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美琴「昨夜のこと思い出したら集中できなくなっちゃって///」【とあるss/アニメss】

 

 一枚のタオルケットの包まれた上条当麻は右手の軽さに違和感を覚えながら焦げ臭い匂いで目を覚ました。

 瞬き混じりで重い目を開けると匂いは明確に鼻腔に飛び込んでくる。

 寝起きの喉の粘着く不快感を覚えながら上体を起こし、パジャマ姿のまま周囲を見渡す。

 するとリビングと一体化したキッチンの方で僅かながら空気が黒ずんでいて、それを全開で動作する換気扇が吸い込んでは外部へ吐き出していた。

 コンロの前にはカエルのエプロンをつけたパジャマ姿の少女が失態をどう誤魔化すか、という表情で佇んでいる。

 こちらの視線に気づいたのか、通い妻たる御坂美琴は振り向いて、上条に冷や汗の混じった顔で、

 

「おはよう、ごめん、焦がしちゃった」

 

 と舌を出した。

 今の今まで火を使っていたのだろう、ほんのりと赤みが差している。

 

 時期は初夏の六月。土曜日から日曜日にかけての週末。

 木々はますます青々と茂り日差しは高くなり、空も成層圏まで飛び抜けそうな季節。

 例年のように続く異常気象とやらは今年も健在らしく、南北に長いこの国ではさっそく三十度を超える場所が出ているらしい。

 

 当然、その一つに学園都市も含まれている。

 アスファルトだらけのこの世界はこもった熱は重ねられていく一方。

 それでもやはり若さか、街には活気があふれている。

 

 そんな夏にも負けない熱い一夜を過ごしたはずなのだが、御坂美琴の表情にはそういった色合いは一切見られない。

 腕の中で息を荒げる彼女を独り占めしているという牡の興奮は確かに手のひらに残っているはずなのにあっけらかんとしたあどけない顔のまま。

 

 飾り気のないファンシーなピンク色のパジャマは身体のラインをはっきりと浮かび上がらせていて、それでいてとても健康的で。

 情熱的な昨晩とイメージは随分異なる。

 部屋の外さえ出なければそのまま日中過ごしても問題なさげに思えてくる。

 当然、化粧っけなどない。

 

「当麻、おはようは?」

 

「お、おはよう……」

 

「ん。一応出来てるからさ、顔洗ってきてよ。ベーコン真っ黒だし白身も焦げ付いちゃったけど黄身は無事なのよ。勿体ないから食べる?」

 

「あ、ああ」

 

 特段、これが初めてというわけではない。

 何度目かも数えることもできないほどの朝で、落ち着かない理由はないはずなのに上条は足元がフラフラとする感覚を味わっている。

 ゆっくりと洗面所へと足を運び、緑色のカエルの歯ブラシと並んでいる飾り気も何もない安物の歯ブラシを手に取る。

 そして歯を磨いて顔を洗った。

 濡れた顔面をタオルで拭うと洗面台の鏡の中に前髪と目の垂れた冴えない男がいた。

 当然、上条当麻その人である。

 ミント味の歯磨きと冷たい水とをいくら感じても心のモヤは晴れなかった。

(アイツ、なんでいつも平気なのかな――)

 

 

 拭いたはずの顔を再び冷水に突っ込む。

 瞬間止まる呼吸と息苦しさ。

 その中には僅かながら嫉妬のようなものが混じっている。

 

 御坂美琴

 学園都市の誇る超能力者の第三位。別名、超電磁砲

 あの夏から二回りしてより一層美しく成長した彼女は少女の笑顔のまま大人への階段を登っている。

 学園都市でも著名人である彼女の美しさは画面や紙面越しでは伝わりづらく、名前の割には窮屈な生活をしていない。

 だがそんなことを取り除いたとしても彼女はとても魅力的な女性として花開いていた。

 

 だからこそ、平々凡々な一学生である自分と釣り合っているのか――という思いが上条の中に少なからず存在する。

 それ以上に反発する心も確かに存在するのだが、一面で納得すらしている。

 元々他人の評価など気にせず自分が正しいと思ったことをやり遂げる意志の強さがあった上条当麻だ。

 一度感じてしまった疑惑というものはしつこく根を張る。

 

 別に、裏切っているとか、そういったことを考えているわけではないのだけれども。

 ただ、あれだけのことをした次の朝に少しぐらい照れるとか、恥ずかしそうにするとか、そういった仕草を、見たいという欲望がある。

 そんなことを考えている自分にもイラつきを感じている。

 

 子供っぽい、と自省するも自分は偽れない。

 酔っている最中にふと覚醒したら背中に道がなかった。

 欺瞞のような感覚に苛まれている。

 付き合ってから二年も経とうとしているのに少しも大人びていない。

 

 再び顔を上げて、タオルで顔を拭って。

 そして鏡から覗き込んでいる顔はとても平凡で不安げな表情をしていた。

 二年前から少しも変わっていない。

 彼女は髪を伸ばし始めて明確に自分から変わろうとしているのに、上条当麻という個性は髪型一つ変えられていない。

 

 はぁ、と吐く息が重かった。

 

「ちょっと、当麻! まだぁ?ご飯覚めちゃうってばぁ」

 

 壁一枚隔てたリビングキッチンから能天気な声が響いてきた。

 かくん、と首を落として、ぐい、と胸を張って、ぱんぱん、と頬を叩いて。

 少しだけ鏡の中の顔に気合が入る。

 

 暑い夏の朝にこんな顔をしていられるか、なぁ、受験生。

 特別な右手と誰にでもある勇気だけで世界を敵に回したかつての英雄は自身を平凡な存在と卑下しながらも前を向いた。

 

 しかし、やることはやはりごくごく平凡。

 リビングに戻って、朝食の並べてあるローテーブルの前に胡座で腰を下ろして。

 

「いただきます」

 

 と箸を掲げながら両手を合わせて一礼。

 

「うん、召し上がれ」

 

 元気の入った『いただきます』に機嫌よさげに微笑んだ美琴が艶やかな唇を優しげに綻ばせる。

 白いご飯、豆腐とわかめの味噌汁。ボウルに盛られたグリーンサラダ、焼き海苔と、切ったハムと、そして少し焦げ臭い目玉焼きの黄身が二個。

 それが上条の前に並べられていた。

 黄身は半熟が好みだがしっかり火が通っているものに醤油をかけて崩しながら白米と合わせて食べるのも結構乙なものだ。

 

「ハムはベーコンの代わりね。卵はボリュームなくなっちゃったから二つとも食べて」

 

 明るくニコニコした顔。

 フライパンを焦がしたことはもう気に留めていないらしい。

 別に大した事柄ではないし、それはそれで構わないのだが、この瑣末な出来事以上に言葉の中に悪戯を思いついたような色合いが混じっている。

 微妙な変化だが、上条にはそれがわかる。

 

「あとさ、フライパン焦がしちゃったから、新しいの買いに行きたいんだけど」

 

 男性としては長身とは言いづらい上条当麻と女性としては平均的な身長の御坂美琴

 それでも身長差はあるのだが、座ってしまえばまさに誤差の範囲。

 のはずなのだが、見上げてくるような視線は甘えてくるようで実のところ逆らえない響きを持っている。

 しかもその響きは上条の警戒心とか猜疑心とか、そういったものを溶かす効果すらあった。

 

「……付き合え、って言うんだろ?」

 

 その返事を聞いて、少女が満面の笑みを浮かべる。

 ぱん、と両手を目の前で叩いて、さもいいことを思いついた――実のところ、最初っから考えていたのだろうけれども――といった趣きで言葉をつなげる。

 

 

「デートしようよ、久々にさ。なぁんか、当麻も勉強ばっかりで鬱憤溜まっているみたいだし。私も一回自分の部屋戻って着替えてくる。十一時ぐらいに待ち合わせ。いいかな?」

 

「ん、そうだな」

 

 確かに、そういった外出は随分と自粛しているような気がする。

 なんだかんだで美琴の笑顔は可愛い。

 化粧なしでも人前に出れる程度、との自己評価が高いのか低いのか、少なくとも上条にとっては満点でありとても素敵だ。

 週に四日は泊まり込んでいていつでも見られる笑顔なのに、見るたびに綺麗になっているような気がする。

 上条は心の虚に巣食った黒々としたものが小さくなっていくのを感じていた。

 

 

 閑話。

 

 テフロン加工が施されているフライパンは焦げ付きにくいのだが絶対ではない。

 ましてや金タワシでギシギシやってしまえばどうしようもない。

 学園都市の最新技術は安物には適用していないらしく外部の同程度の品より若干安いくらいで、だったら真面目に説明書通り使うように。

 そうすればもっと長く使えました。

 焦げつかしたのは私が悪いんだけれども。

 と、着替えて自宅へ帰宅する直前の美琴から軽いお説教を喰らう上条であったがまさに余談。

 

 

 閑話休題

 午前十時。

 

「はああ……」

 

 

 机替わりにしているローテーブルの上で勉学に励んでいた上条さんはカラフルなノートを放り出してフローリングに絨毯敷の床に大の字に寝転がった。

 中に放り投げたシャープペンシルがくるくると軸方向に回転しながら放物線を描き、みごと、スタンとローテーブルの上に落ちる。

 

 現在のところ成績は上昇中。

 狙うは教育学部世界史系。

 必須科目は歴史に国語に英語。特に英語が鬼門だ。

 世界史日本史に関して言えば「高校の教科書を完全に理解してれば余裕でマスターには入れるよ」との美琴の言葉があって、その助言通りに行動している。

 具体的には五十年単位のイベントを一枚の紙に纏め、紙の上で様々な色で線を紡いでネットワークを構築。

 それで発送を連鎖させるというもの。

 

 十四世紀の朱子学後醍醐天皇の思想←→当時の武士が求めていたもの。

 朱子学←→陽明学王陽明→実践的な儒教思想大塩平八郎が求めていたもの。

 などなど、とにかく横に横に繋げていく方法だ。

 ひとつを忘れてもほかの事柄から連想が効く、という時間はかかるが忘れない方法である。

 これをどんどんとつなげていくと何かしら魔法陣のようなものが出来上がって妙に感心したりする。

 

 この方法が英語では使えない。

 まずは単語を丸暗記。

 八百程度の単語を覚えれば大体意味はわかるというが、上条の脳はイミのない単語の羅列を覚えるのはとても苦痛なのである。

 

 しかしまぁ、それでも昔に比べれば実感はある。

 ひとつ屋根の下で他の誰かと過ごす経験は初めてではないが、あの時には感じなかった華やかさが充実感をくれる。

 いい刺激となって勉学に打ち込める。

 届かなかったものに手が届くという感覚は一度知ってしまえば病みつきになる。

 恋人が努力で才能の階段を駆け上がった気分が少しだけ理解できた気がした。

 

 寝転がったまま上条は携帯電話に手を伸ばした。

 御坂美琴と無料で通話できる契約を結んだ――実際問題、直に会話する方に傾きすぎていてほとんど役になっていない――小さな端末。

 学園都市の外側のスマートフォンなどとは比べ物にならない高機能ながらもそのすべてを使いこなせない科学の末端はディスプレイに時刻を表示していた。

 

 

(そろそろ、いくか。上条さんは紳士ですから、女の子を待たせたりなんかできませんのことよ)

 

 たった二時間弱ではあるが、とにかく机には向かった。

 習慣は途切れさせないことが大切である。

 ましてや学園都市で数える程の天才でもなければ完全記憶能力者でもない上条当麻にとっては日々足掻くことこそが最大の武器である。

 この敵ばかりは勇気と度胸ではどうにもならない。

 

 もっとも、負けるつもりはさらさらない。

 二年前ならいざ知らず、今は心強い味方がついている。

 隣にいないだけで二時間がこんなにも長くなる。

 

 起き上がって壁にかかったハンガーに手を伸ばす。

 こんな時ぐらい、少しオシャレをしなくては。

 ファッション誌そのままのコーディネイトという事以上の努力は望めない上条さんである。

 が、ひとまず恥ずかしくないコードを揃えて暑い初夏の日差しの中に飛び出していった。

 

 暑い。

 暑すぎる。

 照りつける日差しが容赦なく街路を行く若者たちを焼き付ける。

 すかっとするさわやかな光、というよりはあちい鉄板の上でゆらりと揺れる陽炎のような熱気に近い。

 

 学園都市は成績優秀者にはとても寛大だ。

 上位何名、で足切りはしない。

 推薦枠もそれなりに広い。

 もちろん、上位と言われる研究機関を並立した大学への推薦は実際に研究で結果を出したかどうかで左右される。

 が、無能力者だから、研究者ではないからといってその道が閉ざされているわけでもない。

 

 要するに、三年生の夏までの成績が優秀だ、と判断されればそれなりの数の生徒が受験から解放されるのだ。

 

 当然ながら全員が全員受験進学を目指しているわけでもないし、いくら多いとは言え推薦枠は一般受験枠よりは狭い入口となる。

 それでも今頑張れば解放される、と夏から秋にかけてのこの時期に妙に気合の入った学生たちをあちらこちらで見かけることになる。

 踏ん張りどころ、というやつだ。

 

 実際、進学校ではない上条の学校、同窓生の吹寄制理という巨乳の健康オタク委員長、対上条に置ける鉄壁ガード能力保持者がこの推薦枠に挑んでいる。

 ピリピリしてるから刺激をしないようにしておこう、と思っていたところを危険な青い髪の変態が、

 

「あの日、やな」

 

 とか余計なことを言ってくれたおかげで何故か上条に鉄拳と石頭が飛んできたが、それもまた学園都市の風物詩の一つ――なのだろう、たぶん。

 

 とにかく、暑いだけではないのだ。

 受験生となるまでは気づかなかった様々なひとの意思の形が学生だらけの街のあちらこちらに浮かんでいる。

 それをなんとなく感じ取りながら上条は薄く汗の浮いた額をスポーツタオルで拭いた。

 

 それほど距離を歩いたわけではない。

 公共機関、交通網が発達した学園都市だ。

 繁華街、第十五学区へと移動するのにほとんど足は使わない。

 

 そのはずなのだが、うっすらと脇の下あたりが湿っぽい。

 身体が体温を下げようと勝手に反応しているのだ。

 ただの無能力者、一般人たる上条にはどうしようもない。

 そして今ここで天を恨んでいる人間は皆そうなのだろう。

 

 焼き煉瓦の赤い歩道。

 夜中に搬入のための車両が通行する以外は歩行者天国となっている車道エリアもあって、歩道部分は歩くというよりも街路樹の影で涼を取る空間となっている。

 右を見ても左を見ても私服の男女が誰かを、或いは誰かたちを待って自己主張の激しい太陽を憎らし気に見上げている。

 

 大きな噴水のある広場の、鏡面仕上げの現代アート

 キラキラと眩しいそれを前にして上条は植え込みの煉瓦部分に腰掛けていた。

 ふと見れば隣にカップルが座っていてイチゴ味のフラッペをふたりで美味しそうに訳あっていたりする。

 微笑ましい反面うっとおしいのは上条の待ち人が来ないからだろう。

 まだ本格的な夏は遠かりし、という時期であるのにもうこれか。

 

 すぐ近くのショッピングモールに行くための待ち合わせ場所として指定されているこの場所には多くの人たちが足を休めている。

 きちんとしたチェアだけではなく、縁淵や、場合によっては地べたに座り込んでさえいる。

 最近の若者の下半身の能力低下は嘆かわしいとかそういった記事になりそうな光景だ。

 

 そんな上条の前にふと淡い影が降りた。

 見上げればひとりの少女の影。

 見上げれば淡いモスグリーンのシャツに肩口で切った洗いざらしのリネン地のジャケット。

 シャツよりも濃いグリーンのチェニックのショートスカートからは健康的な素足が覗いていて白いかかとを浮かばせたまま可愛らしいサンダルへと帰結している。

 明るい色の髪の毛はピンク色のシュシュで耳から上の髪を纏めていて大人の色気を醸し出していた。

 

「お待たせ。暑かったでしょ、これあげるわ」

 

「わり、ありがたくもらうわ」

 

 言って、半分ぐらい飲み干したであろうペットボトルを差し出すのは御坂美琴

 幸いというべきか、インタビュー記事などで見せる顔よりも健康的なオーラが強くて周りの人間には気づかれていない。

 もっとも、それは恐らくは数分だけの沈黙であるのでさっさと逃げるのが上策なのはいつもの通り。

 

 立ち上がった上条はペットボトルを受け取って一気に飲み干し、ぐいと握りつぶして通りすがりのお掃除ロボットへ用済みの容器を投げ捨てる。

 そして彼女の手を引いてお目当てのショッピングモールへと移動しよう――としたが。

 

「こら、なんかいうことないの?」

 

 美琴は目尻を釣り上げ、腰に両手を当ててむくれていた。

 

「ごめん。似合ってる、可愛いよ」

 

「うん、よろしいっ!」

 

 これが会った頃であったのならばこんな気障なセリフを上条が吐くことはできなかっただろう。

 少女も言葉より先に電撃を飛ばしていただろう。

 それをぱんと不思議な右手でかき消して、更に機嫌を悪くした少女が無闇矢鱈に電撃を飛ばしまくって少年が夜の街を逃げ回る。

 そんな光景になっていたのかもしれない。

 

 だが、今はそうではない。

 お互いを意識している。

 

 大輪の向日葵のような満面の笑みの恋人の手を改めて握りなおす。

 小さくて華奢な手で、少し力を入れてしまえば壊れてしまいそうに思える。

 大切にしなくちゃな、と再確認した。

 

「じゃあどこ行こうか。いきなりフライパンっていうのは面白くないだろ?」

「そうね。家具とか家電とかパッと見てさ、めぼしい物見つけたら一回遊ばない?色々あるみたいなのよ、ここ」

 

「オッケ。お姫様の言うとおりにさせていただきますのことよ」

 

 強く右手を握り占めてくる少し下から見上げる視線。

 太陽ではない熱さをふたりして感じながら二人は次の場所へと歩みを進めた。

 

 風を裂いてボールが飛んでくる。

 一度コートでバウンドしても威力はまったく衰えない。

 それを上条はタイミングよく打ち返す。

 だがひと呼吸つく間もなくネットの向こうから再びボールが襲ってきた。

 足の親指に力を込めてダッシュし、勢いそのままに腰から上半身を回転させる。

 すぱん、という小気味いい音がした次の瞬間にはボールは相手のコートの隅でバウンドして消えていった。

 

「あーあ、これでマッチポイントか。アンタ、テニス初めてじゃないわね」

 

「一応学校でルールは覚えた。でも素人って言っても過言ではないのですのよ?」

 

「ふぅん。運動神経いいのねぇ」

 

 シャツとスコートを組み合わせたシンプルなテニスウェアをまとった美琴がラケットを肩の上に乗せている。

 柔らかな日差しを反射してとても魅力的だ。

 空は青く澄み渡り空気は肺に新鮮で気分爽快――と言いたいところだが、ここは実はショッピングモールの地下である。

 涼し気な高原の環境はすべて作り物で実際はコンクリートの箱の中で発汗している。

 だが脳に酸素が回っていないのか、分かっていても感じはしなかった。

 

 実際、ちょっとしたウォームアップ程度のつもりだった。

 元々、汗をかいていて不快な部分もあった。

 ウェアに着替えてプレイしている間に洗濯乾燥までしてくれるサービス――しかも無料だそうだ――に釣られたのだが。

 いざ始めてみればふたりして夢中になっている。

 

 常盤台で経験豊富の美琴の圧勝か、と最初は思われていたがとにかく勘のいい上条の動きにゲームは五分五分で動かなくなっていた。

 とにかく真剣になって審判をつけなかったのが惜しいぐらいに盛り上がっている。

 一ゲーム目はなんとか拾った美琴だったが、もう一回と挑まれた二ゲーム目では土俵際にまで追い込まれていた。

 

 鋭いボールを追いかける。

 美琴の視界には自分と同じような白いウェアの上条の姿が。

 悔しいけれども、正直かっこいい。

 ネット際での反撃はギリギリのところで上条に捉えられる。

 

 経験ではやはり美琴の方が何枚も上なのだろう。

 体力も女の子としては最高クラス。

 それでも上条に敵う気がしない。

 そして、そのことを悔しいとも思えない――かっこいいな、と思ってしまったことは悔しいのに――自分にも気づいている。

 

 一方の上条にも余裕はない。

 溺れないように足掻いている、その足掻きがたまたま成功しているだけなのだから仕方があるまい。

 それに、その足掻きも少しづつ真剣さを失ってきている。

 艶やかな頬を高揚させて額に玉の汗を浮かべながらボールを追いかける恋人に見惚れる瞬間があるのだ。

 

 伸縮性のあるシャツは身体にフィットしてラインを顕にしているし、伸ばしている髪を纏めたポニーテールが急制動の動きに跳ねる様も美しい。

 ラケットを振れば胸元が揺れるしスコートが翻る。

 そんなことを気にしてては負ける、と分かっていても男は悲しい生き物なのだ。

 

 結局。

 マッチポイントまで追い込んでおきながら上条は二連敗という結果になった。

 激しい応酬の上、美琴のキレのあるサーブを打ち返した、までは良かったのだが。

 天井近くまで打ち上げられたボールは格好の餌食で、ニンマリと勝利を確信した笑みを浮かべてのスマッシュとボールの弾ける音で決着がついたのだ。

「まだまだよね、アンタも」

 

 ふふん、と得意げに鼻を鳴らした美琴を見て上条の虚脱感や無念も微笑ましいものに変わる。

 結果はどうであろうと気持ちよく汗をかけば心もスッキリする。

 同じ場所で同じように汗をかいたのだから連帯感のようなものも感じ取れる。

 単純に独占欲を満たしてくれている。

 

 そうして、はいっとタオルを頭から被せられた。

 背伸び気味に子供のようにゴシゴシと汗を拭われる。

 

「――少しはさっぱりしたかな?」

 

 と、言葉を追加された。

 

「え?」

 

 上条がまだ荒い呼吸のままタオルの中で疑問符を上げると同じように呼吸の荒い少女が小首を傾げて応える。

 

「なぁんか、朝不機嫌そうだったからさ。勉強のし過ぎでストレス溜まってんのかなーって。ここは偶然だったけど、何かしら運動させたいなぁって思ってたのよね」

 

「それは、その……うん、ありがと」

 

 正直に話せることではないし、心の淀みもなくなったことは事実だ。

 酸素不足の肉体のおかげで頭がバカになって余計なことを考えなくなる。

 それが悩みを軽減することは確かだろう。

 

「……その、昨夜も汗はかいたけどさ、あれは別物だしね」

 

 そして、聞き取れないほど小さな声で美琴が呟いた。それを上条は見逃さなかった。

 火照っている。

 テニスであれだけ動いたのだから当然だ。

 しかしそれだけではない。そう思えて、確信した。

 美琴が、恥ずかしがってる。

 

「ば、オマエいきなり何を……」

 

 上条も美琴以上に頬を赤くする。

 心臓のあたりできゅうという音がして舌が微妙に引きつった。

 とても可愛いし、何よりも嬉しい。

 なんとも思っていないわけではない。

 

 思い返してみれば純情もいいところでちょっとしたからかいにですら顔を真っ赤にして電撃を飛ばしていた娘である。

 本質がそう簡単に変わるわけじゃない。

 ポーカーフェイスなのかどうかはわからないにせよ、上条の思い込みは自意識過剰だったと証明された。

 

 そして、微妙に甘ったるい粘性の空気が流れる。

 その重さに耐え切れなくなったのか、漫画で言えば頬に斜線を入れた美琴が上目遣いで呟いた。

 

「あ、あのさ。ついでだから言っちゃうけど。今朝、焦がしちゃったの、昨夜のこと思い出してたら、だかんね」

 

 

 だから半分以上はアンタが悪い、と取ってつけたような反論。

 そのまま上条の胸元にどん、といいパンチを入れる。

 

 そしてタイミングがいいのか悪いのか、その瞬間上条の胃袋がくぅと鳴った。

 思わずふたりでその場所を覗き込んで一緒のタイミングで顔を上げる。

 見つめ合う形で唇を歪めて、そしてふたりして大声で笑い出した。

 美琴などはお腹をかかえて笑っている。もしかしたら自分の腹の音が出るのを防いでいるのかもしれない。

  

「んもう、シリアスをコミカルにしちゃうんだから」

 

 箸が転がっても笑う年頃のふたりだ。

 ネジが外れたように笑って笑って、屋外に見える室内の空間を勧笑の響きでいっぱいにする。

 そして笑い疲れたのか、目尻に涙を浮かべながら白い歯を見せる少女はもう一度拳を握りしめて、今度は上条の腹を叩く。

 

「どうする?ボリューム優先でいく?今ならきっとなんでも美味しいと思うけれど」

 

「お姫様のおっしゃる通りに」

 

 言って。

 また笑い合って。

 とりあえずのところはシャワーを浴びて着替えるという点で一致したふたりは十五分後の待ち合わせ時間を指定したあとそれぞれの更衣室へと移動することにした。

 

 

「わぁ……」

 

 美琴が目をキラキラさせて見ているのはカラフルな色合いのクレープの移動販売車だ。

 なんと、五百円以上のクレープを頼めばファンシーなカエルのストラップがついてくるという。

 

 あれから軽く食事を済ませ新しいフライパンを買い込んで、ついでにウィンドウショッピングをしながらあちこちケチをつけたりつけなかったりして。

 どこにでもいる恋人同士の当たり前のデートを楽しんで。

 夕暮れにはまだ遠いけれどももうすぐ気配が漂ってくるような、そんな時間。

 まだ空腹には程遠い。

 

「食べてく?」

 

「いいの?」

 

「いいもなにも、ゲコ太見た瞬間に美琴センセーの足が止まってるんですけど」

 

 ありがと、という一言とギュッと右腕に抱きついてくる薄い胸の感覚。

 やれやれ、と思いながらも張り切ってアイスクリーム屋に向かう美琴に上条は引きづられる。

 左腕に下げた鍋の入った買い物袋が上条の動きからワンテンポずれて振り子軌道を描いた。

 

「うーん、アイス苺チョコも捨てがたいしバナナカスタードも好きなんだよねぇ。

 あ、ルバーブなんてのもある。迷うなぁ。

 当麻はどうするの?」

 

「いや、上条さんそんなにお腹がすいてな――」

 

 ギロ。

 瞬間、歴戦の勇者ですらも背筋が凍りつくような殺気のこもった視線が上条を貫いた。

 

「た、食べます。じゃあ、このルバーブってやつで……」

 

「あ、私もそれにしようか悩んでたのに」

 

「じゃあ変える――」

 

「カエル!?」

 

 美麗淡麗。後味爽やか。責任感の強いアネゴ系。

 であるはずの御坂美琴さんであったが、ことカエルのマスコットキャラが絡むと人格が変わる。

 限定とか余計な二文字がついているのも問題かもしれない。

 明日から毎日通う……でも学校帰りにここに寄ってたら夕飯が……いっそのことここで全キャラ制覇……

 などなど、聞こえなくてもいい呟き声がすぐ隣から聞こえてくる。

 背中に冷たいものを感じさせる上条さんを他所に、バナナカスタードとやらを注文した美琴。

 チラチラと視線を限定の二文字に送りながらもちょっと引いた店員さんがクレープを焼き上げるのを待つ。

 

 

「ところで、ルバーブってなんなんだ?」

 

「そういう植物よ。見た目はフキに似てるのかな。ちょっと酸っぱいけどジャムにすると美味しいのよ。ここもそうみたいね。

 確か日本でも昔から自生していて古事記とかに『大黄』という名前で書かれているのよ?」

 

「いや、これまで生きてきて一度も聞いたことない名前なんだけど」

 

「アンタはもう少し常識ってやつを広げたほうがいいわね。常識知らずの右手を持ってる割には小市民なんだから」

 

「やかましいわ。将来の夢は真面目な公務員なんですよ上条さんは」

 

 教育学部を目指している一学生と超能力者第三位とのたわいのない会話。

 そうこうしているうちにくるりと巻き上げられたクレープをそれぞれの手に持ってお会計を済ませてしまう。

 そのまま移動販売車前に置かれている安っぽいプラスティック製の長椅子にならんで腰掛けた。

 きらりと口元を光らせているものと不敵に笑う二種類のゲコ太を手に入れて満面喜悦の美琴とは異なりクレープの甘い匂いに上条は軽い胸焼けを覚える。

 パクリ、と小さな口で食いついてもしゃもしゃと咀嚼する美琴はそんな上条を不思議そうな目で見ていた。

 

「食べないの?クリーム溶けちゃうわよ?」

 

「いや、想像以上に匂いが甘くて……」

 

「いい生地の証拠よ。流石に本物は使ってないけどいいエッセンス使ってるわ、苦味とか混じってない」

 

「そういうもんですかね」

 

 ルバーブの酸味ある匂いは嫌いではないのだそれ以上に生地から発するバニラ臭がきつい。

 かと言って食べないわけにもいくまい。

 決心して、かぶりと一口。

 

「こ、これは――うまいっ!」

 

 確かに酸味が強い。

 レモンとかの柑橘系より強いかもしれない。

 だが決して不快ではない。

 緑色の混じった紅のジャムはジャムなだけあってかなり甘いが生クリームはほとんど甘味を感じさせない。

 随分と砂糖を減らしているのだろう。

 二つが口の中で交じり合うとちょうどいい、より少しだけ物足りない甘さに変わる。

 その物足りなさが胃袋を蠢動させて勝手にスペースを作る。

 身体も喜んでいる味だ。

 

「そっか。よかったじゃない。じゃあこれも食べてみない?」

 

 言って、一口欠けたクレープを差し出す美琴。

 急速に感じた空腹感のおかげで甘さへの嫌悪がなくなった上条はそのまま首だけ動かして齧り付いた。

 

「うん、これもなかなか」

 

 これも思ったほどに甘くない。

 カスタードクリームの甘さが生クリームで軽減されて口当たりが軽い。

 バナナは色焼け防止のためかレモン汁をかけてあるらしく、またその酸味がいい。

 ルバーブジャムとはまったく異なるのだが甘さと酸味のバランスがとてもいいのだ。

 

「こらこら、私にはくれないの?」

 

「我儘お嬢様だな。ほら、たぁんとおあがり」

 

 フライパンを膝の上に乗せた上条が美琴にルバーブクレープを差し出す。

 いただきます、と一言いって、そして少しだけ躊躇って。

 

「間接キス、かな」

 

 少しだけ頬を染めた悪戯っぽい目で。

 小悪魔のような上目遣いで。

 子供のようなことを言って、パクリと噛み付く。

 

 当然、少女は口が塞がる。

 そんな言葉を聞かされた上条は唖然としながらも沈黙している理由を奪われている。

 たいしたことをしているわけじゃない。

 一緒にいると落ち着くし、楽しいし。心が落ち着く。

 だが今の一言で頭の中で火花がバチバチなった。

 これ以上のことなんか、いくらでもしているはずなのに。

 

「今更何を言ってるんだよ――」

 

 正しいはずの反論はとても弱々しく、真摯に向けてきた瞳に一気に化けの皮を剥がされる。

 ぐぅ、と何も言葉を発せない。

 そして沈黙のままの少年の前で少女は、ぱあ、と顔を輝かせた。

 そのまま、うんうん、と勝手に納得してしまう。

 

「要するにアンタ、私に惚れ直したってことよねー」

 

 大問題の大発言。

 しかもそれがあながち間違っていないからタチが悪い。

 いや、あながちどころの問題ではない。否定する要素がどこにも見当たらない。

 

 

 しかし、だ。

 時間も押してきて段々と人通りが寂しくなりつつあるとは言っても公路であることには違いない。

 こんなことを大声で言われては、そのなんだ、大変困ることになる。

 思わず上条は持っているルバーブクレープを美琴の口へと押し付けた。

 一瞬、むっとした顔をするも大人しくそれを頬張り始める。

 

 つかの間の沈黙の後、

 

「アンタはホント、子供なんだから」

 

 との温かいお言葉。

 しょうがないな、との顔つきは母親が子供を叱る時のそれ。

 ここでもう少し色っぽいこととか言いなさいよねー、とさらにダメ出しが重なる。

 

「オマエが言うのかよ。フライパン焦がすぐらいのおっちょこちょいが」

 

 照れくさそうに言い返したものの、上条は自分自身が子供であることはまったく否定することはできなかった。

 悔し紛れのようにクレープを口にする。

 それは酸っぱくて甘くて、わずかにほろ苦いように感じた。

 

 なんとはなしに空を見上げる。

 高いビルに切り取られて狭くなった世界はそれでも青々しい。

 雲一つなく突き抜けている。

 

「しかしいいのか? 買って帰るのフライパンだけだなんて。ほかに欲しいもんなかったのかよ」

 

「そうだねぇ。お醤油と油がなくなりそうだし。せっかく持ってくれる人がいるから重いもののまとめ買いとかしたいかな」

 

「いや、そうでなくてね。美琴の私物でね。服とか靴とか、アクセとかなんかないのか?」

 

 意外と寂しい帰りの荷物に疑問を持つ上条。

 それに所帯じみた言葉を返す御坂美琴

 はむはむ、と残ったクレープをリスのように口に押し込んで、ごっくんと飲み込んだあと、彼女は勢いよく立ち上がった。

 そしてその場でくるりと振り返る。

 

「今一番欲しいものはね――誰かからもらうんじゃなくって、自分の努力で本物にしたいんだ」

 

 言葉は奇しくも上条当麻御坂美琴に教えてもらった感覚そのもの。

 陽光に輝く笑顔が眩しい。

 とても前向きな笑顔。

 その笑顔のまま、ぐいと上条の目の前に拳を突きつけ、コインを発射するように親指を折り曲げた。

 

「覚悟しておきなさい。そんときになって慌てて間に合わなくなっても知らないわよ」

 

 親指が弾ける。

 見えないコインがくるくる宙を回って、美琴のどーん、という声と共に上条の中の何かを貫く。

 それは決して右手でなんかじゃ防げない。

 

 何を言っているのか具体的なことはわからない。

 しかし挑戦的なセリフと自信にあふれた言い回しは誠に持って彼女らしい。

 剛健剛直、大胆不敵。

 それでいて艶めかしく美しい。

 上条は自分の口元が笑っていることと心の中に何か大きなものが満ちてくることに気づかなかった。

 

「夕飯は軽めでいいわよね?大根カレーと豆腐ハンバーグにしよっかな。カロリー調整もしなきゃいけないし」

 

 ほら、早く行かないと特売に間に合わないわよ、と上条を立ち上がらせバンバンと背中をたたいて。

 ふたりは新たな戦場へと足取り軽く突き進むのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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