香澄「……これは私達の、始まりのライブです!!」【バンドリ!ss/アニメss】
みんなで初めて立った夢のライブハウスは、余りにも輝いていて……眩しかったんだ。
******
カーテンの隙間から差し込む光と、家族の生活音で、目が覚めた。
意識が、はっきりとしていく。
掛け布団を腕で剥がし、勢いよく上半身を起こした。
途端に目に入る、所々色褪せた制服は、色んな思い出を想起させる。
光を遮るカーテンを一気に開放すると、全身が温かく包まれ……思わず、ため息が漏れた。
しばらくして、予め設定していた目覚まし時計の淡白な音が部屋中に響き始める。
「遅いぞっ!」
上部を軽く叩くと、鳴り響くアラーム音が止んだ。
制服に身を包んで。
スクールソックスを身に着けて。
お気に入りの星のヘアピンで前髪を留めて。
鏡を見つめると、まだ少しあどけなさの残る自分の顔が映っている。
ニコッと笑顔を作ると、鏡の中の自分はいつも通りに笑っていた。
こっそり、忍び足で隣の部屋へと向かう。
「ヒッヒッヒ」
音を立てないように扉を開けた先で眠るのは、こちらに背中を向けて眠っている女の子。
両手を構え、一気に布団の中へと身体を潜らせた。
「いやあーもうー……おねーちゃん!」
「あっ、皺ついちゃう」
身体を起こして制服の裾を正すと、眠っていた女の子は横になったまま、瞼を瞬かせて振り向いた。
「どう? 変なとこない?」
「耳……違う、髪!」
「え? これ? ニャー!」
こちらを一瞥すると、彼女は「はぁ」とため息をついて――
「……っておーいー! 寝たら死ぬぞー!?」
「もう……なんでそんなにテンション高いの?」
「だって卒業式だよ! 卒業式!」
「私違うしー」
「一緒に行くんでしょ! あっちゃん、在校生送辞やるんでしょ!」
「そうだけど……あ、そうだった。わたし、今日は早く行かなきゃ……」
そう言ったあっちゃんは、未だ眠そうに身体を起こして、ベッドからゆっくりと足を下ろした。
「ふわあー……ってお姉ちゃん、まだ制服着なくてもよかったんじゃない? 卒業生は、いつもより登校時間は遅いんじゃなかったっけ?」
「あ! そーだった!」
「忘れてたんだ……おねーちゃんは変わらないね」
そう言ったあっちゃんは、パジャマ姿のまま、私を置いて先にリビングに降りてしまった。
「……じゃ、行ってくるから」
あっちゃんの声音は何だかいつもと違っていて、ほんの少しだけ震えていて……いつか、私が歌えなくなった時の事を思い出した。
だから私はいつも通り、元気に振舞う。
「私、今行っちゃダメかな!?」
あっちゃんは、半ば呆れたように苦笑した。
「別にいいけど、行ってもすることないんじゃないの?」
「でも、家にいるのも暇だし……そうだっ、有咲ん家行ってくる!」
「あ、いいんじゃない? 行ってきなよ。有咲さん、きっと喜んで……」
予め玄関に用意しておいたスクールバッグを肩に提げ、ローファーをつっかける。
「ええっ、今?」
「うんっ!」
玄関扉に手をかけ、力いっぱい開く。
「じゃあ行ってくるね。ふひひ」
「おねーちゃん……ホント、変わんないね」
そう言ったあっちゃんが見せた笑顔は、どこか嬉しそうに見えた。
「……さっきドカンッてすごい音がしたけど?」
「はは……布団バンッて取ったら、怒られちゃって」
「あの子はもう……。学校でもそうなの?」
眉尻を下げたおばあさんは、何だか心配している様子。
――以前、私はその問に答えることができなかったけれど。
「はい! 学校でも、有咲は元気です!」
「……フフッ、そうかい」
目尻に皺がよって、口角が上がったその笑顔は優しくて、まるでお母さんみたい。
「今日は、ご飯は食べていかないの?」
「はい! 今日は家で朝ご飯食べてきたので、大丈夫です!」
元気いっぱいに言うと、おばあさんは「そうかいそうかい」と微笑んだ。
「有咲もね、最近はちゃんと朝ご飯食べて、毎日学校に行くようになったんだよ。香澄ちゃんのおかげだね」
「あ……ありがとうございますっ」
「ふふ……本当に元気のいいこと」
するとおばあさんは、「おや」と声を漏らし、私の後ろへ視線を向けた。
振り向くと、トントンと子気味よく階段を降りる音とともに、明るい色のツインテールの女の子が姿を見せる。
「おはよう、有咲!」
「香澄ぃ……今日は9時登校だろ? はええっつーの。あと『おはよう』はさっきも……」
「おはよう!」
「っ! ……ったく。お……おはよぅ」
一瞬びっくりした有咲は、恥ずかしそうに語尾を小さくしながら言った。
フフッと息の漏れる音が、後ろから聴こえてくる。
「おはよう、有咲」
有咲に向けられたその声は、本当に温かいものだった。
「お……おはよう、ばーちゃん」
照れくさそうに挨拶を告げる有咲は、本当に可愛いらしくて。
「有咲っ! 朝ご飯食べよ!」
「うぇっ……お前、食ってきたんじゃねーのかよ?」
「まだ食べれる!」
「ご飯盛ってくるよ」
おばあさんは、笑顔のまま席を立ち上がった。
「ありがとうございますっ!」
「ばーちゃん、いいって!」
「いいじゃないの、そのくらい」
慌てる素振りを見せる有咲を見て、おばあさんは有咲の頭を撫で始める。
突然の事に、「ちょっ……ばーちゃん!!」と顔が真っ赤になっている有咲に、おばあさんは包み込むような声音で呟いた。
「……良かったね、有咲」
「……うん」
……おばあさんの目元が、一瞬だけきらりと光ったような。
気のせいかもしれないけれど……そう見えた。
「美味しかったね、有咲!」
「お前、本当に自分家で朝ご飯食ってきたのかよ。一食分丸々食いやがって……」
「美味しかったもん!全部!」
朝ご飯を食べた私達は、おばあさんに「行ってきます!」と挨拶をして、二人で有咲の家を出た。
有咲のおばあちゃんの「行ってらっしゃい」は、何だか安心感があって、嬉しくなる。
――でも同時に、何となく寂しくて。訳もなく胸の奥に上がってきた何かが、私の胸を覆いつくしてしまいそうで。
よくわからないけれど、それに支配されたらダメな気がして。
……だから、私は元気に振舞うんだ。
「ホント、元気だなーお前」
「うんっ! 元気元気!!」
「……そっか」
そう言って私を見る有咲の顔は……どこか遠くを見ているみたいだった。
「あたしには、信じらんねえよ……」
「え?」
小さく呟いたその声は、あんまりよく聞こえなかった。
「……何でもねー」
「そう?」
「さっさと行くぞー」
私よりも一歩前を歩く有咲は、やっぱりいつも通り。さっき感じた違和感は、私の勘違いだったみたい。
「うん! 行こー!」
かけっこでもするみたいに走りながら、真っ青に晴れた空を仰ぎ見る。
雲なんて一つも無いはずなのに……どういうわけか私には、その空が曇って見えた。
校門をくぐると、前を歩く人ごみの中でも、絶対に彼女だと分かる影が一つ。私はその背中に向かってかけていき、思いっきり覆いかぶさった。
「おッはよー沙綾っ!」
「わっ、びっくりした……香澄かー。おはよう」
いつも通りの反応。いつも通りの挨拶。変わらないこのやり取りが、私に安心感を与えてくれた。
「よ、沙綾」
「有咲、おはよー」
沙綾が有咲に向けた笑顔は、私に向けるものとはほんの少しだけ違う……見るだけで胸の奥が苦しくなってくるような、切ない笑顔だった。
「ねね、沙綾! 今日、沙綾ん家寄って行ってもいい?」
「いいけど……今日はクライブするんじゃないの?」
「ちょっとだけー! いいでしょ!?」
沙綾は、有咲に視線を向けた。
「別に、いーんじゃねーの? そんくらい」
「……そうだね。うん、分かった」
頷いた拍子に、栗色のポニーテールがピョコンと揺れた。
「やったー! りみりんとおたえもきっと行くよね!」
「言うだろ、特にりみは」
有咲は、やれやれとでも言いたげに腰に手を当てた。
「じゃあじゃあ、じゅんじゅんとさーなんも連れていく!?」
「おいおい……蔵が人であぶれちまうって」
「純と紗南は、卒業式に来るって言ってたよ」
「なら、わざわざクライブにも来てもらう必要なくね? それに、クライブは私達だけでって……」
「んー……聞いてみる!」
「っておい! 聞けよ!!」
「ははは……香澄は変わらないね」
――その言葉に、私は一瞬だけ思考が停止した。
「……香澄?」
まるで不思議なものを見るように、沙綾が私の顔を見る。
「……ううん、何でもない!」
教室に行けば、りみりんとおたえに会える。
大丈夫……何も変わってない。変わってなんかいない。
――それとも……変わってないのは……私だけなの?
SPACEが終わっても、私達は終わらない。終わらせるつもりも無い。
きっと、いつまでも続いていくんだろうって……その時は、本気で信じてた。
でも、私達5人を取り囲む時間は、瞬く間に過ぎていって。
気がついた時には、先輩はみんな卒業して、私達の前からいなくなって。
それでもきっと、私達は終わらない。ただそれだけを信じてた。終わらないひと時を過ごしているんだって、懸命に自分に言い聞かせた。
こんなに楽しい時間が、こんなにも充実している時間が……終わっていいはずがない。無くなっていいはずがない。失っていいはずがない。
――でも、そんなわけがなくて。
終わらない時間は決してない。
どんなに楽しい時間でも、どんなに充実していた時間も、どんなに素晴らしい仲間と過ごした思い出も……やがて、過去のものとなる。
その事に私が気が付いたのは……ずっとずっと、後のことだった。
「りみりーん! おたえー! おっはよー……ん?」
教室に足を踏み入れると、りみりんとおたえの周りに人だかりができていた。
それは、クラスメイトだけじゃない。
よく知っている顔に交じって、たくさんの後輩が私達の教室に来ていた。
「おねーちゃん、遅いよ!」
「あ……あっちゃん」
妹のあっちゃんが、教室に入った私達の所へと駆け寄ってくる。
「卒業生は、胸に花をつけなくちゃいけないんだからさー」
そう言うとあっちゃんは私の胸元に手を添えて、一輪の赤い花をつけた。
「わあ! 可愛い! ねえねえあっちゃん、これ何の花?」
「さあ? ただの造花だし……多分、バラとかじゃないの?」
「バラ!? すごいっ!!」
「な……何が?」
呆れ気味に苦笑するあっちゃんは、いつもの様子と変わらない。
ふと後ろを見ると、有咲と沙綾が、それぞれ後輩に赤い造花をつけてもらっていた。
「ふふっ、ありがとね」
「いえ、とんでもないです! ……あの、沙綾先輩。本当に……卒業しちゃうんですか? わたし……今でも信じられなくて」
「よしよし……まあ確かにねー。私もちょっと信じられないや」
今にも泣きだしそうな目の前の女の子の頭を撫でながら、沙綾は苦笑した。
沙綾は一昨年の三月あたりから、ずっと彼女に慕われているらしい。
「……有咲さんが卒業したら、これから私、どうやってテストを乗り越えればいいんですかあー!」
沙綾の隣で、沙綾を慕っている女の子と一緒にバンドを組んでいるらしい二年生の子が、有咲に思いっきり抱き着いていた。
「はあっ!? そ……そんくらい自分でできんだろぉ!?」
「むりですぅ~、私が勉強できないの知ってるじゃないですかあー!!」
「知るかっつーの! ったく、香澄が二人もいるみたいだ……勘弁してくれ……」
二人が後輩と仲良くなっていたことは、本人から聞かされるまで全然知らなかった。
沙綾と有咲だけじゃない。りみりんも、おたえも。
みんな……私の知らない所で、私の知らない誰かに変わってしまったような。
……そんな風に思ってるのは、私だけなのかな?
「ははは、面白ーい」
「有咲ちゃん、嬉しそうだね」
「嬉しいわけあるかあ!!」
有咲が後輩とやり取りしている様子を見て、私の隣でりみりんとおたえがお腹を抱えて笑っている。
既に後輩につけてもらったらしいバラの造花を胸元に添えた二人は……何だか少し、大人っぽい。
「おたえ! りみりん! おはよう!」
「香澄、おはよー」
「おはよう、香澄ちゃん」
「そうだ、二人とも! 今日の帰り、沙綾ん家寄って行かない?」
「いいね、パン食べたい!」
「チョココロネ……残ってるかなあ?」
りみりんが言うと、沙綾が口を開く。
「大丈夫、夕方になると追加で焼くからね」
「そっかー、良かったあ」
「オッチャン、何食べるかな?」
「うさぎに食べさせるのかよ……」
「いいじゃん有咲。オッチャン、可愛いし」
有咲がツッコミを入れると、いつも沙綾がフォローを入れる。
「何だか……こうしていると、本当に信じられないね。お姉ちゃん達が卒業するなんて……」
あっちゃんは、何だか寂しそうに呟いた。
「私は家から通うよ! だから寂しくない!」
「お姉ちゃんは別に、卒業しても何も変わらないだろうからどうでもいいよ」
「ひどい!」
卒業しても、きっと私達は変わらない。
どこか遠くに引っ越しするわけでもないし、会えなくなるわけでもない。
寧ろ、ポピパのみんなはずっと東京にいるのだから、今よりもずっと会う時間が増えるかもしれないのだ。
バンドは解散しない。これからも、ずっと……。
「……変わらないと思ってるのは、お姉ちゃんだけだよ」
「え……あっちゃん?」
それは、彼女が言ったとは思えないような……冷たい口調で。
思わず私は、あっちゃんの顔を凝視した。
「……別に、何でもないよ」
「う……うん」
抑えていた何かが、再び膨れ上がってくる。
今にもはち切れそうな気持ちは、何かの拍子に零れてしまいそうで。
――その時……毎日、何度も聞いた甲高い鐘の音が、教室や廊下に響き渡った。
「……じゃあ、私達は教室に戻るから」
あっちゃんと一緒に、訪れていた後輩達が次々と教室を後にした。
その中には、涙で顔をぐちゃぐちゃに濡らした子も何人かいて。
考えないようにしていた何かは、途端に胸中を覆いつくしていった。
卒業式が始まるまで、まだ少し時間がある。
教室で待機している私達は、卒業ライブについて最後の確認をしていた。
「ねね、卒業ライブなんだけどさ! いつやるんだっけ?」
「はあ? 寝ぼけてんのか……午後。わざわざ職員室まで行って、許可貰ってきたじゃん」
「あはは、そっかあ! すっかり忘れてた!」
「全く香澄は……マイペースというか、何というか……」
「ここまでくると、ただのバカだ」
「ヒドイよ有咲ぁ~」
有咲の酷い言い草に、今度ばかりは沙綾もフォローしてくれなかった。
確かに、忘れていたのは認めるけど……それは、昨日遅くまで練習していたからで、仕方ないというか。
「そういえばね。卒業ライブ、お姉ちゃんも来てくれるって言ってた」
「え!? ゆりさんもくるの!?」
びっくりして、つい大きな声で叫んでしまう。
「香澄、声がでけえ」
「こんだけみんな騒いでるんだから、誰もそんなに気にしてないよ」
「沙綾は香澄に甘すぎ」
「フフッ、そうかな?」
「有咲が私に酷いだけだよ!」
「なっ……悪かったって、そんなに怒んなよ……」
「怒ってないもん!」
「……そんなことより、ゆりさんも来てくれるんだね。びっくり。確か、今は東京に住んでないんだよね?」
一通りやり取りした後に、本当にどうでも良さそうな口調でおたえが話を戻した。
「うん……でも、大学が今は春休みだから来てくれるって」
「そっか。それじゃ今は、ゆりさん帰って来てるんだね」
「うん! そうなんだあ」
本当に嬉しそうに笑うりみりんを見ていると、何だかこっちまで嬉しくなってくる。
「それなら、なおさら気を引き締めないとね!」
「新曲もあることだしね」
みんなを奮い立たせようとした私に、沙綾が片目でウインクして頷いた。
――そう、新曲。
みんなで作った、みんなの曲だ。
卒業しても、私達「Poppin’Party」は解散しない。
けれど、この学校でライブをするのは、これが本当に最後だ。
「……悔いの残らないような、最高のライブにしよう!」
このライブだけは、絶対に失敗したくない。
後悔なんて、したくない。
ここで少しでも悔いが残ってしまえば……抑え込んでいた何かが、崩れ落ちてしまうような、そんな予感がするから。
――高校卒業したら私達、どうしようか?
そんな質問を投げかけたのは、一体誰だったかな?
それは大分昔の事で……今はもう、誰が言い出したのか覚えていない。
けれど会話の内容だけは、今も鮮明に覚えていて。
「……なあに? 藪から棒に?」
聞き返したのは沙綾。それに続いたのは私。もしかしたら、言い出しっぺは私かも。
「卒業したら……続ける! バンド、続けるよ!」
「おいおい……音楽だけで生きていけるのは、本当に一握りの天才だけって聞くけど?」
有咲の言い方は、いつも大人っぽい。
「うーん……頑張る!」
「頑張るって、気合かよ!?」
「ははは……香澄らしいね」
「うん、香澄らしい」
沙綾とおたえが、それに続いて。
「香澄ちゃんが言ったことは、本当にそうなりそう」
りみりんが、いつものあどけない口調で答える。
「きっと、私達ならできるよ! SPASEの時もそうだった!」
「うん……あの時のこと、今も覚えてる」
おたえは最初、私に無理だと言った。
きっとそれは、私がまともに演奏もできない初心者で、右も左も見えてなかったから。
でも、周りの助けを借りて……いっぱい頑張って。泣いたこともあったけど、乗り越えた。
だからきっと、これからも。
「そううまくいくわけねー」
やっぱり有咲は素直じゃない。
口ではそう言ってるけど……表情は、なんだか嬉しそう。
「頑張ろう! みんなで、一緒に!」
「うん、頑張ろう。この5人なら、何とかできる気がする」
最初に突っ走る私が暴走しないように、ムードメーカーになってくれるのは、いつも沙綾だ。
「よーし! じゃあ、いつもの!」
「今かよ!?」
「あはは……いいね、やろう!」
「嘘だろ!? ……ったく、わかった」
私の言う事は渋るくせに、沙綾の言う事にだけは文句を言わない有咲。
そんな二人を見て苦笑するおたえとりみりん。
私の出した手の甲に自分の手を重ね……まるで、5人の腕が星を対角線に表しているみたい。
「よーし……ポピパ!ピポパ!ポピパパ!ピポパー!」
「……え? グリグリが解散!?」
ある日の昼休み。いつも通りに中庭でご飯を食べていた私達は、りみりんの突然の告白に耳を疑った。
「うん……おねえちゃんが言ってたから、間違いないと思う……」
消え入りそうな声を出すりみりんは、今にも泣きそうな顔をしていて。
それが嘘か本当かなんて……疑いようがなかった。
「でも……どうして急に? だってグリグリだよ? あんなに凄い卒業ライブまでしたのに、どうして解散なんて……」
いつもは穏やかな沙綾も、この時ばかりは声を上げずにはいられなかったみたいだ。
「うん……あのね。おねえちゃんが、引っ越しちゃうんだ。大学が東京じゃなくて、関西にあるからって」
「関西……」
確かに、今はそんな時期だ。
3月下旬。この時期になると、卒業式を終えた三年生たちの進路も決まり、引っ越しが盛んに行われる。
高校を卒業したゆりさんが大学に進学することを理由に引っ越すのも、何ら不自然ではない。
「だって……どうして、そんな急に……」
「それが……そんなに急な話でもなかったみたい。ずっと前から、メンバーでそれぞれ進路の話もしてたみたいで……全員の希望通りいけば、もうバンドの練習もできないねって……」
「何でだよっ!!」
突然の叫び声に、りみりんの肩がビクッと跳ねた。
「何で……そんな……音楽が好きだから……バンドが大好きだからやってたんじゃねーのかよっ!!」
「有咲……」
「っ……わりぃ」
りみりんは、溢れる感情を抑えきれなくなったようで、肩を震わせながら泣き始めてしまった。
そんな彼女を、おたえがギュッと抱きしめる。
「仕方ないよ……好きじゃないのに、バンドをやっている人なんていない。みんな音楽が好き……バンドが大好きなの。それでも、どうにもならない事だってあるんだよ……?」
「わ……分かってる……分かってんだよ、そんなこと」
有咲も、頭では理解しているはずだった。
才能がある人でさえ、音楽で生きていくのは難しいのだと、いつかテレビ番組で誰かが言っていた。
きっと、ゆりさんもそれが分かった上で、生まれ故郷の東京を離れて関西の大学へ進学することを選んだのだ。
――でも……分かっていても、信じたくないんだ。
「Glitter*Green」が、バンドとして優れていたのは明白だ。
誰から見たってそれは変わらない事実で、SPASEで行われていたライブに、彼女達が目当てで訪れる客も決して少なくなかった。
そんな彼女たちが、音楽で生きていく道を拒んだのだ。
私達「Poppin’Party」よりも、ずっと優れていたであろう彼女達が、音楽で生きていくことを諦めた。
好きなことだけで生きていくことを諦めた。
きっとどこへ行っても、何かの形で音楽には触れるのだろう。
大学の学園祭だったり、SPASEのようなライブハウスだったりするかもしれない。
だとしても……今この瞬間から、音楽で生きていく事を諦めた事実は揺るぎない。
そんな事実を突きつけられて、それでも私達は音楽で生きていくだなんて……軽々しく口にしていいのだろうか?
「……どうする? 私達」
重すぎる沈黙を破ったのは、沙綾だった。
「香澄。……どうするの?」
こんな形で私に話を振るのは、彼女にとっても不本意なのかもしれない。
汚いとさえ思っているかもしれない。
それほどに、彼女の顔は悲壮に歪んでいた。
でも、私が言わなくちゃいけない。
今までだってそうだった。
言い出すのは、いつも私。
思ったことを何でも口にして、まるで赤ん坊のように、そのまま行動に移そうとする。
そんなこと、普通の人にはできない。
……いや、しようとも思わないのだ、普通なら。
しない方が利口だから。
その方が、何かあった時に怪我を負わなくて済むから。
しっかり考えてから行動する人は、私のように思いついたことを実行しようとはしない。
でも……なら私がどうして、思ったことを行動に移せるのか。
それは、一重に友達のおかげでしかない。
いつも私が言い出して。
周りの大人達は、それを否定する。
それでも彼女達だけは、いつも……どんな時だって私に付き合ってくれた。
私が間違っていたら、正してくれた。
私が正しかったら、その背中を後押ししてくれた。
だから今、私は……私達はここにいる。
そうだ……こんな時だからこそ。
私が、言わなくちゃいけない。
きっと、みんなそう思っているであろう……その言葉を。
「……続けよう」
私の言葉に、誰一人として驚かなかった。
「ゆりさんが……グリグリが解散しても、私達は解散しないっ! 卒業したって、絶対に終わらせない!! だって好きだから! 誰がなんて言っても、その気持ちだけは絶対に変わらない!! ここで止めたら、こんな所で止まったら、後で絶対後悔する! やらないで後悔なんて、私は絶対したくないっ!!」
はあはあと、息が切れた。
赤ん坊の癇癪のように、言いたいことを何でも口にする。
そんな私のワガママに、いつも付き合ってくれるのは。
「うん……そうだね。香澄らしい」
「あたしもさんせー」
「ここで止めたら、オッチャンに顔向けできない」
「私もっ……続けたい!」
いつも付き合って、隣に立ってくれるのは、彼女達なんだ。
「……卒業生、入場」
司会の教頭先生の声と共に、静かな音楽が流れ始める。
同時に、前の列の生徒達が前進し始めた。
「何だか……ワクワクするね!」
「緊張じゃないんだ……」
「うん! ワクワク!」
沙綾と話していると、次第に体育館の入り口が見えてきた。
「卒業ライブ、頑張ろうね!」
「まだ早いと思うけど……うん、頑張ろう」
体育館の中は、既に保護者と在校生でいっぱいで、当たり前だけど、空いているのは前の方の卒業生の席だけだ。
あっという間に入場が終わった。
国歌斉唱、卒業証書授与、校長祝辞、PTA会長祝辞と進んでいく。
やがて、あっちゃんがステージに立った。
「厳しい冬の寒さの中にも、春の訪れを感じることの出来る季節となり……」
「……おお、何だかあっちゃんが頭の良さそうな事言ってる……」
「頭の良さそうな事って……」
隣の席で、沙綾が苦笑した。
「……先輩方が次の世代の先頭を切り、どんな困難も乗り越えて、グローバルにご活躍なされることを心より期待しています。……先輩方がご卒業した後のぽっかりと空いた教室。それを見ることになると思うと寂しく心細くてなりません。しかし、これまで先輩方が築き上げてきた花咲川女子学園の伝統を私たちがしっかりと引き継ぎ…………」
そこで、不自然に声が途切れた。
「……あっちゃん?」
「……伝統を……わたし……たちが……」
――あっちゃんは……口元を覆って、泣いていた。
普段は絶対に見せないような表情。悲痛に歪んだ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔。
変わらないものは無いのだと……変わっていないのは私だけだと、そう言った時のあっちゃんの顔を思い出して。
思わず。
「……あっちゃん!!」
途端に、体育館中にざわめきが起こる。
「あっちゃん!! がんばれ!!」
私は思わず、叫んでいた。
「……おねーちゃん」
あっちゃんは服の袖で、ゴシゴシと目元を擦った。
再び上げたその顔は、赤く腫れていて、いつものあっちゃんらしくない。
でも……今だけは、世界中で一番カッコいいよ、あっちゃん。
「……この学園をさらに素晴らしい学び舎へと導いて行きたいと思います。先輩方の後輩としてこの学び舎でともに生活できたことを心から誇りに思います。これまで本当にありがとうございました。先輩方のご健康とご活躍を祈念して、送辞とさせていただきます。……在校生代表、戸山明日香」
「……先輩方が次の世代の先頭を切り、どんな困難も乗り越えて、
グローバルにご活躍なされることを心より期待しています。
……先輩方がご卒業した後のぽっかりと空いた教室。
それを見ることになると思うと寂しく心細くてなりません。
しかし、これまで先輩方が築き上げてきた花咲川女子学園の伝統を、
私たちがしっかりと引き継ぎ…………」
そこで、不自然に声が途切れた。
「……あっちゃん?」
「……伝統を……わたし……たちが……」
――あっちゃんは……口元を覆って、泣いていた。
普段は絶対に見せないような表情。
悲痛に歪んだ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔。
今朝、あっちゃんと話した時から感じていた違和感の正体は、これだったんだ。
きっとあっちゃんは今朝から……ううん。きっと、もっと前から。
私達三年生が卒業するだなんて、信じられなくて。
あっちゃんが花咲川に残ると聞いた時、私はとっても嬉しかった。
これからも、ずっとあっちゃんが一緒の学校にいてくれるんだって、嬉しかった。
多分それは、あっちゃんも同じ。
でも、ずっと一緒の学校だなんて、あり得ない。
別れはいつか、必ず訪れる。
私とあっちゃんは、同じ家に住んでいることは変わらないけれど。
花咲川からは、いなくなるんだ。
ずっと変わらないと思ってた。きっと、あっちゃんも。
こんな瞬間が訪れるなんて……想像もしてなくて。動揺してて。
だからあっちゃんは、今朝からずっと落ち込んでたんだ。
あっちゃんと私は、これからも家で何度だって会える。
でも、学校で制服を着て、一緒に学校の事を話せるのは……今日が最後なんだ。
――私が、あっちゃんにしてあげられることは何だろう。
この学校の先輩として。
一足先に、旅立つ者として。
一体私は……彼女に何を?
変わらないものは無いのだと……変わっていないのは私だけだと。
そう言った時のあっちゃんの顔を思い出して。
思わず。
「……あっちゃん!!」
途端に、体育館中にざわめきが起こる。
「あっちゃん!! がんばれ!!」
私は思わず、叫んでいた。
「……おねーちゃん」
あっちゃんは服の袖で、ゴシゴシと目元を擦った。
再び上げたその顔は、赤く腫れていて、いつものあっちゃんらしくない。
でも……今だけは、世界中で一番カッコいいよ、あっちゃん。
「……この学園を、さらに素晴らしい学び舎へと導いて行きたいと思います。
先輩方の後輩として、この学び舎でともに生活できたことを、心から誇りに思います。
これまで、本当にありがとうございました。
先輩方のご健康とご活躍を祈念して、送辞とさせていただきます。
……在校生代表、戸山明日香」
「Glitter*Green」のラストライブは、
今までの先輩たちのライブと、何かが違った。
ゆりさんもだけど……他の先輩も、いつもの余裕な笑みはどこにもなくて。
でも、私達はそれに全然気が付いてなかった。
『なんか今日のグリグリ、いつもよりもっとすごくない!?』
『そりゃあ、だって卒業ライブだよ! でも……本当にすごい。
何だか、捨て身のライブって感じ!! かっこいい!!』
『流石グリグリの卒業ライブだね!』
みんな盛大に盛り上がって、楽しそうだった。
一曲目の中盤辺りから、ゆりさんたちの表情はいつものそれに戻っていて。
だから……誰も、疑いすらしなかったんだ。
「私達もしよう! 卒業ライブ!」
有咲ん家の蔵で、練習中。
私は突然、みんなの前でそう言った。
私が何かを、突拍子もなく宣言することなんて、
全然珍しくないことだから、誰も驚きはしなかった。
でも……雰囲気が、変わった。
文化祭の壮大なライブを終えた私達は
……きっと、もう学校でライブをする事なんてない。
だからきっと、終わったら悲しいんだろうなーって……思ってたけど。
全然そんなことは無くて。
文化祭のライブが終わってから、誰一人それを悲しんで涙を流すメンバーはいなかった。
もちろん、私達のライブを見てくれた生徒達の中にも。
それはきっと、みんな僅かに期待しているから。
文化祭のライブが終わったら、私達『Poppin’Party』はもう、
学校のステージでライブはできない。
――たった、一度の機会を除いて。
「……なんで?」
有咲が、こちらに目線を向けないまま呟く。
それはまるで……無言で拒絶しているかのようだった。
「だって、グリグリはライブしたもん!」
私が卒業ライブをしたいと思った理由を、率直にぶつける。
「……その次の卒業生はやらなかった」
おたえが、いつもとは違った、少し低い声で言った。
「うん……卒業ライブやると、何だかそれが最後みたいだからって……」
りみりんは、舌っ足らずな声で……それでも、考えていることはきっと同じ。
――卒業ライブをすると、何もかも終わってしまうかもしれない。
『Glitter*Green』がそうだったように。
「私達は終わらないよ!」
きっとみんなが感じているであろうその不安を、たった一言で否定できる……わけもなく。
「だからっ!! ……わざわざ卒業式にライブしなくてもいいだろ。
一日くらい、ずらしてもいいんじゃねーの?」
有咲の表情はどこか必死で。当たり前の事を言う。
それでも……その日にやらなくちゃダメなんだ。
「ううん、卒業式にやりたい」
「……どうしてそんなに卒業ライブにこだわるの?」
沙綾が、優しく聞いた。
「あの日……グリグリの卒業ライブの日。私、すごく感動した」
いつかの、ライブハウスで見た時よりも。
「初めてグリグリのライブを見た時と同じくらい……ううん、もっとすごかった。
すごく……感動したの。みんなもそう思ったでしょ?
みんなも、同じように輝きたいって、やり切りたいって、
そう……思ったでしょ?」
4人とも、黙ったまま。
その沈黙は肯定なのか……否定なのか。
私には、わからない。
「音楽って、こんなにも人を感動させられるんだって、
私に教えてくれるのは……いつも『Glitter*Green』だったの」
「……だから?」
有咲は、今度は私の目を見て言った。
「だから、なんでわざわざ卒業式のライブにこだわるんだよ?
……グリグリみたいに、それで終わらせたくないだろっ!?」
「……でも、逃げたくない!」
思ったことを、そのままの言葉で。
「卒業式は、みんなの最後の日。
そんな日だからこそ、私はライブをしたい!!」
続いた無言……その沈黙を破ったのは、やっぱり沙綾。
「……香澄って、たまに率直過ぎて、何が言いたいのかよく分からない事あるよね」
苦笑して、ポニーテールを揺らしながら言った。
「そうかも!」
「わけわかんねえよ……」
有咲は、あきれたようにため息をつく。
その時、おたえが「でも」と口を開いた。
「わたしも……卒業ライブしたい!」
何かを決意するような、何かを振り切るような、そんな言い方。
「なんか、やらなきゃいけない気がするの。わたし達には、必要な気がする」
「何だよそれ……抽象的っつーか、そんなんじゃわかんねえ」
まだ、決断しきれない有咲。
きっと、みんなよりも少し大人な有咲には、自分を納得させるための言葉が必要で。
自分の感情をうまく言葉にできない私には、彼女を説得するのは難しくて。
そんな時……沙綾は。
「やってみようよ、有咲」
「沙綾まで、何言ってんだよ」
「卒業ライブしたから解散するだなんて、そんなの分からないじゃん?
それに……きっと私達は解散しない」
「……何でそんな事が言えんだよ?」
沙綾は私の顔を見て、「フフッ」と笑う。
「きっと、香澄がそうさせない」
「わっ……私!?」
「うん。だって香澄、いつもそうじゃん」
「私も、初めて香澄ちゃんに誘われた時はびっくりしたあ」
口元に手を当てて、肩を上下させる沙綾とりみりん。
「……いつも決断しきれない私達を、無理やり連れていく」
有咲は黙ったまま聞いている。
「私達のためらいを振り切って、すごい強引に」
「私……強引かなあ?」
「自覚なかったんだ……香澄、いつもすごい強引だよ」
「そ、そんなあ~」
「……でも、だからきっと。私達はいつまでも続けていける。……そんな気がする」
「香澄ちゃんがいれば、きっと大丈夫」
どういうわけか、私は沙綾とりみりんに信頼されていた。
私は、自分でいうのもなんだけど、他人に信頼されるほど大人じゃないと思う。
あとで思い返すと、いつも自分勝手だったなあと反省するし、
そのくせ次も同じことをしてしまう。
私はただ、自分の思った通りに行動するだけ。
後で後悔なんて……絶対にしたくないから。
「……そんなの信用できねえよ。だって香澄、何も考えないで行動するじゃん。
いつもあたしらが振り回されんだろ?」
「それで後悔した事なんて、一度だってあった?」
沙綾のその一言に、有咲はグッと息を詰まらせる。
「……なかった……けど」
それは本当に小さな呟きで。でも……確かに聞こえた。
「私達なら大丈夫。解散なんて、絶対しないよ……それにさ」
一人一人、見回した沙綾は。
「したいじゃん、卒業ライブ」
とびっきりの笑顔を見せた。
その表情は、まるで一輪の花が咲いたようで……思わず私達は、見とれてしまう。
そんな沙綾を見て……有咲は。
「っ……あーもう、分かったよ!!」
「フフ……有咲ならそういうと思ってた」
何だか甘ったるい声で、沙綾が囁いた。
「こっ……このバカあっ!!」
有咲は顔を真っ赤にして、そっぽを向いてしまう。
きっとそれは、有咲の賛成の証だ。
「私達も、グリグリみたいに人の心を動かすようなライブがしたい! だから……」
「うん、わたしも」
「私も、香澄ちゃんと同じ」
おたえとりみりんが、それに続いた。
沙綾と有咲も、無言の頷きを返す。
「だから……卒業ライブをしようっ!!」
それはきっと、私達には大切な事で……必要な事だから。
解散のための、終わりのライブじゃない。
これからも、ずっとずっと続けていく。
『Poppin’Party』は、いつまでも終わらない。
それを、みんなに示すために。
私達が、これからも続けていくために。
「みんなー! 今日は、私達のライブに来てくれてありがとうっ!!」
私の声に続いて、生徒達や大人達までもが歓声を返した。
開始直後から、グリグリを見習って1曲目を披露した私達5人は、既に息が上がっていて……でも、テンションはMAXだ。
「堅苦しい卒業式は終わって、今から始まるは私達『Poppin'Party』の卒業ライブ!! みんな、盛り上がってる~!?」
瞬間、これ以上ないくらいに、ワーッとざわめきが巻き起こる。
そこかしこから、「香澄ー!」とメンバーの名前を呼ぶ声や、「ポピパー!」とバンド名を叫ぶ声が聞こえてきて。
会場、もとい体育館は、過去最高の盛り上がりを見せている。
昔の私……1年生の私は、本番になるとよく分からないことを言ってしまって、1人で焦っていた。
その時からは考えられないほどに、今の私は落ち着いていた。
それは、単純に私達が経験を積んだからかもしれないけど。
「おねーちゃーん!!」
クラスメイトや、友達……あっちゃんがいるからなのかもしれない。
見てて、あっちゃん。私も、頑張るから。
「きっとみんな、紹介しなくても私達の事は知ってると思うけど! メンバー紹介します!!」
左手を、彼女の下へ伸ばす。
「青いギターのおたえ!!」
迫力満点のギターソロ。おたえの、海のようにどこまでも広がるマイペースな性格を、そのまま再現したかのような音色だ。
同じギターなのに、私が出す音とおたえの音は、全く違う楽器を使っているかのようで。私はいつも嫉妬してしまう。
「ベースのりみりん!!」
子犬のように愛らしい見た目からは全然想像できない、お腹に直接響いてくる重低音。
演奏が上手くなっているのは当たり前。
それだけでなく、幾度となく経験したライブによって培われたいざという時の強靭なメンタルが、りみりんの力強い演奏を支えている。
「あっちが有咲!!」
瞬間、『キーボードッ!!』とでも言いたげに、観客を上下左右に振り回すジェットコースターのような演奏。
つい私は怯んでしまい、『ごめーん』と視線で返す。『ったく』と聞こえてきそうな、大きなため息。
気を取り直して。
「ドラムのー……沙綾っ!!」
パワーのある何種もの音が重なり合う。
時折見せるスティックを豪快に回すパフォーマンスが、沙綾が奥底に秘めるヤンチャぶりを表している。
女の子とは思えない、猛然とした演奏だ。
全てが吹っ切れた沙綾の、迷いのない自由奔放な姿は、同姓の私でも惹かれてしまうくらいに魅力的だ。
――私も、負けてられないな。
翻って、有咲から譲ってもらった大好きな赤いギターを豪快に鳴らす。
「ランダムスターのー……戸山香澄っ!!」
元気いっぱいの笑顔で。
「私達、5人で……『Poppin’Party』です!!」
私がみんなに、「香澄は変わらないね」と言われ始めたのは、いつからだっただろう。
最初、私はそれを嫌だとは感じていなかった。
寧ろ、自分自身のことをどうこう言ってくれるってだけで、何故だか嬉しかった気がする。
でも……時間が経つにつれて、それがどういう意味なのかが理解できた。
みんな、ライブを重ねて、歳を重ねて、大人になっている。
みんな、後輩に慕われて、いつの間にかファンも大勢出来て、頼もしくなっている。
それなのに……私だけ何も変わってない。
私を慕ってくれる後輩はいる。でも、私が頼られたことは、一度も無くて。
ギターはおたえ。ベースはりみ。キーボードは有咲。ドラムは沙綾。
みんなそれぞれ得意分野があって、でもみんな歌唱力もあって。
私が特別優れているものなんて、何一つない。
それは、私が誰にも頼られないという事実が証明している。
それでも、私は私。私なりに頑張ればいい。
ずっとそう思ってやってきたのに……。
「香澄は変わらないね」
その一言が、私の心をざわつかせる。
私、変わってないの?
あの時から、成長してないの?
一歩も……前に進めてないの?
待ってよ……置いていかないで。
私を……一人にしないで。
「はぁ……はぁ……みんな! ありがとう!!」
私達に与えられた時間は、卒業式が終わった午後の、たった1時間。
だから……次の曲で、このライブは終わりだ。
「私達の卒業ライブ、みんな楽しんでるー!?」
そこかしこから、「サイコー!!」「ポピパ―!!」と声援が飛んできて。
いつまでも、この最高の時間を味わいたい。
みんなと、バンドをやっていたい。
終わってほしくなんかない。
でも……時間は無情にも過ぎていくばかりで。
「……残念だけど、次の曲が、最後です」
その瞬間、盛り上がっていたはずの体育館が静まり返る。
まるで、溜まっていた水が、栓を抜いたことで一瞬で消えてしまったかのように。
「次の曲が最後……でも、だからこそ! これまで以上に全力を尽くします!」
――次の瞬間。
「終わらないでっ!!」
誰かの、悲鳴のような叫び声が、ステージに向かって轟いた。
次の言葉を続けようとしたけど、その声にびっくりして、息を飲んだ。
「お願い……終わらないで、ポピパ」
今にも張り裂けそうな気持ちを、どうにか抑えているような、そんな涙ぐんだ声だった。
この大勢の観客の中では、誰がその声を発したのかは分からない。
でも……彼女に続いて、多くの声が飛び交ってくる。
「終わっちゃ嫌だよ!」「続けるんだよね!?」「これが最後なんて言わないで!!」
みんなの思いが、伝わってくる。
……当たり前だ。
『Poppin’Party』は、私達だけで作り上げたバンドじゃない。
私達がここまでやってこれたのは、私達5人だけの力では決してないのだ。
私達をずっと応援してくれたクラスメイトがいて。
ずっと支えてくれた両親がいて。
この場所、この時間を提供してくれた先生がいて。
今はもう、無くなってしまったけれど……私達の目標だった『SPASE』があって。
みんなのおかげで、私達はここに立っている。
みんなに支えられて、ここに立つことができている。
だから、『Poppin’Party』は、みんなのバンドなんだ。
「……終わらないよ」
自分でも小さな声だと思ったけど、マイクを通じて、確かにそれはみんなに届いた。
途端に、私の声を……私達5人の答えを聞くために、体育館中が静寂に包まれた。
「私達『Poppin’Party』は、決して終わらない! 終わらせない!! 卒業ライブが終わっても、絶対に続けます!! だから……」
私は、メンバーの4人の顔を見る。
少しだけ大人びた彼女達の表情は……みんなの答えは、同じだ。
「だからこれからも……私達の応援を、どうかよろしくお願いします!!」
一瞬の間。
そして……歓声と共に、拍手が巻き起こった。
――それが、みんなの答え。
「……では、最後の曲です! この曲は、私達全員で作った、私達の曲です! それでは、聴いてください!!」
沙綾の、スティックを打ち付ける音を皮切りに、一斉に楽器を鳴らす。音楽を奏でる。
この曲は、みんなで協力して作った曲。
みんなの思いが込められた曲。
高校を卒業しても、卒業ライブが終わっても、私達は決して終わらない。
辛いこともあったけど。泣いたこともあったけど。
ここで止めようとは、誰も言わなかった。
みんなに支えられて。みんなに助けられて。みんなが応援してくれた。
だから私達は、ここにいる。
この思いを、今私達が感じている思いを、みんなに届けたい。
みんなのおかげで、ここまで来れた。
そして、それはこれまでもこれからも変わらない。
私達が、キラキラと輝くために。
これからも、ずっとずっと続けていくために。
それを、みんなに伝えるために。
最後の文化祭のライブが終わった、その直後。
クラスメイトが、ライブを終えた私達に声をかけてきた。
「今日のライブ、いつも通り最高だったよ!」
「うん! ありがとう!!」
いつも通りの、すっかり慣れてしまったこのやり取りも。
やっぱり「ありがとう」の一言で、嬉しくなるんだ。
「やっぱりポピパは最高だよ! いつまでもこのままでいてね!」
いつまでも……このまま?
「う、うん。頑張る!」
変わらなくて……いいのかな?
私、自分が変わらないとダメってずっと思ってたのに。
もう……わけわかんないよ。
「かーすーみ」
「沙綾? どうしたの?」
「香澄はさ……いいんだよ、そのままで」
「……え?」
「1年の時の……バンド結成した時の事、覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
突然、何を言い出すんだろう。
そんなの、覚えていて当たり前だ。
それがなかったら、今の私達はここにいなくて。
だから私達にとっては、大きな分岐点。
忘れるわけない。忘れていいはずがない。
「香澄は、あの時のままでいいんだよ」
「あの時の……まま?」
「いつだって強引で、迷ってる私達を無理やり連れていく」
それだけ聞けば、迷惑もいいところだ。
本当は嫌だったんじゃないかって……今でも引っかかってる。
「でもね……私達みんな、本当はそうしたかったんだよ」
沙綾は、目を伏して。
「……でも、できなかった。
周りに反対されるんじゃないかって、周りが誰も応援してくれないんじゃないかって、躊躇ってたの。
自分でも、何が本当にやりたいことなのか分からない……。
そんな私達を、ここまで連れてきてくれたのが香澄なんだよ」
「……ホント?」
私……みんなの力になってた?
みんなの足を引っ張ってなかった?
みんな……本当は、私とバンド組むの、嫌じゃなかった?
「香澄は今のままでいい。今の香澄だから、私達は香澄とバンド組んでるんだから」
胸の奥で引っかかっていた何かが取れたような……そんな気がした。
本当は変わるべきだったんじゃないかって。
みんなに迷惑かけっぱなしだったんじゃないかって。
ずっと不安だった。
でも、本当は……ちゃんと力になれてたんだ、私。
「……これからも、私とバンド組んでくれる?」
沙綾は、苦笑して。
「もちろん!」
最高の笑顔を見せてくれた。
私達はきっと終わらない。
みんなと一緒に、これからも走っていくんだ。
その気持ち、伝わったかな?
私達の、奮える熱い気持ち……伝えられたかな?
――そんなの、聞くまでもない事だ。
演奏が終わった瞬間……体育館中、全てが歓声に包まれた。
「……みんな、今まで応援してくれて……本当にありがとう!!」
――そして。
「これが終わりじゃありませんっ!!」
これが、私達の決意。
「この卒業ライブは、私達の終わりじゃありませんっ!!」
『Glitter*Green』が終わってしまったのは、仕方がないことで。
だからって、私達まで終わってしまうわけじゃない。
別れは、いつだって突然に訪れる。
でも……それが全てではないんだ。
「私達は、また走り出します!! これからも、ずっと!! だから……」
だから、この卒業ライブは。
「……これは私達の、始まりのライブです!!」
「だあ~疲れたあ~!」
「もう、みっともないよ、有咲」
短くも充実した卒業ライブを終えた私達は、教室に荷物を取りに戻って来ていた。
有咲はクラスが違うけど、更衣室兼控室として、このがらんとした教室を使っていた。
教室に入った途端、汗でびっしょりのTシャツを脱いだ有咲。
一応下にはキャミソールを着ているけれど……男子には絶対に見せられない姿だ。
まあこの学園には、男子なんて一人もいないんだけど。
「女の子なんだから、もっと気を遣わないと」
「いいだろぉ~、どうせ女しかいねーんだからさ」
「いいのかなあ、そんなこと言ってー?」
少し悪い顔をした沙綾は、少しずつ有咲との距離を詰めていく。
「へ? 沙綾、お前……ちょっと何する気だよ、両手そんなモゾモゾさせて……」
「フッフッフ」
「やっやめ……ひゃっ!!」
「こちょこちょこちょこちょ!!」
沙綾が、有咲を思いっきりくすぐった。
「ばっ……か……ぁ……やめろお~~~!!」
「フフッ……ありゃりゃ、ちょっとやり過ぎた?」
ゼエゼエと真っ赤になって息を切らす有咲を見て、沙綾が「てへっ」と舌を出す。
「こんのバカぁ!!」
「あの二人、夫婦漫才でもやってるみたい」
「有咲ちゃん可愛い」
おたえとりみりんが、天然なのかマイペースなのか、机に寄りかかって笑いあった。
「そこっ! 夫婦とか言ってんじゃねえ!!」
「え? 違うの?」
おたえが、当たり前の事を聞かれたかのように問い返した。
「ちっがーう!!」
両手を突き出して全否定。対する沙綾は、いつもの余裕の笑みを浮かべている。
何だか、いつも通りのやり取りで。
ああ、変わらないなって、そう思って。
――このやり取りも……今日で終わりなんだ。
ふとよぎった、その瞬間。
「……香澄……ちゃん?」
「香澄……泣いてるの?」
りみりんとおたえが、私の顔をじっと見つめてきた。
「泣いて……る?」
頬を流れる、一筋の雫。
それはやがて、顎を伝って地面に落ちていって。
余りにも小さくて、本当は聞こえるはずないのに……涙の落ちる音が、微かに聞こえた。
「あれ……? おかしいな……。私、泣くつもりなんかなかったのに」
「香澄……」
沙綾が、私を見て。
有咲は、じっと床を見つめたまま。
「だって全然泣くようなとこじゃ……どうして、私……」
次々と溢れ出す涙は、止まる気配も無く、ただただ流れ続けて。
床に、涙の水たまりができていく。
「分かんない……わかんないよ……だって、終わらないって決めた……ばかりなのに……」
何度も何度も拭っても、次から次へと、決壊が破れたかのように。
両手で顔を覆った私を……おたえとりみりんが、ギュッと抱き締めた。
「いいんだよ、香澄ちゃん。今は泣いても、いいんだよ。だって……」
りみりんの顔を見上げると、彼女も、目尻から涙が流れていて。
「だって……この学校で過ごす時間は、これが最後なんだから……」
「――っ」
そうだ……いくら私達が続けると言ったって、ここでずっと過ごせるわけではない。
今日、確かに終わったのだ。
――高校生の私達は、今日で全てが終わったんだ。
「……うっ……うああ……」
みっともなく嗚咽を上げて、私は泣き出した。
どうにもならない事実を前に、だだをこねる赤ん坊のように。
気が付くと、りみりんもおたえも、私を抱きしめていて。
二人とも、泣いていて。
有咲も、沙綾も。
両膝を抱え込んで、頭を埋める有咲を、悲痛な表情の沙綾が抱き締める。
教室には、私達5人の声だけがこだましていた。
この日……私達は。
決して戻れない扉の向こうへと、足を踏み出したんだ。
ひとしきり泣いた私達は、クラスのみんなと挨拶を交わして、ある場所へと向かった。
それは、ポピパのみんなに最も馴染み深い場所。
みんなの、ある意味一番の思い出が詰まった場所。
そして……きっと、これからもずっとお世話になるであろう場所。
「クライブ! 始めよう!!」
有咲ん家の、蔵でのライブ。略して『クライブ』。
名前を付けたのは、おたえだったっけ。
「おいおい、勘弁してくれ……さっきライブしたばっかなんだけど」
「あはは……香澄ってホント元気だねー」
私の提案に、有咲と沙綾が苦笑する。
「いいね、クライブ! わたしもまだ、弾き足りない!!」
「私もー! まだまだ弾けるよ!」
おたえに続いて、りみりんがあっけらかんと言い放つ。
二人とも、まだまだ体力が有り余っているとでも言いたげだ。
「マジか……バケモンかよこいつら……」
「とか言ってて、有咲もさっきからソワソワしっぱなしじゃない?」
「うっ……うるせー! そんなんじゃねーし!!」
有咲と沙綾のやり取りは、いつ見ても面白い。
私は、お気に入りのランダムスターを用意して。
みんなも、それぞれ自分の楽器を構えた。
このクライブは、卒業ライブが終わったらやろうって、前から決めていたライブだ。
観客は、私達自身。
私達が、この3年間でちゃんと成長したんだって、自分自身の心に刻み付けるために。
成長した証を胸に、これからもまた走り続けていくために。
「じゃあ、いつもの!!」
「フフッ、香澄らしいね」
「はあ……仕方ねーなー」
沙綾が苦笑して。
有咲が、ため息をつく。
「いいね、テンション上がってきた!」
「私も、ワクワクしてきちゃった」
おたえがはしゃいで。
りみりんが、舌っ足らずな声で呟く。
私達は、こうしていつまでも続いていく。
終わりのないものなんて、決してないけれど。
その時が訪れるまで、キラキラと一生懸命に輝いていくんだ。
「いくよー……ポピパ!ピポパ!ポピパパ!ピポパー!」
終
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