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雪乃「さあ、三日月さん。あなたのその腐った性根を叩き直してあげるわ」 夜空「……はっ、やってみろ」2/4【俺ガイルss/はがないss】

第三話 後編・上の壱

 

 

二人そろって校舎に入る。

 

本来ならここで集合場所を定めてから二手に分かれて捜す方が効率が良いのだが、雪ノ下がアレなのでその方法は使えない。

 

運に任せて適当にうろつくしかないだろう。

 

廊下を見渡せば、先程よりも多くの人がいる。今が最も人が多くいる時間帯のようだ。

 

なかでも目を引くのは、学園の生徒、一般客を問わず様々な種類のコスプレをした人達だ。

 

どうやら貸し出しコスプレ屋は大盛況らしい。

 

ミクさんは当然として、紫ナコルルとかコアなやつまでいる。どこのコミケだよ。

 

「ものすごい光景ね……。いくらお祭り気分だからとはいえ、恥ずかしくないのかしら……?」

 

雪ノ下が感嘆したような、呆れたような声を出す。

 

「ほんと、せめて京葉線とか武蔵野線内だけにして欲しいよな。総武線でもまだ耳つけてるとか痛過ぎだろ」

 

「ネズミの国の話はやめなさい。相手が強大過ぎるわ」

 

おっと、確かに今の発言は危なかった。誰がどこで聞いているかわからないからな。

 

害を及ぼした者はもれなくキャストにされるという噂もあるくらいだ。

 

「まぁアメリカネズミは置いといて、コスプレならお前も何回かしてただろ。メイドとか、雪女とか」

 

「別に行為自体を否定しているわけではないのよ。必要があればその手の格好をするのに抵抗はないわ。ただ……」

 

途中で言葉を切った雪ノ下の視線を追うと、着るだけで必然的に胸が強調されるデザインをした某喫茶店の制服や某選挙学校の制服を着た女子がいる。

 

……こいつ完全に胸にコンプレックス持っちゃってるじゃねーか。

 

全ては合宿のときの三浦のせいだ。

 

……奴だけは絶対許さねえ!

 

被害に合うのはなぜかいつも俺だからな!

 

とにかくこの場はなるべく当たり障りのない言葉を選んで切り抜けるしかない。

 

雪ノ下の胸には何も当あたりも触りもしないが。

 

あ、こういうこと考えてるから被害に合うのね。

 

納得。

 

雪ノ下がばら撒いた地雷を注意深く回避しつつ由比ヶ浜の捜索を続ける。

 

廊下には看板やら受付用のテーブルやらが置いてあり、ただでさえ狭いのに人が多くてさらに歩きづらい。

 

雪ノ下が教室を覗きその間俺が廊下を見張る、という分業制で捜しているが、やはりどうしたって効率は悪い。

 

もし由比ヶ浜が同じ方向に進んでいたら見つけるのにはかなり時間を要してしまう。

 

はぐれている時間が長ければ長いほどあいつはより自分を責めるだろう。

 

ただでさえ遅れて来た事に負い目を感じているはずだ。

 

そんな必要は全く無いというのに。

 

俺はそもそも時間に無頓着なので責める気は毛頭無いし、雪ノ下だって今日のように正当な理由があれば同じだろう。

 

あいつには、雪ノ下に気を使って欲しくない。

 

「比企谷君、ごめんなさい。私が迂闊だったわ」

 

唐突に謝ってくる雪ノ下。

 

「は? 謝られるようなこと何かあったか?」

 

「私がもう少し気を付けていれば、こんなことにはならなかったわ」

 

「別に雪ノ下が謝るような事じゃ無いだろ」

 

「でも、焦れているようだったから」

 

む、態度に出ていたようだ。気を付けなければ。

 

「そんなことないから気にすんな」

 

「そう……。わかったわ」

 

雪ノ下は納得していなさそうな様子だったが、とりあえず引き下がってくれたようだ。

 

歩みは遅いがどうにか1階を回り終え、2階へと上がる。

 

階段を登り切り廊下を見渡すと、1階と同じくらいの人がいた。ざっと見た限りでは由比ヶ浜はいないようだ。

 

人の多さにややうんざりしていると、その人混みが妙なざわつきを見せる。

 

直後、廊下にいた人たちは慌てて両脇に寄り、人ごみの中からモーゼのように二人の人物が現れた。

 

先程礼拝堂付近で出くわした失敗金髪ヤンキー風の彼と黒髪鬱美人だ。

 

確か名前は、羽瀬川とか言ったか。

 

羽瀬川は若干悲しげな表情と凶悪な目つきで辺りを見回していた。

 

「小鷹が一般人どもを蹴散らすから歩きやすくて良いな」

 

「……これ結構精神的にキツイぞ? 夜空も常に避けられてみればわかる」

 

両脇に寄った人々は息を殺しているので会話が漏れ聞こえる。

 

夜空が、小鷹が、と名前を呼び合い親しげに話している。……仲良いなあの二人。

 

「ぼっちでも名前で呼び合うような人はできるんだな」

 

やっかみ半分、感心半分で呟く。いつか俺も名前で呼び合う人は出来るのだろうか。

 

だが、俺は本当に親しいと思っているか本当に親しくしたいと思う人しか名前で呼びたくない。

 

「あなたに親しい人はいないし、これからも出来ないからそれは杞憂よ」

 

雪ノ下は当然のように思考を読んできたが、これは予測できた。

 

「言うと思ったぜ」

 

俺の反応に、例によってイイ笑顔をしていた雪ノ下はむっとした表情になる。

 

そんな表情されてもな……。

 

ふと横を見ると、羽瀬川がこっちを見ていた。

 

その目と俺の目とが合う。

 

彼は俺達がさっき会った二人だと認識したようで、戦慄のうすら笑いを浮かべながらこちらに近づいてくる。

 

うおぉ、すげえ迫力! いざとなれば俺を即座に使い捨ての盾として扱えるように、雪ノ下が若干移動したレベルだ。

 

「こ、こ゛ん゛に゛ち゛はぁ゛!?」

 

俺たちのそばまで来ると、どう好意的に解釈しても恐喝しているようにしか聞こえない挨拶をした。

 

俺と雪ノ下はビクッとして一歩下がる。羽瀬川は苦笑いし、黒髪鬱美人はそんな彼を見てやれやれといった表情をしている。

 

このままでは意思疎通が困難だと判断したのか、黒髪鬱美人が口を開く。

 

「ちょっと聞きたいんだが、ビッチっぽい金髪の女を見かけなかったか?」

 

ビッチっぽい金髪の女とは間違いなく雪ノ下に入れ込んでるアブナイ奴のことだろう。どうやら彼らも人捜しのようだ。

 

「さっきこの校舎で追い回されたわ。撒いたから今どこにいるかはわからないけど」

 

本人は確実に否定するだろうが、未だに俺を気持ち盾にしながら雪ノ下が答える。

 

「そ、そっか。悪かったな、うちの部員が迷惑かけて」

 

怖がられていることがわかっているのか、精一杯優しげな声を出そうという努力が伝わってくる。もちろん怖いままだが。

 

「いえ、貴方が謝ることではないわ」

 

淡々と答える雪ノ下。冷たく感じるが、別に雪ノ下は責めているわけではないだろう。

 

あいつが人を責めるときはもっと嬉々として責めるだろう。俺の時だけかもしれないというのは考えてはいけない。

 

「で、もし見かけたら『部活の事で話があるから部室に戻れ』と伝えてくれないか?」

 

黒髪鬱美人が俺に向かって言う。

 

「ああ、わかった。……会話が通じればな」

 

「それは……そうだな。とりあえず言っておく、という程度でいいからよろしく頼む」

 

「まあ、それでいいなら言っとくわ。ところで、俺たちも人を捜しているんだが、明るめの茶髪でお団子頭をしたちょっとバカっぽい女子を見なかったか?」

 

「微妙に抽象的だな……。……私は心当たりは無いな。小鷹は?」

 

「……俺もたぶん見かけてない。えっと、携帯で連絡は?」

 

「事情があって、長時間使用していたら電池が切れてしまったのよ」

 

羽瀬川の問いに雪ノ下が答えた。ってか事情ってお前ただ迷子になってただけだろ、とはもちろん言わない。絶対言いませんので睨むのやめて下さい。

 

「比企谷くんは?」

 

「彼には何も期待しない方が賢明よ」

 

俺が問いに答える前に即座に雪ノ下がバッサリと切り捨てた。

 

「おい、頭ごなしに決めつけるな」

 

全く失礼な奴である。当然抗議する。

 

「あら、何か役に立った事はあったかしら? そんなに記憶に無いのだけれど」

 

「情けは人の為ならずって言うだろ。俺は時と場合を選んでいるだけだ。ちゃんと役に立つこともある」

 

「つまり、見返りが確定している場合のみ手を貸す、ということかしら」

 

「そうだ」

 

「はぁ……意味を正しく理解した上で使っているあたりが本当にどうしようもないわね」

 

「うるせ。ところで、そっちこそ携帯は繋がらないのか?」

 

羽瀬川に話を振る。

 

「ああ、電話してみたんだが部室に置きっぱなしでな……」

 

「ぼっちは携帯不携帯でも問題ないからな」

 

羽瀬川の言葉に補足した黒髪鬱美人が自嘲気味に笑う。

 

「そうね、私も最近までは調べ物にしか使わなかったわ。比企谷君は今も、でしょうけれど」

 

「いちいち俺を槍玉に上げるな。……別にいいんだよ、携帯は暇つぶし機能付きの時計なんだから」

 

「私もカラオケを探すくらいにしか使っていなかったな」

 

……なにこのぼっちあるある。

 

「ま、まあとにかく、星奈は何かと目立つから見かけたら頼むわ」

 

暗くなりかけた空気を察知した羽瀬川が話を戻す。

 

「そうだな、肉は自分の事を神だと言い張って何かと面倒事を起こすからな」

 

神か……すげえ自信だな……。ってかミッション系の学園でそれはまずくないか?

 

「そう言えばうちの学校にも神がいたわね。ねえ? 名も無き神さん?」

 

「おいやめろ。それだけはやめろ」

 

なんで覚えてんだよ忘れろよ。というか忘れたい。あと、ほんとにやめて下さい。マジで。

 

「比企谷くんもだったのか……」

 

羽瀬川は戦慄の表情を浮かべる。

 

「比企谷君の過去のことは触れないであげて。いっそのこと存在そのものにも触れないで。これ以上彼を傷つけないでちょうだい。……もう、手遅れなのよ」

 

俺が痛い過去の痛い記憶にさいなまれている横で、雪ノ下は嗚咽を堪えるように口元に手を当てて俯く。

 

「現在進行形で傷ついてるんですけど。それもお前のせいで」

 

「そう、致命傷だといいのだけれど」

 

顔をあげて、ふふん、と満足そうな顔をする雪ノ下。

 

はい、出ましたー。うまいこと言ってやったぜの表情頂きましたー。雪ノ下さん超楽しそうー。ふざけんな。

 

ドヤ顔をしている雪ノ下はほっといて話を変える。

 

「部活って確か隣人部って言ったか? どんな部活なんだ?」

 

俺が聞くと羽瀬川は少し困ったような表情をして隣の黒髪美人をちらりと見る。

 

「どんなって言われてもなぁ……目的は友達づくりらしいんだが」

 

……本当にどんなだよ。活動目的悲しすぎるだろ。

 

「実際はゲームしたり、合宿や夏祭りに行ったり、映画作ったりしてて目的不明だけどな」

 

羽瀬川は、ははは、と怖い顔で苦笑する。だが怖くても突っ込まずにはいられない。

 

「それ完全に友達じゃねえか」

 

「え? なんだって?」

 

「隣人部でやってることは友達同士で遊んでるようにしか聞こえないんだが」

 

この距離で聞こえなかったという事もないだろうと思いながらも、今度は黒髪鬱美人にむかって言う。

 

「ど、どうしてそう聞こえるのかわからんな。目だけではなく耳も腐っているのか?」

 

……やっぱ目は腐ってるのか。けど初対面の相手に言うことじゃねえだろ……。

 

それはともかく、誰がどう聞いてもそう思うだろうが本人たちは認めないようだ。

 

羽瀬川は押し黙り、黒髪鬱美人は気まずげに目を泳がす。

 

……まあ、こいつらの考えには共感できる。

 

世の中にぼっちは俺一人だけでなく、無数にいる。それぞれが痛かったり黒かったりする歴史をもっていることだろう。

 

彼らだって無闇に他人に近づいて現実に打ちのめされた事は一回や二回じゃないはずだ。

 

だから、結局傷つくくらいなら中途半端な関係のまま何となく絡み何となく離れる。そういう方針のコミュニティがあってもおかしくなんてない。

 

だがしかし。

 

その中に先へ進もうとする者がいたらどうするのだろうか。

 

邪魔をするのか、逃げるのか。それとも他に何か方法があるのか。

 

不意に頭の中に由比ヶ浜の顔が浮かんできた。

 

慌ててそれを振り払い、誤魔化しついでに提案をする。

 

「……ところで提案なんだが、適当に集合場所を決めて二手に分かれてお互いの捜している人を捜さないか?」

 

「た、確かにその方が効率が良いな。だが、私と小鷹はどんな人を捜せばいいのか正確にはわからないのだが」

 

同じく直前の話題を誤魔化したかった様子の黒髪鬱美人が答える。

 

「そうね……では、比企谷君と羽瀬川君、私と貴女の二組に分かれるのはどうかしら」

 

「俺は別にいいぞ」

 

「そうだな、それでいいんじゃないか? 俺と夜空は連絡取れるんだし」

 

雪ノ下の案に俺と羽瀬川が頷く。

 

「わ、私は……できれば、小鷹と一緒の方が……」

 

「え? なんだって?」

 

「……っなんでもない! ……動線を考えると、校舎を回ってから体育館に集合するのが効率的だな」

 

「じゃあそうしよう。見つけた場合はその場で夜空に連絡するから」

 

「……わかった」

 

「では、比企谷君、また後で」

 

「ああ」

 

男と女が二人ずついて、男二人、女二人に分かれる。これが現実というものである。

 

ここで男女がペアになるなど、ラノベだけの話だ。

 

……そう信じたい。リア充爆発しろ。

 

余談だが仮にリア充が本当に爆発するとしたら、千葉市では真っ先に美浜大橋が崩壊する。夜景が見られる時間帯には100%の確率でカップルがいるからだ。

 

ちなみに美浜区の海は場所によってはなんかタプタプしてる。全く美しい浜ではないから注意が必要。

 

兎にも角にも、こうして俺と羽瀬川、雪ノ下と黒髪鬱美人の二組に分かれて由比ヶ浜と金髪ビッチを捜すことになった。

 

 

二組に分かれて由比ヶ浜と金髪ビッチを捜すことになったが、雪ノ下といたときと同様の手順で由比ヶ浜を捜す。

 

俺と羽瀬川が担当している範囲の捜索はかなり順調に消化していた。

 

なぜなら横にいるのが雪ノ下はではないからだ。

 

雪ノ下は何もしなくても人目を引き、それを離させない容姿をしている。必然、周囲の動きは鈍る。

 

うっとうしいことこの上なかった。

 

その点、現在同行している羽瀬川も人目を引く容姿はしているが、周囲の人間は目が合うことすら避けようとするので快適に進める。

 

ここまで露骨に避けられるのはなかなかダメージが大きいかもしれない。

 

事実、羽瀬川は少しだけ悲しそうに苦笑している。それが顔面の凶悪さに拍車をかけているのだが。

 

まあ、クラスにおいて存在ごと無かった事にされている俺からすれば、避けられているだけ救いがあると思ってしまう。

 

まだ認識はしてもらえているのだから。

 

いずれにせよ、所詮他人の話だ。

 

今日初めて会ったばかりで、紛う事なき他人である。

 

いつだったか雪ノ下が言ったように、俺にとってはいつだって何だって他人事なのだ。

 

そもそも羽瀬川も初対面の奴に解った気になられても不愉快なだけだろう。

 

お前が俺の何を知っているんだ、こう言われて終わりである。

 

見せかけの理解などでうわべだけ取り繕うぐらいなら始めから無視してくれた方がよっぽどいい。

 

故に俺は何も言わない。言うつもりもない。

 

正直、さくさく進めて超楽です。

 

「比企谷くん、さっきの雪ノ下さん?は彼女とか何か?」

 

この階の半分を捜し終えた辺りで、唐突に話しかけてきた羽瀬川。

 

「……いや、ただ部活が同じだけだ。部活メイトだ」

 

何かってなんだよ、と突っ込むのは心の中だけ。

 

「なんだそりゃ……」

 

「俺も知らん。とにかく雪ノ下の前でそういうことは言わない方がいいぞ。心に消えない傷を負わされるから」

 

「そ、そっか。なんか仲良さそうに見えたから……気をつける」

 

「ああ」

 

……。

…………。

………………。

…………。

……。

 

これはあれだ、あのパターンだ。

 

一度話しかけてしまった以上、何となく話を続けなければいけないような強迫観念にとらわれるアレである。

 

このままいくと、話題もスキルも無いのに無理矢理続けようとするから噛み噛みになったり意味不明な事を口走る。

 

そしてそれが恥ずかしくてまた黙り込むが強迫観念は残っているからまた口を開いてしまう。

 

どうやら羽瀬川はこの負のスパイラルにはまりかけているようだ。

 

甘いな。

 

高位カースト連中のような似非リア充はらいざ知らず、高度に訓練されたぼっちは沈黙をものもとしない。

 

羽瀬川はまだまだぼっちレベルが低いようだ。

 

それもそうだろう。初見でも解るほど明確で、中途半端な関係の中にいればぼっちのレベル上げなんて望むべくも無い。

 

避けられて、拒絶されて、最終的にはいないことにされる。

 

それでも心が折れないように進化を遂げたのがこの俺、ぼっちマイスター比企谷八幡である。

 

なにこの悲しい自己紹介。

 

にしても、中途半端な関係、か……。

 

「そっちこそ、あの黒髪の美人は彼女とか何か?」

 

今度は俺から質問した。何かってなんだよ。

 

「いや、クラスメイトで……部活メイトだよ」

 

……そんな無理矢理あわせなくていいから。ニヤリ笑いが怖いから。

 

「そ、そっか。なんか仲良さそうに見えたから……向こうはそうなりたいんじゃないか?」

 

「それはないだろうな」

 

やけにきっぱりと言い放つ羽瀬川。

 

「でも黒髪は羽瀬川と一緒が良いって言ってただろ」

 

「え? なんだって?」

 

……。

 

再び訪れる沈黙。

 

……。

 

用がない限り、沈黙が苦痛ではない俺が話しかけることはもうないだろう。

 

今のだって普段の自分を考えれば珍しいほどだ。

 

俺と羽瀬川は黙々と捜索を再開する。

 

捜索上必要な最低限の言葉のみ交わしつつ、順調に進む。

 

相変わらず羽瀬川が一般客どころか呼び込みの生徒まで蹴散らしてくれている。

 

それゆえ急いていた気が少し楽になり、ちゃんと周りを見る余裕が出てきた。

 

改めて周囲を見渡すと、前述の通り妙にコスプレした人が多い。

 

しかしレイヤーは多いが、お化け屋敷、コンセプト喫茶、縁日や演劇など、出し物としては一般的な学校と変わらないものも多いようだ。

 

一般的と言っても、俺が知ってるのは自分の高校の文化祭だけなので他はどうか知らないが。

 

他校の文化祭を直に見るのは今日が始めてでも、各種創作物ではお馴染みのイベントである。

 

ぼっち故に、必然的に読書が趣味な俺にかかればイメトレは完璧だ。

 

文化祭が中止の危機に追い込まれても、怪盗が現れても、舞台で人が潰れても、猫背のアインの襲来ですら問題ではない。

 

鍛え上げたぼっちスキルでどんな場合でも参加しないからな。

 

まあ、この手のイベントは容易に避けられる。

 

今日だって特別だ。由比ヶ浜に誘われて、それを目撃した平塚先生に脅されたから来ただけ。

 

でなければ学校行事というトラウマ名産地になど来なかっただろう。

 

だから、もし先生に脅されなかったら。

 

……脅されなかったら。

 

あの時俺はどう答えていただろうか。

 

やはり罰ゲームの可能性を警戒して断っていただろうか。

 

だが、由比ヶ浜はそういう行為をしない。

 

奉仕部に入ってから半年近く、クラスでの、部活での彼女を見て来た。

 

基本的に争いを好まず、波風が立たないように立ち回り、手当たり次第に気を遣いまくる。

 

みんななかよく出来たらいいと思い、同時にそれが不可能な事とだと知りながらも俺みたいなぼっちにまで気を配る、とても優しい女の子。

 

生々しい愛憎入り乱れるクラス内政治を常に最前線で見てきたであろう由比ヶ浜

 

彼女の優しさの本質は、ある種の諦観にあるのだと思う。

 

だからこそ、その優しさに偽りがないのがわかる。

 

敵意に敏感で、善意には過敏な俺が言うのだから間違いない。

 

誰にでも優しい由比ヶ浜は、周りから見れば只のキョロ充であり八方美人どころか十六方美人である。

 

そんな彼女も、よく見れば控え目ながらもちゃんと自己主張はしている。

 

特に雪ノ下が絡むと驚くほどの芯の強さを見せ、意外と強情な面もある。

 

それが本当に、本当の由比ヶ浜かどうかは知る由もないが、俺は多少なりとも彼女のことを知っているはずだ。

 

知っていると言って良いはずだ。

 

だから言い切れる。今日の事は罰ゲームなどではない。

 

では、改めて問おう。

 

俺はあの時、由比ヶ浜の誘いを断っていただろうか。

 

答えは出ている。

 

恐らく、俺は、

 

「あ、ヒッキー!」

 

突然、頭の中を占めている人物の声がした。

 

考えるまもでもなく由比ヶ浜だ。俺をそう呼ぶのはあいつくらいだし。

 

ていうか廊下で大声とかやめて下さい。注目されちゃうだろ。

 

ほら、みんなこっち見て……すぐに逸らされちゃうだろ。

 

由比ヶ浜はもちろんそんなことはお構いなしにぱたぱたと駆け寄ってくる。

 

「ごめん、ヒッキー!」

 

すぐ傍まで来るなり、遅刻してきたときと同じようにまたしても両手を合わせて謝ってくる由比ヶ浜

 

「なんか、凄いのに追いかけられちゃって、ゆきのんとはぐれちゃったんだ……ってかケータイ繋がらなくてどうしようかと思ったよ!」

 

案の定、校門に戻るという選択肢は思いつかなかったようだ。

 

「これからはぐれたときは最初のところに戻るようにしとけ。集団行動の鉄則だろ」

 

「ヒッキーに集団行動について諭された!?」

 

「ばっかお前、俺ほど集団行動中の単独行動を極めた奴はなかなかいねえから。なんなら本を出せるレベルだ」

 

「それ結構売れそうだな!」

 

黙っていた羽瀬川が急に食いつく。

 

……目がマジなのが残念でならない。

 

いや、売ってたら俺も欲しいけどね。

 

ここでようやく俺が一人ではないことに気が付いた様子の由比ヶ浜は、俺と羽瀬川を数回見比べてから俺の耳元に顔を寄せておずおずと小声で聞いてきた。

 

いや近いから。いい匂いしちゃうから。

 

「え、えと……ヒッキーの友達、じゃないよね。 誰?」

 

「おいなんで真っ先に友達の選択肢を外した」

 

「えっ!? 友達なの!?」

 

両手を口に当てて驚く由比ヶ浜

 

おいおい、大げさ過ぎだろ。年収低過ぎる人みたいになっちゃてるぞ。

 

「違う」

 

「やっぱ違うんじゃん!」

 

ぷりぷり怒る由比ヶ浜をなだめつつ状況を説明する。

 

カクカクシカジカシカクイキューブ。

 

「じゃあ、ヒッキーもゆきのんもあたしを捜してくれてたんだ」

 

由比ヶ浜は始めは申し訳なさそうな顔をしていたが、今は遠くを見るような眼をして少し嬉しそうな表情で微笑んでいる。

 

その表情のまま、ポツリと呟く。

 

「……ありがと」

 

なぜかその表情の由比ヶ浜から目が離せない。

 

自然、目が合ってしまう。

 

慌てて由比ヶ浜に張り付いた視線を無理矢理引き剥がすように横を向き、「それは本人に言ってやれ」と、自分ですら意図の分からない発言をしてしまう。

 

これはあれだから。不意に人と目が合うとやましいことはなにも無いのになんか逸らさなきゃいけないようなごめんなさいなあれだから。

 

って誰に言い訳してんだ俺は。

 

「じゃあ、本人に言うね」

 

由比ヶ浜はキョドリ始めた俺を見てクスリと笑うと、身を屈めて逸らした視線の先に回り込む。

 

「ありがと」

 

……流石に回り込まれてしまっては仕方がない。1ターンはたたかわなければならないからな。

 

とは言っても俺に出来るのは「お、おう」と間抜けな返事をすることぐらいだった。

 

「仲良いんだな……」

 

俺と由比ヶ浜のやり取りを見ていた羽瀬川が生温か恐ろしい目を向けながら呟く。

 

「や、全然そんなことないし! ただのクラスメイトで部活メイトなだけだし!」

 

散歩中にクラクションを鳴らされた犬のように面食らった由比ヶ浜が必死に否定する。

 

だがそれは逆効果だったらしい。

 

羽瀬川はなおも生温かい、いや恐ろしい目をしている。

 

何となくその態度が気に食わなかったので当てこする。

 

「これで仲が良いってなんなら羽瀬川と黒髪もだろ」

 

「……」

 

羽瀬川からの返事はない。

 

……聞こえなかったようだ。

 

まあ、いいんですけどね。

 

「てか、羽瀬川くん、だよね。ありがとね、ヒッキーとゆきのんを手伝ってくれて」

 

不穏な空気を感じ取ったのか話題を切り替える由比ヶ浜

 

今度はなぜか羽瀬川が驚く番だった。

 

口を半開きにして絶句している羽瀬川を見て、由比ヶ浜がまたぞろ慌て始める。

 

「どしたの? も、もしかしてあたしなんか変な事言った!?」

 

「いや……その、社交辞令でもお礼を言われたのはいつぶりだったかと思って」

 

「や、でも、社交辞令とかじゃなくて普通に感謝してるけど……」

 

「あ、ああ」

 

……。

 

しばし訪れる沈黙。

 

……。

 

「そ、そーだ! 自己紹介まだだったね! えと、由比ヶ浜結衣、です。ヒッキーとゆきのんと同じ部活の奉仕部ってのに所属してて……」

 

やはり沈黙に耐えられない様子の由比ヶ浜はどうにかこうにか話題を提供する。

 

「お、俺は……小鷹、羽瀬川小鷹。隣人部ってのに所属してる」

 

うわぁこいつこの自己紹介の仕方気に入っちゃってる!

 

相変わらずちょっとドヤ顔だし!

 

くそう、俺もやっときゃよかった!

 

思わずツッコミそうだったが、さすがにエアリードスキルがカンストしているだけあって、由比ヶ浜は華麗にスルーしていた。

 

「挨拶遅れちゃったけど、改めてよろしくね」

 

「あ、ああ、こちらこそよろしく……」

 

……。

 

会話続かねー。

 

助けを求めるように由比ヶ浜がこちらをチラチラ見てくるが、

 

俺や羽瀬川のようなぼっちを相手にするなんて由比ヶ浜も大変だなー、と完全に他人事モードの俺。

 

そもそも俺に会話スキルとか期待するのは間違っていると思います。

 

まあ日常会話は出来なくても仕事の話ならできる。

 

ビジネスライクな関係なら気が楽だ。

 

由比ヶ浜あたりが勘違いしそうだが、言うまでもなく、ビジネスライクとは決して仕事が好きという意味ではない。

 

決して仕事が好きという意味ではない。

 

決して仕事は好きではない。

 

由比ヶ浜も見つかったことだし、一度連絡取った方が良くないか? 捜す対象が一人と二人とじゃ色々違うだろうし」

 

「……そうだな。わかったちょっと連絡してみる」

 

羽瀬川は携帯を取り出し、電話をし始めた。

 

由比ヶ浜と共にぼんやりと待っていると電話はすぐに終わった。

 

「なんかあっちもちょうど見つけたみたいだ。下の階で合流することになった」

 

「了解。じゃ行くか」

 

雑踏を蹴散らしつつ先行する羽瀬川について行く。

 

途中、由比ヶ浜が俺の肘をつつき話しかけてきた。

 

「にしても、ヒッキーが誰かと協力するなんて珍しいね」

 

「そうだな、俺もそう思う」

 

確かに今思い返せば普段の自分とは違うように感じる。それだけ速く早く見つけ出しかったのだろうか。

 

「まあ、ちょうど向こうも人捜し中だったからな、手は多い方が良い。お互い得をする、WIN-WINの関係だし」

 

「へ? 機械の関係?」

 

…………いや擬音じゃねえからな? 無理があるし、無駄だから言わねえけど。

 

と言うか思考をトレース出来た自分をまず褒めてあげたい。

 

とにかく由比ヶ浜のアクロバットなおバカ発言は無視して先に進むことにした。

 

階段を下り、次の階へと進む。

 

こう言うとなんかダンジョン系のゲームっぽい。

 

たいして欲しくもないのにどうにか店の品物を持ち去ろうと四苦八苦し、結局店主に頭突きされて死んだのはいい思い出。あ、パンの方は世代じゃないので。

 

それは置いといて、ダンジョンにいるのはモンスターと相場が決まっている。

 

合流地点である縁日風の模擬店で俺が目撃したのもモンスターと言っても過言ではないだろう。むしろ的確過ぎてちょっと怖いくらいだ。

 

そのモンスターとは、言うまでもなく金髪ビッチの事だ。

 

金髪ビッチはやはりというか何と言うか、雪ノ下に鬼絡みしていた。辺りには人だかりができている。

 

「ねえねえ雪乃ちゃん、この後あたしと二人っきりで文化祭回らない?」

 

「絶対に嫌」

 

「え~、いーじゃん行こうよ~。きっと楽しいからさぁ~」

 

「だから、絶対に嫌」

 

「はっ!? もしやこれがリアルツンデレ!? デレは!? デレはマダー!?」

 

「何を訳の分からないことを……それよりも離れてくれないかしら」

 

息を荒げて今にも掴み掛からんばかりの金髪ビッチに対し、雪ノ下は両手を突き出してぐいぐい押し返している。

 

「いい加減にしろ馬鹿肉。お前には二次元があるじゃないか。それで充分だろう?」

 

「うるさいわね! 目の前に三次元に舞い降りた黒髪ロングの美少女がいて冷静でいられるわけないじゃない! それにあたしは雪乃ちゃんと会話イベントの最中なんだから邪魔すんじゃないわよ!」

 

「こちらは会話が成立しているとは思っていないのだけれど……」

 

うんざりした顔で雪ノ下が呟き、

 

「私にとっては貴様の存在自体が邪魔だ」

 

と、黒髪鬱美人はハエ叩きで金髪ビッチをペチペチ叩いている。

 

……ひどい光景だ。

 

あまりのひどさに俺も羽瀬川も由比ヶ浜も声をかけるタイミングを失ってしまい、人だかりの外から遠巻きに見るしかない。

 

端から見れば美少女同士がじゃれ合っているように見えるかもしれないが、会話の内容を聞いてしまうともう残念と言うしかない。

 

てか会話イベントとかギャルゲーかよ。仮にそうだったとしても明らかに選択肢間違えてるだろ。

 

爆弾が爆発するレベルだぞ。ちょっと匠に電話してこい。

 

「黒髪ロングとやらがいいのならゲームの中に行けばいいだろう。いつも言っているではないか。ゲームの中に入れたらいいのにって」

 

「はぁ? 実際に行けるわけ無いでしょ!」

 

「えっ!?」

 

横から驚いたような声がした。

 

ここまでずっと見守っていた羽瀬川が驚いた顔をしている。

 

「気付いてたのか……」

 

……マジかよ。普段からギャルゲ脳でしかも諦められちゃうほどどハマリしてたのか……。

 

羽瀬川は驚いているようだが、黒髪鬱美人は不意に優しげな表情になる。

 

「諦めるな、肉。お前なら出来る。必ずゲームの世界に行けるはずだ」

 

「えっ……ほ、ホントに?」

 

「ああ。行って、その世界の住人になるといい」

 

「ど、どうしたら行けると思う?」

 

「そうだな……とりあえず、死ね」

 

「っ! あんたねぇ……」

 

ギリギリと歯ぎしりの音がここまで届きそうな鬼の形相で黒髪鬱美人を睨むちょっと涙目な金髪ビッチ。

 

金髪ビッチはぶっ飛んだ性格のわりには打たれ弱いのかな。どうでもいいけど。

 

「ふ、ふんっ! こんな性悪貧乳はほっといてあたしと雪乃ちゃんだけで楽しくお喋りしましょ!」

 

っあぁー! それ死亡フラグ

 

「……別に三日月さんは小さくないわ。そもそも大きければ大きいほど良いというわけではないし、それに自身の意志や力だけではどうしようもないことをあげつらって貶めるのは人間として最低に属する行為よ。セックスアピールとして考えるのならば一考の余地はあるけれど、それだって結局は全体的なバランスを考慮した結果やはり大きすぎるのは不利と断じるしかないわ。機能的、経済的に考えても同様の事が言えるわ。スポーツはもとより、日常生活全般でも邪魔になるし、サイズがなくて可愛い下着は値段が高いものしかないと友人が言っていたもの」

 

その友人とは間違いなく由比ヶ浜のことだろう。

 

由比ヶ浜……お前っ、なんて残酷なことを言うんだっ……。

 

「こ、こっち見るなし! てか変なとこ見るなし!」

 

思わず由比ヶ浜、いや由比ヶ浜のを見てしまい頭をはたかれる。

 

視線を雪の下たちに戻すと、二人はいきなりまくし立て始め今も何か言い続けている雪ノ下に唖然としていた。

 

正直、見ていて居たたまれない。由比ヶ浜も同じ事を思ったのか「行こう」と囁きかけてくる。

 

羽瀬川にも目で促し、人だかりをかき分けていく。

 

「ゆきのん!」

 

人だかりを抜けると由比ヶ浜は、たたたっと駆け出し、がばっ、ひしっ。

 

「ごめんねゆきのん! もうはぐれたりしないから!」

 

先程のやりとりに色々と思うところがあったのか、いつも以上にスキンシップが多い由比ヶ浜

 

由比ヶ浜さん、暑苦しいわ」

 

口ではそんなことを言いつつも、若干頬を染めているのは見なかったことにしておいてやろう。

 

例によって睨まれているので。

 

「ゆきのん大丈夫だよ! ゆきのんの脚はカモノハシみたいな脚だもん!」

 

カモシカのよう、と褒めようとしてくれてるのはわかるのだけれど……急にどうしたの?」

 

なるほど確かに、カモノハシの脚には人が死ぬレベルの毒がある。由比ヶ浜にしては上手いこと言うな。

 

「毒があるのはオスだけよ」

 

雪ノ下が半眼でこちらを睨みながら言う。なんでこんな的確に考えてることわかんだよぅ……。

 

エスパー? 魔女? 魔法少女ゆきのん? なにそれ超怖い。たぶん使うのは即死系の呪文ばっか。

 

「ちょ、ちょっとあんた! なにあたしの雪乃ちゃんに馴れ馴れしくしてるのよ!」

 

突然の闖入者に驚きつつも金髪ビッチが由比ヶ浜を威嚇する。

 

一瞬にして女×女×女の三角関係が成立した。なにこのガチゆり。だからなもり先生どうにかして下さい。

 

「ってか『ゆきのん』てずるい! あたしもそう呼んで良いよね? ゆきのん?」

 

「気持ち悪いからやめて」

 

心地良いほどにバッサリ斬り捨てる雪ノ下。

 

「そ、そんな……」

 

斬り捨てられた金髪ビッチはがっくりとうなだれる。

 

「ほら、星奈、もういいだろ。行くぞ」

 

大人しくなった隙に羽瀬川が金髪ビッチの腕を掴み、引いていこうとする。

 

しかし金髪ビッチはその手を振り払うと顔を上げ、由比ヶ浜をきっ、と睨み付け指を指す。

 

「決闘……決闘よ!」

 

「「「……は?」」」

 

俺、羽瀬川、黒髪鬱美人の声が重なる。

 

雪ノ下は冷たい目で見据え、由比ヶ浜は慌てた様子でキョロキョロしている。

 

「どっちが雪乃ちゃんの隣に相応しいか、決闘よ!」

 

「へ? それって意味あんの? ゆきのんが決めることじゃん」

 

これまた由比ヶ浜には珍しく、反論を許さない超正論だ。これを言われてはもうどうにもならないだろう。

 

「何? 勝つ自信ないの?」

 

だがどうにもならないことをどうにかしてしまうのが我らが雪ノ下さんである。

 

由比ヶ浜さん、勝ちなさい」

 

「ゆ、ゆきのん……」

 

やっぱ煽り耐性ゼロだこいつ。ツイッターとかやってたらそれはもう毎日燃えまくるだろう。

 

由比ヶ浜ですら若干呆れているのだから相当だ。

 

まあ俺はツイッターやっても誰にもフォローされないから炎上なんてしないだろう。

 

燃えない主人公、比企谷八幡

 

いや俺主人公じゃねえけど。あくまで奉仕部の主役は雪ノ下と由比ヶ浜だ。

 

ちなみに萌えないヒロインは桜小路さん。

 

おっと失礼、燃えない、だったのだ。

 

「ほら、雪乃ちゃん公認の決闘よ! 正々堂々、受けて立ちなさい!」

 

「そりゃあたしだって、ゆきのんの隣がいいけど……もし負けちゃったらあたしのせいでゆきのんが……」

 

あくまで渋る由比ヶ浜に雪ノ下がそっと身を寄せる。

 

「大丈夫よ、由比ヶ浜さん。私が全力でサポートするわ」

 

雪ノ下を巡る争いで雪ノ下自身が手を貸しちゃ意味ないだろ。

 

……なんかもうこの闘いやる前から趣旨ずれてないですか?

 

「けど星奈、決闘と言ってもどうすんだ?」

 

「雪乃ちゃんがその女に手を貸すんだったら、いっそチーム戦にってのはどうかしら」

 

「私は構わないわ」

 

「ゆきのんがいいなら、あたしも」

 

「それならこっちは……小鷹、あたしと組みなさい」

 

「まあ、別にいいけどよ」

 

「ま、待て肉! そういうことなら私も参加してやろう! お互い人数は同じだし3対3の方が勝敗が明確だろう」

 

「……確かにそうね。夜空、脚引っぱんじゃないわよ!」

 

「はっ、誰に物を言っている? 貴様こそ無様な姿を見せるなよ」

 

俺を除いた5人がにわかに盛り上がりを見せる。

 

あれ? なんかもうこれやる方向で進んでんの?

 

なんでみんなこんなにやる気なの?

 

俺は何一つ聞かれてないんですけど。

 

やるんなら俺関係ないんでもう帰ってもいいですかね。

 

「比企谷君、もし帰ったら部長として平塚先生にあなたが部活をサボったと伝えなければならないわ」

 

「喜んで参加させて頂くであります!」

 

「そう、戦果は期待していないけれど」

 

くそっ、帰りてぇ!

 

ってかさっきから恐ろしいまでに心を読まれているのはなぜでしょう。

 

「ヒッキー、なんかごめんね」

 

由比ヶ浜が申し訳なさそうな顔で謝ってくる。

 

……退路は既に断たれてしまった。

 

だったら後はどうやって早く終わらすかだけを考えよう。答えは簡単、負ければいい。

 

でもきっと雪ノ下が許してくれないんだろうなぁ。

 

とりあえずルールを決める。

 

協議の結果、文化祭の出し物で勝負できそうなものを交互に適当に見繕って種目を決め、先鋒・中堅・大将の1対1の勝負で2勝先取すればその種目において勝利を収め1ポイント。

 

5ポイント先取で勝利、という一日使い切る気満々の勝敗条件になった。おうちが恋しい!

 

「じゃ、ちょうど縁日のところにいることだし、まずは的当てで勝負よ!」

 

ちなみに先に種目を決める権利は向こうにある。

 

「いっとくけど、あたしは勉強も運動もこの学園で一番成績いいから。もちろん見た目も一番だわ。まさに完璧な女神ね」

 

女神ときたか。

 

初戦を前に、大言壮語を臆面もなく言ってのける金髪ビッチ。

 

しかし雪ノ下はそれを無視して、こちらを向く。

 

「良かったわね、比企が……ヒキガエル君。こんなところに仲間がいたわね。二匹で仲良くしていたら?」

 

「なんであたしがそんなのと仲良くしなきゃなんないのよ」

 

どうやら金髪ビッチには伝わらなかったようだが、俺にはバッチリ伝わった。

 

井の中の蛙、と言いたいのは分かるがわざわざ俺をダシにするな」

 

俺のツッコミを受けた雪ノ下はうまいこと言ったつもりなのか満足そうに頷いている。

 

嫌な以心伝心だ。

 

兎にも角にも、順番を決める。

 

俺はどこになろうがどうでも良いので、雪ノ下たちに任せることにした。

 

結果、先鋒・雪ノ下、中堅・由比ヶ浜、大将・俺、という順番になった。

 

これ完全に期待されてないね。

 

向こうの順番は始まるまでわからない。

 

まあなんだっていい。負けたって構わない。何があるわけでもなし。

 

的当て勝負のルールは、単純に景品を打ち落とした数が多い方の勝ちである。

 

どれもこれも等価で1点だが、いくつかの例外品がある。

 

主にプラモデル系の箱はおもちゃの銃で撃つにはあまりにも大きくて重い為か、箱を支えるいくつかの紙を全て打ち抜けば倒れる仕組みになっている。

 

箱を倒せば、支柱と同じ数だけの得点が得られる。注意しなければならないのは得点は最後に撃ち倒した者に入るということだ。

 

団体戦と言うこともあり、ある程度の戦略が必要となるが、そこは戦略レベル、戦術レベル共に最強クラスの雪ノ下がなんとかするだろう。

 

かくして、闘いの火蓋は切られたのである。

 

ああ、帰りたい。

 

 

まずは両陣営とも作戦会議に入る。

 

もちろん仕切るのは雪ノ下だ。

 

「二人とも、射撃の経験はあるかしら?」

 

現代日本社会においてゲームの画面内でならともかく、実際に射撃をする機会なんてほどんどないだろう。

 

だが俺は正直超自信がある。

 

中学生の頃、地域の祭に一緒に行く人がいなかったが小町に心配をかけたくなかった俺は射的屋で一日を潰した経験を持つ。

 

一人でずっと比企谷無双をしていたら出入禁止にされたくらいだ。

 

射撃は俺の特技のひとつで、あやとりの次に得意だ。

 

野比家のご子息とは良い酒が飲めそうだな。未成年だから酒飲めねえけど。

 

まあこう言うのは言わぬが花、である。

 

ちょっと控えめに言っておいて実は……的な方がかっこいい。

 

視線を明後日の方向に向けて、いつもより卑屈分を多めにブレンド。これで少し噛みながら言えば、自信のないボク、の演技は完璧である。

 

「俺のための競技だな!」

 

え? 控えめ? 無理無理!

 

得意なことぐらい得意って言って何が悪い!

 

戦力は正確に把握したいだろうしな!

 

「入れ込み過ぎ。期待出来なさそうね」

 

……結局期待されなかった。

 

「あたしは……ほとんどやったこと、ない……。あんま当たった記憶ないし……。ごめん……」

 

「謝らなくていいのよ、私がフォローすると言ったでしょう?」

 

「ゆきのん……」

 

はい、ここまでテンプレ展開。

 

お約束を終えた雪ノ下は会議を再開する。

 

「ざっと見たところ、的の数は40といったところかしらね。そのうち、相手に点を奪われる可能性のある箱物は10強で的の補充は無し。

さっきお店の人に聞いたのだけれど、弾数は10発。つまり、全員が百発百中だったと仮定すると三戦目である比企谷君は役立たずということね」

 

異議あり! 表現に悪意を感じる!」

 

「例えばの話よ」

 

向こうから絡んできたくせにさっくりと流される。

 

おまけに、いいから黙ってろというような目をしてくる。

 

俺は全く悪くないはずなのにリアクションが面白くなかったのかと反省してしまう自分が悔しい。

 

「今回のルールだと前の人の戦果が直接それ以降の戦況に影響してくることになるわ。つまり何が言いたいかと言うと、この勝負で重要なのは早さ、と言う事よ」

 

「なるほど……」

 

どこにその要素があったのかは謎だが、しきりにこくこく頷いてる由比ヶ浜

 

「つまり……どゆこと?」

 

うん、やっぱわかってなかったね。

 

てかお前どこの忍者だよ。ヒゲ書いてやろうか。

 

由比ヶ浜さん……わからないならそう言ってくれていいのよ。ちゃんと説明するから」

 

「うう……ごめんなさい……」

 

縮こまる由比ヶ浜の頭を慈愛顔でぽふぽふ撫でて『いい子いい子』する雪ノ下。

 

学校の一部の奴らからは、クールビューティー(笑)と言われている雪ノ下だが、実は結構表情豊かだったりする。

 

ほら、今も俺の視線に気がついて睨んできてるし。きっと俺がされるのは『痛い痛い』だろう。

 

あと気付いていないと思うけどお前の睨み顔相当怖いからな?

 

怖いのが苦手な俺は視線を逸らす。しかし逸らした先にも怖いのがいた。

 

羽瀬川だ。

 

「なあ、さっき気付いたんだけど、的に限りがあるから合計点で勝敗を決めないか?」

 

俺に聞かれてもな。どうでもいいとしか。

 

雪ノ下に視線で問うと、数瞬の間を置いて答えが返ってくる。

 

「了解したわ。そのルールでいきましょう」

 

「じゃ、そういうことで」

 

無事に他人への連絡事項伝達という大任を果たした羽瀬川は颯爽と去っていく。

 

背中が頼もしすぎるぜ! ……悲しすぎるぜ。

 

「ねえねえ、ヒッキーはさっきのわかったの?」

 

ルール変更により作戦の練り直しをしているであろう黙り込んだ雪ノ下。

 

由比ヶ浜はそれを横目で確認して何がまずいのか雪ノ下には聞こえないようにこっそり耳打ちしてくる。

 

「わかったって、なにが?」

 

「ゆきのんが言ってたこと」

 

「ああ、そのことか。先鋒の雪ノ下が確実に速攻で的を減らすから、お前と俺の難易度が上がるってことだろ」

 

「そうね、端的にはそれで正解ね」

 

「ええ!? フォローしてくれるんじゃなかったの!? てか聞こえてたの!?」

 

後ろを振り向くと、雪ノ下がすぐ後ろにまで来ていた。

 

「……普段の私が悪いのでしょうけれど、別に怒ったりしないから直接私に聞いてくれた方が……ちゃんと教えられるし、その……、私も嬉しいのだけれど……」

 

てっきりカンニングじみた事をした由比ヶ浜を叱るのかと思ったが、意外なことに雪ノ下は多少の照れとほんの僅かの悲しみを込めたような口調で告げる。

 

「ち、違うの、ゆきのん! あたしはただ、あんましゆきのん迷惑かけちゃいけないと思って……」

 

なんだそんなことか。

 

だが、そうじゃないだろう由比ヶ浜

 

「そう言う気遣いはいらねえだろ。お前らの仲なんだから」

 

「……え?」

 

「……へ?」

 

二人が目を丸くしてこちらを見つめてくる。

 

「ど、どうした?」

 

急に美少女二人にまじまじと見つめられて冷静でいられるような経験は積んでいない。冷たい目で、と言う言葉が付けばその限りではないが。

 

「ヒッキーこそ、急にどうしたの?」

 

「何か変な物でも食べたの? 頭でも打った? それとも心臓でも止まっているのかしら」

 

「おい雪ノ下、最後のは俺の歪んだ性格は死ななきゃ治らないって意味か?」

 

「……どうやらいつもの比企谷君のようね」

 

判断方法おかしくないですかね。

 

「ヒッキーがそんな事言うなんて、意外」

 

「……別におかしなことは言ってないだろ」

 

「そうね、おかしなことは言っていないわ。ただ、あなたがそれを言うこと自体がおかしいのよ」

 

「そうかよ」

 

そんなに不思議なことだろうか。

 

歪んで捻くれて拗くれた性根でも、いや、だからこそ、そうでないものがわかる。

 

真っ白な紙に付いた黒い点が目立つように、真っ暗闇から見る光は眩しいように、真逆の存在というのは目に付くものだ。

 

掃き溜めに鶴、とでも言えば理解しやすいだろうか。

 

「まあとにかく、比企谷君の言う通りよ。遠慮や気遣いは無用だわ、由比ヶ浜さん」

 

「うん、わかった。……ゆきのん、教えて?」

 

「もちろん、そのつもりよ」

 

こほん、と軽く咳払いする雪ノ下。

 

「早さが重要、というのはルール改変前の話だったけれど、改変後も変わらないわ。それどころか、個々がではなく全員で限られた点を奪い合うのだからより重要度が増したと言っていいわね。

例えば以前のルールだと、ある一人が9-10で負けるのと0-10で負けるのはほぼ同義だったけれど、今は違う。ここまでは大丈夫かしら?」

 

「うん」

 

「ではここで先程の、簡単なものから落とす、という事の理由を考えてみましょう。比企谷君が言ったように、先に簡単なものを落とせば難易度は上がるわ。

でも、ここでよく考えて欲しいのは、条件は常に相手も同じと言う事なの。相手の実力がわからない以上、論理的に考えてこちらに確実に点をとれる人が二人いる分、始めから相手の得点率を下げておいた方が有利になるのよ」

 

「なるほど……さすがゆきのん、ロンリテキだね!」

 

論理的の発音があやしい辺りその言葉自体を理解しているのか不安だ。

 

てか雪ノ下、お前しっかり俺のこと戦力扱いしてんじゃねえかよ。

 

「あれ? でもその作戦ならゆきのんの次はヒッキーの方がいいんじゃないの?」

 

「それは……そうなのだけれど、何か、癪だから」

 

うわぁ超感情論! 誰だよ論理的とか言ってた奴!

 

「あは、あはは……」

 

ほら、由比ヶ浜まで困った笑顔してるじゃねーか!

 

悪いのは雪ノ下、お前だ! ダブルスタンダード反対!

 

……糾弾するのはもちろん心の中だけ。怖いし。無駄だし。

 

「いずれにせよ、由比ヶ浜さんは自分が出来るだけのことをやればいいのよ。後は私達がなんとかするわ」

 

「そっか……、二人が手伝ってくれるなら、安心。何にでも勝てる気がするよ!」

 

「いや何でもは無理だろ」

 

「ヒッキーうるさい!」

 

その後、隣人部チームからお呼びがかかる。

 

「では、行ってくるわ」

 

「おう」

 

「ゆきのん、頑張って!」

 

雪ノ下は由比ヶ浜の声援を受けて僅かに微笑むと射的屋の前に向かう。

 

対して、向こうからは羽瀬川がやって来た。

 

「小鷹、最初なんだから負けんじゃないわよ!」

 

向こうの陣営からも激励が飛ぶ。

 

どうやら隣人部の先鋒は羽瀬川のようだ。

 

お気の毒に。

 

雪ノ下と羽瀬川が位置に付くと、金髪ビッチの一声によって審判と化していた射的屋の係が二人に銃を渡す。

 

羽瀬川は手持ちぶさたに銃をもてあましているのに対し、雪ノ下はやや体を開き頬付けと肩付けをしっかりこなしまるでクレー射撃でもするかのようである。

 

ていうかあいつ間違いなく経験者だろ……。ちなみに俺は中二病経験者故に各種銃火器の撃ち方は知っている。

 

「弾数は10発。ポンプアクションで連射は可能です」

 

「了解したわ」

 

「お、おう」

 

競技者の二人は理解しているようだが、隣の由比ヶ浜の頭の上にははてなマークが浮いている。

 

「ぽんぷあくしょん、って何?」

 

「あー、もの凄く噛み砕いて言うと弾を込める動作ってことだ。撃つ度にやる必要がある」

 

「ふーん。どうやんの?」

 

「まあ、雪ノ下を見てりゃわかる」

 

「わかった」

 

由比ヶ浜に基本的な事を教えている間に二人の準備は終わったようで、審判が手を挙げる。

 

「それでは、隣人部VS奉仕部先鋒戦……始め!」

 

いやにノリノリな審判から開始の合図が下される。

 

刹那、間断なく続く10発の発射音と命中音。

 

呆気にとられる周囲の人間を無視して、雪ノ下は審判に銃を渡すとこちらに戻ってくる。

 

「終わったわ」

 

えげつねえ……羽瀬川に狙う間も与えず10発落としやがった……。

 

しかもどれもこれも本当に狙いやすいものばかりで、残っているのは重そうだったり小さかったりするものばかりだ。

 

いつの間にか出来ていたギャラリーがざわついてくる。

 

そのざわめきにはっとした由比ヶ浜が雪ノ下に飛びつく。

 

「ゆきのん凄い! あたしなんか感動しちゃったよ!」

 

「そう、ありがとう。でも、別に……これくらい普通よ」

 

いつもの調子で由比ヶ浜を引き剥がしつつ答える。

 

「どう見ても普通じゃねえだろ……」

 

取り残された羽瀬川はといえば、ようやく撃ち始めるも無茶スペックの雪ノ下の後ではあまりにも空気が悪過ぎ、早々と撃ち尽くすと相手陣営に戻っていった。

 

得点数は6。決して悪くないスコアなのにギャラリーからは、そんなもんか……とか、しょぼ、という囁きさえ生まれていた。

 

あまりにもあんまりだ……。

 

とにもかくにも、現在のスコアは10対6。なかなかの出だしであることに間違いはなかった。

 

「ほら、次は由比ヶ浜だぞ」

 

あまりにも早く自分の番が来てしまったせいか、由比ヶ浜はなかなか行こうとしないので声をかけて促す。

 

「えっ、う、うん」

 

ビクッとしておずおずと頷くが、やはり行くのは躊躇われるようだ。

 

由比ヶ浜は周りを取り囲むギャラリーを気にしている様子を見せる。

 

俺もぐるりと周りを見回してみると意外と多くの人がいて、今も徐々にその数を増やしている。

 

男率がやや高い事を鑑みれば、目当ては美少女×4だろう。

 

確かに、紛れ込んだ異物×2を除けば見た目のレベルは本当に高い。

 

俺もギャラリーがよかったなぁ。

 

俺が現実逃避をしている横では雪ノ下が由比ヶ浜に基本的な事を教えていた。

 

由比ヶ浜さん、相手には構わず自分のペースを守って、当てやすそうなものから狙いなさい。狙うときはちゃんと両目でね。箱物は駄目よ」

 

「わ、わかった」

 

雪ノ下のアドバイスに背中を押されて、ようやく歩き始めた。

 

しかし衆人環視の環境に置かれているせいか、巣穴から出た小動物のようにビクビクしながら進んでいる。

 

あんなに緊張しちゃ当たるものも当たらないだろうな……。

 

雪ノ下が作った勢いに乗って勝った方が早そうだし、ここはひとつ声でも掛けてやるか。

 

由比ヶ浜、気楽にな」

由比ヶ浜さん、気楽にね」

 

……。

 

雪ノ下さん、その、うへぇ顔はやめてくれませんかね。意図してなかっただけに傷つきますので。

 

だが由比ヶ浜はそんな俺と雪ノ下を見比べると、

 

「うんっ! 頑張るっ!」

 

と満面の笑みを浮かべて答えた。

 

……まあ、あいつの硬さが取れたんならそれでよしとするか。

 

向こうからは羽瀬川と入れ替わるようにして既に黒髪鬱美人がやってきていた。

 

作戦を考えているのかカウンターの前で的を見つめている。

 

そんなことは全く気にせず、位置に付いた由比ヶ浜は教えられたことをうわ言のように繰り返していた。

 

「撃つ度にぽんぷあくしょん、当てやすそうなものから、両目で狙う、箱物はダメ。撃つ度に……」

 

その表情は真剣そのものだ。初心者丸出しかつ作戦だだ漏れなのはご愛嬌。

 

まあ実際ここまで露骨だと逆に罠だと疑ってしまうレベルだろう。

 

少なくとも俺が黒髪鬱美人の立場だったら確実に疑っていたし。

 

しかし、俺は由比ヶ浜の事を知っている。あいつは罠を仕掛けたりしない。

 

決して、しない。

 

なぜなら、バカだからだ。

 

「撃つ度ぽんぷ、当てやすそうな両目はダメ。撃つ度ぽんぷ、当てやすそうな……」

 

そうだね、目は危ないね。

 

……大切な事だ、もう一度言おう。

 

由比ヶ浜結衣は、バカなのである。

 

由比ヶ浜の恐ろしさを確認したところで諸々の準備が整う。

 

審判が再び手を挙げ、勝負開始の宣言をする。

 

「隣人部VS奉仕部中堅戦……始め!」

 

かしゃこん、と弾を装填し慣れない手つきながらも一生懸命的を狙う由比ヶ浜

 

慎重に慎重に、こちらが焦れるくらい狙いをつけてから、意を決したように撃つ。

 

だが、やはり的中せず、弾はむなしく壁にぶつかるとポトリと落ちた。

 

それでもめげずに、その後も二回程同じように撃つが一向に当たらない。

 

隣人部の中堅である黒髪鬱美人は由比ヶ浜の様子を見てから対応を決めるようで、まだ一発も撃っていない。

 

それが余計に焦りに拍車を掛けているのか、由比ヶ浜が不安そうな顔をしてこちらを向く。

 

「大丈夫。私達は決して負けないわ」

 

間髪を入れず雪ノ下が言った。あたかも、それが確定事項であるかのように。

 

大見得を切った事でギャラリーがにわかにざわめきをみせる。

 

ついさっきとんでもない能力を見せ付けた雪ノ下の言葉だ。観客にとっては良い余興だろう。

 

その容姿とも相まって視線が雪ノ下に集中する。

 

なるほど……こういうフォローの仕方もあるのか。

 

人目に晒されるのを好まない雪ノ下がこんな事をするとはな。

 

注目度が減っている今のうちにやってしまおうとでもいうのか、

 

由比ヶ浜は一度だけ大きく深呼吸をすると先程とは打って変わってテンポ良く撃ち始める。

 

するとどうだろう、驚く事に連続で2つも的中した。

 

続く一発は外れてしまったが、動揺した素振りは見せずに変わらず同じペースで撃ち続ける。

 

静観するのはマズイと判断したのか、黒髪鬱美人も行動を開始した。

 

二人が撃つペースはほぼ同じで、まさに競うように的を狙い撃つ様子に再びギャラリーが熱を帯びる。

 

それでももう由比ヶ浜が動揺する事はなく、あくまで眈々と、かつ真剣に自分のやるべき事に集中している。

 

どちらかが的中させれば歓声が上がり、外れれば声援が飛ぶ。

 

盛り上がりは最高潮。縁日というテーマにふさわしく、教室の中はまさに祭の様相を呈していた。

 

「お帰りなさい、由比ヶ浜さん。上出来よ」

 

結果は3点。予想より遙かに健闘した由比ヶ浜を雪ノ下が労う。

 

もちろん予想は0点だった。

 

「なんとかまぐれで3つ当たったけど……あっちは凄かったね……。ごめんなさい……」

 

「お疲れさん。0だったら正直キツかったがそれだけ取れりゃ十分だ。まだ勝てる可能性はだいぶある」

 

「そうなの?」

 

「ええ。その為にあらかじめ点を取っておいたのだし。それに、あなたが点を取れたのはまぐれでは無いわ」

 

「……まぐれじゃないなら、ゆきのんのおかげだよ」

 

「そうかしら? 自分で言うのもなんだけど、的確なアドバイスは出来てなかったと思うのだけれど」

 

「確かにアドバイスはあんま活かせなかったけど、『私達』は負けない、って言ってくれたから……。ゆきのんにそんな事言われたら、情けない姿なんて見せらんないもん」

 

由比ヶ浜さん……」

 

周りそっちのけで二人の世界入って行く由比ヶ浜達。

 

ぼく何でここにいるのかな?

 

完全にいらないよね?

 

まあ次はいよいよ、というかあっけなく大将戦である。

 

とりあえず、どうするべきかでも考えとくか。

 

黒髪鬱美人の結果は単品で3点、箱物で4点の計7点だった。

 

由比ヶ浜が先に撃ち切り、単独になってからはほどんど撃ち損じが無かったところをみると、なかなかの実力の持ち主だったようだ。

 

なにはともあれ、現在の総得点数は13対13で同点だ。

 

つまり勝敗は俺の双肩にかかっていて、勝負的には超おいしいポジションだ。

 

やっぱ控えめに言ってた方が良かったかな……。

 

まあとにかく、残りの的を確認しよう。

 

射的屋の棚を見ると、単品が5個、箱物が2つあり3点と5点だ。つまり取得可能な点数は合計で13点。

 

景品内容は単品の方が使いかけのフード消しゴムやレゴの部品というふざけたもので、

 

箱の中身は赤い魚介類っぽいMAとラムダ・ドライバを積んだM9の完成済みかつ欠損アリのプラモデルというこちらもふざけたものだ。

 

ちなみに支柱は紙でできた、それぞれの作品の関連キャラクターが勤めている。

 

どれもこれも的がかなり小さいが、俺にとってそれは問題にならない。

 

問題なのは、的が全て落とされる前提で行くと、少なくとも相手より1点多く取る必要があるから最低でも7点は取らなければならない事だ。

 

……状況はなかなか厳しい。

 

「比企谷君、やるべき事はわかっているかしら」

 

こちらの世界に帰ってきていた雪ノ下が尋ねてきた。

 

「ああ、真っ先に残った単品5つと3点の箱物を狙う。5点の箱物は無視。箱物はできれば横取り」

 

「よろしい。では……行ってらっしゃい」

 

「ヒッキー頑張ってね! 応援してるよ!」

 

「まあ、やれるだけやってくる」

 

口ではそう言いつつも、自信満々に歩き出しついでに周りを確認してみるとギャラリーは半分くらい去って行った。

 

おいおい、美少女じゃないからってそれはないだろう。目的露骨過ぎだろ……。

 

気持ちは超わかるけど。

 

カウンターに着くと、先に来ていた金髪ビッチと黒髪鬱美人が話をしていた。

 

「夜空、あんた7点しか取れなかったの? あっは! ヘタクソ!」

 

「あれだけ取れば十分だろう。そもそも勝負に勝ちたいのは貴様だけで、私は負けようがどうでもいい」

 

「あっそ。でも、あんたはこの後10点とるあたしに負けるのよ! この負け犬!」

 

「くっ……! 腐れ肉の分際で……」

 

訂正、口論をしていた。

 

口論はしばらく続いていたが、突然、挑発を続ける金髪ビッチを無視して黒髪鬱美人がこちらにやってくる。

 

「……おいお前、必ずあの駄肉に勝て。決して点を取らせるな。なんなら銃で撃つ……のは弾の無駄か。銃で殴ってもいい」

 

いきなりとんでもないこと言い始めやがった……。

 

「さすがにそれはダメだろ……」

 

「とにかく、絶対に勝て」

 

言いたいことだけ言って黒髪鬱美人はそのままどこかへ行こうとする。

 

が、俺の傍を通り過ぎる瞬間に、

 

「最後まで待て。奴は自滅する」

 

と小さく呟いてから去った。

 

何だったんだ今のは……。罠か?

 

審判から銃を受け取る。射的屋で扱われている一般的なもので、祭りで出入り禁止になったところでも同じ銃が置いてあった。

 

あの当時の感覚を思い出すように、いろいろと弄ってみる。

 

……これは運が向いてきたな。

 

「準備はいいですか?」

 

しばらくして審判が聞いてきた。

 

「ああ」

 

「いつでもいいわよ!」

 

「では、隣人部VS奉仕部大将戦……始め!」

 

比企谷八幡、狙い撃つぜ!

 

開始の合図が下された瞬間、1発目を放つ。的中。

 

次弾を装填し、狙いをつけて発射。的中。

 

再度装填、発射、的中。

 

俺の正確無比な射撃に残り少ないギャラリーが沸く。ふふふ……もっと俺を見ろ! もっと俺を褒めろ! 俺はフクちゃんタイプなんだ!

 

視界の端では金髪ビッチが慌てて撃つのが見えた。適当に撃ったようにも見えたが、残念ながら落とされてしまった。

 

だが次のは俺がいただく!

 

既に装填を終えていた俺は遠慮無く撃つ。見事、というか当然的中したが、一瞬遅れて別の弾も当たった。

 

ギリギリで俺の得点になったが、今のは危なかった……。

 

どうやら金髪ビッチは雪ノ下レベルの早撃ちが出来るようだ。さらに正確な精度をも合わせ持つ。

 

奴の大言壮語は伊達ではなく本当に実力があるようだ。

 

出だしは好調だが、決して油断は出来ない。

 

そして、本当の勝負はここからである。

 

現在の状況は17対14で奉仕部がリードしているが、残弾数は俺が6発で金髪ビッチが8発。

 

残りの的は3点の箱物か5点の箱物がそれぞれ1つ。

 

最後に落とした者が点を取れる以上、順当に行くとそれぞれ2つの支柱を残した状態で膠着状態に陥るはずだ。

 

残り2つの状態でどちらかが支柱を落としたら、すぐさまもう一人が最後の1つを撃ち落とすのは明白だからだ。

 

しびれを切らして先に手を出した方が負ける。

 

通常はそうだ。だが俺には秘策がある。

 

とっておきの、秘策が。

 

反掛け、と俺の中だけで言われている裏技をご存じだろうか。

 

比企谷無双の時に会得した崇高なる奥義である。

 

スライド部分をあらかじめギリギリまで引いておいて、撃った瞬間に引ききる事でほぼノーモーションでの2連射が可能になるのだ。

 

機構が適度に単純な射的屋用の銃だからこそ可能な芸当。

 

これを使えば、衝撃を重ねられるので通常倒せない景品を倒せたり、所定の弾数より少なかった言い張り、いちゃもんをつけて景品をおまけしてもらったりできる禁忌の技だ。

 

やりすぎるとばれて出禁になるから注意が必要だが。

 

とにもかくにも、俺は瞬間的にだがあの雪ノ下さえ凌駕する速射が出来るのだ。

 

通常の装填方法でも可能は可能だが、装填時に手がブレる以上どうしたって精度が落ちてしまう。

 

故に、残り2つの状態での俺は無敵。

 

さあ、後はその状況になるまでひたすら待たせてもらうぜ!

 

金髪ビッチは動きを止めた俺を見て少し考え込むそぶりを見せたが、5点の方に狙いをつけると素早く2連続で撃つ。

 

狙いは逸れず、正確に2つの支柱をはね飛ばした。

 

「今の得点はあんたたちが勝ってる。あとどっちかひとつでも取ることが出来たらあんた達の勝ちが確定するわね。

でも、残りを全部落とせばあたしたちの勝ち」

 

唐突に話しかけてきた金髪ビッチだが、今の俺は無双乱舞状態なので何があっても動じたりはしない。

 

「そうだな」

 

「あんたは今、残り2つになるまで待ってる。それは何か特別な事ができるからね?」

 

「どうだろうな」

 

どどどどうしよう!? ばれてる!?

 

何これ超動じてる。

 

……まあ、そうだとしてもやる事は変わらないんだけどな。

 

目論見がばれている以上、2つ撃ち落としたのは両方残り3つの状態にして俺に狙いを定めさせないため、といったところだろうか。

 

その程度はなんら影響ないが。

 

あくまでスカした態度を取ってやろう。

 

しかし金髪ビッチは俺の超むかつく態度を気にする風もなく、逆に鼻で笑われる。

 

「あんたは負けんの。これからあたしが存在の格の違いをわからせてあげるから。天才の雪乃ちゃんの傍にいられるのは同じ天才であるあたしだけよ」

 

自信過剰ともとれる発言だが、それなりの根拠があるのはなんとなくわかる。

 

こいつの能力は恐ろしく高い。

 

さらに先程の2連射はデモンストレーションという可能性もある。

 

警戒しておいて損は無いだろう。

 

だが現状としては奥義を持つ俺がかなり有利な状況だ。

 

3点でも5点の方でも、あと1発でも支柱を撃ち落としたのなら、即座に点を取らせてもらう。

 

点数差的にそれだけで勝ちが確定するのだ。

 

あとは金髪ビッチの動きに意識を集中させて、奴が撃ち、的中させた瞬間に行動を開始すればいい。

 

構える金髪ビッチ。

 

さて、どちらに来るかな。

 

静止すること約10秒、奴は弾を発射した。

 

一挙手一投足、その動向に注意し限界まで集中力が高まっていた俺にはスローモーションに見える。

 

金髪ビッチが発射した弾は、5点の方の支柱であるキャラクターにぐんぐん迫ると、その中央にめり込む。

 

ここだ!

 

即座に一発目を放つ。それとほぼ同時に残りの支柱へと照準を合わせつつスライド部分を引き絞り二発目を発射する。

 

弾は吸い込まれるようにそれぞれの標的へと向かって行く。

 

祭で培った経験をフルに活かした、人生におけるベストショットとも言っても良い。

 

完璧だ……。

 

しかし、俺の弾は虚しく空を切るだけだった。

 

「なん……だと……」

 

俺の弾より一瞬早く、別の弾が支柱をはじき飛ばしていた。

 

「ふふん。残念だったわね!」

 

勝ち誇ったような顔でこちらを見てくる金髪ビッチ。

 

奴は装填+狙う+撃つ+装填+狙う+撃つの動作を、反則気味の裏技を使った俺より早くこなしたというのか……。

 

しかも精度を落とすことなく。

 

まさか、これほどとは……。

 

これでお互いの得点は17対19。

 

まだ3点の方を落とせば逆転できるが……駄目だ。

 

あれが通じない以上、もうどうやっても勝てない。

 

俺が先に撃つのは論外だし、奴の3連射の最後を狙って割り込むように撃とうとしても、恐らく視認できない。

 

雪ノ下や由比ヶ浜の健闘に泥を塗るのは心苦しいが、無理なものは無理だ。

 

金髪ビッチの能力を呪うか、甘い考えをしていた自分を責めるしかない。

 

俺は銃を構えるのをやめた。

 

金髪ビッチは勝負を投げた俺を見て見下すように鼻で笑う。

 

「なあ肉、貴様にあれが落とせるのか?」

 

唐突に、どこからとも無く現れた黒髪鬱美人が3点の箱を指差して言う。

 

「はぁ? あんたさっき何見てたのよ。あたしにかかればどんなに小さい的でも、どんなに早く撃ったって百発百中よ!」

 

金髪ビッチは余裕たっぷりに狙いをつける。

 

「そうか、だがよく見た方が良いんじゃないか? 油断大敵だぞ」

 

「別に油断なんてしないわよ」

 

口ではそう言ったが、改めて構え直しているところをみると、一応アドバイスとして聞いているようだ。

 

再び狙いをつけた直後、はっとした表情をして銃を降ろす。

 

「あれって……ウニコーンガムダンのロミじゃない……」

 

黒髪鬱美人が一瞬だけニヤリとしたように見えたのは気のせいだろうか。

 

「なんだ? 自信をなくしたのか?」

 

青ざめた顔で呟く金髪ビッチに嘲笑混じりで黒髪鬱美人が問いかける。

 

「違うわよ! ロミはね、原作ではパパに撃ち殺されてアニメ版では戦闘中に主人公と和解したにもかかわらず七光りのクソ野郎にやっぱり撃ち殺されてるのよ! これ以上あの子を撃つなんて可哀想でしょ! これ作った奴どういう神経してんのよ!」

 

金髪ビッチは憤怒の形相で売り子でもある審判を睨む。なまじ整った顔の造りをしているだけに、とてつもなく恐ろしい。

 

「そうか。だが撃たなければ貴様の負けだぞ」

 

そんな金髪ビッチの感情はおかまいなしに黒髪鬱美人がふっかける。

 

「だ、だからってそんなことできないわ!」

 

「では貴様は初戦から負け、その上あれだけ挑発しておいて私にも負けた無様で惨めな姿を晒すと言う事だな?」

 

「それは嫌……でも、やっぱり無理っ!」

 

あくまで頑なに拒む金髪ビッチの耳元で黒髪鬱美人が囁きかける。

 

「よく見ろ、何のキャラかは知らんがあれはただの紙だぞ?」

 

「確かに紙だけど、あれはロミでもあるの!」

 

何故かだんだん涙目になってきている金髪ビッチ。

 

「何を迷う? 負けるのは嫌なんだろう?」

 

「負けたくないけど……負けるのは嫌、だけど……」

 

黒髪鬱美人の笑顔が妖しさを増し、なにやら抗いがたい魅力を醸し出す。魅力というよりなんかもう魔力っぽい。

 

「いいから、撃つんだ。何も心配する事はない。お前は全てにおいて正しいのだ」

 

「……いいの? 撃っても、いいの? あたし、まちがってない?」

 

黒髪鬱美人の妖しく優しい囁きを聞き続け正常ではなくなってきているようだ。紙とキャラを同一視するのは正常な発言だったのかは今は置いておこう。

 

「ああ、お前が、お前だけがいつも正しい」

 

金髪ビッチの腕がふらふらと上がり、標的に狙いを定め、そこに黒髪鬱美人がさらに甘言を叩きこむ。

 

「勝利は目前だぞ。お前は奴らにも、この私に勝つのだ。誰もが認める完全な、決定的な勝利だ」

 

「かつ……よぞらに……あたしが、かつ。うつ……あたしは……ロミを、うつ……」

 

うっとりとした表情で銃を構える美少女。やべえ超怖い。

 

「ほら、撃て、撃ってしまえ!」

 

黒髪鬱美人の声に押されて、ついに引き金を引く金髪ビッチ。

 

が、弾は出ていない。直前で止めたようだ。

 

「だめ……やっぱりだめなの……」

 

なんと金髪ビッチはぼろぼろと涙をこぼしていた。

 

マジかよ……。

 

「何をしている! 早く撃つんだ!」

 

「やだ……だめ……うてないよ…………うてませぇぇぇぇーーーーん!!」

 

「ちっ、貸せ!」

 

金髪ビッチから銃を奪うと黒髪鬱美人こちらを向き、撃て、と目で命令してくる。

 

その眼力に気圧された俺は反射的に撃ってしまう。弾は狙いを逸れずビシッと撃ち抜き、紙(ロミ)はぱたりと倒れた。

 

「あ…………ぁあ…………」

 

「ふ、哀しいな……」

 

泣き崩れた金髪ビッチと何かに浸っている黒髪鬱美人。

 

とりあえず、残りのを落としとくか……。

 

ギャラリーの目が痛いぜ。

 

結果、第一種目は20対19で奉仕部の勝利。1ポイント獲得。

 

「釈然としないわ……」

 

「あたしも何か勝った気がしない……」

 

「勝ちは勝ちだろ。良かったな」

 

おいおいお前ら、そんな目で俺を見られても困るぜ。

 

てか今思えば、黒髪鬱美人は始めからこれ狙ってただろ。

 

あのとき俺に呟いた言葉は確かに罠だったし。ただし、それは金髪ビッチを嵌める罠だったが。

 

的の前で考え込んでいたのは、どうやってさっきの状況に持っていくかの検討をしていたのだろう。

 

かなりの策士と言えるが、能力と努力があさっての方向を向き過ぎている……。

 

「はぁ、まあいいわ。次の勝負に移りましょう」

 

気を取り直した雪ノ下がパンフを開く。

 

「そうだな。先は長いんだからさくさく行こうぜ」

 

「うん……。次はあたしたちが決めるんだよね? 何が良いかな」

 

話し込む二人から少し離れて遠巻きに見る。

 

なんだかんだ言って参加してしまっているが、これは結局あいつらの勝負なのだから俺が口出しをするところではないだろう。

 

次の種目が決まるまで俺はただ由比ヶ浜達をぼーっと見ていた。

 

射的勝負が終わり、今度は奉仕部が競技種目を決める番だ。

 

由比ヶ浜と雪ノ下は二人してパンフを覗き込み、○○があるとか××も面白そうとか楽しそうに話していてなかなか決まらなかったが、

 

しばらくして由比ヶ浜がポツリと呟いた「おなかすいた」の一言でようやく決定された。

 

すぐ近くにあったイタリア料理店で早食いだ。

 

結果は隣人部の勝利。

 

詳細は省略。

 

2回戦のイタリアは飛ばされる運命にある。

 

続いての競技は、文化祭の出し物として定番と言って良いであろうお化け屋敷が舞台だ。

 

一人ずつ入り、出てくるまでの時間が最も短かった者がいるチームが勝利となる。

 

おどろおどろしく飾り付けられた壁には、ボロボロに裂けた服を着てちぎれた脚を引きずりながら杖を構える二人の少年と一人の少女が描かれている。

 

傍には血に汚れ折れた翼を振りかざす白フクロウがいる。

 

モチーフは世界的ベストセラーの魔法使いが主人公な物語のようだ。

 

懐かしいものを出してきたなぁ……。

 

「こんなことをして大丈夫なのかしら……。非営利かつ学業に準ずるから著作権的には問題ないのでしょうけれど……」

 

同じく壁を見ていた雪ノ下が言う。

 

確かにメインの三人以外は腸を撒き散らしたり腐れ落ちたりバラバラだったりと、CEROはZ指定間違い無しで洋ゲーもかくやの惨然たる状況だ。

 

まぁグロ方面の改変ならまだマシといえるだろう。

 

同じ題材で『ハミー・ポッターと賢者タイム』というエロパロを見かけたときには愕然としたものだ。

 

著者がJ・K・ロリというのだから手に負えない。続編の『ハミー・ポッターとヒ・ミ・ツの部屋』は良作だとか。

 

超どうでもいい。

 

「文化祭だしだいじょぶなんじゃないかな。てか、ゆきのんもこれ読んだ事あるんだ?」

 

「ええ、一応全巻読んだわ」

 

「……意外だな」

 

流行物だったし、個人的にはジャンルとしてはラノベと似たようなものだと思っていたので雪ノ下が読んでいたとは正直意外だった。

 

「原書、日本語版と読んだけれども、やはり原書の方が良いわ。『マーリンの髭』を削除した翻訳者には疑問を感じざるを得ないわね」

 

しかも原書厨でした。

 

お前ミサワかよ。

 

「両方読むなんて、そんなに好きなのか」

 

これまた意外だったので思わず聞いてしまう。

 

「いえ、別にそう言うわけではないのよ。初めに読んだのが原書で途中から日本語版にしたから少し戸惑って、それが印象に残っていただけよ」

 

「へぇ……、どうして途中から日本語版にしたんだ?」

 

「……英語の復習も兼ねていたのだけれど、クラスの女子に『気取っている』とか『やっぱりキコクシジョ様は凄いね(笑)』とか言われて隠されたり捨てられたりしたのよ。でも物語の途中で投げるのは癪だったから、仕方なく図書室から日本語版を借りて読んでいたの。本当に、人の足を引っ張るのが得意な連中だったわ」

 

雪ノ下が黒い笑顔でにっこりと笑う。

 

「そ、そうか……」

 

うっかり地雷を踏んでしまったようだ……。

 

というか、時間的にも文法的にも正しいのだが、『連中だった』と過去形になっているのが無性に気になってしまうのは俺だけでは無いだろう。

 

安否が気になるな……。

 

ちなみに俺は5巻あたりまでは読んだ。

 

これ見よがしに流行の物を読んでおけば会話のきっかけなったり、輪に加われたりできると思ってたからな。

 

途中で意味がない事に気付いてやめたが。

 

……あの頃の俺は若かった。

 

まぁ、読むのをやめたのはキャラの一人がどうしても好きになれなかったと言うのもある。

 

今となってはどうということはないが、当時の俺には決して許せないことをしでかしたのだ。

 

奴だけは許せなかった。

 

「あ、あたしも全部読んだよ! 色んな魔法があって面白かったよね! 凄いって思ったよ!」

 

あやしくなりかけた雲行きを察知した由比ヶ浜が小学生並の感想で空気を変える。

 

それに真っ先に反応したのは何故か少し離れたところにいた羽瀬川だった。

 

「お、俺も読んだな。魔法の闘いとかワクワクしたよな」

 

「えっ? う、うん。あたしも、結構したかも。羽瀬川くんはこのシリーズ好きなの?」

 

唐突にカットインしてきたにも拘わらず会話を繋げられる由比ヶ浜は凄いと思った。

 

「あ、ああ。こういうわかりやすいものは結構好きだ。読んでて疲れないし」

 

「へぇ~、そうなんだ。あたしもそういうのは読めるから好きかも」

 

聞いてもいないのに好みを話す羽瀬川に合わせられる由比ヶ浜は凄いと思った。

 

羽瀬川の奥にはふきげんそうな顔をした黒髪鬱美人と金髪ビッチがいて怖いと思った。

 

俺の後ろにはまだオソロシイふいんきを出している雪ノ下のけはいがしてふりむけなかった。怖いと思った。

 

何これ俺まで小並感。

 

「ふむ、私もこれは読んだ事があるな」

 

今度は羽瀬川に続いて黒髪鬱美人が参加してきた。

 

「ロヌが酷い目に遭うと胸がスカッっとする作品だったな」

 

「読み方がヒドすぎるよ!?」

 

さらりとクズ発言をした黒髪鬱美人に由比ヶ浜がつっこむ。

 

さっき初めて会ったばかりの人間にツッコミを入れられるなんて、こいつのコミュ力は恐ろしくさえあるな……。

 

しかし黒髪鬱美人は気分を害したのか、語気を強めて言い放つ。

 

「何を言うか。ぼっちに『だから友達が出来ない』なんて言う奴こそ最低だろう!」

 

「へっ!? あ、や、ごめん……」

 

いきなり怒り始めた黒髪鬱美人。

 

まあ奴の言わんとする事はわかる。

 

そう、それは物語の序盤にハミーの親友のロヌがまだ仲良くなる前のハームオウンニーに言い捨てた一言だ。

 

俺もこの台詞を見たときに本気でロヌが嫌いになった。先程の許せなかった奴とはもちろんロヌの事である。

 

いっそ死ねばいいとすら思う。

 

ていうか最後まで生き残んの?

 

「奴があの発言をして以降、いつ苦しみ抜いた上で無様に野垂れ死ぬのか楽しみにしていたのにハッピーエンドで終わらせた作者の底意地の悪さに驚きを隠せなかったぞ」

 

「俺はお前の意地の悪さに驚きを隠せねぇよ……」

 

「む、ふん……」

 

小さくなった由比ヶ浜のかわりに羽瀬川が言うと、黒髪鬱美人はさらに不愉快そうに眉を寄せる。

 

「ちょっと! いつまでも下らない話なんかしてないでさっさと順番決めるわよ!」

 

こちらはこちらで何故か不機嫌MAXの金髪ビッチの発言だ。

 

MAXと言っても缶コーヒーの話ではない。念のため。

 

「なんだ肉、仲間外れで寂しかったのか? だが安心しろ、貴様に初めから仲間はいない」

 

「別にそんなんじゃないわよ! ……こ、小鷹はあたしの味方よね?」

 

黒髪鬱美人に煽られて不安になったのか、金髪ビッチが羽瀬川に確認する。

 

数瞬間が空いてから口を開く。

 

「……星奈の味方って言うか、この場合は隣人部の味方だろ」

 

その答えに納得しなかった様子の二人は小さく呟いている。

 

「どうだか。さっきは自分からあの乳女に話しかけに行ったくせに……」

 

「あたし達を差し置いてね」

 

「え? なんだって?」

 

「「なんでもない!!」」

 

……またこの流れか。

 

 

「にしても、お化け屋敷かぁ……」

 

それぞれの部が作戦会議に入ったところで由比ヶ浜が小さく独りごちる。

 

「どうした?」

 

「う、うん、ちょっとね……」

 

「怖いのが苦手とかか? でも千葉村のときは夜の森でも割と平気そうだったろ?」

 

「や、あんときはだいじょぶだったけど幽霊とかはちょっと怖いかも。でも、お化け屋敷は人がやってるってのはわかるから平気なんだけど……」

 

「怖いと言うよりびっくりすると言う事かしら」

 

「それもあるんだけどさ……その、ちょっと言いにくい事なんだけど……」

 

言葉通りとても言いにくそうにしている由比ヶ浜

 

その両手は自分をかき抱いている。

 

由比ヶ浜さん、どうしたの?」

 

普段とは若干違う様子に雪ノ下が気遣わしげな声で尋ねる。

 

「その……、中って暗いじゃん?」

 

「そうだろうな」

 

「……だから、たまに触ってくる人がいるんだよね……」

 

「は?」

 

「酷いのになると脅かす振りして露骨に抱きついてきたりするのもいるって話だし、あたしも去年、む、胸とか掴まれたし……」

 

胸、と言うあたりで由比ヶ浜は僅かに頬を染めて俯く。そしていっそう強く腕に力を込める。

 

「実際に被害に遭う子って結構いるらしいんだけど、大事にするのは勘違いしてるみたいで恥ずかしいし、文化祭を台無しにしちゃうのも悪い気がしてほとんどが泣き寝入りしちゃうみたい……」

 

……そういうことか。

 

文化祭のこの手のアトラクションに入った事はないが、由比ヶ浜が言ったように中は暗いはずだ。

 

その上ゾンビとかに仮装している可能性が高く、更に言えば壁から腕のみ出したりと姿を見せないものも存在するだろう。

 

故に個人を特定する事は難しい。

 

加えて、ホラー系である以上悲鳴を上げる事は前提とされているので仮に触られた悲鳴であっても外からは判別は付かない。

 

物理的な条件が整い、心理的な要素を逆手に取ることができる。

 

確かにそう言った行為をするには絶好の場所だろう。

 

……不愉快な話だ。

 

「……不愉快な話ね」

 

俺の心の声とほぼ同時に雪ノ下が吐き捨てる様に言う。

 

「や、全部が全部そうって訳じゃないから! あくまで一部の話だからね?」

 

「でも、由比ヶ浜さんはそう思ってないのでしょう?」

 

「そ、そんなことないよ! あたしはだいじょぶだよ!」

 

明るい笑顔で取り繕う由比ヶ浜

 

だが、

 

「無理すんなよ、由比ヶ浜

 

「あなた、震えてるじゃない」

 

「っ!!」

 

雪ノ下の指摘にビクッとする由比ヶ浜

 

こいつは隠し切れているようだったが、様子がおかしい事は見れば一発でわかるし、なにより話し始めてから自分をかき抱くその姿勢を全く変えていない。

 

由比ヶ浜さん、あなたはこの勝負は棄権しなさい」

 

「でも、あたしが原因で始まった勝負だし……」

 

「バカかお前は……」

 

そんな責任を感じてたのか。

 

男の俺でさえ満員電車で近くのおっさんがはぁはぁ言ってるだけで怖いのに、暗闇で体を触られるのはきっと計り知れない恐怖だったろう。

 

それを押さえて、文字通り押さえつけてまで自らが思い込んだ責を果たそうとしていた。

 

これをバカと言わずして何と言おう。

 

「バ、バカって言うなし! ってかバカじゃないですぅー。バカってゆうほうがバカなんですぅー」

 

……お前はどこの金髪美少女だよ。

 

「いいえ、バカはあなたよ、由比ヶ浜さん」

 

「ゆきのんまで……!」

 

思わぬところからの攻撃に泣きそうになる由比ヶ浜

 

「ついさっき、遠慮や気遣いは無用と言ったばかりじゃない。それをもう忘れたと言うのなら、バカとしか言いようがないわ」

 

言い回しこそ普段の雪ノ下だが、その表情は怒っているというより拗ねていると言った方が正しいだろう。

 

そんな雪ノ下を見て由比ヶ浜は若干ばつの悪そうな表情をする。

 

だが珍しく由比ヶ浜は引かなかった。

 

「ごめん、ゆきのん。でも、やっぱり迷惑はかけられないよ」

 

「……そんなに、私は信用がないのかしら」

 

俯いて哀しそうに軽く嘆息した雪ノ下だが、顔を上げた次の瞬間にはもう俺が奉仕部に入った頃の冷めた表情になっていた。

 

そして由比ヶ浜の方を見もせずに淡々と告げる。

 

「わかったわ。では私が最初に行って安全を確かめてくるから、その上で由比ヶ浜さんの出場の可否を決めるわ」

 

なんでそうなる……。

 

「バカかお前は……」

 

「……何を根拠にそんな事を言うのかしら。はっきり言って私が比企谷君に劣っている事は皆無よ。私は合気道の有段者だし自分の身くらい自分で守れるわ。出しゃばらないでくれるかしら」

 

雪ノ下は俺をギロリと睨むと、舌鋒鋭く無意味に罵倒してくる。

 

……お前でも余裕を失う事もあるんだな。

 

って結構あるか。由比ヶ浜関連だと。

 

「お前なぁ、自分も女だって事を忘れてないか?」

 

「……は?」

 

いやそんなキョトンとされてもな。

 

「正直、男の俺から言わせてもらうと、お前も由比ヶ浜も十分標的になるぞ。むしろ率先して襲うレベルだ」

 

「「……」」

 

二人は押し黙り、自然と顔を見合わせる。

 

沈黙が続き、何かとてもマズイ事を言ったような雰囲気が流れた。

 

いや実際マズイ事を言ったのだが。

 

「比企谷君、通報して欲しいの?」

 

「違えよ!」

 

確かに言い方が悪かったが慌てて携帯を取り出すのはやめてほしい。

 

てかお前それバッテリー切れだろ。

 

「ま、まぁ俺が言いたいのはあれだ、仮にこのお化け屋敷の奴らがセクハラを目論んでいたとして、相手もバレないようにそれなりの対策は施しているだろ」

 

「……それは、そうね」

 

「だったらまず危険度MAXのお前達より危険度皆無の俺が行くのが合理的だろ。お前の好きな論理的思考ってやつだよ。それに、どこに何があるくらいは調べられるし」

 

地の利を潰せばいくらでも対策が取れる。

 

最悪、雪ノ下たちが襲われた場合は隣人部巻き込んで全員で突入してやる。

 

恐らく金髪ビッチが先陣切って突っ込むはずだ。羽瀬川も相当な戦力になるだろう。

 

雪ノ下は目を瞑り、数呼吸間を置いてから答える。

 

「……わかったわ。それで行きましょう」

 

「んじゃ、向こうも準備できたようだし早速行ってくるわ」

 

「ええ」

 

二人に背を向けて入り口に向かう。

 

すると、後ろから声がかけられた。

 

「ヒッキー」

 

振り向くと由比ヶ浜がちらりと雪ノ下を見てから言う。

 

「ありがとね」

 

軽く手を挙げて答えて、再び入り口へと向かう。

 

礼を言われる事なんて何もしてないけどな。

 

入り口には羽瀬川がいた。

 

じゃんけんをして先攻後攻を決める。

 

俺の石のように硬いグーは羽瀬川の紙のようなパーに包まれて敗北した。

 

いつも思うけどこれグーの方が強くね? だって石は紙突き破っちゃうよ?

 

同じ理屈で猟師は役人より強いと思います。銃持ってるし。

 

なんにせよ先行は羽瀬川になった。

 

タイムトライアル形式ということで、道順を教えてもらえる後の人間が有利になる。

 

そして先程の話もあって、偵察の役目は大きいだろう。

 

俺の責任は重大である。

 

第一、セクハラごときがあいつらの関係にヒビをいれるなんて許せる事ではない。

 

今の俺はやる気に充ち満ちているッ!

 

そんな俺を尻目に、羽瀬川が中へと入っていく。

 

教室2つを使っているようなのでそんなすぐには出てこないだろう。

 

しばらくして、男の野太い悲鳴が短く上がった。

 

羽瀬川がこういうのが苦手だったのか、それともクオリティが高いのかはわからないが、これはしばらくかかりそうだな。

 

ほどなくして再び悲鳴が上がる。

 

女子の悲鳴が。

 

え?

 

続けざまにいくつもの叫びが聞こえ、そこからは阿鼻叫喚のおおわらわだった。

 

「や、やめてくれ!」だの「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」だの「おかあさぁぁぁぁん!」だの、男女問わず様々な悲鳴が巻き起こっていた。

 

そしてある瞬間を境に、ぱたりと悲鳴が止む。

 

呆気にとられていると出口がガラガラと音を立てて開き、引きつった笑みを浮かべた羽瀬川が出てくる。

 

不審に思った様子の受付が中に入り、数分後に出てきた。

 

そして手には看板を持っている。

 

『本日の営業は終了しました』

 

その看板を入口と出口の前に立てると、無言で去っていった。

 

……うん、掛ける言葉もねえ。

 

「お、俺たちの負けでいいわ」

 

なんとかひねり出した言葉が虚しく廊下に響く。

 

お化け屋敷の中からはもはや物音一つしない。

 

「……そっか。……悪いな」

 

なんとも言えない曖昧な表情をして羽瀬川は隣人部の元へ戻っていった。

 

俺も戻るか……。

 

「ヒッキー、おかえり」

 

「お、おかえりなさい」

 

「何もしてねえけどな……」

 

あれだけ息巻いていた自分が恥ずかしい。

 

たはは、と由比ヶ浜が力なく笑う。さすがに羽瀬川の事が気の毒になったのだろう。ついでにたぶんきっと俺の事も。

 

「雪ノ下、俺たちの負けって事にしたけど、それでいいか?」

 

「……ええ。続けられない以上、仕方ないものね」

 

これで1対2。まだまだ始まったばかりだというのにこの疲労感は何だろう……。

 

次はまた俺たちが種目を決める番だ。

 

出来るだけ楽なのが良い。

 

「で、次は何にするんだ?」

 

雪ノ下に水を向ける。

 

「それはこれから決めるわ」

 

「そっか」

 

「……その前に、その、……さっきはごめんなさい」

 

ぺこりと頭を下げて蚊の泣くような声で言う。

 

「……はぁ? なんのことだ?」

 

『さっき』に限定すれば謝られるようなことをされた覚えはない。

 

むしろ普段の暴言を謝って欲しい。絶対に許さないリストはもう2冊目を終えそうだ。

 

「……相変わらずなのね」

 

雪ノ下は顔を上げて少し不満そうな顔をした。位置関係的に上目遣いになっている事にあざとさを感じる。

 

恐らくというか確実に無意識なのだろうが。

 

「そりゃ、人はそうそう変わらねえよ」

 

思わず目どころか顔をそらして答える。

 

「ふふっ」

 

そんな俺たちを見て由比ヶ浜がくすくす笑っているのがなんとも無性に気恥ずかしかった。

 

 

「それで雪ノ下、負け越してるけど次はどうするんだ?」

 

「……そうね、これ以上負けが続くと士気にかかわるから、次は確実に勝てる種目にしたいわね」

 

「となると千葉県横断ウルトラクイズか」

 

「ヒッキー、千葉県の学校でもそんなの文化祭でやってないと思うよ……」

 

「大体それは由比ヶ浜さんの誕生日パーティーの後にやったじゃない」

 

「あぁ、確かにやったな。伊勢海老(キリッ)とか言ってたもんな。けどあんなんじゃまだまだ千葉の事は語り尽くせて無い!」

 

「ふうん。あなた、また負けたいのかしら?」

 

「はっ、平塚先生の年齢に合わせたあんな前時代的で古いバラエティ番組みたいなルールで勝った気になられてもな」

 

「それ平塚先生が聞いてたら危ないよ?」

 

「まぁ、どんなルールでも千葉の事で私が比企谷君に負けるなんてありえないけれど」

 

「おいおい、言ってくれるじゃねえか。なんなら今から再戦してもいいんだぜ?」

 

「望むところよ。では、交互に一問ずつ出していくというルールでいいかしら」

 

「二人とも千葉への愛が深すぎるよ!? ウルトラクイズの前にこっちの戦いを終わらせようよっ!」

 

由比ヶ浜に諫められてようやく冷静になる俺と雪ノ下。

 

いかんいかん、どうも千葉の事になるとつい熱が入ってしまうな。

 

それは雪ノ下も同じなようで、コホン、とごまかすように咳払いしている。

 

「では、気を取り直して考えましょう」

 

雪ノ下が言うのもおかしな気がするが、ここは黙っておこう。

 

「何かこれだけは負けない、ということはあるかしら

 

「千葉愛

 

「それはもういいってば!」

 

食い気味に即座に答えた俺に更にかぶせてツッコミをいれる由比ヶ浜

 

こいつ、腕を上げたな……。

 

「なんだよ……。……じゃあ、学生生活における独りでの過ごし方、とか」

 

「独りになってる時点でなんか負けてるよ!」

 

由比ヶ浜さん、それは少し違うわ。独りにならされているのなら負けているけれど、自ら進んでそうなっているのならその限りではないわ」

 

なんとも意外な事に、雪ノ下がフォローしてくれた。

 

さすがぼっちマイスターだぜ雪ノ下さん! 言ってやれ!

 

「比企谷君の場合は社会そのものに負けているのよ」

 

さすが罵倒マイスターだぜ雪ノ下さん! やめてくれ!

 

やっぱりフォローなんてされてなかった。

 

「おい雪ノ下、人を社会不適合者みたいに言うな」

 

「え? 違うの?」

 

「違えよ。社会の方が俺に適合していないんだよ」

 

「比企谷君、そのネタはもう使い古されているわ。やり直し」

 

「えっ!? やり直し!? なんかポイントずれてないですか!?」

 

ふむ、と呟き小首を傾げる雪ノ下。

 

その姿勢のまま目を閉じつつ頬に人差し指を当てて、何かを考えるそぶりを見せる。

 

「……」

 

珍しく子供っぽい仕草をしている雪ノ下はとても可愛らしく、思わず目を奪われていると、やがて目を開きまっすぐこちらを見つめてきた。

 

「比企谷君の場合は社会そのものに負けているのよ」

 

「本当にやり直す気なのかよ! さっきの間はなんだったんだよ!」

 

思わずつっこんだ俺の隣では由比ヶ浜が、ぷっと吹き出すと声を上げて笑い始めた。

 

「あははっ! ……もう、二人ともちゃんとやろうよ。……ぷふっ」

 

「……そうね。比企谷君、ちゃんとしなさい」

 

「そうだよヒッキー、ちゃんとしようよ」

 

「二人ともって言ってただろ……。てか今のは主に雪ノ下が悪いだろ」

 

何この理不尽に叱られる感じ。ハチマン、しっかりしなさい。

 

まぁ実際いい加減にしないと隣人部もそろそろしびれを切らしているところだろう。

 

ちらりと彼らの方を窺うと、しかしどうしてあちらはあちらで楽しそうに談笑中だった。

 

金髪ビッチが何か言い、黒髪鬱美人が混ぜっ返し、羽瀬川がつっこむ。

 

一見、金髪ビッチと黒髪鬱美人はいがみ合っているように見えるが、その実楽しんでいるのが透けて見える。

 

……仲がよろしいこって。

 

「で、雪ノ下、何やるかは決まったか?」

 

「……三人が三人とも得意なものがあればよかったのだけれど、そう甘くはないものね。だから、誰かに何か特化したものがあればそこに賭けるのが現実的ね」

 

なるほど、さっきの質問はそういう意図だったのか。

 

「なら、射撃はさっきやったから、あとはあやとりだな」

 

「使いどころの難しい特技ね……」

 

役立たずと素直に言わないのは優しさだろうか。たぶんきっと遠回しな当てこすりだろうが。

 

「特技かぁ……メールの返信には結構自信あるけど……」

 

「それは勝負には使えなさそうね」

 

「だ、だよねー……」

 

こんどはあっさり斬り捨てる雪ノ下。

 

判断基準がわからねえ……。

 

「そう言う雪ノ下はどうなんだ?」

 

「私は大体の事なら平均以上の事は出来るわ」

 

……確かに雪ノ下ならその言葉通り、大抵の事はやってのけるだろう。

 

ただそれを自分で言うのはどうかと思うが。

 

「……なら一人ずつ勝負していくものじゃなくて、全体で最も成績が良い者がいるチームが勝ちってルールにすればいいんじゃね?」

 

「さっきのお化け屋敷みたいな感じだよね?」

 

由比ヶ浜が確認してくる。

 

「そうなるな」

 

「では、そのルールを念頭に置いて考えてみましょうか」

 

そう言って二人は再びパンフを見始めた。

 

「比企谷君、これでどうかしら?」

 

数分後、雪ノ下がパンフを指差しながら聞いてくる。

 

「いいんじゃね?」

 

それをろくすっぽ見もせずに答えた。

 

さっきの形式であれば大概の事は雪ノ下がどうにかしてくれるだろう。

 

つまり、俺はおざなりになあなあでやっても良い事になる。

 

楽が出来そうで何よりだ。

 

「そう。では伝えてくるわ」

 

意気揚々と雪ノ下が隣人部の方に向かう。

 

その背中を見送っていると、つんつんと肩をつつかれ、そちらを見てみると由比ヶ浜が何やら微妙な表情をしていた。

 

由比ヶ浜は俺の左耳のあたりに手を当てると、顔を近づけ耳元で囁く。

 

「ねえヒッキー、ほんとにあの種目でよかったの?」

 

射的の時の反省を活かし、雪ノ下に聞こえないように最大限配慮しての事だろうが、どうにもこうにも近い。

 

てか耳がくすぐったい。

 

てかなんかいい匂いがする。

 

てかこいつの手柔らかいな。

 

てかいつまでそのポジションにいるの?

 

「な、なにがだね?」

 

思わず動揺して気持ち悪い答えをしてしまった。

 

ぼっちに不用意に近づくとこうなる。そこのところをこいつは理解すべきだ。

 

「ヒッキー、ゆきのんが選んだのって迷路だよ?」

 

……は?

 

「なんでお前止めないの? バカなの?」

 

「だってヒッキーも止めなかったし!」

 

それを言われたら何も言い返せない。

 

ちゃんと確認しなきゃ。

 

消費者金融のCMが脳内で勝手に再生された。

 

最近あの人あんま見ないよね。あ、妊娠したんだっけどうでもいいな。

 

「とにかく、どうする?」

 

「そうだな……今日もこの学園に来るのですら迷ったのになんであいつがあんな自信満々なのかは知らないが、俺たちでどうにかするしかないだろうな……」

 

「うん、そだね。……あたしたちでなんとかしよう」

 

「ああ」

 

そうは言ったものの一体どうしたものかと考えていると、隣ではなぜか由比ヶ浜が嬉しそうにニコニコしている。

 

何がそんなに楽しいのか……。迷路で勝つための戦術なんて何も思いつかねえぞ……。

 

俺が頭を抱えているうちに雪ノ下が戻ってくる。

 

「どうしたの比企谷君。リストラでもされた?」

 

「馬鹿を言うな。俺がリストラされるわけないだろ。専業主夫になるんだからな」

 

「あら、専業主夫にだってリストラはあるわよ。離婚という名のね」

 

「ふっ、離婚されるような主夫にはならないぜ。養ってもらうために愛想尽かされない程度には家事をこなすからな!」

 

「相変わらず頭の痛い事を言う人ね……」

 

雪ノ下はやれやれと溜息をつくと、由比ヶ浜の方を向く。

 

「では由比ヶ浜さん、次の場所に向かいましょう。校庭にあるみたいよ」

 

「うん! ほら、ヒッキーも行くよ!」

 

雪ノ下は意図的に俺を除外したようだが、気にせず楽しそうに俺の手を引く由比ヶ浜

 

「やけにやる気のようね。頼もしいわ」

 

……一番頼りにならない奴に頼もしいとか言われてもな。

 

現地に着いてみると、その迷路の巨大さに驚く。

 

学園の広大な敷地を活かしているようで、入口側から見える面の長さは約50メートルといったところだろうか。

 

こちら側からは奥行きはわからないが高さは目測でおよそ2.5メートル。

 

タイトルは『Minotauros』で結構まんまな命名である。

 

外観は薄汚れたコンクリート風に描かれているが、若干塗装が甘く下地の木が見えていることから察するに、恐らくベニヤ板だろう。

 

しかしその稚拙な感じが急に曇り始めた空と相まって逆に不気味な雰囲気を演出している。

 

完成度はなかなかだが、気になる事がある。

 

時折、中から獣のような雄叫びと人の悲鳴が聞こえる事だ。

 

迷路でそれはおかしいだろ……。まあタイトルを見れば大体想像はつくが。

 

ついでに言うと見た限り屋根がない。

 

屋外だし雨降ってきたらどうすんだこれ……。

 

疑問はさておき、受付に近づいてみると見知った顔がいる事に気がついた。

 

「やあ、お兄ちゃんたち。迷路をやりに来てくれたのかな?」

 

受付にいたのはシスコンシスター、銀髪美少女こと高山ケイトだった。

 

「ケイトか。じゃあここは教会の出し物なのか?」

 

羽瀬川が質問している。

 

「違うよー。有志の子たちがいてね、監督を頼まれたんだよ。規則はザルだけど、大規模のものだと一応形だけでも監督者がいないといけないらしいからね」

 

「そんなことより、ちょっと頼みがあんだけど」

 

会話に割り込んだ金髪ビッチは例のごとく、勝負中だという事を説明し便宜を取りはからうよう要請する。

 

この間、奉仕部の面々は少し離れたところで待つのが既に慣例化していた。

 

ところで、お兄ちゃんと呼ばれた羽瀬川と高山ケイトはまるで顔が似ていないが、そう呼ぶからには妹なのだろう。

 

もし義妹とかそんな感じだったら税を取るべきだ。義妹は嗜好品だとどっかのヤバめの文豪が言っていたし。

 

ていうか名字違くね?

 

……課税決定!

 

説明が奉仕部のあたりまで及んだのか、高山ケイトはこちらを見ている。

 

彼女は俺に気付くと、軽く手を振ってくる。

 

「おや、八幡君。また会ったね」

 

「……ああ、意外と早い再会だったな」

 

本音を言えば意外と早いどころか二度と会わないと思っていたのだが。

 

「知り合いだったのか?」

 

羽瀬川が意外そうな顔をして聞いてきた。

 

「まあな。と言っても、知り合ったのはついさっきだけどな」

 

「そうそう、熱い戦いだったよ。わたしは負けちゃったけどね。でも、次は負けないからね」

 

へへっ、と不適な笑みを向けてきたので俺も負けじと不遜な笑みを返す。

 

「ふっ、それはどうかな」

 

バチバチと視線が火花を散らす、と言う事もなく高山ケイトはその視線を逸らして微笑む。

 

「まぁ、今はそんな場合じゃないね。お兄ちゃんたちと勝負しているんだって?」

 

「成り行きでな。俺たちの勝ちって事にしてくれないか?」

 

俺の直截的な発言に苦笑する高山ケイト。

 

「それは駄目だよ、八幡君。どちらかと言えばわたしはお兄ちゃんの味方だからね」

 

それはそうだろうな。

 

ついさっき知り合ったばかりの人間よりかは、元々知っている方を応援したくなるのは当然の心理だろう。

 

程度の差こそあれ、人は知っているものに親近感を覚え、知らないものには嫌悪感ないしは恐怖感を覚えるものだ。

 

だから中学生のときに好きだったクラスの女子にメールアドレスを聞いて、

 

「まだ比企谷君のこと良く知らないし、もうちょっとよく知ってからでいいかな」

 

とやんわり明確に断られたのも当然と言えよう。

 

それ以来一向に会話もしなかったが彼女はどうやって俺の事を知るつもりだったのだろうか。

 

俺が過去の甘酸っぱいというか超酸っぱい思い出に捕らわれていると、横から呟きが聞こえた。

 

「なんかだいぶ仲良さげだし」

 

さっきまでの上機嫌はどこにいったのやら、由比ヶ浜は口を尖らせている。

 

それに気付いていない様子の高山ケイトは話を進める。

 

「とは言っても審判を頼まれた以上、公平にやらせてもらうからお兄ちゃんたちもそのつもりで」

 

その言葉に頷く隣人部。

 

「じゃルールの説明に入らせてもらうよ」

 

高山ケイトは抑揚たっぷりにモチーフから設定されているストーリーまで事細かに説明し始めた。

 

が、大部分は勝負に関係ない事なので省略。

 

要約すると、ルールは以下のようになる。

 

基本的な勝利条件はこちらが指定した通り、先程のお化け屋敷と同様に最も早く抜け出した者の所属するチームが勝利となる。

 

しかし他の客もいるため、それぞれのチームから5分おきに一人ずつ入るという形になった。

 

通常は同じ間隔で一つのグループを入れているようなので、これでもだいぶ配慮してくれている方だろう。

 

その他の点で特に留意する必要があるのは、ただ大きいだけの迷路では無いという事だ。

 

どういう事かというと、Minotaurosと銘打たれているようにこの迷路にはミノタウロスがいる。ギリシャ神話の半牛半人のアレである。

 

予想通り、そのミノタウロスギリシャ神話よろしく迷路内を徘徊していて侵入者を発見し次第追いかけてくるようだ。

 

もし捕まった場合はゲームオーバー。強制的に外に連行される。

 

もう一つ何か仕掛けがあるらしいが、それは入ってからのお楽しみ、とのことだ。

 

ちなみに無事にクリアできたグループは今日でわずか4グループというかなりの高難易度に設定されていらしい。

 

以上のことを踏まえて作戦を立てなければならない。

 

それぞれ受付から少し離れたところで作戦会議に入っている。

 

とは言っても、全員がほぼ同時に入ってしまう以上、作戦も何もない。

 

最初に入る人と最後に入る人では10分の開きがあるが、難易度の高さを考えるとそもそもクリアできるのかが怪しいので大した意味は無い。

 

「順番どうするか? 正直あんまり関係なさそうだけどな」

 

雪ノ下も同じ事を思っていたのか、大きく頷く。

 

「出来る事と言えば、最初の分岐でそれぞれ別の方向に行くと言う事ぐらいかしら」

 

「だな。立体構造じゃなさそうだし、一応迷路の法則は使えそうだからな」

 

「何その法則って。そんなのあんの?」

 

まだ機嫌が直っていなさそうな由比ヶ浜が首を傾げる。

 

「ええ、いくつかあるけれど道具無しで最も簡単に実行可能なのは、左右どちらかの壁に手をずっと触れさせたまま進むという方法よ」

 

「効率は決して良くないが確実にゴールできる。ただ、ゴールが外周沿いに無い場合と立体構造になっている場合は逆に絶対にゴールできないが。

とは言っても、施設の運用を考えると内部にゴールがあるのはどうしたって不便だから考えにくい。そして高さ的に立体構造は不可能だ」

 

「地下が造られている可能性は否定しきれないけれど、見たところ元はただの広場のようだし文化祭程度ではこれも現実的ではないわ」

 

「えっと、じゃあその方法は使えるんだね」

 

「そう考えていいと思う。明かされていない仕掛けが気になるけれど、それは臨機応変に対応していくしかないわね」

 

「順番は雪ノ下、俺、由比ヶ浜でいいか?」

 

方針がまとまったところで、一瞬由比ヶ浜に目配せをしてから確認する。

 

「あたしはそれでいいよ」

 

どうやら意図は伝わったようで、間髪入れず由比ヶ浜が応えてくれた。

 

「私も異論はないわ」

 

「分担は雪ノ下が左壁沿い、由比ヶ浜が右壁沿い、俺は真っ直ぐがあれば直進してから左壁沿いで、無ければ左壁沿いに行って最初の分岐で右に移る」

 

「それもそれでいいわ」

 

もちろん意図があっての順番と采配だがそれに気付くことなく雪ノ下は頷き、由比ヶ浜がそれに続く。

 

「んじゃ、作戦も決まった事だし、さっさと行くか」

 

受付の前に行ったが、隣人部は先程の俺たちと同様に少し離れたところで作戦会議をしていた。

 

「八幡君、順番は決まったかい?」

 

「ああ。こいつが一番最初だ」

 

投げかけられた質問に答えつつ雪ノ下を見る。

 

「そっか。さっきも説明した通りリタイアする場合はいたるところに非常口があるから、そこから出てね。ミノタウロスを捜してわざと捕まってももいいけど、こっちはあまりオススメできないかな」

 

「了解したわ」

 

口ではそう言いつつも、リタイアするつもりなど毛頭無いのは明らかだ。

 

相変わらずの負けず嫌いさんである。

 

「ああ、それと、いろいろと作り込み過ぎちゃって結構精神に来るものがあるから、不安を感じたら早めにリタイアしてねー」

 

なにやら恐ろしい事を超カルい感じで言う。

 

精神に来るものってなんだよ。

 

その時、すぐ近くでミノタウロスとおぼしき唸り声と悲鳴が聞こえた。

 

「うおっ!?」

 

「うわっ!?」

 

由比ヶ浜と同時に声を上げる。

 

近くで聞くと結構迫力あるな……。

 

視界の端では雪ノ下も肩が跳ねていが、平然を取り繕っているのが見なくてもわかる。

 

「やー、また誰か殺られたみたいだね」

 

そんなことをニッコリ笑って言う高山ケイトも十分恐ろしかった。

 

ほどなくして隣人部も受付前にやってきた。

 

「よし、早速始めようか。最初の一人は前に出て」

 

こちらからはもちろん雪ノ下、向こうからは黒髪鬱美人が出てきた。

 

二人して入口前に並ばされる。

 

「わたしとしてはあんまり勝負に拘らないで純粋に楽しんでくれた方が良いんだけど。……そういうわけにもいかなそうだね」

 

雪ノ下のあまりにも真剣な表情を見て苦笑している高山ケイト。

 

「ゆきのん、無理しないでね」

 

「ええ、無理をするつもりはないわ。その必要が無いもの。私に任せて頂戴」

 

無根拠に自信満々な様子の雪ノ下だが、未だかつてこれほど頼りにならない場面があっただろうか……。

 

「それじゃあ、ごゆっくり」

 

高山ケイトはニヤリと笑うと、扉を開け放ち二人を押し込むとすぐにその扉を閉めた。

 

「さて、次までは5分あるからそれまでに準備しといてねー」

 

そう言って受付カウンターから這い出ると、交代の生徒を呼びどこかに行こうとする。

 

「わたしはこれからうんこしに行くからちょっと席を外すよ。頑張ってね、お兄ちゃんに八幡君」

 

「ケイト……人前でうんこ言うのはやめろよ……」

 

羽瀬川の言葉に尻を掻きながら適当に返事をしてそのまま去っていく。

 

……あんな美少女がうんこしに行くとか言うのはマジでやめてもらいたい。

 

「ゆきのんだいじょぶかな……?」

 

固く閉ざされた扉を見つめながら由比ヶ浜が言う。

 

「どうだろうな……」

 

正直、未知数としか言いようがない。

 

あいつは大抵のことに関しては突出した能力を発揮するが、迷子になることにかけては完全に他の追随を許さない領域にいる。

 

さらに彼女の性格上自主的なリタイアはまずしないだろうから、最悪の場合いつまでたっても出てこない事態も想定される。

 

携帯電話もバッテリー切れで連絡は取れないから打つ手が無い。

 

ミノタウロスさんに捕まってくれれば御の字、と言ったところだろうか。

 

しかし、もしかしたら迷うことが前提である迷路であれば逆になんか正解の道を選ぶ可能性が考えられない事もないというかむしろそうであって欲しい。

 

勝つためには最低でも一人はゴールしなければならないのだから、雪ノ下も無事に到達してくれればそれにこしたことはないからな。

 

まぁ、なんにせよ俺がゴールすることが出来れば勝つ確率は上がる。

 

「ちょっと俺行くとこあるから、順番待ちしといてくれ」

 

「うん、わかった」

 

やれることはやっておいた方が良いだろう。

 

5分というのは意外と短いもので、すぐに俺の出発時間が来た。

 

もちろん高山ケイトは戻ってきていない。うんこしているのだから仕方がない。

 

交代で入った受付の人は先程俺たちが受けたものと同じ無駄に長い説明を後続の待っている人たちにしている。

 

待ち時間の退屈しのぎという配慮かもしれない。

 

彼らはまだしばらく待つことになるが、出発を控えた俺には時間がない。

 

行く前にやっといた方が良い事がいくつかある。

 

由比ヶ浜、行く前に一つ確認したいんだが」

 

「何?」

 

「お前自分がどっちに行くか覚えてる?」

 

「へ? ひたすら右沿いにいってればいいんでしょ?」

 

よし、ちゃんと覚えてたか。

 

由比ヶ浜は俺の表情から考えている事を読み取ったのか、軽く睨むような目付きをしてびしっと指差してくる。

 

「いくらなんでもそんくらい覚えてるよ!」

 

憤慨する由比ヶ浜を宥めつつ、追加の作戦を伝える。

 

「じゃ、その覚えているついでに入口の方向も覚えていた方が良いな」

 

空き時間を利用して軽く迷路の周囲を調べてみたところ、入口を正面として両側の側面には非常口がいくつかあるのみだった。

 

さすがに裏側には回れなかったが、必然的に出口は背面にあると言う事になる、ということを手短に説明する。

 

「とにかく入口との距離感を頭に入れておけば自分の居場所がざっくりでもわかるからな。気休め程度でしかないが」

 

「どっかいっちゃったと思ってたら一人でそんなことしてたんだ……」

 

意外そうな顔をした由比ヶ浜は、しかし次いでなぜかバツの悪そうな表情をする。

 

「てっきり受付の可愛い子を追いかけてヒッキーもトイレ行ってたのかと思ってた。なんかやたら仲良さそうだったし……」

 

「別に仲が良いって訳じゃねえよ」

 

てかたとえ仲が良かったとしても、連れションならぬ連れうんはないだろうに。

 

そもそも男女で連れうんは色々と問題だらけだ。

 

「でも、ヒッキーのこと名前で呼んでたし……」

 

「名前で呼んでたからって仲が良いってことにはならないだろ。例えばほら、たいていの人は織田信長のことを信長って呼ぶけど仲が良い奴なんて一人もいないし」

 

「でた屁理屈……」

 

「うるせ。俺は名前呼び=仲良しじゃないと言っているだけなのに、お前はそれは屁理屈だと言う。由比ヶ浜は、自分の意見は理論で他人の意見は屁理屈って言うような奴なのか? 酷い奴だな」

 

「ち、違うし! そんな酷いことしないし!」

 

「ほら、違うだろ。今お前が認めたように、名前で呼ぶのは仲良しこよしって訳じゃない」

 

「う、うん、そだね。 ……え? ……なんか違くない?」

 

ちっ、バレたか。完全に詭弁というか論点のすりかえだからな。

 

「まぁそんなことは置いといて、とにかくさっきの点に注意しといてくれ」

 

「……わかった」

 

まだ納得いっていなさそうな様子だが、強引に話を進める。

 

「それと、途中で雪ノ下を見つけたら合流しといてくれ。ほっとくと色々大変な事になりそうだからな」

 

「それは任せて。ゆきのんは別行動の方が効率いいとか言いそうだけど」

 

確かに超言いそうだ。まず間違いなく言うだろう。

 

「でもなんとか説得してみるよ。一人にしとけないもん」

 

……たぶん、お前のその気持ちをそのまま言えば大丈夫だ。

 

とは言わない。俺が言う事ではない。その必要もない。

 

由比ヶ浜は一人で楽しそうにというか嬉しそうに頷くとこちらを向く。

 

「ヒッキーもゆきのんが心配だったんだね」

 

……微笑みつつそんなふうに言われたんじゃどうしていいかわからない。

 

「……んじゃ、行ってくるわ」

 

微笑みが苦笑に変わったような気がしたが、背を向けてしまえばわからないので問題ない。

 

「うん、頑張ろうね」

 

後ろから聞こえる由比ヶ浜の声。

 

「……ああ、それなりにな」

 

……頑張ろう。

 

入口の前に立つと、金髪ビッチが横に立つ。

 

間髪入れず、受付の人が扉を押すと、ギギギギッっと軋みながら開いた。

 

「どうぞ、ごゆっくり」

 

先程の雪ノ下たちと同様に押し込まれるとすぐに扉が閉り始める。

 

完全に閉まるその一瞬前、扉の奥では並んだ由比ヶ浜と羽瀬川が何か会話をしていたのが目に入った。

 

だからどう、というわけではないが。

 

横では金髪ビッチが閉まったばかりの扉を憎々しい目付きで見ている。

 

だがそれも数瞬のことで、すぐに右奥の方へと突き進んで行った。

 

さて、俺も進むとしよう。

 

入口扉前は既に前方と左右に道が分岐していた。

 

俺が進むべきは前方の道だ。

 

壁は外壁と同様のペイントがなされていて、ところどころに継ぎ目があるにはあるが、模様から場所を特定するのは難しいだろう。

 

グループ客を考慮してか、幅は1.2メートル程度で二人くらいなら並んで歩くことは可能だ。

 

人生ソロプレイヤーの俺やもこっちにはなんの関係もないが。

 

とりあえず直進し、左の壁に触れる。

 

後はこの手を離さずひたすら歩き続けるだけだ。

 

ぜ、絶対離さないんだからねっ!

 

……よく考えたらこれって結構ヤンデレっぽい台詞だよな。

 

いやまあ、比喩なんだろうけどさ。

 

とりとめもない事を考えつつただただ進み続ける。

 

高山ケイトが言っていたように、作り込みは相当なものだ。

 

進んでも進んでも見えるのは全く同じグレーの塗装の壁のみ。

 

天井がないために空が見えるが、うまく高さ設定がされていて広場周辺に生えていた木々は見えない。

 

なおかつ曇っているために空でさえグレーだ。外観から推測した規模を考えても、しばらくはずっとこの光景を見せられ続けるのだろう。

 

いたるところに非常口があるとのことだったが、もう10分くらいは歩いていて相当数の分岐を潰しているはずなのにまだ一つも見ていない。

 

俺には壁に触れつつ歩き続けるという明確な指針があるからまだ良いが、これで何の目的も無くただ歩くだけになったり、本気で迷ったりしたら精神的な負担はかなり大きいだろう。

 

加えて、時折聞こえる雄叫びと悲鳴。

 

この状況で追いかけられたりしたらパニックを起こしてしまいかねない。

 

是非とも遭遇したくは無いものだ。

 

効率が悪い方法をとっているのはわかっている。

 

だが歩いても歩いても完全に同じ景色にいい加減にうんざりする。

 

きっともし俺が専業主夫になれなくて働くはめになったらこれと同じ光景を見るのだろう。

 

歩いても歩いても変わらない景色。

 

働いても働いても変わらない仕事量。

 

毎日毎日同じ職場に通い続け、同じ景色を見続け、やがては俺もその景色の一部になってしまうのだろう。

 

……絶対働かない。

 

ああ、情報量が少ない空間は駄目だ。

 

こうやって何も考えなくて良い空間に放り出されたら思わず自分を見つめ直しちゃうだろ。

 

目に映る光景はグレー一色だが、俺の歴史は真っ黒だからな。

 

白ヒゲガンダムが3、4体は発掘される勢い。

 

思考能力の一部が麻痺してきたところでようやく変化が訪れた。

 

件の非常口だ。

 

枠は黒と黄色の縞々にペイントされ、扉部分には赤い下地に黒い文字で『非常脱出口』とでかでかと書かれている。

 

見つけて思わずほっとしてしまい、実は俺もやや参っていた事に気付く。

 

ここでリタイアするつもりはないが、外の景色を見たい気持ちも相当にあったので、確認の意もこめて扉を開いてみる。

 

景色で大体の場所をつかめもするだろう。

 

だが、ノブを捻り手前に引いた俺が見たものは外の景色ではなかった。

 

見えたのはまたしても同じグレーの壁。顔だけ出して扉の外を見てみるが『→出口』との表示はあるが、一本道である事以外は全て迷路内と同じだった。

 

そういうことか……。

 

どうやら迷路全体をこのリタイア専用通路とも言えるもので囲んでいるようだ。

 

俺みたいにセコい真似をする奴への対策だろう。

 

さらに非常口はオートロックで迷路側からしか開かないと言う念の入れようだ。

 

本当に作り込んでるなぁ……。

 

とにかくチェックポイントともいえる目印を見つけたので一度頭の中を整理してみる。

 

ここは外周部であることと、かろうじて覚えている入口の方向とを照らし合わせると、恐らく入口から見て左側面の半分よりやや奥側といったところだろうか。

 

左側はおよそ半分程度制覇したと言って良いだろう。

 

そして俺が左の端部に到達したということは、歩くペースにもよるが、先に左側を攻めていた雪ノ下とそろそろ会うはずだ。

 

情報を交換し合う為にも、一度会っておくべきだろう。

 

壁に触れる手を右に切り替え、分岐を少し遡る。

 

いくらか前に通過した十字路まで戻り、まだ俺が通っていない分岐の前で立ち止まった。

 

壁沿いに歩き続けていれば合流できる箇所は必然的に限られてくる。まだ踏破していないところがある分岐がそれにあたる。

 

運が良かったのか悪かったのか、俺が通った道はほとんど全て分岐を潰せている。

 

おそらくはこの辺りで合流できるはずだ。

 

 

ほどなくして、雪ノ下がひょっこりと顔を出す。

 

「……比企谷君」

 

雪ノ下は俺を見ると、足早に近寄って来る。

 

「雪ノ下、遅かったな。待ちくたびれたぞ」

 

「待ってたの?」

 

実際はそれほど待ってもいないし、そもそも待ち合わせもしていないのだから待ちくたびれたはおかしいが、ただ単にアロハのおっさんの真似をしてみたかっただけである。

 

「いや、気にするな。……雪ノ下から見て左が俺が来た道だ」

 

「そう、了解したわ。では、次の分岐まで案内して頂戴」

 

「おう」

 

最低限の説明で言わんとしている事が伝わった。話が早くて助かるな。

 

歩き始めると雪ノ下がスッと隣まで来て並ぶ形になる。

 

「ああ、それと、非常口を見つけたから一応そっちも案内しとく。目印になりそうだからな」

 

雪ノ下は返事をせず、こくりと頷く。

 

ずっと歩いていたのだから疲れているのかもしれない。

 

少し歩くペースを遅くしてやるか。

 

こういう時間がとれるように雪ノ下を一番早く行かせたんだからな。

 

無論、迷子になって一番時間がかかりそうだから、というのもあるが。

 

非常口からはあまりはなれていなかったのですぐに着く。

 

「あれが非常口ね。確かに目印として使えそうね。入口と非常口それぞれとの距離関係を覚えていればおよその現在地がわかるもの」

 

「そうだな。で、入口はどっちだと思う?」

 

「あっちよ」

 

雪ノ下は非常口に背を向けて自信満々に真っ正面を指差す。

 

うん、まあ、そっちでいいや。

 

「じゃ、次の分岐に行くか。そこでまた別の道に分かれよう」

 

「……ええ」

 

目的の分岐に向かう道中、雪ノ下が口を開く。

 

「比企谷君、ミノタウロスは見た?」

 

「いや、まだ見てないな。何回か壁越しにすぐ近くにまできたっぽいが。雪ノ下はどうだ?」

 

「私もまだ出会っていないわ」

 

「なんか悲鳴を聞いてるとガチで怖いみたいだな。必死に走りまわる音がよく聞こえるし」

 

「そうね。出来ればこのまま出会わずにゴールしたいわね」

 

お前は走ると体力尽きそうだからな。

 

もし体力が尽きた雪ノ下を支えることにでもなったらそれこそ大変だ。

 

その状態で男子グループにでも出くわしたら全員ミノタウロス化して襲いかかってきそうで命がいくつあっても足らない。

 

むしろ須川君を筆頭としたFFFがやって来るまである。

 

「……本当に遭遇したくないな」

 

「対処方法が無い訳じゃないけれどね。逃げる以外の選択肢もあるわ」

 

「へぇ、そりゃ心強いな。じゃあもし出くわしたら何とかしてくれ」

 

「ええ、私も心強いわ。今は比企谷君がいるもの」

 

横目でちらりと見てくる。

 

「人を便利な盾扱いするのはやめろ」

 

「心外だわ。そんなことは思っていないのに」

 

「じゃあそのニンマリした腹の立つ笑顔は何だ」

 

俺が指摘すると、雪ノ下はわざとらしく表情を引き締める。

 

「比企谷君、決してあなたは便利な盾なんかではないわ」

 

じっ、と見つめてくる。

 

「な、なんだよ……」

 

「あなたは、使い捨ての盾よ」

 

そうかよ。

 

例によって雪ノ下は小さく拳を握ってドヤ顔をしている。

 

……まぁ、雪ノ下が楽しいんならそれでいいんですけどね。

 

いくらぼっちマイスターの俺でも精神と時の部屋並に何もない迷路で独りで黙って歩いているのはさすがに気が滅入るからな。

 

こうして歩くのも悪くはない、と思っている自分がやや意外だった。

 

 

やがて分かれるべき十字路に着く。

 

「俺は左に行くから、雪ノ下は右を頼む。これからは右側沿いに進んでくれ」

 

「……了解。次に会うときは、塀の外ね」

 

心なしかキメ顔で頷いた雪ノ下を確認して、背を向けて歩き出す。

 

なにやら囚人(俺)と面会者(雪ノ下)のような構図が一瞬脳裏にちらついたが気にしないでおこう。

 

より正確を期するなら囚人(俺)と刑事(雪ノ下)かもしれない。

 

それはさておき、このまま俺がこちらを攻略すればもしゴールが入口から見て左寄りにあればそう遠くない先に発見できるだろう。

 

逆に右側にあれば雪ノ下や由比ヶ浜が近くなる。

 

そして何より、あいつらが合流できる可能性が増える。

 

雪ノ下だけでなく由比ヶ浜まで勝負に拘っているが、本来の目的は別のところにある。

 

よくわからない勝負に巻き込まれてすっかり忘れていたが今日は文化祭に遊びに来ていただけのはずだ。

 

であれば、あの二人は別行動をするべきではない。

 

まあ、右に行かせたところで合流できるかはわからないが。

 

何となく後ろを見てみると、雪ノ下はちょうどくるりと背を向けて歩いて行くところだった。

 

さて、再び気の滅入る作業の開始である。

 

ここからは時間の問題ではあるが進んでやりたい作業ではない。

 

やりたい作業ではないが、やらなければいけないのであればちゃんとやろうとしてしまう自分の社畜根性が恨めしい。

 

このままでは将来養ってもらうつもりがなんだかんだで働いてしまいそうで怖いな……。

 

今から気を引き締めて、働かない道を歩み続ける決意を新たにする必要がありそうだ。

 

絶対働かない!

 

さあもう一度!

 

絶対働かない!

 

最初の角を折れると、俺の選んだ道は行き止まりだった。

 

……これは何かの暗示かと思ってしまうのは考え過ぎなんだろうな。

 

馬鹿な考えを振り払い、後ろへと引き返した。

 

先程雪ノ下と分かれた十字路を左に曲がる。

 

この道はやや長い真っ直ぐの道のようだ。

 

「比企谷くん」

 

振り返ると雪ノ下がいた。

 

「そっちも行き止まりだったのか?」

 

「ええ」

 

雪ノ下は答えると先に進む。

 

「そうか」

 

後ろからではその表情は伺い知れないが、やはり疲れているのだろうその足取りはやや重い。

 

俺はその背を追うように続いた。

 

由比ヶ浜さんは大丈夫かしら……」

 

雪ノ下がポツリと呟いた。

 

単なる独り言のような気もするが、一応答えておく。

 

由比ヶ浜っぽい悲鳴は聞いてないから、たぶんまだ無事じゃないか?」

 

「それはそうだろうけれど、何もミノタウロスに追われることだけの心配をしているわけではないのよ」

 

「……ああ、お化け屋敷の時の話か」

 

由比ヶ浜さんは『走って逃げれるから大丈夫』と言っていたけれど……」

 

元々遅かった雪ノ下の歩調がさらに鈍くなる。

 

まぁ雪ノ下の言うことはわからないでもない。

 

まさかこんな場所でそんな愚行を犯す輩がいるとは考えにくいが、しかしあの話を聞いた後では心配にもなるだろう。

 

雪ノ下のことだろうから迷路で勝負することを決める際に考慮しなかったはずはない。しかし今更それを口に出すというのはやはり弱気になっているのかもしれない。

 

「……そんなに心配なら、会ったら一緒に行動すればいいだろ」

 

いくらかの間をおいて、雪ノ下が小さく呟く。

 

「……そうね。……そうよね」

 

前を進む雪ノ下。その後ろを歩く俺。お互い前を向いたまま言葉を交わす。

 

「比企谷くん、あなたは、一人でも大丈夫かしら」

 

「はぁ? 誰にものを言ってるんだ? 俺はぼっちで過ごすことにかけては一家言あるぞ。自伝をラノベにしたらこのラノで上位に食い込むのは間違いないな」

 

「……そう。……でも、もし比企谷くんも心配なのだとしたら、一緒に……」

 

さらに小さい声で言う雪ノ下。前を向いているのでさらに聞き取りづらい。

 

……聞こえないふり、というのも相等に魅力的な案だがそれはできない。

 

やってはいけない事だと今日気付かされた。

 

俺はこいつとの距離感を、奉仕部との距離感を正確に把握している。

 

であれば、俺は明確にその立場を示すべきだろう。

 

「必要ない。お前がついてりゃ大丈夫だろ」

 

「……わかったわ」

 

今雪ノ下がどんな表情をしているのかはわからない。それは考えても仕方のないことだ。

 

だから、俺はそのことについて何も考えはしない。

 

一人で歩くより時間は多少かかったが、やがて次の分岐に着く。

 

「では私は右に行くわ、比企谷く

 

振り返りつつそう言った雪ノ下の表情が固まる。

 

「どうした?」

 

「う、うしろ」

 

震える声で言い、震える手で俺の後ろを指さす雪ノ下。

 

……もう大体察しは付いている。

 

このままダッシュで逃げようとも思ったが、あの雪ノ下があれだけびびっているのだ。これが振り返えらずにいられようか。

 

意を決して後ろを向くと、3メートルくらい離れたところに化物がいた。

 

もう、本当に化物。

 

足下の蹄まで赤銅色の短い毛で覆われた体は恐らく2メートルを超える巨躯で、頭はもちろん牛のそれだ。

 

牛とは言っても、ゆめ牧場あたりでモーモー言いながらのんきに草を食っている可愛いアイツらではない。

 

顔周りだけ毛が無く、いわゆるファンタジー風の骨々しく荒々しい造形をしていた。

 

両側に伸びた角は中程でねじれ、前に立つ者を狙うように突き出している。

 

首回りは体毛と同色のやや長い毛をしていて、胸と腰には金属製の防具。

 

極太の血管が浮きでた両腕は鎧のような筋肉を纏い、その手には全長1.5メートルはあるであろう両刃斧が握られていた。

 

刃の側面に幾何学模様が刻まれ、鈍い光を放つそれは重厚な存在感を放っている。

 

日曜朝のヒーローたちや、夏と冬の祭典に集うコスプレヤーたちが持っているような、いかにもプラスチックじみたものではなく、本物の鉄のような質感が見て取れる。

 

そして、その斧や体のあちこちにべっとりとこびりついた赤黒い何か……。

 

「ひ、ひきがやくん……!」

 

あまりの威圧感、存在感に呆然としていた俺の袖を雪ノ下が引く。

 

それが引き金になったのか、こちらの様子を窺っていたミノタウロスはゆっくりと斧を構える。

 

数瞬後、大きく息を吸い込むように胸を反らした。

 

「ヴォロロルルヴァラアアアーーーーッ!」

 

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

到底人間が出せるような声ではなく、まさに獣のような恐ろしい雄叫びを上げたミノタウロスはいつでも俺たちを叩き殺せるように斧を振り上げると、その姿勢のまま突進してくる。

 

俺と雪ノ下は同時に駆け出し、必死に逃げる。

 

雪ノ下は俺の袖どころか手首をつかんだままで、雪ノ下が本来の進むべき道とは別の方向に逃げてしまっているが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 

今は方針も何も全て頭から吹き飛びひたすら逃げる事しか考えられない。

 

走りつつ後ろを確認してみると、ミノタウロスは斧が邪魔になったのか、通路に投げ捨てると速度を上げてガチャガチャと腰当てを鳴らしながら猛然と襲いかかって来る。

 

「捨てんのかよ!」

 

無意味とは知りつつもつっこんでしまう。

 

「な、なに!?」

 

息を荒げ、若干涙目になっている雪ノ下がびくっとする。

 

「なんでもないっ!」

 

無我夢中で逃げ回り、何度も適当に角を曲がる。

 

雪ノ下はもう体力が尽きかけているのか、俺の腕を引く力が強くなっている。

 

再び後ろを確認してみると、直線では速かったが曲がるのはそれほど得意ではないのかミノタウロスの姿は見えず、また音もしない。

 

まだ安心は出来ないが、どうにか撒いたようだな……。

 

「なんとか撒いたみたいだが、大丈夫か?」

 

立ち止まり、雪ノ下に問いかける。

 

だが彼女はそれに答えることなく、床にへたり込んだ。

 

俯いたまま左手を胸に当て、どうにか荒い息を整えようとしている。

 

……まぁ、今は安全そうだし落ち着くまで待つか。

 

しばらくしてようやく雪ノ下が顔を上げる。

 

「ごめんなさい、もう、大丈夫よ」

 

そう言ってヨロヨロと立ち上がる。

 

全く大丈夫そうじゃないんだが……。

 

……まあ、そっとしといてやろう。

 

「にしても、あれは作り込んでるってレベルじゃないだろ……」

 

「……ええ、あれ程とは思わなかったわ。もし捕まったらと考えるのも恐ろしいわ」

 

確かに恐ろしい。たとえいくら迷路で迷ったとしても、あれに捕まるくらいなら野垂れ死んだ方がマシだ。

 

「正直、出くわすまではたいしたことないだろうと舐めてたけど、もう無理だな。次にちらりとでも視界に入ったら俺は迷わず逃げるぞ」

 

「……同感。もう、ほんとにいや……」

 

心底怯えた声で言いながら、雪ノ下はしきりに逃げてきた方向を確認している。

 

「それで、どうしましょうか」

 

「……今どこにいるか完全にわからなくなったからなぁ、取りあえずあっちに進んで適当なところで別れるか」

 

俺も逃げてきた方向を確認しつつ、来た道から見て左の方向を右手で示す。

 

雪ノ下はこくりと頷く。

 

「んじゃ行くか……雪ノ下、逃げるぞ!」

 

ミノタウロスが角から姿を現わすのを見て即座に走り出す。

 

追いつかれたようだがミノタウロスは投げ捨てた斧の状態を気にしていたようで、こちらを見ていなかった。

 

もしかしたら気付かれていないのかもしれないが、離れているに越したことはないだろう。

 

またしても何度か無作為に角を曲がる。

 

先程とは違い全力で走っているわけではないから、雪ノ下の状態もそこまで悪くはなさそうだ。

 

「ここらへんで別々に行くか。二人とも同時に捕まるのだけは避けなきゃだしな」

 

「えっ? ……ええ、その通りね」

 

立ち止まってそれぞれが行く道を指さす。

 

一度現在地を見失った以上、やれることはもうほとんど無い。

 

あとは適当にうろついて偶然のゴールにかけるか、非常口を見つけてだいたいのあたりをつけるかぐらいしか選択肢はない。

 

「じゃ、行くか」

 

「わかったわ」

 

……。

 

いや、あの、このままじゃ進めないんですが……。

 

「……雪ノ下、俺は左の道を左手で壁に触れ続けて進む。お前は右の道を右手で壁に触れ続けて進むんだぞ」

 

「わかっているわ。……あっ」

 

雪ノ下は目にも止まらぬ早さで背を向けると、右の道に入っていく。

 

「では比企谷くんまたあとで」

 

早口でそう言い残し足早に去って行った。

 

心なしか取り残される様な形になった俺も、探索を再開する。

 

ミノタウロスが近くにいる以上、これからは注意深く進まなければならない

 

また遭遇してしまったらあまりに恐ろしすぎる故に冷静ではいられないだろう。

 

まぁ自分で投げ捨てた斧を気遣っている姿は若干コミカルではあったが。

 

てか結局斧拾うんなら捨てんなよ、とも思ってしまう。

 

だが、その無駄な行為のおかげで逃げられているのだからこちらとしては都合が良いことは確かだ。

 

もしかしたら発見された際の救済措置としてそういう演出がなされているのかもしれない。

 

とにかく、もう俺に出来ることはミノタウロスに出会わないように祈りつつひたすら歩く事しかなかった。

 

ビクビクしながら迷路をひた歩く。

 

見通しが悪い故に常に耳を澄まして歩き、角を曲がる際には念のため様子を窺ってから進むようにしていた。

 

既に方向感覚が失われてから久しい。

 

ただでさえミノタウロスに追われて気が滅入っている上に、まるで代わり映えのない風景がさらに精神を圧迫してくる。

 

呼吸は浅く、鼓動がやけにうるさい。

 

俺は本当に進んでいるのだろうか。いや、そもそも迷路において進むとは一体何を指すのか。

 

俺は今、前進している。しかし、文字通り前に進んでいるだけに過ぎない。

 

隣人部の連中がミノタウロスに襲われたかは確認のしようもないが、俺と雪ノ下は遭遇してしまった。

 

その分時間を浪費している。

 

もしあれがなければ例の法則で今頃ゴールできていたかもしれない。

 

考えても仕方のないことではあるが、そうせざるにはいられない。

 

作戦上、こちらで機能しているのは既に由比ヶ浜だけだ。

 

俺はこんな状態だし、雪ノ下は体力が尽きるのは目に見えている。

 

このままでは負けてしまうかもしれない。

 

せめて、由比ヶ浜だけでも無事でさえいてくれれば。

 

しかしよくもまあ作り込んだものである。

 

その完成度は、一度でも現在地を見失ってしまったらのならもう二度と外には出られないのではないかと思ってしまう程だ。

 

正常な思考能力を奪う灰色空間、見る者に根源的な恐怖を抱かせるミノタウロス

 

聞こえるのは、風に揺られた壁が鳴らすガタガタという音と、時折遠くから聞こえる悲鳴だけ。

 

こんな状況で非常口を見つけたら、出てしまうのも頷ける。

 

俺たちがとったのと同じ、割とポピュラーな法則を実践していればほぼ確実にゴールだけは出来るはずだが、到達できた数が少ないのはそういう理由もあるだろう。

 

かく言う俺も、目の前に非常口があったら危ない。

 

一瞬も躊躇わずに出る自信しかないからな。

 

とにかく、非常口を見つけるまでは出来る範囲で出来るだけのことをやろう。

 

……もう既にリタイア前提で動いている俺、嫌いじゃないぜ!

 

何度かミノタウロスをやり過ごし、迷路内を徘徊し続ける。

 

覚悟を決めてからは不思議と少し気が楽になっていた。

 

人間、目標を決めてしまえばある程度の苦痛には耐えられるらしい。

 

まあこの場合の覚悟とは後で雪ノ下になじられる覚悟だが。

 

それさえ腹をくくってしまえば後は問題ない。

 

ない、はずだ。

 

気が楽になったと言っても、警戒を怠ってはいけない。

 

この様な状況で調子に乗るのは死亡フラグでしかないからだ。

 

それを示すかのように、角を曲がった先の袋小路に惨殺現場があった。

 

そこは通路より広く、小部屋のようになっている。

 

まあ惨殺現場と言っても学祭だからだろうが、そのまま死体があるわけではない。

 

しかし、食い散らかされたのか壁や地面の至る所に赤黒い血や肉片のようなモノが飛び散り、ズタズタに引き裂かれ血に染まった服と折れた剣、何か骨っぽいものまで落ちている。

 

グロいよ……。

 

ここまでの演出はいらねえだろ……。

 

長居したい空間ではない。

 

早々に立ち去ろうとしたが、奥の方の壁に何か文字らしきものが書いてあるのを目の端で捉えた。

 

好奇心も高精度な死亡フラグではあるが、さすがに見過ごすことはできない。

 

近くまで行き目を凝らす。

 

凝、である。

 

いや念能力使えねえけど。

 

まあ、気分だ気分。

 

壁には血文字でこう書かれていた。

 

テセウスは敗れた』

 

負けちゃったのかよ!

 

テセウスとは何か。

 

かなり有名な話なので知っている人も多いかと思うが、テセウスギリシャ神話の登場人物でミノタウロスを倒した英雄だ。

 

そのミノタウロス討伐の際にアリアドネちゃんから渡されたアイテム、『アリアドネの糸』が迷宮の脱出に必須のものとされている。

 

ついでに言えばテセウスはイケメン王子様であり、美少女のアリアドネちゃんに一目惚れされていたにもかかわらず離島に置き去りにしてその妹と結婚する鬼畜系リア充

 

……負けても仕方ないよね! よくやってくれたぜミノさん!

 

とにもかくにも、情報は得られた。

 

まぁまさか負けていたとは思わなかったが、ミノタウロスに関する逸話はこの迷路に入る前に高山ケイトから聞いていた。

 

割と短い間隔で繰り返し説明していたし、恐らく全員に聞かせてから入れているのだろう。

 

あの説明は設定厨のようにただ言いたいだけではなく、参加者の条件を平等にする為のものだったのだろうと今更気付く。

 

テセウスミノタウロスの討伐に向かったところまでは神話と同じ。

 

しかし、彼は敗れている。

 

ミノタウロスを倒せる者はもはや存在しない。

 

つまりどういう事か。

 

……ええっと、詰み?

 

なにこの無理ゲー。

 

そんなわけあるか。

 

……ないよね?

 

だ、だって高山ケイトはゴールできた4グループがいるとか言ってたし!

 

その言葉を信じるのであれば、何か必ず脱出の糸口があるはずだ。

 

まあ何かというか、一つしか考えられないが。

 

テセウスミノタウロスの討伐に向かい、敗れた。

 

その敗北した現場には血と肉片と装備以外何も残っていなかった。

 

肉体はミノタウロスが美味しく頂いたとして、足りない物がある。

 

アリアドネの糸だ。

 

恐らくそれは奴が何らかの形で所持しているのだろう。

 

そしてそれをどうにかして奪うのが脱出への一歩ということが推測される。

 

……やっぱこれ無理ゲーじゃね?

 

奪う方法は後回しにして、とりあえずミノタウロスを捜そう。

 

強奪するにしても、まずは何がアリアドネの糸とされているのかを確認しなければならない。

 

考え得るのは、最も直截的な物で言えば地図だろう。

 

次点でヒントが書かれた紙やそれに類する物といったところか。

 

あるいは更なるヒントへのヒントという可能性もあるがそれはやめて欲しい。

 

いずれにせよ、まずは確認、である。

 

にしても、あれだけ逃げ回っていたのにまさかこっちから捜すことになるなんてな……。

 

できれば由比ヶ浜や雪ノ下にこの情報を伝えたいところだが、まあ出会える望みは薄いだろう。

 

とにかくミノタウロスを見つけ出ださなきゃな。

 

捜し出す事自体は悲鳴を追いかければいいだけなのでそこまで難しい話ではない。

 

現に今も誰かが追いかけられている。

 

恐ろしい雄叫びが轟き、甲高い悲鳴が響く。

 

相変わらずミノさんは絶好調である。

 

いやミノさんとか言ってるけどマジで怖いからねこれ。

 

先に非常口見つかんないかな……。

 

悲鳴が上がった方へと進む。

 

襲われた人はどうやら撒いたようで捕まった気配は無い。

 

鬼畜リア充が食い散らかされたあの現場を見てしまった後では、捕まるとどうなるかは想像したくもない。

 

強制的に退場させられるとのことだったが、ひょっとしてこの世からの強制退場なんじゃ……。

 

あり得ないと思いつつも、奴はそれを完全に否定しきれないほどの迫力を持っているのは確かだ。

 

距離が近いようだし、念のため角でR1ボタンの覗き込み確認をする。

 

ダンボールさえあれば!

 

……大丈夫、いないようだ。

 

確認を終え、若干ホッとして角から身を出そうとしたその刹那、見覚えのある逞しい腕がチラリと見えた。

 

瞬間、全身が粟立つ。

 

無理矢理行動をキャンセルして咄嗟に壁に張り付いた。

 

まだ気付かれてないようで、ミノタウロスはカチャリカチャリと恐らく腰当てであろう金属音を鳴らしつつ近づいてくる。

 

その音が、気配が近づくにつれ全身から冷や汗が吹き出てくる。自然、心拍数は上がり聴覚に意識が集まる。

 

幸か不幸か、奴と俺との間を隔てているのは、壁一枚。すぐ近くにまで来ることが出来たようだ。

 

だが、ここからどうする?

 

このまま姿を晒して奴がアリアドネの糸らしきものを持っているか確認するか?

 

いや駄目だ! 正気の沙汰ではない!

 

そんなのは自ら死にに行くようなものだ。俺はまだ死にたくない!

 

落ち着け、あれは所詮中に人が入っている着ぐるみだ、と頭の中の冷静な部分が諭してくるが、もはやそんなレベルではない。

 

最初に遭遇した際に、既に恐怖は魂にまで打ち込まれている。

 

駄目だ。

 

無理だ。

 

あいつから何かを奪うだなんて不可能だ。

 

大人しく非常口を探そうか……。

 

息を殺し、どこかへ行くのを待つ。

 

しかし奴はこちらへと近づいているようだ。

 

このままでは見つかってしまう。

 

一旦離れようかと考えたところで、状況が変わる。

 

「ひっ!?」

 

誰かが小さく悲鳴を上げた。

 

位置関係で言えば、恐らくミノタウロスの後ろ。

 

もしその誰かを標的に定めたのなら、俺はミノタウロスの後ろを取れるかもしれない。

 

これは……チャンスだ。

 

タイミング的にも、精神的にも今しかない。

 

これを逃せば恐らく俺はもう二度と立ち向かわないだろう。

 

奪うとまではいかなくても、何か有益な情報を得るくらいのことはできるかもしれない。

 

ミノタウロスは毎度お馴染み獣の雄叫びを上げ、追跡を開始する。

 

今だ、覚悟を決めろ!

 

俺なら出来る!

 

諦めちゃ駄目なんだ、その日が絶対来る!

 

START:DASH!

 

「や、やめろ! 来るな!」

 

追いかけられている人が叫んでいる。

 

来るなと言われて逆に興奮した訳でもないだろうが、ミノタウロスが短く唸る。

 

俺はその毛深い背中を見失わないようにギリギリの距離で追いかけていた。

 

この距離から目視する限りでは何かを持っている様子はなさそうだ。

 

もう少し近づくしかないか……。

 

例によって邪魔になった斧が投げ捨てられた直後、不意に追いかけっこ×2は終わる。

 

逃走者は行き止まりにあたってしまったらしい。

 

その人は振り返ると、へなへなと腰を抜かした。

 

ミノタウロスはゆっくりと近づいていく。

 

俺は直前の角から顔だけ出して覗いている。家政婦とかそんな感じ。

 

「待て、来るな……」

 

追いかけられていた人は腰を抜かしたままずりずりと後ずさる。

 

てかあれ、黒髪鬱美人だね。

 

彼女は目に涙を溜めながら必死に距離をとろうとしている。

 

「待って、待って……やだ……」

 

しかしミノタウロスとの距離どんどん近くなり、ついに壁際まで追い詰められパニックを起こす黒髪鬱美人。

 

「や、やだ! 助けて! 助けてよぉ! こだかぁ!」

 

髪を振り乱しながら壁を叩き、ここにはいない羽瀬川に助けを求めている。

 

……赤の他人とは言え、正直かなり心が痛む。

 

だが俺に出来ることはなにもない。状況は既に詰んでいるのだ。

 

せめて、せめて由比ヶ浜たちがここから抜け出す為の、あるいは奴を打ち倒すための情報を得なければ。

 

かなり近くにいるが、やはり奴が何かを隠し持っている様子はない。

 

あえなく黒髪鬱美人は捕まり、斧を回収した化物に連行されていく。

 

さすがに食われるとか裸に剥かれるとかそういったことはなく、縛られたりもせず普通に前を歩かされ、時折後ろから化物がどちらに行けと指示を出す。

 

その間ずっと黒髪鬱美人はえぐえぐとマジ泣きしていた。

 

……悪いな。

 

敵チームとはいえ、あまりの痛ましさになぜか心の中で謝っている俺がいた。

 

 

続く

 

雪乃「さあ、三日月さん。あなたのその腐った性根を叩き直してあげるわ」 夜空「……はっ、やってみろ」3/4【俺ガイルss/はがないss】 - アニメssリーディングパーク

 

 

 

 

 

元スレ

八幡「青春ラブコメの主人公」

http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1341157107