暦「僕はちゃんと、ここにいるよ。お前達のことも、ちゃんと….」【化物語ss/アニメss】
『あららぎファミリー』
001.
自分の家族について。
それは本来、仰々しく語る程の事でもない。
当人にとってはまだしも、他人にとっては、きっとどうでもいい事だろう。
それこそ、小学校の作文の題材として使われでもしなければ、わざわざ書き連ねたり、言い連ねたりすることなどなく。
ましてや、他人に話し聞かせるようなことなんて、まずもってない。
ごく普通の人が、ごく普通の生活を送る、その限りにおいては。
そんなことを今、僕は敢えて語ろうとしている。
求められたからというのではなく、望まれたからというのでもなく。
ただ自分の意志でもって、確かな意思に基づいて。
別にそれで何かが得られるというわけじゃない。
また、何かを失うわけでも、もちろんない。
厳密に言うなら、語る時間とその為に必要なエネルギーは失うことになるだろうけど、そんなことは正しく瑣末事だ。
ただ自分の心を整理し、記憶を整理したいだけ。
同じ失敗を繰り返さない為に。
あるいは、同じ成功を繰り返したいが為に。
まあ、これまた仰々しく並べてはみたものの、正直に言えば、そんな理由も後付けでしかない。
単に僕が語りたいから語るだけ……本質は、それだけのこと。
意見がほしいわけじゃないし、どころか聞いてほしいとさえ、とくに思っていないのだ。
ただ言いたい事を、言いたい様に、言いたいだけ。
とあるありふれた日の、常とは異なる一幕を。
いつも通りの日常の中の、普段と違う一時を。
常に共にいた家族の間の、それでもすれ違っていた事実の一端を。
両親と、妹達と、そして僕自身の。
そんなどこにでもある、ありふれたはずの僕らの関係の中の、ほんの些細な出来事と。
まるで気付きもしなかった、全く思いもよらなかった、小さな小さな違和感と。
そこから新たに始まる物語を。
002.
目が覚めると、そこは自分の部屋じゃなかった。
眠りについたのは、確かに自分のベッドだったはずなのに。
起きた直後のその目に映っているのは、見慣れた自室とは、似て非なる場所だった。
これは、どうしたことだろうか?
あるいは、どうしたものだろうか?
いっそ、目を開けた先に雪景色でも広がっていれば、何なりと突っ込むこともできただろうけれど。
何しろ、ただ自分の部屋ではないというだけの、それは至って普通の部屋だったもんだから。
というか、実はよく知ってる部屋だったもんだから。
言葉も発せず、行動も起こせず、僕はただ豆鉄砲を食らった鳩が如く、茫然とするしかなかった。
しかし、実際に鳩が豆鉄砲を食らった時に、本当に茫然としてるんだろうか。
むしろ、食らう前にさっさと逃げてるんじゃないかと思うのだ。
何故、奴らが大人しく食らってくれるものと踏んで、過去の人間はこんな言葉を作ったのだろうか。
羽川ならば知っているのだろうけれど、現状でそれは無い物ねだり、いや、無い者ねだりか。
まあ、こんな下らない事、もし聞いたとしても、教えてくれる前に説教されそうでもある。
それはそれで、むしろ望むところではあるけれど。
無駄な話で無駄な時間を過ごしてしまった。
誠に遺憾ながら、これでは物語の語り部として失格と言われても仕方がない。
成程、こんなことだから、羽川にその座を奪われる云々の話が出てきてしまうのだろう。
下手をすれば、主人公の座すら怪しくなってるんじゃなかろうか。
だが、一つ弁解させてほしい。
茫然としていたのには、ちゃんとした理由もあるのだ。
動けなかったのは、何も精神的な理由だけじゃない。
今の僕は、もっと単純な話、物理的に動けない状況なのである。
僕は現在、両手を後ろ手に、柱上の物を介して、手錠か何かで拘束されている。
何の前触れもなく、一切の予兆もそこにはなく、あるいは気付かず、目が覚めた時には既に、囚われの被害者Aな状態だった。
これで茫然としないような人間にならないと、主人公として失格だと言われてしまうのならば、世にある数多の物語から、主人公という存在は消えてしまうだろう。
そうでなくとも、こんな状況にあってなお、理性的に、機械のように、目の前の出来事を淡々と語るような、そんな人間味のないキャラになど、僕はなりたくはない。
なってたまるか。
閑話休題。
現実逃避はここまでとしよう。
自分がどんな状況かは把握した。
この調子で、事態の把握に努めていくことにする。
5W1Hを順に考えていくことが肝心だ。
いつ……部屋にある時計が正しい時刻を刻んでいるという前提に立てば、今は丁度、土曜日の午前十時ということになる。
目に射し込んでくる日の光の眩しさから判断すれば、これはまあ信用してもいいと思う。
何を、は僕自身のことに他ならない。
どこで、誰が、どうやって。
一気に羅列したが、これは理由あってのことだ。
何の事はない、その全ては、この部屋それ自体が物語ってくれている。
誤解のしようもなく、曲解のやりようもなく、起きぬけの頭にすら、ごくシンプルに理解させてくれていた。
ただ僕が、それを認めたくなかっただけ。
「お、兄ちゃん、ようやくお目覚めかい? 全く、いつものことながら寝坊助さんだな」
目を逸らしたかった現実は、しかし聞き慣れたその声でもって、耳から頭に入り込む。
もうこれ以上ぐだぐだ考えるのは止めにしておこう。
受け入れよう、目の前の事実を。
ここは、僕の妹達の部屋だった。
そりゃ見覚えもあって当然の話である。
いっそのこと、なかったことにしてしまいたいけれど、色々と。
さて、そうであれば、誰がというのは、これはもう単純な話、他ならぬ僕の妹達であることに疑いの余地などなく。
加えて下手人が妹達である以上、寝ていた僕を拘束することなど、それはもう赤子の手を捻るより簡単なことだろう。
どうやって、なんて疑問ですらない。
「お兄ちゃん、何言ってるのよ。赤ちゃんの手を捻るなんて、そんな残酷な事が、簡単にできるわけないじゃない」
「ことわざの言葉尻だけ捉えるな。火憐ちゃんならともかく、月火ちゃんなら言葉の意味なんて知ってるだろうが」
「あたしならともかくってどういうことだよ。ていうか、今の兄ちゃんの台詞にことわざなんてあったか?」
「ほらわかってねぇ!」
格闘の技術が日々磨かれていくのと張り合うかのように、馬鹿にターボがかかってきてないか? こいつ。
本当に、どこで何を間違ったんだろう。
元々の頭は悪くないはずなのになあ。
軽く妹の将来を案じつつ、改めてぐるりと周囲を見回してみる。
どうやら、二段ベッドの脚の部分を使って拘束されているらしい。
そんな僕を、妹達――火憐と月火が、椅子に座った状態で見下ろしてくれていた。
「何だよ、じろじろと。あたし達のパンツでも見たいのか?」
「この状況でそんなこと考える余裕があるか!」
「こんな状況じゃなかったら考えるってことだね」
「揚げ足とんな」
否定はしないが。
これはもちろん、否定できないという意味ではなく、否定するまでもない事を一々言ってやるつもりはないってだけのことだ。
妹達の下着なんて、冬休みの宿題よりどうでもいい。
「それは割と重要じゃないの?」
「受験前ならそうでもないんだ」
別に見たいなら見せてあげてもいいけど、という月火のセリフは聞き流す。
そんなことはどうだっていい。
パンツ談義はいつでもできる。
そこ、微妙に残念そうな顔をするんじゃない。
そんなことよりも、僕の現状が問題なのだ。
「で、だ。これはどういうことなんだ?」
「これって?」
きょとんとする火憐。
何というか、それはとぼけてるというよりも、本当に何を聞かれているのかわかっていない様子だ。
兄を拘束することなど当たり前、平気の平左ということなのか?
とんだ妹もいたものである。
これが他ならぬ自分の肉親であるというのは、何とも嘆かわしい。
自分にも同じ血が流れているという事実から連想される事は、とりあえず頭から排除しておくことにする。
「言っとくけど、お兄ちゃんを拘束してるのは、ちゃんと理由があるからね」
「白状しちゃったよ! わかってたことだけど!」
「あ、ごめん、言い間違った。お兄ちゃんを監禁してるのは、ちゃんと理由があるからね」
「ひどくなった?!」
悪びれた様子など微塵もない月火。
とんだ妹どころか、果てしなくぶっ飛んだ妹だった。
「理由があれば監禁していいとか思うなよ」
「いいだろ、家族なんだし、無問題だよ」
「そういう問題じゃない」
「手錠が痛いのか?」
「そういう問題でもない」
「じゃあ何なんだよ?!」
「何でお前がキレるんだよ?! むしろ僕にキレさせろよ!」
実に理不尽な火憐さんである。
現状手が出てないだけマシだと普通に思える辺りが特に。
全く、傍若無人が服着て歩いているような女だ。
「そもそも拘束も監禁もすんなって言ってんだよ」
「だって、そうしないと逃げるでしょう? お兄ちゃんは」
「何で逃げること前提なんだよ。何をするつもりだ? お前達は。一体何が望みなんだよ」
仮にも正義を謳う妹達である。
ファイヤーシスターズ。
幼稚であれ稚拙であれ、正義の実現を高らかに謳い上げて日々活動しておきながら、身内とはいえ他人の自由を奪うような行動に出るということは、何なり理由があるのだろう。
結局のところ、僕が聞きたいのは、そこだけなのだ。
拘束された事実も、監禁されている現状も、だから本当は瑣末なことに過ぎず。
この行動の裏にある事情だけが、問題にすべき事柄。
そこさえわかれば、話を解決に持っていくのは、そう難しくないはずだ。
こいつらだって、まさか僕に本気の害意を持ってるわけじゃないだろうから。
「んー、何っていうか、そんな難しいこと考えてるわけじゃないぞ」
「それはわかってる」
元より、火憐の頭でそこまで考えられるとは思っていない。
「ん? 今軽くあたしを馬鹿にしなかったか?」
「そんなわけないだろう」
「そうだな、兄ちゃんがあたしのことを馬鹿にしたりするわけないよな」
「当たり前だ」
相変わらず扱いやすい。
これが下の妹相手だと、そうはいかないんだけど。
けれど現状、月火にしても、そこを追求する気はないらしい。
「火憐ちゃん、話が逸れてるよ」
「おっと、悪りい月火ちゃん。そんじゃ……」
「何だ?」
火憐が、居住まいを正し、少しだけ身を乗り出してくる。
別に僕を殴ろうとしてるわけでもないんだろうけど、自然と体が緊張してしまう。
割と頻繁に、その暴力に晒されてるもんだから、体が反射的に防御体勢をとろうとしているのか。
実の妹に殴られ慣れてる兄、という自身の境遇を改めて鑑みて、若干テンションが下がるが、こいつはそんな僕の心境など、慮る気はないらしい。
「さあ、兄ちゃん、話し合おう」
「何をだよ」
びっくりの提案だ、前にも後ろにも、決定的に言葉が足りてない。
というか、拘束しておいて、監禁しておいて、話し合おうも何もあったものか。
現代外交でそんな真似しようものなら、たちまち世界の爪弾き者である。
マナーではなく、ルールの違反も甚だしい。
無茶苦茶言いやがる。
「無茶苦茶言ったのはお兄ちゃんでしょ」
「何がだ?! ていうか、僕がいつそんなこと言った?!」
ここでまさかのカウンター。
全く想定の範囲外だ。
いい加減、僕にわかるように話をしてほしい。
あるいはしないでほしい。
黙って解放だけしてくれれば、とりあえずはそれでいいよ、もう。
しかしまあ、そもそも、そんな無茶苦茶な事を言った記憶なんて、僕にはないんだが。
まさか、胸揉んだりキスしたりした時のことを言ってるんだろうか?
だとしたら困る。
僕的には、あれはごく自然で、実に当たり前な、極めて普通のことであり、無茶でも苦茶でもないことなのに。
「そんなことじゃないよ」
ていうか、そんなのどうでもいいんだよ、と月火。
そうか、どうでもいいのか。
ほっとした反面、それでいいのか、と大層疑問に思わないでもない。
突っついても僕に利はないから黙っとくけど。
「お兄ちゃん」
一転、ひどく真面目な表情。
茶化す雰囲気も、流す空気も、そこには見つけられない。
何よりも、月火の、その深い眼差しが。
隣の火憐の、強い憂いの面差しが。
僕から言葉を奪う。
ここにきて、物理的以上に、精神的に。
僕は自由を奪われる。
「家から出るつもりって、どういうこと?」
結局のところ、やり方はさて置いても。
極端な行動の賛否もまた、脇に置いといたとしても。
今日の二人の行動の理由は、僕自身にあったということだと。
そう言いたいらしい。
これは、自業自得だと、身から出た錆だと、そういうことになってしまうのだろうか?
003.
さて、思い返してみる。
事の発端、だなんて、自分でそんな言葉を口にしたくはないけれど。
だって、僕は自分がそんな突飛なことをしたつもりはないんだし。
まあそんなこと言ってても話は進まないので、これもとりあえず棚に上げておくとして。
とにかく現状を招いた原因であろう話は、つい先日のこと。
遡ることほんの十二時間ほど前の話になる。
久しぶりにというか、珍しくというか、両親が二人とも、丸一日揃って休みだった日のことだ。
何しろ仕事が警察官ということもあり、また二人揃って正義感が強いということもあり(妹達のそれと違って、こちらは公的にも認定されてるので、そう表現するのに抵抗はない)、休みであろうがなかろうが、家でのんびりという風な過ごし方は滅多にしない二人なのだが、その日は本当に偶々揃って在宅で。
だからこそ、これをいい機会と捉えて、僕は予てから考えていたこと――家を出るという案を、その日の夜に、二人に打ち明けた。
もちろんそれは、妹達が部屋に引き揚げてからの話である。
あいつらがいる所でそんな話を切り出したりすれば、余計な茶々を入れてくる、というか妨害してくるだろうことは、ほとんど確定的だ。
火を見るより明らかなことであり、むしろ火を見ることになってしまうかもしれない。
ファイヤーシスターズだけに。
閑話休題。
この家を出る、という話だけど。
もちろん、気に入らない事があるから出ていくとか、自分探しの旅で世界を巡ってくるとか、そんなことを口にしたわけじゃない。
反対されるに決まってるし、万が一そんなつもりがあったのなら、一々親に相談なんかするものか。
勝手に出ていって、それで終いの話だ。
そうじゃなくて、単純に進路の話である。
大学受験で、行きたい大学を二人に相談し(と言っても、もう決めていたことだから、これは確認と言うべきかもしれない)、合格の暁には家を出ようと思っている旨を伝えた。
僕が受けようとしている大学は、ここから大分離れた所にあり、そうなれば当然通うには厳しいということになり、であれば下宿という結論を出さざるを得なくなる。
ファイナルアンサー。
本家のそれでは、ファイナルって言ってからが長かったけど、昨晩の阿良々木家においては、決してそんなことはなく。
もちろん、色々なことを聞かれはしたけれど。
それでも、無意味な引き延ばしがあったわけじゃない。
明らかに意味のある、確かな意義のある問答が、実に久しぶりに、本当に珍しく、僕と両親の間で展開した。
進もうと考えている分野について。
行こうと考えている大学について。
その大学が、その分野に力を入れている事実と、今の自分の学力。
そうした色々なことで、また当然議題にされるべきことについて。
だらだらすることなく、ただ粛々と、淡々と。
ちなみに、戦場ヶ原のことは黙っといた。
これは目的というより理由・モチベーションに絡む話なので、別に言う必要もないし。
ないのだ。
ともあれ、思っていたよりあっさりと、考えていたよりすんなりと、僕の望む結論に到達できた。
元々、僕をどうこうしようという両親ではないし(これは興味がないとかじゃなくて、僕の自主性に任せているという意味での話だ。念の為)、僕が色々考えた末での結論だということをわかってくれたのだろう。
学費もちゃんと出してくれるとのこと。
自分でバイトして稼ぐ、ということも念頭に入れてはいたが、そこはさすがというか、素直に感謝しておいた。
とまあ、ここまでは何も問題なかったのだ。
何の妨害もなく、むしろ望外の成功だったと言ってもいい。
夢の一人暮らしに、確実にリーチをかけたはずなのに。
それはただの振り込みでした、という落ちが待っていた。
持ち上げてから落とすなど、極めて古典的にして、断じて許されざる結末だ。
というか、妹達に騒がれるのを避ける為に、わざわざ夜まで待って、二人が部屋に引き揚げてから話を切り出したのに。
色々シミュレートして、時間をかけずにスムーズに話が進むように、事前の準備も怠らなかったのに。
実際、二人がこの話に割り込んでくることもなかったし、理想的な形で話が決着していたのに。
朝が来ればこの様。
現実逃避の一つもしたくなるというものだ。
目覚めたら小人に縛られていたガリバーも、こんな気分を味わったんだろうか?
もっとも彼の場合は、旅に出るという目的それ自体は叶ってるわけだから、家を出るより前に家族に縛られている僕は、正しくそれより悲惨なわけだが。
旅行記どころか、日記だって書けやしない。
004.
さて、回想終了。
結局のところ、どうやってかは分からないけれど、僕と両親のやり取りは、全て妹達に筒抜けだったらしい。
筒抜けにして、底抜けに間抜けな話だ。
昨日までの僕の努力は何だったんだろうか。
本当に、神も仏もあったもんじゃない。
いや、吸血鬼に味方する神や仏があったもんかどうかもわからないけど。
まあ、もし仮にそんな存在がいたとしても、そしてもし僕がその存在を知っていたとしても、ご利益が得られるような信心を、していたともできたとも思えないので、これは仕方ないことなのかもしれない。
それにしても、困った時の神頼みとはよく言ったものだが、冷静に考えて、困った時しか見向きもされない神様が、それでもちょっと祈れば味方してくれると期待するなんて、人間って本当に清々しいくらい自分勝手な生き物だ。
特に日本人は、そういう信仰心が薄いからなあ。
かくいう僕もそうなんだけど。
無宗派の大抵の日本人は、人生の中で神に祈る時間が最も長いのは、トイレの中だという笑い話をどこかで聞いたことがある。
主に腹を壊した時とか。
これは案外当たっているかもしれないが、しかし何とも罰当たりな話だ。
八百万の神とは言うけれど、何でその貴重な八百万分の一を、そこに集約させようとするかな。
「そういうことばっか考えるのが、一番罰当たりじゃないの?」
「いや、これはそういう状況を憂いているからこその思考だ。むしろ、これこそ信仰と良いんじゃないだろうか」
「絶対に言えないと思う」
月火の駄目出しが入りました。
いっそ清々しいくらいに普段通りのやり取りだ、僕の自由が奪われているという点を除いては。
しかし、こんな状況であっても、為にもならない四方山話をせずにはいられない僕達は、いい加減そろそろ本気で反省するべきなのかもしれない。
「おい、兄ちゃん、何度も話を逸らすなっての」
「そうだよ。どういうつもりかって聞いてんの。ちゃんと答えてよ」
「あたし達だって鬼じゃないぞ。まずは兄ちゃんの言い分から聞いてやろうって言ってんじゃねーか」
「今初めて聞いたぞ、そんなこと」
問答無用に縛りあげておいて、話を聞いてやるときたもんだ。
別に頼んでもないし、必要ともしてないのに。
揺るぎなく余計なお世話である。
けれど、こちらに向けられた二人の表情は、怒りさえ滲ませた真剣なもの。
被害者たる僕からすれば、理不尽で想定の範囲外な現状も、加害者たる二人からすれば、正当で規定の範囲内な行動だと。
そう言いたげな目をしている。
自分達は悪くない、悪いのは僕の方だ、と。
詰まる所、それほどまでに納得のいかない事だったのだろう。
こんな風に、実の兄を拘束して、監禁してしまおうとする程に。
僕がこの家を出ていくという事実は、二人にとって、正に青天の霹靂であり、真に許されざる暴挙だったというわけだ。
いやいやいや。
ちょっと待ってほしい。
これってそんなに理不尽なことか? 不自然なことなのか? そりゃあないだろう。
だって、誰だっていつかは家を出ていくんだぞ。
こんなの、ごく自然で、実に当たり前な、極めて普通のことじゃないか。
巣立ちの時を迎えない鳥はいない。
親の庇護下に安穏としているのは、またはそれができるのは、そしてこれが許されるのは、未熟な子供のうちだけだ。
成長すれば、誰もがそこから旅立っていくし、またそうしなきゃいけない。
社会はそうして構築され、創出され、成り立ってきているのだから。
じゃなきゃ、今こんなにパラサイトがどうとかニートがどうとか引きこもりがどうとか、そういうことが社会問題として云々されてる訳がないのだ。
もちろん、それが早いか遅いかの問題はあるだろう。
欧米諸国では、十代後半になっても家に居続けている人間は、どこか問題があるんだと、世間的にはそう考えられてしまうこともあるとか聞くし。
そこは極端な話にしても、僕の今回の、大学入学を機に一人暮らしをしようというのは、一般的に考えて、そう極端なタイミングではないはずだ。
むしろ偏差値50の選択じゃないだろうか? 珍しくも何ともない。
「受験生が偏差値50で満足しててどうすんだよ、もっと上を目指せよ」
「いや、その理屈はおかしい」
偏差値50も疑わしくなってきた火憐の戯言はともかく、こういうことは、社会的に見て外れていないことが肝要なのだ。
社会に出ていくという慣用にならう以上は。
子が親元を離れるという、そんなごく当たり前のことでまで、奇をてらう必要など微塵もない。
「ていうか、お兄ちゃんが独立するなんて、冗談にしか聞こえない」
「その言葉こそ冗談であってほしい!」
「何言ってんだよ、兄ちゃんが一人で生きてけるわけねーじゃねーか」
「もっとひどい認識だった?!」
ここまでくるともう、辛辣な評価と言うよりも、単に僕の事が嫌いなだけじゃなかろうか?
そりゃ、素直に普通に好かれてるとも思ってなかったけどさ。
しかしそれなら、後ろ足で砂かけてもいいから、出ていく事に文句をつけないでほしい。
「後ろ足で砂かけようとしてるのは、お兄ちゃんの方じゃない」
「何でだよ? 家を出ようってのは、むしろ親的には良い事なんじゃないのか?」
少なくとも、俺はずっと家に居続けるぜって引きこもり宣言するよりは、余程生産的で現実的な話のはずだ。
褒められるとも思っていないが、貶されるとはもっと思えない。
ここに文句をつけるなら、それはむしろ、親の方にこそ問題があるだろう。
「パパとママにじゃなくて! 私達に砂かけてるって言ってんの! 何でわっかんないかなぁ!」
「今度はお前がキレんのかよ!」
某戦闘民族よろしく髪を逆立たせる月火。
直前までの自然な感じとの差が、いつものことながら大き過ぎる。
まさに爆発だ、芸術性は微塵もないが。
しかし、いくらなんでも沸点低過ぎだろう、二人揃って。
何でもっと文句を言っていいはずの僕の方が後手に回ってるんだよ。
本当にもう、一体どうしたらいいんだか。
「簡単なことじゃねーか、家から出ていくのを無しにしたらいいんだよ」
「何でそうなる?!」
その結論はあり得ないだろう。
大体、ちゃんと両親の許可は取ったんだぞ、僕は。
どうしてそれを、一日と経たずに、自分から撤回しなきゃならないんだ。
三日坊主の何分の一だよ、その決意。
この上更に間抜けをさらせと言うのか、この妹達は。
「だから、そもそも何で出ていく必要があるの? って話じゃない」
「あのな、昨日の僕達の話は聞いてたんだろ?」
「聞きたくなかったけど」
「じゃあ聞かなきゃ良かっただろうに」
「屁理屈言うな! ていうか口答えすんな!」
屁理屈でも口答えでもないだろうに。
何かもう怒る気もなくなるわ。
「……大学進学の為に必要なんだよ。家から遠いから、大学の近くに下宿する、そういうことだ」
なので、とりあえず話を進めることにする。
文句も不満も後回しだ、この際だから、そういうのも棚に上げておこう。
けれど、月火の方は、棚上げする気は露ほどもないらしく。
「却下!」
「意味が分からない!」
一刀両断された。
しかしまあ、両親の許可が既に出ているような事で、何で妹に駄目出しされてるんだろう。
僕の知らぬ間に、二人はそこまでの権限を手に入れていたとでも言うのか?
何勝手に阿良々木家のヒエラルキーを弄ってんだよ。
「つーか、通えばいいだろ、家から」
「お前、本当に話聞いてたのか? 遠いから無理だってんだよ」
「走れ」
「余計無理だろ!」
「じゃあ飛べ」
「お前は僕に何を期待してるんだ?!」
ていうか、阿良々木暦のポテンシャルに期待し過ぎという話である。
火憐の中の僕は、一体どこまで逞しいんだ?
公共交通機関を使うよりも高速に活動できるような人間なら、そもそも妹達によってたかって拘束されたりするものか。
本当にこいつは、頭だけじゃなく、思慮も配慮も足りてない。
「じゃああれだね、その大学を諦めるしかないね」
「そうだな、諦めろ、兄ちゃん」
「お前らな……」
諦めるなら、お前らへの説得の方だ。
そんな簡単に覆すくらいなら、そもそも親に相談なんてしていない。
「そもそもさ、一人暮らしなんてできないでしょ、お兄ちゃん、家事とか全然駄目じゃない」
「やってみれば案外何とかなるもんだろ、そういうのって」
というか、人外の運動能力は期待されるのに、何でこんな生活力のポテンシャルに対する期待値は低いのか。
こいつら、普段どんな目で僕を見てやがる。
お前、普通の人間なら、空飛ぶより飯作る方が簡単だろうよ。
その逆を言う人間なんて、見た事も聞いた事もない。あってたまるか。
もちろん今の僕は普通の人間な訳で、だからまあ、家事くらいなら何とかなるはずなのだ。
「なんないよ! そんなの絶対なんないよ! お兄ちゃんじゃ火事しちゃうのが関の山だよ!」
「するか! ていうか活字におこさんとわからん言い回しを使うな!」
聞いてる人間のポテンシャルに期待し過ぎという話である。
「じゃあ何が狙いなんだよ! どうすれば諦めてくれるんだよ! 欲しいものがあるんなら言ってみろよ!」
「今一番欲しいのは自由だよ!」
「あたし達の処女までなら妥協するぞ!」
「いらねえよ、そんなもん!」
火憐も、いい加減その場のノリと勢いだけで喋るのは止めてほしい。
それかいっそ、喋るの自体止めてほしい。
喋れば喋るほどに馬鹿が露呈してきて、兄として実に悲しくなるから。
ていうか、狙いも何も、僕の主張は一貫して変わってないだろうに。
改めてわかった。
こいつらときたら、結論ありきで喋ってやがる。
そんなんじゃ話し合いになるわけがない。
平行線の水掛け論だ。
「何なんだよ、お前ら、何かちょっとおかしいぞ」
沸点が低いのも、やり方が無茶苦茶なのも、傍若無人なのも、決して今に始まったことじゃないが。
それにしたって、言い分が不条理に過ぎる。
配慮や辛抱がないのはいつものこととはいえ、何より余裕がなさ過ぎだ。
「なあ、何でそんなに必死なんだよ? 家を出るって、そりゃ一大イベントかもしれないけどさ。何も永遠の別れってわけじゃないだろ」
外国に行って帰ってこないとか、そんなつもりは全くないんだぞ。
勉強の為に、ちょっと離れた所に行くだけのことだ。
定期的に帰ってくるつもりだってある(両親からもそれは条件として出されている)。
そもそもにして。
家を出るという選択は、何も僕だけのものじゃない。
「お前らだって、いつかは家を出るだろ。進学でも就職でも結婚でも。いつかはここを出ていくんだ。ただ僕のそれがちょっと早くなる、それだけのことじゃないかよ」
「私達はいいの! でもお兄ちゃんは駄目!」
「そうだ! 絶対駄目だ!」
あまりと言えばあんまりな言葉。
理不尽で、不条理で、非論理的なそれに対して、今度こそ僕は怒ってもいいと思うのに。
だけど、怒りの言葉も行動も取れなかった。
怒り以上に、今の僕の心には、当惑が広がっていたのだ。
僕の妹達は、火憐と月火は、いつだって無茶苦茶なことをするけれど。
だけど、それは少なくとも(あくまで当人達の認識からすればの話だが)、全て他人の為の行動だ。
他人の為であり、正義の為であり(これは本気で認めたくはないが)、実際にそう宣言して止まない。
それが本当に為になっているかどうかはさておいても、こいつらの行動理念は、いつもそこにある。
だからこそ、多くの人に慕われ、請われ、求められるのだろう。
しかし今、二人の言動は。
僕が家を出ようとするのを止めようとするあれこれは。
これは、他人の為じゃない。
僕の為なんかでも、決してない。
邪魔をしてやろうという悪意なんかでも、もちろんないだろう。
じゃあ、何の為か――それは多分、自分達の、為。
「まさか兄ちゃん、あたし達を見捨てるつもりなのか……?」
普段のそれとは、似ても似つかぬ、火憐の弱弱しい声。
「認めないから。そんなの、絶対認めない」
普段のそれとは、似ても似つかぬ、月火の吊り上がった厳しい眼差し。
事ここに至って、僕はようやく、事態が一筋縄ではいかないことを思い知った。
話し合いとか説得とか、そういう段階にさえ、まだ至ってはいないのだと。
それどころか、その根本にあるものが何かすら、僕は気付いていないのだと。
嫌というほど痛感する他なかった。
ともあれ、僕のこの身が自由になるには、まだもう少しの時間と思考と、そして理解を要するらしい。
005.
「何やらややこしいことになっておるのう、お前様よ」
その後、沈黙が訪れた部屋だったが。
それもほんの少しの間だけのこと。
僕が起きてから何も食べていないということもあってか、二人は食事の用意をしてくると言って出ていった。
やはり、どうあっても、僕を解放してくれる気はないらしい。
とはいえ、朝・昼兼用とか言ってたから、しばらく戻ってくることはないだろう。
自分達の分も準備するだろうし。
何にしても、一人で考える時間ができたということを、僥倖と取るべきだ。
そう思った矢先、僕の影から頭だけを出している金髪の幼女と目が合った。
「起きてたのか、忍」
忍野忍。
伝説の吸血鬼のなれの果て。
僕と主従関係にあり(従主関係とも言える。そんな言葉があればの話だけど)、普段は僕の影に縛られている存在。
まあ僕と忍の関係について、今更くだくだと話すつもりはない。
僕達のあれこれを語るには、時間に余裕が無さ過ぎる。
だから、とりあえず今は置いとかせてほしい。
閑話休題。
何かこればっかりな気がするが、これもさておき。
僕は、影からゆっくりとその全身を外に出した忍に目を向ける。
少しばかり不思議に思いつつ。
何しろ彼女は、吸血鬼であるが故に日の光を大敵としており、だから普段なら、この時間は寝ているはずなのに。
「ふん、儂とお前様がペアリングされておるという事実を忘れたか? あの二人に拘束された時、儂は普通に起きておったんじゃぞ。お前様は呑気に寝ておったが、縄で縛りあげられ、担ぎあげられ、部屋に投げ込まれた挙句、手錠で拘束されて、そんな感覚を味わい続けて、眠りになんぞつけるわけがなかろう」
「そうか、そりゃそうだよな、ごめん、忍」
「まあ気にするでない、言うほど大したことはなかった」
「だったらいいんだけど」
「ずっとDSをしておったしの」
「余裕じゃねえか」
「だから大したことはなかったと言うておる」
いやそうだけど。
寝てた癖に言えた身分じゃないかもしれないけど、僕より呑気じゃねえか。
ていうか、お前それ、単にセーブポイントが見つからなかったとかで、ゲームが長引いてただけだろ。
「いや、そうは言うがお前様よ、やってみると、これが意外に面白い。儂には遠く及ばぬにせよ、なかなかどうして、人間の創造力も侮れぬ」
「お前がそこまでゲームにはまってる現状こそが、僕には意外だよ」
「昨今のゲーム業界の動向を観察しておると、この分野も次第に縮小していきそうな気配が窺えるのが、それも世の常とはいえ、目下の懸念事項じゃの」
「僕の影の中で、お前は一体何を考えてるんだよ」
したり顔で言いやがって。
本当にこいつ、最近自分が怪異だってことを忘れてんじゃないかと思う。
覚えたての中学生かよ。
他に考える事はないのか。
「今考えておるのは、お前様の妹御のことじゃ」
「ああ、それはまあ、そうだよな」
大したことはない、と言ってはいたけれど。
縛られて、担がれて、投げられて。
そこまでされて、何も考えないような不感症なんかでは、忍はないはずだし。
「いや、そうではなく。極小の妹御の方じゃが、あやつ、下着をはいておらんかったぞ」
「マジでか?!」
何やってんだ?!
ていうか、何考えてんだ?!
むしろ忍も何を確認してんだ!
「確認したくてしたわけではない」
「そりゃそうだろうけどさ……」
「もう一人の方は確認しておらんが、多分、そっちも同じであろう」
「なんでそう言い切れるんだよ」
「さっきの話の間、二人とも似たような挙動を――まあ要するに、下半身をずっと気にしておったのでな」
「何事だよ、それは!」
「だから儂も気になっておった」
そりゃ気になるわ。
完全に痴女じゃねえか、本気で意味が分からない。
まさか僕が家を出る事が、妹達が痴女になる事とイコールで結ばれるとは、夢にも思わなかった。
ていうか想像できるか。できてたまるか。したくもないわ。
「そんな状況でお前様よ、あの発言じゃぞ」
「どの発言だよ」
いやいい、言わなくていい、わかってる。
あいつらあれか、そんな状態でパンツ見せる云々の話をぬかしてやがったのか。
危ない所だった……一体、何を見せるつもりだったんだ。
「生えてきたということではないのか?」
「お前も何言ってんだよ! つーかお前がそんなこと言うなよ!」
今のお前がそういうこと言うと、何か生々しいんだよ!
お前は一度、本気で規制されろ!
しかしもう、この展開に全くついていけねえ。
何だよ、真面目な話をしてたんじゃなかったのかよ。
「それは、お前様が一番わかっておろう」
「いや、まあ……な」
言われるまでもない、確かに。
どうあれ、あの時の二人の表情は、眼差しは。
本気も本気、真剣も真剣。
マジに真面目な話をする時のそれだった。
僕の自由を奪っておきながら、下の方だけ果てしなくフリーダムだった事実はさておき。
いや、さておかせてほしい、そんなの考えるの、本当にやだよ。
妹達が何を狙ってたのか、考えるのも嫌になってしまう。
「なあ、忍、あいつら何を考えてたと思う?」
「それを儂に聞くのか? 人間ではない、この儂に」
「藁にも縋る気分なんだよ」
「溺れておる者が藁になんぞ縋っても、一緒に沈むだけじゃろう。時間稼ぎにもなりゃせんわ」
「だから、ことわざへの突っ込みなんか求めてないんだって」
「実際、溺れておる者に縋られれば、泳ぎが達者な者でも、巻き添えにされて沈むことが多いらしいぞ。とんだとばっちりじゃな」
「そこを引き延ばすなよ! どうでもいいよ! そうじゃなくてだな、何かしらのヒントっつーか、切っ掛けっつーか、取っ掛かりがほしいんだよ、僕は」
何も、忍に聞いて一発解決とか、そんな虫のいい事は考えちゃいない。
ただ、自分以外の意見を聞きたいだけだ。
それに、僕は男なわけで、忍は女なわけで、だとすれば、僕じゃ思いつかない何かに気付く可能性だってあるだろう?
「そんなところを期待されてものう。そもそも、儂だって下着なんぞはいてはおらんぞ」
「そうだった!」
「伝統的に見れば、着物の下には、そんなものを身に着けぬのが本来の在り方ではないのか? ましてや西洋物の下着なぞ。和洋折衷甚だしいわ」
「問題の本質がずれてる」
違うんだよ。
今は正しい着物の身に着け方なんてどうでもいいんだ。
大体、火憐の方はジャージじゃねえかよ。
そうじゃなくて、僕の妹が何をとち狂って、下着を開放しやがったのか、という話だ。
それより先に、まず僕を解放しろよ、という話でもある。
「何をとち狂ったか――あるいは何故血迷うたかと言えば、それはお前様が一番よくわかるのではないのか?」
「何だそれ?」
お前まで、訳の分からないことを。
あいつらが勝手にパンツ脱いだのまで僕のせいにされちゃ、堪ったもんじゃないぞ。
しかし、忍は割と真面目に考えて口にしていたらしく、神妙な表情でこちらを見てくる。
「お前様よ、儂は怪異じゃ」
「知ってるよ」
「それも、五百年以上の間、ずっと」
「いや、そこはちゃんと六百年近くって言おうぜ」
話の腰を折りたいわけじゃないけど、言葉は正確に使おうじゃないか。
全くもって、相も変わらぬ大胆な鯖読みである。
百年未満しか生きられない方が多数派である人間には、およそ不可能な芸当だ。
「それも、五百年以上の間、ずっと」
「無視かよ」
わざわざ強調するように言い直しやがった。
実は結構気にしてるのか?
まあ本題以外のところを、これ以上だらだら続けるのは、僕としても本意じゃないし、それで忍に臍を曲げられても困るから、ここらで止めておくけど。
「とにかくじゃ。儂はそれだけの期間、ずっと怪異であり続けた。人と接点を持つことすら、ほとんどなかった。お前様と共にあるようになって、初めて人の生態に触れるようになったと言っても過言ではない」
改めて考えると重い話である。
語られぬ部分に潜む忍の想いを思うと、言葉を失う他ない。
絶対的な存在であり続けた自分、それ故の孤独、たった一人の眷属、忍野達のような人間との戦い、自分との戦い、僕達との出会い。
今はその辺の事を重視しているわけじゃないんだろうけど。
僕の心中を測ってか測らずか、忍はさっさと話を進めていく。
「だから、人の考えなぞ、儂には読めん。もちろんお前様の妹御のことにしてもな。あやつらが何を考えて行動しておるかなど、お前様の性的嗜好の傾向性と同じく理解できん」
「その例え、必要だったか?!」
頼むから、真剣に話してる時くらい真剣に締めてくれ。
台詞の途中で止めんなよ、真面目な姿勢を。
さっきまでの僕の心情が、まるっきり無駄じゃねえか。
「奇しくも極小の妹御も口にしておったが、確かにお前様の趣味は、正直やばい」
「だから止めろよ、そこで僕の趣味に話を広げるのをよ!」
そもそもお前が性的嗜好とか言うな。
怪異にまでやばいと言われちゃお終いだろう、色々と。
そもそも僕は、こんな田舎の普通の書店で置いてあるものしか買ってないのに、何でそこまで言われなきゃならんのだ。
その理屈なら、この町に住む大抵の男の子はアウトになるんじゃないのか。
「いや、お前様の場合、買ってくるものに統一性が無さ過ぎることが、まず第一におかしい」
「もういいって! 第一とか言わなくていいって!」
話を戻そうよ! 僕が悪かったから!
これ以上僕の好感度を下げるやり取りは止めにしようじゃないか。
第二以降も、第一以前も、今は語る必要などないのだ。
「話を戻すぞ」
「必死じゃのう」
「話を戻すぞ!」
強調するように言い直す。
強引だろうと構うものか。
「結局さ、お前は何が言いたかったんだ?」
「ん? まあ要するに、深く考える必要はないのではないか、と言いたかった」
じゃあ最初からそう言えよ、という話である。
お前、僕の趣味を馬鹿にしたかっただけじゃないのか?
まあそれはともかく、だ。
「深く考える必要はない、か」
「然り。例えば、儂とお前様が共に過ごした時間は、およそ一年にすら満たない。密度こそ濃いとは言えの」
それはその通りだ。
決して恋ではないけれど、とても濃い、まさしく濃密な時間を、僕達は故意に過ごしてきた。
しかし、それでもそれは、今年の春休みを起点とした、ごく短い期間のことだ。
恋をした戦場ヶ原よりもほんの少しだけ、その期間は長いのだけれど。
「しかし、妹御はそうではあるまい。お前様にとっては、親の次に長い期間、共に過ごしてきておるはずじゃ」
「ああ、それもその通りだな」
「なればこそ、あやつらの思考も嗜好も、全てではないにしろ、想像できるのではないのか?」
「あいつらが隠してることとか、そういうのまでわかるわけじゃないぞ」
「隠しておればな。しかし、今はそうではなかろう。手段はともかく、さっきのやり取りにしても、コミュニケーションの一環に相違あるまい」
荒っぽい事この上なく、むしろ犯罪染みてる事この下ないが。
確かにそう、理不尽で、不条理で、問答無用ではあったけれど。
それでもあいつらは、僕の言い分を聞こうとし、自分達の言い分を聞かせようとしていた。
色々ぶっ飛んではいるものの、確かにそれは、紛うこと無くコミュニケーションだ。
ぎりぎりな感は否めなくとも、その範疇に収まっているだろうことは、認めざるを得ない。
「ならば、話は単純ではないか。あやつらはお前様に伝えたいことがある。お前様はそれを知覚できる下地を持っておる。その上でのやり取りなら、むしろお前様に理解できんはずがなかろう」
無論、儂には理解なぞできんよ、と続ける忍。
結局のところ、僕が自分で考えなければならず、またそうでなければ、意味も意義もありはしないと。
事態の解決は望めはしないと。
彼女は、そう言いたかったのだろう。
「そう、だな。そうかもしれない」
無茶苦茶ばっかやるけれど。
迷惑ばっかかけられてはいるけれど。
それでも。
「僕が理解できないはずはないし、むしろ、理解してやらなくちゃならないんだよな」
僕はあいつらの兄であり、あいつらは僕の妹であり。
積み重ねてきた時間も、言葉も、他の誰より濃いはずなのだから。
006.
さて、そうやって心を新たにしたのは良いものの。
別に事態が一変したわけでもないし、新たな事実が明らかにされたわけでもない。
である以上、ただスタートラインに立った、というだけのことでしかないのが現状だ。
「でもさ、忍。改めて考えてみようと思ってもさ、本当に僕、何が何やらわかんないんだけど」
「なんじゃい、まだ儂に聞いてくるのか?」
「そんなつれない事言うなよ。折角なんだし、話に付き合ってくれよ」
「やれやれ、仕方がないのう」
よっこらしょ、と先刻まで妹達が座っていたベッドに腰掛ける忍。
腰掛けるっていうか、よじ登るっていうか?
ただ動作の割に掛け声が年寄り臭い、と思った事は秘密にしておく。
「しかしお前様よ、一体何を悩んでおるんじゃ?」
「いや、悩むっていうか、結局のところさ、あいつらの行動の理由がわからないんだよ」
改めて、さっきの妹達とのやり取りを思い返してみる。
目が覚めてから、二人が部屋を出るまでの、一連のやり取り。
「目的はさ、僕が家から出るのを阻止したいってことなんだって、それはわかるんだ」
「何度もそう言っておったしの」
「うん。だから、これは疑いの余地なく確定だ」
だけど。
「でも、理由がわからない。何でそうまでして、自分達の部屋に監禁してまで、僕を家から出したくないんだ?」
「わざわざ下着まで脱いでおるしの」
「それは言わなくていい」
折角考えないようにしてたのに。
さておき、そう、理由だ。
それがわからないから、結局、僕は妹達の行動が理解できないのだ。
この状況で色々考えたところで、誤解や曲解にしか行きつかないだろう。
理解には程遠い。
「春休みの時とか、ゴールデンウィークの時とかだって、僕は家を長いこと空けてたんだぜ? だけど、その後こんな風に監禁されたりしなかったのに」
「今回は、明らかに態度が違うのう。決意も、心構えも、あるいは覚悟も」
「ああ、あいつら、本気で僕を止めにかかってる」
春休みやゴールデンウィークの時は。
怪異の起こすあれこれに巻き込まれ、あるいは自分から首を突っ込んで、連絡もできないまま、何日も家を空けたことだってあったけれど、こんなことはなかった。
問答無用で自由を奪われることなんて、なかったんだ。
精々が、携帯に鬼のように電話をかけまくったり、メールを送りまくったりしたくらいのこと。
それ以上でもそれ以下でもなかったのに。
「これまでとは、何かが決定的に違うということじゃな」
「それはわかるよ、でも、何が違うんだって話だ」
今までと、今回と。
それ程までに違いがあるということか。
ぱっと思いつくところでは、事前に知ることができたかどうか、ということがある。
前の時は、あいつらが僕の事に気付いたのは、出ていってからのことであり、今回はそれより先に知った。
「それは違うのではないか? その後の対応に差があり過ぎよう。後先はこの際関係ないと見るのが正しいじゃろ」
「だよな。それだったら、前の時だって、帰ってきた瞬間に縛りあげられてなくちゃおかしくなる」
縛りあげること自体が、そもそもおかしいという話なんだけど、これもさておき。
となれば、一体どういうことになるのか。
「まさか……考えたくはないけど、怪異の仕業とか?」
「下着を脱がす怪異なんぞ、聞いた事はないが」
「やけにこだわるな! そこに!」
そもそも下着をはいてもいないくせに!
「そこだけじゃなくてさ、今回の一連の行動が、そもそも怪異の仕業とか、そういうことはないか?」
「かかか、いつになく荒っぽいのう、お前様よ」
「いや、笑い事じゃなくて」
「ふむ、まあその懸念は理解できんでもない。お前様はこの短期間の内に、余りにも怪異に関わり過ぎたからの。警戒はしてし過ぎるということはないし、その意味では、実に正しい姿勢と言えよう」
正しい姿勢であり、確かにあるべき思考であると、忍はそう言った。
言ってしかし、頭を振りながら続ける。
「しかしのう、お前様がそう考えることを是とするかと問われれば、これは判断が難しい。確かに怪異として、または怪異と関わる者としては当たり前のことじゃが、人間としては、それは決して正しい考え方ではあるまい」
「それは……そうかもしれないけど」
「これも怪異に関わることの弊害かの。安易なんじゃ。何か自分に理解できないものがあれば、不都合なものがあれば、それを怪異のせいにしてしまう。それで説明がついたものとしてしまう。実際は何の解決にもなっておらんでも」
そうして生み出された怪異もまた、存在するのだ、と。
忍は静かにそう告げた。
彼女に、思考の放棄だと責める意思があったとは思わないけれど、そして実際そうではないのだろうけれど。
僕は、そう受け取らずにはいられなかった。
「確かに、安易だったかもしれないな。何かあったら、すぐにそっちと繋げるのも、僕の悪い癖だ」
「いや、重ねて言うが、決して間違いではないぞ。実際、あやつら自身も怪異と無関係ではなくなっておるし、その懸念は必要なことじゃ」
「それでもだよ。今の僕が考えるべきは、あいつらの言動の理由であり、意思なんだ。もし怪異が絡んでたとしたって、その根底には必ず、あいつら自身の考えがあるはずなんだから」
忘れてはいけないことだ。
どうであれ、彼女達の意思がなければ、言葉がなければ、行動がなければ。
怪異が関わる以前に、何の事態も発生し得ないのだから。
「何にしても、今回は違うぞ。今はあの二人に怪異はついておらぬ。その点だけは安心しても良い」
「そっか、安心したよ」
忍が言うなら間違いない。
今回はそういう事態じゃないのなら、それ自体は安心できる。
「つまり、あやつらは、自分達の意思で、何がしかの目的があって、下着を脱いでおったことになる」
「安心できなくなった?!」
いっそ怪異の仕業なら、そっちに原因を求める事ができたなら。
その方が楽だったかもしれない。
不謹慎な話だけど。
ていうか、そこばっか押すの止めようぜ、まずは僕が拘束されて監禁されてることが第一に来るべきだろ。
それじゃまるで、僕があいつらのパンツの有無ばっか気にしてるみたいじゃねえか。
「気にならんのか?」
「そりゃなるけどさ!」
お前は、いい加減そこから離れろ。
話をパンツ談義に持っていくのは、月火だけで十分だ。
大体そういうのは、自分も身に着けるようになってから拘れという話である。
「そうは言うが、あやつらの一連の行動の、その動機を考えるなら、これは避けては通れまい」
「だからって、一番に考えるべきことでもないだろう」
「お前様の思考形態を考えれば、これが一番取っ付きやすい、あるいは親しみやすい突破口だと思ったんじゃが」
「お前は僕のことを何だと思ってる?!」
一度お前とは、互いの互いに対する見解について、徹底的に議論する必要がありそうだな。
何度も言うが、僕は妹達の下着になんぞ、興味も関心もないんだよ。
そんなの毎日のように見て、本気で見飽きてるんだ。
今では、あいつらの下着のラインナップから好み、日々のローテーションまで把握してるくらいなんだぞ。
今だってそらで言える。
「ただの変態の告白にしか聞こえんぞ」
「そんなことはない」
だめだ、このままじゃ下着談義に終始してしまう。
二人が戻ってくるまでに、ある程度の結論は出しておきたいのに。
「結論なら出ておるではないか、お前様は変態じゃ」
「そんなことはない!」
そんなことはないし、そんなことではないのだ。
僕が今、考えて、導き出すべき結論は、あくまでも妹達のこと。
「まあ良いわ。お前様の性癖なんぞ、殊更ここで話したいものでもない」
「性癖言うな」
しかし、今回僕は徹頭徹尾、ずっと被害者のはずなんだけど、どうしてこう非難ばっかりされているんだろうか。
妹達に拘束されることを避難できていれば、こんなこともなかっただろうに。
「また話を戻すけどさ、前回と今回の違いって、他に何か考えられるか?」
「だから何故まず儂に聞く? お前様が考えんか」
ごもっとも。
けどなあ、考えて分かるんなら、とっくに思いついてるだろう。
大体、ちょっと遠くに行く程度のことでとやかく言われるなんて、子供でもあるまいし。
うちじゃ、両親だって、そんなこと言わないぞ。
「ん?」
「何じゃ? 何か思いついたか?」
「いやさ、ふっと思いついたっていうか、気になったっていうか」
「はっきりせんのう」
「何ていうか、もしかして、逆なんじゃないかなって」
「逆?」
「そう、逆」
発想の逆転。
あいつらが僕を子供扱いしてたって、そういう風に考えてたけど。
さっきのやり取りでも、そんな感じだと思ってたんだけど。
もしかしたら、それは僕の勘違いだったのかもしれない。
本当は、むしろ、その逆だったんじゃないだろうか?
「何を言うとるんじゃ、そもそも常日頃、あやつらを子供扱いしておったのは、お前様の方ではないか」
「ああ、その通りだよ。僕はあいつらを子供扱いしてた――まあ実際子供なんだけどさ」
「では、逆も何もあるまい」
「だからそうじゃなくて、僕の側からの認識じゃなくてさ」
僕があいつらをどう思ってたかじゃなくて。
あいつらの側からの認識こそが、逆だったんじゃないだろうか?
つまり。
「あいつらは、僕を、子供みたいに思ってたんじゃなくて、むしろ親みたいに思ってたんじゃないかなって」
「何じゃ、それは? それこそ意味が分からんわ。お前様らの親は、共に健在じゃろうが」
「そりゃそうだよ。じゃなくて、精神的な意味でっていうかな」
その辺の説明は難しい。
けれど、思い当たる節がないでもなかった。
そして、そう考えれば、少しだけ――ほんの少しだけ、あいつらの気持ちが、理解できる気がするのだ。
だってそれは、確かに、自分も通った道だったから。
だからこそ、僕は考えるべきだったのだ。
考えるべきであり、またそこに思い至るべきだった。
僕にとって、妹達がどんな存在かを考えるのと同じように。
妹達にとって、僕はどんな存在なのか、どんな存在だと思っているのか。
それを思い、或いは想うべきだったのだ。
007.
貴方にとっての両親とは?
もし僕がそう聞かれたなら、淡々と、こう答えるだろう。
町の平和を守る警察官。
日々、誰かの為に、正義の為に働いていて。
誰に対しても分け隔てなく接し。
強く優しい、尊敬すべき人達である、と。
そう、淡々と、答えるだろう。
尊敬の念と、感謝の念をこめて。
けれど、それだけしかこめられず。
まるで過去の偉人を評するような、そんな言葉に、きっとなってしまうのだろう。
こんな言い方をしているが、勘違いはしないでほしい。
両親が僕を愛していなかったわけではない。
また僕自身、両親に何の情も抱いていないわけじゃない。
だけど、正直に、誤解を恐れず言うならば、僕の中に、両親に対する敬の念はあっても、愛の念は見つけられないのだ。
親しみは感じるけれど、愛しているという言葉は、思春期特有の恥ずかしさを抜きにしても、口にはできない。
繰り返しになるけれど、僕達の両親は、警察官である。
誰からも頼られ、請われ、求められる、それはもう町の顔役と言ってもいい存在だった。
実際、二人は警察官としても、また一個の人間としても、非常に優秀で。
誰をも愛し、誰からも愛されていた。
そしてその姿勢は、子供達に対してもまた、等しく同じだった。
両親は、僕達を特別扱いはしなかった。
少なくとも、僕はそう感じていたのだ。
その職に就いた時からきっと、その決意はあったのだろうと、今は、そう思ってもいる。
誰をも分け隔てなく愛するという、決意。
正義の実現を胸に誓った、配属の瞬間から、その決意は、燻ぶることなく二人の胸の中で燃え続けていたんじゃないだろうか。
皆の為、正義の為に、二人は活動している。
今までもずっと、そしてこれからもきっと。
誰に対しても、分け隔てなどせず。
それはきっと、あるべき正義の形なのだろう。
けれど、何時の頃からかはわからない。
あるいは、何時の頃までかは、わからない。
僕は確かに、寂しさを覚えていたのだ。
勝手な願いとわかってはいたけれど、特別扱いしてほしいと。
そう思っている時期が、確かにあったのだ。
それは、僕の勝手な思い込みかもしれない。
本当は、両親はちゃんと僕達を特別扱いして、格別愛してくれていたのかもしれない。
だけど、少なくともその時の僕には、そう感じられなかったのだ。
そしてまた、自分で言うのも何だけど、幼い頃の僕は、それなりには賢かったので。
それが単なる我儘であり、正しくないことであり、求めてはならないことだと、そう理解してしまっていた。
だからきっと、何時からか期待しなくなったんだと思う。
僕を皆と同じように慈しみ、育ててくれている両親に、これ以上求めて困らせるのは正しくないと。
両親は、僕達だけの特別な存在なんかであってはならないのだと。
008.
「人の心の機微はわからんが、しかしまあ難しい話じゃな、どちらが正しいでも間違っているでもない、か」
「そうなんだよ、難しいところだと思うよ。実際、僕の両親の姿勢や在り方は正しいと思うし、だけど昔の僕が感じた我儘も、断じて許されないというような事でもないだろうとも思うし」
子育てに正解なんて、きっと無い。
攻略法もショートカットも、ありはしない。
少しでも正しくあろうと、少しでも良くあろうと、そうすることしかできないのだと思う。
その意味では、僕達の両親は、きっと正しい道を選んでいたとも思うのだ。
百点満点ではないにしろ、それに近い答えを出していたんだ、と。
「それで? その話が、妹御の事とどう繋がるんじゃ?」
「兄妹の中でさ、僕が一番上なわけだ。だから、親からもよく頼まれてたんだよ、妹達の面倒を見るようにって」
まあ当たり前の話だし、どこの家庭でもある話だ。
お兄ちゃんだから、一番年上だから。
僕が年の割に賢く、聞き分けの良い子供だったことも、その後押しにはなっていたかもしれないけれど。
ともあれ、だから幼い頃は、僕達三人はいつも一緒だった。
いつも一緒で、その中でも、僕が二人の面倒を見てやっていたんだと思う。
「まあ、これまた何時からか、ていうか僕が思春期に入ってからかな、ぶつかり合ったりするようにもなったんだけどさ」
「ふん、そんなのは、何処の家庭でもあることじゃろう」
「そりゃそうだ。だけど、前提というか、根底がちょっと違ったんだよ、きっと」
僕が寂しさを覚えていたように。
或いは、その姿を見て、知っていたからかもしれないけれど。
多分、妹達もまた、似たような感慨があったんじゃないだろうか?
「あいつらも、自覚があったかどうかはともかく、両親に対する愛情に、少し飢えてたんじゃないかな」
「人間の感情はよくわからぬが……しかしその割には、お前様と妹御では、随分その後の変化が違ってはおらんか?」
「ああ、それは境遇の違いだろうな。あいつらには、お互いと、そして兄である僕がいた。感情の行き先があったかどうかの違いが、その差になったんだと思う」
「ふむ、成程のう」
そう、残念ながら、独りよがりかもしれない僕の寂しさは、行き場もなくやり場もなく、諦めと共に消えた……少なくとも、僕はそう認識している。
それに、何だかんだ言っても、僕は男の子だったわけで、そういう感情に女々しさを覚えていた部分もあるだろう。
愚にもつかないかっこつけ、とも言える。
「だからお前様は、そんなすれた性格をしておるのじゃな」
「やかましい」
まあ否定はできないけど。
妹達にも散々言われてきたことだし。
自分でも自覚がないわけじゃない。
「だからお前様は、そんなに歪んでひねくれて、妹の下着に興奮する変態になったわけじゃな」
「いい加減にそこから離れろ!」
これは全力で否定するぞ。
興奮なんぞしていない。
できてたまるか。
「とにかくだ。あいつらは、だから、親に求めていた感情の諸々をさ、お互いと、そして僕に向けてるのかもしれないって、何かそう思ったんだ」
「あの二人がか?」
「まあ、無自覚な部分で、だろうけど」
思えば、ファイヤーシスターズの活動にしても。
あんな無茶なことをやるようになったのも。
両親や僕を追いかけて、という正義への憧れもあっただろうが、始まりの動機は違っていたかもしれない。
構ってほしい子供の、自分を見てほしい子供の、無自覚のアピールだったという可能性もあるんじゃないだろうか。
まあ今となっては、完全に手段と目的が入れ替わってる感があるけれど。
「詰まる所あれか、今回のあの二人の言動は、自分達を庇護するべき者がいなくなる、という不安からの行動じゃと、お前様はそう言うのか?」
「全部が全部そうだとは思わないけどさ」
一因では、あるんじゃないだろうか。
親がいなくなろうとしているかのような、自分達が捨てられようとしているかのような、少なくともそれに近い感情が。
あいつらの心に、ちょっとだけ、浮かんだんじゃないだろうか。
「あそこまでエロいことをしてくる親なぞおるもんかのう」
「エロいことなどしていない」
そんな意思であいつらの胸を揉んだわけでも、キスをしたわけでもないのだ。
繰り返しになるが、あんなもんノーカンだ。
「まあ当事者同士が了解しておるのなら、それでいいのかもしれんが」
「それに、言っただろ。僕はあくまでも、あいつらの兄なんだよ。ただちょっとだけ、親の仕事の肩代わりを求められてただけだ」
奇しくもさっき忍が言ったように、僕達にはちゃんと両親がいるし、僕もあいつらも、それはきっちり認識している。
ただ少しの我儘の行き先が、必要になっていただけのことなんだ。
しかし、僕のそれはどこにも向かわず、月火と火憐のそれは、僕に向かっていた。
だから、僕は家を出ていくことに抵抗がなかったし、逆に僕が出ていくことに、あいつらは不安と喪失感を覚えたのだろう。
「それで必死に止めたと、そういうことか?」
「そういうことだろうな」
「下着を脱いでおったのも、そういうことか?」
「そこは全力で黙秘する!」
想像したくもない。
ていうか、しちゃいけないだろう。
本格的に規制されてしまうぞ。
「いざとなれば、文字通り体を張って、か。大した覚悟じゃ」
「だから止めろって!」
蒸し返すな。
心配しなくても、もうそんな危ない事にはならない。
するつもりもない。
してたまるか。
僕はあいつらの兄で、あいつらは僕の妹で。
その関係は、今日のこんな出来事程度じゃ、だからきっと、ずっと、変わりはしないのだ。
変えるつもりも、僕にはまた、ないのだから。
009.
「それで、どうするつもりじゃ?」
「どうするって?」
階下で、片付けの音が微かに聞こえてくる。
多分、食事の準備も終わったのだろう。
とすれば、そろそろあいつらも上がってくる頃合いだ。
忍もそれを察したのか、ベッドから降り立ち、僕の影の方へ向かってくる。
二人が部屋に戻ってくる前に、彼女はそこに戻らなければならないから。
いつも通りの、どこか凄惨さを滲ませた笑みが浮かぶ。
「決まっておろう。お前様の推察が正しいとして、それでどうするつもりかと聞いておる」
「どうするもこうするもない。特別なことなんて必要ないよ、多分」
「ほう、では家を出るのを諦めるか? それとも大学を諦めるか?」
「いや、そうじゃない。そんなことじゃないんだ」
結論がどうなるかも、どうするのが正しいかも。
今はまだ、必要ないんだと思う。
大事なことはきっと、それよりもずっと前にあった。
「ふん、まあお前様のことじゃ、お前様が決めるが良かろう」
「ああ、そうする。忍、色々ありがとう」
「礼なぞいらんわ。お前様が勝手に考えて、勝手に答えを出しただけじゃろう。それでもそう思うなら、精々これ以上儂の安眠を妨害せんでくれ」
「善処するよ」
「じゃあDSの続きに戻るとするかの」
「お前、数秒前の自分の発言を忘れんなよ」
寝ろよ、一度そう言ったんだからよ。
そんな僕の突っ込みに対して、何も返すことはなく。
忍は、出現時と同じように、僕の影の中へと、静かに消えていった。
それから程なくして、階段を上がってくる足音が聞こえてきた。
特に慌てた様子もなく、普段通りに思える足取りだ。
その心中まで普段通り、というわけではないだろうけど。
さて、では出迎えてやるとしようか。
両手こそ塞がってはいるが、心は開いて。
後ろ足で砂をかけるなんて、そんなつもりは元よりなかったけど。
そう思わせてしまっていたのなら、そこは反省しなきゃならない。
だから、向き合おう。
正面から、真っ直ぐに。
僕の大切な二人の妹――月火と火憐に。
今度こそ、目線を合わせて、すれ違うことのないように。
ちゃんと、向かい合うことにしよう。
010.
「待たせたな、兄ちゃん」
「うん、逃げてないね、良かった」
開口一番の、二人のその台詞だけなら特に何でもないのだが。
三人分の食事を載せたお盆を持っている火憐と違い、月火は両手に包丁を持ってやがったので、一気に心が冷えた。
さっきの決意まで冷えたらどうしてくれる?
こいつら一体、何を懸念し、何に備えていたのか。
本当に、どこまで僕の心胆を寒からしめたら気が済むんだろう。
「この状況でどうやって逃げるんだよ」
「まあ、そうなんだけどね、でも、もし逃げてたら、仕方ないかなって」
それはきっと、諦めるという意味の、見逃すという意味の、仕方ないではないんだろう。
武力行使もやむを得ないという意味での、それは、仕方ないに違いない。
忍の力を借りて手錠を外す、という手段も考えてなくはなかったんだけど、その選択肢を取らないで、本当に良かった。
「あたしも安心したよ。兄ちゃんが傷つくところなんて見たくなかったし」
「じゃあ止めろよ、全力で」
「私だって、ミザリーみたいなことするの嫌だったしね」
「怖い例え持ってくんな!」
とんでもねえことを言い出しやがる。
まあその場合、最後に月火がどうなるかを考えれば、それは嫌に決まってるよな。
僕だって五体満足で解放されたいし、そんなのは御免こうむる。
そりゃ吸血鬼性を発揮すれば再生はするけれど、それで色々なことが明るみに出るのも厄介だし、そういう意味でも勘弁してほしい。
正しく双方に望ましい結果だった。
「ていうか、兄ちゃん、独り言多かったぞ」
「うん、何言ってるかわかんなかったけど、ちょっと心配しちゃったよ」
こいつら、耳澄ましてやがったな。
どんな聴力してんだ。
成程、昨日の話も筒抜けになるわけだな。
ていうか、僕の声を聞き洩らさんとする、その姿勢をこそ、兄としては心配して止まない。
割と本気で。
けれどまあ、その辺は、追々言い聞かせていけばいいだろう。
「ほっとけ。ていうか、今はそもそも、心よりも体の方の心配をしてくれ」
「してるよ、ちゃんと」
「そうそう、だからほら、ご飯もちゃんと持ってきてあげただろ。喜べよ、兄ちゃん」
お盆を持ち上げて僕に見せてくる火憐だが、でも、それを作ったのは月火だろう。
何でこいつが勝ち誇ってるのかが分からない。
「じゃあお兄ちゃん、食べさせてあげるね」
「待て、おい」
火憐が、お盆を僕の横に置くと同時、月火が、流れるような動きで、包丁をその更に横へと置き、スプーンを手にとって。
そして躊躇うことなく、あーんとか言って、手に持ったそれを、僕に差し向けてきやがった。
これは全力で止めざるを得ない。
そんな辱めを受ける訳にはいかないのだ。
「お兄ちゃん、今更何言ってるの? お兄ちゃんの恥ずかしいところなんて、私達、飽きるほど知ってるよ」
「そうそう。笑い話が一つ増えるだけじゃねーか」
「全力で断る!」
お前達にとっちゃ笑い話だろうが、僕にとっては恥が一つ増えることになるんだぞ。
そんなの真っ平御免だ。
「とにかくだ。いい加減に手錠を外せ」
「駄目。逃げる気でしょ」
「逃げねえよ」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃねえって。今までだって、月火ちゃんに嘘は言ってないだろ」
「何か引っかかる言い方だな」
火憐に要らぬ疑惑を与えてしまったが、それでも月火は、僕の言葉の意味を理解してくれたみたいだ。
それでも、しばらく躊躇ってはいたけれど。
どれだけ僕って信用ないんだよ。
「本当に逃げない?」
「逃げないって。絶対」
「嘘ついたら、包丁千本飲ますよ」
「無茶言うな」
一本も飲めねえよ。
咽喉を通るサイズじゃねえだろ、それ。
ともあれ、それからも少し渋ってはいたものの、結局は手錠を外してくれることになった。
片手を火憐に掴ませて、しっかりと抑えこんだ上での話だけど。
しかし本気で信用されてないな。
ちょっと今後は、妹達に対する態度を、少し改めた方がいいのかもしれない。
まあでも、今はこれでいい。
これで十分だ。
片手こそ火憐に抑えこまれているけれど。
完全に自由の身になったわけではないけれど。
何もできない訳じゃないし、すべきことは、これで出来るようになったんだから。
だから僕は、躊躇うことなく。
一切の迷いもなく。
真っ直ぐに。
二人を抱きしめた。
ゆっくりと、だけど強く。
痛くならない程度に、それでも強く。
「え? 何? 何なの? お兄ちゃん、一体何のつもり?」
「何だ兄ちゃん、おい、何考えてんだ?」
当然と言おうか、二人が混乱しているのが、簡単に見てとれる。
それもそうか、半信半疑で解放した瞬間の熱烈ハグだもんな。
意味が分からないのも当たり前の話だ。
二人が僕を助けにきたっていうのなら、これも感動的なシーンなんだろうけど、何しろ他ならぬこの二人が犯人なわけなんだから、そりゃあ混乱もするだろう。
だけど違う。
これは、そういう意味での、僕の手錠が取れたことに起因する行動じゃないんだ。
そしてそれは、僕がどういうつもりでこういうことをしたのかは、それが真剣な思いによるものだってことくらいは、きっと二人も察してくれるだろう。
「なあ、兄ちゃん、何なんだよ、暑苦しいよ」
「ていうかキモい。何? 私達に欲情してんの?」
二人揃ってひどい言葉だ。
特に月火、お前何を口走ってやがる。
それでも。
言葉こそ辛辣で、否定的だけれども。
火憐も月火も、視線とか、口ばっか動かすだけで。
体を動かす素振りは、微塵も見せない。
「キモいんなら、振り払っていいぞ。できるだろ、お前達なら、それくらいさ」
言って、さらに強く抱きしめる。
強く、強く。
僕の意思と意志が、正しく二人に伝わるように。
それが伝わったのか、どうなのか。
二人は、軽く身じろぎするくらいで、特に反発も何もなかった。
手が出る事も、足が出る事も、なかった。
「何それ。何なのよ、もう……プラチナむかつく」
「あー、うー、兄ちゃんさ、いや、別に嫌だとか、そういうんじゃないんだけどさ、その……」
ぷいっと視線を逸らして、けれど体は離さない月火と。
うがー、と言葉にならない呻き声を上げつつ、視線を彷徨わせる火憐と。
そんな二人に僕は。
今まできっと、一度も言ったことのない言葉を。
言わずとも伝わっていると考えていた、そしてきっと伝わっていただろう想いを。
それでもきっと、言葉にしなきゃいけなかった思いを。
二人が多分、両親に、そして僕に、求めていただろう感情を。
それらを伝えるべく、ゆっくりと口を開いた。
「僕はちゃんと、ここにいるよ。お前達のことも、ちゃんと――」
そこから先は、二人の耳元でだけ、囁いた。
ただ、二人にだけ伝われば、それでいいことだから。
そしてそれは、きっと正しく伝わったはずだ。
こんなに近くで、ちゃんと言葉にして、それで伝わらない訳がない。
何よりも、誰よりも長く一緒にいた、兄妹なんだから。
「……」
「……」
視線をこちらに合わせようとせず、一言も発すことなく、体を硬直させたままの二人に。
仄かに色づいた頬と、抑えきれない感情が零れそうになっている口元を見ながら。
だから今度こそ、僕の方から提案した。
「さあ、火憐ちゃん、月火ちゃん、話し合おう」
今まで話せなかった事を。
きっと話すべきだった事を。
今度こそ、言葉を尽くして、心を尽くして。
二人が言っていたように、時間はたくさんあるんだ。
そして、ここから新たに始めよう。
兄妹として、家族として。
僕達らしくあれるように、皆で納得できるように。
まずは三人で、とことん話し合ってみることにしよう。
011.
後日談というか、今回のオチ。
翌日、いつものように、火憐と月火に叩き起こされた僕は、のんびりと朝食を食べながら、一日のスケジュールに思いを馳せる。
せっかくの日曜日ではあるけれど、受験生に休みなどないのだ。
なので結局、いつも通り、勉強に勤しむ他には、選択肢などないんだけど。
その後――二人に話し合いを提案してからのことは、ここで更にぐだぐだ言うつもりはない。
また、その必要もない。
正しく三人だけの、兄妹水入らずの話し合いだったのだから。
ただそれが思いの外長引いて、結局日が変わるまで続いてしまったことだけ伝えておこう。
日をまたいでからは、一人用のベッドに三人並んで横になって、窮屈なまま、それでも話し続けたもんで、実は今も少しだけ体が痛い。
起こされる時も、文字通りのステレオサウンドだったし、手が出るのも早かった為、その分も残っていたりする。
だけど。
三人くっついて、色々話して、一緒に寝て、一緒に起きて。
こうして朝を迎えて思い返せば。
それはきっと、必要なことだったんだ、と。
心から、そう思う。
結局僕がどうすることにしたのか。
家を出るのか、大学をどうするのか。
その辺の事は、また別の機会に話す事にしようと思う。
そんな機会があればの話だけど。
「兄ちゃん、ちょっと出掛けてくるぜ」
「お兄ちゃん、かなり出掛けてくるね」
「車にはねられんなよ」
「そんなドジは踏まねえよ」
「じゃあ車をはねんなよ」
「努力する!」
「いや、そこは否定しろよ!」
相変わらず喧しく、騒々しく、二人は正義の味方と称して、家を飛び出していった。
昨日の騒動が嘘のように、いつも通りに。
いっそ大人しくなっていてくれたのなら、心労もなくなったんだろうけど、それはまだ遠い望みのようだ。
だけど、それはそれで構わないだろう。
元気一杯で良いことだと、とりあえずは好意的に受け取っておこうじゃないか。
今や僕の身も自由なわけだし。
僕の心は、まあさておいても。
さて、あんまりのんびりとしてもいられない。
昨日勉強出来なかった分を、今日取り戻さなきゃならないのだ。
あいつらが自分達の戦場へ向かったように、僕もまた、自分の戦場へ――自分の部屋へ向かう。
昨日までよりもきっと、少しだけ、軽い足取りで。
終
元スレ
暦「今更するような話でもないけれど」
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