 

それでも、傍にいたい。好きでいたいんだ。あたしは。

 

それでもいいんだって、あたしは勝手に優美子から教わった。

 

頭でヒッキーのことを思い浮かべる。

 

嫌そうな顔。照れてる顔。ぶっきらぼうな返事するときの顔。屁理屈を得意気に話す顔。くしゃくしゃに歪めて、願いを話す時の顔。ふっと弱々しく笑う、その笑顔。

 

どれも、あたしの好きな人の顔。

 

また今日も会える。早く会いたい。もっと近づきたい。

 

ヒッキー、あたしね、このまま何もできないまま置いていかれるのは嫌だよ。

 

何かしてないと、不安でどうにかなっちゃいそうだよ。

 

だから、もうちょっと、ヒッキーに避けられたりすることにならないように、距離を見極めながら、もう一歩だけ踏み込んでみようかな……。

 

明日は土曜だし、何か一緒に出掛ける口実、ないかな……。

 

理由がないとヒッキーは動こうとしない。これはたぶんあたしと出掛けるのが嫌というわけではなくて、ヒッキーはそもそも外に出たがらない人だから。

 

えー……今更だけどどうなのそれ……。

 

でももう好きになっちゃってるし、仕方ないか。

 

そういえばバレンタインデーがもうすぐだなー。うーん、チョコ一緒に買いにいくとか?

 

いやそれはおかしいから!あたしもそんなの見られたくないし!

 

あ、でもチョコあげるにしてもいろいろあるよね。あの、なんかケーキみたいなやつとか。ザトー……じゃなくて、ガトー……ショコラ?

 

そうそう、ガトーショコラとか。他は、そう、うん、アレとか。

 

ダメだ、全然名前が出てこない。あたし言葉のボキャ……ボキャラブリー?が……。

 

……もっとできる子なんだよ、あたしは。ほんとほんと。総武高受かったし!ほぼ二年前だけど。

 

食べたことはあるんだけどなー。ちょっと調べてみよう。

 

携帯を取り出して、バレンタイン、チョコ、いろいろ、検索っと。

 

そうそうこれこれ。ザッハトルテとかフォンダンショコラ

 

うっ、こんなの全然作れる気がしない……。

 

いや、今はそれは置いといて、ヒッキーと出掛ける口実を探さないと。

 

そうだ、ヒッキーがどんなのが好きか知りたいしスイーツバイキングに行くのはどうかな。

 

実は今チョコケーキの画像見てたら、あたしが行きたくなっただけなんだけど。

 

ヒッキーはいつも甘ったるいコーヒー飲んでるし、甘いものが嫌いってことはなさそうだ。

 

でもなー、たぶん、いや確実にそんなとこに行くのは嫌がるだろうなー。

 

そんなスイーツ空間に俺が行けるわけねぇだろ(声真似)、みたいなこといかにも言いそう。今の似てた気がする。

 

でもヒッキー、それは通用しないんだからね。

 

だっていろはちゃんとなんかいい感じのカフェに行ってたじゃん!

 

なんでゆきのんでもあたしでもなくていろはちゃんなの!?

 

ってあたしが嫉妬するのはおかしいよね。ヒッキーはあたしの何でもないんだし。

 

でもなんでいろはちゃんはヒッキーと一緒に行けたんだろう。なんて誘ったのかな……。

 

あ、わかったかも。依頼だ。

 

あの時なんかよくわかんないこと言ってたけど、仕事だから来て下さいって言われて、わかってないままノコノコ出ていったんだ。

 

ヒッキーって専業主夫になりたいとか言っときながら、いつも仕事ってなったらちゃんと真面目にやるんだよね。

 

将来はもしかしたら文句言いながらもしっかり働いて、会社でどんどん出世したりして。

 

サラリーマンのヒッキーかー……うわー、全然想像できない。

 

でもスーツのヒッキーはちょっとかっこ良さそう……かな……。細身だけど以外と体はがっちりしてるし……。

 

はっ!?

 

危ない、ちょっと想像しすぎちゃった。顔ニヤけてないかな……。

 

想像してニヤけるとかあたしもうダメだ……。ほんとベタ惚れなんだなー……。

 

ずっとこうやって想像してるのが、あたしは一番幸せなのかもしれないな……。

 

最近はちょっとしたことでこんな風に思考がネガティブな方向に傾いてしまう。こんなこと考えたくないのに。

 

あたしは……。

 

☆☆☆

 

結局どうやって誘おうかあまり考えてないまま放課後がやってきた。

 

やっぱり依頼とか仕事とか、そんな口実を作って誘うのはよくないかな。

 

あたしはヒッキーにもう一歩だけ踏み込むことにしたんだ。

 

だから、素直にあたしがそうしたいからだとお願いしてみよう。

 

それでどうしても嫌がるようだったらその時は、今回のデートは諦めることにしよう。

 

ヒッキーが教室を出る前に、一緒に部室に行こうと声をかける。

 

ヒッキーはいつもみたいに、おー、とやる気のない声で応じてくれる、なんでもないやり取り。

 

それだけでも嬉しいけど、もう一歩だけ、近くに居させて、ヒッキー。

 

そう心の中で願いながら話す。

 

「ねぇ、ヒッキー。明日、暇かな?」

 

「明日?土曜だろ。超忙しい」

 

出た……どうせ暇なのに。

 

それぐらいはわかるぐらいの付き合いはヒッキーとしてきたつもりだよ。想定内!

 

「え、なんか用あるの?」

 

「おお……まぁ、家でゴロゴロとかな……」

 

「暇じゃん、超暇じゃん!」

 

「ばっかお前、日頃疲れた体を休めるには必要な時間なんだよ」

 

……よし、無視しよう。

 

「明日ちょっと付き合って欲しいとこがあるんだけど、ダメかな?」

 

「ちょっと、俺の話聞いてる?」

 

「明日ちょっと付き合って欲しいとこがあるんだけど、ダメかな?」

 

同じ台詞をもう一度言ってみる。

 

「すげぇ無視された……。何だよ……聞くだけは聞く」

 

おお、効果あった。もうちょっと。

 

「スイーツバイキングなんだけど……ヒッキー甘いもの嫌いじゃないよね?」

 

「あー……まあ、嫌いじゃないが……名前からしてもうな……。あんなとこ行きたくねぇよ俺は……」

 

やっぱりそういう反応だよねー。これもわかってた。

 

「ヒッキー行きたいとこなんかほとんどないじゃん……」

 

「まあな……そういうのはほら、雪ノ下と行けばいいんじゃねぇの」

 

そこでゆきのんを出さないでよ、バカヒッキー。無神経なんだから。

 

「ううん、ゆきのんじゃなくて……明日はあたしが、ヒッキーと行きたいの」

 

これが最後。あたしのお願い。これでダメなら仕方がないと諦められる。

 

「……どうしても?」

 

「……うん」

 

「あの、あれだ。デスティニーランド、じゃなくて、いいのか」

 

「あ、えーと、うん……。それは、ヒッキーから誘ってもらう時に、取っとく」

 

「そうか……」

 

ここでヒッキーからその話が出ると思わなかった。

 

あたしが勝手に約束したのに、催促した時にしかその話は出してくれなかったのに。

 

ちゃんと覚えてくれてるんだ。

 

「……明日、いいの?」

 

「おお、わかったよ……。そんな真剣にお願いされたら断れねぇよ……」

 

やった、無理矢理っぽいけどお願いが通った。

 

お礼、お礼言わないと。

 

「ありがと、ヒッキー」

 

いつもの笑顔、ちゃんとできてるかな。

 

「礼を言われる筋合いはねぇよ……。ちゃんと行くかもまだわかんねぇし」

 

ヒッキーは照れるように顔を背ける。こういうとこほんとにかわいいなぁ。捻くれてるけど。

 

「ヒッキーは来てくれるよ」

 

信じてる。ヒッキーのこういう言葉は、ちゃんと信頼できるから。

 

「わかんねぇだろ……明日風邪引くかもしんねぇし」

 

「引かないよ。それに、ヒッキーなら、引いてもきっと来てくれる」

 

「そりゃ俺を……やっぱいいわ、なんでもない」

 

ヒッキーは自信満々のあたしの顔を見て言いかけた言葉を引っ込める。

 

「そっか、わかった」

 

自然と笑顔になったのが自分でもわかった。

 

なんかちゃんと会話になってるのか、なってないのかよくわかんないけど。

 

ヒッキーとちょっとでも通じ合ってる気がして。

 

嬉しくて、嬉しくて。顔がニヤけちゃうな。

 

あたし、チョロい女だなぁ。どうしようもないなぁ、あたし。

 

「で、なんでスイーツバイキングなんだ」

 

「あ、いや、あのね。バレンタインデーのチョコ調べてたらガトーショコラとかあってね、見てたら食べたくなっちゃって……」

 

「そんだけかよ……」

 

「うん……行ったらヒッキーがどんなの好きなのかなって、わかるかなと……」

 

しまった。

 

これじゃあたしがバレンタインにヒッキーにケーキあげようとしてるってバレバレじゃん。ていうかそう言ってるのと同じだ。

 

うわー、恥ずかしい恥ずかしい……。

 

顔に熱が籠ってきたような気がして手で扇ぐ。

 

ヒッキーもそれきり黙って俯いてしまった。

 

そのまま無言で部室の近くまできたところで声をかける。

 

「じゃあ明日、朝10時に千葉駅でいいかな?」

 

「昼飯とそれって、別なのか?」

 

「いや、パスタとかサラダなんかもあるみたいだから、お昼も兼ねて……かな。ちょっと歩いたりしてお腹すかせてからバイキングに行こうかなと……いいかな?」

 

「オーケー、わーったよ」

 

よかった。ヒッキーと明日はお出掛けだ。

 

部室の扉の前に立ち、元気よく扉を開ける。

 

中にはいつものようにゆきのんがいた。

 

「やっはろー!ゆきのん」

 

「こんにちは」

 

「うす」

 

いつもの、あたしの大好きな奉仕部の時間が始まる。

 

二人は本を広げて静かに目だけを動かす。

 

言葉がなくても、とても穏やかで、安心する時間。

 

もう無理に言葉を探す必要のない、信頼の空間。

 

なのにあたしは無意識に、いつもより少しだけ、ゆきのんの顔を真正面から見ないで済む角度に身体を傾けて座っていた。

 

約束の時間の15分前に千葉駅に着いた。

 

ヒッキーはまだ来てないみたいだし、身だしなみの最終チェックをすることにしよっと。

 

鏡を取り出して顔とお化粧、歯、表情、髪と順にチェックする。うん、バッチリ。

 

服装は気合いが入りすぎに見えないように、けどしっかり可愛く!って考えながら選んだ。

 

うーん、スカートちょっと短いかな……でもまぁいっか。制服もこんなもんだし、レギンスも履いてるし。

 

シュシュはほんとは髪につけたかったんだけど、いきなり髪型変えるのもなぁ……と悩んだ結果、手につけておくことにした。

 

見えないところでは下着もしっかりお気に入りのものを選んできた。

 

……い、いや、期待してるわけじゃないからね?

 

そんなのまだちょっと無理っていうか、そんなこと想像できないっていうか……うわわっ、もうやめやめ!

 

そんなことは絶対にないんだけど、まぁ、一応……。女の子ってそんなもんだよね?

 

頭の中で誰に対してかわからない言い訳をしてると、後ろから突然肩をつつかれた。

 

「ひゃああっ!」

 

慌てて振り向くと迷惑そうな顔をしたヒッキーがいた。

 

き、来てたんなら声かけてよ!

 

「あの……あんまりそんな大声出さないでもらえますかね……下手したら事案になっちゃうんで……。そして連れていかれるのは俺だけとか何これ」

 

なんか落ち着かない様子でぶつぶつ言い始めた。悪いことしちゃったかな……。

 

「ご、ごめん……でもビックリさせないでよ……。おはよ、ヒッキー」

 

「おお、おはよ」

 

なんか照れ臭そうにムスッとしてる。いつものヒッキー、かな。

 

ヒッキーの私服はそんなにお洒落って感じじゃないんだけど、清潔そうで、体型とあってて……ちょっと新鮮で、かっこいい。

 

この辺はきっと小町ちゃんのファッションチェックが入ってるんだろうなー、ありがたいことです。

 

あたしの格好はどう思われてるかな、変とか思われてないかな。

 

恥ずかしいけど、ちょっと聞いてみようかな。

 

「どう……かな?」

 

手を伸ばして全身をヒッキーに見てもらう。

 

「どうって……何が」

 

目を背けながらじゃ、何のことかわかってるって言ってるようなもんなのになぁ。

 

「あたしの、格好」

 

「おお……まあ、いいんじゃねぇの」

 

「むー、なんかてきとー」

 

ジトっとした目を送ってみる。

 

「……俺にそんなの求められても困るんだよ……。……あれだ、似合ってると思うぞ」

 

「……ありがと、ヒッキー」

 

なんか言わせちゃったみたいな気もするけど、凄く嬉しいよ。

 

あー、照れてもう完全にそっぽ向いちゃった。かわいいなぁもう。

 

「じゃ、行こっか」

 

勇気を少しだけ出して、腕にしがみついてみる。

 

「おあっ……ちょっ、離れてくれ……」

 

「えー、寒いし」

 

「それでも無理だ……俺には厳しい……」

 

ちょっとやりすぎちゃったかな……。調子に乗りすぎはダメだ。ちゃんと自制しないとね、うん。

 

距離感は少しずつ、縮めていかないと。いきなりやり過ぎると、待っているのはたぶん、拒絶だから。

 

「じゃあ、これで……」

 

ヒッキーの袖のところをちょっとだけつまむ。

 

「それぐらいなら、まぁ……」

 

えへへ、これでも十分嬉しいんだよ、あたし。

 

今のヒッキーとあたしの距離は、このぐらいってこと、なのかな。

 

ヒッキーに聞いてみたいな……怖いから絶対に聞けないんだけど。

 

「じゃあどこ行こっか。ヒッキー行きたいとこある?」

 

「家かな」

 

「えー、それはスイーツバイキング行ってからにしようよ。ヒッキーのお家でいい?」

 

「ちょっ、ちげぇよ。ってか来るつもりなのかよ」

 

今の返しは我ながらなかなかよかった。ちょっと上手だったはず。

 

「ヒッキーが言ったんじゃん」

 

「だからそれは……はぁ、わかった、やり直す。なんかお前、俺のあしらい方うまくなってねぇか……」

 

「伊達に長い間付き合ってないってことだよ」

 

「……そうか、そうだな」

 

「そうだよ」

 

これだけいろんなこと一緒にやってきたんだから。

 

あたしはヒッキーの全部は知らないけど、ちょっとは知ってるよ。捻くれてるとことか、いろいろね。

 

ヒッキーもあたしのこと、同じぐらいは知ってくれてるはず、だよね。

 

「……じゃあ、ちょっと買い物付き合ってくれるか」

 

「珍しいね。何買うの?」

 

「何ってのは決まってないんだが……こないだ雪ノ下に部屋で使えるようなのあげたろ、お前。そんな感じのを小町に買ってやろうかと思ってな。受験も追い込みだから家にいる時間長いんだよ」

 

「おー、なるほどねー。ヒッキーちゃんとお兄ちゃんしてるんだねー」

 

「お兄ちゃんなんだから当たり前だろ。あとお前がお兄ちゃんとか言うな」

 

小町ちゃんにはほんと優しいなぁ。てゆーかこれはもう完全にシスコンだよね……。

 

小町ちゃんに彼氏できたらどうなるのかな……うわぁ。小町ちゃんがちょっとだけ不憫。

 

「じゃあパルコのほう行って雑貨とか見てみよっか、おにーちゃん」

 

「はぁ……。そうだな、行くか小町」

 

「ちょっ、あたし小町ちゃんじゃないし!」

 

「俺をお兄ちゃんと呼んでいいのは小町だけだ。ならお兄ちゃんと呼ぶお前は小町だ」

 

「わ、わかったよやめるよ……ヒッキー」

 

その理屈だとちょっとしたことで小町ちゃん大量発生するかもなんだけど、ヒッキーはそれでいいの?

 

「ん、行くぞ。由比ヶ浜

 

目的地が決まると、ヒッキーはあたしを引っ張るようにしてどんどん歩いていく。

 

あたしは袖をつまんだままおとなしくついていく。

 

引っ張られるのは全然嫌じゃなくて、むしろ心地好い。

 

ヒッキーは昔も告白とかしてたみたいだし、あたしなんかよりよっぽど勇気も決断力もあるんだろうな。

 

やるときはちゃんと決断するヒッキーだけど、あたしと、ゆきのんとの距離を縮めることに関しては、様子をじっくり見ながら恐る恐る、という感じでしかやってない気がする。

 

いろんなイベントがあってわたわたしてたからってのもあるんだけどさ。

 

もしかすると、あたしと同じなのかな。

 

ヒッキーのことを想っても、ゆきのんのことを、奉仕部のことを考えると、その一歩を踏み出すのに躊躇ってしまう。

 

今を失うことが何よりも怖いから。

 

じゃあヒッキーは。

 

何かを失いたくないから?

 

そうだとしたら、何を?

 

ゆきのんか、あたしか、奉仕部だ。

 

全部、だといいな。

 

あたしだけ、なんてことは言わないからさ。

 

ヒッキーの失いたくないものの中に、あたしも入れてよ。

 

それだけでも、いいから。

 

こうやって袖をつまんで黙ってついていくから、あたしを置いていかないで。

 

「……どうかしたか?」

 

どのくらいの間かわからないけど、黙ったままついていくあたしを疑問に思ったのか、ヒッキーはあたしに怪訝な目を向ける。

 

感傷に浸っていた頭を切り替える。

 

「あー、いや、なんでもないよ。ついていくのに精一杯で……」

 

「……気付かなかった、悪い」

 

「いやほんと、大丈夫だから。あたしがトロいだけだし」

 

「そうか」

 

それからヒッキーの歩くペースはちょっとだけ落ちて、あたしと同じぐらいの速度になった。

 

ヒッキーがあたしに向けてくれる優しさに触れた気がして、胸がいっぱいになる。

 

きっとあたしにだけじゃないんだろうけど、今はそんなこと気にしないで楽しまなきゃね。

 

あたしからお願いした、折角のヒッキーとのデートなんだから。

84 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/14(木) 23:38:05.67

それから二人でいろんな雑貨屋や小物を売っている店を回った。

 

ヒッキーはさんざん悩んでいたけど、最終的には身体にまとうことも出来るような大きさの膝掛けを買っていた。

 

買った後にも小町ちゃんと受かるかなって心配そうにしてたから、心配なのはわかるけど小町ちゃんはちゃんと出来る子だよ!それにあたしだって総武高受かったんだし!

 

って伝えるとじゃあ落ちるわけねぇな、とか超納得してた。

 

あたしは超納得できなかったので背中を指で突っつきまくっといた。

 

ついでって言ったらよくないんだけど、あたしも小町ちゃんにはお世話になってるし、総武高受かって欲しいからプレゼントを買っておいた。

 

他にもあたしの服を見て回ったり、高いところから景色を眺めたり。

 

ヒッキーはいつもみたいに渋々って感じだったけど、ほんとにデートしてるみたいだった。

 

これ、デートでいいんだよね?付き合ってないとデートって言わないのかな?

 

まぁ、あたしは嬉しいし楽しいし、それはどっちでもいっか。

 

☆☆☆

 

スイーツの祭典、スイーツパラダイス。通称スイパラ。

 

様々なスイーツだけじゃなくて、パスタやサラダなんかもあるまさに女子のパラダイス。

 

あたしは俄然テンションが上がってきたんだけど、隣に立つヒッキーは店に入る前、並んでるうちからげんなりしていた。

 

「なぁ……やっぱすげぇ入り辛いんだけど……帰っていい?」

 

えー、ここでそれ言うの!?

 

まあそれがヒッキーだよね……こういうところも含めてさ。

 

「だ、ダメだよ!せっかくここまで来たのに!」

 

「だって女同士とカップルしかいねぇじゃん……」

 

「でも、回りから見たらさ、きっとあたしたちも、カップルに……見えると思うよ?だから、みんなあたしたちのことなんて気にしないよ」

 

「そ、そうか……」

 

二人とも顔を赤くして顔を背ける。

 

あはは……これじゃほんとに初々しいカップルみたい。

 

でもあたしとヒッキーの距離はそこまで近くは、ない。錯覚しないようにしないと。……寂しいけど。

 

そのまま二人でお店に入り、先に会計を済ませる。

 

80分食べ放題。よーし食べるぞー!

席に案内されてから、並んでいる料理と色とりどりのスイーツを見ると夢が広がるような気分になる。

 

ヒッキーもその光景を見ているとようやく元気になってきたみたいだ。

 

「おー、すげぇいろいろあんのな。オラちょっとワクワクしてきたぞ」

 

「誰の真似、それ……」

 

「お前悟空も知らねぇのかよ……」

 

「知らないよ、そんなのー。ねね、ヒッキー何から食べる?」

 

「そうだな、まずは……由比ヶ浜、お前飲み物何にする?」

 

「え?んー、お茶でいいかなぁ」

 

「わかった、行ってくる」

 

……なんでこういうことスッとできるのに、外に出たがらないかなぁ……。

 

今の行動とかも、女の子の喜ぶポイントをわかってやってるとしか思えないよ……。

 

ヒッキーが戻ってくるまで、待つ時間。

 

こんなことですら幸せを感じる。

 

ヤバいヤバい……このままじゃ言っちゃダメなことまで言っちゃいそうだ。

 

元気方向にテンションを変えて誤魔化そう……。

 

「なんだ、別に待たずに先に料理取ってくりゃよかったのに」

 

「いいじゃん、一緒に取りにいこーよ。なーににしよっかなー。女子としては……サラダかな!知ってるヒッキー?野菜から先に食べると太りにくいんだよ!」

 

「テンションたけぇなお前……まあ、俺も気持ちはわからんでもない」

 

ヒッキーもこんな場所なのに、十分いつもよりテンション高いよって思ったけど言わずにおいた。

 

それから二人でいろんなものを食べて、いよいよスウィーッツを物色する時が来た。

 

「おぉー……素晴らしき夢の世界……」

 

「大袈裟だな……でもほんといろいろあんな。何にするかな……」

 

「ほらほらヒッキー、いろいろあるよ。チョコケーキにベイクドチョコにチョコスフレ」

 

「チョコばっかじゃねぇか……他のも選ばせろ」

 

「えー、じゃあ今の3つだとどれがいい?」

 

「……ちょっと考えるから先戻ってろ」

 

そう言いながら悩むヒッキーを残して、あたしはお皿いっぱいにいろんな種類のケーキを乗せてから戻ることにした。

 

ヒッキー何選ぶのかなー、と思ってたらすぐに帰ってきた。

 

お皿には可愛くちょこんと二種類のケーキが乗っていた。

 

「……そんだけ?」

 

「いや、いろいろ目移りしてな……決めきれないから基本の2つを食べてから考えることにした」

 

「なんか可愛い盛り付けだね」

 

「うっせ。お前は欲張りすぎだろ。まあ食おうぜ」

 

ヒッキーのお皿に乗っていたのは白いショートケーキと黒いチョコレートケーキ。

 

確かに基本的っぽくて、対照的だ。

 

ヒッキーのやったことに、言ってること以上の意味はほんとにないんだろうけど。

 

その二種類のケーキに、ゆきのんとあたしを重ねてしまった。

 

なんとなく、ショートケーキがゆきのんかなって思った。

 

肌も白くて、純粋で、あたしから見ても美しくて、触れると壊れるくらいに脆そうで。

 

じゃあチョコレートケーキがあたしかな。

 

あたしの胸の中にあるいろんな醜い感情を混ぜて、煮詰めたような黒。甘いんだけど、ちょっぴりほろ苦い。

 

「あんまりじっと見られると食べにくいんだが……」

 

「あ、あー、なんでもないなんでもない、ごめん」

 

慌てて手を振って否定する。

 

睨んでるみたいになってたのかな、チラッと見るだけにしとこっと。

 

自分のお皿の大量のケーキをつつきながらヒッキーの動きをチラチラ見る。

 

ヒッキーが最初に食べたのは、選んだのは、ショートケーキだった。

 

「おお、旨いなこれ」

 

「…………」

 

「どうかしたか?」

 

「……いや、ううん。おいそうだからあたしも次それ食べようかなーって」

 

たぶん、全然そんな意味なんかなくて、ただの気のせいなんだけど。

 

あたしの心の奥にある不安が少し大きくなったのがわかった。

 

☆☆☆

 

その後もゲームセンターに行ったり、本屋に行ったり、いろいろ寄り道してから、帰ろうと駅に歩き始めた時には日が沈み始める時間になっていた。

 

いろいろな店を適当に歩き回ってたら、繁華街とはちょっとはずれた場所まで来てしまった。

 

あたしには千葉駅がどっちかもわかんないけど、ヒッキーはなんとなくわかるらしい。

 

なんでわかるの?って聞いたら俺ぐらいの千葉好きになると匂いでわかる、とかわけわかんないこと言ってた。

 

あーあ、もう終わっちゃうのかー。楽しいと時間立つの早いなぁ。

 

夕焼けに染まった橙色の景色を二人並んで歩いていると、生徒会選挙に立候補する意思を伝えた時のことが頭に浮かぶ。

 

三人で対立、みたいになっちゃったけど、今ではそれも大切な思い出。

 

「なぁ」

 

「んー?」

 

「ちゃんと言ってなかったから……今言っとく」

 

え?何?なんなの?

 

「生徒会選挙の時、お前も立候補しようとしてたろ」

 

「え?う、うん……」

 

あたしが思い浮かべてたことと同じでちょっとだけ驚く。

 

「あれ、奉仕部を守ろうとしてたんだよな。ありがとな」

 

こんなに素直にヒッキーからお礼を言われたのは始めてかも。

 

「あ、いや、結局あたしはなんもできなくて……ヒッキーに、また助けられちゃったなとしか……」

 

「まぁ、それでも、だ」

 

「う、うん……じゃあ、どういたしまして……」

 

「もう言わねぇからな」

 

またそっぽ向いちゃった。この……捻デレさんめ。

 

「あ、あの時も言ったけどさ、あたし、好きだから……だから……がんばらなきゃって思ったの……」

 

「……奉仕部が?」

 

「うん……」

 

ゆきのんも、ヒッキーも、だよ。

 

「でも、それだけじゃなくて……」

 

そこから先は言っちゃダメだってば。

 

「ゆきのんも……」

 

言っちゃダメ。

 

いくらバレバレでも、思ってるだけなら。

 

拒絶はされないから、口に出しちゃ、ダメなのに。

 

「ヒッキーも、だよ」

 

言ってしまった。

 

いや、いつか言おうとはしてたんだけど。

 

でもこんなタイミングは違くて……こんなに急に距離を縮めようとしたら、待っているのは───。

 

「……そうか」

 

ほらヒッキーも困っちゃってるじゃん。

 

なんか言わないと。なんか……。

 

「あ、いや、ただ伝えたくなっただけでね、何かしてもらおうとか思ってないからほんと。返事、とか、別にいいから……」

 

こんなのヒッキーを困らせるだけじゃん、何言ってんのあたし。

 

それに返事なんか聞きたくない、だって自分でもわかってるもん。

 

返事なんかしないで、お願い、ヒッキー。

 

「……すまん」

 

なんで謝ってるの。返事なんかいいって言ったじゃん。

 

やめてよ、そんな辛そうな顔しないでよ。

 

ヒッキーのそんな顔、見たくないよ。

 

「だ、だよねー。うん、わかってたよ。だから、伝えるだけでよかったのに……」

 

自分から言っておいて、なんで返事してくれたヒッキーを責めてるの。

最低だ、あたし。

 

「いや、あのな……」

 

やめて、その先は聞きたくない。

 

「い、いいのいいの。あたしはヒッキーのこと好きでもさ、ヒッキーには別に好きな人いるのわかってたし……」

 

なんでそんなに辛そうな顔するの。

 

全部わかってたんだから、あたしは。

 

「はい、もうこの話おしまいね!月曜からも、普通に奉仕部の友達で……いるから……」

 

泣いちゃダメだ。

 

ヒッキーは見たくないものを見てるみたいな目で、あたしを見つめる。

 

ほら、ヒッキーはあたしに求めているのはこんな顔じゃないって思ってる。

 

あたしは、バカみたいに、何も考えてないみたいに明るく笑って、奉仕部の空気を明るくするんだ。

 

また来週には、いつもみたいに笑って奉仕部に行くんだ。

 

ヒッキーが想ってくれてなかったとしても、近くにいたい。傍にいれるだけであたしは十分なんだから。

 

それでもいいって、思ってたんだから。

 

だから、あたしは泣いちゃダメだ。

 

「い、いやほんとね、あたし奉仕部が好きだし、あそこにいれれば十分っていうか、満足っていうか……」

 

しゃべればしゃべるほどヒッキーの顔は悲しそうに歪んでいく。

 

「ちゃんと、今まで通りやるから……」

 

ヒッキーは返す言葉に迷ってるみたいだった。

 

辛そうに、絞り出すように声を出す。

 

「……そうか、来てくれるか……助かる。俺と雪ノ下の二人じゃちょっとな……」

 

俺と雪ノ下の二人だと間が持たないから、由比ヶ浜が間にいて欲しい。

 

俺と雪ノ下のために奉仕部にちゃんと来てくれ。

 

ヒッキーが言ったことの本当の意味は違うのかもしれないけど、あたしにはそう聞こえた。聞こえてしまった。

 

そこからはもう、自分の感情も、声も、涙も、全てが止まらなくなった。

 

「バカにしないでよ……」

 

自分でも驚くぐらい低く暗い声で呟く。

 

こんなこと言いたくないのに。

 

「あたしをバカにしないでよっ!」

 

由比ヶ浜……」

 

ヒッキーは驚いて呆然としてる。

 

「あたしが奉仕部に行くのは、ゆきのんとヒッキーのためなんかじゃない!

あたしがゆきのんと、ヒッキーといたいから勝手にやってることなの!

自分達のために来て欲しいとか……そんなのって……ないよ……」

 

「由比ヶ……」

 

ヒッキーが苦々しそうに何かを喋ろうとするのを遮る。

 

「もういいよ!そんなことのために、あたしはそんな奉仕部なんかっ……」

 

───とっても優しくて暖かい、大切な場所。

 

「あたしはもう、ゆきのんも、ヒッキーも、みんな……」

 

───大好き。

 

さっきから心と体がバラバラで、言いたくないことまで言葉になってるのに。

 

その一言は、あたしの全部を探してもどこにもないみたいに、言葉にはならなかった。

 

悔しくて、悲しくて、切なくて。

 

ヒッキーの寂しそうな顔を見てたら、だんだんあたしの視界も歪んできた。

 

あたしが泣いたってヒッキーは近づいてくれない。

 

でも、いくら考えたって、溢れてくる涙は止まってくれなくなった。

 

「うっ……うぐっ……ひぐっ……」

 

我慢しようとしてるのに変な声が漏れる。止まらない。

 

あたしは、こんなことすらできない。

 

すごく簡単なことなのに。いつもやってることなのに。

 

ヒッキーごめん。

 

あたしはやっぱり何もできないや。

 

あたしはヒッキーの助けになりたいって思ってるのに。

 

だったら、自分がどう思われてるかなんて気にしないで、奉仕部にちゃんと行くべきなのに。

 

そんなことすらできそうにない。

 

ヒッキーのために出来ることなんか何もない。

 

いつだってそうだ。

 

あたしも何かやらなきゃと思って、自分で考えて動いたら空回りしかしない。

 

なんで、なんで、あたしはいつもこうなの。

 

今だってヒッキーは何も言ってくれない。呆れられてるんだ。

 

もうやだ。もうやだよ……。

 

もうヒッキーの顔もちゃんと見れない。

 

今、唯一あたしができること。

 

それは今すぐヒッキーの前から消えること。

 

何も言わずに振り返って走る。

 

どこへ走っているのかはわからない。

 

けど、どこだっていいよそんなの。

 

ヒッキーの前から消えれるんならどこだって。

 

息が苦しい。呼吸がちゃんとできてるのかもよくわからない。

 

すれ違う人もあたしの顔を見てる。みっともない顔してるんだろうな、あたし。

 

気がついたら薄暗くなり始めた、誰もいない公園に辿り着いていた。

 

「……はぁっ……はぁっ……」

 

息ももう続きそうにない。

 

ちょうどいいや、休んでいこうかな……。ちょっと疲れちゃった……。

 

風に揺れてきいきいと錆び付いた音を立てるブランコに座る。

 

もう前を向くのも嫌だ。

 

走ってる間に涙は乾いてたけど、ふと気を抜くとまた溢れてきそうになる。

 

息が苦しくて頭がちゃんと働いてないのか、ちょっとずつ冷静になれてきた気がする。

 

あたし、ヒッキーに酷いこと言っちゃったな。

 

聞かれてはいないけど、ゆきのんにも。

 

あたしはもう、奉仕部には行けないかな……。

 

ヒッキーとも、ゆきのんとも、もう……。

 

あたし、何もなくなっちゃった。なんにもない。

 

それとも、最初から何も持ってなんかなかったのかな。

 

もう、よくわかんないや……。

 

俯いたまま地面と足を眺めていると、隣のブランコが揺れて音を立てた。

 

驚いて顔を上げてそちらを見る。

 

あたしの理想の幻想に、ブランコに所在なさげに座る彼の姿が見えたけど。

 

それは一瞬で消えてなくなった。

 

風で動いただけのブランコは誰もいないのに揺れて、なおも無機質な音を立てる。

 

携帯を取り出す。メールも着信もない。

 

何を期待してるんだろう、あたしは……。

 

なんとなく画像フォルダを開くと、嫌そうにするゆきのんの腕を掴んで、戸惑うヒッキーのマフラーを引っ張っているあたしの、三人の画像が目についた。

 

大粒の涙が落ちて画像を歪ませていく。

ようやく頭で理解ができてきた。

 

錯覚から始まったあたしの初恋は今、終わったんだ。

 

初恋は実らない、ってよく言うよね。

やっぱりあたしもそうなんだ。

 

でも、こんなに苦しいとは思わなかったな……。

 

抑えようとしているはずなのに出てくるうめき声のような嗚咽は、薄暗い公園にだけ響いて、誰にも聞かれることなく、すぐに消えていった。

 

近くの道を歩く家族連れの声が聞こえる。

 

とても和やかで楽しそうに、家路についているようだ。

 

流れる涙は止まってくれたけど、胸にある喪失感は消えてくれない。

 

もう動きたくないな……けどもう帰らないと……。

 

俯きっぱなしだった顔を仕方なく上に向けると、正面に人の足が見えた。

 

誰……?

 

ゆっくり目を上げると、息を切らしているヒッキーがいた。

 

コートもマフラーも脇へ抱え、汗だくになっている。

 

なんでここに来たの……?

 

「はぁっ……悪い……はぁっ……遅くなった……」

 

何を言ってるの……?来てほしいなんて思ってないのに。

 

「何か用……?」

 

「ああ……話がある……はぁっ……ちょっと待っててくれ……」

 

動く気にもなれないあたしを置いて、ヒッキーは疲労の残る足取りで公園近くの自動販売機へ向かった。

 

二人分の飲み物を買ってゆっくり戻ってくると、あたしにコーヒーを差し出す。

 

黙ったまま受け取ると、ヒッキーは隣のブランコに座ってペットボトルの水をあおる。

 

はぁっと一際大きな息を吐くと、ようやく途切れ途切れの呼吸が落ち着いてきたみたいだ。

 

あたしは一言も発しない。

 

あたしから話すことはもう、何もない。

 

さっきあんな酷いことを言っちゃったのに、話すことなんかないよ……。

 

息を整えたヒッキーがぽつりぽつりと話し始める。

 

「遅くなって悪かった……。すぐ追い掛ければよかったんだが、すぐに足が動かなくて見失っちまった……」

 

「別に……そんなこと頼んでないし」

 

こんなことしか言葉にできない。感じ悪いな、あたし。

 

「なぁ、聞いてくれ由比ヶ浜。俺はもう、ちゃんと全部話すから……」

 

「もう聞きたくないんだけど、あたしは……」

 

由比ヶ浜、お願いだ。ちゃんと最後まで聞いてくれ」

 

「……何?」

 

「俺はもう前みたいに、話してないのに伝わってる気になったり、言われてもないのにわかった気にもならないつもりだ」

 

「……?」

 

ヒッキーの話に頭がついていけない。

「思ってること全部、きちんと話すから……俺はもう、すれ違いで何かを失うとか嫌なんだ……」

 

「…………じゃあ、ちゃんと聞く……」

 

それからヒッキーは、あたしにたくさんの話をした。

 

あたしのこと、ゆきのんのこと、奉仕部のこと。

 

結局一番伝えたかったのは、あたしのことも含めて、もう何も失いたくないってことだったみたい。

 

都合のいい話だと思ってたけど……ヒッキーは、まだちゃんとした答えは出せてないけど、あたしのことを好きかもしれない、と言ってくれた。

 

すごく驚いた。てっきり振られたと思ってたから。

 

ゆきのんには確かに憧れていて、近付きたいとは思ってるけど、これが好きなのか自分でもよくわからないし、少なくとも今はゆきのんと付き合うとかは考えられないって。

 

それと、今のゆきのんは何か変だ、とも。

 

何かはわからないけど、ゆきのんちゃんと話す必要がある。俺だけじゃ出来ないことも多いから、助けてくれって言われた。

 

それが終わったら、ちゃんと誘うから、言うからって。

 

あたしもゆきのんとちゃんと話さないといけないことがある。

 

ゆきのんからしたら意味がわからないかもしれないけど……ちゃんと謝って、伝えなきゃ。

 

いろいろ話を続けるうちに、あたしが振られたと思ったのも、ヒッキーがゆきのんしか見てないってことも、全部あたしの早とちりで勘違いだって教えてくれた。

 

結局これからどうなるかはわかんないってことでもあるわけで、ちょっと言いくるめられてるのかな、って気もしたけど……全部大好きだった気持ちが、そんなにすぐ変わるはずもなくて……。

 

「……あたしの初恋はさ、さっき終わったと思ってたの」

 

「……そうか。悪かった……でも……」

 

「……?」

 

「前に雪ノ下に言われたろ。また始めることだってできるって」

 

「……また、好きになってくれってこと?」

 

「そんなの俺が言えることじゃねぇだろ……」

 

……やっぱりダメだな、あたしは。

 

こんなヒッキーから、離れられる気がしない。

 

こういうのを惚れた弱味って言うのかなぁ。

 

初恋は実らないってよく言うよね。

 

だったら、さっき終わったと思った初恋はここに置いていこうかな。

 

それで、新しい恋を始めることにしようかな。

 

また、同じ人に。

 

「……ちょっとだけ、元気出た。けど疲れちゃった……」

 

「あー、お前、これから時間あるか?」

 

「……んー……何もないなら帰るつもりだったけど……」

 

「……ちょっと待ってろ」

 

そう言ってヒッキーは声の届かない場所まで離れていった。

 

どこかへ電話しているみたいだ。

 

あ、戻ってきた、なんだろ?

 

「……これから、うち、来るか。親は仕事でいねぇみたいだし」

 

「え、えー!?誰もいないヒッキーの家とか、無理無理ムリっ!」

 

そんな、いきなり、急展開すぎるよ!

 

心の準備とかそれどころじゃ……。

 

「ち、ちげぇよ……小町いるっつーの……」

 

「あ、そか……そうだよね……」

 

超勘違いしちゃった……恥ずかしい……。

 

「あれだ、勘違いさせたお詫びだ……晩飯何か作る。小町に渡すもんもあるだろ、直接渡せ」

 

「あ、な、なるほどー……。そか、そう、だね……」

 

「で、来るのか?」

 

「……あ、うん、お邪魔、しようかな……」

 

うー……いろんなことが急にありすぎて、やっぱりちゃんと考えられてない気がするけど……。

 

「うし、じゃ帰るか」

 

「わかった……」

 

「で、ここどこなんだよ……」

 

「さあ……あたしに聞かないでよ……」

 

「お前がここに来たんだろが……」

 

それから、晩飯何食いたい?とか、道わかんねぇなとか話しながら、千葉駅を探して歩いた。

 

あたしに気を使ってくれているのか、珍しくヒッキーの方から話しかけてくれる。

 

こういうのって、ヒッキーの言う本物とは違うのかな。

 

あたしにはよくわかんないな、やっぱり。

 

だってヒッキーは今、あたしを繋ぎ止めようとしてくれてる。

 

これは本物なんじゃないのかな。

 

考えているうちにふと、聞きたいことがもう一つあったことを思い出した。

 

「……ね、ヒッキー」

 

「あん?」

 

「チョコレートケーキとショートケーキ、だったらさ。どっちがあたしでどっちがゆきのんっぽい?」

 

「なんだその質問……意味がよくわからん……」

 

「いいから。印象で答えてよ」

 

「うっ……そんな睨むなよ……。そうだな、んー……」

 

あたしの感じてることと、ヒッキーの感じてることは全然違うのかもしれない。

 

だから、どんな印象なのか聞いておこうと思った。

 

「ショートケーキのショートって壊れやすいとか脆い、って意味あんだろ確か。……じゃあ、二人ともショートケーキだな」

 

「え……」

 

「何その反応……俺なんかまずいこと言いましたかね……」

 

「いや、え、あー?うーん、ゆきのんはともかく、なんでそれであたしがショートケーキになるの?そりゃ泣き虫だけどさ……脆そうかな……?」

 

予想外の答えが返ってきた。こんなのほんとに考えてなかった。

 

「脆そうなのは確かに雪ノ下だけどな……。ショートケーキって純粋ってイメージあるだろ。そんならお前もかなと」

 

「……あたしの、どこが純粋なの?」

 

「お前自身がどう思ってるかは知らんが……俺は、お前の想いが一番純粋だと思ってるぞ」

 

「そう……なんだ……」

 

「俺とか雪ノ下は……理屈ばっかり先行して、全然人の気持ち考えなかったりするからな……」

 

それで失敗したことを思い出しているのか、ヒッキーは目を遠くに向ける。

 

「だから、俺と雪ノ下は、そんなお前に何度も救われてる」

 

そうなんだ……。

 

あたしも奉仕部にいて、ちょっとは二人の役に立ててたんだ……。

 

あたしは何もできてないってずっと思ってた。

 

でもヒッキーは救われてるって言ってくれた。

 

純粋に、心から、嬉しい。

 

あたしが二人のためにできること、ちゃんとあるんだ。

 

もう枯れて出てこないと思ってた涙がまた溢れだす。

 

「ちょっ、なんで泣くんだよ……」

 

「いや、これはさっきのと違くて……違うの。嬉しいやつだから……」

 

「……そうか」

 

それきり会話はなくなって、黙ったまま二人並んで歩く。

 

あたしは奉仕部にまだいていいみたいだ。

 

これからヒッキーが、ゆきのんが、あたしが。

 

どんな選択をして、どんな変化をするかはわからないけど。

 

あたしは、三人がバラバラにならないような関係を築いていこうと思う。

 

ヒッキーも、あたしも、確認してないけどゆきのんも、きっとそう願っているはずだから。

 

いつかのおみくじみたいに、誰かが大吉で誰かが凶とかじゃなくて。

 

合わせてみんなで小吉、みたいな結論だって、三人なら受け入れられるかもしれない。

 

いくら理想を願っても現実は変わっていって、変わらないのは過ぎ去った過去だけ。

 

それはわかってるから、こんな綺麗事はすぐにでも消えてなくなるかもしれないこともわかってる。

 

けど、もう少しだけその理想を追いかけてみようかなって思う。

 

結果はわからないけど、この過程だって、きっと本物、だよね、ヒッキー?

 

心の中で二度目の恋をした人に確認してみる。

 

当然返事はないけれど。

 

来週からも、いつものあたしで奉仕部に行けることを考えると、ヒッキーの家に向かうあたしの足取りは少しだけ軽くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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